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近況メモ(平成18[2006]年7月〜8月)

 

平成18(2006)年〜「雨がちのクールビズ」から「血族を訪ねる旅」まで

 

7月1日(土)曇り時々雨

  きょうから7月。いよいよ夏本番ですが、まだ梅雨空の日の方が多い東京地方です。ビジネスの世界にクールビズがだいぶ浸透しているようです。我々が企業を訪問するときも、先方がノータイ・開襟シャツなら、こちらも同じスタイルで出向いてもお互い違和感はなくなりつつあります。しかし電車に乗っていて車窓に映るノータイ・開襟シャツの我が姿は、何となくしまりが無く、冴えない姿に見えます。金融のプロフェッショナルという雰囲気ではなくなりますね。だから男の美学を貫きたい誇り高いビジネスマンは真夏もネクタイと背広を着用することでしょう。しかし小生にはとても男の美学に殉ずる根性はありません。一度クールビズ・スタイルに慣れると、とてもネクタイをして背広まで着込む旧来のスタイルには戻れません。^_^; 今度の出張はネクタイも背広も持たず、クールビズ・スタイルで行こうと思っています。

  さて、先週土曜日に、家内と文京区・千石にある三百人劇場へ福田恆存作の喜劇「億萬長者夫人」を見に行きました。その感想は「福田恆存の演劇を味わう」と題して記しましたので、ご覧ください。 観劇の前に、お昼ごはんを劇場近くの蕎麦屋で食べたのですが、この蕎麦屋さんは、劇団関係の方を中心に昔から固定ファンの多いお店と見えて、演劇人ないし演劇ファンと思しき独特の雰囲気の人たちで賑わっていました。そこでいただいた穴子天麩羅のついた蕎麦は素晴らしくおいしいものでした。穴子天麩羅の揚げ具合が絶妙でお蕎麦も歯切れがよく、久しぶりにおいしい蕎麦をいただきました。家内の食べたとろろ蕎麦もとてもおいしかったようです。ところでこの三百人劇場も今年いっぱいで閉鎖される由。劇団「昴」は本拠地を失いますが、来年からは稽古場所や上演場所を間借りしてやってゆくそうです。映画やテレビに押されて、演劇というジャンルが生き残ってゆくのは大変なようですね。「昴」は福田恆存ゆかりの劇団、これからも「言葉を大切にする演劇」を私たちに見せてほしいものです。

     
文京区・千石にある劇団「昴」の本拠地・ 三百人劇場。右は「億萬長者夫人」のチラシです。

 

7月9日(日)曇り時々雨

  小暑も過ぎ、蒸し暑い梅雨の気候が続きますが、お変わりなくお過ごしですか。今回の北朝鮮のミサイル発射に対しての日本政府の対応は冷静かつ素早いもので、今のところ適切だと思います。安部官房長官、額賀防衛庁長官、麻生外務大臣、大島国連大使らもよく連携できており、テレビに映し出されるその面構えも、腹が据わって引き締まった表情に見えます。あとは国連安保理事会で北朝鮮制裁の決議ができるか、できない場合は周辺国の安全保障についてどういう着地ができるのかが焦点だろうと思います。それにしても、北朝鮮が万が一日本の国土にミサイルを撃ち込もうとした場合に、日本は独自に何の軍事的対応もできない現状は異常です。今回の事態に対して、日本海側の某地方自治体には、ミサイル着弾の被害が発生した場合の対応についての指示文書が国から示達されているとある方からお聞きしましたが、被害が出る前に国民を守る体制を整えるのが国の勤めではないでしょうか。北朝鮮による拉致事件を永年国が放置したことによって、横田さんはじめ罪もない国民が悲惨な状況に追いやられているのです。他国民を拉致し、偽ドル札を作り続け、麻薬密売と兵器輸出で外貨を稼いで一部の特権階級だけが贅沢な暮らしをしている無法者国家、その重要な利害関係人と称する傲慢な一党独裁国家、南北統一や竹島占拠の正当化といったナショナリズムを唯一の政権維持の支えにしている左傾政権・・・。こうした日本への敵意に満ちた油断のならない大陸諸国と向き合っているのが日本の現実です。この厳しい環境に鑑みていざという時の備えをするのは、いかなる「夜警国家」でも当然のことではないでしょうか。それは単に軍備というハードを整備することを意味しません。むしろしっかりした国防戦略を構築し、それに必要なハード、ソフトといった資源ををいかに調達するか、といった順序で考えるべきでしょう。日本人の興味関心ははあまりに経済に偏重しています。経済発展は世界の政治的安定と日本の国土安全があってこそ可能なのです。防衛や外交の重要性を今こそ私たちは認識しなければなりません。

