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近況メモ(平成20[2008]年9月〜10月)

 

平成20(2008)年〜「ミンミンゼミの鳴く9月」から「金木犀の夜来香」

 

9月6日(土)晴れ

 9月に入り、夕刻には秋の虫の音が聞こえるようになりましたが、残暑は厳しいですね。そういえば、都心でも我が家の近辺でも、まだミンミンゼミが頑張って鳴いています。まだまだ夏は続くのでしょうか。下左の写真は、さる日曜日に、家族で府中駅前にある天然温泉へリフレッシュに出かけたときに、9階から撮った多摩南部方面の景色です。まだ夏空ですね。

 さて、小生は、地元の府中宝生会という宝生流の謡曲を楽しむ会に、月二回、夫婦で通っています。10月25日には府中市の文化祭に出演することになっており、小生も仕舞「高砂」や素謡「小袖曾我」での五郎時致(ときむね)役を仰せつかっています。この会は、学生時代に能楽のサークルに所属して謡や仕舞やお能を経験したことのある人も何人かいらっしゃることもあり、師範の先生も「レベルが高い」と褒めて下さいます。きょうの定例のおさらい会では、「玉葛(たまかづら)」の後半を皆で謡いました。この曲は、小生が金沢で途中まで習った曲ですが、皆さん、すらすらとこなしてしまわれるので驚きました。10月初めの会の午後の部では、「船弁慶」のシテ(静御前+平知盛)を謡う予定です。下中の写真は宝生流謡本の「小袖曾我」の一部、下右が同じく「船弁慶」の表紙です。

 

        

 

9月13日(土)晴れのち曇り

 旧暦では明日は葉月(八月)十五日、「仲秋の名月」と言われる一年で最も美しい満月の日です。月にススキ、団子、里芋などを供えて願い事をしたり、収穫への感謝をしたりする習わしがありますが、この観月行事はアジア各国に共通のものだそうです。このところの気候は、日中はまだ汗ばむ陽気ですが朝夕はさすがに秋らしく涼しくなってきましたね。うっかり何も掛けずに寝ていると朝方涼しくなって目が覚め、慌てて薄手の布団をかぶることもあります。風邪など引かないように気をつけましょう。

 写真は、府中市中心部にあるけやき並木の老木です。幅約30メートルのけやきの並木道は、大国魂神社の参道に沿って南北に約600メートルにわたっています。市の観光協会のウェブサイトなどによれば、奈良時代に武蔵国の国府の街路のひとつとして街路樹が植栽されていた可能性があると推測されています。けやき並木としての起源は平安時代です。康平5(1062)年、源頼義、義家父子が、前九年の役の戦勝祈願の御礼としてけやきの苗を千本寄進したことがその起源だと言われています。その後、徳川家康が関が原、大坂両役の戦勝の御礼として馬場を献上し、けやきの苗を補植しました。現在のけやき並木には、その江戸時代初期のものが数本残っているほか、けやきを中心にかえでなどの老樹を含め、合計で二百本余りの木が植えられています。中には,枯れたけやきの上に桜が生えているのまであります。緑のトンネルを思わせて壮観なこのけやき並木、自動車を追放して市民の憩いの遊歩道にしたらどれだけ素晴らしい市民の宝になるだろうかと思います。


 

9月21日(日)雨

 先週末に台風が接近したかと思えば、昨日は夏のような日差しが照り、また今日は激しい雨と、変わりやすい天気が続きます。昨日は、久しぶりに、宝生能楽堂へ、若手シテ方の例会である「五雲会」を拝見しに行きました(右写真は五雲会のパンフレット)。秋にちなんだ名曲を堪能しました。この五雲会について、「秋の能を楽しむ」と題して感想を記しましたのでご覧下さい。

 さて、アメリカの金融情勢が気になります。アメリカ財務省のポールソン長官やFRBのバーナンキ議長ら、金融行政を担う指導者たちの動きを見ていて、そのチームワークに感心します。縦割りの弊害に陥らず、市場と社会のパニックを防ぐという使命を一丸となって果たそうとする姿勢が見事です。財務省やERBやその他の機関がちぐはぐな行動を示したり、指導者たちの言っていることがまちまちだったりすると、市場や社会はたちまち政府不信に陥り、パニックが増幅します。市場や社会のパニック心理をなだめるという仕事は、「原理原則を貫く」よりも「状況対応の巧みさ」が重要です。ベアスターンズの被合併には公的融資を供給し、リーマンブラザーズは破綻させ、政府系住宅金融2社やAIGには公的資本を入れる等、一見、無原則な差配のように見えますが、小生は、ポールソン氏はじめ指導者たちはよく市場や社会の心理を見極めながら、状況に巧みに対応してきていると思います。ひとつ打つ手を間違えると、市場にとんでもないモラルハザードを惹起したり、社会に大きなパニックを喚起したりしますが、そうした懸念は当面無さそうに見えます。今回のサブプライム問題を契機にした金融危機については、何故起きたか、うまく対処できたか、今後に向けてどういう政策的教訓を残せるか、といった点について後世の分析を待たなければなりませんし、景気対策といった少し先の課題は残されていますが、市場や社会のパニックを制御するという当面の課題については、今のところ「うまく対処できている」と言えると思います。

