アコールの理論・Q&A

Q1~Q25>>Q26~Q50>>Q51~Q75>>Q76~Q100>>Q101~Q110
Q76
 「同一視」とは、どのようなものをいいますか。
Q77
 「投影性同一視」とは、どのようなものをいいますか。
Q78
 早期の乳児期が人間に大きな影響をおよぼすと言うことですが、ベビーブレスでは、さらに胎児期を重要視していますね。胎児に感じたり体験したりする能力があるのでしょうか。
Q79
 胎児にも、感覚や意識や記憶があるということですか。
Q80
 胎児にそのような高い能力があるというのは、一般的に言われていますか。 Q81
 仮に、胎児に感じたり体験したりするような高い能力があったにしても、母親の気持をどのようにして感じ取るのでしょうか。
Q82
 妊娠中の母親とその胎児との関係を示す事実は他にもありますか。
Q82-2
 そのように胎児期を重要視したトマス・バーニーの結論は何ですか。
Q83
 乳幼児のような小さな子供が、母親から愛情をもらえないと、母に対する憎悪と愛情の間で苦しみ、ひどい場合には死の本能が働くことになる場合があるということ(A4)でしたね。
Q84
 小さな子供がそんな状態であれば、もし胎児に感じたり体験したりするような高い能力があり(A79)、しかも母親の気持ちを感じ取ることができるのであれば(A81)、どんなことになってしまうのでしょうか。
Q85
 「阿闍世コンプレックス」とはどのようなものですか。
Q87
 王子阿闍世の故事を参考までに教えて下さい。
Q88
 阿闍世コンプレックスとか未生怨とかは、普通の人にもあるのですか。
Q89
 「死の本能」とはどういうものですか。
Q90
 死の本能は人によって強弱があるのでしょうか。強い人は自殺するのでしょうか。
Q90-2
 死の本能の強い人は治療可能でしょうか。
Q91
 ベビーブレスでも、阿闍世コンプレックスや死の本能を確認できますか。
Q91-2
 正体不明の不安や恐怖を引き起こすものとして自分自身への無意識の殺意があり、この殺意が生じる原因は、胎児や新生児のときに自分を堕胎したい捨てたいという母の気持ちを取り込むことだということですが、その時の状況をベビーブレスでは再体験するのですか。どんな感じでしょうか。
Q91-3
 そんな母親の気持ちなんか拒否すればいいのに。
Q92
 前に神経症、精神病、さらには心身症が発生することの黒幕に、恐怖や不安がある(A63、69、70)ということでしたが、その恐怖や不安が実は、自分自身への無意識の殺意によって引き起こされる罪悪感に類似するもの(A91)である、ということですか。  まさに、そのように感じられます。この部分は自分たちの純粋な自説です。
Q93
 阿闍世コンプレックスや死の本能が働いた実例文献はありますか。
Q94
 心理トラブルを抱える人々の心の最深部に、そのような葛藤、殺意、罪悪感が潜んでいることがあるということだと思いますが、では、どうすればそのような心理トラブルを解決できるのでしょうか。
Q95
 精神分析でも自由連想法の手法によって治療的退行を経験するようですが、ベビーブレスはどう違いますか。
Q96
 乳幼児期などに形成され無意識の領域に隠蔽されていた心の傷を再体験するということですが、この再体験とは、無意識を意識化するということですか。
Q96-2
 自分の心の中に、それまでは分からなかった吐き気、強い感情、恐怖や不安があったということは理解するのですから、その意味では意識化の一種ではないでしょうか。
Q96-3
 ベビーブレスでは言語のような知的なものを前提としないで、情緒的、直感的、体験的な部分のみを経験でき、しかも精神分析でいう意識化と同じような効果、すなわちなんらかの理解があるということでしょうか。どういうことなのか、もう少し話してください。
Q96-4
 ベビーブレスの象徴的理解について、具体例をあげてさらに説明してくれませんか。
Q96-5
 ベビーブレスで体験する映像や音声は、幻覚、幻聴とはどのように違いますか。
Q97
 無意識を意識化し理解することで神経症の症状が治るということは、精神分析治療の根本ですね。
Q98
 無意識といいますが、その中でも重要なのが母親に関する部分なのでしょうね。
Q99
 退行とは、幼児帰り、赤ちゃん帰りなどと説明されていますが、もう少し詳しく知りたいのですが。
Q1~Q25>>Q26~Q50>>Q51~Q75>>Q76~Q100>>Q101~Q110
Q76
 「同一視」とは、どのようなものをいいますか。
A76
 「同一視」とは、自己と対象の未分化な妄想分裂ポジションにおいては、自己と母親が別々の存在であるとの認識を持たず、母の乳房を自己の一部と見なすような防衛メカニズムです。なお、そのような同一視にあっては、対象を失うことは自分の一部を失うことを意味し、失った対象(例えば母)つまり自分をすてた対象に対する不満、攻撃性はそのまま、自分自身に向かって抑うつにおちいります。【14】p575
Q77
 「投影性同一視」とは、どのようなものをいいますか
A77
 「投影性同一視」とは、妄想分裂ポジションにおいて基本的な防衛メカニズムである分裂の基礎の上に働く防衛メカニズムであって、まず、分裂した自己の良い部分あるいは悪い部分を対象に投影し、次に、その投影した自己の部分と、投影を受けた対象とを同一視する防衛メカニズムである。投影した部分と同じ態度を対象にもとり続けるので、投影した部分が良い部分であれば願望従属追求的な態度をとり、悪い部分であれば処罰的・攻撃的な態度をとり続ける。【14】p577
【子宮内、胎児】10
Q78
 早期の乳児期が人間に大きな影響をおよぼすと言うことですが、ベビーブレスでは、さらに胎児期を重要視していますね。胎児に感じたり体験したりする能力があるのでしょうか。
A78
 ベビーブレスでの自分たちの体験や参加者の体験からは、そのような能力があるように感じます。胎児の能力を、普通に考えるよりも非常に高く評価する研究などもあるようです。
Q79
 胎児にも、感覚や意識や記憶があるということですか。
A79
 そういう文献があります。
