共産党の都議選3回結果と2017年都議選結果・評価
反安倍有権者37万人増→受け皿・都民ファ185万人増
離民進19万人減・2議席減→受け皿・共産19万人増・2議席増
(宮地作成)
〔目次〕
2、志位の自己評価・議席13→26→15→13→8→17→19
〔根拠1〕、3回の軒下・一時的雨宿りの共通性+(追加)
〔根拠2〕、37年間、かつ、09年都議選後8年間の大量連続減紙傾向
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朝日・2017東京都議選結果 東京都選管2017候補者別得票数(全候補) (PDF形式:436KB)
『2013年都議選結果・評価』 2013都議選:朝日新聞デジタル
東京都議会議員選挙(平成25年6月23日)開票結果 | 東京都選挙管理委員会
〔小目次〕
1、共産党の東京都議選3回結果と17年得票数・当選位置
東京都議選の議席結果は、19→14→13→26→15→13→8となっていた。議席変動が激しいが、1997年議席26がピークである。この理由は、1996年社会党崩壊により、共産党が最大の受け皿になったことである。
wikipedia『社会党』1996年社会党崩壊=社会民主党に改名→党勢力激減
以後、共産党は、3連続惨敗をしている。1997年以降の12年間、衆院選は3連続惨敗、参院選も3連続惨敗だった。国政選挙は、得票率も合わせ、6連続全面惨敗中である。1997年都議選26議席躍進の原因は、一時的受け皿=共産党への軒下一時的雨宿り現象だったことを証明している。
09年選挙における得票数27402票増加は、投票率43.99%→54.49%と、投票率10.5%アップによる有効投票総数の大幅増加を原因とするものである。実質的には、差引で、13万2110票をも減らした選挙結果だった。
13年の投票率は、10.99%激減した。投票率激減と受け皿政党自滅・分裂などを原因とし、(1)議席8→17へと議席倍増、(2)得票数90881票激減、(3)得票率12.56%→13.61%へと+1.05%増えた。ただし、(4)得票数激減により、有権者比=絶対得票率6.8%→5.9%に激減した。
東京都議会議員選挙(平成25年6月23日)開票結果 | 東京都選挙管理委員会
(表1)、都議選5年・09・13・17年結果と21年結果データ比較
05年当落、得票数 |
09年当落、得票数 |
13年当落、得票数 |
17年当落、得票数 |
21年当落、得票数 |
|||||||||||||
定数 |
選挙区 |
当落 |
得票数 |
当落 |
得票数 |
順位 |
当選位置 |
当落 |
得票数 |
当選位置 |
当落 |
得票数 |
当選位置 |
当落 |
得票数 |
当選位置 |
|
8 |
大田1 |
19929 |
23603 |
7位 |
最下位1上 |
当 |
30486 |
2 |
当 |
24957 |
|
|
|
|
|||
大田2 |
落 |
15838 |
落 |
16430 |
|
|
× |
/ |
/ |
落 |
18193 |
|
|
|
|
||
世田谷 |
25499 |
28386 |
7位 |
最下位1上 |
当 |
22541 |
最下位1上 |
当 |
34621 |
|
|
|
|
||||
6 |
杉並 |
18924 |
22100 |
5位 |
最下位1上 |
当 |
24565 |
3 |
当 |
31292 |
|
|
|
|
|||
練馬 |
30927 |
落 |
28575 |
|
|
当 |
31218 |
4 |
当 |
34238 |
|
|
|
|
|||
足立 |
34539 |
34130 |
6位 |
最下位 |
当 |
37683 |
2 |
当 |
37285 |
|
|
|
|
||||
5 |
板橋 |
31340 |
35455 |
4位 |
最下位1上 |
当 |
28010 |
最下位1上 |
当 |
31396 |
最下位1上 |
|
|
|
|||
江戸川 |
26453 |
落 |
30448 |
|
当 |
25783 |
最下位 |
当 |
36652 |
最下位 |
|
|
|
||||
八王子 |
31316 |
30927 |
4位 |
最下位1上 |
当 |
28473 |
3 |
当 |
31935 |
最下位1上 |
|
|
|
||||
4 |
