立花隆『日本共産党の研究』関係
〔目次〕
1、立花隆『日本共産党の研究(三)』巻末年表の一部(宮地編集)
2、加藤哲郎一橋大学教授
『「32年テーゼ」と山本正美の周辺』 (山本正美裁判記録論文集、新泉社)「解説」
3、れんだいこ『宮本顕治論』「スパイ査問事件」
〔関連ファイル〕 健一MENUに戻る
『スパイ査問問題意見書』(袴田・宮本陳述相違点の解決内容・方法)
『スパイ査問事件と袴田除名事件』…袴田政治的殺人事件の推理劇的考察
『スパイ査問事件の個人的体験』(宮地個人通信第十号)
『作家森村誠一氏と「スパイ査問事件」』(添付)森村氏手紙、下里正樹氏手紙
『袴田自己批判・批判の共産党側資料』「3論文」と「党史」
1、立花隆『日本共産党の研究(三)』巻末年表の一部 (宮地編集)
(表) 中央委員会の変遷と戦前党史
(注)、これは、立花隆『日本共産党の研究(三)』(講談社文庫)巻末年表の一部に基づいて、私(宮地)がHP用に編集、作成したものである。党史の日付、中央委員名と検挙までの期間は、その年表のままにした。×印は、その中央委員会時代に検挙された中央委員を示している。赤太字の中央委員はスパイで、小畑はスパイ容疑査問中で茶太字にした。戦前党史の事項についても、巻末年表のままで、削除・追加・訂正をしていない。
中央 委員会 |
年度 |
中央委員と 検挙までの期間 |
戦前党史 |
山本時代 |
1933.1 〜5.3 4ヶ月間 |
山本 4ヶ月× 野呂 11ヶ月 大泉 12ヶ月 谷口 4ヶ月× 三船 4ヶ月×
|
1. 山本正美、中央委員会再建 2〜6. 全協中央幹部一斉検挙 2.20 小林多喜二虐殺 5.2 谷口直平、山下平治検挙 5・3 山本正美検挙 |
野呂時代 |
‘33.5.3 〜11.28 約7ヶ月間 |
野呂 11ヶ月× 大泉 12ヶ月 小畑 8ヶ月 宮本 8ヶ月 逸見 10ヶ月 |
6.9 佐野学、鍋山貞親、獄中で転向声明発表
6.15 三船留吉除名 7.6 三田村四郎、高橋貞樹、中尾勝男転向声明(以後転向の雪崩現象) 7.6 河上肇、引退転向声明 10. 「赤旗」関係印刷所十六カ所一斉手入れ 11.5 片山潜、モスクワで客死 11.23 遠山事件 11.28 野呂栄太郎検挙 |
最後の中央委員会 |
(1)宮本検挙 まで ‘33.11.28 〜12.26 約1ヶ月間 |
大泉 12ヶ月 小畑 8ヶ月 宮本 8ヶ月× 逸見 10ヶ月 |
12.11 活版刷「赤旗」終る(第一六五号) 12.16 大串雅美リンチ事件 12.23 小畑・大泉リンチ事件
12.26 宮本顕治検挙 |
(2)逸見、木島、秋笹 検挙まで ‘33.12.26 〜‘34.4 4ヶ月間 |
逸見 10ヶ月× 袴田 14ヶ月 秋笹 4ヶ月× 木島中央委員候補 2ヶ月× |
1.7〜 波多然リンチ事件(37日間) 1.11〜 大沢武男リンチ事件(37日間) 1.15 大泉兼蔵、査問アジトより逃亡(小畑リンチ事件発覚) 1. プロレタリア美術家同盟解体 2.17 木島隆明検挙 2.19 野呂栄太郎獄中で病死 2. プロレタリア作家同盟(ナルプ)解体 4. 秋笹正之輔検挙 |
|
(3)袴田検挙 まで 34.4〜 ‘35.3.4 11ヶ月間 |
袴田 14ヶ月× |
5.20 中央奪還全国代表者会議(多数派)結成(宮内勇、山本秋ら) 10〜11 多数派全国一斉検挙 ‘35.3.4 袴田里見検挙(中央委員会壊滅) 7.25 コミンテルン第七回大回。野坂参三出席。反ファッショ人民戦線方針決定 8. 野坂参三、多数派運動を分派と批判 9.20 多数派、解体決議 |
2、加藤哲郎一橋大学教授
『「32年テーゼ」と山本正美の周辺』 (山本正美裁判記録論文集、新泉社)「解説」
3、れんだいこ 『宮本顕治論』「スパイ査問事件」
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『スパイ査問問題意見書』(袴田・宮本陳述相違点の解決内容・方法)
『スパイ査問事件と袴田除名事件』…袴田政治的殺人事件の推理劇的考察
『スパイ査問事件の個人的体験』(宮地個人通信第十号)
『作家森村誠一氏と「スパイ査問事件」』(添付)森村氏手紙、下里正樹氏手紙
『袴田自己批判・批判の共産党側資料』「3論文」と「党史」