駅名 | 発着時間 | 列車番号 | コメント |
東京駅 | 16:56 | 1 (寝台特急・富士) |
今回の始発駅は東京駅です。 公私ともにはじめての寝台列車・富士ちゃんに乗って目指すところは・・・? |
小郡駅 | 翌06:40 | 同上 | 五日市駅と廿日市駅の間の踏切で車両の脱輪事故が発生し 約30分程遅れての到着です。 |
小郡駅 | 06:45 | 3527M | 寝台特急・富士ちゃんの到着を待って、少し遅れての発車となりました。 |
小野田駅 | 07:07 | 同上 | ここからお目当ての小野田線に乗り換えます。^^) |
小野田駅 | 07:41? | 426M | 個人的にはじめての105系ちゃんで雀田駅に向かいます。 |
雀田駅 | 07:56 | 同上 | 弓なりに曲がったホームを降りると反対ホームに葡萄色の車体が・・・^^*) |
雀田駅 | 07:58 | 625M | 遂にお目当てのクモハ42系ちゃんとご対面です。会いたかったよ〜。\(;o;) |
長門本山駅 | 08:03 | 同上 | わずか2駅で小野田支線はおしまいです。 折り返し運転の合間に運転手さんにお話を伺います。 |
長門本山駅 | 08:33 | 628M | 運転席真横の座席に座り、再び雀田駅に向けて出発です。 |
雀田駅 | 08:38 | 同上 | ここで再び写真撮影を行います。^^) |
雀田駅 | 08:42 | 428M | 後ろ髪を引かれる想いでクモハ42ちゃんとお別れです。(;_;) |
宇部新川駅 | 08:58 | 934M | ここで暫く停車し、934Mとして改めて小郡駅に向けて発車します。 |
小郡駅 | 09:51 | 同上 | 振り出しとなった小郡駅に戻りましたが常緑を求める旅は未だ続きます。^^) |
山陽本線115系ちゃんです。 | 車内には自販機が・・・ | 105系ちゃんです。 |
寝台特急 富士ちゃんの6号車に位置するロビーカーです。
ここにはいくつかのテーブルと座席が有り、乗客が自由に利用する事が出来ます。
事前にクーラーボックスに詰めてヒエヒエにしておいたおちゃけを持ち込んで大宴会をやらかしました。(笑)
その時に呑んだお酒(一ノ蔵すず音/瀧鯉)については、
おちゃけコーナーをご覧下さいね。
宴もたけなわとなり、ふとカウンターを覗いてみたら水道が有るではないですか。
お湯こそ出ませんが、そこでコップなどを洗い、ふと見回すと足下には歴代のバイトさんの名前を書いた張り紙や
クーラーボックスの蓋の裏には、5日間の運行ローテーションに伴う段取りのメモが書かれており
更に箱の中には「ブルトレ文庫」なる小説が入っており、読んでみると官能小説でした。(爆笑)
想像しただけでも楽しい雰囲気が瞼の裏に浮かんできそうな車内も今は昔、数名の乗客が利用するだけとなってしまいました。^^;;)
ロビーカーに再び活気が満ちあふれる・・・そんな日が訪れる事を願わずにはいられません。^^;;)
6号車内部です。 | カウンターで一日バーテン に変身します。(笑) |
ブルトレ文庫有ります。(笑) |
東京駅〜大分駅間を結ぶ長距離寝台特急です。
14系15形と24系25形の客車14両から構成されるこの列車も1980年10月のダイヤ改正前までは東京駅〜西鹿児島駅間1574.2Kmを
24時間24分で走破した日本最長の寝台特急でしたが1997年11月から現在の運行に変更されています。
今回はじめての乗車なので、周遊きっぷとゾーン券、それと初級者乗客の登竜門(笑)B寝台下段の切符を入手しました。
東京駅を16:56に発車して程なく車掌さんが検札に来たので、名札を見たらJR西日本の表記でした。
とにこやかに応対しながらきっぷにスタンプを押してくれました。他の乗客さんにも雑談を交え、和やかに検札を済ませて行きました。
かつてはとても人気が有りましたが、私が乗車出来る年齢になった時には、検札に余裕を見せる程の利用者数になってしまった様です。
