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第6回  伝説の"KRAFTWERK"


 私が始めて"KRAFTWERK"(クラフトワーク)の音楽を聴いたのは確か1981年の初来日の際のライブをNHK-FMで放送したときであったと記憶している。当時小学6年だった私は「テクノミュージック」もしくは「テクノポップ」に傾倒していた。「テクノ」全体、というよりは"Yellow Magic Orchestra"(以下YMO)に狂っていたといってよい。1981年はYMOが2度めのワールドツアーを成功させて凱旋した翌年(この年名作アルバム:BGM、TECHNODELICを発表)であり、その「テクノ」の元祖(すべてのYMOを含む「テクノ」ミュージシャンに影響を与えた)である当時西ドイツの"KRAFTWERK"(彼らこそが真の「元祖」である)が初来日した、という今から考えるとやはり「テクノ」にとっては「伝説」の年であった。

 この頃の「テクノ」は人間のアイディアと知恵の方がテクノロジーよりも上回っていたと私は思う。逆に、今の「テクノ」はテクノロジーに追い越されてしまったのではないか、そう思える。今年(1998年)はYMO結成20周年ということもあり、昔のCDを聴きながら、そう、思っている。

 "KRAFTWERK"を始めて聞いたときの印象は「とんでもない」だった。世の中にこんなすごいものが存在してよいのか。耳にいつまでも残る繰り返される旋律、機械とも人間ともとれない演奏者とテクノロジーと音楽との融合、「音」だけした聴けなかったが聴衆と演奏が一体となっていることが感じられた。この後日本で入手可能なアルバムは全てそろえた。数々のミュージシャンに多大な影響を与え、「伝説」、「神」と彼らはなっていった。

 "KRAFTWERK"は1970年に結成され、カスタムメイドのシンセサイザーを駆使した電子的かつ無機的な感じのする旋律が特徴の作品を次々に発表していった。しかし、初来日のあたりから、突然レコーディングを開始しては活動停止、突発的に再開、というのを繰り返すこととなる。それゆえ「伝説」、「神」へと彼らはなっていってしまったのではないだろうか。私としては「テクノ」のバッハなのではないだろうかと勝手に思っている。

 そして1998年、"KRAFTWERK"が長年の沈黙を破ってついに再来日した。実に17年ぶりである。1981年当時、東北の片田舎に在住し、月1,000円しかお小遣いをもらえなかった自分には東京にライブを観に行くことはまず不可能であった。しかし、今は違う。社会人となって自分でお金を稼ぐようになり、市部ではあるが東京に在住している私にとって観に行く、聴きに行くこと以外選択肢はなかった。

 最初は発表がエイプリルフール直前だったため、「ジョーク」だと思った。1991年に"THE MIX"という自らの曲をリミックスしたアルバムを発表して以来まったく音沙汰なかったからだ。しかし、週刊ぴあにチケット予約コードまで振ってある。つながりにくい電話を3時間リダイヤルしまくった。当初予定だった1998年6月3日(水)、6月4日(木)のうち既に4日(木)分は完売、3日(水)1階立見席を取るのが精一杯だった。その後2日(火)に追加公演が設定された、3日(水)分、4日(木)分は即日Sold Outだったらしい。

 会場である「赤坂BLITZ」に着いて驚いた。入場待ちの列の長さとその年齢層の広さだ。私のような「おじさん予備軍」ばかりであろうと想像していたのだが、明らかに1981年の初来日の際には物心ついていたとは思えないほどの若人、そして見るからに「おじさん」もその中にいたのだ。やはりすごい。「伝説」なのだ、と実感した。

 照明が落ち、ランダムな音程のBEEP音が会場に流れ始めると聴衆のテンションは上がっていった。オープニングは何の曲から始まるのか、私の周りでざわつき始めた。やはり、"NUMBERS"。これしかないだろう。1981年のライブのときもそうだった。この曲しか"KRAFTWERK"ライブのオープニングを飾れない、私はそう思った。周りでもそんな声が多かった。そしてこの「正しい」オープニング、"NUMBERS"から公演は始まったのだ(この"NUMBERS"の途中、音とスクリーンに映し出される映像との同期がとれなくて一時中断、再度仕切り直ししてしまったが、我々聴衆はそれを「愛嬌」「つかみ」「演出」だと勝手に思ってますますテンションは上がっていった)。