新宿 |
20888 |
20870 |
3位 |
最下位1上 |
当 |
18496 |
最下位1上 |
当 |
25256 |
|
|
|
|
|||
江東 |
落 |
25671 |
28838 |
3位 |
最下位1上 |
当 |
25918 |
最下位 |
当 |
29804 |
最下位 |
|
|
|
|||
品川 |
落 |
18593 |
落 |
21742 |
|
|
当 |
15338 |
最下位 |
当 |
23176 |
最下位 |
|
|
|
||
中野 |
19607 |
落 |
19279 |
|
|
当 |
16909 |
最下位 |
落 |
20106 |
|
|
|
|
|||
北 |
24745 |
落 |
26962 |
|
|
当 |
25108 |
最下位1上 |
当 |
30374 |
最下位 |
|
|
|
|||
葛飾 |
落 |
24620 |
落 |
23574 |
|
|
当 |
18912 |
|
当 |
27060 |
最下位1上 |
|
|
|
||
町田 |
|
|
|
|
|
当 |
25528 |
最下位1上 |
|
|
|
||||||
3 |
豊島 |
|
|
落 |
17863 |
|
|
当 |
13320 |
最下位 |
当 |
20139 |
最下位 |
|
|
|
|
|
目黒 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
当 |
18572 |
最下位 |
|
|
|
|
|
北多摩1 |
|
|
落 |
22333 |
|
|
当 |
18403 |
最下位 |
当 |
23570 |
最下位 |
|
|
|
|
|
北多摩3 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
当 |
26974 |
最下位 |
|
|
|
|
2 |
文京 |
|
|
落 |
23125 |
|
|
当 |
19693 |
最下位 |
落 |
26782 |
|
|
|
|
|
|
北多摩4 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
当 |
19674 |
最下位 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
計 |
|
|
|
|
|
|
|
|
759883 |
|
|
733722 |
|
|
|
|
|
4人区町田市池川友一、3人区目黒区星見定子・北多摩3区井樋匡利、
2人区北多摩4区原紀子当選4人 現職区文京区、中野区落選2人
朝日・2017東京都議選結果 東京都選管2017候補者別得票数(全候補) (PDF形式:436KB)
2、志位の自己評価・議席13→26→15→13→8→17→19
都議選で日本共産党は、17議席から19議席へと伸ばすことができました。4年前の選挙で、8議席から17議席になって、今度が19議席ですから、2回連続で議席を伸ばしていただきましたが、実はこれは32年ぶりの出来事であります(拍手)。得票も77万票と、前回票を19万票増やすことができました。
四つの選挙区で新しい議席を獲得いたしました。2人区では北多摩4区の原紀子さん。3人区では目黒区の星見定子さん、北多摩3区の井樋匡利さん。4人区では町田市の池川友一さん。念願の町田からの初議席です。
現職区だった文京区、中野区は惜敗となりましたが、それぞれ得票を大きく伸ばす大善戦、大健闘だったということもご報告したいと思います。
今回、日本共産党が獲得した77万3722票は、共産党にとって都議選の歴史で3番目に多い数です。最も得票が多かったのは1973年(96万8210票)、二番目に多かったのは1997年(80万3379票)でした。
日本共産党が獲得した議席数(19)も、3番目に多い議席数です。1997年(26)、1973年(24)に次ぐもので、1985年の獲得議席と並びました。
|
〔小目次〕
〔根拠1〕、3回の軒下・一時的雨宿りの共通性
〔根拠2〕、37年間、かつ、09年都議選後8年間の大量連続減紙傾向
〔根拠1〕、3回の軒下・一時的雨宿りの共通性
〔1回目1997年〕の都議選
13→26議席への想定外大躍進の原因は、社会党崩壊=社民党への改名だった。その議席倍増は、13→26→15→13→2009年8議席と連続惨敗結果に終わった。この経緯は、議席倍増結果が有権者の軒下・一時的雨宿りという投票行動だったことを浮き彫りにした。
