brain_title.gif (13527 バイト)

 

真夜中の脳みそ

詩集「半熟卵」(Update:2001. 9.16.)

コラム「午前3時の天気予報」(Update:2004. 8.21.)

AIBO日記(Update:2003.11. 3.)

アルバム(Update:2003.1.31.)

「紺野」とは?(Update:2004. 8.21.)

Links(Update:2002.10.20.)

更新ログ(Update:2004. 8.21.)

Mail Me !


第51回 コラム:11Kbytes椎名林檎


 今更椎名林檎について説明は不要であろう。お子様化と懐古趣味の両極端に走りつつある日本のポピュラー音楽界に、強力な「渇」を入れるべく出現した弱冠21歳(原稿執筆時点)の本格派ミュージシャンである。デビューしてたった2年で既に邦楽のビッグネームとなりつつあるので、恐るべし、である。椎名林檎の音楽を耳にしている人を前提として書いていくので、どうしても説明がほしいというのであればオフィシャルサイトを参照(http://www.toshiba-emi.co.jp/ringo)もしくは何らかの手段を用いて曲を聴いてほしい(ただし、著作権法に触れる方法は避けてほしい)。

 以下に挙げるCDやビデオを聴いた、観た範囲の中(純粋な音楽として見聞きした範囲)だけで書かせてもらう(一応今回は基本的に2ndアルバム「勝訴ストリップ」の評という姿勢を取らせていただく。私はコレクターでも椎名林檎マニアでも特にファンというわけでもない)。雑誌インタビューや毎月25日に発行されている販売促進用パンフ「RAT」(既に3月25日発行のVol.14.で終了)もあえてほとんど参照しない。それでもかなり聴きこんでいるつもりであり、それを思いつくまま原稿を書いていたら約11Kbytesになったのでそうタイトルをつけさせてもらった。決して11Kbytesに本人が凝縮可能、というわけではない。念のため断りを入れさせていただく。

  • 幸福論 「幸福論」/「すべりだい」/「時が暴走する」 TOCT-22011
  • 歌舞伎町の女王 「歌舞伎町の女王」/「Unconditional Love」/「実録・新宿にて-丸の内サディスティック〜歌舞伎町の女王」 TOCT-4112
  • ここでキスして。 「ここでキスして。」/「眩暈」/「リモートコントローラー」TOCT-4133
  • 無罪モラトリアム 「正しい街」/「歌舞伎町の女王」/「丸の内サディスティック」/「幸福論(悦楽編)」/「茜さす 帰路照らされど・・・」/「シドと白昼夢」/「積み木遊び」/「ここでキスして。」/「同じ夜」/「警告」/「モルヒネ」 TOCT-24065
  • 本能 「本能」/「あおぞら」/「輪廻ハイライト」 TOCT-22010
  • 性的ヒーリング-其ノ一- 「ここでキスして。」/「歌舞伎町の女王」/「幸福論」/「本能」/「ここでキスして。」(別バージョン)/「積み木遊び」 TOVF-1310
  • ギブス 「ギブス」/「東京の女」/「Σ」 TOCT-22051
  • 罪と罰 「罪と罰」/「君ノ瞳ニ恋シテル(can't take my eyes off of you)」/「17」 TOCT-22052
  • 勝訴ストリップ 「虚言症」/「浴室」/「弁解ドビュッシー」/「ギブス」/「闇に降る雨」/「アイデンティティ」/「罪と罰」/「ストイシズム」/「月に負け犬」/「サカナ」/「病床パブリック」/「本能」/「依存症」 TOCT-24231

 まず、「勝訴ストリップ」は傑作、よい、好き、個々の曲のよさでは1stアルバム「無罪モラトリアム」、アルバムとしての完成度は「勝訴ストリップ」等々能天気な評をいくつか見受けられるが、ここで私の独断と偏見を書かせてもらうなら、「この2枚のアルバムを比べてはいけない」だ。

 比べたい気はわかる。現時点でサンプルとしては2つしかないし、実際私も「勝訴ストリップ」を聴くまでは(いやCDプレーヤに最初にかけた段階では)比べてしまった。が、「無罪モラトリアム」が「ジュークボックス」的なアルバムであるのに対し、「勝訴ストリップ」は「FMラジオの1時間番組」という印象を受けた。確かに椎名林檎というひとりのミュージシャンを基点とする2枚のアルバムなのだから、同一平面の上に成り立つものだろうと思ってしまうのは自然だが、私の聴いた限りではこの2枚は一次元独立のベクトルを持ったものだ、と思う。

