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第34回 コラム:豊かさの現実


 暮らしが豊かになるということはどういうことなのであろうか。私は日本が(物質的に)貧しかった頃を知らない、体験していない。私は高度経済成長のほぼ完了した時代に生まれ、バブル経済好景気の頃に学生時代を過ごし、現在に至る。

 私の実家は東北の一地方都市の中流家庭で庭つき一戸建てだった。物心ついたときから家にはカラーテレビがあり(既に旧式であったそのテレビでモントリオールオリンピック(1976年)を観戦した記憶がある)、2槽式の電気洗濯機があった(手回し式の脱水用ローラー絞り器がついた洗濯機は既に一般家庭には存在しなかった。どちらにせよ全自動洗濯機が普及する以前のことである)。私が幼稚園の頃に父親は自家用車を購入し自転車通勤をやめた(25年も前の話しだ)。その頃には電子レンジが台所にあり(この電子レンジは20年以上の歳月を経ても未だ現役)、電気温水器でお湯が常時使える状態にあった。

 ニューギニアの奥地で樹上に家を建てて現在も衣服を纏わずに暮らす部族(コロワイ族)がいる。農耕をせず、狩猟生活をしている。主食はヤシの樹から採取するデンプン。タンパク源は狩猟により得た豚やトカゲや昆虫(ゾウムシ)の幼虫(驚くことに彼らはこの幼虫の養殖技術を持っている)。塩などの調味料もない。彼らは狩猟の対象によって様々な矢を使い分ける。当然、対人用も存在する。が、部族間は全て家族のようなもので争いはなく、あくまでも他の侵略から守るためのようである(彼らには年月の概念がないので正確にはわからないが、対人用の矢はもう何十年も使っていないと思われる)。

 多分これが原始の時代の人間の姿なのだろう。しかし、ここにも物質文明の波は押し寄せ、彼らの子供達は部族の居住する土地を離れ、村に出て働き、お金を稼ぐことをおぼえる。物質的に豊かな生活を知ることになる。当然このコロワイ族は壊滅の危機にある。

 1996年、中華人民共和国(以下:中国)に北京から香港の九龍まで全長2,536kmの「京九鉄道」が開通する。400億元(中国の年間国防費の約半分)を注ぎ込んだ一大事業だった。社会主義の中に市場経済を導入し沿海部(上海、深?(シンセン:センの字は土へんに川)等)の経済発展を遂げた大都市と、内陸部の農村とを結ぶ大動脈だ。国土も人口も70%は内陸の農村地帯であり、貧しい。そこで中国内陸部の経済を流動化、刺激して沿海部並に豊かにしようというものだ(この「京九鉄道」沿線で約4億八千万人の人口を抱える)。開発のスローガンは「先富起来(せんぷきらい)」。先に事業を手がけたもの、市場経済に取り組んだものが富を得るという意味だ。

 この「京九鉄道」を軸にして大都市部へ人、物、金が流れ込む。豊かになった者が故郷の村に豪邸を建設する。それに憧れを触発された者が欲を掻き立てられ、都市部へ向かう。農村を捨て都市へ向かい、また都市並みの豊かさを持った村へその周辺から人が流入する。より高い賃金を求めて流入する。21世紀初頭にはアメリカ合衆国(以下:米国)、日本に次ぐ経済大国になると予想されている中国。年率10%以上という驚異的な経済成長で爆進し続ける中国。しかし、これはどこかで聞いたような物語ではないのだろうか。

 1964年の東海道新幹線開通。東京、大阪2大都市間を直接結ぶこの高速鉄道は各地の農村部から人、物、金の大都市への流入を加速した。そして田中角栄の「日本列島改造論」。この田中角永の頭の中には日本列島を新幹線で結んで、人、物、金の流れを加速する姿が浮かんでいた。その通りではないが山陽新幹線開通、東北・上越新幹線開通と新幹線開通は相次ぎ、同時に各地に空港が整備され、高速自動車道路も整備されていく。そして人、物、金の流れは常に大都市に向かって行った。

 が、物質的な豊かさをもたらしたこの交通網は一方で深刻な農魚村部の過疎化を生んだ。高速交通網が整備されている地方とそうでない地方との間に経済的、教育的、情報的格差が生まれた。その格差ゆえに人が都市部へ流入する、新幹線や高速交通網を過疎化が進んだ地域へも延伸させようとする。莫大な建設費と採算性の低さから今となってはなかなか延伸しないが、高度経済成長の幻想を捨てきれない地方自治に携わる人間達にとっては「悲願」だ(彼らは高度経済成長の夢を見たまま時間が止まっている)。これと同じことがいずれ中国でも起きるのではないだろうか。

