田川ヒロアキ
『THE ROAD SEEKER』リリースツアー2024 VOL.2







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田川ヒロアキ - guitar, vocals, trackmaking












 2024年。

 夏という季節が"猛威"を振るい、多くの天変地異をこの日本にもたらした。
 豪雨、台風、灼熱の真夏日....。
 ここ数年、もう慣れっこになったかと思ったが 今年の夏は特に違っていた。


 9月。
 依然として夏の暑さは収まりそうもなかった。
 その暑さは 日本周辺で発生した台風を結果的に呼び込み、大きな被害をもたらすことにも繋がった。
 個人的には幸いにも、それほど大変な思いをすることはなかったものの 9月のファーストデイに予定された田川ヒロアキさんのライヴが台風10号の影響で中止。
 その9月1日は 台風はほぼ過ぎ去った後だったが 台風による交通マヒ(新幹線運行中止だったかな?)を鑑み、前日の大阪公演と共に早々に中止と発表されていたのだった。
 覚悟はしていたが残念な気持ちでいっぱいであった。
 せめてもの救いは、名古屋公演は一旦中止になったものの 仕切り直し後日またライヴ開催を約束してくれたことであった。


 それから3ヶ月。
 11月に入ってようやく田川さんのX及び、オフィシャルサイトで名古屋公演の予定を見つける事ができた。
 公演日は12月7日土曜日となった。
 会場は中止前と同じLaidBackというライヴハウス。
 守山区の端というか、名古屋市と春日井市の境という感じの処のようである。
 前回時、会場までの行き方をネットでシミュレートしてみたが、開場時間に合わせる為には本数の少ないバスの時間のやりくりが大変であった。
 このバスに乗るには、この時間のJRに乗って〜という感じである。
 結構、ガチガチなスケジュールが出来上がったのだった。
 それはつまり、乗り遅れなど失敗が許されないことと同義語でもあった。


 12月になった。
 11月までの例年にない季節外れの暖かさというか、秋を忘れたような天気は ここにきて急に冬の装いをまとい始めていた。
 特に第一週の週末に掛けて、冬の寒さは深まるという予想が為されていた。
 今まで寒くない比較的、快適な気温であったのになぜこのタイミングで?と恨まないでもなかったが、これが正常なのだと思い直すしかなかった。


