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第60回 コラム:戦争とは


 戦争とは究極の経済行為である。だからこそ21世紀を迎えた今現在でも世界のどこかで続いている。現代人が誕生してから約1万数千年。戦火が途絶えたことはない。そして現代人が進化(意識/身体的に)しない限り、限定主義を止めない限りこの状況は続くだろう。少し悲観的だが、そう予測せざるを得ない。

 戦争が経済行為であるがために、常に武器は改良されてきた。戦争は武器として硬い金属を精錬する工法を生み出し、青銅器、鉄器を生み出した(既に紀元前のメソポタミア文明では「戦車」が作られている。現在の戦車のように弾丸を飛ばすのではなく、石を飛ばしたり、火炎放射を行った)。馬を家畜化することで騎馬隊が生まれた(これにより戦闘可能範囲が急速に広まった)。火薬の発明が鉄器と結びついて銃が生まれた。

 少しドライな考え方ではあるが、戦争を考えるときは憎しみや偏見や感情、宗教、民族よりも、経済から考えるべきである(冒頭の「戦争とは究極の経済行為である」という発想から。結局戦争を行い、損得勘定が成り立つことからも経済行為と言える)と思う。経済の基盤は何か。食糧、農業である。よって、まずこの農業から考えなければならない。

 文明の黎明期、農業の発達により需要量を超える生産が可能となり、直接食糧生産に関わらなくても、食糧を得ることが可能であるシステムが出来上がった。職業軍人も余剰の食糧を得ることができたからこそ誕生したと言える(現在の地球上を見まわすと高度な農業技術を持つ民族のみが職業軍人を保有している)。戦争の規模が大きくなると職業軍人だけでは戦力が足りないので、歩兵として農民が徴兵された。必然的に大規模な戦争は農閑期にのみ可能な行為であった。長期にわたる戦争でも農作業が優先されたため(そうでなければ経済基盤が揺らぐ。職業軍人は食べていけなくなる)、収穫の時期には中断し、農閑期になればまた再開する、という非常に牧歌的なものだった。それが中世まで続いた。

 牧歌的雰囲気は突然終わりを告げる。1914年夏、第一次世界大戦が勃発。この戦争はそれまでの戦争という概念を根底から覆す結果となった。

 近代において、更に農業が発達したことにより、職業軍人は常に練度を向上させることが可能となり、武器の性能も向上していった。第一次世界大戦では「クリスマスまでには戻ってくるよ」と兵士は家族に言い残し、まるで出稼ぎに行くかのように、それまでのスタイルのつもりで戦場に赴いた。

 が、歴史に残っているように、第一次世界大戦は中断されることなく4年もの間続くことになる。銃が高性能化したことにより、機関砲、機関銃が登場する。これによりもはや戦地において(古くからの)騎馬隊が意味を持たなくなった。機関銃から逃れるため、塹壕をひたすら掘る毎日、というのが一兵卒の役目となる。降り注ぐ銃弾におびえ、塹壕の狭い空間の中で雨の日も雪の日も過ごす毎日。進んでは塹壕を掘り、撤退しては塹壕を掘る。

 戦局はすぐに膠着状態に入り、一進一退を繰り返すことになる。この膠着した事態を一気に変貌させたのが近代戦車の登場である。鉄の装甲を被ったこの大型車両は機関銃攻撃を跳ね除けるだけでなく、塹壕をも乗り越えた。

 近代戦では重要な戦略/戦術艦艇となる潜水艦も第一次世界大戦で登場する。1903年に初飛行した飛行機も最新鋭の武器として投入された。最初は偵察目的だった飛行機も戦争の続いた4年の間に機関銃を積むことで戦闘機となり、爆弾を積むことで爆撃機となった。

 潜水艦が軍用艦艇だけでなく民間の船舶を襲撃するようになり、爆撃機が都市を直接攻撃するようになり、兵士対兵士の戦いの時代は終わった。戦争は敵の経済基盤を崩すことが目的となり一般市民が標的となった。総力戦の時代への突入である。

