20世紀より以前に人類はあまり自分たちで新しい化学物質を創り出すことはできなかった。蒸留や精錬等のような手法で目的の物質を取り出すことはできても、自然界に存在する化合物の分解はできても、単純な化学反応による化合物を作ることはできても、炭素を用いた爆薬を作ることはあっても。基本的に地球上に存在する、50億年以上前に自然(宇宙)が創り出した熱核融合反応の果ての物質を使うことだけだった。
20世紀に入り、安定な(分解しにくい)物質、大量生産が可能な物質としての塩素化合物を人類は創り始めた。第一次世界大戦でドイツ軍は1915年ベルギーのイープルで毒ガスとして塩素化合物を使った。ジャガイモの害虫を駆除する目的で1939年DDTをスイスの化学薬品メーカ「カーギル社」(現ノバルティス社)は創り出した。後にDDTはあらゆる害虫駆除に絶大な効力を示し、安定な物質だったため効力が持続した。第二次世界大戦中アメリカ軍はDDTを大量使用することで南太平洋戦線で勝利したとも言われている。よってDDTは「奇跡の殺虫剤」としても賞賛され、穀物の生産量を飛躍的に向上させた(DDTを創り出した科学者パウル・ミュラーは1948年ノーベル賞を受賞した)。第二次世界大戦中より次第に人工化学物質の原料として石油が用いられるようになり、第二次世界大戦中、日本軍が絹繊維、天然ゴムの生産拠点であったアジアを占領したがために、アメリカでは天然繊維、天然ゴムに替わる合成繊維、合成ゴムを創り出した。この合成繊維、合成ゴム製品が今日の人類の生活を支えていると言っても過言ではない。そして、機械の潤滑冷却材、絶縁物質として引火する危険性が無く、分解もせず、よって不純物が混じらない、「夢の化学物質」PCBが1929年に創り出された。しかし、大量に生産され、大量に使用されていくうちに、大量のPCBがそのまま工業国(特にアメリカ)の河川、湖沼へ廃棄されるようになり、分解しにくいという性質が生物の身体に蓄積されることにより汚染されていった(食物連鎖の底辺から頂点に向かうにつれてその濃度は数万倍まで濃縮される)。
今日石油を原料とするプラスチック製品によって我々は囲まれており、プラスチック製品にとって塩素は欠かせない原料のひとつである。深刻な環境汚染を引き起こしているダイオキシンでさえ、塩素の化合物だ。DDTの危険性が指摘されるようになったのは1960年代に入ってからであり(完全使用停止まで10年の歳月を要した)、PCBの世界的な使用規制、生産停止になったのは1970年代の後半からだ。しかし日本のPCBについての管理は甘く、鍵をかけて保管をしたものの、「保管した」という記録は廃棄され、土を掘ってコンクリートで埋めたものの、どこに埋めたか記録は廃棄され、現在所在が掴めるPCBは一斉に保管した際の量の約6割だという報道番組があったと記憶している。現在アメリカではPCBの廃棄は塩素を分離する処理が行われ、残りも化学処理されて分解されている(この方法は1980年代になってやっと確立した技術である)。
化学物質過敏症という病気がある。化学物質蔓延先進国であるアメリカでは10人に一人が化学物質過敏症だとも言われ、日本でもその数は増えている。元来人間には体内に入った有害な化学物質を分解する能力を持っている。肝臓の中に存在するP450という酵素だ。このP450という酵素は肝臓内に100種類以上の化学物質に対応するために存在する。このP450はその物質を分解し、水に溶けやすい形にするため、尿に混じって排出される。風邪薬等の医薬品もある程度の時間が経過すれば効力を失うのもこのP450が分解するためだ。この代謝機能の限界をこえて化学物質が体内に堆積されると、まさにある日突然コップの水があふれる様にこの化学物質過敏症を発症する(このある日突然コップの水があふれる様に発症する、というのは現代病とも言われている花粉症も同様だ)。
もともと人間の体内にはけっこう化学物質が入り込んでいる。健康な人からの血液中から数百種類の化学物質が検出されるといわれている。例えば塗料やガソリンなどに含まれるトルエン、クリーニングの溶剤に含まれるエチレンのように。あくまでもこれは「微量」の範囲であることは言うまでもない。このようにある程度人間の身体には「耐性」が備わっている。
