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Calendrier Amazigh تقويم أمازيغي ⵜⴰⵡⴰⵢⵢⵓⵔⵜ ⵏ ⵉⵎⴰⵣⵉⵖⴻⵏ |
| ベルベル暦 (アマジグ暦) Berber Calendar / Amazigh Calendar |
アマジグ Amazigh ⴰⵎⴰⵣⵉⵖ (タマジクト、Tamazight、Tamaziɣt ) |
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File:Hamito-Semitic_languages.jpg Wikimedia Commons- / | ||||||||||
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| アフロ・アジア語族(以前はセム=ハム語族と呼ばれていた)の各語派に属する言語の話されている地域を示す地図。 | ||||||||||
| オレンジ色の部分が、セム語族の言語が話されている地域。赤色がベルベル (アマジグ)諸語地域。 | ||||||||||
| Semites(セム語族)、Chadic(チャド語派)、Cushitic(クシ語派)、berber(ベルベル語派)、Omotic(オモ語派) | ||||||||||
| ベルベル諸語を母語とする人々(ベルベル人)は、アラブ人が多数を占める北アフリカ諸国で、一定の人口をもち、文化的な独自性を維持する先住民族である。 | ||||||||||
| ベルベル人という名称はローマ人による蔑称である。自称はアマーズィーグ(アマジグ人、複数形はイマジゲン)。総人口は1000万人から1500万人ほどである。 | ||||||||||
| ヨーロッパのアマジグ人移民人口は300万人、フランス、オランダ、ベルギー、ドイツなどに居住している。 | ||||||||||
| ベルベル人が、歴史の記録に初めて登場したのはフェニキア人とローマ人による記述であったが、紀元前3世紀には独自の文字で碑文を残し始めた。 | ||||||||||
| 碑文の中にはベルベル語とカルタゴ語、あるいはベルベル語とラテン語の二言語で書かれたものもあり、ベルベル文字の解読に利用できた。 | ||||||||||
| しかし、古代ベルベル文字の解明には依然として不明な点が残っている。特徴の一つは、フェニキア文字の右から左への書き方を継承している一方、 | ||||||||||
| 一般的には下から上への独特の書き方で書かれている。また文字は書き方の方向によって形が変わる。 ベルベル文字の碑文は、3世紀以降、姿を消した。 | ||||||||||
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| 新アマジグ暦の起源は紀元前950年と定められた。アマジグ暦は、ローマ帝国時代にローマ属州アフリカ(マウレタニア・カエサリエンシス属州とアフリカ属州)で | ||||||||||
| 導入されたユリウス暦に由来する。 ベルベル(アマジグ)暦の第一月(イェネイヤー)の1日はユリウス暦の1月1日に相当する。 | ||||||||||
| ユリウス暦はグレゴリオ暦より13日ずれているため、毎年1月14日となる。かつてこの正月はどこでも1月14日とされていたが、現在ではアルジェリアの広い | ||||||||||
| 地域で、アマジグ人の新年の日付は1月14日ではなく、1月12日であるという通説が定着している。モロッコでは2024年に、1月14日に戻した。 | ||||||||||
| この古アマジグ暦を完全に復元するには十分な資料が残っていない。現在の時間区分とは異なる時間区分であったことが推測されている。 | ||||||||||
| 古アマジグ暦には、基準となる紀元が設定されていなかった。1960年代以降、パリのアマジグ人アカデミーの主導により、エジプトで最初のリビア人 | ||||||||||
| ファラオであるショシェンク1世が権力を握ったとされる紀元前950年から年数を計算するようになった。 | ||||||||||
| これは、グレゴリオ暦2026年が、アマジグ暦の2976年に相当する。 / Berber calendar -wiki / | ||||||||||
| 711年にイベリア半島(アンダルス)グアダレーテ河畔の戦いで西ゴート王国を滅ぼしたイスラム軍はアマジグ人であった。 | ||||||||||
| この時代にアラビア語を受け入れたアマジグ人部族の子孫である。20世紀後半になって、アマジグ語と固有文化を守っていこうとする運動が起こった。 | ||||||||||
| 新ティフィナグ文字 の普及、アマジグ暦の再建、アマジグ正月の国家祭日への昇格要求運動などがある。 | ||||||||||