  さて、先週末は娘の二十歳の誕生日だったので、八王子のステーキハウス「うかい亭」で祝・成人を兼ねて家族でお祝いをしました(写真左の三枚)。「うかい亭」は八王子の住宅街を見下ろす緑の多い高台にあります。アール・ヌーボー風の玄関を潜り抜け回廊をめぐると、母屋にたどり着きます。この母屋は、江戸時代の富山の豪商、高田文兵衛の迎賓館を移築したものだそうで、太い柱や梁が見事です。そこで美味しい但馬牛のステーキを味わいました。美味しいお肉はレアに焼いてもらって荒塩だけをつけていただくのが一番美味しいと思いました。また、昨日は、家内が応募して入選した全日本書芸文化院の書道コンクールの展示会に、池袋のサンシャイン・シティに出かけました(写真右)。家内が書いたのは、孔子とその子孫の事跡を讃えた碑文の一節で、隷書の分野では基本的な題材なのだそうです。同じ題材を書いた書が何点か展示されていましたが、やはり師範クラスの方の書いたものには、隷書特有の均衡感の美しさを素人の小生も強く感じました。書も精神力、集中力の果たす役割が大きいですね。会場に展示されていた「致命遂志」の気迫のこもった四文字には、小生、おおいに叱咤され励されたのでした。

                     
「うかい亭」入り口で季節の花がお出迎え ご馳走を前に勇んで玄関をくぐる娘(左)と妻^_^; ステーキを焼いてくれるシェフたち   全書芸展で展示された書

 

7月22日(土)曇り

  今週、東京は雨の日が続きます。気温も低く、家の中でも長ズボンが再び必要になるくらいです。日本各地、豪雨に見舞われています。お気をつけ下さい。さて、先々週、娘の成人式用の衣装の写真撮影をしました。赤が似合うのも若いうちと、選んだ着物です。小生は撮影にはつきあえなかったのですが、左の写真をはじめ、妻がデジカメで膨大な数の写真を撮りまくって来ました。^_^;  それをあまり取捨選択もしないで何人かの親しい人たちにメールで送ったようで、義弟からは「メール爆弾が送られてきました(笑)。」との返事がありました。ご迷惑をおかけしました。m(_ _)m

  先週末は各種催し物に出かけました。土曜日は、オーケストラ・シンポシオンの演奏会で浜離宮朝日ホールへ、日曜日は、午前中、府中の森芸術劇場で催されたハイドン・シンフォニエッタ・トウキョウの演奏会へ、午後は、国立能楽堂の「能楽バサラ」の公演へと、妻と一緒に足を運びました。どの公演もなかなか充実した見応えあるものでした。「能楽バサラ」で演じられた能「融」の感想を、今回、「河原の左大臣の情念」と題して記しましたので、ご覧ください。その他の演奏会の感想も順次掲載いたします。

