民主集中制の組織原則
少数意見の処理におけるもう一つの問題
日本共産党の丸山眞男批判
水田洋
〔目次〕
1、民主集中制の組織原則・・・少数意見の処理におけるもう一つの問題
1)、敗戦50年
(注)、この〔目次〕1、は、「象26号、1996年秋」に掲載された水田洋名古屋大学名誉教授の論文『アセスメントの論理』の抜粋である。「民主集中制の組織原則・・・少数意見の処理におけるもう一つの問題」の題名は、私(宮地)が付けた。「象」は、編集責任者、水田洋氏で、発行事務、岡田幸一氏による東海地方の文芸総合誌である。〔目次〕にある1、2の抜粋を、私のホームページに転載することについては、水田氏のご了解をいただいてある。
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1、民主集中制の組織原則・・・少数意見の処理におけるもう一つの問題
ところで、少数意見の処理については、もう一つの問題がある。それは民主集中制とよばれる組織原則で、レーニンによって提唱され、日本共産党もひきついでいるものである。レーニンはこれについて、くりかえしのべているが、ここでは検討する余裕がない(索引を使ってもかなりの仕事だし、索引がどのくらい信用できるかということも、この問題にかぎらず、考慮しなければならない)。日本では田口不破論争(田口富久治対不破哲三、『前衛』一九七九・一、一九七九・九、一九八〇・三)の争点がこれであったが、議論が現実からはなれて、宙にういている。
ここではただ、レーニンがはじめて民主集中制を提起したといわれる論文(一八九九年執筆、一九二五年公表)で、このことばを使わずに「規則正しく発行され、配達される党機関誌」の必要を強調していることを指摘しておこう。このことばがないのに索引の項目にあげられるというのも、索引のルールからいえば妙なことだが、邦訳レーニン全集の索引は、「マルクス=エンゲルス=レーニン=スターリン研究所編『レーニン全集第四版便覧』第一部(事項索引)・・を翻訳・配列しなおしたもの」なので、機械的な索引であるよりも、理論的整理の結果なのである。そこでもし、この引用文がレーニンの民主集中制の表現であるとすれば、それはまず言論の自由が党内で保証されていることを意味する。なぜなら、かれのいう「党機関誌」は、先進諸国の労働運動が享受している言論・政治活動の自由を、後進国ロシアの条件のもとで、保証するものであるはずだったからである。
すなわち、「民主」を保証する機構をつくり、それが作動していることを確認しないで、集中を説いても意味がないのだ。田口・不破論争が宙にういたといったのは、この点をさしている。もちろん、いくら民主が保証されるといっても、意思決定はしなければならないだろうから、少数意見のとりあつかいは、決定の過程、決定の方法(多数決か妥協か)、決定のあと(多数決の場合、反対の継続か無条件服従か態度保留か)の三段階にわかれる。集中制ととくにいわなければならないのは、多数決・無条件服従のばあいだけであって、これは緊急やむをえないときの処置で、民主主義の例外ケースである。例外を原則とするとは、どういうつもりだろうか。
志位書記局長は、テレビ討論で民主集中制についてふたつのちがった説明をしている(『赤旗』一九九六・八・五)。ひとつは、「民主集中制の原則というのは、みんなで民主的に討論して決めて、決めたことはみんなで実行しようということ」という説明で、もうひとつは、「日本共産党というのは日本共産党の立場を認めて入ってくる自覚的結社です。自覚的結社と社会というのはぜんぜん次元が違うんですから、私たちが政権に参加したからといって、日本の社会に民主集中制をおしつけるということは考えていません」という説明である。
どうもへんだ。あとの説明によれば、民主集中制は、共産党独自の組織原則であって、党外には適用されないということだが、まえの説明によれば、「近代政党として……あたり前」だというのである。「近代政党」たるものは、すべて共産党とおなじ組織原則によるべきだというのではないだろうから、むしろ近代社会の組織体ではあたりまえだといいたいのだろう。しかしそうなると、なぜ「集中制」といわなければならないのかが、わからなくなる。「みんなで民主的に討論」することは、その方法を別にすれば、問題はない。問題はどうやって決めるか、どうしても少数派が存在するような決め方であれば少数派をどうするか、ということである。「決めたことをみんなで実行しよう」というときの「みんな」が全員一致の「みんな」ではなくて、少数反対派をふくむとすれば、やはり少数意見の尊重とはいえまい。
あたりまえのような、特殊なような、この概念規定の二重性の謎をとくかぎは、「自覚的結社と社会というのはぜんぜん次元がちがう」という考えかたのなかにある。つまり、「日本共産党の立場」という確固不動の真理があり、民主的討論の結果の多数決は、それを発見するのだということである。だがそうだとすれば、少数意見が出るわけがないだろう。出るとすれば、真理を認識できなかったり、歪曲したりする異端の徒なのである。