 スクリーンの映像と音が完全に同期され、パフォーマンスとしてはかっこよさが際立っていた。何やら怪しげなLEDが点滅する、ネオンライトが光る、怪しげな映像が映っているCRTが一体となったステージセットもO.K.だ。この怪しさが本来の「テクノ」なのだ。そしてライブは何よりもまず「雰囲気」が重要だ。

 音としては前出の"THE MIX"に近いわりと新めのダンステクノ風になっていた。「やる気にさえなれば今のテクノなんて簡単さ」と彼らは言いたげなのかもしれない。しかしその"THE MIX"からもミックスを変え、リズムパートが強くなっているところが今風なのであろう。このライブでの一番の収穫といえば"TOUR DE FRANCE"が聴けたことだ。実際にホールで聞けて涙が出そうになった。なぜかこの1983年に発表された"TOUR DE FRANCE"は日本では結局発売されなかった。収録されたアルバムすら発売されなかった。私が記憶しているのは1983年当時NHK-FM「坂本龍一のサウンドストリート」という番組くらいしか流れていなかったと思う。映画「ブレイクダンス2」で使用されたらしいが、そのためだけにこの映画を見てもいいのかと未だに疑問に思っている。"KRAFTWERK"のWebPage(http://www.kraftwerk.com)で一部聴けるので一度聴いてみることをお勧めする。1983年といえばデジタルサンプラーが一般化し始めた年で、それまでの"KRAFTWERK"の曲からは少し変わったそのデジタルサンプラーも取り入れた「かっこいい」曲になっていたのが強く印象に残っている。"THE MIX"にも収録されていない"COMPUTER WORLD"、"THE MAN-MACHINE"、"AIRWAVES"も演奏され、特に"AIRWAVES"は斬新なミックスとなっており、「このおじさんたちはすげぇ、ただもんじゃねぇ」と思った。

 "THE MIX"にも収録されていた"RADIOACTIVITY"も演奏された。"THE MIX"の時も「かっこよくなってるな」と思ったのだが、このライブではさらにミックスに磨きがかかって、かっこよすぎるダンスナンバーとして見事までの出来となっていた。是非ライブ盤を発売してほしいものだ。

 "TRANS EUROPE EXPRESS"の演奏が始まったとき、私に悪い予感が走った。もしかしたらこの曲で終わるんじゃないか。実際"KLING KLANG PRODUKT"のロゴとともに幕が引かれた。確かに"AUTOBAHN"も演ったが、"HOMECOMPUTER"も"THE MODEL"も演ったが、「うそだろぉ〜、まだ"THE ROBOTS"も"POCKET CALCULATOR(電卓)"も"SHOWROOM DUMMIES"も"NEON LIGHTS"も"SEX OBJECT"も"THE TELEPHONE CALL"も演ってないじゃないかぁ〜」と叫んでいた。その中、やはりアンコールとして"POCKET CALCULATOR(電卓)"は始まった。もう、私を含むスタンディング野郎たちは狂喜し、跳ねていた、飛んでいた、「ボクは音楽家電卓片手に〜」叫んでいた。もう、完全に狂っていたといっても過言ではない(実際"SHOWROOM DUMMIES"や"NEON LIGHTS"や"SEX OBJECT"や" THE TELEPHONE CALL"は演ってくれなかった)。

 "THE ROBOTS"ではステージにはメンバーは誰も立たずに音だけが流れていた。実際、ステージの上で彼らは何かを演奏しているのではなく、効果音等の制御をしているに過ぎなかったし、すべての演奏がテープであったとしてもおかしくはないし、今のテクノロジーであれば"KRAFTWERK"のような音を出すだけであれば10万程度のPCでさえででもシーケンサが作れる。しかし、我々はステージスクリーンに隠れていた4人の人形が回ったり、腕が動いたりしただけで狂喜していた。それだけででも充分だったのだ。

 そしてステージスクリーンにワイヤーフレームCGや、ポリゴンにテクスチャマッピングされた彼らの顔がアニメーション(口パク付き)で映し出され、彼ら自身がワイヤーフレームCGのように光りながらラストナンバー、その曲は始まった。

"MUSIC NON STOP"

「本日の公演は終了しました」このアナウンスが流れていても私は「MUSIC NON STOP」と叫びつづけていた。

私は「伝説」を目撃した。「伝説」の存在を間近に感じた。そして新たなる「伝説」が今ここに。そのことを実感し、感涙に似た感覚を感じながら会場である「赤坂BLITS」を後にした。

(1998.6.6.)

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