 12月7日、ライヴ当日。
 予報通り、朝から冬らしい寒さを感じる日となった。
 会場オープンが18:00の為、それに合わせて家を出た。
 まだ1時間半ほど時間があるが、これで遅れるなら笑うに笑えない。
 地下鉄で金山総合駅へ。
 この駅は名古屋市営地下鉄、名鉄(名古屋鉄道)、JR東海が乗り入れている大型総合駅である。
 一日の乗降客数では確か、名古屋駅に次ぐものであったと思う。
 この土曜日の夕方でも人の流れが凄い。
 ここからはJR東海の中央線に乗り換える。
 乗る列車は中津川行の快速である。
 JRの改札をくぐり中央線のホームに降りていくと、自宅を出発した時よりも寒さを感じた。
 たった数十分で気温低下が進んだのか?と疑ってしまう程であった。
 寒さに震えながら、時間を待ち予定通りの列車に乗った。
 なんとか予定通り進んでいる事に安堵する。
 列車に揺られること25分あまり。
 やっと辿り着いた、未踏の地"高蔵寺"。
 ここは正確にいうと、既に名古屋市ではない。
 隣の春日井市に位置している街である。
 会場のLaidBackは、住所的には名古屋市守山区であるので この高蔵寺駅からまた名古屋市内に戻るという感じである。
 その為には市バスに乗らなければいけない(名古屋市内ではないのに、名古屋市営バスである)。
 この市バスの本数が少ない為に、自宅を早く出たのだが なんとか予定通りのバスには乗れそうであった。
 初めて訪れた高蔵寺の駅は、最近、リニューアルされたらしくとても綺麗であった(ASTY高蔵寺)。
 地下通路沿いに飲食店、ドラッグストア、コンビニエンスストアらが入り賑わっているのも印象的である。
 そんな地下通路を抜け、南口に向かう。
 市バスのバス停に到着すると先人が一人いたが、もしかして同じLaidBackに向かう人か?と思った(結局、違っていたが)。
 まだバスが来るまでには10分少々あるが、寒さを特に感じる。
 金山で中央線に乗る前に感じた寒さよりも、より強く感じるのだ。
 やはり電車で北上したゆえだろうか。
 昨年、同じように年末に岐阜に行った時も明らかに体感上2度〜3度ぐらいの気温低下を感じたが、今回もそれほどではないものの寒さを感じる。
 10分余り、バスに乗ってライブハウスの最寄りのバス停 大久手に到着した。
 自分一人だけが下車し、ここから歩いて会場に向かう。
 この時点で開場までまだ25分以上あった。
 例によって、ここからLaidBackまでの道のりはGoogle Street Viewで予習していたのでどれくらいの時間が掛かるかもある程度、判っていた。
 其処から導かれたのは どう考えても開場まで外で待たされそうだな。ということであった。
 それに この寒空である。
 出来るだけ会場前、外で待つ(笑)のを避ける為、途中にあるセブンイレブンで時間を潰そうと店内に入った。
 だが一番、時間潰しに有効である筈の雑誌の立ち読みがセブンイレブンでは出来ないことを忘れていた。
 郊外のコンビニにありがちの割と広めな店内をぐるっとゆっくり一周してみるが、大して時間は過ぎていかない。
 なんとか10分程、居座る?ものの居心地の悪さから店を出てしまう。
 暗闇の中、なるべく時間を掛けるように歩くが一本道の先にあるLaidBackがすぐに見えてきた。
 そのまま敷地内に入るが、店の前でまだ誰も待っていない。
 しかし、自分が一番乗りとなってしまった。という訳ではなかった。
 店の前には3〜4台ぐらい車が留まり、それぞれがエンジンを吹かしているのだった。
 つまり暖かい車内で開場まで待っているということなのだろう。
 それでも開場5分ほど前になると、わらわらとLaidBackの入り口に人が集まり始めた。
 私は今晩、初めて田川さんのライヴを見るという年上の男性の方から話しかけられ雑談をしたが、その方は田川さんがラジオ「ヘビーメタルシンジケート」で『宛先ミュージック』や『メルアドミュージック』を担当されていた頃からご存知で、最近、また注目されているということでの来場であった。

 定時となりお店はオープンした。


 LaidBackのオフィシャルサイトなどで店内の様子は確認していたが、予想以上にこじんまりとしていて吃驚。
 カフェレストランといった趣で、奥にステージがあるという感じなのだが、客席となる長方形のテーブルと椅子で定員は多くとも20〜30人ぐらいでいっぱいになるように思われた。
 直近でも此処では 田村直美さん大沢誉志幸さん王様EARTHSHAKERのマーシーさんシャラさん山本恭司さんRED WARRIORSのシャケさんら有名ミュージシャンがステージを行っているのだから 知る人ぞ知るというライブハウスであるのだろう。
 この距離でアーティストのパフォーマンスを見ることが出来るのは相当、貴重である。
 今回のライヴは チケット代の他、2オーダー(飲み物+食事・軽食/1200円)を取らなければいけないことになっていたが、入場時に支払い好みの席に座るとすぐにお店のスタッフからオーダーを取られた。
 自分が選んだのは オレンジジュースとエッグサンド。
 エッグサンドはハーフサイズ?ということだったが、手元に届いたものは軽食としては十分な量のもので美味であった。
 それを平らげる頃、ライヴが始まった。
 時計の針は既に定時の18:30を指し示していた。


 ライヴの始まりを知らせるSEがスピーカーから溢れ始めた。
 ゆるゆるとステージに視線を向ける。
 するとボイスチェンジャーで変換した田川さんの声によるナレーションが耳に届いた。
 これはテープなのか、生なのか。どちらなのか判別はつかない。