 中国は2002年に長さ約5,000kmの鉄道を建設しようとしている。それにより農村部から都市への欲望のうねりをさらに加速させようとしている。一方でそれまで国営企業で安穏と暮らしてきた従業員は民営化されたとたん解雇される。リストラで失業した人は1,500万人をこえる。数年後には倍増するともいわれている。また、中国西部の高地などに住んでいる人々は「絶対貧困層」と呼ばれ、日本円換算で年収が5,000円にも満たない。当然彼らは電気もガスも水道もないところで生活している。そんな人々が5千万人以上いるといわれている(中国政府は21世紀初頭には絶対貧困層をなくすと宣言しているが、貧富の差は広がるばかりだ)。

 しかしこの物質的豊かさは破綻することもあるのだ。その豊かさの破綻の一側面を通貨危機が襲ったアジア、インドネシアに見ることができる。

 インドネシアでは今、多数派であるイスラム教徒と少数派であるキリスト教徒との間で諍いがある。このインドネシアの東部、モルッカ諸島のアンボンではイスラム教徒とキリスト教との間には「ペラ・ガントン(Pela Gandong)」という協約があり、相互に友好関係を確かめつつ協力し合うという時代が続いていた。もともとモルッカ諸島をはじめインドネシア東部ははポルトガルの植民地で住民の大半はキリスト教であったが、第二次世界大戦後インドネシアとして独立するとオランダの植民地であったジャワ島などからイスラム教徒が入植し増えていった。1997年通貨危機により経済が苦境に陥ると物資の不足や物価の高騰により社会不安につながり、それが宗教や民族対立の形をなしてきた。それまで仲良く暮らしてきたのに、である。この諍いは組織的に仕組まれたものであるという疑いが強いが、なぜこうも簡単に殺し合いにまで発展するのか。

 一度豊かさの味を知ってしまうと、その豊かさが崩れたとたんに簡単に社会不安に陥り、不満が爆発し、憎しみあうようになってしまうのではないだろうか。それが豊かさという蜜の隠された味なのであろう。この危うさは衣食住が約束されたときにはまったく見せない隠された側面である。そもそも物質的豊かさのかけらもない前出のコロワイ族では全てが平等に分け与えられ、諍いなど起きない。

 人はいつからその豊かさを求めるようになったのだろう。本当に太古の昔から人間は豊かさを追い求めてきたのだろうか。少なくともコロワイ族においては(物質文明に触れてしまった子供達を除き)豊かさを求めようとする雰囲気が感じ取れない。しかし、第二次世界大戦後米国の豊かさを知ってしまった、物質的豊かさに視野狭窄となって憧れてしまった日本。そしてまたその後を追うように物質的豊かさを求めて爆進する中国。もし中国が日本のようになって、みんながみんな自家用車を持つようになったら、食糧は、資源は、環境は一体どのように変化するのだろう。

 もし仮に中国で今追い求められている豊かさが破綻したらどうなるのか(米国を中心とする大量生産、大量消費のマクロ経済は、北米、欧州、日本というマーケットを食いつぶしほぼ過剰状態になっていたところに、13億人の人口を抱える巨大マーケットが出現した。が、マクロ経済がこの13億のマーケットすらも食いつぶしたとしたら、次のマーケットを見つけられなかったとしたら、この豊かさは世界的規模で破綻してしまうのではないか)。IMF(International Monetary Fund:国際通貨基金)の手をもってしても救済できなかったとしたら、世界はどうなってしまうのか。もともと多民族国家である中国内部で激しい諍いになることは必定であろう(それとも中国政府は抑圧で対応するのか)。その時世界はどう対処するのだろうか。今現在先進諸国と呼ばれている国々もどうなるかわからない。果たしてそんな危うい豊かさとは一体何なのであろうか。

 実は豊かさを求める発端も、破綻した後の諍いも同じ原因なのではないだろうか。衣食住のうちどれかに不満が発生する、これではないだろうか。豊かさへ向かう階段の始まりも、登りつめた階段から滑り落ちるときも人間の生活の根幹である衣食住のどれかが欠けたとき。そう考えてみると、思ったよりも人は単純なのではないかと思えてくる。人間は欲の赴くままにしか行動しないのだ。

 所詮物質的豊かさとは蜃気楼に過ぎないのかもしれない。しかし、麻薬中毒に陥っているかのごとく、これを書いている私自身、この危うい豊かさから逃れることはできない。

(1999. 5.29.)

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今回参考にさせていただいたもの

  • NHKスペシャル「世紀を越えて」 1999年1月より毎月2回、42回にわたって放送中
  • NHK「地球に乾杯〜樹上に暮らす謎の民〜」 1999年5月13日放送
  • MSNニュース&ジャーナル http://journal.jp.msn.com/default.asp
  • Galaxy Textpress http://www.geocities.co.jp/WallStreet/9807/framepage1.htm

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