 第一次世界大戦が総力戦だったことにより、敗戦国は壊滅的な打撃を受けた(「戦勝国」と言えども経済の基盤である農業は壊滅的状態に置かれた。が、「賠償金」という制度が「戦勝国」の経済基盤復興に役立った。しかしこの「賠償金」がさらに悲惨な戦争を生むとは当時は誰独り考えなかった)。それによりもう戦争は起こらないだろうと思われていたのが束の間、近代化を急ぐ「戦勝国」日本は中国大陸に武力侵攻、「敗戦国」ドイツの再軍備により第二次世界大戦に突入する。

 第二次世界大戦では残念ながら科学は戦争に寄与することになる。航空機技術と造船技術の発達による空母の出現、高々度から爆弾の雨を降らせる戦略爆撃機の出現、ロケット技術の応用であるミサイルの出現、野戦において兵士を病原菌から守る強力な殺虫剤、暗号解読のためのコンピュータ、弾道計算のためのコンピュータ(実際には完成したのは第二次世界大戦後)、そして核兵器。

 さらに、携行可能な小型の機関銃の開発により、操作も簡単になり特殊な訓練がなくともその使用は可能となり、小型火器は拡散の一途をたどる。大量生産されることによりコストも下がる。現在でも続く内戦で気軽に地雷や小型火器が用いられるのは入手が容易であり、使用も容易であるからだ。よって戦争を行う側のコストが下がる。さらに、地雷は人を殺すのではなく、損傷を与えることを目的としている(残酷な考え方だが、死人を運搬するには1人か2人で充分だが、けが人を運搬するには3人以上、そして治療する医師、看護人、看護施設が必要となる。死人よりもけが人の方がよりコストがかかる。しかも継続的に)ことによって相手側のコストを上昇させる。小型火器も1分間に600発以上の銃弾を発射可能である(つまり、けが人を大量発生させることが可能)。そういった経済原則が成り立つのである。

 圧倒的武力を持ちながら敗戦という撤退をしなければならなかったベトナム戦争でのアメリカ合衆国(以下:米国)。北ベトナム軍、南ベトナム軍双方ともに小型携行火器を所持しているがために泥沼化。熱帯雨林の中で「見えない」敵と戦うことの恐怖(ゲリラ戦においては火力で勝っていてもそれをもてあますだけで無意味である。例え都市を核攻撃したとしても、熱帯雨林の各地に広がるゲリラを殲滅することはできない。コストに見合わない)。自分の位置を見失う兵士。緊張に耐えられなく錯乱する兵士、錯綜する情報。このことから米国は情報が戦局を左右することを痛感する。

 GPS(Global Positioning System:汎地球測位システム)はそうやって誕生した。このGPSにより、ミサイルや爆弾が正確に標的を狙うことができ、ピンポイント爆撃が可能となり、兵士も自分の位置を見失うことはなくなった。このGPSは正確であるがゆえに、民間での利用も進んでいる。カーナビゲーションや火山活動の把握、徘徊老人の追尾、時刻の調整(整時)に用いられている。

 今年から運用が開始される次世代携帯電話(IMT-2000)ももとは軍事通信技術であるCDMA(Code Division Multiple Access)方式が基礎となっている。また、もとは暗号解読、弾道計算のために用いられていたコンピュータは既にあらゆる分野に普及し、もはや進出していない分野はない。インターネットでさえ、戦時の際に特定の通信拠点が攻撃されても別な拠点を自動的に経由して途切れることなく情報を送受信できるように設計されたものだ。

 1991年に勃発した湾岸戦争(ベトナム敗戦から20年近くたってやっと実戦でハイテク兵器が使用されたわけだが)、1999年のコソボ空爆は持てる者と持たざる者の明暗を分ける結果となった。遠距離、夜間といった「見えない」ところからのハイテク攻撃。味方(米国)の損失は最小限に、敵側の損失は最大限に、という攻撃は戦争という感覚すら失わせるものとなった。