 「ようこそ 田川ヒロアキ ニューアルバム『THE ROAD SEEKER』リリース記念ライヴへ」

 続く英語によるアナウンスは もしかして 奥様でマネージャーの美瑞穂さんの声だろうか。
 拍手に包まれて 今夜の主役 田川ヒロアキさんがステージに姿を現した。


 一瞬の静寂の後、微かなギターのハーモニクスがアーミングを伴って響いた。
 ロングトーンに続き始まった小気味良いディストーションが効いたリフ。
 これはアルバム『THE ROAD SEEKER』の冒頭を飾る「Open Road」に他ならない。
 メロディとリフ、それが絶妙に絡み合って曲を見事に構成している。
 休みなく2曲目へとなだれ込む。
 曲は「Driving Jam」である。
 踊りだしたくなるような軽快なリフに、自然と手拍子が場内に響き渡る。
 ハミング代わりの田川さんの歌声がよりいっそう、曲を盛り上げる。
 速弾きのソロはもちろん、時折りギターのボディを叩いたりパーカッシヴなノリも楽しい。
 この時点で、今夜のライヴが大成功する。と確信したのだった。

 「こんばんは〜」

 田川さんがマイクを取り 今夜初のMCが始まった。
 6年ぶりとなった田川さんのソロ・ライヴ。
 感慨深いようであった。
 「最後まで思いっきり、楽しんでいって下さい」と短いMCをまとめて 始まった3曲目はお馴染みの楽曲「Ride the Wind」
 『THE ROAD SEEKER』3番目のトラックに位置する曲でもある。
 マツダファンフェスタというロードレースのテーマ曲として2017年から、レース場で頻繁に演奏されてきた。
 田川さんの18番であるスウィープ・ピッキングの流麗なフレーズで印象的に幕開けするこの曲は、正にレーシングカーが直線コースやカーブを疾走するシーンを鮮やかに脳内に浮かべることが出来る。
 テクニカルなギターソロはもちろんメタル・ライクなリフがレーシングカーの疾走感をより大きくさせる。
 その興奮した気持ちを我々、観客は盛大な拍手で応えた。

 2回目のMC。
 今回のニューアルバム『THE ROAD SEEKER』についての説明をされた。
 先程、披露した「Ride the Wind」のようなレース、車についての話題から「自動運転」へと話が膨らんでいった。
 アメリカでは全盲の方が実際に運転するという実験が始まっているということで、田川さんはそんな事が日本でも可能になったら 東京から車でここまで来ようかなと大きな夢を語るのだった。

 「運転は出来ないけれど車も、新幹線も、飛行機も好きなので スピーディな感じの曲が多い、色んな景色をイメージ出来るそんな曲を作りたいとずっと作ってきましたが、車好きな方も多いので 皆さんの心にも重なる部分があればいいなと...」

 「今日は皆さんと一緒に景色を作って、その景色を楽しみたいなと思っております」

 と今夜のライヴ全体のコンセプトについて丁寧に話された。
 それは ちょっとしたプレゼンテーションといった趣であった。
 田川さんにとって9枚目となった本アルバム『THE ROAD SEEKER』はドラム、ベースを田川さん自身が演奏し、一切、打ち込みはなし〜生楽器の音だけで製作したという意欲的な作品であるという。
 そして 本日はレコーディング時に作成したオケをバックに演奏するという『THE ROAD SEEKER』アルバム再現ライヴと言っていい感じである。

 MC明けの4曲目は「Launch Battle」
 これもレースのイメージソングであるが、コロナ禍の状況下レースが出来ない中で 動画だけでもファンに還元したいという状況の中で生まれた曲でもあるそうだ。
 田川さんによれば「一瞬の静寂の後、信号が変わってレースがスタートする」というイメージを楽曲化したそうだが、大きいヴィブラートのフレーズからスラッシュメタルのようなリフへと移り変わり、時折、スウィープピッキングで彩りを加える。
 信号が赤から青に変わって、一気呵成にレーシングカーが直線から第一コーナーへ殺到するシーンが思い浮かんでくる。
 あっという間に終わる短い曲であるが、次の5曲目「Freeway Tracks」はその後のレースの展開を予感させる楽曲でもある。
 いや、その曲に入る前には壮絶な速弾きが披露され、それが次曲を繋ぐリンク(Link)ともなっているのも流石。
 「Freeway Tracks」は「Launch Battle」以上にメロディを強調した速い曲であるものの、判りやすいフレーズの為か非常に馴染みやすい。
 「Launch Battle」「Freeway Tracks」の2曲で完成する"音のレース絵巻"に我々は感嘆の叫び声を上げるのだった。


