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第17回 暴走する利己的正義の国・アメリカ
自分だけが強いと思っている、自分だけが「正しい」と思い込んでいる、しかも、それを無理やり諸外国に押し付けてくる国。それがかの「自由」の国(と言われている)、アメリカ合衆国(以下:米国)である。
お山の大将で、とっちゃん坊やで、駄々はこねるは他人の言うこと聞かないは、無作法で礼儀知らずで、常に自分たちの決めたルールで相手を戦わせようとする、やることなすこと全てがひとりよがり。それが彼らの「正義」だ("Tell
me,'Gatsun'"というかの国の大統領そっくりさんを登場させた某飲料メーカーのCMはなかなか面白いぞ)。
「テロリズムには屈しない」といってミサイルを警告もなく諸外国に打ちこむのはテロリズムではないのか。テロ行為にテロで応対しているだけではないのか。勝手に自分たちに敵対するテロリストを作り上げて、自分たちに都合のいいテロリストを作り上げて、それにテロで応対しているだけに過ぎないのではないか(それで「国威発揚」としているのであればミサイル一発撃って「人工衛星だ」と言っている某国と変わりがない)。それを良しとしているのであれば、それが「強い」と思わしめているのであれば、国自体が(かの国が敵対すべき)テロリズムに蔓延している。かの国の大統領は世界でもっとも横暴で強暴なテロリスト(の大将)だと言えよう。
イデオロギーの対立という時代が終わり、何をよりどころにすべきかわからない混迷の時代を迎えてもなお、かの国の方針は全く変わっていない。自分たちが「勝った」と勝手に思い込んでいるだけに過ぎないのにもかかわらず、だ。
表向き共産主義に資本主義が「勝った」構造になってはいるが、実際のところは「思想」が人間の「欲」に負けただけだ。人間の原始的な「欲」を打算で選択したに過ぎない。それを「勝った」と誤認して自らを煽っているだけに過ぎない。私は思想として共産主義を認めはするが、それだけが正しいとは思わないし、「欲」だけに振り回される資本主義だけがよいとは思わない。勝ち負けの構図ではなく、モラルとしていかにして人間はより良く生きていくか、を考えねばならないと私は思う。そのいかにして、を考えたときに選択肢が2つしかないのではどうしようもない。選択肢は2つではなく、まだあるはずなのだ。それを考えさせない、なまじ考えさせると自分たちの立場が悪くなるのでできるだけ考えないように手を変え品を変えおせっかいを焼いてくる(ように思える)。
ただし、「欲」はしばしば力を生む。そのことだけは確かだ。この「欲」による力を振りかざし、抑圧することだけが彼らの外交手段、外交交渉だ。そして自分自身だけが「正しい」と(何の根拠もないのに)思い込んでいるので常に押し付けがましい。内政干渉も当たり前だ(かといって自国の立場が弱くなると「内政干渉だ」といって勝手に拒否する)。この押し付けがましさにはいい加減吐き気がしてくる。
政治的外交カードとして核兵器をちらつかせ、核実験が諸外国の批判の的になると臨界前核実験をやってのける。この臨界前核実験なんて過去の何千回もの(批判すべき)核実験のデータが蓄積されていればこそコンピュータを駆使して行えるものだ。臨界前核実験なんて喫煙コーナーでしか煙草を吸いませんと言うのと同じレベルの「言い逃れ」だ。そんなことを平然とやってのける厚顔無恥。それを野放しにせざるを得ない世界情勢。
無理やり先住民たちを「敵」とみなし、殺し、勝手に領土を占領して征服し、それを「自由」のため、といって正当化した大罪を彼らは償っていない。苛酷な労働を押し付けるために、自分たちの身代わりとさせるためにアフリカから奴隷としてたくさんの人々を連れてきた大罪を彼らは償っていない。強硬な人種差別ということによっていまだに残っているからだ(表面的には差別を撤廃した、平等ということになっているが、中規模の都市の比較的治安のいい地域に在住する人たちからは差別意識は消えたが、治安の悪い地域や田舎、一部の上流階級には差別からは何も生まれないことを学んでいない人間が残っている)。
