雑記帖

HOME 1998 1999 2000 2001


1999.12.28

 この夏以降、物欲にかられるまま、アプティヴァにスキャナにプリンタと立て続けに電脳製品を買ったわけだが、そのどれにもフォトレタッチ・ソフトというオマケがついていた。どうもそういうのが最近の傾向なんだそうだ。で、試しに使ってみても、ちょっと理屈っぽい話になると、これまで縁のなかったカルチャーだもんで、頭がついていかなくなる。ヒストグラムだのトーングラフだのいってもねえ、何を言いたいとですか。

 思いつめて(ってわけじゃないけど)とうとう解説書を買った。また出費じゃ。それにしても本屋には圧倒的に Photo Shop 関連本が多かった。誰もがあんな高額ソフトを使うわけではないだろうに。私が買ったのは Paint Shop Pro ver6.0J の本で、体験ソフトもついていた。Windows ではわりと有名なソフトだ。画面上で操作しながら、少しずつ画像処理の実際を体で覚えていこうと思っている。

 今の『泉鏡花を読む』のタイトル画像を作ったのは去年の5月だった。フリー素材の「虹色」をグレイスケールにする工程や背景を透過GIF にする最終工程などを除いて、ほとんどを Windows付属の簡単なお絵かきソフトで作った。その気さえあればこれでけっこうできるのだ。昨日 Paint Shop で同じことをやってみたが、機能が多すぎて迷路にはまり込んでしまった。かりにできたとして、今のような粒状感はかえって出せないかもしれない。


1999.12.23

 やっぱり買ったわけだ、プリンタ。機種はヒューレット・パッカードの DJ955C 、とにかく速い。昨日さっさと年賀状の印刷をすませてしまった。このメーカーのは両面印刷できるものが今年の主力製品らしいが、私には必要のない機能なので、印刷のクオリティが同等で少し安いこっちを選んだ。テキストの黒の美しさとスピードがうれしい。

 カラーの写真印刷はエプソンやキャノンに一歩二歩及ばないみたいだが、それでも充分にきれいだ。ただしメーカー純正のフォト用紙が近くのパソコンショップには置いてなかった。どうやらこういうところが弱点らしい。

 4年間お世話になったキャノンの BJC400Jは今日弟にゆずった。コンパクトなデザインがけっこう気に入っていた私。これで LaTeXやって遊んだ頃は楽しかった。新しいプリンタではもうやらないと思うけれど。


1999.12.17

 さむい。今年もまた小瓶の季節になってしまった。といっても何の事か分からないでしょう。仕事の行き帰りが辛いから、毎朝、お湯を入れた小さな瓶をジャケットのポケットに突っ込んで出勤しているのです。携帯型の湯たんぽ、みたいな。30分の通勤時間がこれでとても助かっている。使い捨てのカイロは自分には効き目が長すぎて勿体ないのだ。

 ぐつぐつ煮立った鏡花流の煮え燗をお湯のかわりに入れてみるというのは、当然考えたことがある。でもアル中じゃあるまいしね。帰りにそれをチビチビやりながら、というのも悪くないが、ちゃんと仕事場でお湯を沸かして、朝と同じようにして帰っています。

 「おしらせ」に上げておいた「質問」に今のところお答えメールは来ていない。掲示板が設置してあれば、もう少し反応がしやすいのかもしれない。とは思えど、掲示板は疲れるのだ。やってみてはどうですかと言ってくださった方が今までにおひとりだけいましたが、私にその気はありません。とりあえず牛込櫻会館や、そこから行ける幻想文学系の掲示板をお奨めしておく。ただし、お奨めしたのに何だが、私はあまり覗いていないのであしからず。


1999.11.29

 昨日泉鏡花自筆年譜に追加した鏡花像は特殊効果のやりすぎだった。ひと晩たつと悪乗りがはずかしくなり、頭をかきながら控え目なものに差し替えることにした。あれはあれで面白いと思うのだが、やっぱ顔が飛んじまってちゃね。ともあれ、鏡花の写真ではあれがいちばん好きなのだ。同じ意見のひとは多いと思う。