 まずサリヴァンは、子宮内の胎児には出生以前にすでに、硬度に統合された活動が起きていて、この活動は全身反応とするほうが健全であり、したがって両親などの重要成人よりなる周囲の人的環境が強力な影響力を行使する、といっています。【7】p260
 また、木田恵子は、無意識の内容は必ずしも抑圧されたものばかりではなく、胎児が何か感じる力ができる頃からのものもそのまま保存されており、まるで皮袋の中に入れられたビー玉のようだといっています。【10ー2】p15
 また、前ハーバード大学講師で精神科医のトマスバーニーは、胎生4ヶ月で光に対して敏感になり、母親のお腹に向かってライトを点滅すると、胎児の心拍数が著しく変動した例、母を悲劇的なストレス(夫が事故で亡くなった)が襲ったときに、激しく暴れた胎児の例を紹介しています。【12】p31、p80
 また、アルバート・アインシュタイン医科大学の教授で、国立衛生研究所の脳研究班のチーフを務め、『脳研究』という定評のある雑誌の編集長もしているドミニック・パーパラが行った研究で、胎児に意識が芽生えるのは胎生7~8ヶ月で、そのころ脳の神経回路は新生児とほとんどかわらないくらい進歩しているとする研究を紹介しています。【12】p33
 さらに、彼は胎児に記憶があるという実話や研究も複数存在することを報告しています。
 例えば、パリ医学校で言語心理学を教え注目すべき論文や著書をいくつか発表しているアルフレッド・トマティス教授の治療経験によると、自閉症にかかったフランスの4歳の女の子が、治療の過程で英語を話し、そのたび毎に治っていったが、この英語を彼女がいつ覚えたのか不思議がっていたところ、実は、彼女が胎児のときに母親の勤め先の英会話を聞いて覚えていたらしいことが判明した。
また、交響楽団の指揮者が、あるとき突然にチェロの旋律が譜面を見なくても頭に浮かんで来ることがあったが、その曲は、実は彼が母のお腹の中にいたときに、母がいつも引いていた曲だったことが判明した。
 さらに、チェコスロバキアの精神科医であるスタニラフ・グロフ博士は著書の中で、ある男性はある薬を飲むことで、自分が胎児だった頃のことを思いだすことができたが、あるとき、カーニバルで鳴らすトランペットのかん高い音が聞こえ産道を通る体験をした。そしてその後、男性の母の話で、カーニバルの興奮が彼女の出産を早めたことが判明した、としている。
 さらに、カナダの神経外科医ワイルダー・ペンフィールド博士が証明したところによると、電気的な脳へのショックにより、患者が長い間忘れていたことを正確に再体験でき、その時に感じ理解したことを再び感じ取った、ということです。
 また、デービッド・B・チーク教授は、ある研究者が分娩にたちあった4人の子供が大人になった後に、催眠状態で思い出してもらった出産時の生まれてくる姿勢が、4人とも分娩記録と一致したという実験を報告しています。
 トマス・バーニーによると、胎児が記憶を獲得する時期には諸説があって、胎生3ヶ月になると胎児の脳の中に記憶した痕跡のようなものが時たま現れるというのや、胎生6ヶ月から記憶できるという研究者や、少なくとの胎生8ヶ月にならないと記憶する能力は備わらないとする研究者もいるといっています。
【12】p18、p28、p34、p102、p110から111
Q80
 胎児にそのような高い能力があるというのは、一般的に言われていますか。
A80
 一般的ではないかもしれません。
 フロイトの時代は生後2、3才にならなければ深く感じたり体験したりはできない、と思われていたようですし、【12】p21 トマス・バーニー自身も、1950年代に勉強した医学では、新生児は思考を持たぬと教えられた、と回顧しています。【12】p172<いわんや胎児をや>
Q81
 仮に、胎児に感じたり体験したりするような高い能力があったにしても、母親の気持をどのようにして感じ取るのでしょうか。
A81
 バーニーによれば、胎児と母は相互のコミュニケーションを、3つの回路でとっているといいます。
 一つは、ホルモンを介する相互作用
 二つは、動作による相互作用
 三つは、共感による相互作用です。
 一つ目に関しては、アメリカの生物学者で心理学者でもあるW・B・カノン博士により、ホルモンの一種のカテコールアミンという物質が胎児の恐怖や不安を引き起こすことが証明されたことを報告しています。【12】p36
 また別の文献では、酸素供給量が恐怖の伝達物質である可能性が指摘されています。すなわちアメリカの国立衛生研究所のロナルド・マイヤーズが行った実験によると、妊娠したアカゲザルに恐怖を与えると、胎児の酸素供給量が激減したという結果があり、また、胎児のときに酸素欠乏症にかかった動物の赤ちゃんは異常ないらだちを見せる、といいます。【9】p29、30
<酸素はベビーブレスに関係か>
 三つ目の共感とは、直感力、超感覚的なものをいいます。胎児から母へのコミュニケーションでは、母が夢によって自然流産や早産を予見した例があげられます。母から胎児へのコミュニケーションでは、母が持っている恐怖や不安などの感情が、生理学について私たちの知識の範囲を超えた形で伝わるようだとし、なぜなのかは、全く説明できないとしています。【12】p36、p81~94
Q82
 妊娠中の母親とその胎児との関係を示す事実は他にもありますか。
A82
 トマスバーニーは、他にも興味深い研究結果などを集め報告しています。
 デニス・ストット博士の研究によれば、母親の長い個人的なストレス、例えば夫に起因する影響や義理の近親者による精神的緊張などからくるストレスは、しばしば胎児に影響を与えるそうです。そして不幸な結婚生活を送っている母親からの方が、幸福な結婚生活を送っている母親からよりも、すぐ恐怖心に駆られるひ弱で神経質な子供が生まれる率が5倍にも達するといいます。【12】p39p44
 さらに、フィンランドでマティ・フットンとベネッカ・ニスカネンが行った研究では、父親の死亡という大きなストレスの後に生まれた子供には分裂病などの精神障害が多いことが判明しました。【12】p55
 父親の死亡に関しては別の文献によると、出生後に反社会的な行動をとるか否かのパーセントは、胎児の間に父親を失ったグループは14、5%、誕生後に父親を失ったグループは6、5%であるということです。【9】p30
