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「古典派からのメッセージ・2005年〜2006年」目次へ戻る
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私の音楽鑑賞メモ(二〇〇六年)

 

 

感動と違和感と―久々に出かけたBCJの演奏会にて

 

 二月二二日(水)、初台のオペラシティで開かれたバッハ・コレギウム・ジャパン(以下BCJ)の教会カンタータ・シリーズの演奏会に出かけた。約二百曲あるバッハの教会カンタータを、ほぼ作曲年代順に全曲演奏することを目指すこのシリーズ、平成四(一九九二)年に始まって十四年もの歩みになる。既に全体の四分の三くらいを演奏し終えたようだ。この日は、カンタータ第四二番「この同じ安息の夕べ」、同第一〇八番「我が去るは汝らの益なり」、同第六番「我らと共に留まり給え」、同第一〇三番「汝らは泣き叫び」の四曲が演奏された。いずれも一七二五年にライプツィッヒで書かれた作である。

 

僕は、BCJが初期にカザルスホールで演奏会をやっていた頃から、紀尾井ホール、オペラシティと会場を移してきたこのシリーズに、毎回とはいかないが、時間が許す範囲で通ってきた。東京を三年ほど離れていて久しぶりにこの会に出かけたが、以前にも増して素晴しい音楽を味わわせてもらい大いに感動したと同時に、宗教音楽をこうした演奏会形式で行うことに若干の違和感を感じたことも正直に申し上げておく。

 

国内外から大勢の優秀な演奏家がこのプロジェクトに共鳴して参加しているのは、何と言っても、BCJの指揮者・鈴木雅明氏のバッハへの熱い思いと音楽への真摯な取り組みに惹かれるところが大きいからだろう。この日も音楽の出来は極上だった。とりわけ独唱者も加わって歌う合唱の、緊密で澄んだ美しさは無類である。また、器楽も、カンタータ第六番「我らと共に留まり給え」では、今はもう滅んで実在しない肩に乗せて弾く小型チェロを、ヴァイオリン奏者で楽器製作者でもあるD・バディアロフ氏が自ら復元製作して演奏してくれたり、同第一〇三番「汝らは泣き叫び」では、高音のソプラニーノ・リコーダーを名手、ダン・ラウリン氏が超絶技巧で華麗に吹きまくり、同第四二番「この同じ安息の夕べ」では、オーボエの三宮正満氏が思わず身を乗り出すほど悲哀に満ちた美しい旋律を吹いてくれたり…と、聞き所満載だった。

 

さて、バッハは敬虔なルター派プロテスタントであり、教会カンタータは教会行事のためにほとんど毎週のように演奏された。それは牧師の説教を敷衍し、その意味を音楽的に表現して、良き信徒たちを正しい信仰の道に導くために作られた音楽だった。鈴木雅明氏がこの演奏会のために書いた「巻頭言」を読めばわかるように、氏は、そうしたカンタータのテキストを熟読し、その言葉の意味を正しく表現しようとしたバッハの音楽作りを追体験しようとしている。僕がこの日の演奏会で気になったのは、独唱している歌手たちの歌いぶりからこうした真摯さがあまり感じられなかったことである。独唱者たち(ソプラノの野々下由香里さん以外はいずれもヨーロッパの優秀な歌手たち)が、鈴木氏ほどテキストを読みこなして(或いは共鳴して)歌っているのだろうか、という疑問がふつふつと沸いて来たのだ。もっと端的に言えば、歌手たちに鈴木氏のような信仰心があるのか(或いは彼らがルター派プロテスタントでないなら、信仰心への共鳴があるのか)、ということだ。それを思うと、そもそも教会での牧師の説法の合間を埋めるために書かれた音楽を、こうした演奏会形式で通して演奏し、「異教徒」たちから拍手をもらうこと、つまり宗教音楽の「見せ物」化が、正しいことなのか、という疑問が僕の胸にくすぶり続けた。どんなに技術的には未熟でも、信仰心厚い歌手たちが、教会の中で牧師の説教の合間に歌い、参加した信徒たちに気晴らしや慰みや勇気を与えるための「内輪の音楽」が本当のカンタータの姿ではないだろうか。

 

芸術がカタルシスであるとすれば、僕がこの日味わった異教徒としてのカタルシスは、単に音楽の美しさに酔いしれた「美感のカタルシス」に過ぎない。信仰者として音楽に「参加」し魂の充実に至る「精神のカタルシス」こそが真の芸術の浄化作用である。