1999.11.28

 1 週間前にスキャナを買った。薄型のデザインがよくって、珍しく衝動買いをしてしまった。なんたって安かったし。さっそく写真を取り込んで遊んでみようと物色をはじめたが、子供がいないせいもあって、我が家ではなかなか写真を撮らないことを思い知る。あるのは昔のものばかりだ。だれ?この美男美女は、と虚しいつっこみを一応いれつつ、でも若い頃の写真の方がスキャンしがいがあるよな、と変な納得をしたりなんかする。変色した写真をレタッチソフトで修正するのが面白い。こうなるとプリンタが欲しくなるではないか。むむむ、我慢できますか? >自分。

 今日は少しだけこのHPを手入れした。自分のページは出来るだけ軽快であることがモットーであるわけだが、少しは画像も入れたいと思っていたので、スキャナを手に入れたのを機に最低限の追加をやってみた。詳しくはおしらせを見てください。

 雑誌『アスキー』の今月号の付録にマイクロソフトの『エンカルタ百科事典』の体験版CD-ROMが付いている。ちょっと試しにつついていたら、いつのまにか私のページにアクセスしていた。なんのことはない、「鏡花」の項目のWebリファランスとして私のページが登録されていたからだった。なんともはや。


1999.11.17

 だんだん寒くなる。夏だといくら暑くても平気なのだが、冬は苦手な季節だ。子ガメのモモも動きが鈍くなった。部屋の中を散歩させても、すぐに新聞の下にもぐり込んでしまう。「さ、トーミン、トーミン」てな感じだ。

 冬眠もいいけれど、子ガメのうちは冬眠中に体力を消耗してしまい、二度とお目覚めを迎えることができなくなる恐れがある。だから水槽を暖めて眠らせないようにして越冬するのがよいらしい。水中型のヒーターを入れるにはモモの水槽はまだ小さいので、猫用の小型のホットカーペットで下から暖めるようにした。今のところ適度な水温を維持できている。食欲も旺盛だ。

 先週、猫のレムに顔をひっかかれた。モモへの焼餅ではない。なにやら寝言をいっているのが可愛くて顔を近づけたら、恐い夢を見ていたのかびっくりさせてしまったらしい。かなりの出血だった。こりゃ痕が残るなと思ったが、目立つほどではなさそうだ。「サザエさん」だったらカツオのメッシュな顔のアップと笑い声というパターンだけれど、リアルの方はあまり笑えない。猫好きのあなた、気をつけてください。

 ちょうど 1週間前にページの背景色を変えた。微妙な色だからマシンによっては汚い色になったのではないかと心配している。『色の名前』(主婦の友社)というポケットサイズの本にある「アイヴォリー」とほぼ同じ色にこちらの画面ではなっている。いろいろいじっていたらこんな色になったので、これが象牙色だという意識はべつにない。そういえば、ページを記述する HTML にも "Ivory"というカラーネームがあった。それだとこんなのが■=象牙色になる。色の道はなかなかに微妙だ。時々変えてみようか。


1999.10.17

 仕事中はいつもラジオを聞いている。このごろそのラジオのコマーシャルが「どきゅうじつ」という言葉を連発している。「土曜日と休日」のことだとは分かるのだが、なんか「ド休日」みたいだ。「ど根性」とか「どスケベ」とかの言葉もあるし、これはもう誰が何といおうと休みであって、正真正銘、天地神明にかけて嘘偽りのない、まさにこれやこの休日であるよというほど性根の座った休日、といった響きがある。もう大変なものだ。

 毎週1度巡回しているお気に入りのページがあるのだが、先月末から更新が滞るようになってちょっと寂しい。彼はプロ作家志望のひと、ちょうど人生の重要な時期にあるようで、いろいろとあるらしい。いっぽうこちらは大して何もないのだが、気がつけば永らく更新していなかったりする。まさに「ド休日」しているわけだ。ごめんなさい。

 bleu(2ヶ月前に買ったコンピュータに付けた愛称)の調子が一時悪くて、それでにわかにコンピュータの勉強にハマってしまっていた。だから、先月読みおえた本は結局アンリ・ド・レニエの『生きている過去』(岩波文庫)の1冊きりだった。感想というほどのものはないが、ユイスマンスを読めばよかったと思った。ブルジョワジーへの憎悪ひとつとってもユイスマンスの方が激越だし、過去そのものの表れである「館」の描写にしても『大伽藍』の過剰さがほんのちょっとでもあればと思う。まあ、こういうのを無いものねだりというのですが。