 3回目のMCは 名古屋での思い出話となった。
 この6年の間、単独でのライヴはなかったものの、デーモン閣下のライヴや曾我泰久さんのライヴで来名していたり、自分もお邪魔した「エンターティメントサーカス 2022」のステージに出演したりと結構、名古屋には来ていることを話された。
 ちなみにこの「エンターティメントサーカス」とは名古屋のロックバンド「B.S.R.」のリーダー 石川徹さんが主催で行われてきた聴覚しょうがい者と健常者の音楽の祭典であるのだが、その石川徹さんとバンドのメンバーのBunriさんも今夜このライヴに来場されていた。
 (そう云えば、前回の単独ライヴでは 「名古屋といえば〜」と話をされた時、私が田川さんの1stアルバム『Fly Away』のライナー・ノーツを執筆したことを取り上げて頂き 紹介されたという気恥ずかしい事もありました 笑)
 また この会場であるLaidBackが位置する名古屋の端、守山区の印象を話されたのだが、田川さん自身 ここを訪れるのはやはり初めてだったものの、お店の外をお店のスタッフや美瑞穂さんと散歩してみると空気が良くて 何日か滞在したいと思ったとも感想を述べられた。
 6曲目も『THE ROAD SEEKER』からの披露となった。
 曲は マツダ ロードスターで焼き芋を売って歩いている?走っている?『ロド芋』さんのテーマソングである「ロドイモスター」であった。
 曲が始まるやいなや、手拍子が鳴り響いた。
 平易で判りやすい歌詞が田川さんの温かい歌声に乗って 我々一人一人の耳に届き、平易な歌詞に反比例するぐらいの熱くテクニカルなギタープレイがよりいっそう この曲を盛り上げた。

