白鳥の歌が聞こえる
去り行く〔白鳥〕を追って


〔白鳥〕のすがた

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湖を飛び立つ白鳥の姿をあしらったマークは1976年から使用されている

「日本海縦貫線」という名の路線がある。国鉄〜JRの正式な名称ではないが、社内外で通用する名称。

その実体は、東海道本線・湖西線・北陸本線・信越本線・羽越本線・奥羽本線の集合体だ。関西と東北、実質的には青函航路…いまの津軽海峡線を経て北海道まで結ぶ、延長千余キロの鉄路である。

この日本海縦貫線を40年間走り続けきたのが、今回取りあげる列車だ。

特急〔白鳥〕 (大阪〜新潟〜青森)。

走行距離は、昼行在来線列車として最長の1,040km。1961年10月登場、当初は信越本線 (長野) 経由で大阪〜上野の列車を併結した気動車特急だった。日本海縦貫線の全線電化時、直流・交流 (50/60Hz) 電化方式の違いに応える「三電気式」485系を投入し、現在に至るまで唯一3つの電化区間を走り通してきた電車列車である。誕生当初から北海道連絡の重責を担った列車で、その昔は青函航路の深夜便に接続し、トンネル開通後は夜行急行〔はまなす〕 (青森〜函館〜札幌)に接続して大阪〜札幌を一日で結ぶ。

長い伝統と、その名の響きから「日本海縦貫線のクイーン」と称される〔白鳥〕も、エル特急のパターンダイヤに組み込まれ、新潟以南は〔雷鳥〕の、以北は〔いなほ〕の一員であった。上越新幹線の開業、国鉄の分割民営化、「サンダーバード」の登場、ほくほく線の開通、そして秋田新幹線の開業……幾度とない特急網再編の波に堪えつづけてきた〔白鳥〕だが、ついに2001年3月改正で〔雷鳥〕〔北越〕〔いなほ〕に系統分割。2往復が新潟まで足を延ばしていた〔雷鳥〕も含め、485系使用の全列車が金沢で系統分割されている。

関西〜北海道の移動には航空機利用が常識となった現在、〔白鳥〕も上記3列車の合成になっていて、帰省シーズンでもなければ新潟をまたいで利用する旅客も少なく、通しの客は数えるほどしかなかったという。近い将来、北陸新幹線が上越市を経由して富山、金沢に乗り入れることを考え合わせると、系統再編は確かに時間の問題であった。

余談になるが、新潟からの〔いなほ〕も、1往復残った新潟〜青森便が秋田で分断される。〔白鳥〕の新潟以北が〔いなほ〕に編入され、結果的に青森ゆきが残ることになったが、これもまた1年くらいの措置ではないか。〔いなほ〕は6両または4両編成、秋田〜青森〔かもしか〕はわずか3両編成、輸送量の段差は明らかだ。


1,000km以上を走る列車は、夜行列車を除くと東海道〜山陽新幹線の〔のぞみ〕のみ。在来線では〔白鳥〕が登場以来「断トツ」だったが、では廃止された後の昼行列車レコードホルダーはどれだろう?

次に長かったのは、新潟発着の〔雷鳥〕581.2kmだが、これも廃止。次は……と調べていくと、新潟〜青森の〔いなほ〕(458.8km)。なんと! 分割されてもまだ一位の座を守ってしまうらしい。大阪〜青森のなんと遠いことか。

以下、2001年3月3日〜7月6日での昼行長距離列車Top10。

列車名運転区間キロ最長所要時分
1いなほ9・8号新潟〜青森458.86:06 (8号)
2しなの15・18号大阪〜長野441.25:07 (18号)
3にちりんシーガイア3・10号博多〜宮崎空港413.15:49 (3号)
4スーパー宗谷, サロベツ札幌〜稚内396.25:30 (サロベツ:下り)
5つばめ5号門司港〜西鹿児島395.35:04
6おき5・2号鳥取〜小郡378.15:59 (5号)
7オホーツク札幌〜網走374.55:29 (3号)
8いそかぜ米子〜小倉366.16:13 (上り)
9はつかり1,5,13・10,14,22,26号盛岡〜函館364.34:25 (13号)
10スーパー北斗, 北斗函館〜札幌363.93:42 (北斗15号)

このうち〔おき〕〔いそかぜ〕は7月に行われるキハ187系の投入と系統再編で、それぞれ米子〜小郡、益田〜小倉間の運転となりランク外に去る。

ついでに短距離特急Top?10。博多南線をふくめ通勤特急のオンパレードだ。

列車名運転区間キロ最短所要時分
1(博多南線特急)博多〜博多南 8.60:10
2かもめ103・104号博多〜佐賀53.60:36 (103号)
3つばさ181・180号山形〜新庄61.50:43 (180号)
4ビバあいづ郡山〜会津若松64.60:56 (4号)
5フレッシュひたち67・2号上野〜土浦66.00:51 (67号)
6きらめき3・70号小倉〜博多67.20:48 (3号)
7むろと1号徳島〜牟岐67.71:12
8ホームタウン成田東京〜成田68.40:55
9おはようわかしお2号茂原〜東京73.50:58
10剣山徳島〜阿波池田74.01:06 (3・6,8,10号)

なお、「電車」としての最長は寝台特急〔サンライズ出雲〕(東京〜出雲市)の953.6kmである。


そもそも、住んでいる(いた)のが福岡と東京である私にとって、〔白鳥〕はじめ日本海縦貫線の列車は別世界だった。

これまでの記録と記憶をたどってみても、〔白鳥〕に出会った回数は非常に少ないし、「見ただけ」が多い。

1987年8月
廃止を翌春に控えた夏、青函航路から上り〔はくつる4号〕に乗り継ぐときに青森駅に停まっているはずだが、記憶にない。連絡船フィーバーのころだから道理。
1991年4月
信越本線から東三条でのりかえ弥彦線の発車を待つときに、上り列車に出会った。上沼垂区のデラックス編成。写真に撮ったのはこのときだけ。
1997年3月
〔いなほ3号〕で秋田へ。桑川ですれ違う。見ただけ。
1998年2月
北陸本線・市振に行ったのが午後、1時間ほどいたが、〔はくたか〕だけ撮って富山に引上げてしまった。翌日〔いなほ3号〕で、また桑川で離合。
2000年1月
高山本線から富山入りしたのが昼過ぎ。上下列車とも接近している時間だが、城端線や氷見線に乗りに行ってしまった。翌日も〔はくたか〕でさっさと越後湯沢に抜けてしまっている。道路分離が近い犬山橋目当てだったから、気にも留めなかった。
2000年3月
〔日本海1号〕で弘前へ向かう途中、大館付近ですれ違う。見ただけ。
2000年7月
鯨波へ行ったが、昼前で切り上げて東京に戻ってしまった。暑いんだから仕方がない。

結局〔白鳥〕の撮影は今度、また今度と思っているうちに、今回のコレである。強力なきっかけがないと、なかなかその気になれないものだ。