白鳥の歌が聞こえる - 補遺1
能生騒動について
〔白鳥〕の逸話として「能生騒動」を書くにあたっては、入手した資料、同じようなことが書いてあった以前の雑誌からの記憶を頼りにした。しかし、本当にそんなことがあるのだろうか、という疑念が頭をよぎったのは事実だ。客扱いをしない列車の乗降など、駅長以下駅員が気づかないはずはない。ひょっとすると「都市伝説」のたぐいでは……!?
というわけで当時の新聞を当たってみることにした。しかしなにぶん40年も前のこと、記事はともかく縮刷版が見つかるか……
都立日比谷図書館でようやく見つけた。他の図書館でも書庫に入っているかもしれないが……。あいにくコピーサービスの時間が終了してしまったので、手書きの抜粋とまた記憶を頼りにこの文を書いている。一次情報は以下を参照されたい。
朝日新聞 昭和36(1961)年10月3日付朝刊 社会面
「ぬか喜びの特急停車」――能生駅
朝日新聞縮刷版1961年10月号 p.61,朝日新聞社
というわけで、まさに事実は小説より奇なり、である。
この記事によると、国鉄本社が作成した運転時刻表では当然運転停車で旅客非扱、監修の「交通公社の時刻表」でも上下ともに通過となっていたが、この時刻表を受けた金沢鉄道管理局が誤って上り列車を客扱いするものとして、沿線の駅時刻表を作成してしまったことが発端、となっている。で、それを真に受けた町民が「準急も通過する駅に新しい特別急行列車が停車!」と駅に繰り出し、本当に歓迎ムード一色だったそうだ。
現在ではもはやあり得ないことだが、当時客車列車の扉は手動で、客室掛のいた寝台特急20系以外はいちいち閉めて回ることもなかった(だろう)。貫通扉もない車が大半だから最後尾も開けっぴろげ。そんな状態で運転停車した場合、実質的に乗り降りは可能になってしまうわけで、そういう状況も鑑みると、停車したら客扱いすると勘違いしてもそれほど不自然ではない。でも特急〔白鳥〕――おそらくこの列車だけ――は自動ドアだった。
この顛末について、本社では「準急も停まらぬ駅なのに、常識で考えれば分かろうもの」とあきれ顔だったとか。一方能生町では「せっかく停車するのだから、ぜひ客扱いを」との意気込みを示したという。
記事には「『降りる』という客も降ろさぬまま……」と書かれているが、能生駅で下車しようとする客が本当にいたかは疑問だ。当然ながら通過駅発着の特急券は発行できないし、乗り降りしようとする客がいれば指定席予約の段階で間違いに気づくだろう。
で、結局〔白鳥〕が能生駅で客扱いしたかどうかについては、これ以上の資料は持ち合わせていない。いまさら調べる気にもならないし、まあ、たぶん一度も行われなかったろう。
能生駅は海岸から線路付け替えで田んぼのなかに移ったが、小さな集落に位置する駅であることには変わりはない。現在、能生駅には特急〔北越〕が1往復だけ停車する一方、急行〔きたぐに〕は通過となった。いまや北陸線の急行はこれ一本だし、しかも夜行だから一概に言い切れないが、40年を経てその「常識」をくつがえす事態が起こった、ということになろうか。
件の縮刷版をめくると、10月1日朝刊記事に「特急時代到来」という見出しで当の〔白鳥〕をはじめ〔つばさ〕運転開始などの記事が載っていた。また、当日が大安ということもあって、熱海への新婚旅行でごった返す東京駅ホームの様子も報じられている。時代が感じられる。お気づきのことと思うが、まだ東海道新幹線の開業以前のことだ。騒動の記事が載ったのが翌々日の3日というあたりも、なんだか……。
最終期の上り〔白鳥〕は羽後飯塚と羽後亀田で普通列車と行き違いのため運転停車した。丁寧に「行き違いのため停車します。しばらくお待ちください」と案内されていた。