 

平成一八(二〇〇六)年三月五日

 

 

希少価値のテレマンを中心にした素晴しい演奏会

 

 二月二八日(火)、上記BCJ演奏会と同じオペラシティで催された、ベルリン・バロック・ゾリステン(以下BBS)の演奏会に出かけた。あまり特定の演奏家の熱心なファンではない僕にしては珍しく、BBSには三回続けて出かけている(前回は石川県立音楽堂で聞きました:「私の音楽鑑賞メモ(二〇〇三年〜二〇〇四年)」をご参照ください)。この日は、オーボエ奏者、アルブレヒト・マイヤーも加わって、オーボエやヴァイオリンの独奏を中心に、バッハとテレマンの名曲を華やかに演奏してくれた。BBSの演奏会の大きな特色は、知られざる名曲を取り混ぜていることだ。今回も、比較的よく知られたバッハのオーボエ・ダモーレ協奏曲イ長調(BWV一〇五五R)やオーボエとヴァイオリンのための協奏曲二短調(BWV一〇六〇R)といった「スタンダード・レパートリー」に、テレマンのあまり演奏されない合奏協奏曲スタイルの協奏曲を二曲(ホ長調TWV四三―E二、変ホ長調TWV四三―Es一)とニ短調のオーボエ協奏曲(TWV五一―d二)、それに、二つのヴァイオリンのための協奏曲イ長調(TWV五二―A二)といった曲を混ぜたプログラムで楽しませてくれた。BBSは、ヴァイオリンのライナー・クスマウル、ヴィオラのヴォルフラム・クリスト、チェロのゲオルク・ファウストら、ベルリンフィルの主要奏者から成る演奏団体であるが、通常、こういう有名演奏家というのは、客を集めやすい決まりきったレパートリーばかり演奏することが多い。特に来日の時はそうだ。ところが、この人たちは、いつも異色のプログラムを用意してくれる。特に生演奏を聞く機会が不当に少ないテレマンを演(や)ってくれるのは嬉しい限りだ。この人たちの知的向上心の高さと日本の音楽ファンを馬鹿にしない誠実な態度を僕は愛おしく思う。どんなに優秀なバロック音楽の演奏団体でも、ヴィヴァルディの「四季」やパッヘルベルのカノンばかり並べた演奏会は行く気にならない。そういうマンネリ・プログラムを平気で並べるのは、演奏家の知的怠惰か、観客を馬鹿にした興行主の悪しき収益至上主義かによる。

 

 さて、テレマンの二曲の(合奏)協奏曲(ホ長調TWV四三―E二、変ホ長調TWV四三―Es一)は、作り方も対照的でとても面白かった。前半に演奏されたホ長調の方は、全体的にポリフォニック(対位法的)に作られており、殊に第二楽章と第四楽章は「対位法のごちそう」といった感じのフーガの技法がふんだんに取り入れられた音楽だった。第四楽章の独奏と合奏の掛け合いも面白い。一方、後半に演奏された変ホ長調の方は、全体的にホモフォニックに作られ、第二楽章の三連音符の連なりや第四楽章のメヌエットなど、メロディの個性で聞かせる音楽だった。また、ニ短調のオーボエ協奏曲(TWV五一―d二)では、マイヤーが輝かしいオーボエの音色で、さらに、二つのヴァイオリンのための協奏曲イ長調(TWV五二―A二)ではBBSの二人のヴァイオリン奏者が切れ味の良い演奏で、それぞれ私たちを魅了してくれた。こうしてテレマンをまとめて聞くと、こんなに多様で才気に満ちた音楽がなぜ演奏会で頻繁に取り上げられないのか、全く不思議だ。演奏家諸氏の不勉強と興行主たちの怠慢を嘆くばかりだ。テレマンは近年CDではそれなりに出るようになったが、やはり、こうして演奏される姿を見ないと彼の音楽の本当の楽しさはわからない。テレマンはバッハ以上に見て楽しい音楽である。

 

平成一八(二〇〇六)年三月五日

 

 

大好きなヴィヴァルディ

 

