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第47回 コラム:来たるべき世紀 partY
スマトラ島、ジャワ島、バリ島等大小3万以上の島から構成されるインドネシア。さてここでそのインドネシアの地図を取り出して、「(インドネシアからの独立を現在進めている)東ティモールを指さしなさい」と言ってその位置を示すことができる人は何%いるだろうか。かくいう私も少なくとも2年前(1997年)は指さすことはできなかった。
知っているからいい、というわけではないが、連日のように東ティモールだ、アチェだと報道されていても、情報を受け取る側が対岸の火事程度にしか捉えていなくて興味がわかない、というのはよくないことなのではないだろうかと私は思うのである。
東西冷戦の時代が終わり、誰もが「平和」な世界が訪れることを1990年代初頭は思っていた。しかし実際はその逆で各地で紛争が激化している(もともと火種は冷戦の時代から存在し、しかもその紛争の火種は超大国がそれぞれのイデオロギーを守るために作り出したものである。それが冷戦の終結によるイデオロギーの崩壊やメディアの発達によって「知る」ことができるようになっただけなのかもしれない)。イデオロギー対立の時代から泥沼の地域紛争の時代となっている。収束の兆しは見えない。
この状態を打開するキーワードは「相互理解」だ、と私は思っている。互いに相手を「知らない」状態ならば理解が成立しないので、不安を感じ、互いに互いを恐怖の対象と思い、それが憎しみに変わり、争いが起こる。だから積極的に「知る」という姿勢、意識が必要なのだ、と思う。相手を知り、自分を伝え、互いに互いを受け入れ、多様性を認めていく。そうしてこそ相互理解が成り立っていくものと信じている。
もう20年近くも前(1983年)のことだが、中学の地理の時間のとき、社会の先生がポスターサイズのアフリカ大陸の地図を掲げて「この地図を見た第一印象を言ってみろ」と私たち生徒に問い掛けたのを覚えている。一瞬面食らった私たちは「茶色が多い」(乾燥地帯、高地をその地図では茶色で表していたため)、「赤道が真ん中を通っている」、「大きい」などと答えた。その社会の先生は「回答として外れてはいないが、国境線に直線が多いだろう」と言った。確かに他の大陸の国々は地理的条件(山脈、川、海等)で国境を定めていることが多いが、アフリカ大陸の場合は明らかに地理的条件を無視して引いたとしか思えない直線であふれていた(それは現在でも変わらない)。この先生はこの直線の背景には何があるのか自分たちで考えてみろ、と言いたかったのだろう。私にとっては忘れることができない記憶のひとつだ。
相互理解の妨げのひとつがプロパガンダによる洗脳やナショナリズムだ。幸い、日本は他の国に比べて極端にナショナリズムが低い上に情報的豊かさも比較的高いので、相互理解、国際化に向いていると私は思う(しかし、極端に多様性を認めない社会性があり、それが妨げになっているが)。その中にどっぷりと浸かった私はナショナリズムの低さを自認しているので、今現在私が生活している社会がたまたま日本と呼ばれる「国」であり、その社会の仕組みの中で毎日を過ごして、日本語を日常使用する言語としているだけに過ぎない、という理解である。
なぜ日本人はナショナリズムが希薄と言われているのか。私は第二次世界大戦の決定的敗戦によって、完全にそれまでのイデオロギー、ナショナリズムを否定されたからだと推測している。敗戦という痛いめにあったからこそそれを捨てざるを得なかった、連合国側の日本という国に対する恐怖が否定する行為に走らせた(といより日本を属国扱いにした方が利用価値があると思ったのだろう)、信じるものを失った、徹底的に辱められたということもあるだろう。いずれにせよ、敗戦が根幹にあるだろう。
所詮「国」という枠が出来上がったのは、たかだか「文明」として歴史が残っている数千年くらい以前からであり、人類の歴史はそれよりもずっと長い(ざっと500万年)。観点を変えてみると、長いレンジでも数千年くらいの間で習慣化されたものの中からでしか人間は考えられないとも言える(自分も含めてその程度の了見しか持ち合わせていないのが現実だろう)。
また、日本人が卑屈(という印象を持たれるよう)になったのも、他国民の批評や非難を甘んじて受ける(という印象をもたれるようになった)のもたかだか敗戦後50年程度の習慣でしかない。私はただの先入観に過ぎないと思っている。日本人でもものわかりの悪い人もいれば、外国人でもものわかりのよい人もいる。結局、「○○人だから」というのはあまり関係ないような気がする。結局はその人その人の個人の考え方なのではないだろうか。