また、客観的には強いストレスを母親が受けているのではないかと思われる場合でも、母親が胎児に愛情を感じれば、正常で幸福な子供を育てることができるのではないかと、しています。バーニー自身が扱ったケースで、妊娠してから、夫に捨てられ、絶えず経済的な問題に悩まされ、卵巣に前癌状態の嚢腫が発見され中絶を勧められるなど、立て続けにトラブルにみまわれた妊婦が、どうしても子供を欲しいと「子供のためなら、どんな危険も覚悟」し子供を産んで、正常で幸福な、しかも温順な子供が育っているといいます。バーニーによれば、子供はお腹の中で母親の願望を感じ取ったのではないかといいます。
Q82-2
 そのように胎児期を重要視したトマス・バーニーの結論は何ですか。
A82-2
 彼は出生前心理学の必要性をうたっています。妊娠中の母親と胎児の心の相互作用を研究する心理学です。また彼の著書の訳者で、東大小児科教授を経て国立小児病院院長になった小林登氏も、出生前心理学の必要性に賛同し、可能になりつつあるとしています。【12】p9、21
*****表紙の帯の絵を利用すること【9】p0******* 
【【阿闍世コンプレックスと死の本能】】11 【導入】
Q83
 乳幼児のような小さな子供が、母親から愛情をもらえないと、母に対する憎悪と愛情の間で苦しみ、ひどい場合には死の本能が働くことになる場合があるということ(A4)でしたね
A83
 木田恵子女史によれば、小さな子供は、愛されないのは自分に愛されるべき価値がないからだと思い込むように見えるということですし【10】p133し、鈴木秀男医師は、生後2ヶ月くらいの乳児にとっては満たされる当てのない欲求をあきらめることは死を意味することになる【8】p112~113という感想を持ちます。
【12】p40
さらに、ザルツブルク大学のゲルハルト・ロットマン博士の研究では、母親の出産に対する態度を次の4種類に分け、生まれた子供の状態と比較しました。
 (1)子供を望む母親
 (2)冷淡な母親(無意識には産むことを望んでいる)
 (3)二面的な価値の母親(無意識には産むことを否定)
 (4)妊娠に否定的な母親
です。そして、
 (1)の場合には、妊娠や出産が楽で、心身の健康な子供が生まれている。
 (2)の場合には、子供は心理的に混乱する。
 (3)の場合には、生まれる子供に行動や胃腸に問題のある子が異常に多い。
 (4)の場合には、妊娠中に重大な医学的問題を抱え、早産や低体重児を産む割合が最も高く、精神的にも不安定な子供を産んでいる。 【12】p43
 また、西ドイツの医者のパウル・ビック博士によると、不安におそわれると全身に熱感が走る男性を、催眠術をかけて調べたところによると、胎生7ヶ月のところで恐怖におののきはじめ、この症状のもとになった体験を思いだしているようだった。博士が母親に告白してもらったところによると、実は、妊娠7ヶ月目に母親が熱い風呂に入って流産しようとしたことが判明しました。【12】p68
さらに、母のオッパイに顔を背ける赤ちゃんは、実は、母がいやいや産んでいたことが判明したという例があります。スウェーデンのウプサラ大学の産婦人科教授であるペーター・フェードル・フレーイベルクが示した例です。教授の関わったクリスチナという赤ちゃんは、母親がオッパイを出しても、顔をそむけて取り付かない。しかし、粉ミルクの哺乳壜にはしゃぶりつくし、実験として別の女性に乳房を与えてもらったところ、乳房をつかんであらん限りの力でオッパイを吸い始めたのである。びっくりした教授が母親に事情を聞いたところ、実は母親は妊娠を望まず中絶したかったが、夫が子供を欲しいというので、いやいや産んでしまったという答えが返ってきたそうです。【12】p76
 バーニーは、母子が、胎内でのきずなをうまく結べないのが精神分裂の母に精神分裂の子供ができる理由の一つかも知れないと述べています。【12】p79
 また、バーニー自身の調査結果から、性行動の方向性も胎児期に決定されるといいます。彼によると、彼の調査結果からえられた相関関係から、胎内で恐怖に襲われたことを回想した人は、性的な点でいちじるしく自分に自信がなく、また性的な問題を起こしやすい。これに対し、胎内を心地よく平和な場所だったと回想した人は、性的に、より良好に順応している、といいます。【12】p135、136
Q84
 小さな子供がそんな状態であれば、もし胎児に感じたり体験したりするような高い能力があり(A79)、しかも母親の気持ちを感じ取ることができるのであれば(A81)、どんなことになってしまうのでしょうか。
A84
 想像を絶するような傷を人の心の中に形成してしまうのかもしれません。そのような傷を推し量る二つの概念があります。一つは「阿闍世コンプレックス」、もう一つは「死の本能」です。
【阿闍世コンプレックス】11
Q85
 「阿闍世コンプレックス」とはどのようなものですか。

A85
 「阿闍世(あじゃせ)コンプレックス」とは「自己の生命の本源たる母が自己を裏切ったことによる怒りから、母に対し殺意を抱く無意識の感情など」をいいます。
 これは日本の先駆的な精神分析学者である古沢平作が、フロイトのもとに提出した『罪悪感の二種』という論文の中で明らかにした精神分析理論で、インドの釈迦時代の王子阿闍世の故事にならって命名したものです。フロイトがテーベのエディプス王の故事にならって命名した「エディプスコンプレックス(母に対する愛から父へ抱く殺意)」に対比されます。そして、阿闍世コンプレックスは、生命の本源たる母への愛情との間で、苦しみを生み罪悪感を形成しますが、エディプスコンプレックスは、父親との関係で苦しみを生み罪悪感を形成します。【14】p5 なお、「コンプレックス」とは無意識的な感情、観念、態度などをいい、観念複合体と訳されます。【14】p255

Q87
 王子阿闍世の故事を参考までに教えて下さい。
A87