 僕はヴィヴァルディの協奏曲集「レストロ・アルモニコ(調和の霊感)」が大好きだ。いくつか聞いたCDのうちでは、少し古いけれどもアルヒーフから出ているピノック盤が大変快活で気に入っている。最近のヴィヴァルディのCDは、ピノックよりはるかに猛スピードでメリハリを利かせたハードロックのような演奏が増えているが、そのあまりにもキィキィと金属的な演奏は、潤いと品性に欠けるきらいがある。バロックの声楽におけるチェチーリア・バルトリも同様で、この人の歌い方は雌鶏の絶叫を聞いているようで僕には耐えがたく感じられる。何ごとも「やりすぎ」はよくない。現代的なスピード感あふれる演奏といっても、潤いと品位は保ってほしい。

 

平成一八(二〇〇六)年三月一八日

 

 

楽しめたアマチュア演奏・その一

 

 昨夜、ルネ小平で開かれたオーケストラ・ムジマの演奏会に出かけた。ムジマは音大関係者とおぼしき若い人たちを中心にした素人のオケである。しかしその技量は決して侮れなかったし、真摯に音楽に取り組む姿勢には好感が持てた。はじめこそ弦が不ぞろい気味だったが、慣れるにしたがって艶やかな音色になっていった。このオケを指揮しているのは、僕が敬愛する諸岡範澄さんである。古典派音楽を面白く聞かせることにかけてはこの人は第一人者だと思う。この日も諸岡さんの音楽作りが感じられる、生気が発散する音楽だった。

 

 それに選曲!! うれしいことに、フランス革命を挟んで百歳近くまで生きたフランスのゴセックやボへミア出身のロゼッティや大バッハの末息子のJ・C・バッハの隠れた名曲を演奏してくれたのだ。J・C・バッハの協奏交響曲もソロ楽器がたくさん出てきて視覚的にも楽しい曲だったが、何といっても驚くべきはロゼッティのト短調交響曲。疾風怒濤の古典派短調の常套的な曲だが、その緊迫感や旋律の美しさは傑作の名に値する。僕はこの曲をCDで聴いたことはあったが、実演は初めて(そしてこれが生涯で最後かもしれない)。やはりナマで聞く素晴らしさは格別である。だが、この曲は短調に徹しきらない「なんちゃって短調」の曲でもある。その十八世紀風の諧謔趣味が現代人にはなじみにくいところではあろう。

 

 最後に演奏されたのは、よく知られたシューベルトの第五交響曲(変ロ長調)。ハイドンの面影が濃厚な、しかしシューベルトらしいリリシズムも香る佳曲。時代が下るこの曲はオーケストレーションも精緻にできており、演奏難度は高いものと思われるが、オーケストラ・ムジマの皆さんはよくがんばって聞かせてくれた。これだけ知られざる名曲を紹介してくれ、それなりの演奏をしてくれて八百円は大変お値打ちでした。妻と二人、大満足で家路につきました。

 

平成一八(二〇〇六)年五月一日

 

 

楽しめたアマチュア演奏・その二

 

 ドヴォルザークの「スターバト・マーテル」は彼の声楽の中でも屈指の傑作だが、ナマ演奏で聞く機会はあまりない。たまたまクラシック演奏会の情報誌「ぶらあぼ」に、東京インターナショナル・シンガーズというアマチュア合唱団がこの曲を演奏するという記事があったので、今日、ふらりと会場の「めぐろパーシモン・ホール」に出かけてみた。管弦楽は東京ニューシティ管弦楽団。

 

 ドヴォルザークの「スターバト・マーテル」は、十九世紀後半の合唱曲としてはむしろ素朴な作り方だと感じた。ブラームスの「ドイツ・レクイエム」などと比べても、作曲技法は素朴である。特に、第六楽章「命のあらん限り、御身と共に熱き涙を流し」におけるテノールの独唱は、何らの歌唱技法も要しないような単純なメロディだ。歌い手はよほど純真な心持ちで歌わないと、「高い歌唱技術を持ったオレがなぜこんなつまらぬ曲を歌わなければならないのだ」というような驕り高ぶった人間性が露出してしまう。この曲は技法を誇示する音楽ではなく、幼い娘を亡くしたドヴォルザークの嘆きと悲しみが投影された祈りの音楽なのだ。

 

 この曲には、思わず口ずさみたくなるような平易で美しい「ボヘミア演歌」のメロディがたくさん現れる。管楽器やヴィオラの音色効果は、いつものことながら、ドヴォルザークの音楽職人としての匠の技に感心させられる。合唱もオーケストラも水準は高く、やはりナマ演奏で聞いてよかったと感じ入った。

 

平成一八(二〇〇六)年五月二日

 

 