| グアダレーテ河畔の戦い-wiki / ウマイヤ朝 -wiki / 西ゴート王国 -wiki / Al Andalus -wiki / グラナダ王国 -wiki / アルハンブラ宮殿 -wiki / | ||||||||||
| シェションク1世 -wiki / 古代リビュア -wiki / アル・アンダルス -wiki / | ||||||||||
アマジグ暦2949年イェンナイェル1日 ユリウス暦1999年1月1日 西暦1999年1月14日 イスラム暦1419年ラマダン26日 | ||||||||||
jeudi:木曜日 (仏語) janvier:1月 (仏語) | ||||||||||
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File:Yennayer.jpg
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イスラム暦、グレゴリオ暦、アマジグ暦の数字を記したチュニジアのカレンダー | ||||||||||
| グレゴリオ暦の1月14日がイェンナイェル・アジュミ1日。この日が、元日であり、アル・リヤリ・アル・スード(黒夜)の始まりであることを示している。 | ||||||||||
| 最も寒い期間は、ドゥジャンベル dujamber 12日から31日まで(グレゴリオ暦の12月25日から1月13日まで)の 20日間の「白夜」と、イェネイヤーYennayer1日 | ||||||||||
| (グレゴリオ暦の1月14日)から始まる20日間の「黒夜」で構成される。 | ||||||||||
| Berber calendar -wiki / Yennayer -wiki / ベルベル人 -wiki / 暦の一覧 -wiki / | ||||||||||
| Yennayer 2026 In Morocco – Amazigh New Year Traditions And Meaning-travel-magical-morocco / | ||||||||||
| Amazigh New Year in Morocco in 2027 | Office Holidays / The history of the modern Amazigh calendar | Office Holidays / | ||||||||||
| Celebrating the Amazigh New Year in Morocco -journeybeyondtravel / People celebrate Amazigh New Year in Rabat, Morocco - Xinhua | English.news.cn / | ||||||||||
| Tifinagh -wiki / ティフィナグ文字 -wiki / Berber languages -wiki / ベルベル語派 -wiki / Académie Berbère Berber Academy -wiki / | ||||||||||
| CALENDRIER BERBERE -megheira / カビル語 -wiki / Amaⵣiɣ Calendar -amazightime / Calendrier berbère-wiki / | ||||||||||
| 新ティフィナグ文字 | ||||||||||
| 古代リビコ・ベルベル文字は、古代北方ベルベル人によって使用されていた。原ティフィナグ文字はおおよそ前3世紀から3世紀にかけて使用された。 | ||||||||||
| 新ティフィナグ文字は、ベルベルアカデミーが開発した文字で、最近まで、この文字で出版された本やウェブサイトはなかった。 | ||||||||||
| 新ティフィナグ文字は、1970年代からベルベル語活動家の間で使用され始めた。しかし言語学者たちはこの運動に賛同せず、ベルベル語の表記には | ||||||||||
| ラテン文字かアラビア文字の使用を推奨している。モロッコでは、2003年に新ティフィナグ文字の本が出版され始めた。 | ||||||||||
| 1980年代や1990年代にはモロッコはこの文字を使用した人々を逮捕投獄していた。現在、ティフィナグ文字はモロッコで標準モロッコ・アマジグ語の | ||||||||||
| 文字として採用されており、アマジグ語は2011年からアラビア語と並んでモロッコの公用語となっている。 | ||||||||||
| アルジェリアは2002年にアマジグ語を「国語」として導入したが、ほとんど全てのベルベル語出版物は、ベルベル・ラテン・アルファベットを用いている。 | ||||||||||
| リビアでは、カダフィー体制下、ティフィナグ文字の使用を禁止していたが、体制転覆の後、新政権はこれを解禁した。 | ||||||||||
