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第46回 コラム:人はみな依存したがっている


 キリスト教、仏教、イスラム教。この3つを世界3大宗教と呼ぶ場合がある。その中で現在急速に信者を伸ばしているのがイスラム教だ。最近の世界情勢を理解するにはイスラム教を抜きにしては考えられない(インドネシアで起きている様々な独立運動、東ヨーロッパの民族紛争、イスラエルとパレスチナ、キプロス島等々)。が、資本主義経済、キリスト教を信じているものたちにとってはイスラム教というのはとても理解し難いものらしい。また、かつてイベリア半島を支配していたイスラム教徒(8世紀)をキリスト教徒が追い出し、壊滅させる目的で大航海時代(16世紀)に突入したという歴史的背景に基づく社会的に敵対するものとしてのイメージが作られた。よってイスラム教→テロという単純図式が欧米大手マスメディア、政府によって作られてきた(明らかにこれは間違いだ)。

 イスラム教徒でない私はイスラム教を理解しているとはいえないが、少なくとも私にはイスラム教と敵対するつもりはない(テロリズムと直結させる発想もない)。キリスト教信者でもないし、一応制度上仏教徒ということになっているが、法事、葬式などの「行事」に参列するぐらいだ。私は基本的に無神論者で宗教を信じるつもりは全くいないが、できるだけそれぞれを平等に理解したいと思っている(といっても宗教学をまじめに修めるつもりもない。世界情勢、国際情勢を読むのに必要な概要程度はおさえておきたいと思っているだけである。従って信仰を否定するつもりは全くない)。

 もともと(現在のサウジアラビア)メッカで預言者ムハンマドが、唯一絶対の神アッラーから授かった言葉に端を発したイスラム教(その授かった言葉を記したものが「コーラン」である)は、中東、アフリカ、南アジアに盛んな交易によって世界に広まる。

 さらに「人はみなアッラーの前では平等」(全人類はアッラーの庇護を受ける一家族)という考え方(国や人種は関係ない)や、「喜捨(きしゃ、ザカート)」(利益をみなで共有し、共有のためには進んで分け与える)というシステムは社会的マイノリティーに受け入れられやすい上に、うまく機能すると思う。だが私の理解する範囲内では、イスラム教は既に世界的にマジョリティーだ。

 ここで注目したいのは、様々な科学者の研究により「事実」は明らかになっても「信仰」は消滅しない、むしろ強まっているのではないのか、ということである(進化論や遺伝子、量子力学、プレートテクトニクス等をイスラム教でどのように解釈しているのか私は知りたい)。そして、今急速にイスラム教信者を伸ばしている背景にはソビエト社会主義共和国連邦(以下:旧ソ連)の崩壊と、アメリカ合衆国(以下:米国)のマクロ経済の偏重がある。

 旧ソ連の共産党独裁政権下では宗教は否定されてきた。旧ソ連はもともとロシア正教(キリスト教)のロシア(ロマノフ王朝)、イスラム教の中央アジア諸国、バルト海に面した諸国など、さまざまな民族、宗教をごちゃ混ぜにしてできた共産主義の「帝国」だった。ロシア内部でも多数のユダヤ教徒を抱えていた。それが旧ソ連の崩壊を機に、構成していた様々な国が独立、特に中央アジアに位置する諸国はイスラム教を復活させた。現在のロシアの内部にも様々な共和国、自治州があり、チェチェンではイスラム教武装勢力が独立を宣言し、ロシア軍と住民を巻き込んで内戦になっており、ダゲスタンはその飛び火を浴びている。中央アジア、キルギスではそれとは別な武装勢力が日本人鉱山技師を拉致した事件(1999年8月)は記憶に新しい。