敵対する「大国」がなくなり、全ての方向に対しての抑圧がなく、もはややりたい放題と化している。そのやりたい放題に日本も荷担しているのだ。それは屈辱ではないのか。恥辱ではないのか。
かの国は文化、商品を大衆化させることには長けているが、何も文化を生み出していない。大量生産し、大量消費し続けることでしか存在し得ない、自国で消費できなくなると諸外国に無理やり買わせることで帳尻を合わせようとする。かの国の消費者(と政治家)は基本的に(値段が)「高い」「安い」だけで判断し、自国のものより輸入品が安ければ「不当だ」といって勝手に取り引きを(政治的に)反故にする。根拠のない「米国のものは良い、だから買え」を諸外国にまで(政治的に)強要する(本当にその品が良いか悪いかを決めるのは購入する消費者だ)。「貿易赤字」の算定方式は曖昧で米国に都合がいいように常に(米国的合理的に)算定される。芸術作品についても全てが投機対象であり「商品」でしかない(美術館や博物館も広く大衆に門戸を開いてはいるが、直接照明であったり、"Don't
Touch"なんてお触れ書きもなかったりする)。それが全て「経済活動」の一環だ。文化的に貧しいことの例として、ハリウッド映画は常に自国賛美することしかしない。それは他国の文化を受け入れるだけの許容がないことの証明だ。
多民族国家、多文化国家である米国では国全体をまとめるイデオロギーに乏しい。その乏しさを補うために「自由」という言葉、「星条旗」、戦争を利用してきた。ここでいう「自由」とは自由のことではなく米国的解釈の「自由」のことであり、それをプロパガンダとしての「星条旗」に象徴させてきたし、数々の戦争によって富を得てきた。だからこそ軍には甘く、自国内で軍の費用がまかなえなくなると「同盟国」からせびることを繰り返す(特に都合のいい日本を財布がわりにする)。
諸外国に駐留する米軍は、特に日本では常に身勝手でやりたい放題だ。基地の外で事故、事件を起こしても日本の法律では罰することが困難だ(日米地位協定という怪しげな取り決めによって米軍は過剰に保護されている)。身柄を拘留することも、裁判にかけることも困難だ。どうやら米国は日本が法治国家であることを認めていないらしい。犯人を米国本国に逃亡させてしまえばその後の追跡はされることがほとんどない。いくら警察側が捜査のため身柄の受け渡しを要求したとしても、日本政府は米軍の言いなりで手続きすらしない。これが自立した国家のすることか。日本政府のふがいなさもあるが、自国内でいくら犯罪がはびこっている、蔓延しているからといって他国で起こした犯罪はもみ消す、という態度は非常に横暴だ。それが彼らの言う「正義」の本性だ。
彼らは本当の意味での自由を求め、実行しているのではない(それを全く自覚していない)。米国利己的な「自由」を求め、諸外国にそれを強要しているのに過ぎないのだ。自由とは何か。それは自分の主体性、自主性に拘束されることだ。私はすべての人が常に自由であることを強く望む。
形的になりゆき上唯一の超大国になってしまった現在、米国は暴走し続ける。そして誰も止められない。米国の資金は大量の国債によってまかなわれているが、日本が大量に米国国債を買っている。それが米国経済を支えているのだ(日本がそれをすべて売れば国債市場は暴落する)。国際連合は加盟国各国がGNP(国民総生産)に応じた資金を拠出することになっているが、GNP世界第一位の米国は大きく滞納しているにも関わらず端から見れば借金大国であるにも関わらず国連ですらも止められない。悪夢だ。
学ぶべきところは学び、学ぶべきでないところは断固批判する。そう'Gatsun'と言うべきだろう。
(1998.10.18.)
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