 

9月27日(土)晴れ

 秋の彼岸も過ぎ、めっきり日が短くなってきたのを感じます。この頃は、夕方6時前にはもうすっかり日が暮れるようになりました。さる23日の祝日は、晴れて気持ちの良い日だったので、妻と一緒に家から景色の良さそうな道を選んで、ゆったりと国立(くにたち)の中心街まで歩いて往復しました。その散歩の途中で撮ったのが下の写真です。きれいなうろこ雲が空一杯に広がっていたり、晩夏から秋にかけての草花をあちこちで見つけたりと、楽しい往復約一時間でした。国立では、ドイツ料理屋で軽くビールを飲んでソーセージなどで昼食にしました。そこで、スポーツジムかテニスの帰りと思しき60歳代後半に見受けられた二人の男性が、しきりにビールを飲みながら楽しそうに思い出話を語り合っていました。その話からは、彼らの人生の秋も、ちょうどこの日のように晴れやかなものに思えました。もちろん、人生はそんなに良いことばかりではありません。あの楽しそうな二人の紳士の胸の内にも、互いに言えないような苦渋や悲哀が秘められていることでしょう。でも、だからこそ人生は愛おしいのではないでしょうか。秋は、人の生きる姿をもその空のようにくっきりと見せてくれる季節ですね。

 

        
秋のうろこ雲            秋色を感じる梅林の道            彼岸花

      
芙蓉(ふよう)          黄色のコスモス(蝶が戯れています)          鈴虫草

 

10月5日(日)曇りのち雨

 左右の写真は、先週夜、神楽坂の毘沙門天の裏側の坂道を降りていったときに撮ったものです。このあたりがかつての神楽坂の面影をいちばん色濃く感じさせます。

 さて、9月29日付「日本経済新聞」で、ワシントン支局の大隅隆記者が、金融危機に発したアメリカ民衆の不満が「外に向く懸念」があると述べています。曰く 「アメリカでは富の集中が強まる一方で雇用への不安も高まっている。金融機関への公的支援は『米国経済を救うため』(ブッシュ大統領)だとしても、結果的に(富裕層の象徴である)ウォール街も救われる。不愉快だが受け入れざるを得ない現実に直面し、不満が外へ向かう可能性は増している。 米国が景気低迷に苦しんでいた1990年代前半、日本は米国との経済摩擦に直面した。米クリントン政権幹部は『日本叩きは景気低迷に苦しんでいた米国民の不満に対する政治的な解でもあった』と往時を振り返る」と。 公的資金による不良債権買い取り案がいったん下院で否決されたことにみられるように、アメリカの草の根の不満が高まっています。その不満が対米貿易黒字の大きい中国や日本に対して向き、それを政治家が利用する可能性を警戒しなければなりません。


 

10月12日(日)晴れ時々曇り

 先週夕方、街を歩いていると、金木犀(キンモクセイ)の強い香りが風に運ばれてきました。まさに「夜来香」です。秋深まるこの季節、日本人のノーベル賞受賞者が一度に四人も出たのはうれしいニュースでした。四人が語る自身の経歴を聞いていると、基礎科学における先人たちの熱意がひしひしと伝わってきます。基礎科学の成果というのは、発明・発見してすぐに現れるわけではありません。むしろ何十年も後になって活きてくるのだということも今回の受賞でよくわかりました。学問にしろ政治にしろ経済にしろ、目先の「成果」にばかりこだわっていてはいけません。現代資本主義のあり方が極めて短期の成果を求めすぎたことも今回の世界的な金融パニックの原因の一つではないでしょうか。その金融市場のパニック心理はなかなか収まりません。G7やG20で主要国の一致団結をアピールしましたが、遅滞なくアピールし合意したことを行動に移すことが市場のパニックをなだめるのに必要です。特に米国政府の議会・世論に対する説得力と実行力が問われます。今は緊急時なのですから、自由主義の建前や金融機関の儲けすぎ批判に引っ張られてはいけません。10月10日付「日本経済新聞」の「経済教室」欄で、林敏彦放送大学教授が、災害対応になぞらえて、金融危機対応にも四つの段階(@緊急対応、A復旧・復興、B減災策の検討、C次なる危機への備え)があると述べておられます。今回はまだ@緊急対応の段階を脱していないのです。