1999.9.7

 昨日、くだんの日経新聞を見た。鏡花没後60周年ということで、いくつかのホームページが紹介されていた。なるほど。ここのページの記事と写真も載っていた。ふむふむ、そういうことだったのですね。


1999.9.5

 昨日の朝からこのサイトへのアクセス数がみょうに増えている。狐につままれた気分でいるうちに、アクセスカウンタが10000 を超えてしまった。調べてみると、NIKKEI-Xのページに鏡花関連のリンクが掲載されていた。どうも日経新聞の昨日土曜日の朝刊に鏡花がらみでネットの情報が紹介された疑いがある。うちは西日本新聞というローカル紙しかとってないので、さきほど仕事場に電話して、私の机に日経を置いといてくださいとボスの奥さんに頼んでおいた。どうゆうことなのか、月曜になればわかるだろう。

 ところで昨夜1時ごろアクセスした時、9999をゲットしてしまい冷や汗をかいた。ひとつ間違えば自分で大台獲得という間抜けなことをしでかすところであった。私のあとに来訪されたお客様が1万アクセス目ということで、なにはともあれ、おめでとうございます。これからも皆様よろしくお引き立てのほどを。

 でも実は新しいパソコンが不安定で、自分の HP のことはそっちのけだったのでした。新しいワードやエクセルを入れた時に、インターネット・エクスプローラも 5.0にバージョンアップされるようになっていて、根拠はあまりないのだが、これが不具合の原因ではないかと私はにらんでいる。それで再びフォーマットして、再リカバリを敢行。今回は IE 5.0 のインストールをキャンセルしてみた。そのおかげか、今は見ちがえるほど安定している。でもなあ、こうして時間を空しく使い果たしているわけなのだよな。昨日、ユリイカのボルヘス特集を買ってきたというのに、まだ包装も解いてない。


1999.9.1

 亀のモモはイシガメだとばかり思っていたが、クサガメであることが判明した。クサガメのクサは「草」ではなく「臭」なのだそうで、外敵に襲われた時に臭い匂いを放出するのでそういうことになっているらしい。あらま。

 5月にうちにやってきた時はほんとうに小さくて、ドロップと間違えて食っちゃいそうなほどだったが、だんだん形が亀らしくなってきて、もう口に入れることはできなくなった。口にって、まだやってないですけど。臭いのを出されたかもしれないからなあ。よかった。

 モモの水槽には玉砂利にひたひたの水とプラスチック製の洞窟が入れてある。その水槽から、たまにカチリという音がする。この音がじつにいい。モモが玉砂利を動かしてたてる音だ。碁石をはじいてほかの碁石に当てたときの音にわりと似ている。

 思わぬ時にこの音を聞くと心がなごむ。とてもなごむのです。流行語になってしまった「癒し」という言葉は大仰で宗教的・文学的すぎる気がして私にはちょっと使えない言葉だが、「なごむ」という言葉なら概ね自分の身の丈に合っていて違和感はない。とにかくカメがたてるおはじきの音と絶妙な「間」がじつにいいと思う。


1999.8.25

 bleuの 8ギガの HDDはまるごとひとつのドライブに設定されていて使いにくいので、3つのパーティションに別けることにした。インストール済みのソフトを温存したまま分割できる、ということはハードディスクをフォーマットしなくてもすむというプログラムを使おうとしたのだが、失敗。なんでも前準備に仮想メモリを使わない設定をしなければならないと雑誌に書いてあって、そのとおりやったら、それ以後コントロールパネルもなにもすべてのプログラムが起動できなくなった。覚えていなさい、アスキー。(追記。Safeモードで起動すればなんとかなったはず。)

 結局、昔どおりのやりかたで分割。ソフトのリカバリには10分もかからなかった。今のCDドライブはさすがに速い。ただそれ以後の環境整備がゼロからやりなおしとなってしまった。疲れた。

