brain_title.gif (13527 バイト)

 

真夜中の脳みそ

詩集「半熟卵」(Update:2001. 9.16.)

コラム「午前3時の天気予報」(Update:2004. 8.21.)

AIBO日記(Update:2003.11. 3.)

アルバム(Update:2003.1.31.)

「紺野」とは?(Update:2004. 8.21.)

Links(Update:2002.10.20.)

更新ログ(Update:2004. 8.21.)

Mail Me !


第31回 コラム:蹂躙される平和憲法〜思想はどこへ行くのか〜


 私は日本国憲法第九条はとてもすばらしい思想であると思っている。しかし過去何度も「解釈」ということで蹂躙され続けてきた。そして、1997年9月23日「日米防衛協力のための指針」(いわゆる「ガイドライン」)が改訂され、その範囲を「周辺有事」にまで拡大させた関連する法案が(1999年の)国会で審議されることとなった(政権を維持するためにはなりふり構わない自民党、米軍との親密な関係を持ちたい自由党、中身は何であっても政策を実現したという実績だけがほしい公明党の思惑だけで衆議院では可決された)。確かに有事の際には「武力」は必要であるし、「武力」を持たない日本にとって頼るものは同盟関係にあるアメリカ合衆国の軍隊(以下:米軍)だ。が、やはりこれは憲法の思想に反することで、間違いであると思う(この御時世に日本を侵略占領しようとする国が存在するのか。存在しなければ「武力」すらも必要としないではないか)。この憲法は数多くの歴史から学んできた人類の英知としての理想が掲げられてあり、人類の宝物と言ってもいいものだからだ。

日本国憲法第九条(全文引用)

1946年11月3日公布 1947年5月3日施行

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第二項
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 このような高い理想を掲げておきながら、事実上日本には戦力、つまり「軍隊」が存在する。前身は「警察予備隊」であり、それを改め「自衛隊」である(発足:1954年)。一応表向き日本語では「軍隊」でない、専守防衛を目的とした特別な組織、としてあるが、英語では"Japanese Self-Defence Force"である。"Force"にということは立派な「軍隊」だ。略称"Japanese Force"も定着している。この略称をそのまま日本語にすると「日本軍」だ。国際的にも日本の「軍隊」として見られている。これを「自衛隊」と称して「軍隊ではない、戦力ではない」としているのは自国の国民を欺いていることに他ならない(発足も米軍が1950年の朝鮮戦争介入の足がかりとして地理的に近い国を利用したかっただけだ)。

 この"Self-Defence"もアメリカ合衆国(以下:米国)の都合のいいように勝手に拡大解釈され、日米安全保障条約(1951年締結)のもと、米軍の後方支援、対アジアまで「自衛」の枠は広がりつつある(だいたい今の御時世に本当に純粋に「自衛」だけを目的とした武器を持った「軍隊」でない「組織」が存在しうる、と考える方が間違いではないのか。今存在する既成事実だけをつむぎ合わせればどう考えても自衛隊は陸海空軍の戦力だ)。

 自衛隊の装備だけを考えれば日本のハイテク技術をバックに世界有数の軍事大国だ。近代戦では必要不可欠の高性能のイージス艦を自国生産、配備している。「支援戦闘機(FS)」と怪しげな名前がついているが、超音速戦闘機を自国開発、生産、配備している。世界屈指の高性能戦車も自国開発、生産、配備している。対潜水艦哨戒機も保有している。作っていないのは航空母艦と中距離弾道ミサイル(IRBM)/大陸間弾道ミサイル(ICBM)と核弾頭ぐらいだ。日本のハイテク技術をもってすれば、これらも自国開発、生産できるであろうことは想像に難くない(人工衛星や惑星探査機を打ち上げることができるロケットを自国開発しているのだから軍事転換も不可能な話しではない)。ちなみにレーダーに反応しにくいステルス技術についても世界屈指であり、主に橋や潜水用具等民間で利用されている。韓国に捉えられた朝鮮民主主義人民共和国(以下:北朝鮮)の工作員が用いていた潜水用具は不正に輸出された日本のステルス性の塗料を使用したものだった。

