HIROAKI TAGAWA
GUITAR STATION
COUNT DOWN TO 10 YEARS FROM FLY AWAY








pic
fretpiano Staff Blogより









田川ヒロアキ - guitar, vocals, prg












 2009年に発売された田川ヒロアキさんのファーストアルバム「FLY AWAY」は 2007年までに録りためられていた15年に及ぶ 活動の成果を表すマスターピースとなった。


 アルバム・リリースから9年。

 このアルバムの楽曲は、ソロで、TAGAWAで、手数セッションで、日本はもちろん、アジアの各国で奏でられてきた。
 いわば、田川ヒロアキ・クラシックスである。
 2019年−来年、この「FLY AWAY」が10周年という記念すべき年にあたり、その助走という意味合いで、田川さんはライヴツアーに出ることになった。そのツアータイトルは

 『Guitar Station Tour2018 Count Down to 10 Years from FLY AWAY』

 アルバム名だけでなくGuitar Stationと副題?が付けているのも 何かしら意味があるのかもしれない。と想像させた。
 そんなツアーが11月22日 徳島からスタートし、岡山、松江、広島と回って、地方ツアー最後は ここ名古屋で行われた。
 ちなみに岡山 CRAZYMAMAでのライヴと、翌日の岡山国際サーキットでのイベントライヴは LOUDNESSの二井原実さんがゲスト参加するという豪華なものであった(見たかった!)。
 前夜、広島のファンを沸かせた田川さんは、きっと意気揚々と名古屋に乗り込んだに違いない。
 それは何故かと問えば、この名古屋公演は、田川さんにとって初のソロ・ライヴなのである。
 今まで、何度も名古屋でライヴを行っているが、それはTAGAWAや手数セッションに代表されるようにバンドを伴ってのものであった。
 だが、今回、ステージには田川さん たった一人。
 それだけに ごまかしや、ミスは通用しない、シビアなステージと共に、自由度の高い楽しものになるだろう−というのも予想されたのだった。



 今回の会場となった「今池りとるびれっじ」は、少人数の観客を前にして演奏する、酒場スタイルのお店であった。
 普段は、アコースティックな弾き語りが主な会場のようで、飲食をともにしながら、演奏を楽しむお店のようである。
 名古屋にも多くのライヴハウスがあるが、全く知らなかったのも、自分の勉強不足はもちろん、基本的にはロック系ではない?という理由もあったのかもしれない。(今年でオープンから25周年だったそうです)



 開場は18:00というので、10分過ぎには 入店出来るようにと自宅を後にした。
 そういえば、ライヴハウスというものに初めて行ったのも、ここ今池の「ボトムライン」であった事を思い出した。
 1989年、「TOMMY CONWELL & THE YOUNG RUMBLERS」のライヴ。もう29年前の出来事である。
 前夜、何度もGoogle Mapとストリートビューで確認したように道を辿り、時間が早すぎた為、コンビニでほんの少し、時間を潰すと「りとるびれっじ」に向かった。
 お店は、階段で下りた処に有った。それはストリートビューでは示されていない情報だった。
 入り口の 重そうなドアが、いかにも入りづらそうな雰囲気を醸し出していた。
 明確な目的が無かったなら、絶対、ドアを開けるのは無理な感じである。
 そこは エイッ!と勇気を出して(笑)ドアを押した。
 すると、店内は、酒場というのがピッタリな場所であった。
 受付で入場料を支払い、丸テーブル、縦長テーブルの席がある中で、自分は縦長テーブルの壁際に座った。
 店の奥にはバーがあり、人影も見える。きっと「りとるびれっじ」のマスターなのだろう。
 また其処とは別の奥のスペースには、既に田川さんと、マネージャーの美瑞穂さんがいらっしゃり、喧騒の中、話し声も聞こえてくる。
 視線の先、2mほど前には フロアから一段高くなった小さなステージが有った。
 普段、アコースティック・ギターを抱えたアーティストがパフォーマンスを行っているのが想像出来るようだった。
 その証拠に、ステージの右袖にはMarshallのアコギ用のアンプが備え付けられていた。
 横には、今回、田川さんが使用するであろうYAMAHAのコンボアンプが並んでいる。
 それは私が、今まで見掛けた事もない程、年代物のアンプであった(後で調べた処、F100-212という機種らしい)。