 そこで改めて2枚を聴きなおすと「無罪モラトリアム」では周囲の様子をうかがいながらどこまで我を出せるのか試していた感があり、「勝訴ストリップ」では多少要領を得てきて90%でぶつかってきている(100%という感はない。何故かは後述する)。この改めて聴きなおしたおかげでやっとシングル「本能」と「ギブス」と「罪と罰」を理解できたような気がする(当初私にはこの3曲が同じアルバムに入ることに若干の違和感があった)。

 世間的には椎名林檎といえばコスプレ(コスチュームプレイ:Costume Play の略語)、というイメージが強く残ってしまうくらい衝撃的だった看護婦の服装をした「本能」のプロモーションビデオクリップであるが、ある意味そういう「衝撃」としてのイメージを本人は楽しんでいるように見受けられる(または、本人は音楽で勝負している、ということで、それ以外のことは無関心なのかもしれない。いや、「本気」で「冗談」をやっているからこそ「衝撃」だったのかもしれない)。ちなみに「積み木遊び」のビデオではど派手なメイクに着物で歌っている。しかし、私が推察するに本人はコスプレに注目されてしまうのを意図しつつも「冗談」の一環なので、あまり気にしていないのだろう(意表をついたつもりが聴き手の固定観念に結びついてしまったのかもしれない)。本人いわく、自分の職業は「新宿系自作自演屋」。つまり、自分自身を使って様々な椎名林檎を演出している、と考えるのが妥当だろう。

 私はできるだけ純粋に曲が聴けるよう、自分が実際に聴くまでは様々なメディアから流れる「勝訴ストリップ」に対する直接的な評は一切見なかった(聞かなかった)が、内容に対してある程度の予測をしていた(さらに品切れを予測して予約をしていた。実際品切れ店続出)。が、アルバムを通して55分55秒経って自分に敗北感が残っているのを感じた。一アマチュアである私がプロフェッショナルなミュージシャンに対し勝負を挑んで勝てると思うのが間違っているともいえるが、クラシックからへヴィ・メタルまでを守備範囲としている、月平均4、5枚はアルバムを買う、それを聴く、発売されている椎名林檎の曲は全て聴いている(ビデオも観ている)私の耳は充分肥えているものと自惚れていた、ということもある。しかし、これは素直に負けを認めざるを得ない結果となった。

 種を明かすと、もともとこのコラムで「勝訴ストリップ」のアルバム評を含めて、様々なキーワードを拾って椎名林檎全体について書こうと思い、下原稿を約20Kbytesほど用意していたが、負けた以上それをばっさりと捨てざるを得なかった。そして構成も含めて全面的に新たに書き直した(負けついでに、全国ツアー「下克上エクスタシー」のチケット争奪戦にも負けた)。そのせいで文量も大幅に減少してしまった。

 さて、「勝訴ストリップ」で見られるアルバム全体の曲をつなげる構成は、1970年代の後半からポップシーンでは和洋問わず見られるようになった(アナログLPの時代はレコード片面をつなげるのが物理的限界だった)し、そのはしりは(私の記憶に間違いがなければ)ジョルジオ・モロダーの「永遠の願い」(1977)だったと思う。他に(私の知る限りの)代表作を挙げればYellow Magic Orchestraの「Yellow Magic Orchestra」(1978)高中正義の「Sweet Noiz Magic」(1987)だろうか。また、LP片面を1曲にしてしまう快挙(暴挙)はKRAFTWERKの「AUTOBAHN」(1974)があり、デヴィッド・ボウイの「Let's Dance」(1983)もそんな中のひとつだ。CD文化になってからはCD1枚つながっているのはThe Artist Formerly Known as PRINCEの「The Gold Experience」(1995)がある。Michael Schenkerの「Adventures of The Imagination」(2000)はもう曲とかトラックという既存概念を捨ててしまい、前衛的でかなりヤバいアルバムだ。

 こういう先例を耳にしてきていたので、「勝訴ストリップ」のような構成に驚きはしなかった。が、先例は全てアルバムはアルバムとしてきちんと終了していたのに対し、「勝訴ストリップ」の最終トラック「依存症」はだんだんフェイド・アウトしてそれで終わるのか、と思いきや6分23秒でぶち切っている(余韻すらも残さない)。まるでラジオのスイッチを切るように。(私の印象としては)アルバムとして完全には終了していないのである。

 また、椎名林檎のミュージシャンズ・クレジットには必ず、おちゃらけなのか別な理由なのかはわからないが引用符でくくったミドルネームが存在する(した)。例えば「無罪モラトリアム」では「椎名"サディスト"林檎姫」、「勝訴ストリップ」の「依存症」以外では「椎名"マゾヒスト"林檎小娘」といったように。が、「依存症」だけにはそれが存在しない。「椎名林檎」のみである。