グランドピアノの憂鬱

 

 きょう、虎ノ門の「JTアートホール」へ、「シューマンへの熱き想い」と題した東京芸大の大学院生を中心とする若手演奏家たちによる室内楽を聞きに行った。会場に入った途端、巨大な漆黒のグランドピアノが目に入った。この巨大さからして、一緒に演奏するヴァイオリンやヴィオラやチェロの小ささとの極端な不釣合いを感じた。そして違和感を感じながら、最初の曲、メンデルスゾーンが十三歳の時に書いたピアノ四重奏曲第一番ハ短調(作品一)が始まる。たちまち、この巨大なピアノから発せられる音の鈍重さ、音色の濁りに狼狽させられる。せめて奏者にはもっとインテンポに歯切れ良く弾いてほしかった。そもそもこの曲の演奏に現代のグランドピアノを使ってしまっては、少年メンデルスゾーンの音楽に特徴的な魅力である天に駆け上るような軽やかな飛翔感を感じることは全く不可能である。今月のはじめにシュタイヤーの軽快で真珠の粒のような澄み切った輝かしい古楽器ピアノを聴いた後だったため、なおさら、現代ピアノが発する鈍重で濁った音が耐え難く、その巨大な姿が憂鬱な存在に感じられた。一九世紀中葉までの古い室内楽やピアノ音楽の演奏に現代のグランドピアノが使われることに、僕はもはや耐えられない。

 

 次に、シューマンの弦楽四重奏曲第一番イ短調(作品四一−一)が演奏された。シューマンの三曲ある弦楽四重奏曲は決して親しみやすいものではない。この第一番も、実にまとまりが悪くとりとめのない曲である。特に最初の三つの楽章では、どこに身を任せたらいいのか不安になるような切れ切れの楽句が現れては消える。激しく泣いたかと思えば、急にやさしくなったり、厳粛の極みかと思えば、唐突に笑ってみたり…と、情調も不安定に揺れ動く。まるでシューマンがひどい偏頭痛に悩まされながら書いたかのようだ。第四楽章でようやく偏頭痛が治った(?)シューマンが、本来の冴えた作曲技法(巧みな対位法、スピード感、統一感、緊張感など)を展開して曲が締めくくられる。実演を聞いてみて、確かに人気の出る曲ではないと思ったが、シューマンを愛する僕にとっては、彼の繊細さがよく現れて、これはこれで面白かった。さすがに人生の苦楽の体験が足りない若い人たちの演奏に情感の深さは感じられなかったが、巨大ピアノ抜きの弦だけの親密なアンサンブルは、きびきびした好演だった。何よりもこういう難しい曲に挑戦した学生たちの心意気に拍手したい。

 

 休憩を挟んで最後に演奏されたのはシューマンのピアノ五重奏曲変ホ長調(作品四四)。この曲は弦楽四重奏曲と違ってシューマンの中でもかなりの人気曲である。まるでシューマンがアポロン神殿に詣でてその霊験もあらたかに現れたかのように、古代ギリシアやローマの彫刻や建築のような構築性、調和の美が感じられる。特に、チェロとヴィオラが奏する第一楽章の第二主題は僕が最も愛するメロディのひとつだ。曲の最後のフーガも実に華やか。シューマン独特のゆらめき、たゆといに浸りつつも、世阿弥の言う「離見の見」(役者に求められる、役に没頭しつつも舞台から離れたところから自分の姿を見ているような冷静さ)で統御された構成美である。この曲では、弦が四人に増えてグランドピアノとの均衡もかろうじて保たれ、冒頭のメンデルスゾーンほどにはピアノに違和感を感じなかった。しかし、シューマン当時のピアノを使った演奏なら、彼が工夫を凝らした細部がもっと鮮明に聞き分けられるだろうに、と思わずにはおれなかった。グランドピアノの鈍く濁った巨大な音が弦と混じると、微妙な音の交錯がかき消されてしまうのだ。ついにグランドピアノの憂鬱から解放されなかったこの日の演奏会だった。

 

平成一八(二〇〇六)年五月三〇日

 

 

充実のシューマン演奏

 

 没後一五〇年というわけで、今年はシューマンを特集した演奏会がけっこう催されている。さる七月八日に横浜の「みなとみらいホール」で開かれた日本フィルの演奏会もそうした催しのひとつだった。クラシック音楽情報誌「ぶらあぼ」に、この日の指揮者、下野竜也さんがシューマンをライフワークにしていると記してあったのと、プログラムに「四本のホルンのためのコンツェルト・シュトゥック」というあまり演奏会で取り上げられない曲が載っていたので、シューマンに少なからぬシンパシーを持つ僕は、初めての「みなとみらい」見学も兼ねてこの演奏会に出かけた。