 だが、この年季の入ったアンプが、後々、ライヴに多大なる影響を及ぼすとは、この時は知る由もなかったのだが。


 その後、美瑞穂さんに伴われた田川さんがわざわざ、自分の席にも挨拶に来て頂き、2月のTAGAWA以来の再会を喜んだ。




 18:30過ぎ、田川さんは、美瑞穂さんに先導される形で、客が座る丸テーブルをすり抜け、満場の拍手の中 ステージに上がった。

 遂に田川ヒロアキ・ソロ・ライヴの幕が開いたのだった。


 ステージには、後方にギターアンプ、マイクスタンドを中央に据え、下手側には、丸椅子の上にちょこんとZOOMのMTR?が置かれ、マイクスタンドの下にはエフェクターボードが見えていた。
 上手側には、立派なクリスマスツリーが鎮座してもいる。
 だが、ほんの2畳ぐらいの広さのステージに、手狭感は否めない。というのも正直な感想であった。

 田川さん(その時は、もしかしたら、美瑞穂さんだったかも?しれない)がMTRを起動させ、SE用の音源を流し始めた。
 10秒、20秒....1分以上、そんな状態が続いただろうか。
 荘厳な曲へと進化した田川さんの楽曲が 会場に響き渡るものの、ステージ上では葛藤が続いていた。

 なんと アンプから音が出ないのである。

 美瑞穂さんがステージに駆け出して、田川さんと共にその対応に追われるが、一向に状況は解決しなかった。
 このまま、ライヴ中止もやむなし。そんな危機感が会場に漂い始めた処、それを見かねた「りとるびれっじ」のスタッフがステージに上がって調整に走った。と思ったら、その方はスタッフではなく、今夜、我々と同じくライヴを見に来た「B.S.R.」というバンドのKatubowさんという方であった。(「B.S.R.」のメンバーの方々が来場した理由はここに詳細があります。)
 彼がアンプの調整−主にボリューム周りだったと思う−を施すと、ブチブチとギターの出音が確認出来た。
 その瞬間、なんとか、今夜のライヴが成立出来そうだと判ると観客の間にも安堵感が拡がっていった。
 「気を取り直してお送りします」と笑顔で田川さんが、改めてライブ開始を宣言すると、会場は拍手に包まれた。

 厳かなバッキングに、田川さんのギターが丁寧に乗っていく。
 曲はお馴染みの「Seascape」である。
 ロングトーンとテクニカルが見事に融合。ソロライヴの序章にはピッタリな選曲であった。
 その後、一転して バロック調のバッキングが会場を満たすと、特徴的なギターリフが田川さんの手から奏でられた。
 全編、英語で歌われるこの「Passion On The Strings」は、正にメタル。スラッシュメタル的な速さに、メロディアスな歌声が響き、田川さん十八番のスウィープ・ピッキングが連続で披露される。
 田川さんの魅力を これでもかと封じ込めた楽曲に私は ノックアウト寸前であった(笑)。
 それに今回、自分史上初ぐらいの”かぶりつき”な距離で演奏を見聞きするという経験は、思った以上にエポック・メイキングなものとなった。
 ピッキングする生音が聞こえるぐらいであった−のもそうだが、特に注目したのは田川さんの足元。
 ボードに据えられた各種エフェクターを 頻繁に踏み変えて音に変化を加えているのは新しい発見であった。
 ボードの中央に位置するボリュームペダルを中心に、ZOOMの空間系ストンプボックス(MS-70CDR)、歪み系を担当する同じくZOOMのマルチストンプ(MS-50G)を使って、田川さん独自の音を形成していく。
 たった3つのエフェクターだが(もちろんマルチ・エフェクターゆえ、それぞれいくつものエフェクターが重層的に組み込まれているが)それだけで、どこでも”田川さんの音”が出来てしまうのがある意味、驚きであった。
 ギター雑誌で昨今、もてはやされる複雑なエフェクターシステムや、高価なアンプシミュレータ、数々のブティックアンプ...本当に必要なのだろうか?と目からウロコに感じたのである。
 今までも ずっと田川さんは、必要最小限のエフェクターで音作りをして、ライブハウス備え付けのアンプで演奏をこなしてきたと思うが、今回、その使い方を間近で見て、改めて感心してしまったのだった。
 3曲目は「My Eternal Dream」。これも想い出深い曲である。
 なにせ、私が田川さんの演奏する映像を 初めて見た曲であったからである。
 それはまだ、田川さんが山口の実家で活動されていた頃の映像で、私はこの映像で初めて、あの特徴的な『逆手奏法』を目の当たりしたのだった。
 あれから既に、10数年が経過してしまったが、その驚きは今も何ら変わっていない。
 思わず足踏みや、首を振りたくなるようなノリに身を任せながら曲を満喫したのだった。
 曲が終了すると、熱演を称えるかのように 大きな拍手が田川さんを包み込んでいった。