| かな・ティフィナグ文字変換 -世界の文字で遊ぼう / ベルベル・ラテン文字 -wiki / Ancient Scripts: Berber-web.archive / | ||||||||||
| リビコ・ベルベル文字の起源は不明であり、初出も不明であるが、紀元前1千年紀以降と推定され、最古の遺跡は紀元前6世紀に遡る可能性が高い。 | ||||||||||
| 8世紀、アラブ人がマグリブを征服した後、トゥアレグ語地域以外では、リビコ・ベルベル文字はラテン文字と共にアラビア文字に置き換えられ消滅した。 | ||||||||||
| リビコ・ベルベル文字は通常は下から上への書き方であったが、右から左への書き方や、その他の書き方もあった。文字は縦書きと横書きで異なる形を | ||||||||||
| していた。 このリビコ・ベルベル文字には2つの系統があり西方型は、未解読である。東方型は、東方形態の24文字のうち22文字が、カルタゴとリビュクの | ||||||||||
| 二言語碑文によって解読されている。 新ティフィナグ文字は、ベルベルアカデミーがトゥアレグ・ティフィナグ文字をカビル語に採用して開発した文字であり、 | ||||||||||
| その後、北アフリカ全域での使用に合わせて改良されてきた。 Tifinagh-fr.wiki / | ||||||||||
| 1960年代後半、ベルベル・アカデミーが設立された。 アカデミーは、トゥアレグ語ティフィナグ文字を復活させ、トゥアレグ語ティフィナグ文字に基づく | ||||||||||
| 標準アルファベットの確立に着手した。 ベルベル人活動家は1970年代と1980年代、特にベルベルの春以降にこの文字を使用した。 | ||||||||||
| ティフィナグ文字が定着したのは1990年代になってからである。現在では、 ティフィナグ文字には、ボールド体、イタリック体、小文字、セリフ体、サンセリフ体、 | ||||||||||
| 太字と細字、筆記体、アラビア文字やラテン文字のカリグラフィースタイルに着想を得た芸術的・装飾的な形式もの、そして学校での手書きや、筆順の学習に | ||||||||||
| 用いるものなどがある。 Tifinagh -wiki / | ||||||||||
| ベルベルの春 ベルベル文化復興運動 | ||||||||||
| ベルベルの春とは、1980年4月20日にカビリアとアルジェで発生したベルベル人の権利獲得要求のデモを指す。 | ||||||||||
| デモ参加者の要求には、ベルベル人のアイデンティティの承認、アマジグ語の公用語化が含まれていた。これは、1962年のアルジェリア独立以来、 | ||||||||||
| 初めてのアルジェリア政府に対する民衆運動であった。 アルジェリア政府は、武力行使を決定。数千人が逮捕され、多数の死者が出た。 | ||||||||||
| 1980年3月10日、当局は作家ムルド・マメリによる古代カビル詩に関するティジ・ウズー大学での講演を中止させた。 | ||||||||||
| 3月11日、ティジ・ウズーでは学生、教員、地元住民によるデモが組織された。4月7日、デモはアルジェに広がり、500人が行進、激しい弾圧が行われた。 | ||||||||||
| 4月16日、カビリア州がゼネストに入った。 4月20日未明、警察はストライキ現場の地域に突入。カビリア全域で、数百人が逮捕された。 | ||||||||||
| 1980年10月の学年度開始以来、国の中心部にある各大学キャンパスでは、大学環境におけるベルベル文化活動の推進を目的とする文化団体が設立された。 | ||||||||||
| 1981年1月には、多くの高校がこれに同調した。ベジャイアでは、1981年5月19日、アマジグ族を中心とする大規模な暴動が発生した。 | ||||||||||
| ベルベルの春は、ベルベル人を犠牲にした強引なアラブ化への挑戦であった。 ベルベルの春は、ベルベル文化研究への関心を高めてきた。 | ||||||||||
| 2001年の「黒い春」の後、アブデルアジズ・ブーテフリカ大統領は、2002年に憲法を改正、アマジグ語を「アルジェリアの国語」とすると発表した。 | ||||||||||
| 2016年、アブデルアジズ・ブーテフリカ(アマジグ語問題高等弁務官事務所)首席補佐官はアマジグ語を公用語として認定し、憲法を改正すると発表した。 | ||||||||||
| ベルベルの春 -wiki / Calendrier berbère -wiki / -wiki / カビール人 -wiki / 標準モロッコ・タマジクト語 -wiki / | ||||||||||
| アルジェリア 2001年の「黒い春」 20 April 2001 – 14 June 2001 Black_Spring_(Algeria) -wiki / | ||||||||||