 

 一曲目に演奏された「四本のホルンのためのコンツェルト・シュトゥック ヘ長調」は、ホルンが勇ましいファンファーレを吹いたり、柔らかな叙情的旋律を吹いたり、四人のホルン奏者が入れ替わり立ち替わりソロを吹いたりと、じつに華やかなショウ・ピース。残念だったのはこの日の日本フィルの四人のホルン奏者の腕前が多少不揃いだったことだ。でもこんな珍曲を生で聴かせてもらえるのだから、贅沢は言えまい。

 

 次に演奏された有名な「ピアノ協奏曲 イ短調」は、シンフォニックな構築性とナルシスティックな叙情性とが危く均衡している曲。構築性と叙情とが解け合わないその危さ、儚さを僕はとても愛している。この日の演奏は、下野さんの指揮はきびきびした構築性、田部京子さんのピアノソロ(とてもきれいな粒ぞろいの音色!)はゆったりした叙情性というふうに、意識的に役割分担していたのだろうか? それとも単に音楽作りについての意見が一致しなかったのだろうか? 何となくピアノソロとオーケストラの情調表現が食い違っていたように感じた。しかし後で考えると、もともとこの曲はそういうふうに出来ているのだ。ベートーヴェンのように構築性で一貫しておらず、ショパンのように叙情の垂れ流しでもない、両者の危うい均衡こそがシューマンの魅力なのだから。

 

 休憩を挟んで最後は「交響曲第二番 ハ長調」。この曲もシューマンならではの叙情性あふれるメロディとかっちりした構築性との間を行き来しながら音楽が展開する。それにしても最終楽章の最後のティンパニの迫力は素晴らしかった。CDではいくら大音量を出してもこの迫力は味わえない。まるでこの曲は最後のティンパニの咆哮のために書かれたかのようであった。下野さんの曲の作りこみは、きびきびした構築性、叙情を楽しみつつもそれに流されない潔さといったものを強く感じさせる好演だった。

 

 シューマンの佳曲を三曲も聴けて、僕は充実感に満たされて「みなとみらいホール」を後にした。しかし一方で、シューマンは、このような二四〇〇人も入る巨大ホールでやる音楽ではないという思いもした。管楽器も二管編成の比較的小ぶりなものだし、シューマンはこれらの曲のあちこちに室内楽的な親密さや楽器同士の繊細な対話を挿入しているのだ。シューマンが音楽に込めた意図を味わうには、もう少し小さなホールで室内オケの演奏で聞いてみたいと思った。

 

平成一八(二〇〇六)年七月一〇日

 

 

生きた古典派演奏に拍手!

 

 浜離宮朝日ホールで催されたオーケストラ・シンポシオンの演奏会に出かけました(一曲目のモーツァルトのポストホルン・セレナードを編曲した交響曲には間に合わず聞き漏らしました)。モーツァルトゆかりの土地にちなむ曲を取り上げるシリーズの最終回、今回はマンハイムです。マンハイムはモーツァルトの時代、欧州屈指のオーケストラがあり、シュターミッツ親子、リヒター、ホルツバウアーといった優秀な音楽家が活躍しました。きょうの二曲目で演奏された交響曲の作者、カンナビヒもマンハイム楽派の一人です。切れ切れの旋律がモザイク状に組み合わされる独特の音楽の作り方や管楽器がソロをたくさん吹いて活躍するのが印象的な交響曲でした。

 

 後半の一曲目は、モーツァルトのオーボエ協奏曲ハ長調K三一四です。オーボエ独奏の三宮正満さんはバッハ・コレギウム・ジャパンなどでも活躍されている古楽器オーボエの名手。この日も、大変切れ味のいい(少し飛ばしすぎか?)独奏で、しかもところどころに即興的な装飾を入れて聴衆を楽しませてくれました。

 