しかしその中で、人類が1日に創り出す化学物質は4,000種類以上ともいわれる。そしてその新しい物質が本当に人体に有害でないのか調査する機関があり、安全性が検証されている。その中でも最大規模な機関が、「アメリカ国立環境健康科学研究所」であるが、ここで調査できる物質の種類は年に40種程度(調査すべき科学物質はまだ約3万種ある)に過ぎない。内分泌撹乱化学物質(環境ホルモン)はごく微量でも影響を与えてしまう点と症状として表れてくるまでに時間がかかるためにその物質を特定するのは困難だ(今現在騒がれている物質がその内分泌撹乱化学物質の全てではない。この特定のために「アメリカ国立環境健康科学研究所」で調査しなおす必要があるのは約1万5千種といわれる)。
内分泌撹乱化学物質は1979年にアメリカのジョン・マクラクランが「アメリカ国立環境健康科学研究所」在籍中に、流産予防薬として使われたDESの影響で、出産された子供に生殖器異常が発生するのを指摘したことで初めて明らかになった。が、発表当初は因果関係に科学的物証がないということで否定された。20年経ってDDTやPCBなどが内分泌撹乱化学物質として騒がれるようになり再び脅威の対象とされるに至っている。
アメリカがその欲望の矛先として破壊したのは化学物質にまみれた自国の国土だけではない。地球上の酸素供給量の半分を占めているとも言われている、世界最大の熱帯雨林アマゾンだ。本格的にアマゾン開発が始まって約70年、消失した森林面積は日本の面積の1.4倍、全体の1割に相当する。確かにアマゾンには鉄をはじめ、マンガン、ボーキサイト(アルミニウム鉱石)、金といった鉱物資源に恵まれ、何といっても豊富な木材資源を抱える。そして最近では「遺伝子資源」の宝庫であることもわかってきた。
アマゾン破壊は、自動車の大量生産が始まり、タイヤに使うゴムを大量に調達するため1926年にヘンリー・フォードが10万haの熱帯雨林を伐採、ゴムを人工植林した(このことがその後のブラジルに悲劇をもたらしたなどと誰が予想し得たであろうか)ことに端を発している。前出の第二次世界大戦でゴムの需要はさらに高まり、戦時中ということもありゴムの価格は維持されたまま大規模開発に拍車がかかった(このときのゴム採取人は「ゴムの兵士」とまで言われた)。しかし、戦争終結後、アマゾンより持ち出されたゴムの種子が東南アジア等で大規模プランテーションのもとで植林されるようになるとゴムの価格は暴落、アマゾンで暮らすゴム採取人の生活は一挙に貧困へと向かった。1964年3月31日、中南米諸国が共産主義化するのを極端に恐れたアメリカは当時のブラジル陸軍将軍カステロ・ブランコと結託し、社会主義政権を軍事クーデターにより追放した。軍事政権は1966年より大規模アマゾン開発に乗り出す。貧困層を大量入植させ、ひとり100ha与え、アマゾン全体の人口は開発前300万人から900万人へと急増した。熱帯雨林は牧場や農地、道路にするために大量に伐採され、アマゾン内に発見されたカラジャス鉱山で鉄鉱石を溶かし鉄を取り出すための熱源として、(通常は石炭やコークスを使うのだが)コスト削減のために熱帯雨林から作り出した大量の木炭を使用した(このことがさらに伐採に拍車をかけた)。
アメリカをはじめとする先進国は積極的にブラジルへ投資し、ブラジルはそれを返済するために熱帯雨林を伐採し続ける結果となった。もともと熱帯雨林の下の土地自体はあまり肥沃でない赤土であるため牧草が育たず、1haに牛1頭養うのがせいぜいである(それでもステーキになるような肉はできない)。当然農地にも適さない。それゆえ、毎年牧草地、農地を確保するため、大規模に野焼きされる。このまま破壊が進めば、森林の減少→乾燥した土地の拡大→周辺地域の水不足→世界規模の食糧危機、気候変動という道を辿るしかなくなる。
そういった中、世界は手のひらを返した様に1980年代の後半から「Amazon