  その日の夕方、金沢に居たときに知り合いになった富山の古美術店「叡観堂(えいかんどう)」さんが、東京は平河町でギャラリーをオープンされたので、拝見しに伺いました。この日は、陶芸家、第四代・須田菁華の九谷焼の数々が展示されていました。北大路魯山人が師事した初代・須田菁華以来の工房は加賀・山代温泉にあります。小生は、金沢に居て、赤、黄、緑を主にした鮮やかな色彩の九谷焼が大好きになりましたが、日用品と茶器を中心とした第四代・須田菁華のこの日の展示品は、温かい色彩と素朴な感じの絵付けが印象的でした。また、掛け軸に、中国・元時代の禅僧、月江正印(がっこうしょういん。一二六七年〜一三五〇年?)の真筆になる書が展示されていました。禅に参じた日本の貴族(九条家の人?)が仕期を終えた際の送別の詩のようです。月江正印の墨跡は重要文化財になっているものもあり、この掛け軸もまことに価値ある一品のようです(残念ながら小生には古美術品の価値を見抜く力は全くないのですが…)。書道を習っている妻は、店主様から熱心に解説をうかがい、かつ、食い入るように見入っていました。このギャラリー(叡観堂東京店)は、店の作り自体が簡素な茶室のように作られており(店主様のお知り合いで、京都迎賓館を手がけた山本隆章という棟梁さんがお作りになられた由)、陶磁器や茶器の展示が日常生活の中に溶け込んだような雰囲気を醸し出しており、とても寛げる空間でした。


 

7月29日(土)曇り

  西日本各地で梅雨明けが宣言されています。東京は今週も曇りがちの日が続き、梅雨明けまではもう少しのようですが、木々の間から夏空が顔を出してくれた日もあり(写真)、会社の近くの木々に留まったミンミンゼミが元気に鳴く声も聞こえるようになりました。

  さて、イスラエルとヒズボラの戦争の行方が懸念されます。イスラム教シーア派勢力のヒズボラはシリアやイランから援助を受けている組織であり、何かのきっかけでイスラエルvsヒズボラ・シリア・イラン連合の戦争へと拡大するようなことがあると、アメリカをはじめ諸大国も巻き込んだ大きな問題に発展しかねません。イスラエルやイランが核兵器を保有ないし開発している国であることも憂慮されます。冷戦終了後の世界秩序は、他を圧するアメリカの力によって維持されてきましたが、イラク安定化の道筋が必ずしも見えてこない今、さらにイスラエルを支援してシリアやイランを敵に回す余力がアメリカにあるのでしょうか? 中国やロシアは経済発展によって自信を付けてきており、「パックス・アメリカーナ」を揺さぶる思惑も見え隠れします。そうした諸大国の思惑がぶつかり合って、今のところ国連の調停能力も発揮されていないように見受けられます。しばらくはイスラエルとヒズボラの戦争の状況から目が離せません。


 

8月5日(土)晴れ

  東京も平年より十日ほど遅く梅雨明けしました。梅雨明けしたとたん猛暑です。今日も35℃の最高気温でした。でも暦の上では来る八月八日は「立秋」です。ここからは残暑見舞いということになるのですね。

  さて、今週初め、久しぶりに妻と小平の津田塾大学から一橋大学あたりまで、玉川上水沿いをサイクリングしました(写真参照)。  ネット上のフリー百科事典「ウィキペディア」によれば、徳川四代将軍家綱の時、江戸市民の増大する水需要に応えるため、幕府は多摩川水系からの導水を企画します。幕府の支援を受けた玉川兄弟(玉川庄右衛門・清右衛門)が、私財も投じて工事を行い、承応二(一六五三)年に開削工事開始、早くも翌年から江戸市中への通水が開始されたとのことです。多摩川上流の羽村取水堰(現・東京都羽村市)から九市四区(羽村市、福生市、昭島市、立川市、小平市、小金井市、武蔵野市、西東京市、三鷹市、杉並区、世田谷区、渋谷区、新宿区)を通り、新宿区の四谷大木戸に至る総距離約43kmの上水路です。玉川上水は現在でも上流部は現役の導水路として活躍していますし、中下流域にも近年また水が流されるようになり、ちょうど小生が毎日通勤で乗り換えするJR三鷹駅のホーム下を流れています。玉川上水は、江戸の貴重な飲料水であったのみならず、八代将軍吉宗時代以降の新田開発に伴い多くの分水が開削され、武蔵野の農地に水を供給し農業生産にも大いに貢献したのです。羽村から新宿・四谷まで距離43km、高低差100mの水路は、100m進むごとに25cmの落差の計算ですが、測量器具が不十分な時代、起伏に富んだ武蔵野台地を通してこの精度を出すのは並大抵のことではなかったことでしょう。東京の発展の基を築いた流れは、今も散歩道として私たちに憩いの場を提供してくれています。先人たちの営為に感謝しつつサイクリングしたいものです。