 湾岸戦争においてイラク軍は2つの大きな失敗をしている。戦闘機や戦車といった近代兵器は(情報/指揮による)支援なしに戦うことができない。つまり、支援するための設備、施設が先に攻撃されたらもはや敗北するしかない。米艦船から発射された巡航ミサイルにピンポイント爆撃され、そういった設備は戦闘時には既に破壊されており、強大な軍事力と言えどもその能力を発揮できなかった。この時点で勝敗は決していたのにまだ戦い続けた、という点である(これを裏付けるように旧ソビエト社会主義共和国連邦(以下:旧ソ連)から輸入した最新のMig-29戦闘機は単体性能では圧倒的に勝っているにもかかわらず、簡単に旧式の米軍のF-15戦闘機に撃墜された。ベトナム戦争の際の骨董品であるF-4戦闘機にでさえも撃墜されたのである。イラク空軍は1機も撃墜できなかった。また、世界有数の戦車隊を組織していたにも関わらず、支援がないために米軍の戦闘ヘリ数機に潰走する結果となった。旧ソ連製のT-72戦車はその分厚い装甲にも関わらず戦闘ヘリに簡単に破壊された)。

 もうひとつの失敗は、イラク軍は単体性能重視で「規格」、「運用」というものを軽視していた点である。その例として戦闘機は出撃可能であるのに、搭載する兵器がないとか(兵器はあるのだがそれは現在出撃可能な戦闘機に装備できないとか)、給油できないとかそういうお粗末な事態を演じた。実際軍備を急ぐために手当たり次第に購入した兵器は、旧ソ連製、フランス製、米国製等々に及んでおり、それぞれに用いる単位や規格はばらばらである。

 湾岸戦争よりも「現代化」した戦争、コソボ空爆の際は、戦闘をする、という意識すら変えることとなった。米軍兵士は基地に住む家族に対し「ちょっと行ってくる」という感覚で爆撃を行い、平然と帰還して家族と食卓を囲む、という生活だったという。牧歌的な時代に戻ったのではない。戦争という特殊な現実がすでに特殊ではなくなっている、ただの日常となっている、ということだ。

 互いに持っている武力が拮抗している場合は泥沼化し、長期化する。アフリカ諸国での内戦がそうだ。主要な武力は安価な小型携行火器と地雷。イスラエル対パレスチナの場合もある意味武力は拮抗している。純粋な武力で言えば核兵器保有疑惑国であるイスラエルが圧倒的に強いはずであるが、イスラエルの目的は破壊ではなく「自分たちの領土を守るため」であるので、大量破壊兵器を用いることはできない。GPSを利用するようなハイテク兵器を使いたくても(実際に保有)、GPSを軍事利用するためには米国の意向を無視できない。米国は立場上互いにいい顔をしておきたい。よって、圧倒的な武力は行使できない。ゆえに小型携行火器(使用しても戦車、小型ロケット砲)程度となる。つまり、泥沼、長期化する結果となる。これもまた戦争という特殊な状態が日常なのだ。

 困ったことに、テロリズムも日常化している。世界中のあちこちでテロの標的となっている米国であるが、実はそのテロリストを育てたのは米国自身なのである。1979年、旧ソ連は隣国アフガニスタンに軍事侵攻する。共産圏の拡大を恐れた米国(共産圏が広がると米国の市場が狭くなるため)は表舞台では旧ソ連を国際世論に訴えて非難すると並行して、アフガニスタンの隣国である当時親米政権だったパキスタンでイスラム各国から集まった民兵を秘密に軍事訓練する(強大な軍事力を消耗させるのにゲリラ戦が有効であることをベトナム戦争から学んでいたのかもしれない)。

 結果として旧ソ連は(米国が育てた)ゲリラ戦に耐え切れずアフガニスタンから撤退せざるを得なくなったが、練度の上がった民兵はそれぞれの国に戻り「テロリスト」となった(全員がテロリストになったわけではない上に、手のひらを返したように彼らを育てたはずの米国が一方的に彼らをテロリストと決めつけた場合もある。未だ真実は闇の中)。テロの横行は米国のまいた種なのである。米国にとっては割に合わない経済活動となったわけだ。

 経済として日常化している戦争はこの100年でどうやらなくなりそうもない。豊かなものと貧しいものの構図、憎しみ合う敵意、極端な限定主義等々戦争を生む要因はいくらでも転がっている。スポーツの根源も実は戦争なのではないかとも思う。

 戦争とは人類の歴史でもあるし、人間性の縮図でもある。そして理想だけでは人間は生きる術を知らない(限定主義の前では倫理は何の役にも立たない)。今できることは日常を直視することだけなのかもしれない。戦争が人間であり、人間がまた戦争なのだ。

(2001. 1. 8.)


 

  • 限定主義:「〜でなければならない」というように物事に限定を設ける考え方

 


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