Northwind Passage - 北風紀行 - (part-3)

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海沿いを快走してきたバスは日高山脈の突端、灯台の見える岬のバス停に停まった。そこから歩くこと3分、断崖のくずれ落ちた先に岩礁が点々と連なり、やがて太平洋に消えていく。北海道えりも町・襟裳岬。

南の果て……のように思えるけれど、ここは北海道の最南端ではない。本島の南端は渡島半島の白神(しらかみ)岬、全道では松前小島が最南で、襟裳岬は函館よりもなお北にあるのだ。しかし都会を遠く離れ (最も近い帯広からでも130km)、眼前には大海原が180度をはるかに超えて広がり、風も強く「さいはて」の雰囲気は十分に感じられる。

「何もない春」(本意は「何事もなく」ということらしい)と歌われた襟裳岬だが、クルマは駐車待ちの列をなすほど来て、見学施設も賑わっているようだし、駐車場の前に並ぶ店は同じような食事に土産物を売っている……それはそれで訪れる観光客にとって便利でありがたい。でも、歌や売り子の声がスピーカーから絶えず流れ続ける昼どきの襟裳の春は、もう何もかもありすぎである。午後5〜6時を過ぎれば店は閉まって観光客もみな去り、あっという間に逆戻りしてしまうのだろうが。

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岬を一回りし、海面から顔を出すアザラシも見えて、ラーメンを食べてソフトクリームも賞味し、それでもまだ次のバスまで時間がある。というわけで駐車場から一歩出ると、さっきまでの賑わいはどこへやら。岬の東側に回ると、強風を避けるように台地の下に寄り添い静かに暮らす岬の集落があった。



はるかなる助走


東京 10:04-(5273B:はやて273号)-13:13 八戸 14:15-(1011M:白鳥11号)-17:31 函館 17:55-(5019D:北斗19号)-21:36 札幌

2005年、JR線の未走破区間はついに北海道の2線、388.8kmを残すのみとなった。ふるさと銀河線をあわせた北海道の未乗約500kmを走破すべく、襟裳岬から宗谷岬への北海道縦断ルートを軸にすえることにした。

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八戸駅にずらり4本の〔はやて〕が並んだ

5月1日10時過ぎ、臨時〔はやて273号〕で出発。ちょうど大型連休中が北東北地区での桜の見頃となり、加えてこのところJR東日本が「東北の桜」キャンペーンを強力に展開していて、前半三連休の後ろだというのに〔はやて〕の空席が少ない。ルートを確定したのが出発直前になったので、〔白鳥〕の指定席も確保できなかった。

春の東北を新幹線で縦断するのは初めてだった。ビルと住宅の密集する都心を抜けて関東平野を北上。白河を越えて東北に入ると、木々の緑が次第に薄くなっていくのが目に見えてわかる。この時期は桜にばかり目を奪われがちだが、こういう発見もあるのかと思う。

北上(きたかみ)に近づくころ、淡緑の中に薄桃色が混じるようになった。ここがシーズン真っ盛りといったところで、それも盛岡を過ぎればたちまち薄茶色のほうが多くなる。3時間で約1ヶ月ばかり暦を戻された気分だ。

本来の接続〔はやて11号〕を受けて自由席は満席になった〔白鳥11号〕で、まだ冬の気配が残る平野を駆ける。青森から津軽半島へ入ると空は鉛色になり、いっそうわびしい。それが青函トンネルを抜けると、天気はほとんど変わっていないのにのどかでおだやかに見えてくるから不思議なものだ。木古内(きこない)から海沿いに出ると、右手には頭を雲に隠した函館山が見えてくる。

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函館ではすこし休憩を入れ、最終の〔スーパー北斗〕での札幌入りを予定していたが、〔白鳥〕の混雑から一転、隣のホームに止まっていた〔北斗19号〕の自由席はガラ空きであった。この天候で函館にとどまっていても仕方ないし、さっさと先に進むことにする。"HET183" こと183系3500番台気動車。民営化前後に増備された車両(の高速化対応改造)で、登場当時は明るく清潔な感触を受けた縞模様のデコラ張りが、いまとなっては安っぽく感じてしまう。

大沼付近で車窓右に左に移り変わる駒ケ岳が後ろに去り、森を過ぎるころ日没。あとは真っ黒な噴火湾を右にひた走る。東京からのべ11時間。われながらよくやるよなあと思うが、今日またしても陸路を選んだのはちゃんとした理由(?)がある。