 「みなさん こんばんは」と元気よく、あらためて挨拶をした田川さん。
 冒頭のアンプ・トラブルを謝罪する一方で、かってライブ中にあったトラブルの話を披露して場を和ませた。
 「このツアー初の”(ひとり)ぼっち”公演なので、やりたい放題、引き倒したいと思います」と盛り上げ、今回のツアーのタイトル『Guitar Station Tour2018 Count Down to 10 Years from FLY AWAY』の元となったアルバム「FLY AWAY」の思い出話を語った。
 また 名古屋初のソロライヴという事で、今まで名古屋で行ったライヴの思い出話をされると、2010年の和佐田達彦さん主催のイベントライヴからTEKAZU SESSION、TAGAWAでのバンドライヴと その時々の記憶が走馬灯のように甦ってきた。
 MC明けは、この「FLY AWAY」アルバムから2曲が披露された。
 まずはアルバム・タイトルトラックのインスト「FLY AWAY」
 20代前半に作られたという−前述したように正に”田川ヒロアキ・クラシックス”なだけにパフォーマンスは全く危なげない、安心安定の演奏である。明確なテーマに沿って、高度なテクニックが高速で、炸裂−と見所満載であった。
 演奏を終えると、田川さんがMTRをスタートさせ、カウントが始まった。それを合図に田川さんが歌い始める。
 曲は「Journey In My Heart」だ。
 ブルース的なリックのオブリガードが歌詞の合間に投入され「あれ?こんな曲だったっけ?」と まるで初めて聞いたような新鮮な気持ちを湧き上がらせてくれた。
 そして、エンディングソロ。ハイテクニックの応酬に圧倒されるばかりであった。
 壮大なロッカバラードが終わり、再び、田川さんが次曲のバッキングをスタート。
 すると、耳馴染みのある、オルガンとアコースティック・ギターのストロークが聞こえてきた。
 その楽曲に被さる、伸びのあるギタートーン。
 Beatlesの「While My Guitar Gently Weeps」が登場するとは全くの予想外であった。
 この曲の登場に、私には先日のポール・マッカートニーの名古屋公演を想起せずにはいられなかった。
 同公演では「While My Guitar Gently Weeps」を披露する事はなかったが、ジョージ・ハリスンの追悼コンサートではポールとエリック・クラプトンが中心となって演奏し、このコンサートの象徴ともなっただけに、縁(えにし)を感じたのだった。
 だが、田川さんが演奏するのは 正調「While My Guitar Gently Weeps」ではなく、歌メロもギターで表現する完全なるインストゥルメンタル・バージョン。
 本家でソロを担当していたエリック・クラプトンよりもハードに、ギターの音は より歪んでいたのは言うまでもないだろう。
 でも、肝心のギターソロ部分はというと、本家クラプトンを意識したフレーズで構成されており、楽曲としても全く破綻していない。流石という言葉しか見つからなかった。(間違いなく今夜の名演の一つとして数えられるものであったと思う。)

 余韻を残しながら、小休止に移行した。MCタイムである。
 ここでは、初めての来場者も 居るかもしれないという事で−自らのギターヒストリーを語った。
 私は「大体は訊いた事がある話だろう」と高をくくっていたら、これが大間違い。知らない話がいっぱいあったのだった。