「日本共産党の立場」というものは、とうぜん、あるだろうし、それをとやかくいうつもりは、まったくない。だがそれは、きわめて抽象的なもので、討論・決定の問題はそこにはない。だから「自覚的結社」だからといって、民主主義がちがった性格をもつわけはない。
こう書いてきておもうのは、かって唯一の真理を独占財としてにぎっていたローマ法王の権威が、しだいにくずれて、近代的な信仰・言論・思想の自由が成長していく数百年の過程を、論理的に要約してみると、こういうことになるのではないかということである。ローマ法王的思考の残存を示す例をあげれば、NHKで和田春樹が「社会民主主義は地球を救う」というテーマで講演したのに対して、『赤旗』(九一・一二・一九)が、放送法第三条の二に違反する偏向報道だと批判したことがある。『赤旗』が和田を批判するのはもちろん自由だが、NHK批判となると、自分と反対の意見は偏向だから、発表の機会を与えるなという、言論の自由そのものの否定に通じてしまう。 九六・一〇・四
(注)、これは、下記の2つの文章内のこの表題に関する部分の抜粋である。
1)、敗戦50年 ……(「象22号、特集敗戦後50年、1995年夏」に掲載)
それでもやはり敗戦後、しばらくのあいだは、希望があった。捕虜収容所で野草の塩汁をたべていたときでさえ、そうである。敗北感がなにもなかった。兵士たちが戦死も餓死もしないで故郷にかえれるとよろこんでいたのにくらべても、ぼくの気持ちのほうが明るかったといえるかもしれない。こちらはいわば、まだ見たこともない思想の故郷に帰るのだ。ところが問題は復員後にあらわれた。それは左に日本共産党の自己絶対化と近親憎悪、右に天皇制の強固な残存である。ぼくが母校の特別研究生になって最初に『一橋新聞』に書いた小論の一つは、「革命のなかの学生群」という題で、主として近親憎悪を批判したものであった。これに対して学生細胞からの反論があり(じっさいの筆者は長谷川正安だという説があった)、村上一郎もそれに同調したように思う。この論争は、『一橋新聞』が教官室に提供した話題としては、空前のものだといわれた。自己絶対化のほうは、鶴見俊輔が宮本顕治との対談で、宮本の考えかたを、ローマ法王無謬説のようにカソリック的だといったことにも見られる。
ふたつともいぜんとして、日本共産党の体質の基本的特徴であり、前者はたとえば、いわゆる反党分子の批判に、後者はたとえば、共産党の戦争責任論についての丸山眞男批判にあらわれている。「反党分子批判」は正面の敵でないところに批判の矢をはなつことによって、反党分子を増加させているといえよう。 ……(略)……
日本共産党は、最近、丸山眞男 が四十年近くも前に書いた共産党戦争責任論に、むきになって反論しているが、「敗軍の将」にも、戦争犯罪の主犯たちとはちがった意味で責任があることはあたりまえだし、丸山の理論を「傍観者の論理」などといって片付けていたのでは、得票率三パーセントの政党の支持はひろげようがないだろう。のこりの九七パーセントは傍観者なのである。こうした排他性をささえる思考停止人間(自分で考え自分の責任で発言する能力のない人間)を生産したことは、戦争責任に続く戦後責任といえるかもしれない。 ……(略)……
丸山さんについては、『朝日新聞』がくどいほど追悼企画を続けた。二度しか会ったことはないが、ぼくの『近代人の形成』は丸山さんの推せん(直接には当時の編集者山田宗睦)で東大出版会から出たし、『リヴァイアサン』岩波文庫版もそうであった。丸山さんの日本共産党戦争責任論は、あたりまえのことをいっただけ(象二二号九ページ参照)なのに、共産党を刺激していくつかの反論を生んだ。たとえば『赤旗』(一九九四.七.二三)の不破委員長の報告では、「学問の名に値しない反動的俗論」とされ、続いて『前衛』(一九九四.五−六)に長い論文があらわれた(二つの論文は単行本になったはず)。
不破報告は、「レジスタンスの戦争責任」に論点をすりかえているが、『前衛』論文の一つ(山口富男「丸山眞男氏の歪んだ日本共産党批判とその破綻 」)にもすりかえがある。それは丸山さんの『日本の思想』の転向論で、転向が「『思い出』を通じて抱擁と融合と一如の『本然』世界へ一挙に復帰する意味をもった」といっているのを、著者自身の意見と解して、的なき矢をはなっていることである。この部分は、転向者の手記の紹介であって、「思い出」も「本然」もそれからの引用なのだ。したがってこれは「不当に変節を美化し、下層にある本人の本来の姿への復帰であるなどという見地を表明している」のではない。……(略)……
3、水田洋論文・インタビューのHP掲載ファイル5編リンク
『原告意見陳述』イラク派兵反対訴訟
『住民運動は民主主義の実践』インタビュー
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