 直後のMCでは 田川さんのパーソナルな部分の話をされた。
 光を完全に失った中学1年生の頃、いずれそうなるだろうなと思いそれほどショックでなかったという田川さん。
 ちょうどその時は ギターに夢中になっていた頃で、本当に良かったという。
 思春期の心揺れ動く頃、間違った道に行かなかったのは間違いなくギターのお陰だったと感慨深い話をされた。
 でも 人がどのようにギターを弾くのか後にも先にも見た事がなかった田川さんは 最初は琴のようにギターを床に置いて弾いていたという有名な話、あるいは近所のおじさんにフォークギターを貰い いずれはエレキギターを弾きたいと憧れた事なども話された。
 ここで興味深かったのは、フォークギターを弾いてもロックっぽいあの歪んだ音が出なくて、またエレキギターがどのように音が出ているのかも判らなかった当時の田川少年が考え出したアイデアであった。
 これもファンにとっては有名な話でもあるのだが、クッキーの空き缶をフォークギターのボディの上に置いて その中にサイダーとかの蓋をたくさん入れて弾くと「ジャリジャリ」とした"悪そうな音"が出たというのである。
 これが小学生高学年の頃の田川少年とギターの思い出なのだそうだが、聞く音楽がビートルズから始まり〜と言うやいなや 実際にビートルズの曲「Please Please Me」を弾いてみせくれたのだ。
 そして だんだんと洋楽志向となり よりハードなモノを好むようになってラジオから流れてきたのがこんな曲。
 と弾いてくれたのが YESの「Owner of a Lonely Heart」の有名なイントロ・リフ。
 田川さんがYESのこの曲を弾くのを初めて聞いたが、好きだったというのも初耳であった。
 その後はKISSの「Detroit Rock City」、Night Rangerの「Don't Tell Me You Love Me」を次々にイントロを披露して 私は嬉しくなってしまった。
 田川さんはラジオから流れてきたこれらの曲から「ああいう曲をやりたい」と思い、中学一年生になってお年玉で初めてエレキギターを購入したのだった。
 また光を失った田川さんにとって 見た経験がないものに対して戸惑うことが多いという。
 それは例えば影の存在、あるいは虹というのも言葉の意味では知っていても実感として捉えきれないというのである。
 では七色で構成される虹を音符を使って色を塗ってみようと思って創ったのが次の曲「ニジノート」です。
 と言って始まったこの曲について、より詳しい説明があるのでぜひ 読んで頂きたい。
 音符を使って想像しうる色を表現する。
 田川さんだからこそ成し遂げた偉業ではないかと思う。
 「ニジノート」披露直後のMCでは その"虹"について印象的な出来事を話された。
 それは2021年8月、ちょうど愛知県 蒲郡市の眼科医療機器メーカー 株式会社「NIDEK」の創業50周年記念式典に招待された後、豊橋方面に移動した時の事であった。
 豊橋の駅に着いた際、雨上がりの空に虹が掛かり それをマネージャーの美瑞穂さんが「虹が綺麗!」と叫んだそうだが、今、愛知県に居るということで思い出したという田川さんであった。
 また先程の自動運転に続いて「Be My AI」というAIアプリの話もされた。
 これは「Be My Eyes」というアプリの機能の一つで、写真をAIを使って詳細に言葉で説明するものであるのだが、田川さんいわく「物凄い」と称賛されていた。
 視覚障がい者用のアプリという感じなのだが 我々、健常者では判りにくいニュアンスまでも言葉で説明する、しかも何十、何百枚も説明するのはかなり利便性に優れたものであるのだろう。
 こういうアプリはなかなかTV等でも紹介されることはないが、地道に開発されている方がいるのを感心してしまった。
 目が見えないことに今では抵抗がない田川さんでも 写真を見てみたいと思うことがありながらも叶わなかった処に AIによって少しでも写真を感じることが出来ることに感激されているようであった。

 今夜のライヴは二部制で行われることをこのMCで初めて知ったが、第一部のラストは長い間、田川さんが関わってきた「よさこい祭り」の曲、それも海外〜カナダのバンクーバーの「よさこい」である。
 (オファーを受けて製作されたようだが、最近 海外からの依頼も増えているようである)
 そのタイトルは「Appare Yosakoi Vancouver」
 よさこい(Yosakoi)なだけに和テイストな単音リフが小気味良く、勇猛果敢なサビの歌詞もカッコ良い。
 中盤からはガラッと雰囲気が変わり、転調?して打楽器を中心とした和風楽曲になり 再びメインテーマへと戻ってくるという面白い展開。
 海外「よさこい」な為、最後には英語の歌詞も飛び出したのだった。
 「Appare Yosakoi Vancouver」を終え、盛大な拍手に包まれながら田川さんはステージを降りていった。



 しばしの休憩時間は、食事だったりお喋りだったりと観客各々が過ごしていた。
 そんな時間もあっという間に過ぎ去り、ステージからは田川さんの声が聞こえてきた。
 いよいよ第二部の始まりである。
 大胆にアームを屈指し、これでもかとテクニカルでハードなギター・ソロを披露する。
 ただ本当は「Racing Star」という曲を披露する筈だったのだが、不具合で音(オケ)が出ず急遽そのままギター・ソロ・コーナーと変更されたようだった。

 「バンドだと音が止まったりということはないが(こういう形態だと)こういうことがあってドキドキするから、ライヴって楽しいなあ」

 とポジティヴに受け取る田川さん。
 このようなトラブルはこれまでの長い演奏経験では日常茶飯事なことだろう。
 ゆえにその対応力は抜群だ。
 その後、話題は ここ名古屋でも放送されていた全国ネットのラジオ番組「ヘビーメタル・シンジケート」へと移っていった。
 (ちなみに名古屋で放送されていた時間帯は 土曜の深夜というか早朝の4:00。日本一遅い時間帯であった)
 田川さんの製作した「宛先ミュージック」「メルアドミュージック」がずっと番組内で流され続けたというのは有名な話であるが、今もこの曲を聞いていましたというファンは多いらしい。
 ということでその「宛先ミュージック」をアドリヴで披露してくれたのだった。
 前回の単独ライヴでも披露されていたが、今回は完全のアドリヴ。
 これも先程のトラブルという怪我の功名という感じであった。