 例えば「子供の頃、ピアノを習っていたが、練習曲が退屈で、練習せずにピアノ教室に行ったら先生に怒られ、ドヤ顔で披露したのがクリスタルキングの『大都会』だった」とか
 「ピアノの先生は、そんな田川さんの姿勢を否定せずに、割とハードな曲を選んでテープに吹き込み、それを練習したのが、後のギターなどの耳コピに役立った」というギターに出会う前の話はもちろん、
 ゴダイゴなどを親しむようになってからはハードな曲を好み、これを弾くにはピアノより、ギターだろ。と近所に人に貰ったアコースティック・ギターを弾くようになったものの、ギターを弾く姿を見たことがなかった為、学校でのお琴の経験から、ギターを床に置いて弾くようになった−というTagawa Horoaki's Early Guitar Historyはオフィシャルサイトの文章で認知しているものの、直に本人から訊くというのはやはり、意味合いが大きく異なっていた。

 それに加えて、興味深かったのは、洋楽、特にビートルズの曲を知るきっかけとなったのが、1980年 ジョン・レノンが暗殺された時にTVやラジオで紹介された時だったというのは、同時代を生きた者として大いに納得出来る話であった。
 またギターを弾き始めた当時は、正式なチューニングを知らずに、オープン・チューニングで弾いていたというのも吃驚する話であった。(オープン・チューニングが出来るというのも凄いが)
 だが、それでは対応できない曲が出てきた為、先輩から訊いたチューニングを盗み聞きして覚え、曲を弾くようになったり、其処で、1音、1音拾いながらコードを探したり試行錯誤した−というのも これまた聞き覚えの無い、新鮮な話であった。
 そして、コードを弾く上で−Fコードなどのバレーコードで多用される人差し指が、「逆手」では小指にあたり、とても苦労したが、セーハもフレット際を押さえたら押さえやすいと気付いたというのはギター経験者なら”あるある”な話で、嬉しくなってしまった程であった。

 そう、田川さんの演奏で、キモになるのは この左手−小指なのである。

 今回、至近距離で演奏を見て、小指の使い方が絶妙であるのを 肌で感じたぐらいなのだが、前述したようにコードのセーハは言うに及ばす、単音弾き、速弾きのソロで 常に小指で弾いていない弦をミュートしているのだ。
 小指以外の3本の指が 複雑で速い動きをみせながら、ノイズ対策の為に小指が常に弦に触れているというのは、想像以上に大変である。

 それから最も驚き、感心したのが田川さんがまだ、エレキギターの存在を知らなかった小学生ぐらいの頃の話。

 アコースティック・ギターでエレキギターのように歪んだ音を出すには、どうしたらいいのか?−と田川少年が思い悩んだ先に辿り着いたのは、クッキーの空き缶に、サイダーやジュースの瓶の蓋(王冠?)を何十個も入れて それをギターのボディの上に置き、共鳴させ割れたような音を出して楽しんでいた−というエピソードは、今のような情報過多な時代では到底、考えもつかなかった事だろう。
 年齢的な事や、あるいは目のハンデがあったとしても 今の子供が其処まで実験的な事をするだろうか?
 正に、田川さんが後に、ギタリストに成るべきして為ったという素晴らしいエピソードである。
 その後、中1でエレキギターを手に入れた田川さんが、床の上に置いて弾くスタイルから、徐々に立ち上がって弾くように今のスタイルに変化していく−まるで猿が人間へと進化を遂げるように−のを実演してくれたのも、ソロ・ライヴならではのサプライズであった。

 お話は、ギターと演奏の初期エピソードから、田川さんが地元有名人からLOUDNESSの二井原実さんに見出され時の人となった、ファンなら良く知るものへと移っていったが、地元マスコミから受けた取材時の違和感や、ネットで突然、連絡が来た二井原さんをなかなか信じられなかった話...等々。田川さんの口からリアルに聞くと これまた心に響くものがあったのだった。