       
玉川上水沿いの散歩道                小平を流れる玉川上水                もうすぐ開花する蓮の花

 

8月12日(土)曇り

  猛暑が続きますが、いかがお過ごしですか? 小生はきょうから9日間夏季休暇をいただきます。家族で京都へ小旅行した後、小生と家内の実家へ里帰りし、来週末は小生ひとりで所用のため札幌へ出かけます。昨日、出張から帰ると、メールや電話で、このお盆休みに集まるから参加しませんかというご案内を二件いただきました。ひとつは、会社の若手OBの集い、もうひとつは、郷里の高校のミニ同級会です。いずれもスケジュールが合わず、出席できないのは残念です。やはりこの季節、懐かしい仲間で集まる機会が多いようですね。


神社の境内で見つけた蝉の抜け殻。夏らしい風景です。

 

8月26日(土)曇り

  昨日は二百十日(立春から数えて210日目の日)で、稲の開花期にあたり、また、台風などが多く悪天候になりやすい季節とされています。東京はこの夏、七月は比較的過ごしやすかったのですが、八月の残暑が厳しく、今週も連日朝は25℃、昼間は30℃を超える日が続いています。でも空の色は深くなり、夜は蝉にまじって秋の虫の声が聞こえるようになりました。この季節、ミンミンゼミの絞り出すような必死の鳴き声が何となく哀れを誘います。夏の終わりを告げるツクツクボウシも鳴き始めました。我が家でも、朝のフルーツがスイカや桃から梨に代わりました。季節は着実に秋になりつつあります。 

  さて、夏休みの前半は家族で京都に出かけました。はじめに小生の遠い縁戚に当たるおば様の家にお邪魔しました。彼女一家は西陣の町屋を買い取って住んでおられます。間口は狭いのですが奥行きが驚くほど広く、高い天井には立派な太い梁が通っています。その家も何度か雑誌で紹介されましたが、最近は、京都の町屋も数少なくなり、これを惜しむ志ある人たちが買い取って住むケースが増えているようです。NHKのある番組で、加茂川べりの元料亭を買い取って住んでいる外人さんが紹介されていました。このおば様ご夫妻は立命館大学で教鞭をとっておられ、この日も最近の大学事情など、楽しいお話をうかがいました。ちょうど娘さんも里帰りしておられましたが、小生は彼女とは初めての出会いです。彼女と我が娘とは四代前で共通の先祖に血がつながっています。そんな遠い間柄でも、血がつながっているという思いは何となく不思議な懐かしさと親しさを感じるものです。
  それから三日間は、京都のあちこちを見て回りましたが、とにかく夏の京都は暑い(+_+)。暑さとの格闘でした。初日は非公開の町屋や涼音を響かせる水琴窟を配した庭をめぐる定期観光バスに乗車しました。伏見稲荷大社近くの大橋家や相国寺の塔頭のひとつの瑞春院には見事な水琴窟がありました。水琴窟は、江戸時代の庭師によって考案されたもので、底に穴を開けた甕を逆さまに土に埋め込み、つくばいを通してその穴から流れ落ちる水の水滴が水面に落ちるとき、甕の中に響いて澄んだ涼音をたてるという仕掛けです。ほかにも、キンシ正宗で知られる造り酒屋・堀野家の旧本宅で今尚湧き出る地下水の名水「桃の井」やそれを使ったお茶やお酒をいただいたり、頼山陽や川端康成など昔から文人墨客が数多く訪ねたという知恩院近くの左阿弥という料亭でお昼ご飯をいただいたりしました。
  二日目は、小生の学生時代をしのぶセンチメンタルジャーニー。まず加茂川と高野川の合流点に鎮座して太古からこの地を守ってきた下鴨神社へ参拝し、出町柳を通って小生の下宿していたお宅へ立ち寄ります。このあたりも三十年の間にすっかり変容してしまい、下宿先を探すのに道に迷ってしまいました。幸い下宿先には当時お世話になったおばさんがいらっしゃいました。だいぶ年はとられましたがお元気そうでした。それから今出川通りに昔からある学生街の喫茶店、「進々堂」へ立ち寄ります。ここの風情は昔とあまり変わっていませんでした。しかし店の名前は「駸々堂」だったはずですが、なぜか「進々堂」になっていました。京大も独立行政法人になった効果(?)か、観光客が目立ちました。とりわけ驚いたのは、昔は法学部の大教室があった時計台の下がフランス料理店と土産物屋になっていたことです。小生と娘は気が進まなかったのですが、妻がどうしても記念に食事したいというので、そのフランス料理店で一時間半待ちの昼をとりました…^_^;。
  三日目は、妻も娘もあまり行ったことがないというので、聖徳太子ゆかりの太秦(うづまさ)の広隆寺と、世阿弥に縁深い足利義満が建立した北山の金閣寺を見て回りました。これらの寺院、小生は学生時代に行ったはずなのですが、広隆寺には、有名な半跏思惟の弥勒菩薩以外にもあんなにたくさん素晴らしい仏さまがいらっしゃったのは覚えていませんでした。小生が特に心惹かれたのは、頭に五つの髻(もとどり=頭上で束ねた髪)を頂いた文殊菩薩坐像でした。学才に優れた仏さまらしく、左手に巻物を握っていますが、右手には刀を持っています。学芸への強い意志を示しているのでしょうか。知的で意思堅固で、それでいて穏やかな童形のお顔に、心励まされました。金閣寺もこうして久しぶりに見ると、華やかというより、青空や深い森の色と調和したしっとりした美しさを感じました。