在来の東海道線の線路を早いとも遅いともつかない不思議な速度で、17:21 横浜駅に停車しました。
ガラスの向こうのホームにはサラリーマンや学生さんがたくさんいて見慣れた光景が広がりますが
いつも指をくわえてみている列車の中に自分がいるのかと思うとなんだか嬉しくなってきました。(笑)
憧れの寝台列車でいろいろ考えていたら、熱海通過前後に頭から煙を吹いたので、ロビーカーで宴会を行い楽しむ事にしました。(笑)
今は誰もいないカウンターでバーテン兼泥酔客と化し、その勢いで全14両の客車をくまなく散策してみました。^^;;)
ホントは1号車の前に電源車が連結されていますが、扉は封鎖されているので入ることはできません。
また1〜5号車は全てB寝台なのですが、ほとんど乗客がいないのには驚きました。
再び6号車・ロビーカーを素通りして、7号車は唯一のA個室があり、ちょっと室内を覗いてみましたがドキドキしますね。(バキドカ)
肘掛けみたいな小さなテーブルの蓋を開けると、そこはパラダイスではなく洗面台に早変わりという小粋な仕掛けになっていました。(笑)
A個室の有る7号車です。 | A個室です。 | A個室には 洗面台が有ります。 |
全客車を散策しました。(笑) |
8〜9号車は再びB寝台で本日の私のお宿になるところです。実は8号車までが24系25形で9号車からは14系15形に変わります。
24系25形とは1973年(昭和48年)に登場した24系24形・3段寝台用客車(☆)をB寝台2段構成(☆☆☆)に改良したもので
1974年(昭和49年)にデビューしました。
こちらは先程と違って九州に戻る団体のおじちゃん、おばちゃんがパンツ一丁や寝間着など思い思いの恰好で長い旅を楽しんでいます。
10号車はSOLO(B1)で、ここだけ扉が自動ドアになっており驚きました。気分はもうウルトラ警備隊です。(意味不明・笑)
11〜14号車は、再びB寝台となり最後尾の14号車の窓からは闇に消えゆく2本のレールを眺める事が出来ます。^^)
うしろ半分の客車・14系15形ですが、1971年(昭和46年)に登場した14系14形3段寝台車を2段化すると共に
北陸トンネルの大火災での苦い経験を踏まえてディーゼル電源を搭載したスハネフ15形には自動消化装置を備える様になりました。
ちなみに14系15形客車は電源を客車内部に分散して搭載している為、電源車は不要です。
従って先頭に連結されている電源車は1〜8号車である24系25形客車のみに電源供給しています。
一口にB寝台の客車といっても型式や製造会社(新潟鐵工所/川崎重工)、更に製造年度がバラバラで
仕様も微妙に違うのを今回はじめて知りました。(資料によると24系25形の初期版は上段が電動で動くそうですね。)
さあ6号車に戻り、飲み直す事にしましょう!(笑)
23:26 京都駅に停車しましたが反対ホームには全車グリーン席(12系客車)のムーンライト高知ちゃんが出番を待っていました。
JR四国の列車もまだ乗った事が無いし、いつか行きたいなあと希望に胸をふくらませているとお酒の味も格別です。(笑)
お酒もなくなり、気が付いたら25時を回っていたので、千鳥足で8号車に戻り床につきました。(お酒を何本開けたかはナイショです。笑)
よく見たらシートの布張りは、JR九州の昼行特急ソニックちゃん(883系)で余った材料を流用している模様です。
かつての豪華列車に享保の改革の様な倹約を強いられる現状にフクザツなものを感じつつ夜は更けていくのでした。
全車グリーン席のムーンライト高知ちゃんです。 (京都駅にて) |
8号車B寝台上段です。 | B寝台下段です。 おやすみなさい。^^) |
清々しい朝を迎え・・・て?? |
朝目が覚めると少し飲み過ぎたせいか、ちょっと気持ちが悪いですが車窓には瀬戸内海が輝いており安らぎました。
今回の旅行の最大の目的は小野田線本山支線にいるクモハ42ちゃんに一目会う事なのです。
本編のタイトルでもある二階堂(焼酎)のCMでのどかに走る古めかしい電車をご覧になった方も多いのではないでしょうか?
