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第9回 書評「知の技法」
「知の技法」東京大学教養学部「基礎演習」テキスト(東京大学出版会)
小林 康夫/船曳 建夫編 \1,500(+消費税) ISBN 4-13-003305-0
この「知の技法」は1994年4月11日に初版が発売された。何を今更、というような時期でもあるが、私がこの本を知ったのは1998年7月18日(土)NHK教育テレビ21時からの「未来潮流〜新しい教養のかたち〜」を偶然見たためであり、そこではじめて3部作として「知の論理」、「知のモラル」そしてこの「知の技法」のバージョンアップ版とも言えるべき「新・知の技法」が出版されていることを知った(3部作で70万部を超えるベストセラーであったことすら知らなかった)。自分の見聞の狭さのため、タイムリーに本書を読むことができなかったことを悔やまざるを得ない。
もともと「知」、「教養」というものに対して漠然とした興味を常に持ち続けており、明確な教養課程を持たない大学を卒業したこともあって、はたして教養学部なるものは何を教えているものなのかと少し異質なものを感じていたことも引き金となって、書店へ急ぎ、全てそろえた。もともと読むのが遅い方であるが、書評としてこの4冊を読みながら書いていきたいと思う。
まず、この「知の技法」は面白い。(比較文化学、古典文学、情報科学、言語学、統計学等々カバーしている範囲が広すぎて)久しぶりに頭を使ってるので眠くなることは度々あるがどんどん次を読みたくなる。読み進むうちに自分の視野が広がってくるような気がする。多分それが本書の目的の一つであり、「教養」を身につけるための最初の手がかりとなること、大学の演習のサブテキストとして用意されていることを目的としているので、「次の一歩へ!」という一文が必ず各節につけられているように、この先どうやって「知る」「調べる」ことについて進んでいけばよいのか、深く掘り下げるにはどのようにすればよいのかのガイドラインが示してあるし、社会科学、人文科学、自然科学という「分野」にとらわれない各種方面への「知」への興味をかきたてるようにできている。また、「総合的判断力、批判的思考力」の実現を目的としているところも歓迎すべき点だ。教養課程改革、大学改革を年頭においている本書から現役の研究者、教授連が意欲的にそれに取り組んでいるような姿勢が読み取れる。
本書は、「学問の行為論」、「認識の技術」、「表現の技術」という3部で構成されている。通しで読んでみると、「知」とは何らかの真理を得て、それをアクチュアリティと多様なアプローチをもって認識し、それを表現することで存在するものではないのか、そういう感じがしてくる。そのための「技法」をさまざまな例を挙げて読み手である我々に提示しているような気がする。
認識するためにはものごと、事象、データ、それらを多角的に見渡せる視点が必要であり、そのような複数の視点を持つ、ということは他者から見える自者というリアリティに直面せねばならず、与えられた情報をどう見ていくかというアプローチ、イメージをどう読むか、どう考えていくか、が必要であり、それらを自分のものにするためには、伝えていくためには、言語という記号列を使い、多様な読解可能性、ニュアンス、構造を知る必要があると本書を読んで私は考える。
「表現の技術」で記述されている内容は、今後自分自身がさまざまなセミナー、講習、講演等に参加し、プレゼンテーションを行っていかなければならない、ドキュメントとしてさまざまな文書を用意していかなければならない現状を考えた時、技法、例として非常に参考になると思う。そして少し触れられている質疑と応答、ディベートの技術も大いに参考になると思う。
本書を読むことにより、漠然とした私の「知」への疑問、「教養」への疑問が解けているわけではないが、より「知」の世界、「教養」の世界へ潜っていけそうな気がする。いや、潜っていけると思いたい。その手がかりを与えてもらった、そう、思いたい。
ある意味「技法」としてさまざまな例は提示してあるが、「こうであるべき」、「こうでなければならない」という形にはなっていない。あくまでも本書中に登場するのは例であって、「技法」の例であって、考えるべき、実践するべき対象はあくまでも読み手である我々なのだ、ということなのであろう。人間はその自身の持つ能力によって示された内容を解釈し実践することができる。その能力は眠らせておくべきではないだろう。
自分が大学生だった頃にタイムリーに読みたかった本ではあるが、既に大学を出て(卒業、中退含めて)しまっている方々、企業においても人を育てるという立場におられる方々にも是非読んでいただきたい一冊である。また、詰め込み主義として批判の高い初等教育、中等教育に携わっている方々にも是非一読をお勧めしたい。とにかく広範囲の方々にお勧めしたい(まぁ既に70万部を突破していることから私が勧めるまでもないことなのであるとは思うが)。「知」とは何か、「教養」とは何か、「教育」とは何かを読み手なりに考えることができるであろう。今年(1998年4月)に発行された「新・知の技法」では「既に『知の技法』では古くなった」という記述があってバージョンアップをせざるを得なかったようであるが、とにかく本書を(新しさを保つために西暦2000年になる前くらいまでには)読む必要はあるであろう。
「演習」のサブテキストという性格上、現役の東京大学教養課程に在籍する人たちを対象にしているのはわかるが、一般書籍としての発売に際して、もっと一般的に書いてもよかったのではないだろうか、と思ってしまう箇所もいくつかあった。読み進む上ではこの点に留意する必要があるだろう。
余談として、本書中「イメージと情報 コンピューティング−選挙のアルゴリズム」を執筆されている山口和紀先生には筑波大学在任中はソフトウェア実験の担当教官でおられ、大変世話になりました。また、1992年に監修された「The
UNIX Super Text 上/下巻」(技術評論社)は今でも時々役に立っています。
とにかく、私はこれから次の巻である「知の論理」を読まなければならない。
(1998. 7.26.)
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