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1945年 ソ連が対日参戦


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【LINK】
ソ連の対日参戦
・ハーバート フーバー 著、ジョージ・ナッシュ 編「裏切られた自由 上・下」渡辺惣樹 訳、草思社、2017年
LINK 志村英盛 黒字経営実践日ソ戦争
LINK 産経ニュース1945年の旧ソ連対日参戦、正当化論調に異議「約束守るべきだった」 アレクセイ・キリチェンコKGB元大佐インタビュー(2016年8月19日付の記事)
米軍がソ連軍に艦船や訓練の支援
LINK プロジェクト・フラ - Wikipedia
LINK ★阿修羅♪掲示板<特大スクープ!>ソ連の北方四島占領作戦をアメリカが援助していたことが判明!艦船の無償貸与、ソ連兵の訓練も(2018年12月31日付)
LINK 街の風景12ソ連の北方四島占領、米が援助 極秘に艦船貸与し兵士訓練も(2018年1月7日付) 北海道新聞からの記事引用
 この記事の全文を引用します。なお、タイトル以外の太字は、当サイト管理人が施したものです。
「プロジェクト・フラ」作戦 北海道の根室振興局が調査
 【根室】1945年8、9月に行われた旧ソ連軍による北方四島占領作戦に、米国が艦船10隻を貸与していたことを、根室振興局が米国とロシアの専門家による研究成果などを突き合わせ、明らかにした。米国はソ連の対日参戦に備え、大量の艦船の提供だけでなく、ソ連兵の訓練も行っており、米国の強力な軍事援助が四島占領の背景にあったことが浮かび上がった。
間近にくっきり北方領土 日ロ首脳会談前に空撮
 振興局の調査結果によると、樺太南部の返還と千島列島の引き渡しと引き換えに、ソ連の対日参戦が決まった45年2月のヤルタ会談の直後、ともに連合国だった米ソは「プロジェクト・フラ」と呼ばれる合同の極秘作戦をスタートさせた。
 米国は45年5〜9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与。4〜8月にはソ連兵約1万2千人米アラスカ州コールドベイの基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行った。コールドベイには常時1500人の米軍スタッフが詰め、ソ連兵の指導に当たったという。
 訓練を受けたソ連兵と貸与艦船は樺太南部や千島列島の作戦に投入された。8月28日からの択捉、国後、色丹、歯舞の四島占領作戦には、米の貸与艦船10隻を含む17隻が参加。ソ連軍は各島で日本兵の武装解除を行い、四島の占領は9月5日までに完了した。
 こうした歴史的史実が判明したのは、根室振興局が2015年度から取り組む北方領土遺産発掘・継承事業がきっかけ。各国の資料を集める中で、ソ連が樺太南部と千島列島での作戦に投入した全艦船を調べ上げたイーゴリ・サマリン氏(現ロシア・サハリン州戦勝記念館科学部長)の論文「1945年8月のサハリンとクリール諸島上陸作戦に参加した軍艦と補助船舶の注釈付きリスト」(2011年3月)を入手した。
北海道新聞 』
千島列島での戦い
LINK YouTube ≫ 北方領土,占守(シュムシュ)の日本人 〜高山正之氏の談
LINK YouTube ≫ 【危機管理講座】「日本分断」を防いだ英断〜占守島の戦い[桜H26/9/10]
樺太での戦い
・金子俊夫 著「樺太一九四五年夏」講談社、1972年
ソ連参戦の情報
LINK YouTube ≫ 【早い話が...】いい加減「身から出た錆」を繰り返さぬ為には?[桜H26/8/6] 〜ソ連参戦情報については、後半部分(5分45秒付近から)。
LINK MSN産経ニュースヤルタ密約「ソ連の対日参戦」、独は情報共有、日本は抹殺し侵攻招く 諜報力の違い鮮明(2014年8月5日付の記事)
 この記事の全文を引用します(図表は省略)。なお、タイトル以外の太字は、当サイト管理人が施したものです。
ヤルタ密約「ソ連の対日参戦」、独は情報共有、日本は抹殺し侵攻招く 諜報力の違い鮮明
2014.8.5 08:02 [安全保障]