それと同じようにいくら日本人でもナショナリズムが高い人も存在し、オリンピックやワールドカップの際に突発的にナショナリズムが高くなる人もいる。また、本人には自覚のないままこの間(1999年9月)の台湾震災の時ように、全体の被災者の数よりも日本人の被災者の方が気になる人もたくさんいる。ニュースでもそのように報道する。
例に挙げたスポーツで言えば、私はスポーツ観戦は好きだが、国を背負うとどうも抵抗感がある。決定的だったのは、ちょうど私に自分の置かれた状況に対して漠然とした疑問が芽生え始めた頃の1980年に開催されたオリンピックのモスクワ大会だろうか。当時ソビエト社会主義共和国連邦は隣国アフガニスタンに軍事侵攻し、その行為に反対するという名目でアメリカ合衆国(以下:米国)を中心とする国々が集団ボイコットをした(日本もそれに従った)。純粋なスポーツの祭典であったはず(と当時私は理解してた)のオリンピックが政治の道具、当時の冷戦構造を印象付けるものとして使われたのである。そのため私はそこからオリンピックに関心を失った。同じくサッカー、ラグビー、スキー等のワールドカップも同じく「国」の勝敗にはまったく関心がない。さらにナショナリズムの高い人に出会うと閉口する(これは私自身が思考停止しているのかもしれない)。選手個人個人のすばらしいプレーには素直に感動するが。
しかし、何処まで行っても究極の「村社会」である日本は潜在的にかなりナショナリズムが高い国なのかもしれない(多様性を認めなかったり、安全神話を盲信していたり、旅行から戻ってきて日本が一番、自宅が一番と考えてしまうことなど)。
いくら「相互理解」が必要で、その妨げとなるナショナリズムを低くすべきと考えても、「現実は甘くない」という反応も多いだろう。それを理解できないわけではない。現実を知らないわけでもないからだ。
実際10年ほど前(1987年)、米国の黒人家庭にホームステイした際(オクラホマ州)、ニューヨークの大学に通っているその家族の娘さんの帰省に合わせてホームパーティが催された。その娘さんは「I Love Black」とプリントされたバッジを服から外すことはしなかった。私にとってそれは理想と現実の距離を感じたひとつの出来事だった。そこで、かの国は様々な人種、様々な民族(当然様々な考え方もある)をつなぎとめておくために、歪み(侵略によって意識的に抹消したネイティブ・アメリカンの歴史もそのひとつ)は多々生みつつも、それを強大な星条旗というナショナリズムで覆っているだけではないのか、と当時私は思うことに至ったのだった。
また、米国のコンピュータ関連企業(もしくはこれらの企業に投資する投資家)では、「(頭を使う)設計は米国、(泥臭い)製造はアジアの黄色いサル」の類いの発言もよく耳にする(かといってナショナリズムを否定したい立場の私は、完全自国生産を「良い」ともしないが)。実際のところワールドワイドでビジネスを展開する場合、労働単価の安いところ(国、地域)で製造するのがコスト削減に一番有効だ。資本主義経済の範囲の中では労働単価に差が生じる、貧富に差が生じるのは避けて通ることができない。かといって共産主義が全面的に「正しい」とも言えない。あるいは私自身が「思考停止を防ぐ」という考え方によって思考停止しているのかもしれない。
しかし「現実は甘くない」も思考停止のひとつではないか。確かに情報を取捨選択してしまうのも人間の意識であり、思考停止した意識では思考停止された情報しか残らない。かといっていったん思考停止してしまった人を解放するのは困難だ。それが私のような理想論者の前には大きな壁となって立ちはだかり、挫折させる。そして問題を先送りするだけの現実が待っている。しかし、現実論だけでは物事は前進しないと私は考える。
「現実」を「現実」としてだけ受け止めて思考停止している状態では何も変わらない。ある意味理想は到達点、目標であって、それが遠いからといって諦めることがよいとは思わない。目標、ビジョンがなければどの方向に進んだらよいのか迷ってしまう。そのために必要なものが理想なのではないか。人間にはまだ可能性が残されている(時間が必要、もしくは日本の敗戦のように痛いめに遭わないといけないのかもしれないが)。多様性を受け入れるだけの度量もあるはず。
ナショナリズムを捨て、多様性を受け入れよう。差別と憎しみと殺戮と戦争の世紀を終結させるために人間はまだやれることがある。現在はそれを知らないだけだ。そう信じている。
(1999.12.25.)
今回参考にしたWebPage
- ワールドダイジェストメールニュース http://www9.big.or.jp/~w-digest/
- 田中宇の国際ニュース解説 http://tanakanews.com/
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