 2部構成となった今夜のライヴ、1部最後の曲は田川さんの最新アルバム『THEME PARK』にも収録された「カラムーチョZ 〜秘密組織コイケヤのテーマ〜」
 これは2014年に 湖池屋から発売された「カラムーチョZ」のテーマソングとして作られた楽曲で、作曲は、旧知のファンキー末吉さん、ボーカルはアニソン界の帝王−水木一郎さんであった。
 発表された当時、ネットニュースでも大きく取り上げられていたが、水木さんとCMソング?と大変、驚いた事を覚えている。
 もちろん、私がこの曲を生で聞くのは初めてであり、然も、貴重な田川さんのボーカルでの披露である。CMソングということもあり、かなりキャッチーで勢いのある曲であった。
 だが、流石にTAGAWAや、手数セッションなどバンドで披露するには手が余る(笑)というか、難しいような気はした。
 それだけに 今回のようなソロ・ライヴではピッタリな選曲であったと思う。

 演奏を終えると、田川さんは大きな拍手に見送られ、ステージを降り控室スペースへと戻っていった。





 しばし、休憩タイムとなると、私はトイレへ足を運んだが、戻ってくると、美瑞穂さんがテーブルを廻り、一人一人観客にチラシを手渡しながら、歓談しているのが見えた。
 美瑞穂さんに 冒頭のアンプ・トラブルはヒヤヒヤしたと感想を伝えたりもしたが、この時、頂いたチラシが予想を超えた驚くべきものであった。
 このチラシに書かれていたのが『田川ヒロアキ LAプロジェクト』というタイトルの文章。
 それは2019年の春、ロサンジェルスにて、アメリカのミュージシャンたちとレコーディングするというビッグプロジェクトを知らせるものであった。
 数日前から、今回のツアー最終日には大きな発表が為されると予告されていたが、海外ツアーか?という予想は外れ、海外レコーディングは全くの想定外であった。
 また レコーディングに向けてクラウンドファンディング(2019年1月21日公開)も実施されるとの事−夢の実現へと着実に歩みを進めているのを実感したのだった。




 僅かな時間で休憩タイムが終了すると、ライヴはいよいよ第2部へと移っていった。再び、ステージに上がった田川さん。


 ライブ・リスタートを告げる号砲は、曲ではなく、MCであった。
 ”和やかな”雰囲気な中で”名古屋”での思い出を語る田川さん。
 その余韻のまま曲に入るのかと思えば、さにあらず。
 ライヴ冒頭でのアンプ・トラブルの際、足元のエフェクター(の不調を疑って)のスイッチを押しまくって「プログラムを消してしまって」と言う田川さんは、公開の場でエフェクターのセッティングを始めたのだった。
 私は このZOOMのマルチストンプ(ZOOM MS-70CDR)を持っていないので細かい事は判らないものの、おそらく、作成しておいたプログラムが、トラブルの際に何処かに行ってしまったのだろう。
 当然、バックアップというかプログラム自体は保存されているので、それを呼び出すだけでいいのだが、それを公開の場で行う。と田川さんは宣言したのだった。
 観客が皆、息を呑むようにセッティングの様子に目を、耳をそば立てた。ピーンと張り詰める空気の中で、調整音が響き渡る。
 僅か1分少々でセッティングを終えると、MCは続いた。
 ここでの話題は 私も長い間、愛聴していたラジオ番組「ヘビーメタル・シンジケート」の事である。
 23年間続いたこの番組は2014年に終了してしまったが、その番組のMCであり、元バーン・コーポレーション取締役社長 酒井康氏とは、田川さん今もメールのやり取りを行い、今もお元気だという事も報告された。
 それに、なんと言っても「ヘビーメタル・シンジケート」は私が、田川さんと出会った記念すべき番組である。
 ”番組の宛先を紹介する音楽”が公募された際、数々のテープの中から選ばれたのが田川さんが送った音源であった。
 当時、既に地元でCM音楽制作に携わっていた田川さんには、ある意味、手慣れたものだったそうだが、他の投稿者を寄せ付けないクオリティの高さに驚いた事を今でもはっきりと覚えている。
 結局、その「ヘビーメタルシンジケート」の「宛先ミュージック」はその後、「メールアドレス・ミュージック」も加わり、最終回まで10数年、オンエアーされ続けたのだが、今回、その全てが披露された。
 まずは、記念碑的な「宛先ミュージック」−正式なタイトルは「シンジケート・アドレス」
 タイトルを聞いただけで、もはや、懐かしさがいっぱいだったが、あの土曜日深夜に 初めてラジオから流れてきた時の衝撃を思い出さずにはいられなかった。
 だが、この曲だけでは終わらないのが、ソロライヴの醍醐味か。
 ヘビーメタルVersionの「メールアドレスミュージック」である「シンジケート・メール・アドレス」が強烈なアーミングを合図に疾走する。
 番組愛聴者にはたまらない瞬間であったが、至福の時間はまだ終わらなかった。
 「シンジケート・メール・アドレス:AOR Version」「シンジケート・メール・アドレス:60's Version」までもが披露されたのだった。
 「宛先ミュージック」は一度だけライヴで見たことがあって、その時も感激したが、メールアドレス・ミュージック含めての全曲披露は自分にとっては、スペシャル・サプライズとなった。

