Northwind Passage - 北風紀行 - (part-3)

岬めぐり - 旧広尾線・日勝線・日高本線 -

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旧広尾駅に停車中のJRバス日勝線

襟裳岬へは鉄道は通じていない。北海道鉄道敷設法により襟裳を経由する苫小牧〜帯広間の鉄道が計画され、西から日高本線が様似まで、東から広尾線が広尾まで開通。その間は国鉄バス日勝(にっしょう)線が連絡していた。しかし広尾線は特定地方交通線の第二次指定を受けてあえなく沈没、国鉄改革も大詰めの1987年3月に廃止されたのである。記念きっぷブームのさきがけとも言われる「愛国から幸福ゆき」は、鉄道のきっぷとして買うことはできない。



帯広 7:25=(十勝バス広尾線)=9:38 広尾 10:00=(1102:JRバス日勝線)=11:00 えりも岬
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帯広駅 実に北海道らしい雄大な光景

帯広駅は広尾線と、末端をバス代行していたことで知られる士幌(しほろ)線を失い、その後高架駅となったため、すでに交通の要衝といった雰囲気は失われている。その駅前にバスターミナルがあり、広尾ゆきの十勝バスもそこから発車する。5月3日、晴。ターミナルの窓口できっぷ(硬券だった)を買って乗り込んだのは中乗り前降りとごく普通の路線バスだが、座席は若干リクライニングが効くのが特徴。

定刻に発車したバスはまず市街中心を一回りする。夏冬兼用のためかそれとも渋滞を見越したダイヤなのか、市内ではとろとろと走るし、ショッピングセンターの広大な駐車場の脇で時間調整もする。もどかしくもあったが、家並みが途切れて国道236号線に乗ればスピードは60km/hで一定する。

札内(さつない)川を渡ると愛国。国道を外れたバスは旧駅舎を一瞥して路地を右に折れ、客を拾ってすぐに戻る。そこから先は「大正○号」の名前がひたすら続く。とにかくバス停の数は多い! どれほどなのかは十勝バスのサイト http://www.tokachibus.jp/ をご覧いただくとして、しかし乗降客はほとんどないし、信号もないので、テープのアナウンスが一定間隔で流れるのみ。

やがて左に小さな駅舎と2両の気動車が見えてきた。幸福駅跡だ。しかしバスは駅に寄らず、国道上のバス停にいったん停車しただけで走りだす。開店前のショッピングセンターで無為に時間をつぶすくらいなら、こっちに回してくれてもいいのに……。平日であればもう1本前があるのだけれど、日勝線の便数が極端に少ないため、今ここで降りるわけにはいかない。いつか車内は広尾、いやたぶんその先、へ向かう人たちだけになった。

もともと原野に敷かれた線路である。駅のあるところに集落ができ、そして鉄路の消えたあとは集落の存在で駅があったことがわかる。更別(さらべつ)を過ぎ、やがて国道は丘を降りる。ナウマンゾウが発掘され、記念館もある忠類(ちゅうるい)では右に旧駅舎が見えたが、大樹(たいき)は道の駅に。路盤も一部切り崩されているのが見え、北海道でも15年以上もたつと線路自体の跡を残すものは少なくなってきているようだ。

テープのアナウンス以外黙々と走り続けたバスの左手に太平洋が光った。9:38、ようやく広尾に到着。駅舎は鉄道記念館に、周辺は交通記念公園になっている。


のりかえるJRバス(ジェイ・アール北海道バス)もまた一般路線バス。「日」高と十「勝」を結ぶ線……と名前は雄大だが、広尾まで行くのはいまや平日3往復、休日は2往復しかない。広尾まで来てもその先は線路がすでに消えているから、当初の目的も失われているのが実情だ。

もともと国鉄バスは「先行・代行・短絡・培養」の4つを原則として展開していた。路線名の多くが両端の地名を一字ずつ拾った形なのが、その名残といえる。日勝線も「先行」形であるが、これに限らず所定の目的を果たした例は少なく、過疎化とともにJRバス自体もまた時刻表から急速に消えつつある。この路線の一部区間 上野深(かみのぶか)荻伏(おぎふし)間および庶野(しょや)〜広尾間も、廃止代行自治体バスの受託運行という形で存続されていることが、あとでわかった。