 最後の交響曲第三十四番ハ長調K三三八は、モーツァルトがザルツブルグ時代に書いた最後の交響曲ですが、こうして聴いてみると、もはやモーツァルトの音楽はザルツブルグ大司教の小宮廷には納まりきらない大きさと風格を備えていることがよくわかりました。弦楽器だけで奏される緩徐楽章の情感の深まりは格別です。また、この曲のためにモーツァルトが書きかけてなぜか廃棄したメヌエットの断片が実演されたのも、ブラーヴォ!と叫びたいうれしさでした。諸岡範澄さん指揮のオーケストラ・シンポシオンの演奏は、いつもながら古典派音楽のツボを押えた「生きた音楽」で、心満たされました。

 

平成一八(二〇〇六)年七月一五日

 

 

古典派の隠れた巨匠たちを堪能する

 

 府中の森芸術劇場で催されたハイドン・シンフォニエッタ・トウキョウ(以下HST)の演奏会に出かけました。前半は、HSTのリーダーでホルン奏者の廣實さんが精力的に研究発掘しておられる、古典派時代のボヘミア出身の音楽家、ヴァンハルの交響曲が二曲演奏されました(イ短調Bryn=a1とハ短調Bryn=c3)。二曲とも、途中で長調に転ずる「なんちゃって短調」ではなく、短調で完結します。その意味ではアンシャンレジームの美学を超えたとてもモダンな音楽です。殊にイ短調のほうは深刻悲痛な表情に胸を打たれます。古典派の疾風怒濤型交響曲の典型であり名作であるといえましょう。ハ短調のほうは、ヴァンハルらしい意表をついた曲作りを楽しめます。第一楽章は、提示部がすぐ長調に転じてそのまま進み、展開部と再現部が短調で進むという通常とは逆の進め方がユニークです。第三楽章も、ハイドン風の八度のカノンで進行するかと思いきや、カノンはすぐ断ち切られて単旋律中心の進行に転じると言う具合に、聞き手の期待を裏切るのです。ヴァンハルはなかなかのメロディ・メーカーでもあり、もっともっと取り上げられてしかるべき音楽家だと改めて感じました。

 

 後半は、今年没後二百年のミヒャエル・ハイドン(この作曲家については、拙文『忘れられた偉大な作曲家 ミヒャエル・ハイドン』をご参照ください)の二曲が演奏されました。はじめのフルート協奏曲二長調MH八二は、特に個性的な音楽というわけではなく、ごく一般的な古典派のイディオムから成る穏やかなロココ気分の曲です。この日フルートを独奏された宮川悦子さんは、伸びやかな旋律をフルートらしいまろやかな音色で吹かれる一方、カデンツァではよく工夫された高度な技法も見せておられました。

 

 最後に演奏されたのは、ミヒャエル・ハイドンの交響曲ト長調MH三三四にモーツァルトが序奏を付けたもので、かつては誤ってモーツァルトの交響曲第三七番と言われていた曲です(上記拙文にも出てきます)。モーツァルトの父レオポルトが書いた交響曲と共通する、ザルツブルグ風、オーストリア風のほのかなユーモア、微笑を湛えた快活な曲です。緩徐楽章では、フルートが弦と溶け合って優美な旋律を奏でたり、低弦楽器だけの引き締まった短調に転じたり、オーボエの愉快なソロが入ったりと、楽しさいっぱいです。最終楽章のフーガの技法は、ミヒャエル・ハイドンが一流作曲家であることを証明する見事なものです。オーケストラにとっては実に演奏の甲斐のあるフーガではないでしょうか。

 

 西洋音楽史の隠れた巨匠、ヴァンハルとミヒャエル・ハイドンを取り上げたこの演奏会、訪れたのはたぶん小生と同じ「古典派おたく」ばかりだと思いますが、もっともっと多くの人たちにぜひ聞いて欲しかった演奏会でした。

 

平成一八(二〇〇六)年七月一六日

 

 

オペラは音楽だけで充分

 

 一一月中旬から一二月初めにかけて、古楽演奏会を集めた「北とぴあ音楽祭二〇〇六年」が開かれました。今年のテーマは「月」。月に関係する演目を主にした演奏会の数々が催されました。僕は、「幽玄なる月の世界」と題する能・狂言の会と、ハイドンの喜歌劇「月の世界」と、月とは関係ありませんが、モーツァルトとミヒャエル・ハイドンを並べた演奏会に出かけました(そのうちの「幽玄なる月の世界」と題する能・狂言の会については「私の能楽メモ」をご覧下さい)。

 

 僕はオペラを実演で見るのは今回の「月の世界」が初めてでした。歌手たちが大げさな表情と身振りで歌うのがどうにも嫌で、オペラは食わず嫌いでしたが、CDさえあまり出ないハイドンのオペラがナマで見られるというので、矢も楯もたまらず出かけた次第です。