wikipedia『社会党』1996年社会党崩壊=社会民主党に改名→党勢力激減
〔2回目2013年の都議選〕
13年の投票率は、10.99%激減した。投票率激減と受け皿政党自滅・分裂などを原因とし、共産党は、(1)議席8→17へと議席倍増した。(3)得票率12.56%→13.61%へと+1.05%増えた。
しかし、投票率激減により、(2)得票数は90881票激減した。また、(4)得票数激減により、有権者比=絶対得票率6.8%→5.9%に激減した。
これらは、まさに、ねじれデータである。これも、有権者の軒下・一時的雨宿りを証明する根拠となる。
8→17議席への想定外大躍進の原因は、アベノミクス批判有権者激増+受け皿政党自滅・分裂=批判票選択肢2つ=(1)政治不信と棄権投票率10.99%激減+(2)共産党への軒下・一時的雨宿りと規定できよう。何を根拠として、一時的雨宿りと言えるのか。それは、17議席への想定外大躍進が、志位が何回でも叫ぶ「自力」によるものでないからである。
志位が唱える「自力」の基本データは、党勢力=とりわけ赤旗日刊紙部数・日曜版部数の増減傾向である。それは、1980年以降、32年間にわたって、大量連続減紙を続けている。「自力」がやせ細ってきた。2回の議席倍増とも、党勢拡大成果によるものでなく、「他力」に基づく。
「他力」とは、〔第1回目1997年〕社会党崩壊による社会党投票有権者の共産党への軒下・一時的雨宿り、〔第2回目2013年〕アベノミクス批判有権者激増+受け皿政党自滅・分裂に基づく共産党への軒下・一時的雨宿り現象を指す。
〔3回目2017年の都議選〕
発達した資本主義国では、既成政党にたいする不信・拒否感が高まっている。フランスの大統領選挙結果・総選挙結果、イギリスの総選挙結果が証明した。日本でも同じである。反安倍・離民進・嫌共産の有権者たちである。選挙において、受け皿政党が出るかどうか。都議選までは、皆無だった。2つが受け皿になった。
嫌共産有権者とは何か。日本共産党は、「依然として、嫌いな政党第1位」である。たしかに、共産党は、安倍・自民批判が鋭い。しかし、共産党による戦前戦後に犯した党内外犯罪史にたいし、一貫して沈黙隠蔽している。党内外犯罪の体験有権者が抱く嫌共産度は根深い。沈黙隠蔽だけでなく、自己賛美のウソにまみれている。犯罪史を書き換え、自己改革を全面的に拒否する姿勢・体質の反民主主義政党である。それらの党内外犯罪史データは膨大にある。HPのファイルに載せた。
2、共産党原子力政策の批判 共産党系団体の崩壊 憲法改正と共産党問題 平和共同候補実現運動と共産党敵対
3、北朝鮮=朝鮮総連を支援・無批判の反国民的犯罪組織=日本共産党の本質
1、北朝鮮 2、金正男殺害 2、北朝鮮=朝鮮総連を支援・無批判の反国民的犯罪組織=日本共産党の本質
4、共産党の二面体質=対外民主的政党装い・内部「官僚主義的中央集権制」・党内民主主義抑圧・反民主主義政党
1、組織・体質 党財政 志位和夫 不破哲三 宮本顕治 2、粛清・査問 共産党の丸山批判 4、民主主義的中央集権制
5、世界のコミンテルン型共産党 6、逆説の90周年党史 7、逆説の戦後党史 8、逆説の戦前党史 9、スパイ査問事件
『オーウェルにおける革命権力と共産党』(追加リンク)トランプと「オーウェル1984」
日本共産党の位置は、ヨーロッパ共産党が全滅した中で、東方の島国において唯一残存するコミンテルン型共産党である。その本質は何か。それは、対外的に民主的政党を装い、『オーウェル的世界すべて 画像』を隠蔽堅持し、体現する反国民的政治犯罪組織である。
一橋大学名誉教授加藤哲郎は、「戦前戦後を通じ、日本共産党を通過した者は百万人以上いる」と推計している。彼も「通過者の一人」である。彼は、加藤哲郎「ネチズンカレッジ」→2、政治学研究 3、現代史研究において、膨大な研究論文をHPに載せている。嫌共産有権者の共産党体験は、多様で、嫌共産度も幅広い。
私(宮地)の日本共産党批判・否定度は、通過した特殊性から、きわめて高い。共産党による「監禁査問期間」は21日間だった。公表された戦後ケースでは、川上徹の「監禁査問期間」13日間と比べ最長である。
