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第16回 横浜ベイスターズと私
私は好んでスポーツをする方ではないが、観戦はわりと好きな方である。手軽に観戦できるスポーツとしてプロ野球があるが、ながらく陰ながら横浜ベイスターズを応援してきた(実際に球場に足を運ぶことはあまりしない出不精なファンではあったが)。
なぜ、横浜ベイスターズを応援するようになったかというと、私が中学生のとき、横浜ベイスターズの前身である太洋ホエールズの中継ぎピッチャーとして欠端選手がいた。この欠端選手が私と同じ岩手県出身であったことに気がついてから親近感を持つようになり、太洋ホエールズを応援するようになっていた(高校野球で一回戦負けが当たり前の岩手県出身でありながらプロ野球で一軍の選手がいる、というのがある意味驚きでもあった)。
考えてみると太洋ホエールズは弱かった。「横浜太洋銀行」とも揶揄された(日本のプロ野球では勝率5割よりも高いゲーム数を"貯金"、低いゲーム数を"借金"と表現するため、"預金"させてくれるチーム、という意味になる)。実によく負けた(そのわりには妙に打率のよい選手もいたり、面白いチームだったと思う)。でも試合に勝ったときの喜びを感じるチームであった。1勝の重み、楽しみ、喜びがあるチームだった。常に勝たねばならない、などという気負いがなく、のびのびとプレーする選手たちだった。それがよかった、それでよかった。
チーム名が横浜ベイスターズになってから、かなりチームとしての意識が変わってきたように思う。「プロ」として、「プロ」意識を持って試合に臨む、地元「横浜」を強く前面に押し出し、地域で盛り立てるチームへとなっていった。「万年Bクラス(常に下位チームであるということ)」「球界のお荷物」と言われる球団から、着実に実力をつけ、全員が一致して試合に臨むようになった。確かにホームランだけを打つ選手はいないし、一挙に大量得点をあげられるチームではない。しかしながら、こつこつとヒットを打ちながら点数を重ねるベイスターズとしての勝ち方、というのを作り出していった。レギュラー打者のうち5人がセントラルリーグ打率順位20以内に入っている、当然首位打者は鈴木(尚)選手、というチームはなかなか簡単には存在しない(チーム打率も12球団1位である。リーグ優勝したチームなんだからそれは当然かもしれないが)。「マシンガン打線」と言われる所以である。そして、史上最強のストッパー、実績に裏づけされた絶対的信頼のある男、記録を作り続ける男、勝つ試合のためだけに存在する男、佐々木選手の存在である。
それぞれの選手についての評価は他のスポーツ系サイトにお任せするとして、ひとつだけ佐々木選手に関してのエピソードを書いておきたい。「横浜ベイスターズ、ピッチャーの交代をお知らせします。ピッチャー○○に代わりまして、佐々木、背番号22」と場内アナウンスが入るとき、当然横浜側は勝利を確信する。狂喜する。しかしながら、相手チーム応援側からも拍手、歓声で迎えられるのである。これは数少ない私が球場へ足を運んだときに起きたものであるが、佐々木選手とはそういうピッチャーなのだ、と私は思った。まさに「大魔神」である。もはや「神」の領域なのだ(なぜか横浜駅東口には「ハマの大魔神社」がおかれている。やはり「神」になってしまったか)。佐々木選手は横浜ベイスターズのみならず、日本のプロ野球全体としてもスーパースターなのだ。
しかし、横浜ベイスターズは日本のプロ野球12球団のうち、一番優勝回数が少ないチームであった。だいたい前回の初優勝(太洋ホエールズ)のときは私はまだ生まれていない。38年前である。それだけ優勝に縁遠いチームだった。が、昨年(1997年)は優勝争いまで演じた二位、そして今年はめでたく優勝、となった。まさにめでたしめでたしである(大矢前監督、権藤監督の功績は明らかであろう。余談になるが、権藤監督はかっこいい。渋い。ああいうかっこいいオヤジになりたいものだと私は思う)。
「プロ」として選手にとって野球は「仕事」なのであるが、ベイスターズの選手たちは楽しんでいるように見える。そしてその「仕事」に対して非常にストイックだ。勝っても負けても試合後選手たちは自主的にトレーニングを欠かさないという。選手ひとりひとりの役割をこころえ、それを全うしようと努力する姿。スター選手だけがいても野球は始まらない。チーム全員が一丸になってがんばる。そんな姿勢が好感が持てる(権藤監督はしきりに今年(1998年)は選手が良かったから勝てたんだ、(自分は)はらはらしながら観ていただけ、という。優勝はチームの総合力であったこと、そんな監督の温かい目があったからこその勝利であると思う)。
私のようなあまり熱狂的でないファンにとっても今度の優勝はうれしくてうれしくてたまらない。横浜スタジアムのベイスターズロッカールームにはファンからの応援メッセージFAXが貼り出されているという。直にファンの声が聞けて選手たちも励みになっていたと思う。
がんばれ、横浜ベイスターズ。今後も私は陰ながら応援し続けるだろう。そして今後も、楽しい野球を感じさせるチームであることを望む。
(1998.10.18.)
あとがき
日本シリーズにおいてパシフィックリーグの常勝球団、西武ライオンズと対戦し、4勝2敗で横浜ベイスターズは38年ぶりの日本一となった。おめでとう、ありがとう、そしてこれからも楽しい野球をみせてほしい。
(1998.11. 1.)
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