Northwind Passage - 北風紀行 - (part-3)

北限三セク鉄道の希望と現実 - 北海道ちほく高原鉄道 -

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「999」をまとった快速〔銀河〕(陸別)

北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線(池田〜北見)。旧池北線だが、もともとは網走本線として建設され、北見網走地区へ最初に開通(1911年)した鉄路である。全長140km、1989年の「長大4線」転換の最後に開業。北海道内の特定地方交通線中、唯一鉄道として残された路線だった。

当初から経営を疑問視されていたこの路線が残った理由については、政治的な話まで聞こえる。事実、営業収支は億単位の赤字があたりまえ、転換初年度から営業成績は三セク鉄道のワースト1常連であった。道の財政自体逼迫する現状でこの大赤字を看過するわけにはいかず、2000年ごろから存廃が取りざたされるように。SL列車の試験運行や「銀河鉄道999」のペイント列車、高速化構想(石勝線経由で特急列車の運行を想定)はあったものの、人口の減少、自家用車の普及(初年度比で10倍以上)という現実の前には根本的な対策も出ようはずがない。沿線自治体の反応も温度差が大きく、結局2005年4月の取締役会において廃止を決定、2006年4月廃止予定の届出が行われた。

事前に公式サイトやその周辺を見ていくと、なんというか全体に漂う怠惰さには二の足を踏んでしまうくらいだった。が、廃止で道内の全線完乗が達成されるのもいい気分ではない。それに消えた鉄道には絶対に乗れないのだし、とにかく乗れるうちに乗っておこうと思う。



札幌 7:25-(11D:オホーツク1号)-11:32 北見 13:21-(746D)-14:08 置戸

5月2日、晴ときどき曇。混雑を心配して早めに札幌駅〔オホーツク1号〕が入線するホームに上がったのだが、意外にも人気(ひとけ)がない。安心して駅そばを食べていると急に列ができだした。〔スーパーホワイトアロー1号〕が発車して、次の旭川方面への特急がこれになったからのようだ。電車特急より少なめの自由席は発車時刻にはほぼ満席となったが、最初の停車駅・岩見沢で早くも下車が多く、その後若干の増減を経て旭川でごっそり降りた。残る客は空いた前席を転回させて足を投げ出す。

新旭川で右側へ分岐し、列車は石北(せきほく)本線へ。はじめの北海道旅行から通った道だがそのときは夜行(急行)だったので、昼間の列車を選んだ。実は前回来たときにそうしようと思っていたが都合上日程を短縮せざるを得なくなり、また夜行(特急)〔オホーツク9号〕での通過であった。

石北本線は北見、常紋(じょうもん)と2つの峠を越える、北海道ではかなりの山岳路線といえる。全通は1932年で池北線より後の開通だった。高速化事業も後回し気味で、特急〔オホーツク〕はいまも国鉄継承の車両(最高110km/h)が中心に使われている。

このあたりは北海道有数の米作地域を含む穀倉地帯で、両側には田畑が広がっている。そのつきあたりの上川から、一転して原生林の残る北見峠越えにかかる。沿線人口も極端に少なく、上川〜白滝(しらたき)間は国鉄末期から普通列車が1日1往復となった。さらに途中の集落が消滅した結果、天幕・上越・奥白滝の各駅が廃止され、上川〜上白滝間の営業キロ34.0kmは一時期日本最長になった。(それ以前は石勝線・トマム〜新得。2004年同線の(かえで)駅廃止で現在は新夕張〜占冠(しむかっぷ)34.3kmが最長)「鹿が出没しております。急ブレーキにご注意ください」と車掌が告げる。

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営まれているのか不明な牧場、廃屋と思われる建物がときどき左右に見えるほかは、まだ根雪の残る林が続く……と、太い柱がそびえ立ち、頭上に高架が覆いかぶさった。旭川紋別自動車道(現在は無料供用の上越白滝道路)である。これまで道路事情も悪く〔オホーツク〕は鈍足でもよかった(特に冬季)かもしれないが、これからはそういうわけにはいかない。