 昔、お釈迦様の時代のインドに、頻婆沙羅(びんばしゃら)という王がいて、王には韋提希(いだいけ)夫人という妃がいたが、年をとって容姿が衰え、夫の愛が自分からさっていく不安から、王子が欲しいと強く願った。予言者から、ある仙人が天寿をまっとうした後に夫人の子供として生まれ変わるという定めを聞き、生まれ変わりをその年まで待てずに仙人を殺してしまった。仙人は「自分が生まれ変わる王子は、父を殺す大罪人になるだろう」という呪いの言葉を残して死んだ。やがて夫人は身ごもったが、呪いが恐ろしく、子供をおろしてしまいたいと願ったが、かなわず、いざ産むときにわざと高い塔の上から産み落とした。子供は傷だけで助かった。やがて成人した阿闍世王子は、お釈迦様のライバルであった提婆達多(だいばだつだ)に出生の秘密を暴かれ、父母に忽然と怨みを抱き、父を幽閉し、食を与えないで殺そうとしたが、夫人は夫の命を助けようとした。このことを知った阿闍世王子は母までもとらえて殺そうとした。
 みかねた忠臣ギバ大臣は「昔から父を殺して王位を奪ったという話は聞いたことがあるが、母を殺したことはいまだかって聞いたことがない」といさめた。しかし食を断たれていた父は死亡し、後悔の念に責められた阿闍世は、全身の皮膚病にかかってもだえ苦しんだ。阿闍世のことを陰で人々は未生怨と呼んだ。生まれる前からの怨念を持つ子供という意味である。しかし、やがて、お釈迦様の出会いと母の献身的な看護とによって救われる。【14】p5
Q88
 阿闍世コンプレックスとか未生怨とかは、普通の人にもあるのですか。
A88
 木田恵子女史は、自由連想法の対象になる人たちでも、退行の極限に未生怨を出してみせる人はかなりあります、といっています。【10ー2】p71
 自分たちの経験からも、あると思いますし、しかも、かなり普遍的にあるように思えます。何か一部の人の特別の現象ではないように思えるのです。
 自分たちの意見はともかく、この阿闍世コンプレックスについて医学的に次のように言われています。
@<子供を堕胎したい、捨てたいという衝動をもった母親に対し子供は、無意識のうちに殺意を持つ>
@<そのことは罪悪感を形成する>
この阿闍世コンプレックスは心理学者の小此木啓吾らによって「世代間伝達という文脈で理解され、国際的な論議を呼んでいる」ということである。
@<世代間伝達する>子供が女性であれば生まれてくるそのまた子供にも阿闍世コンプレックスが起きる可能性がある。 【14】p5 【死の本能】
Q89
 「死の本能」とはどういうものですか。
A89
 非常に簡単に言ってしまうと、人間の深層心理にある純粋に自分の死を望む部分のことということでしょうか。フロイトが提唱した概念です。
 フロイトの本能論は、年を追って3段階に発展しましたが、第三段階で、人の本能は「生の本能」と「死の本能」との対立で理解されるべきものとされました。【14】p328
この第三段階で彼は、サディズムおよびマゾヒズムの現象を評価せんとしていたり着いた一般的省察として、最広義に解された性本能すなわちエロスと、破壊を目的とする攻撃本能と、本質を異にする2種類の本能が存在することを仮定し、さらに論を展開して、生なき物質から生命は生じたということが真でありますならば、その生命を再び解消し無機的状態を復活させようとする本能が発生したに違いありません。我々はこれを・・死の本能の現れと解しても差し支えありません。・・常により多く生きている実質を集めて大きい単位にしようとするエロス的本能と、この傾向に抗して、生きているものを無機的状態に還元する死の本能・・両本能の協力作用と反作用とから・・生命現象は生じるのであります、と述べています。【11ー3】p155~157p162
 このことの例として、フロイトは、マゾヒズム的願望の列に加えるしかなかった強い無意識的罰則欲求を示した娘さんの例をあげます。フロイトの分析治療を受けた娘さんは、神経症の症状群から解放され、自分の才能を伸ばすべく社会に飛び込みますが、やがて自分の年のせいで挫折します。こんな場合に、通常ならば症状が再発するのですが、その代わり、そのつど何時も事故が起こり、足を挫いたり、膝を傷つけたり、手に怪我をしたりしました。彼は、この無意識的罰則欲求の由来の行きつくところに死の本能を見るのです。 【11ー3】p164
 古沢平作は、死の本能が強くなった人を「よみの国人」と呼んだそうです。 【10】p181
Q90
 死の本能は人によって強弱があるのでしょうか。強い人は自殺するのでしょうか。
A90
 木田女史によると、0歳人(胎内から生後6ヶ月くらいまでに傷(固着)がある人)が特に死の本能が強い(A19)ということです。そして、死の本能が強くても0歳人は自殺という大仕事をするにはエネルギーが不足していて、2歳人は逆に命への欲が熾烈で、そのためかえって裏目に出たときは自殺などということもする、そうです。【10】p186 
Q90-2
 死の本能の強い人は治療可能でしょうか。
A90-2
フロイトは、死の本能の強い人々は「分析的方法による治療に耐えることができない」といっているそうです。【10ー2】p64
<これに対しベビーブレスは分裂病の境界領域などにも有効です。精神分析では、分析された無意識内容を言葉によって分析者から伝えられる瞬間には、それを自分自身のものとして受け入れる準備ができておらず、それから準備ができて受け入れるまでに時間がかかり、いわば空白の時間が存在し、その空白の苦しみに耐えられないのではないかと思います。ベビーブレスは、準備ができてはじめて無意識内容がやってくるように思え、空白の時間は存在しません。いわば言葉を介さない分無理のない効果があるようです。>
Q91
 ベビーブレスでも、阿闍世コンプレックスや死の本能を確認できますか。
A91
 イエスです。
 人の悩みが本当に突破されるには、この二つの関門は、必ず通過する必要があると思われます。
 それまで思っていなかったような母に対する殺意や自分自身に対する殺意を主体的に(自分自身の経験として)経験することがあるということで、完全に、イエスです。このような深い部分を自分の体験として経験でき、しかも、それに対応する効果が得られるのですごいことだと思います。
 実際のセッションにおいて、母親へのアンビバレンツをようやく認め、生と死のアンビバレンツが扱えるようになると、「死」そのものを体験したくなります。それまでは「死」は忌み嫌われていたのに、いよいよ、対峙する勇気がわくのです。