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覆道の連続区間へ 車窓には大海原がひろがる

十人程度、やはりほとんどが帯広からの客を乗せて10:00出発、高台の広尾市街を抜けると、左手に海、すぐ右手に断崖が迫ってきた。ここから国道336号線(紋別で236号と入れ替わり)は覆道とトンネルが連続する海岸道、通称「黄金道路」となる。黄金を敷き詰めて造るにも等しい道、それくらいカネをかけて整備した道、なのだとか。覆道のコンクリートはまだ新しく見え、いまでもカネを湯水の……いや、国道としての機能を保つ整備がつづいているらしい。最近開通した長大トンネルも2,3ある。30年前の時刻表と比べて広尾〜えりも岬間で20分ほど短縮されており、このような整備の結果と見受けられる。

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30分あまりつづいた断崖の道を抜け出て庶野を過ぎると景色は一変、荒涼とした砂浜と丘陵地が広がっている。年中風の絶えないところなのだろう、草木の丈はぐっと低くなり、先には百人浜と呼ばれる砂浜が続いている。

やがて柵で仕切られた植林区画が見えてきた。「襟裳岬植林事業」と看板がある。明治以降森林の乱伐によって、土地の荒廃ばかりか水産業も壊滅しすっかり荒れ果ててしまった襟裳岬一帯は、戦後半世紀にもわたる苦闘と不断の緑化事業の結果、また緑を取り戻しつつある。風力発電機の先に灯台が見え、バスはえりも岬の集落に入った。



えりも岬(岬小学校前) 13:45=(1122)=14:22 様似 14:34-(2236D〜9225D:優駿浪漫)- 19:32 札幌
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昼下がり、賑わう襟裳岬を後に東側の岬集落へ向かった。えりも岬折り返しの始発となる岬小学校は道路上の停留所で、向こうに待機中のバスが見えるだけで誰もいない。13:45すぎ、そのバスにひとり乗り込んで出発。ここからが北限を目指す大縦断ルートだ。

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えりも岬で広尾からの途中下車客に往復客を加え、日高本線の終着駅・様似へ向かう。岬の反対側へ回りこみ日高地方に入るとまた風景はガラッと変わり、海沿いに集落が連なっていた。土地はやはり狭いけれど、生活の気配は明らかに多い。四国の室戸岬もこんな感じだったが、半島の西と東で気候が違うのかと思う。日高昆布の名で知られる通りコンブの好漁場であり、海岸の砂利場に昆布干しの光景が目につくようになった。バスはいったん道を外れ、坂を上って高台の上「アポイ山荘」に寄る。眼下の太平洋は変わらず穏やかに光っていた。

様似で待っていたのは183系リゾート気動車「ニセコエクスプレス」。ただし現在は北海道日本ハムファイターズの塗装を身にまとっている。この列車は連休の土休日に札幌から直通する快速〔優駿浪漫〕。バスからの乗り継ぎ客も含めて座席を程よく埋めて発車。途中の乗客はいつものワンマン列車と勝手が違うように見えた。

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列車はやがて海岸線に出て、昆布干しのすぐ脇を通過する。バスで走っているみたいだ。線路と海岸(砂利浜) との境界がわからなくなるほど近い (実際には石の形が違うのだけれど)、日高本線独特の風景がある。またここはサラブレッドのふるさと――日本一の競走馬生産地でもある。普通列車(日高線営業所所属)にも「優駿浪漫」のロゴがついていた。浦河(うらかわ)を過ぎるあたりから牧場が目に付き、放牧中の親子も何度か目にすることができた。

居住性の良い特急車でも、各駅停車で3時間以上かかっては退屈になってくる。快速とはいっても日高本線内は普通列車のスジを置き換えただけなので、苫小牧まででも3時間半、札幌まで実に5時間を要する。常設の優等列車がないので、日高地方は列車で行くにはかなり遠いところなのだ。

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夕日がだんだん雲に隠れだす。勇払(ゆうふつ)を出てしばらく走ると室蘭本線に突き当たり、そのあと貨物ターミナルを経て苫小牧の駅まで約5kmも併走する。北海道で分岐が駅からここまで遠いのも珍しいが、このあたりは軽便鉄道を国有化した路線だったとか。折しも室蘭本線からの普通列車と併走しながら 17:54 苫小牧に到着、列車は15分あまりの停車後札幌へ向かう。快速になっても俊足は発揮されず、それどころか普通電車にさえ道を譲る始末。帰りに乗る予定の〔北斗星4号〕とすれ違ってからようやくの札幌終着、長かった!