 完全終了ではない、ミドルネームが最終トラックのみ存在しないという事実から、これは椎名林檎流の「遊びの時間終結宣言」ではないか、と私は推測する。つまりそれ以前(今まで)は「遊びの時間」だった、100%ではなかった、「本番」、「本気」はこれから、ということなのではないだろうか。アルバム2枚でこれからは100%を出してもよいと確信できるだけの地盤を作ってきた、今後も攻めて攻めて攻めまくる、ということなのだろう。これからは「ついて来れる奴だけついて来い」とでも言うかのように、疾走感をより強めるだけなのかもしれない(多少急ぎすぎのようにも感じられるが)。

 一応これで椎名林檎は「無罪」を「勝訴」したわけであるが、本人は実はまだそれに満足していないのではないだろうか。それはプロモーションサイドの「売れる」ためには何でもする、という姿勢が汲み取れるからだ。オフィシャルサイトで曲を期間限定でダウンロードできるようにしたり、手当たり次第にメディアに露出させたり、初回プレスのみ特別パッケージとなることを宣伝したりもしていた。当然これは「煽り」目的である。そういう「売れ線」を狙ったあたり、やはり100%ではないと言わざるを得ないだろう。

 曲の中での特徴的な点で言えば、その歌詞であるが、「勝訴ストリップ」の各曲で用いられる歌詞は「輪廻ハイライト」のようなひねりもないし、「丸の内サディスティック」で見せた卓越した言語感覚を感じさせるものよりは、多少レベルを下げてわかりやすくなってしまっている。せっかく歌詞として駆る言語に日本語とか英語といった区別はなく、日本語でも現代口語や文語、古語を織り交ぜ、さらに英語でも歌うし、英語の音に日本語を当てはめたりもする。それが「不条理で難しい歌詞」と言われる所以でもあるが、それは聴き手が彼女の言語感覚についていっていないからではないのか、と私は思う。

 よって、「全面勝訴」ではないと私は思う。ゆえに、実は本人も満足していないのではないか(「月に負け犬」という曲も収録されていることだし)。

 もはや椎名林檎を一言で言い表すのは不可能であるが、あえてするなら「暴君」で「演出家」で「生真面目」で「自虐的」で「危うい」。人間は多面体であるが、それでいながら、他人も自分自身もその一面(多くても数えられるほど)しか見ることができない。しかも、そのあるどれかの面をとって「本当」となるものではなく、全ての面からなる全体像が「本当」のその人なのだと思う(大学時代にそう習ったし、自分でもこの考え方は正しいと思っている。そしてそれは椎名林檎にも私自身にも当てはまる)。

 椎名林檎が放つ曲はジャズやポップロック、テクノ、ラップといった多様な面も見せるが、根本的にベースとして存在するものはパンクではないかと思う。パンクといえば本場はヨーロッパであるが、そういったものの影響を多分に受けていると思われる。パンクはある種暴力である。あえて聴取者を切り捨てた演奏者側のエネルギーをそのまま一方的にぶつけるイメージがある(それをあえて「暴力」と表現した)。椎名林檎はそういった暴力を(手加減しながらも)いかんなく発揮する。暴力の矛先を他または自己に向けることでバランスを保っているのではないかとも思う(だからこそ「サディスト」であり「マゾヒスト」なのだと思う)。

 これからも精力的にシングル、アルバムを飛ばし、ライブを行うのであろうが、ただいつまでも疾走し続けるのは無理があり、実際「月に負け犬」で「明日 くたばるかも知れない」と歌っている。「燃え尽き症候群」とならないよう聴き手である我々はあまり過熱しすぎないで見守るしかないのだろう。

 ひとつ注文をつけさせてもらうと、(一部ファルセットも使うが)歌としての声域が狭いので、シンガーとしてはもう少し声域を拡げた方が深みが出ると思う(あえて歌わないインストゥルメンタルも聴いてみたいような気もする。「歌」という自分自身を否定してみて、そこから得られるものもあるのではないか)。

 とにかく、あまり急かさずに、椎名林檎が息の長い、本人が納得のいく音楽活動を続けていけるようにするべきだろう。そして「本気」、100%の椎名林檎の曲を待とう。守りに入ったり潰してしまうにはあまりにも惜しい稀有なミュージシャンなのだから。

(2000. 4. 9.)


文中敬称は省略させていただきました。


PrevWB01343_.gif (599 バイト)   WB01345_.gif (616 バイト)Next