小野田駅を発車し、海に向かっていく途中で、いつの間にか増えていた女子高生に見とれていると雀田駅を降り損ねる寸前でした。^^;;)
荷物を抱えて、慌てて降りるといました!ぶどう色のニクイ奴、クモハ42ちゃんがずっしりと構えているでは、あーりませんか。^^)
車内を見渡すと板張りの床、布張りの座席、本物の縄で出来た網棚、現役の扇風機、多くの設備が製造当時の趣を色濃く残しており
なんとも大らかな対応ですが、キチンとゾーン券を見せて長門本山駅に降りました。(笑)
車両の連結部を見ると「日本国有鉄道」をはじめとする4つの製造銘板が取り付けられており静かに長い歴史を物語っています。
「あと中の座席なんじゃが、クッションは椰子の実で製造当時のままなんじゃ。」
そういって、わざわざ座席の外してくれましたが、ホコリと共に藁の様な繊維がこぼれ落ちてきました。
更に運転手さんの説明は続きます。
「毎週火曜日に下関の車庫に回送しとっての。(下関)駅のホームからも見えるはずじゃよ。」
「来週から暫く点検作業で運行からはずれるし、きらら博が終わったら、どうなるかわからんのう。」
最後に運転手さんのご厚意を得て、憧れの運転席を撮影させて頂きました。
その後、田町電車区(東京)に転属、首都圏や東海地区を疾走し、昭和32年には宇部電車区へ転属
頭上を見渡すと制御装置はATSが搭載されていました。生きた化石といえども時代の流れに沿って改良を進めているみたいです。
とうとう休憩時間も終わり、クモハ42001ちゃんは再び雀田駅に向かい、小さな旅は終わりを告げました。
105系ちゃんの窓から過ぎゆくクモハ42ちゃんを眺めていましたが、心のかけらを雀田に置き去りにしたまま次の常緑を目指すのでした。
<2003年1月27日加筆>
しかし車内放送は、五日市〜廿日市駅間の踏切で自動車が脱輪事故を起こした為、約30分遅れている事を告げ不安がよぎります。
寝台特急・富士ちゃんとも小郡駅で別れを告げ、急いで山陽本線の115系ちゃんに乗り換えます。
車内に有るジュースの自動販売機やスイッチ付きの扇風機を見て、はしゃいでいたら小野田駅に着いてしまいました。(笑)
4番ホームを降り、反対側3番線・小野田線ホームでしばし待つと105系ちゃんが2両編成で滑り込んできました。
早速、激写していると「すぐ発車するよ〜。」との運転手さんの声に急いで車内に乗り込みます。
念願のクモハ42ちゃんと
ご対面です。あ!焼酎忘れた!(笑)
出発進行!^^)
5分で長門本山駅
に到着です。改めて写真撮影です。^^;)
まるで走るタイムマシンの様な錯覚を憶えてしまいます。^^)
早速、運転席脇のベンチシートに腰掛け、運転手さんの操作をぽえぽえ〜っと眺める事にしました。
雀田駅〜浜河内駅〜長門本山駅わずか2.3kmの旅は乗車時間5分でおしまい、次の折り返し運転まで、車外に出よう思ったら
駅といってもバスの停留所みたいな待合所とホーム以外に何もない質素な造りに驚きました。
この日は第二土曜日の為、車内に学生さんはいませんでしたが近くに学校が有り、普段は通学の足として活躍しているらしいです。
4つのプレートが車両の年輪となっています。
屋根と外壁の境目が木目なのが
お分かり頂けますか?応急処置が痛々しいです。
座席のクッションは椰子だそうです。
昭和8年(1933年)から昭和13年(1938年)にかけて13両製造され、うち日本車輌製造のクモハ42001ちゃんと
川崎車両製造のクモハ42006ちゃんが現存、本山支線に割り当てられていますが
(どうも、クモハ42001ちゃんのスペアパーツ取り用になっているらしいです。)
(上の左から2番目の写真の中でビス止めの扉のフレームと黒の屋根の間の境目ですがお分かり頂けますか?)
(代車として123系ちゃんが運行に入るそうです。)
運転手さんのご厚意で撮影しました。
暑い中の運転ご苦労様です。
ATSが搭載されています。
1985年12月にエバーグリーン賞
を受賞しました。
スピードメータは120km/hまで表示は有りますが、かつて95km/hで走行した事が有るそうです。
もともとは京阪神間の急行用の電車として宮原電車区(大阪)に配属され、昭和25年まで活躍した事があるので
その頃は、沿線の私鉄の電車とスピードを競いあっていたのでしょう。今で言う「新快速」の大先輩という事になるのでしょうか。
宇部・小野田線で運行される様になりましたが、昭和56年の105系ちゃんの登場により本山支線専用として
活躍の場を狭めつつ今日に至っています。車両の前後両方に運転台が有るため、転車台が要らず運用しやすかった為
廃車を免れています。人間(?)万事塞翁が馬、どこで何が幸いするか分からないのも興味深いですね。^^)
まるでサラリーマンの様な人生をねぎらうべく昭和60年12月に鉄道友の会からエバーグリーン賞を贈られています。
運転席を出ると貫通部脇にエバーグリーン賞の盾が飾られていましたが、いつまでも現役を続けて欲しいと願わずにはいられません。
雀田駅では本線の105系ちゃんが接続していた為、終始慌ただしい行程になってしまいました。
クモハ42ちゃんを舞台にしたCMは、いいちこではなく、大分の麦焼酎二階堂のCMとのご指摘を頂きましたので本文を修正致しました。
ちなみに二階堂のCMは、いくつかのシリーズがありますが、クモハ42ちゃんが登場するのは「旅人の車窓篇」というのだそうです。
私が旅行した当時に運転士さんにCM撮影の裏話を伺ったのですが、あの芸術的な風景を撮影する為に
一ヶ月以上ずっと最高の天候の日が来るまでスタッフは根気よく待ち続けていたそうです。
ご指摘頂きました かっちゃん様 本当に有り難う御座います。