 夏は大好きだが、冬は指が動かなくて苦手とMCで語った田川さんが 趣あるSEに乗せて おもむろに、弾き始めたのがなんと!メタル調の童謡!!
 「焚き火」をメインテーマとして、パンテラを彷彿とさせるリフにテクニカルなソロを組み込み、一部「ジングル・ベル」を混ぜて最後は「お正月」でまとめる。
 古くは爆風スランプのようなタイプな楽曲であるけれど、これまた田川さんにしか弾けないような曲で楽しかった。


 再び、MCタイム。

 次曲が「FLY AWAY」アルバムに収録された曲という事で、その説明に入ろうとした田川さんが、思い出したように”ある事”を話し始めた。

 「『FLY AWAY』と言えば アルバムの中に、解説文、ライナーノーツがあるんですけど、それを書いた方が名古屋の方なんです。」

 私は「えっ」と苦笑いするしかなかった(笑)
 私が、田川さんと交流するようになり、初めてアルバムをリリースすると訊き「ライナーノーツを書かせてください」と手を挙げたのが2009年のいつ頃だっただろうか?
 私が、このHPを通じて ずっと書き続けてきた色々なライヴレポートを好きだと唯一、言ってくれた田川さんへ感謝の気持ちを伝えたかったというのもあり、当時、メールで何回か、やりとりをしながら完成させたのだった。
 しかし、突然、田川さんから「あきらさん 手を挙げてください」と言われたのには、驚いたやら、気恥ずかしいやら...(苦笑)。
 おずおずと手を挙げると、他の観客から拍手されてしまい、ちょっと感激してしまったのだった。
 その後、田川さんとの出会いや、ライナーノーツを書くに至った経緯も話されたが、プライベートな話が公になったような、これまた気恥ずかしさでいっぱいになってしまった。
 「FLY AWAY」アルバムを説明する話が、私の事を紹介する事になってしまい、恐縮しきりとなってしまったが、MetallicaやPanteraに影響を受け、反戦の意味を込めたというメタル・インスト「Stranger Destroys Arms」が次に披露された。(イントロの激しくうねるようなアームダウンで、爆撃を表現しているのは「ウッドストック」出演時のジミ・ヘンドリックスへのリスペクトだろうか。)
 「Stranger Destroys Arms」自体は、TAGAWAや他のバンドでも演奏してきただけに聞き慣れた曲であるが、本日はバックの音源が”打ち込みではない”生の音を収録したものであっても、バンド以上のテンションと迫力に満ち満ちていた。

 その内なる炎は、次の曲へも繋がっていた。

 クリーントーンで爪弾き始めると、一体、何の曲が始まるのか?と観客は耳を一斉にそば立てた。
 それが、ある瞬間にJoe Satriani風のタッピングに変わると、一気に曲の趣が変わった。
 だが、ここまではギタリストとしては想定内だったかもしれないが、次に用意された三味線風音色を使う「津軽三味線」的フレーズの連射には驚きを持って迎えられた。それは田川さんの多彩な音楽的バックボーンに触れた瞬間でもあった。
 ギターが三味線に、それから再びギターに戻っても、田川ヒロアキ流ギター七変化は終わる気配を見せない。
 今度はアコースティック・ギターのようにボディを叩き、スラップ奏法?を披露する(私は、今は無き馬呆(BAHO)を思い出した)。
 その後は、リフを刻みながらの、十八番のスウィープ・ピッキング連続技。
 最後はタッピングと、速弾きである。ただただ、迫力ある演奏に、圧倒されるばかりであった。
 また、このギター・ソロは ほぼ無伴奏で行われたのだが、エンディングにはドラム(音源)が絡んできたのにも驚いた。
 ジャストに、一分のズレもなくソロフレーズに乗ってくるというのは、素人が考えても凄い事だと思ったのだ。(途中から バッキングの音出しをした訳ではないので。)