この時期の線路脇には、鉄分を含むビタミンやミネラルを多く含むフキノトウがよく見られ、山中などでも採りに来る人の姿を見る。線路脇のは「鉄分が豊富」なのだろう。

長い石北トンネルを抜けると天気は良くなった。北見国に入ったのだ。原生林はやがて開けて牧草地に。瞰望岩が見下ろす遠軽で進行方向を変え、むしろこちらのほうがにぎわっている生田原から二度目の峠越え。峠のトンネルはあっという間に抜けたが、ここが名にし負う常紋トンネルである。


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まずは置戸(おけと)ゆきの列車で進入する。北見口は平坦で駅数も多い。といっても半数は柵もない板張りの台が線路に寄り添っているだけで、北海道に多く存在した「仮乗降場」の雰囲気を残している。池北線のこれらが「駅」に昇格したのは1959年とかなり古い(JTB「停車場変遷大事典」による)が、それ以降まったく変わっていないというのがこの路線の経緯と現状を映している。

一方列車交換のできる「駅」は本屋が建て替えられたものがあり、置戸もコミュニティセンターになっていた。改札はフリーで、きっぷの販売は平日昼間のみとなっている。硬券の入場券なども備えていた。ホームには「ふるさと銀河線友の会」によるメモリアル・レールが建てられ、「…永遠に走り続けるよう私達も応援します」とあるのが今となっては空しい。駅舎と反対側には、そりを牽く男衆の銅像。置戸町の夏祭りで開催される「人間ばん馬」だ。会場のグラウンド脇に立ち、振り返ってみると街は駅前を中心に細く連なり、すぐ後ろにはもう山が迫っている。

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置戸 15:16-(714D)-17:34 池田 17:45-(2528D)- 18:22 帯広
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窓口で買った補充券状のきっぷをよく見ると「2日間有効」の文字。全線区間買って途中下車でもよかったのか……(101km以上の乗車券に適用)。全区間の運賃実に3000円以上という長大路線にフリーきっぷの類がなく(試行的にこの3月までは売られていた)乗り降り派に不評をかこっているのだが、このことはもっと知られてもいいはずだ。北見にあった自動販売機にはそんなことは一言も書いてなかったし(見落とした可能性はある)、車内で運賃を払う場合にその扱いは受けられない(はず)のも不公平ではないか。列車本数を考えればとても2日で全駅というわけれはいかないだろうが。

4往復の直通列車、車内では時刻表や "The JR Hokkaido" (車内誌) を広げる人が多い。連休でもなければ閑散としてしまうのだろう。つぎの上利別(かみとしべつ)までは15.9km、ミズバショウにフキノトウが足元に咲く林の中をじりじりと上っていく。車内も我慢する雰囲気が漂うが、フッとエンジンの音が軽くなると、それまで進行後方へ向かっていた水の流れが前方へと変わる。分水嶺を越えたのだった。左側に、こんな山奥なのになぜか柵が延々と連なり、立て札をよく見ると「日産自動車…」と読めた。あとで地図を確認したところ「日産陸別試験場」だった。環境試験のコースらしい。

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駅の脇に丸太が山積み (上利別) 影も長くなり

列車はゆるやかな勾配を降り十勝平野へ向かう。傾く陽ざしに車両の影も長くなり、両側には畑と牧草地が……いやもう、これくらいしか書くべきことがない。輸送人員は少なく貨物もなし、車窓に恵まれるでもなく有名な観光地もない。鉄道として生きるには、あまりに茨の多すぎた道であった。やがて左にはこれまた有名な道東自動車道が並行し、車の姿は……書かなくてもわかるだろうか。

残された期間の安全輸送を願いつつ、終着の池田に定時到着。北海道の地方私鉄――といっても今や旅客用はこの1路線だけなのだが――を完走した。