【説明1 正体不明の不安や恐怖は、自分自身への殺意と生きるエネルギーとの葛藤】

 ここで阿闍世コンプレックスや死の本能について述べたいとおもいます。
 既に説明したように、エディプスコンプレックスは母を独占したという気持から父に対し殺意を生じ、父に対する葛藤により罪悪感を持つものです。
 これに対して、阿闍世コンプレックスは母に対する二つの感情、つまり愛情と殺意の間に挟まれた葛藤による罪悪感を持つものです。 これらに対し、ベビーブレスを続けると更に深い部分により根元的なコンプレックスがあることが分かります。すなわち、胎児や新生児のときに、堕胎したい捨てたいという母の気持ちを取り込んで、あるいは母の気持ちに共鳴して、それが自分の気持ちになり、自分自身に対する殺意になります。こころから死そのものを望みます。
 ところが、本人は現在生存しているのであるから、自分自身は生きようとするエネルギーがあります。片面では、生きたいのです。自分自身への殺意と、この生きようとするエネルギーがぶつかって葛藤を生み、ある種罪悪感に類似するものを形成します。この類似するものは、父や母になどの他者に対するものではなく自分自身に向かうので、本来の意味の罪悪感としては感じられず、正体不明の不安や恐怖として本人には認識されます。
 正体不明の不安や恐怖のもとになるこの殺意は、前記二つの殺意よりも早い人生の初期に発生し、他者(対象)が存在する前の自分自身に向かい、これより根元的なものは存在しないと思われます。
 フロイトやクラインは、不安や恐怖として本人に認識される、この根元的な葛藤を、死の本能と生の本能の葛藤として説明します。


【説明2 本当に「死の本能」ってあるの?】

 「死の本能}なんて、一般的な常識からは、あり得ない感じがします。人間、死んだら、終わりだからです。そんなものが存在するのでしょうか。存在する意味があるのでしょうか。フロイトは生物の細胞レベルから、死の本能の存在意味を説明しようとしていますが、普通の人の一般的な感覚としては、ピンときません。
 私たちアコールのスタッフでも、懐疑的議論がありました。自分自身への殺意は、ベビーブレスで従来から一般的に体感されていたように、本来的に母親の気持ちを取り込んだものであり、生物としてはじめから持っているものでは、ないのじゃないか、と思えるということです。
 また、 死の「本能」とはいえないと思われる理由には、ベビーブレスでの体感による以外にも、進化論的理屈の上でも存在し難いように思えます。本能と呼ばれるものは普通には、自分が生きようとする自己保存本能や自分の子孫を残そうとする種保存本能などがあると思いますが、これらの本能が強い種族は、その本能が弱い種族よりも生存競争の中で生き残っていくことになり、その結果、現在生き残っている種族はこれらの本能を強く持っているわけです。ところが、「死の本能」なるものを持つことで自分の死を早々と受け入れることができる種族と、最後まで受け入れず自分の死と戦おうとする種族がいれば、生存競争の中で生き残るのは後者の方になるはずです。母親から受け入れられずに死の本能が発揮されてしまう種族は、そうでない種族よりも、生き残り難いはずなのです。
 なお、多くの学者は臨床的観察から、攻撃性や自己破壊制は認めても「死の本能」は承認していないそうです。【14】p328
 また、英国の有名な児童精神科医で精神分析家のドナルド・ウイニコットは、「本能」ではなく「自発性の発露」だと考えます。すなわち、攻撃性は死の本能ではなく自発性の発露と考え、分裂病や根深い病理の発生を子供の心身を抱える環境やほどよい母親(good enough mather)の側の失敗に対応するものとしてとらえ、育児に没頭する母親に抱えられて絶対依存を経験しなければならない赤ん坊が、取り返しのつかない外界からの侵襲のために想像を絶するような精神病的不安を体験するのであり、環境の失敗に適応するために【14】p843精神病のもとをつくってしまうと、いっています。

【説明3 死の本能は種全体として生きようとする種保存本能の一部の可能性】
 ところが、近年のアコールのセッションでは、セッションの工夫が進んだこともあり、自分の内部に深く入る人が多くなるにつれ、自分の「死」を深く体感する人が増えてきました。つまり、母親への愛憎のアンビバレンツを許すことで、生と死のアンビバレンツを許し、そのアンビバレンツのうち半分の否定的な部分、愛情の不在、すなわち死が、受け入れられる経験が増えてきました。一人ぼっちの愛情なしの死です。究極の死です。 
 アコールでは、このような体験を一般的なものと理解する上で、やはり、死の本能を「本能」と呼ぶべきだと、素直に認めることが、実際的な態度になってきました。
 進化論駅な理屈も可能です。「本能」は、個体自身が死ぬことで種全体としては生き残るような状況があれば、個体自身の死を認めることがあるからです。例えば、野生のライオンは一度に複数頭の子供を生みますが、なんらかの原因でほとんどの子供が死んで一頭の子供だけが残った場合には、その子供を育てることを放棄することが、事実として、あるようです。厳しい野生の環境では、一頭の子供を育てるのは効率が悪すぎるので、再び妊娠して複数の子供を産み直した方がいいからです。効率が悪い子育ては最終的には種の絶滅につながるかも知れないのです。この場合には、一頭だけ残った子供のライオンは、種全体の生存のためには、死ぬことが望ましいのです。
 母ライオンから見捨てられたことを悟った子ライオンは、ひょっとしたら母親の後を追うことをあきらめ草原の中にうずくまって死を受け入れはじめるのかもしれません。その時、どのような気持で死んでいくのでしょうか。死を悟らず受け入れずどこまでも母を追いかける子ライオンは、母の次の妊娠を遅らせ、結局は、種としての保存を危うくさせるのかもしれません。母を追いかけないことが、自分たちの種としては生き残ることにつながるかも知れないのです。