 我々が拍手喝采で演奏を褒め称えた後、田川さんは年末が近いということで、この一年をまとめた話をされた。
 だが、それはハッピーな話というよりは、シリアスなものであった。
 今年一年、兎に角、全国各地で災害が多かった−大阪、北海道での地震、広島での豪雨災害...。
 特に昨日、ライヴでお邪魔した広島県呉市の、被災したライヴハウスの話は身につまされるものであった。
 田川さんは「THEME PARK」アルバムの収益金の一部を 西日本豪雨と北海道震災の義援金として日赤に寄付したとも話されたが「今、日本の何処で何が起こるか判らないので...日頃、注意を怠ってはいけない」という言葉には、東南海地震の危機が囁かれる この地方の者には警告以上のものを感ぜずにはいられなかった。
 「自然や地球は私達に今、一体、何を訴えているのだろう」と数々の天災を受け、次に披露したのは、田川さんの代表曲「平和の風」であった。
 田川さんのライヴにおいては必ず、それも後半に演奏される名曲であり、私は もう幾度となく”体感”してきた。
 戦争に対して”No”と言うだけの歌なのに、なぜ、ここまで心を震わされるのだろう。
 「平和の風」は (エンディングのエモーショナルなギター・ソロ以外は)ピアノの音源だけで、田川さんが訥々と歌い上げるだけに、それがまた琴線に触れるのだ。
 『風 吹け 風 吹け 平和を連れてこい』というザビの部分では、田川さんの手話も加わり、我々、観客側も自然と力が入る。
 いや、それだけではない、マイクスタンドから外れるぐらい、マイクを通さず生声で伝えようとする熱唱に 感動のボルテージは上がるばかりであった。

 素晴らしいパフォーマンスには、熱い拍手を。

 興奮冷めやらぬまま、スピーカーからは再び、ピアノとストリングスが響き渡った。
 その美しき調べに、叙情的なギターが乗る。「Ave Maria」であった。
 この日はまだ、クリスマスには遠い時間であったが、田川ヒロアキ流にアレンジされた「Ave Maria」によって まるで教会でミサを受けているような荘厳な雰囲気を 我々観客は噛み締めたのだった。


 本編最後のMCでは、このツアー、地方公演最終日となった事もあり、その総括的な感想とニュースを報告した。

 そのニュースとは、前述したように「来年の3月、ロスアンジェルスで2曲、レコーディングします」であったが、田川さんが実際に、マイクを通じて説明すると 現実の先にある夢が、もはや目前に迫っている現実であると、自分の事のように嬉しく感じた。
 レコーディングする1曲は、作曲は田川さん、作詞は向こうのミュージシャンに頼み、ボーカルも田川さんではなく、米国ミュージシャンに−という ほぼ洋楽というもので もう1曲は既発曲だという。
 だが、その曲にも英語詞が付き、ボーカルは米国ミュージシャンが担当すると発表された。
 そして、その既発曲が、本編最後に披露された「Ride The Wind」であった。
 中国地方では CMソングとしてTVでも流されたという『マツダファンフェスタ』テーマソングでもある。
 のっけから強烈なアームダウン、アップから始まるこの曲は、サーキットでレースをするイメージとして書かれたというだけあって、疾走感に溢れ、車がコースを走り回る情景が浮かんでくるようだった。



 演奏を終え、ステージを降りる田川さんを拍手で見送ると、その拍手はそのまま、アンコールを求めるものへと変わっていった。

 それゆえ、田川さんは、一旦、控室のスペースに 戻っただけでステージへとんぼ返りとなってしまった(笑)。
 アンコール冒頭のMCでも「恥ずかしいですね。一人ではけて、戻って..そのまま入ればいいのに(笑)」と発言するぐらい、我々は 知らず知らずのうちに急かしてしまったようだった。