 日ソ中立条約を破り、ソ連が満州(中国東北部)に侵攻して9日で69年となる。この半年前のヤルタ会談で、ソ連が対日参戦の密約を結んだとの情報を入手しながらソ連侵攻まで情報を生かせず犠牲を増やした日本に対し、同じ敗戦国ドイツはその情報を最重要扱いとして本国や世界中の在外公館で共有し、戦局に生かそうとしていたことが4日、英国立公文書館所蔵の秘密文書で判明した。大戦末期のソ連参戦に対する日独のインテリジェンスの違いが浮き彫りになった。(編集委員 岡部伸)
 英国立公文書館所蔵のブレッチリーパーク(英政府暗号学校)が解読した秘密文書(分類番号KV2/155)によると、ドイツのストックホルム駐在の情報士官、カール・ハインツ・クレーマーは、ヤルタ会談開催中の1945年2月8日と会談後の21日、親衛隊情報部あてに「ヤルタ会談でソ連が対日参戦する政策に転換した」と電報を打った。
 ドイツでは、この情報が政府内で共有され、国家の指導者の判断材料となる最重要情報に指定されたとみられる。ドイツ外務省は2月14、24日、クレーマー情報をそのまま世界各地の全在外公館に伝え、さらに同月19、21日、3月10日に詳報を一斉通報した。
 この情報は、もともとストックホルム駐在、小野寺信(まこと)陸軍武官がロンドンの亡命ポーランド政府から入手してクレーマーに提供したものとみられ、米国立公文書館所蔵秘密文書によると、クレーマーは、ドイツ降伏後の尋問で「小野寺と活発に情報交換し、45年2月か3月に連合軍の極めて重要情報の提供を受けた」と答えている。
 一方、日本では、参謀本部が同年2月中旬、小野寺武官からの緊急電報を受信しながら、ソ連仲介和平工作を進めていたため、握りつぶされたことが明らかになっている。
 その後もベルリンの大島浩大使が同年3月にドイツのリッベントロップ外相から知らされ、同22日付で外務省に打電。同年5月以降ベルンやリスボンの在欧武官からもソ連参戦情報が寄せられたが、ソ連頼みの終戦工作にこだわり、終戦間際にソ連の駆け込み参戦を許してしまった。
 作家で元外務省分析官の佐藤優氏の話 「崩壊直前ながら、ドイツはインテリジェンス・サイクルが回り、しっかりした分析、情報共有ができていたのに対し、参戦を決めていたソ連に仲介和平の望みを託した日本は、目前の和平工作で頭がいっぱいになり、ソ連参戦情報をノイズ(雑音)と受け止め、抹殺したのだろう。日本は国家として情報を分析、判断する能力が低かった。日本版NSCが発足した今、良き教訓となる」と語っている。
         ◇
■ヤルタ密約
 1945(昭和20)年2月4日から11日、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、ソ連のスターリン首相がソ連領クリミア半島ヤルタで会談し、ソ連がドイツ降伏3カ月後に対日参戦する見返りに北方四島を含む千島列島、南樺太、満州に日本が有した旅順港や南満州鉄道などの権益をソ連に与える密約を交わした。ヤルタ密約を根拠にソ連と後継のロシアは北方四島を不法占拠し続けており、北方領土問題の原点とされる。 』
終戦混乱期の犯罪事件
LINK 保守速報【帝国議会会議録】戦後朝鮮半島からの引揚時に朝鮮人による内地人への強姦・略奪・殺害等の事実が明らかに(2014年2月26日付)
LINK 葛根廟事件 - Wikipedia
LINK 敦化事件 - Wikipedia
LINK 通化事件 - Wikipedia
LINK ねずさんの ひとりごと満州従軍看護婦実話(1) 同(2) 同(3)
LINK ねずさんの ひとりごと奉天駅前事件
LINK YouTube ≫ 【レイプ】日本女性と秘密病院
LINK YouTube ≫ 水子の譜(うた) (上坪隆)  1/2 同 2/2
LINK 徳島市−横浜市 航空写真集ソ連軍兵士の強姦、殺戮、暴行、強奪
LINK 徳島市−横浜市 航空写真集満州開拓団の悲惨な結末
LINK 反日・自虐史観を排した歴史年表ソ連による樺太での虐殺
LINK 真実はどこに・・・和夫一家殺害事件
LINK 真実はどこに・・・日韓それぞれの引揚



【参考ページ】
1945年 ヤルタ会談(米英ソ)
1945年 広島、長崎に原子爆弾投下
1945年 ソ連が対日参戦(リンクのみ) 〜このページ
1945年 日本がポツダム宣言を受諾して降伏
1945年 当サイト管理人の伯父が樺太で戦死
私の思うところ日本の歴史認識
私の思うところ反日宣伝に関するリンク集



更新 2019/2/11

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