第55回 書評:「わがままな脳」
「わがままな脳」(筑摩書房)
澤口 俊之著 \1,800(+消費税) ISBN 4-480-86055-X
唐突だが、世界は脳が創っている。嘘ではない。厳密に言えば、人間はあらゆる感覚器から入ってきた情報を一旦脳に集約し、解釈、理解を加え、過去の記憶から情報を補完し、認識し、脳の中に再構成する。それが世界だ。よって、物理的に存在する世界と脳の中に存在する世界は必ずしも同じではない。いや、まず同じではない(しかも人の数だけ「違う」世界が存在する)。
そのため、世界はあらゆるものが相対的に存在し、相対的な関係を保ち続けながら、相対的な意味が付与されていく(脳科学によってそれは解明されている)。本書は脳科学の入門エッセイ集のようなものだ。
例えば、テーブルの上に一個のリンゴが存在したとしよう。あなたはそれを見ている。この時点ではあたたは「リンゴ」という物体がどういうものかを過去の記憶から知っているし、だいたい甘そうだな、とかおいしそうだな、と思うだろう(もしリンゴが嫌いだったら他の果物でも、別に果物にこだわることでもない。パソコンの前に鎮座しているマウスでもいい)。これで脳の中にリンゴというイメージが再構成されている。しかし、一旦そこから目をそらし、リンゴが見えなくなったとしよう。その場合、テーブルの上にリンゴが存在することを証明することができるだろうか。どんなに言葉巧みでもそれはできない。だとするとテーブルの上にはリンゴは存在しないのだ。リンゴは意識しているときにのみ存在しうるのだ。著者の言葉を借りれば「わがまま」なのだ。
私はこのことを、大学1年のとき中村元著「インド思想史(第2版)」(岩波書店 ISBN 4-00-020023-2)を読んだ際に深く感銘を受けた。仏教が生まれる前、西暦で言っても紀元前のインドの思想である。記録もほとんどない。しかし、脳科学はやっと2000年という時間をかけてそれに追いついてきたのだ。
私は脳が何者なのか知るのが好きだ。「思考」は分子レベルまで分解され、感情も心理もまた知識であり脳内物質の伝達の結果でもある。そして好奇心すらも遺伝の対象なのだ(その好奇心が森に棲むサルからヒトが進化した原因だ)。
なぜヒトは2足歩行に至ったのか、なぜヒト(を含む真猿類)は「社会」を形成するのか、なぜ「社会」の中に言語が存在しうるのか、なぜヒトの大脳の60%が視覚に関連するのか、なぜヒトは高度な脳を持つよう進化してきたのか、その過程で脳はどのような働きをしたのか(脳も生まれてから死ぬまでニューロンのダーウィン的取捨選択が行われる)。それら私の持つ基本的な疑問を本書は脳科学で解説する。
さらに、なぜ人間はアブダクト(宇宙人に誘拐されて人体実験されること)されたという偽りの記憶を作り出すのか、なぜ3歳までの記憶までしか思い出せないのか(本書によれば脳は偽りの記憶を作り出すこともあり、偽りの意識がなければそれは本物の記憶と信じて疑わなくなる。3歳くらいまでには「記憶」というシステムが完成されておらず、それまでの「記憶」は記憶として認識されない)。それを頑として信じない人には何を言っても無駄なので、これ以上は語るまい(なにしろ私は脳が「わがまま」であることを認識しているからだ)。
しかも、著者は脳科学の前には哲学は屈するしかないと断言している(ちなみに私は哲学も好きだ)。著者の言葉を借りれば、哲学とは「2000年の暇つぶし」と切って捨て、「自由意志」というのは幻想に過ぎないと断言する(私はこれに全面的に賛成だ)。
ヒトは「社会」を形成するために言語を獲得し、脳を発達させてきた。そして「社会」の「持続的結びつき」を維持するために繁殖行動すらも取り入れてきた。そう考えると、なぜポピュラーミュージックでは「恋愛」がテーマとなる場合が多いのか、が理解できるような気がする。それが言語獲得の原点だからだ。
本書はある意味非常に過激な本である。
惜しいのは入門となるべき書となるようエッセイ風に本書が構成されているところだ。まぁ、専門的にもっと知りたければ、ということで文献リストが載っているのでそれをたよりに今後読み進めていこうとは思うが、エッセイ風に書いているわりには専門用語が多すぎる。わかりやすいのかわかりにくいのかどっちつかずになってしまったことだろう。
脳の部位を説明するときには図(脳地図とも言うべきか)が欲しいと思ったし(といっても私の脳の中には視覚認知学の基礎があるのである程度脳地図ができていたので苦にはならなかったが、一般の人ではそうではあるまい)、脳を構成するニューロンが情報を伝達する際に物質を受け渡しする姿を図示して欲しかった。つまり、私自身はかなりビジュアル世代なので、画像、映像で表してもらった方がすんなりと頭の中に入ってくる。
中国語ではコンピュータのことを「電脳」と表記する。現在のコンピュータではその「電脳」の意味するところの足元に及ばない低機能なデバイスでしかないが。脳科学が進歩すれば脳自体を電子的に、生体工学的に作り出すことができるかもしれない(もしかしたらそれはそう遠くないのかもしれない)。そうなったとしたらまさに「電脳」であるし、「進化」である。
本書によってまた私の知的好奇心が刺激されたことは事実だ。この出会いに感謝したい。そしてもっと自分の脳を知りたい。
(2000. 7. 2.)