 そしてこのMCタイムでは あの東京パラリンピック開会式出演の興味深い話をされた。
 思えば、田川さんの口からパラリンピックの話を直接聞くというのは初めてのことである。
 東京でのオリンピック・パラリンピックの開催が決まり(2013年9月)あの開会式のステージに立ちたい。と色々と活動をされたという田川さん&美瑞穂さん。
 オリンピック・パラリンピックの応援ソング「Sky」を渡米し レコーディングしたのもその一環であった。
 ただ簡単にパラリンピック開会式に出演出来るほど現実は甘くはなかった。
 オリンピック・パラリンピックの関係者(多分、名の知れた人か?)に出演をお願いすると こんなことも言われたそう。
 「同じような人がいっぱい、来るんですよね」と門前払いを喰らわしたとか。
 しかし、そんなことでめげる田川さんではなく(こんな仕打ちも)ネタにしてやろうというぐらいに前向きに考え、次の手段を考えたのである。
 (実際、このようにライブMCのネタになっているのですから この時、門前払いをした"その人"はあの開会式のステージを見てどう思ったのか非常に気になる処ではある)
 最終的に一般公募というオーディションがあり、其処に一般人の顔をして応募してみたそうです(この時点で、田川さんは立派なプロのミュージシャンでしたが)。
 一次審査(書類審査)、二次審査....最終審査と順調に進み、最終審査は面接であった。
 田川さんはその面接で印象に残るようなことをしようと 会場にマーシャル・アンプとギターを持っていき審査員10数人の前で轟音を響かせたとか。
 この最終面接については 様々なエピソードがあり、場内はこの話で今日イチの爆笑が渦巻いたのだった。
 さて最終審査の面接は トップバッターだったという田川さんは とても気が楽だったものの 最初ゆえに忘れられてしまうと危惧も抱いたので ジミ・ヘンドリックスの「アメリカ国歌」の如く、マーシャルを最大音量にして「君が代」を弾いて度肝を抜いたという。
 (さぞや 痛快な演奏だったことだろう!
 後日、速やかに審査結果の発表となる筈だったが その直後、日本もコロナ禍になった為 オリンピックの開催自体が危ぶまれるようになってしまった。
 結局、その審査結果を1年も待つこととなり その結果 見事 応募者5500人の中から選ばれたのだった。
 パラリンピックの開会式を見た方ならご存知だろうが、布袋寅泰さんを中心にデコトラに乗った一団が映画「キル・ビル」のテーマ曲など演奏を繰り広げるというものだったが、その布袋さんの出演を知らされたのは本番の僅か2ヶ月前ぐらいそうです。
 布袋さんとの共演に大変驚いた田川さんだったが、スタジオでのリハーサルも穏やかに進み、布袋さんから
 「この曲は君のギターの音が入っているということが とっても重要なんだよ」とアドヴァイスをされたと田川さんは感慨深げにされていたのが印象的であった。

 遂に 東京パラリンピック開会式当日

 コロナ禍でステイホーム期間中であった為 多くの人々がTVを見てくれていたことで沢山、田川さんの元にメッセージが届き、無観客であったことは残念だったものの
 「場所は違っても無観客じゃなかったと本当に嬉しかった」と仰っていたのが私の心に響いた。
 開会式出演がきっかけで日本テレビ系の「世界進出オーディション!めざせ!グローバルスター」など民放番組にも出演。
 この番組で知り合ったアメリカの音楽プロデューサーとは今も懇意にしてもらい、最近もハリウッドで開催された「GLOBAL STAGE HOLLYWOOD FILM FESTIVAL 2024(国際映画祭2024)」で上演された映画の音楽にも器用されるなど縁が続いている。
 MCの最後には「来年の大阪万博に出演します」と嬉しい発表が!
 大きな拍手が巻き起こったのだった。