is a common heritage for mankind(アマゾンは人類の共有財産である)」と言い出し、自分たちが過去破壊し尽くしてきたことは棚に上げ、形ばかりの環境保護へと乗り出す。地球温暖化の原因となる二酸化炭素排出量を削減せざるを得なくなったアメリカは産業界の反対にあい、その矛先をブラジルに向ける。野焼きのために年間6億トン(世界全体排出量の25%)もの二酸化炭素を排出しているではないか、二酸化炭素の問題は先進国ばかりではなく開発途上国にも責任がある、と。これは森林の保護ではない。アメリカがブラジルをアマゾンを開発せざるを得ない状況に追いこんでおきながら、その責任を転嫁し、アメリカがアマゾンを破壊した後でモラリストの仮面を被ったに過ぎない(この頃からアメリカとブラジルの国益は相反する様になる)。ブラジルは開発の要として国道364号線を整備、伸延させ、結果的にゴム採取人の土地を奪っていった。森林がなくなっては生活の糧がなくなる、熱帯雨林を守れ、とゴム採取人シコ・メンデスは立ち上がり、世界の世論を動かし始めた(国連から表彰までされた)が、1988年開発主導者の手によって暗殺された。
アマゾンにはもともと先住民族がいた。大規模開発が始まる前までは350万人いた先住民たちが現在では森の消失と入植した白人の虐殺により20万人にまで激減している。この先住民族たちが、太古より毒や薬として用いてきた成分が先進国で医薬品の原料として注目され出した。これが遺伝子資源である(ここでもアメリカは「先進」であった。アメリカ国立癌研究所には世界中から集められた60万点にも及ぶ動植物のサンプル、抽出成分が保管されている)。先進国は先を争う様にこぞってアマゾンからサンプルを採取しまくった。現在の医薬品の25%が植物から抽出した成分から作られており、アマゾンには世界中の植物の種類の20%が存在するといわれているが、調査はまだその1%の種類しか済んでいないとも言われる。現在ひとつの新薬を開発するのにかかる費用は約5億ドル。しかし、そこからもたらされる利益は計り知れない。
1998年11月、「遺伝子資源持ち出し規正法」がブラジルの上院で可決された。これは、遺伝子資源をブラジルより持ち出すのを規制し、持ち出しの際にはブラジル政府の許可を必要とし、そこからもたらされた利益はアマゾンに暮らす人々に分配(還元)するべき、という法律である。この法案を提出した人物はマリーナ・シルバ。かつては前出のシコ・メンデスと活動を共にしたゴム採取人であった。しかしアメリカは自国の医薬品産業保護の立場から、その利益は開発した会社(国)にあるとして反発している。その中でブラジル自身もがんばっている。ある植物から細胞の増殖を抑制する成分の抽出に独自に成功したのだ(これは癌細胞の増殖を押さえる特効薬にもなりうる)。
現在もアマゾンの破壊は進んでいる。そして超大国アメリカの国益いや欲望の塊であるアメリカ産業界の餌食となり、開発と環境保護の間で翻弄される人たちがいる。伐採が禁じられている場所から木が切り出され、地図にない道路が作られ、そこからワシントン条約で取り引きが制限されているマホガニー(高級樹木の一種)が大量に運ばれていく(当然アメリカなど先進国に密輸される)。乾季になれば野焼きされ、資源の宝庫が失われていく。20世紀の欲望の舞台と大国のエゴを映す鏡がアマゾンにあった。
人間の活動、化学物質の氾濫、汚染、経済優先の開発が環境破壊しているといわれて久しい。が、あくまでもこれは人間を中心に考えた場合の「環境破壊」であると思う。人間の活動、化学物質の氾濫、汚染は人間にとっての都合のよい環境を失うことになるが、地球全体から考えてみれば、地球は地球のままで存在すると思う。地球が生まれてから46億年もの間、水すらもない時期があれば、生物にとって必要な酸素がなかった時代もある。酸素がない時代はオゾンもないわけで、紫外線にさらされていたはずだ。「地球にやさしく」というのはあくまでも人間を中心とした環境、生態系を守るためのエゴであり、10億年単位の時間があれば地球はそれを浄化し、またはそれに順応した環境を作り出すはずと私は考える。確かに人間は非常に短期間の間(それはほとんど20世紀の100年の間)に人間を中心とした環境を激変させるようになったが、10億年単位で考えれば一瞬の出来事であり、誤差の範囲内ではないだろうか。
人間に残された選択肢は二つ。自らが引き起こした汚染、環境破壊にまみれて自滅するか、この汚染、環境破壊に順応できるよう進化(遺伝子操作または化学合成物質だけで生き延びることができるよう全身機械化(サイボーグ化)するか。いずれにせよ「豊かな」国にしかそれはできない)するかだ。たとえ人類がどのような道を歩むにせよ、次の世紀も地球は静かに回り続けていることには変わりはない。
(1999. 3. 7.)