 これと全く同じことが、堕胎したい捨てたいという母の気持ちを取り込んでしまう胎児や乳幼児にも、全くの仮説ですが、言えるかもしれません。胎児にとって、なぜ母親が自分の存在を望まないのかはっきりした理由は分からないかも知れないけれど、ひょっとしたら胎内から出た外の世界は厳しい飢饉の年であり、そのため母は自分が生きることや子供を育てることに絶望しているのかもしれません。無理して産まれていくと、母子共々に食べ物が足りず全滅するかもしれません。もし、自分が胎内で死に死産になれば、母親だけでも助かるかもしれません。そうすれば、次の年は、食べ物が豊かな年になり、あらためて子供を妊娠し親子ともども生きていけるかもしれません。前にのべたライオンのように。このような想定は現代の世界では想像しづらいかもしれませんが、たかだか何千年前、あるいは何万年前には当然にあり得た状況です。
 また、胎児や乳幼児が望まれない理由は、飢饉以外のこともいろいろ考えられます。その他の自然災害や、種族同士の戦争や、種族内部の争いや、家族内部のいさかいかもしれません。また、母親はなんらかの原因で体調が悪く、その年は妊娠の継続に耐えられないのかもしれません。さらに現在では、資本主義経済の中での限りない過酷な努力が要求される下で強いられる安らぎのない生活のために、妊娠を心から喜べないのかもしれません。例えば、ノイローゼなどのように精神状態が悪くて、子供のいないことを望むのかもしれません。ノイローゼの母親が一人の子供は育てられても、2人の子供は育てられないのかもしれません。この2人目である自分が産まれることで、母親は家族3人の無理心中を選ぶのかもしれません。
 胎児や幼い子供にとって母親は世界全体、宇宙全体です。世界や宇宙が望むことを、子供は受け入れるのです。その時、自分が産まれ生きようとすることは迷惑であり、自分が居ない方がみんなが幸せになる、と感じるのかもしれません。
 このような意味合いにおいて、種全体としては「生きようとする本能」の一部として、いわゆる「死の本能」が存在でき、内在的に受け継がれてきている可能性があります。
 なお、子捨てライオンの話から、個体自身が死ぬことで種全体としては生き残るような状況により、個体自身の死を認めることがある、という説明をしましたが、同じような話は他にもたくさんあると思います。例えば、ネズミは増えすぎると、ある日突然に大移動を始め、大群となって河や海に突進し、集団自殺するということがあるそうですが、この場合は、個体どころか大変な数の仲間が死ぬことで種全体としては生き残ることを選ぶのだということができます。増えすぎてエサが無くなり、全員が最後まで生きようと競争すると、全体が一度に飢えてしまう可能性があります。その可能性を避けるのだといえます。自殺するネズミの心理を探ることができれば、ネズミ版の「死の本能」ということになるのかもしれません。
 「内観」という業がありますが、その中でのお詫び、つまり自分のようなものが生きていて申し訳ないというお詫びの行が、深い傷を負った人の心をある意味では癒すことができるのは、実行できなかった「死の本能」を満たすことができるからではないか、とも思われます。
Q91-2
 正体不明の不安や恐怖を引き起こすものとして自分自身への無意識の殺意があり、この殺意が生じる原因は、胎児や新生児のときに自分を堕胎したい捨てたいという母の気持ちを、(たとえば)取り込むことだということですが、その時の状況をベビーブレスでは再体験するのですか。どんな感じでしょうか。
A91-2
 再体験します。
 どんな感じかは、自分で体験する以外にありません。誰も言葉にはできなでしょう。しかし、あえて説明すると「愛情なしの死」を受け入れる感じです。これに対し「死」自体の体験はそれほど恐怖ではないと思われます。例えば愛された人は死を受け入れることができるでしょう。愛した人は死を受け入れることができるでしょう。まさに愛されずに死んでいこうとする体験が、最も恐ろしく不安に駆られるもののようです。愛された経験のない者は、人を愛することもない。愛されず、そして誰も愛すことなく死んでいかなければならない体験ほど惨めで不安になるものはありません。人生を全く生きることなく、死んでいかなければならないからです。
Q91-3
 そんな母親の気持ちなんか拒否すればいいのに。
A91-3
 残念ながら拒否は不可能です。
 拒否するためには、少なくとも自分と母親の区別がついていなければなりません。胎児期および早期の乳児期には、この区別はつきません。そして、その時期には母親の気持ちが自分の気持ちとして入ってきます。母親の気持ちは特殊なエンパシーで、非常に強く伝わってきます。抵抗できません。そのような母と子のエンパシーの下で、子は、自分の存在を否定する母の観念や願望を自分の観念や願望として受け入れてしまうのです。他に道はありません。この悲惨さ、決定的な悲惨さ、宇宙的な悲しみを、何と呼んだらいいのでしょうか。
Q92
 前に神経症、精神病、さらには心身症が発生することの黒幕に、恐怖や不安がある(A63、69、70)ということでしたが、その恐怖や不安が実は、自分自身への無意識の殺意によって引き起こされる罪悪感に類似するもの(A91)である、ということですか
A92
 まさに、そのように感じられます。
Q93
阿闍世コンプレックスや死の本能が働いた実例文献はありますか。
A93
(例1)
木田恵子女史は、自分の息子さんが事故でなくなった心理的な原因を、死の本能が働いたことによるものと分析しています。以下は要約です。
 人気編曲家として活躍していた息子さんが不慮の交通事故(飲酒運転でも自殺でもない)で亡くなったのは、彼の仕事の上で大きな状況の変化があり、0歳人である彼の精神が退行現象を起こして固着点まで引き返し、死の本能に身を任せたことが原因である。彼の自己破壊(事故死)が、彼の人生の最も初期である胎内から乳児時代に根ざしていることは動かしがたい事実である。そのように彼を0歳人にしてしまったのは、親である自分の不徳の致すところである。
 自分は、息子を妊娠中に、疎開先の今思い出してもゾッとするような悲惨な生活から何とか脱出したいとそればかり考えており、その資金を稼ぐため小説の懸賞募集に応募しようと、昼間は使用人並の野良仕事をしながら、明け方に起きて150枚の原稿を書き上げ、胎児にとっては最悪の状況を作ってしまった。もしかしたら私は自分の意志では中絶したくないが、自然に流産すれば都合がいいとでも、無意識では思っていたのかもしれない。そのような場合、胎児であった子供は、阿闍世コンプレックスを引き起こすような存在そのものの葛藤を持つことになる。【10】p233~249
