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第5回 感想:「モボ・モガ 1910-1935」展
今から約70年前、それはかなり昔ではあるのだが、実は現代なのではないだろうか、そう私は思った。
この「モボ・モガ 1910-1935」展は神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮境内にある神奈川県立近代美術館で行われた(1998年5月17日から6月28日)。タイトルの通り、1910年から1935年までの25年間の当時の日本の写真、絵画、ポスター、(小説等の)挿し絵、本のカバー、商品のパッケージ等々をとにかくずらりとならべてある。約250点の油彩画、日本画、彫刻、版画写真たち。そして約300点の当時の資料。よくある展覧会として絵画、彫刻、写真まではわかるが、襖絵、雑誌広告、商品ポスター、商品包装紙、プロレタリア機関紙、(昭和20年に作られたという)エノケンのマネキン(今年1998年、17年ぶりに来日、ワールドツアーを行うKRAFTWERKを彷彿とさせる)まであると、誰がどうやって集めたのかそっちの方も興味が湧いてくるほどの圧倒的な展示量である。
パンフレットにある言葉を引用させていただくと、「関東大震災を真ん中に挟んだ四半世紀の間に東京は激変する。それは芸術家たちに新しい題材と心理状態をもたらすことになる。それが今度は逆に都市の変貌を加速させた。」「大正期は、まさに個人主義が謳歌された時代であった。国家の重圧からの解放を求めて芸術形は反逆し、挫折し、時に陶酔する。そのような感情の動きを芸術家たちは率直に吐露するようになった。」「単なる西欧への追従ではなく、さまざまなかたちで深く模索されていた時代、実験的で果敢な冒険の時代でもあったのです。」
自由で、ある程度余裕がないとこのような文化は生まれない。今でいう「オタク」のような人物観察、生態観察を行いながら、「考現学」という新しい学問を自ら創ってしまった「今和次郎」などが社会に受け入れられ、「モボ・モガ」(モダンボーイ、モダンガールなる和製英語の略)などが庶民の間にも蔓延する。あえて下手物やグロテスクなものを好む傾向が現れ、異端から指導的な芸術家にも取り入れられてくる。
解放、先端、自由、変貌。これがこの時代には存在した。確かに。
やはりこれは現代であろう。実際この神奈川県立近代美術館の外に出ると観光都市である鎌倉にやってくる現代人のほとんど全てがこの「モボ・モガ」のような格好をしているかのように思えてくる。「モボ」はさすがに少ないが「モガ」は大量に存在する。長い髪を切り、流行のキャミソールを纏った彼女たちはやはり「モガ」であろう。自由の中に存在する解放感とエネルギー。大正時代も実はそんな時代だったのではないだろうか。
この「モボ・モガ 1910-1935」展には何点か当時の雑誌の表紙を飾った竹下夢二の原画があったが、私の疑問はなぜそれらをこの展覧会の主催の一つであるシドニーの「ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館」所蔵、なのであろうか、ということえある。感情としては日本で持っていて欲しかった、という感じだ。
雑誌やポスター、商品パッケージ、新聞広告の切り抜きなどは基本的にそれらのメーカの社史編纂室所蔵なのであるが、ときどき「個人蔵」というものもあった。何で個人がこんな物を持っているのか、誰が持っているのか。非常に興味がある。
何かしらをテーマ、モチーフを絵画にした作品はまぁ、理解できる。しかし、当時の隅田川の岸を端から端までず〜っとしかも両岸分描き綴った長大な巻き物は一体なんだったのであろうか。
カメラメーカの宣伝用として撮影されたのであろう写真は今発表しても最新の芸術作品だといっても過言ではないくらい斬新で新しい。「女性の化粧は今更申すまでのないことであって男子たるものも身だしなみ(云々かんぬん.....)」というある化粧品メーカのシェービングクリームの広告は今読んでも笑える。面白い。すごい時代だったんだなぁと思う。
自由でなんでもありの大正時代から昭和初期にかけてからの時代からもう少し進んでくると状況が変わってくる。プロレタリア芸術活動がだんだんに弾圧され、日本はファシズムへの道、中国侵略への道をただひた走ることになる。これをこの展覧会は「沈黙する町」と表現する。
この昭和初期(ファシズムへと走り始めた頃)に撮影されたある写真に私の全ての感覚が集中した。「行進する女学生」というタイトルがつけられた写真はとても異様だった。戦争への恐怖がだんだん教育という形で植え付けられていった時代、制服を身に纏った無数の少女たちが全員ガスマスクをつけて一糸乱れぬ状態で整然と並んで行進しているのだ。「ステレオタイプ」この言葉が私の頭に浮かんだ。その言葉のままだった。
だんだん寂しくなるこの昭和初期の都市、建築物、機械の写真を観ているうちに私の頭の中では、なぜかかのYellow
Magic Orchestraの1981年に発表したオリジナルアルバムとしては5作め(リミックス版、ライブ版、ベスト版は除く)「TECHNODELIC」(テクノデリック)が流れていた(余談であるが、今年、1998年は彼らの結成20周年である。このYellow
Magic Orchestraについてはまたいつか機会があったら熱く語らせていただくことにしよう)。重々しく、人間臭さと無機質な感じがおりまぜられたような感覚。そんな感じがした。
自由を謳歌した時代、無限に拡大し続ける感覚を感じ続けた時代の後にやってきた抑圧と弾圧と沈黙の時代。「歴史は繰り返す」その通りに今後も進むのだろうか。そしてその後、また昭和後期から平成期を振り返って「なんでもありのこの時代」を展示する展覧会でも開かれるのであろうか。それはいつの時代だろうか。
(1998.5.24.)
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