 大変盛り上がったMCの後は クラシックな「Ave Maria」
 もはや田川さんにとって定番曲である。
 ロングトーンを活かしながらも、音、フレージング 十分にロックしている。
 いつ聞いても素晴らしい演奏だ。
 一瞬の静寂の後、クラシカルな楽曲から一転。
 ピアノの伴奏に乗って田川さんのボーカルが響いた。
 曲は「またどこかで」
 前作のアルバム「FACE」に収録された楽曲であり2022年3月、5年間続いたNHK Eテレ番組「ハートネットTV B面談義」の最終回で披露されたエンディング曲である。
 最終回ゆえ「別れ」をテーマにしているものの、このタイトルが表すように 田川さんの温かな声で"また どこかで会いましょう"と歌われて ジーンとくる。
 激しいヘビーメタル然とした曲と対極を為すようなこのような曲こそ、田川さんの魅力を表すものではないかと思う。
 次の曲は再びニューアルバム『THE ROAD SEEKER』からの選曲であった。
 曲は「道 〜 Road To Tomorrow」
 アルバムでは11曲目にクレジットされているものである。
 "人生を道に喩える"というのは 作詞においては王道であるかもしれないが、軽快なミディアムテンポの楽曲に落とし込むことに成功していると思う。

 『道は世界へと続く 果てなき夢を追いかけて〜満ちた世界へと進む 自分になれる場所へと走れ』

 このサビの歌詞は これまでの田川さん自身の人生にも重ねることも出来るし、それ以上に多くの人々の人生にも重ねることが出来る〜普遍的なものだと考えることも出来るのではないだろうか。
 改めて我々観客、そして ここLaidBackのスタッフであるご夫婦に感謝を述べた田川さんは 第二部最後の曲として「キミを乗せて」を紹介された。
 SNSで車好きな方々に広くアンケートを取り、そこから拾い上げたキーワードから 自分も運転している気持ちになって創ったというこの曲。
 田川さんが『MAZDA FAN FESTA』に関わった最初のテーマソングであり、レース関連の楽曲に初挑戦したものである。
 しかしレースの曲だからと言って、速いメタルっぽい曲にならないのが田川さんである。
 青空の下、レース場のコース、あるいは高速道路を疾走している光景を浮かべることが出来る。
 それに加えて、曲調もあって なんとも爽やかなのだ。
 もちろん、キメのギター・ソロはタッピングを多様したテクニカル速弾きプレイであるし 凄いのだがそれは全体の中では僅か一部分でしかない。
 私は 何度かこの曲を生で聞いてきたが、いつもそう思うのである。
 曲を終え「ありがとうございました」と感謝を伝えた田川さんに 我々、観客は満場の拍手で応える。

 その波動を背に受けながら 田川さんはステージを降りていった。


 大きな拍手はすぐさまアンコールを求めるものへと変わっていった。
 その勢いは終始 変わることなく、田川さんがステージに再臨するまで続いた。
 拍手と歓声がステージを包み込む。
 「まるで野外ライヴのような盛り上がりです。ありがとうございます」と感謝を伝えて アンコールが始まった。