  さて、暑い京都を後にした私たち家族は、これまた暑い愛知県豊田市の小生の実家に立ち寄りました。そこでは、娘の提案で、実家の父母も連れてお墓参りに行くことになりました。最初に小生の父の故郷、豊橋市へ、父方のご先祖のお墓参りに行きます。ちょうど百歳で亡くなった小生の祖母の一周忌でもあります。我が先祖の菩提寺は、曹洞宗の永平寺を本山とする長松院というお寺です。お墓参りした帰りに皆で父の実家に立ち寄ります。そこは今は小生の従兄弟(いとこ)が継いでいますが、あいにく従兄弟はじめ家族は不在で、見知らぬ若者がひとりで留守番しています。彼は我が従兄弟の息子さんでした。背が高く細身の今風の若者でしたが、顔立ちには明らかに小生の父方の一族の刻印が押されています。彼が赤ん坊の時以来ほとんど初めて会った若者なのですが、何だかとても懐かしい気持ちになりました。ついで、小生の母の実家の後継者である叔父の住む岡崎市に行き、叔父の家のお仏壇をお参りさせていただきました。もう夕方になり、母方のご先祖のお墓には行けませんでしたが、小生が小さい頃からお世話になった叔父やその長男(小生の従兄弟)に久しぶりに会えて楽しいひと時でした。彼らは、我が娘にとってはほとんど見知らぬ人たちでしたが、遠縁の血族に会えて娘も新鮮な驚きや喜びを感じたようでした。京都に住むおば様といい、今回の夏休みは、小生にとっては血族との邂逅の旅になりました。

  その後、妻の実家のある浜松市に立ち寄りましたが、そこでは、小生の敬愛する政治家、城内(きうち)実さんの選挙事務所に応援に駆けつけました。郵政法案に反対票を投じたため、昨年の衆議院選挙で城内さんは「刺客」として片山さつき女史を送り込まれ、僅差で敗れました。しかし、小生の見るところ、まだ四十歳そこそこの城内さんは、日本国と日本国民を愛する赤心を持ち、国際的視野に立った見識も高く、将来の日本を背負うにふさわしい政治家です。次の衆議院選挙までまだ三年ほどあり、彼は経済的にも精神的にも大変苦しい毎日を送っていますが、ぜひ捲土重来を期して欲しいものだと思っています。


<京都のあちこちの写真>
      
伏見稲荷大社         知恩院近くの料亭「左阿彌」          相国寺瑞春院の水琴窟         広隆寺の蓮池

   
下鴨神社                                  鹿苑寺金閣

 

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