(例2)
また女史は、自身がよみの国に住み着いたいきさつも述べています。
彼女が母の胎内にいたときに、有名な大正8年のスペイン風邪が流行し、母も風邪にやられ、兄姉も4人のうち2人が亡くなり、母は心身ともに大困憊の最悪状態で妊娠を迷惑がっただろうといいます。そして産まれてみると、女であることにがっかりされて父などは蚕室をのぞく気にもおこらなかったそうですし、裕福な家庭であったのに、新しく乳母もつけてくれず、兄の乳母の付録になったということです。また、母は、子供のおしめの世話もしたことがない人だったようです。【10ー2】p80~81
(例3)
 また、女史がよみの国の住人として例にあげるE子さんが、性別は違うものの、私(雲泥諸智)の状況にそっくりです。無気力怠惰、外出もしたくない人です。お母さんは大変に自分の痛みには敏感で人の痛みには鈍感なタイプでしたので、E子さんはただ大人しい手のかからない子に過ぎませんでした。その大人しい手の掛からない赤ちゃんが、母親に早々と失望していくありさまがよく分かり、頭の良い赤ちゃんほど早期に事態を理解しますから抑圧も強いそうです。【10ー2】p74~79
【では、どうすればいいのか】12
Q94
 心理トラブルを抱える人々の心の最深部に、そのような葛藤、殺意、罪悪感が潜んでいることがあるということだと思いますが、では、どうすればそのような心理トラブルを解決できるのでしょうか。
A94
 ベビーブレスでは、すでに述べたように(A6、A7)、呼吸とを用いて治療的退行を、すなわち幼児帰り、赤ちゃんがえり、胎児帰りなどを体験し、これらの時期に形成され無意識の領域に隠蔽されていた心の傷を再体験します。この傷がどのようなものであったかを体感し理解することで、傷が原因となっていた諸々の悩み、不全感、症状などが改善され、場合によっては消滅します。
Q95
 精神分析でも自由連想法の手法によって治療的退行を経験するようですが、ベビーブレスはどう違いますか。
A95
なるほど治療的退行は、ベビーブレスや精神分析に限らず本格的な精神療法では多かれ少なかれ経験するのではないかと思います。禅の公案、瞑想、問答にも類似点があるという人(田中忠雄、元日本教文社編集局長)もいます。人を本当に癒すということは、そうあるべきだと思います。
違いは、非常に効果的なことです。短時間で深い退行が経験でき、その分効果が大きく、必要な治療回数が少なくて済みます。
 精神分析や一部のカウンセリングにおいては、分析者やカウンセラーから分析結果などを言葉によって与えられ、言葉による理解を経由しなければなりません。例えば精神分析では、精神分析を受けるクライアントは自分の心的内容を言葉に翻訳して話します。分析者はその話の内容やクライアントの態度を材料にして、分析者自身の経験をもとに感じ取り、感じ取った内容を分析し、分析結果を再び言葉に翻訳して、クライアントに伝えます。クライアントは、分析結果である言葉を介して、自分の傷を理解します。
 これに対し、ベビーブレスでは、セラピストは実際にクライアントの横に居てセラピーを導きクライアントの不安を和らげますが、理解の過程自体には分析者やカウンセラーはいりません。自分自身も自分を分析する必要すらありません。自分の心的内容が深く掘り下げられ直接に傷を体感し理解します。その分、効果的です。
【意識化】12
Q96
 乳幼児期などに形成され無意識の領域に隠蔽されていた心の傷を再体験するということですが、この再体験とは、無意識を意識化するということですか。
A96
 そうである場合が多いです。
 しかし、ベビーブレスを行うことで吐き気や強い感情を経験するものの、傷の意識化がないまま、悩みや症状が改善される例があります。自分の傷が何なのか分からないまま治っていくのです。また、恐怖や不安を体験するものの、それが何なのかはっきりしないまま、改善が進む例もあります。ベビーブレスには必ずしも、意識化はともなわないのかもしれません。
Q96-2
 自分の心の中に、それまでは分からなかった吐き気、強い感情、恐怖や不安があったということは理解するのですから、その意味では意識化の一種ではないでしょうか。
A96-2
 なるほど、そうかもしれません。
 精神医学では、治療的洞察というのがあり、患者が抑圧の緩和を介して無意識を理解する心的過程をいいます。【14】p580 そして、この治療的洞察のうち、単なる知的な洞察よりも、生き生きした情緒的な体験をともなう情緒的洞察、「ああそうか(Aha-Erlebnis)」といった直感的な体験的洞察(体得とか体悟)が治療効果が大きいといわれます。精神分析と違い、ベビーブレスでは、理解が言語の存在を前提としないので、「知的な」ものが登場しないまま情緒的、直感的、体験的な部分のみを経験してしまうのかもしれません。思えばもともと、赤ちゃんや胎児は言語を獲得していませんからね。赤ちゃんのころの傷を再体験しても言語化、つまり知的な理解は難しいのが普通なのでしょう。
Q96-3
 ベビーブレスでは言語のような知的なものを前提としないで、情緒的、直感的、体験的な部分のみを経験でき、しかも精神分析でいう意識化と同じような効果、すなわちなんらかの理解があるということでしょうか。どういうことなのか、もう少し話してください。
A96-3
 そういうようなことですが、このことは経験しなければ、なかなか分かりづらいと思います。
【象徴的な理解】
 このようなベビーブレスでの情緒的、直感的、体験的な理解は、多くの場合は言葉を越え、映像や音声のようなものをともなう記憶の回復のような感じです。また、映像や音声もともなわない場合もあります。単なるフィーリングのような感じの場合もあります。しかし、本人は何かを理解します。その理解のことを、言葉を越えたものであることから自分たちでは象徴的理解と呼んでいます
Q96-4
 ベビーブレスの象徴的理解について、具体例をあげてさらに説明してくれませんか。
A96-4