 来年は「FLY AWAY」アルバム10周年ということもあり、田川さんから その10周年の記念アルバムも作りたいという嬉しい展望も語られ、3月のロスアンジェルス・レコーディングも含め 楽しみが増えそうだと客席も湧いた。
 また、田川さんが拘ったライヴ・グッズの「ギターピック」も紹介(終演後、私も慌てて購入した)したのをきっかけに、田川さんにはしては珍しく「(ギターの)ピッキングの仕方」を説明する簡易的『田川ヒロアキ・ギター教室』が開催されたのも 非常に興味深い出来事であった。

 「ピッキングは、手首のスナップを使って弾くのがイチバン、音の抜けが良いようなんです。例えば、手を洗った時、ハンカチを持っていなかったら、(手を振って)水を切るように。これをピッキングに 応用すると音が抜けると私は思っています」

 と実践し、弾いてみせたのだった。(田川さんのこの弾き方に合うように、材質、厚さ、形に拘り、何年も掛かってこのギターピックを完成させたそうです。)
 これは田川さんが影響を受けた、恩師とも言える成毛滋さんが生前、言い続けた事の再現であり、私もグッときてしまった。
 成毛さんが亡くなって10年余り。成毛さんが晩年、可愛がった田川さんの中に、成毛さんの精神が生き続けている事が非常に感慨深かったのである。
 心がほっこりとしたのも束の間、ライヴは終幕へと向かった。
 ラストを飾る曲は「ドライヴしている感じでお送りします」と語った「キミを乗せて」
 そのタイトル通り、疾走感と、テクニックと、楽しさと.. 正に今宵のライヴ集大成であった。
 誰もが、笑顔で終わるこの選曲の妙に、さざなみのように感動は拡がり、いつまでも拍手は止むことがなかった。






 終演後、田川さんと話す機会を持ち、ライナーノーツの件で紹介された事に、恥ずかしさと嬉しさを率直に伝えた。

 ライヴのMCで「カラムーチョZ」が、会社の方針転換で商品自体が主力商品をなり得なかった為、今風に言えば、”バズる”事はなかったが、それでもこのテーマソングだけは残ったと言っていたが、それは自分が書いたこのライナーノーツも残るんですよ。と言われた時は嬉しかった。
 今、思えば、9年前に、勢いに任せて「書かせてください」と申し出ただけであったが、今も田川さんの記念すべき1stアルバムとして、多くの人の手に届き、楽曲と共に自分の文章も目に触れていると思うと感激と、快諾して下さった田川さんに感謝しかない。
 当時、最後の署名はペンネームにしようかと思っていたが、田川さんに本名をと請われて、その通りにしたが、結果的にそれで良かったと思っている。おそらく、自分が何処かに名前を刻むという機会はもうないだろうから.....。


 田川さんとの出会い、「FLY AWAY」アルバムの事、色々と思い出す事も多かった今回の『Guitar Station Tour2018 Count Down to 10 Years from FLY AWAY』ライヴ。
 今夜は そのアルバムの10周年記念の助走的なライヴであったが、それでも これだけの熱い盛り上がりを見せた。
 それだけに、来年の10周年記念では一体、どうなってしまうのだろうか?
 ロスアンジェルス・レコーディング、その前にはプレス発表も控えているだけに今は、大きな期待に包まれている。








pic








SET LIST
−第 1 部−
Introduction 〜 Breaking Time
1Seascape
2Passion On The Strings
3My Eternal Dream
MC
4Fly Away
5Journey In My Heart
6While My Guitar Gently Weeps (Beatles)
MC
7カラムーチョZ 〜秘密組織コイケヤのテーマ〜
INTERMISSION
−第 2 部−
MC
8【 Heavy Metal Syndicate 宛先イメージソング 】
@ シンジケート・アドレス
A シンジケート・メール・アドレス
B シンジケート・メール・アドレス:AOR Version
C シンジケート・メール・アドレス:60's Version
MC
9冬童謡メタル(「焚き火」「ジングル・ベル」「お正月」)               
MC
10Stranger Destroys Arms
11Guitar Solo
MC
12平和の風
13Ave Maria
MC
14Ride The Wind (「マツダファンフェスタ」テーマソング)
・・・Encore・・・
MC
15キミを乗せて
MC & 記念写真





当レポートを田川さんから紹介して頂きました。
ありがとうございました。








button