 旧ソ連が崩壊し、唯一の超大国となった米国では現在8百万人のイスラム教徒がいると推定されている。30年前はほとんどいなかったことを考えるとものすごい伸び率であるし、特に1991年の湾岸戦争以降、移民やキリスト教からの改宗でその数を増やしており、犯罪や麻薬、ストレス、病苦からの救済としてのニーズがある(元ボクシングヘビー級チャンピオンのマイク・タイソンも服役中に改宗したひとり)。空前の好景気にわく米国だが、実は景気がよいのはマクロ経済の象徴である情報産業と金融だけであり、相変わらず失業率も高い。過度な競争意識の蔓延により心身的にストレスを感じている人たちも多い。これが救済の手段としてイスラム教に改宗させることにつながっている。また、「安い」労働力として(イスラム教徒の)移民が用いられる場合も多い。全米8百万人といえば約人口2億7千万人のうちの3%にあたり、ニューヨークなどではモスク(イスラム教の寺院)も建設され、コミュニティが形成されている。(私の理解する範囲内での)イスラムの教えは米国の利己的イデオロギーとは合致しないものであるが、この増加が加速することは間違いない。

 3大宗教を乱暴にまとめると基本は「よりどころとなるもの」としての「教え」、ではないだろうか。どれも(方法や表現は異なるが)「人間はどのようにして生きていくべきなのか」を示していると私は思っている。なかでも人間としての生き方、道徳、食生活から経済、政治までこと細かく示されているのがイスラム教だ。そして私の理解する範囲内では3大宗教の中で信者が「教え」に依存する割合が高く、戒律も厳しいように見受けられる。自由を求めている(はず)の人が戒律の多さに引き寄せられるのは、心理的に規定が全くない状態よりある程度の制約がある方が共通体験、追体験しやすいからではないのか(あくまでも私が理解する範囲内では)。

 人は「生きる」ことに理由もなく必死だ。「生きる」ことに対して意味を模索するために必死だ。それゆえ人間は常に不安が生じる(人間は自分の身の丈以上のことを知覚することは困難であり、知覚できない、ということが不安を増長させる)。その不安の中では何か指し示すものがないとストレスが増加する。自分自身がなにものなのか、自分自身とは何なのか、生きていることの意味等々根源に関わることを明確に理解することは困難だろう(実際私自身は理解する域に達しているとは言えないだろうし、将来も多分その域に達することはできないだろう)。それもまた不安を増加させる。そしてその不安が人に何かに依存したい気持ちを増加させる。ほとんどの人が何かによりかかりたいと思っている(何か支えがあれば不安は解消される)。それが唯一絶対の強大な存在であればなおさら。

 よりどころは何も宗教だけではなく、イデオロギーやナショナリズムであったりもする(不安を解消させるもの、という観点では私の中では宗教もイデオロギーもナショナリズムも同列である。少々乱暴ではあるが)。結局人間は完全に独りで立って歩けるほど強くはない、ということだと思う。だから何かにすがりたいのだ、依存したいのだ、(自由を求めながら)支配されたいのだ。それが強大な存在であればあるほど依存しやすく、かつ楽だ。(教えに従うとか指示を受けるとか)受動的でありさえすればよいのだから。完全に自由な状態は非常に苦しい(ここでいう自由とは自分の主体性、自主性のみに拘束されることだ)。

 全ての面において「正しい」というものは存在しない。イスラム教もまた然り。1979年、西欧化が進むことに異を唱え、イランでイスラム原理主義による革命が起きた。このニュースを見たとき、当時小学生だった私は「今ごろ革命なんて流行んないのにな」と思ったことを覚えている。実際当初は革命体制は当初はうまく機能していたが、反米感情を買い、イラクとの長期にわたる戦争状態に突入する。それから20年、戦争に疲弊し、米国から敵対されることにより経済状態は悪化。現在イランはイスラム教に殉じつつも自由、解放に向かいつつある。

 人間は自由を望むが、その一方で被支配欲を併せ持つ。あらゆる方面からスタンダードが崩壊している現代、人は何を求めて依存するのか、何からの支配を受けたがるのか。混迷は深まるばかりで明かりはまだ見えない。

(1999.12.25.)


今回参考にしたもの

  • NHKスペシャル「イスラム潮流」 1999.11.14.、11.19.、12.5.、12.12.、放送
  • ワールドダイジェストメールニュース http://www9.big.or.jp/~w-digest/
  • 田中宇の国際ニュース解説 http://tanakanews.com/

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