 その1曲目は 第二部始めにも披露したかったという「冬童謡メタル」
 前回、2018年のソロ・ライヴでも披露されたが 童謡「焚き火」をメインに「ジングル・ベル」を混ぜて最後は「お正月」でまとめるというパンテラのようなド直球のヘヴィメタルに、場内は終始笑いに包まれた。
 「最近、小中学校でライヴをやることがまた多くなってきていて、こういう童謡メタルをやると とっても盛り上がるんですよ」と説明されたが、聞き馴染みの強い曲が今まで聞いたことがないこのようなヴァージョンで披露されれば確かに盛り上がるだろう。
 しかも、この世界最高峰と云えるギターテクニックですから。
 「旅の中で見た広大な景色を思い浮かべて創りました」と言って紹介された次曲は「Air」
 アルバム『THE ROAD SEEKER』12曲目に収録されている曲である。
 「Air」というタイトルだと 個人的にはジェイソン・ベッカーの対位法を屈指した超絶技巧曲を思い出すけれど、田川さんの「Air」はずっと馴染みやすい。
 "広大な景色"を音符で描いた。という感想は間違っていないと思う。
 「Air」が終わっても、演奏は途切れなくそのまま続いた。
 今夜、最後のギター・ソロ・コーナーである。
 リバーブを効かせたロングトーンを響かせたあと、中盤では聞き慣れたフレーズが耳に届いた。
 これはラジオ番組「パープルエクスプレス」のギター師範代だった古川博之さんが ギターリペアの後に必ず弾いているフレーズじゃないか!
 −とちょっと嬉しくなったが、後で田川さんにお聞きすると これは成毛滋さんが「パープルエクスプレス」で弾いていたフレーズだと仰っていて思い出した。
 そうでした!そう アンプの紹介などで弾いていましたね。ウーマン・トーンで...。
 田川さんが「パープルエクスプレス」でロック・ギターを学び、後年、実際に成毛さんにお会いして交流が最晩年まで続いただけに、私は田川さんが成毛さんの意志を受け続いているようで感動してしまった。
 そんな聞き慣れたフレーズの後も これまたお馴染み 田川さんの18番、スウィープピッキングの連投。圧巻である。
 唖然とした空気の中、演奏はそのまま最後の曲へと繋がっていった。
 アルバム『THE ROAD SEEKER』の2曲目にクレジットされている「翔KAKERU」
 イントロのリフからして とってもカッコ良い。
 『JAFツーリングカー選手権 ロードスター・パーティレースV ジャパンツアーシリーズ』テーマソングというレース曲だからだろうか、疾走感ハンパない。

 この最後の曲は 田川さんの雄叫びと共に終了した。



 ライヴ中、撮影禁止だった今夜。
 最後は撮影タイムが設けられ、ステージからの記念写真も撮られた。






 ニューアルバム『THE ROAD SEEKER』リリース記念と銘打たれた今回のライヴは、その名の通りアルバムから10曲が披露された。
 全13曲のうちの10曲であるから 田川さんのこのアルバムに掛ける自信の大きさが伺い知れるのではないだろうか。
 (披露されなかった「Racing Star」が機械トラブルで披露出来なかったことを考えれば、予定では11曲披露だったのかもしれない)
 田川さんのライヴでは 今まで鉄板曲であった「My Eternal Dream」「Fly Away」「Journey In My Heart」なども外しているのだから尚更だと思う。
 事実、このアルバムの『ROAD SEEKERという車に乗って移り変わる風景を楽しむ』というコンセプトは ライヴにおいても十分に体現していたし、それはアルバム以上であった。
 それだけに次回のライヴを期待するばかりである。

 次回は6年後.....といわず、3年後、2年後...... いや、来年には戻ってきて欲しいと思うのである。




名古屋終了!◆12/7(土) 【ニューアルバム『THE ROAD SEEKER』リリースツアー2024】@愛知・名古屋 LaidBack







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SET LIST
−第 1 部−
Opening Announce
1Open Road 〜 旅のはじまり
2Driving Jam
MC
3Ride the Wind (『MAZDA FAN FESTA』2017年 テーマ曲 )
MC
4Launch Battle
5Freeway Tracks
MC
6ロドイモスター
MC
7ニジノート
MC
8Appare Yosakoi Vancouver
INTERMISSION
−第 2 部−
9Guitar Solo
MC
10「Heavy Metal Syndicate」シンジケート・アドレス
MC
11Ave Maria
12またどこかで
MC
13道 〜 Road To Tomorrow
MC
14キミを乗せて (『MAZDA FAN FESTA』2014〜2016 テーマ曲)
・・・Encore・・・
15冬童謡メタル(「焚き火」「ジングル・ベル」「お正月」)               
MC
16Air
17Guitar Solo
18翔KAKERU
MC & 記念写真










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