私(宮地)の「日本共産党との裁判」において、共産党専従2人と共産党弁護士2人は、裁判長にたいし、「共産党専従が、共産党中央を裁判に訴えるのは、前代未聞で、世界のコミンテルン型共産党のどこにもない。彼の訴えを即時に却下せよ」と何度も絶叫した。
(1)反安倍有権者37万人増→受け皿・都民ファ185万人増。(2)離民進19万人減・2議席減→受け皿・共産19万人増・2議席増。得票数・得票率ともふえたのは、嫌共産党だけだった。しかも、嫌共産党の増減は、離民進19万人減・2議席減=受け皿・共産19万人増・2議席増となり、得票数増減と議席増減が離民進の数値と同一だった。これこそ、離民進有権者の嫌共産党への軒下・一時的雨宿り現象を指す。
〔根拠2〕、37年間、かつ、09年都議選後の8年間における大量連続減紙傾向 (表2)
宮本・不破・志位らは、1980年ピーク以降、赤旗部数増減の長期データを発表したことが一度もなく、隠蔽している。せいぜい、前回国政選挙比か前回党大会比しか言わない。それらは、増でなく、すべて減っている。もちろん、その間の年間データを公表したこともなかった。
1980年以降、37年間で、HN355万部−113万部=242万部・68.1%読者が、日本共産党を支持できない、誤った路線・党内犯罪体質の閉鎖的独善的政党であるとして大量離脱してきた。
志位は、(1)赤旗部数の37年間大量連続減紙に沈黙した。また、(2)7年間で145.4万部→124.1万部=21.3万部・14.6%減→113万部=32.4万部・22.2%減にも沈黙した。(3)彼の報告は、113万部という現数だけだった。
(表2)、37年間=党大会毎の読者大量離脱政党
年 |
80 |
82 |
85 |
87 |
90 |
94 |
97 |
00 |
04・1 |
06・1 |
10・1 |
14・1 |
17・1 |
大会 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
27 |
HN |
355 |
339 |
317.7 |
317.5 |
286 |
250 |
230 |
199 |
173 |
164 |
145.4 |
124.1 |
113 |
内H |
54 |
50 |
40 |
35 |
30 |
28 |
25 |
21.8 |
19.2 |
||||
内N |
232 |
200 |
190 |
164 |
143 |
136 |
120.4 |
102.3 |
93.8 |
||||
増減 |
16 |
21.3 |
0.2 |
31.5 |
36 |
20 |
31 |
26 |
9 |
18.6 |
21.3 |
11.9 |
1980年とは、東欧・ソ連の経済停滞・人権侵害犯罪情報で、ヨーロッパ共産党全体が
党員数・読者数・国政選挙結果で全面後退開始→日本共産党も同じく、赤旗ピーク終了
1990年とは、89年〜91年東欧・ソ連10カ国と前衛党のいっせい崩壊中→減紙数激増
25回〜第27回大会は、HN部数の区別報告なし
→24回比率H17%・N83%で推計、最後の比率データ
党大会比較で、1980年第15回大会〜2017年第27回大会までの13回の37年間、赤旗部数は毎回激減している。宮本・不破・志位は、賽の河原の石積み運動に執着し、衰弱死突入政党に変質させた。
このグラフは、外部HPのリンクである。グラフを見る限り、党員数のピークは昭和62年(1987)であることがわかる。ちなみに機関紙数のピークは昭和55年(1980)。2012年時点、党費納入党員数実態は、21.5万人に激減している。赤旗部数は、2017年1月第27回大会志位報告のように、113万部に激減した。
〔第1回目1997年〕議席倍増が、「自力」による結果でない真相は、1997年前後の赤旗HNの大量連続減紙データが示している。(1)94年〜97年、HN20万部減紙→(2)97年〜2000年、HN31万部減紙だった。97年前後6年間で、HN51万部減紙を続けている。議席倍増とはまったく別個に、正反対に51万部減紙をした事実は、議席倍増が「他力」による共産党への軒下・一時的雨宿り現象と規定するしかない。
以上 健一MENUに戻る
〔関連ファイル〕
朝日・2017東京都議選結果 東京都選管2017候補者別得票数(全候補) (PDF形式:436KB)
『2013年都議選結果・評価』 2013都議選:朝日新聞デジタル
東京都議会議員選挙(平成25年6月23日)開票結果 | 東京都選挙管理委員会