 さて、先週末、所用で大阪方面へ行きました。金曜夜に淀屋橋のホテルで一泊し、翌土曜朝、淀屋橋から梅田まで御堂筋を歩いてみました。土佐堀川、堂島川を渡り、左に日銀大阪支店、右手に大阪市役所を見ながら中之島を歩くと、この街が「水の都」と呼ばれた所以を実感します。そこからほどなく曾根崎の「露(つゆ)天神社」に辿り着きます。この神社の祭神は少彦名(すくなひこな)大神と菅原道真です。社伝によれば、この地はかつて曾根崎洲という大阪湾に浮ぶ孤島で、そこに「住吉住地曾根神」と祀っていたとされます。創建は西暦700年頃とのこと。その後、菅原道真が太宰府へ左遷される途中、この神社で都を偲んで

   露と散る 涙に袖は 朽ちにけり  都のことを 思い出づれば

と歌を詠み、それがこの神社の名前の由来とも言われています。元禄16(1703)年に露天神社の境内で実際にあった心中事件を題材として、近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書きました。そのヒロインの名前「お初」からこの神社は「お初天神」とも呼ばれるようになりました。「曽根崎心中」では、お初と徳兵衛は暁の鐘の音を聞きながらこの曾根崎の天神の森に辿り着き、来世での夫婦を誓って死を遂げます(近松の「曽根崎心中」については拙文映画「曽根崎心中」もご参照下さい)。なお、小生は気づきませんでしたが、神社の拝殿前の石柱には、太平洋戦争時、大阪駅方向から飛来した米軍の爆撃機Pー51による機銃掃射の跡が残されているそうです。様々な歴史を刻んできたこの神社は、今や、都心のビル街にひっそりと佇んでいます。梅田から懐かしい小豆色の阪急電車に乗って西宮の北、甲東園へ行き、関西学院大学まで坂道を登って行きました。この大学には学生時代に何回か来ているはずですがどんな大学だったか記憶にありませんでした。今回訪れてみると、瀟洒な校舎が点々と建ち並ぶ気持ちの良い広大なキャンパスでした。

 

        
露(つゆ)天神社の参道       大阪の都心にひっそり佇む露天神社         関西学院大学の瀟洒なキャンパス

 

10月18日(土)晴れ

 左写真は、さる三連休の最終日に、好天に誘われて妻と散歩した武蔵国分寺公園です。空の色も草木の様も、秋の好日そのものでした。その前日には、三鷹市藝術文化センターで催された「国分寺チェンバーオーケストラ(略称KCO)」の演奏会に出かけました。KCOは、地元の素人楽団ではありますが、指揮者に欧州各国の古楽器オーケストラで活躍されている坂本徹氏を迎え、基本的にはモダン楽器を使用する中でトランペットは古楽器を用い、奏法も当時の様式を強く意識して、本格的な古典派音楽の演奏を聞かせてくれます。この日は、モーツァルト「劇場支配人」序曲、ハイドン「交響曲第92番“オックスフォード”」、ベートーヴェン「交響曲第3番“英雄”」が演奏されました。この中で、ハイドンがオックスフォード大学から名誉博士号を授与された答礼とした92番交響曲が小生のお目当てでしたが、対位法的手法や最後の楽章の軽妙な味わいなど、予想以上に密度の高い曲で、大いに楽しめました。KCOの演奏は、弦楽器の精度がいまひとつだったほかは、素晴らしいものでした。指揮者の坂本徹氏は古典派音楽の「ツボ」をしっかり押さえておられ、KCOもそれに応えてメリハリある活き活きした音楽を作り上げていました。これで料金千円はたいへんお得です。


 ところで、25日(土)には、府中の森藝術劇場で、府中市民藝術文化祭のひとつとして、「各流合同謡曲大会」があり、小生と妻が所属する宝生流の謡の会も参加することになっています。小生も素謡「小袖曾我」で五郎時致のお役をいただいている他、仕舞「高砂」を舞う予定です。「高砂」は金沢時代に習ったのを復習し、嘱託の先生にご指導いただきながら、何とか本番にこぎ着けようとしているところです。我が府中の宝生流の会は、学生時代にクラブ活動で能楽をやっていた人たちも何人かいらっしゃることもあり、けっこうレベルは高いのです。他の方々の足を引っ張らないように稽古しようと思います。

 

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