 例えばある人の場合は、「自分と折り合いの悪い母と祖母が、ブレスの中で自分の現在のかわいい小さな子供と同じように、小さな子供になって自分に抱きついてきた」経験をするとき、本人は次のようなことを理解すると思われます。
 (1)母や祖母は小さい頃、甘えられなかったが、本当は自分の子供がするように、甘えたかった。
 (2)そうすれば、自分の子供と自分の仲がいいように、母や祖母と自分の仲はよかったであろう。
 (3)そして、自分もそれを喜んだであろう。自分の子供に対して喜びを感じるように。
 胎児期や乳児期などのように言語を獲得しておらず映像としての情報がないときに受けた悲しみなどの傷を自分で理解しようとするときに、理解の材料としては言語や映像は手元にありません。もっと漠然とした感覚的なものしか残っていません。この「感覚的なもの」が現在でも存在することは、胎児期乳児期から遥かに年月が過ぎた現在でもその頃の傷によって苦しむのであるから、当然であると考えられます。あるいは、この傷そのものが「感覚的なもの」として保存されているのかも知れません。
 多くの場合にベビーブレスの終了直後から、本人は、この「感覚的なもの」を、あたかもパズルのように組み合わせて、意識がはっきりつかめるようにしようと、すなわち理解しようとします。パズルが組み合わさったとき、それは例えば合理的な映像として、意味のある映像として認識され、その映像によって自分が理解したことを再認識します。始めの理解で映像が完成し、その映像をまるでテレビの映像のように見て、2番目の理解がなされ言語化が可能になります。始めの理解を象徴的理解、2番目の理解を言語的理解と呼びたいと思います。
Q96-5
 ベビーブレスで体験する映像や音声は、幻覚、幻聴とはどのように違いますか。
A96-5
 現実のこの場にはないものが見え、ない音声が聞こえるような気がするのですから、その意味で、人間の深い部分で同じようなメカニズムが働くのかも知れません。深い部分とは、言語や映像の存在しないほど深く、漠然とした「感覚的なもの」しか存在しないほどに深い部分ということです。違いは、幻聴、幻覚、幻想は、悲しみなどの傷の痛みから逃れるために「感覚的なもの」からなるパズルを更にバラバラにしようとする営みによるものであり、象徴的な理解に伴う映像は、悲しみなどの傷の痛みがどのような傷から来るのか観るために、パズルを組み合わせようとする営みによるものであると、思います。逃げることより観ることを選んだということに違いがあります。背中がじくじくと痛むとき、ある人は、痛みから逃れ忘れる手だてを講じるかも知れません。別の人は、背中に手を回して傷の正体を観ようとするかも知れません。その違いです。
Q97
 無意識を意識化し理解することで神経症の症状が治るということは、精神分析治療の根本ですね。
A97 
 その通りです。
木田恵子女史によれば、精神分析で自由連想法をていねいに実施すると、不思議にその人の無意識の中の問題が洗い流されてきて、その意識化によってヒステリーや神経症の症状が消えていく【10】p51のみならず、副産物として病気が治る例は豊富にあり、胃、心臓、肝臓、肺臓、卵巣、蓄膿症、さらには失明していたはずの目まで見えた例もあるということです。【10】p207
 また、鈴木秀男医師は、「いわれのない不安」を押さえるためには、その正体を知って、相対化(客観視)することが考えられると、いいます。【8】p205
Q98
 無意識といいますが、その中でも重要なのが母親に関する部分なのでしょうね。
A98
 そうだと思います。
 木田女史はいいます。1930年代にメラニークラインなどの影響で幼児早期の母との関係が注目されはじめましたが、私が分析した重症の人たちの例でも、暴虐な父親や不幸な境遇の影響ばかりに取り組んできていたのが、自由連想法で赤ん坊の頃に戻ると、この母への怨みがどっと出て、それを洞察すると症状が良くなる例が多くあります。横暴な父親への恐怖心など自分でもはっきりしている問題は、本当の問題ではないのが普通です。何と言っても子供にとって一番かけがえのない母に対する怨みや憎しみは、厳重に抑圧してありますから、ていねいに・・意識化しなければ症状は解消しないのです。【10ー2】p61~64
【退行】
Q99
 退行とは、幼児帰り、赤ちゃん帰りなどと説明されていますが、もう少し詳しく知りたいのですが。
A99
 退行ということを、木田女史によればフロイトは民族の大移動という比喩を用いて説明しています。この比喩によれば
民族全体が現在の住地を立ち去り新しい土地を探し出すとき(赤ちゃんが機能を発達させようとするときに)、全部がそろって新しい土地に到着する(発達し成長する)のではなく、一部は半途に停止し駐屯すること(固着)が普通でしょうし、その場合に先遣部隊が優秀な敵に遭遇するなど(外的難関)を経験すれば、駐屯地まで撤退(退行)しようとするのはごく自然なことであって、駐屯地に残してきた人数が多ければ多いほど(固着が強ければ強いほど)、先遣部隊の敗北(発病や症状の発生)は早くなる、ということになります。【10-2】p27~28
<自分たちの説明では、退行を建物の基礎の修理として説明します。すなわち
 私たちは、幼い頃に形成された心理的な安定の上に成長するように思え、その意味で、建物がしっかりした基礎の上に一階、二階、三階、・・・の順で高層階まで建設されるのに似ています。しかし、必ずしも基礎や下層階がしっかりしてはいなくて、なんらかの理由で手抜き工事(固着、傷)がなされているかもしれません。そして地震(外的難関)が来ると、建物は弱いところが危なくなります。一ヶ所が壊れれば私たちは壊れます。そこで危なくなると、大急ぎで弱い部分を補修(固着への退行)しようとします。>
Q100
 普通の人にも固着はあるのでしょうか。
A100
 あると思いますし、その固着の場所が人それぞれなので、基本的な性格が人によってそれぞれなのだと思います。木田女史によれば、完全に良い育ちかたをした固着のない人などあり得ない【10ー2】p31そうです。
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