 

 「月の世界」は、娘たちを結婚させたくない父親が、彼女らを何とかモノにしたい若者たちにだまされて、作り物の月の世界へ連れて行かれるというドタバタの喜歌劇です。「月の世界」という台本には、ハイドン以外にも、ピッチンニやパイジェッロといった当時の代表的オペラ作曲家たちが曲を付けていますが、喜劇の達人ゴルドーニの台本はさすがに巧みにできており、あっという間の楽しい三時間でした。ハイドンのアリアや重唱は美しい宝石のような音楽で、こんな素晴らしい曲が、ドラティ指揮の古い録音以外にはCDすら出ていないのが全く不思議です。この曲を取り上げてくれた指揮の寺神戸亮さんや関係者の皆さんに感謝です。歌手では、何と言っても父親役のフルヴィオ・ベッティー二さんが抜群の存在感でした。

 

 独断と偏見を二点ほど。第一点は、この日の役の大半を演じた日本人歌手たちについて。彼らの歌は素晴らしいのですが、やはり日本人の顔かたちでは西洋の歌劇はサマにならないとつくづく感じました。大げさな身振りや表情をするときの見苦しさには思わず目を伏せてしまいます。日本人の顔かたちはああいう身振り、表情には向いていません。特に男性歌手は見ていられません。日本人その他のアジア人は西洋の歌劇役者をやらない方がいいと思います。日本人の顔かたちや立ち居振る舞いにふさわしい演劇は他に沢山あります。もう身の丈に合わない西洋の猿真似はやめてはどうでしょうか。

 

 第二点は、オペラの楽しさについて。今日のハイドンを見て、僕には、一八世紀、一九世紀の西洋人がオペラに熱狂した理由がわかったような気がしました。それは江戸期の日本人が歌舞伎に熱狂したのと同じ種類の情熱です。その情熱は、非日常的な華やかさや浮き世を忘れさせるきらびやかさを追い求めてやみません。僕もまたハイドンのオペラを楽しめたのですから、オペラへの熱狂を共有してはいます。食わず嫌いと言っても、たぶんロマン期の重装備のオペラを実際に見れば感涙を流すことでしょう。しかし結局、僕には音楽だけで充分だという思いが消えませんでした。小林秀雄と同様、オペラは顔を伏せて音楽だけ聴いていても何の支障もないという思いで三時間を過ごしたのもまた事実なのです。つまり、僕にとって、オペラは純粋に音楽的興味の対象であって、演劇としてのオペラには何の興味も持てそうもないということです。

 

平成一八(二〇〇六)年一二月二日

 

 

モーツァルトとミヒャエル・ハイドン

 

 モーツァルト生誕二五〇年の諸企画にはうんざりしている僕も、「北とぴあ音楽祭」でのオーケストラ・シンポシオンの演奏会には出かけました。そこでは、モーツァルトと並んで今年没後二百年のミヒャエル・ハイドンの曲も演奏されるからです。この二人はともにザルツブルグで活躍した同僚です。演奏された曲目は、モーツァルトでも子ども時代に書かれた比較的マイナーな曲ばかり(歌劇「アポロとヒアチントス」序曲K三八、ヴァイオリン協奏曲第一番変ロ長調K二〇七、交響曲ト長調K一二九)ですし、ミヒャエル・ハイドンの方も、歌劇「花嫁レベッカ」序曲MH七六、交響曲変ロ長調MH八二+一八四という聞き慣れない曲です。

 

 モーツァルトのヴァイオリン協奏曲で、独奏の桐山建志さんが作曲・演奏したカデンツァには驚きました。モーツァルトのヴァイオリンのための様々な曲から引いたメロディを次ぎから次へと見事につなぎ合わせているのです。モーツァルト・ファンなら思わずにやりとしてしまいます。「やってくれますね」という感じです。

 

 今日のどの曲も、古典派好きには楽しくて仕方のないものばかりでしたが、アンコールでは、僕の期待していたとおり、ミヒャエル・ハイドンの交響曲ト長調MH三三四(かつて誤ってモーツァルトの交響曲第三七番とされていた曲) の第一楽章が演奏されました。大好きなこの曲は、夜寒の帰路を楽しく浮き立たせてくれたのでした。

 

平成一八(二〇〇六)年一二月二日