| 2018年1月、アルジェリアはイェネイヤーを国民の祝日と宣言した。これは、北アフリカでアマジグ族がいかに疎外されているかを考えると、画期的な | ||||||||||
| 事柄である。この祝祭は、イスラム教のアシューラ祭としばしば混同されるが、同じものではない。アマジグ族の正月である。 | ||||||||||
| 失われた伝統を「回復」しようとする革新 仏語版wiki | ||||||||||
| マグリブとサハラ砂漠のベルベル人農民に、最も広く使用されているのはユリウス暦です。これはヒジュラ暦、グレゴリオ暦と共存しています。 | ||||||||||
| 今日見られるのは、失われた伝統を「回復」しようとする革新の隆盛です。 この現象は、長らく否定され隠されてきたアイデンティティの | ||||||||||
| 再発見という文脈において理解できます。 特に、今日多くの暦の革新が広く受け入れられ、真の伝統遺産の一部とみなされるようになるのは、 | ||||||||||
| まさにこのためです。 月の名前の多くも失われていたため、新たに作られました。同様の論理に基づき、本来の名称が不明な曜日についても、 | ||||||||||
| 新たな名称を創造することで状況を「修復」しようとする試みがなされてきました。 | ||||||||||
| Calendrier berbère -fr.wiki / | ||||||||||
ⵜⵉⴼⵉⵏⴰⵖ (ティフィナグ)- ⵡⵉⴽⵉⴱⵉⴷⵢⴰ(ウィキペディア) ⵜⵉⴼⵉⵏⴰⵖ
-zgh.wiki / | ||||||||||
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モロッコの王立アマジグ文化財団が使用する新 ティフィナグ アルファベットの 33 文字。
File:Tifinagh_alphabet.png
-WikimediaCommons | ||||||||||
| ベルベル人のファラオ | ||||||||||
古代エジプト第22王朝の創始者、ショシェンク1世のカルトゥーシュ。 / カルトゥーシュ
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| 紀元前950年、ベルベル人のショシェンク1世がファラオに即位し、第22王朝を建国した。ショシェンク1世の治世は、紀元前945年から924年とされている。 | ||||||||||
| 旧約聖書には、紀元前10世紀にエルサレムを略奪したとされるエジプトのファラオ、シシャクとして登場する。 | ||||||||||
| 旧約聖書列王記上第14章25節および歴代誌下第12章1-12節には、シシャクによるユダ王国遠征とエルサレム略奪が記述されている | ||||||||||
| シェションク1世 -wiki / シシャク -wiki / | ||||||||||
| アマジグ暦の今日の日付 | ||||||||||
| 表示されている日付は現地時間のものです。 アルジェリアとモロッコはUTC+1(JST-8)なので、日本時間より8時間遅れとなります。 | ||||||||||
| アルジェリアでは西暦1月12日がアマジグ暦1月1日(1 Yennayer)。モロッコでは西暦1月14日がアマジグ暦1月1日(1 Yennayer)です 。 | ||||||||||
| 同じアマジグ暦でもアルジェリア版とアモロッコ版では、2日のズレがあります。 | ||||||||||
| 上段がラテン文字表記、2段めがティフィナグ文字表記です。 | ||||||||||
| 1月 ⵉⵏⵏⴰⵢⵔ Yennayer、2月 ⴱⵕⴰⵢⵕ Fuṛar、3月 ⵎⴰⵕⵚ Meɣres、4月 ⵉⴱⵔⵉⵔ Yebrir、5月 ⵎⴰⵢⵢⵓ Mayyu 、6月 ⵢⵓⵏⵢⵓ Yunyu、7月 ⵢⵓⵍⵢⵓⵣ Yulyu 、 | ||||||||||
| 8月 ⵖⵓⵛⵜ Ɣuct 、9月 ⵛⵓⵜⴰⵏⴱⵉⵔ Ctembeṛ、10月 ⴽⵟⵓⴱⵕ Tubeṛ、11月 ⵓⵡⴰⵏⴱⵉⵔ Wambeṛ、12月 ⴷⵓⵊⴰⵏⴱⵉⵔ Dujembeṛ | ||||||||||
| 北アフリカ地図 | ||||||||||
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北アフリカ地図
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| アフリカ分割 -wiki / アルジェのカスバ地区を見る -FudarakuVoice / カルチェラタン を見る -FudarakuVoice / マウマウ団の乱-FudarakuVoice / | ||||||||||
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