第59回 書評:銃・病原菌・鉄
「銃・病原菌・鉄」(上/下) (草思社)
ジャレド・ダイアモンド著 倉骨 彰訳 \1,900(上巻、下巻とも)+税
ISBN 4-7942-1005-1/4-7942-1006-X
原題:"GUNS, GERMS, AND STEEL : The Fates of Human Societies" (1997)
20世紀初頭は現代人へつながる人類の発祥はアジア、という説が有力であった(と記憶している。確証はない)。ジャワ原人、北京原人の発見がその裏づけとされていたのだが、現在では遺伝子解析技術が進み、現代人へつながる人類発祥の地はアフリカ大陸とされている。
本書ではいかにして現代人はアフリカ大陸から南極大陸以外の大陸に進出していったのか、また、なぜ現在の地球上に物質文明的格差が発生したのか、という大きな問題に対して点々と存在する科学的根拠(といっても最近は「捏造」という疑惑が渦巻いていて本当に根拠と呼べるか疑わしいものもあるのかもしれないが、考古学において以前から功名心などから「捏造」は幾度となく繰り返されてきた)から線で結ぶ壮大な推論を加えて纏め上げた大著である。
万物の創造主として「神」を信じてしまっている人や人種差別に凝り固まっている人、共産主義の幻影を信じきっている人には全く価値のない著作ではないかと思われるが、社会科学的見地、人間の根源に迫る見地から見れば後世に残すべき著作であると私は思っている(「誰も猿が人間の子を産むところを見たことがない。だから聖書が正しい」と言って進化論を全く切って捨て公立学校の教科にも加えない国もある。にわかには信じ難い横暴な聖書信奉ではあるが、こんなばかげたものが存在するのもまた「事実」である)。
「多様性」と言ってしまっては元も子もないが、現在の地球上には経済的、社会的格差があることは確かであり、文字をもつ文化、文字をもたない文化が存在することもまた確かである。農耕を積極的に行う文化、狩猟採集生活を営む文化もともに存在することもまた確かである。だからといって片方が優れ、他方が劣っているという単純なことではない。ではなぜそういった「多様性」が生まれたのか。そのひとつの仮説を本書は示している。
「万物は万物に対して相対的な関係のみ持ち合わせ、絶対的なものは存在しない」
訳者である倉骨 彰氏は定評のある(理数系の優れた)翻訳家ではあるが、多分原著の文章がそうなのであろうが、冗長で回りくどくてなかなか結論にたどり着かない表現になってしまっているのが惜しいところである。社会科学という非常にデリケートな分野を扱っているからこそそういう形にせざるを得なかったのかもしれないが、もっと大胆に「事実」として表現してしまってもよかったのではないかと思える箇所もいくつかある。
本書のタイトルにもなっている「銃」、「病原菌」、「鉄」は壮大な人類史を紐解くキーワードであるし、物事を年代順に追っていく従来の歴史観(縦の見方)から離れて、様々な歴史の流れを並べてみる歴史観(横の見方)も必要であるとするキーワードでもある。そして私は「時間」もキーワードとして加えるべきではないだろうかと思う。
「銃」はもちろん武器以外のなにものでもないが、「鉄」の利用もまた武器として用いることから始まっている。「病原菌」がなぜそれらと同列になるのか、というのは本書を読まなければ多分想像がつかないだろう(ショッキングなタイトルではあるが、原著もまた"GUNS, GERMS, AND STEEL"というタイトルなのである)。私も読む前は想像がつかなかった。
上下巻合わせて読破するのにかなりの時間を要した(発売は2000年10月初。私が手にしたのは同年10月末)が、本書を読まずして人類は語れまい。読んでいて思わず泣きたくなるような「推測」(おそらく「事実」だろう)もあった。
現在地球上には数千の言語が存在しているが、100年ほどの間にかなりの数(約90%)が消滅すると言われている。言語が消滅するということは文化が消滅するということであり、「多様性」が減少していくことでもある。が、人類が誕生して以来消滅させてきた自然界の多様性に比べれば微々たる数に過ぎない。
「多様性」を失うことは進化を妨げる要因でもあるが、環境的「多様性」が言語、文化の消滅で失われるとしても、他の部分の「多様性」が生まれ、それが人類全体として進化の方向に向かうだろう。
西洋宗教でも東洋宗教でも「肉食」を禁じる場合があるが、禁じようと思う遥か以前の人類が限りない種類の動物を食らい絶滅させてきた。禁じる行為自体偽善でしかない。人間をつき動かす「欲」のために数限りない殺戮を同じ種類である人類同士でも繰り返した(ジャワ原人や北京原人が直接現代人の祖先でない以上、当然現代人の祖先が原人を絶滅させてきた)。今更それを止められるわけでもない。人間の体が持つ免疫システムも時によっては武器になる、ということもある。
世代交代という長い時間を要する「身体」的進化の代わりに、知識の蓄積、そしてその継承という「脳」的進化の道を人類は突き進んできた。免疫システム、遺伝子を操作することも技術的には可能な段階となった。もはや持てる者は限りなく持てるようになり、持たざるものは持つ機会すらない。格差は広がるばかりであり、それをとめる手立てはない。
結局人類がたどってきた茨の道を知ることができたが、人類がこれからたどる道も茨に満ちていることには変わりはない。そこまでして進む必要があるのか、と改めて問われれば誰も答えなどできないはずだ。読後感としては「すっきりした」というより改めて苦しみから逃れられないことをかみ締めるだけだった。
実は読破してから1ヶ月近く経ってはいるのだが、未消化であるような感覚が消せない。しかし、立ち止まってはならない。人間を知る旅はまだ始まったばかりだ。