 これだけの装備を持っていながら、「情報」に関しては(専守防衛のため)数々の制限があり、米軍から25年ほど遅れているといわれているが、防衛庁内に情報本部を設置し、米国国防総省や米軍を見習いながら着々とノウハウを蓄積しつつある(1996年の台湾総統選挙を妨害するための中国の大規模軍事演習についての無線を傍受して米軍と連携を取っていたり、同じく1996年に起こった反政府左翼ゲリラMRTAによるペルー日本大使館占拠人質事件においても情報収集活動の成果として実際のペルー軍の突入よりも3ヶ月も早く武力行使を予測する報告書を当時の内閣総理大臣橋本龍太郎に提出していた。1998年北朝鮮テポドンミサイル発射の際にはリアルタイムで米軍から情報を防衛庁は受けていた)。そこにきて偵察衛星改め、情報収集衛星を持たんとしている。既に「ガイドライン」にあるような自衛隊と米軍の連携は我々の気が付かないところで既成事実として行われていたのである。

 このいわゆる「ガイドライン」はPeace Keep Operation(PKO:平和維持活動)とはまったく性質が異なる。PKOが紛争地域に人員を送り込んでその地域での争い事をおさめることを目的としている(一般人が何の装備もなしに紛争地域に行っても標的になるだけなので、ある程度軍事訓練を受けた人員、ということで自衛隊が選ばれているだけだ。これでも自衛隊の拠り所としている自衛権から外れていることには変わりはないが。国際紛争を解決する手段として武力行使を放棄している憲法にも反する。さらにPKOという考え方自体米国的で押しつけがましいとは思う)のに対し、「ガイドライン」では米軍の後方支援の名のもと、(憲法で放棄しているはずの)交戦権を事実上認めることになる。日本語で「ガイドライン」と言っているが、内容を見れば"War Manual"(戦争の手引き)であり、もともとこの「ガイドライン」は米国が英語で作成した文書(the Guidelines for U.S.-Japan Defense Cooperation)を日本語化したものである。極論してしまえば、米軍が有事の際に介入する足場として日本を利用したいだけのものであり、その戦争を行うときの手はずを日米の二国間で事前に取り決めておきたいだけなのだ。

 これは日本国憲法第九条を捨てることに他ならない。世界にただひとつしかない交戦権を放棄したことを明記する憲法を持っておきながら、それを他の法律で無視していいと定める。これが法治国家のすることか。憲法とはその国の骨格を定める法律であり、思想、理想である。それを反故にする法律をただの政治的ごたごたで決めてしまおうとすることなど許される行為ではない。教育の場ではどうやってこの日本国憲法第九条の高い思想、理想を教えればいいのかわからなくなってしまうではないか。

 この「ガイドライン」関連法案に対して国民はあまり詳しい説明を受けていない(米軍に対する後方支援の範囲を日本「周辺」まで拡大、日米物品役務相互提供協定により物品、役務を日米相互に提供できるようにし、在外邦人救出には航空機以外にも艦船が使用できる、という改正)。が、それはあまり詳しく国民に教えてしまうと1951年日米安全保障条約締結の時(そして1960年のその改定)のような大規模な反対運動が起こりかねないから、わざと知らせないようにしているに過ぎないのではないだろうか。またある意味昨今の政治無関心を利用しているともいえる。それとも我々国民自体が政治的ごたごたによる既成事実に蔓延した状態であり、何とも思っていない状態にあるのではないのか。

 ではなぜ交戦権を認めることになるのか。何が「戦っている」ことになるのか。まず、基本方針として日本を含めたアジア周辺地域(その定義もかなり曖昧であり、その解釈も日本、米国、台湾、中国、韓国それぞれ異なる)になんらかの紛争、戦争行為があった場合に、米軍は堂々と介入することができる(日本にその脅威が及ぶかどうかはどちらでも構わない)。そして自衛隊は米軍の後方支援を行う。「後方」にいて「支援」するだけではあるが、(米軍から攻撃を受けている)相手国から見ればそれは「補給部隊」に他ならない。つまり、「敵軍」である。「戦っている」のである。そして米軍から指定された民間の港湾施設、民間の空港を米軍にあけわたすことになる(1〜2年ほど前から米軍の軍艦が民間港湾施設に寄港しているのは有事の際にその港湾施設が使えるのか使えないのかを判断しているためなのかもしれない)。これは相手国から見ればそれらの港湾施設や空港は立派な米軍の軍事施設であると言っているようなものである。

 例えば1998年12月の米軍イラク空爆、1999年3月の(この原稿執筆時点でなお続いている)NATO軍ユーゴスラビア空爆ではその論理のもと、多くの民間施設(橋、放送局の入っているビル、空港、燃料備蓄施設等)を「軍事施設だ」と言いきって米軍、NATO軍はミサイルを撃ち込んでいる。この米軍、NATO軍が取った論理を相手国が実行するとなれば、日本の民間港湾施設や空港がミサイルの標的となる。一般民間人が犠牲になることは必至だ。また、米軍への弾薬、燃料輸送に民間の運送業者が行うことになる。となると、相手国から見ればその業者の船やトラックは一般の荷物を運んでいるのか、軍事物資を運んでいるのかは外からは判別しにくいため、ほぼ全て攻撃対象となってもおかしくはない。実際前出のNATO軍ユーゴスラビア空爆では「誤爆」としているが、民間人のトラックに空対地ミサイルを発射している。

 このような米国、米軍の勝手な思惑で、日本を戦争状態に突入させてしまうことを許してしまう行為を、原則国会の事前承認を得て(緊急時であれば事前承認なしに)遂行できる根拠を作ってしまうことになる(事実上内閣の判断だけで遂行できることになっているため、内閣に権限が集中する、民間施設を軍事利用する、これは1938年制定の「国家総動員法」に近い)。これはもう日本の再軍備を事実上認めてしまうことに他ならない。紛れもなく「軍拡」以外のなにものでもない。再軍備ではない、自衛のためだと言い逃れ続けることができなくなってしまうことに他ならない。争い事があるから軍備が必要になるのか、軍備がされているから争い事が起きるのか、鶏と卵のような関係であるが、戦争という暴力は過去何一つ問題を解決してこなかったことだけは確かだ。戦力を保有しない、交戦権を行使しないと定めた日本国憲法第九条はただの飾り物になってしまうのか。歴史から学んだことの結果を自らの手で汚すのか。

 第一次世界大戦から軍人同士の戦争はナンセンスとなった。いかに民間人を多く殺傷して相手国の戦意を削ぐのか、が焦点となるようになった。いわゆる「総力戦の時代」である。それが毒ガスを生み、細菌(生物)兵器、ミサイル、無差別爆撃、果ては核兵器を生み出してきた。民間人を大量に殺戮することを目的として兵器開発がなされてきた。そのため、民間人が「戦争は他人事」、「軍人同士の喧嘩」と言いきれないのが近代戦だ。戦争は常に非現実的なものであるが、民間人は標的になっている現実を認識しなければならない。時にはその民間人を盾として使ったりもするのだ。また、訓練経験もない民間人でも簡単に取り扱うことができる銃器も開発されてきた。有事の際には民間人も簡単に兵士になってしまう(これは各国で起きている武力紛争を見ても明らかだ)。

 しかし、「正義」の「戦争」よりもたとえそれが「不正義」と言われようが「平和」を私は採りたい。よって日本に米軍基地は必要ない。戦争に備える軍備も必要ない(自衛隊は武装解除し、災害時の人命救助の活動に専念してもらいたい)。日本は米軍の直接介入を許してはいけない。軍備を放棄した、交戦権を放棄した平和憲法を既に50年以上前から保有していることに誇りを持たねばならない。過去その場その場のどさくさで蹂躙され続けてきたその本来の思想、理想を忘れてはならない。蹂躙によって結果的に残った既成事実を黙認するのではなく。

(1999. 5. 3.)

Rails.jpg (41731 バイト)


  • イージス艦 "イージス"とは米海軍の対空システムのことで、その名称はギリシャ神話でゼウスが娘アテナに贈った盾の名前に起因している。フェーズド・アレイ・レーダーを用いて多数の目標を同時に探知、追尾を行い、驚異評価、撃墜の優先度、対抗システムの選択を自動的に行って多数の目標を自動的に同時に迎撃が可能なようにしたもの。このシステムを搭載した艦をイージス艦という。

今回参考にしたWebPage

  • 防衛庁 http://www.jda.go.jp/
  • 現代軍事用語集 http://www.platon.co.jp/~vought/nachi/data/yougo_j.html

PrevWB01343_.gif (599 バイト)   WB01345_.gif (616 バイト)Next