 みっつのドライブのうちひとつは Linuxのために 1.5ギガを当てる。ちょっと異常な流行ぶりをみせている Linux、一般人にはさして使い道がないのだが 3、4 年前からこちらでもたまにネットサーフィンをしたりしている。私にとってはただのお遊びだ。

 机の上から押し出された古いパソコンは実家に運び込んだ。親がふたりとも健康がすぐれず実家どまりも珍しくなくなったので、インターネットがむこうでも使えるようにしたわけだ。が、昨夜弟から電話があって、スイッチをいれたら画面が真っ白のまま固まってしまったという。わははは。よしよし、なんとかするよ。


1999.8.20

 新しいコンピュータの設定で忙殺の日々。おおげさかな。結局 Aptiva 55J を買った。満足している。

 でもこのマシン、致命的というほどではないが障害がある。本体より先にモニタのスイッチをいれると、No signal と表示されて絵が出ないのだ。100 パーセントの再現性がある。順序を逆にすればよいので使えているが、気分がよくない。すでに IBMのサイトに修正プログラムがあがっているものの、BIOSを書き換えるので初めてパソコンを買う人には酷だし危険な作業をさせることになる。書き換えのときに停電が起こればマシンはパアになるから、初心者以外にも危険だ。

 これまで使っていた富士通の FMVにしても2 台それぞれ新品の時に不具合があった。いずこも同じかとは思うが、IBM よ、こんなドジふむと販売店にそっぽ向かれちまうぞ。知ったことじゃないけど。

 それはさておき、さきほど古いマシンの LANカードを今度のに挿して、卓上に残ったもう 1台とつないだところだ。家庭内 LAN。快適々々。これで環境整備が楽になる。

 マシンの名前は bleu にした。Big blue(=IBM)の意味もあるにはあるが、リュック・ベッソンの映画 " Le Grand Bleu "から取った。画面にイルカでも泳がせてみようか。DVD が使えるのだから。


1999.8.16

 13日から15日までの短い盆休みだった。そのうち13日は職場恒例の、簡単な人間ドックのために半日潰れてしまった。ま、べつに不満でもないが。なんなら正月出勤も辞さずという実はタイプなのだ。あいにくまだ正月に出勤したことはないし将来もなさそうだけど。

 体の検査にそなえて直前の三日間は禁酒をした。やはり肝臓の数値が気になるからだが、検査の結果が出るまで、しばらくは飲みつづけることになる だろう。覚悟しなさい。

 体脂肪が少しだけへった(20.4→19.0)。減らすために好きなバタピーをやめて 1年。ただ酒の量は増えたはずで、ために徐々に脂肪肝になりつつあると思われる。これのせいで体脂肪の大幅な減少に至らなかったのかもしれない。でも酒をやめる気はないのですねえ。

 脂肪の話より他にすることはないのか→自分。明日は新しいパソコンが届くのだっけ。


1999.8.10

 ゆうべは市内の花火大会。近くの土手にあがって遠くから見た。ときおり、川の水に映る花火を探す。ビルの広告塔や車のライトが映り込むなかに、色の変化でそれと分かる水の中の花火。

 鏡花だったら、奇麗なあね様の浴衣の柄に花火の鮮やかな色を重ねて映してみせただろうが、私のそばにいたのはチェックのシャツにGパン姿の同居人だった。着物姿にまったく魅かれることのない私だから、べつにどうでもよいのだけど。

 堪能して(同居人を、じゃないよ、花火々々)帰ったら、TVが盗聴法案の強行採決を速報。おいおい。公明党とか創価学会とか、自分たちが盗聴されそうだとは思わんのかい。


1999.8.7

 「星あかり」のテキスト入力がようやく終了。ずいぶん短い作品なのにこんなに遅れてしまったのは、忙しさもさることながら、やはり集中力をなくしてしまったせいだろうと思う。青空文庫の入力中の作品リストなどを見ればわかるように、鏡花の新たなテキスト化が鋭意進行中で、テキスト環境は去年私がここのページを開いた時よりもかなり改善されているようだ。そのぶん私から緊迫感が失せてしまったけれども。

 もともとは鏡花を写経する試みとして始めたテキスト化であるが、無心にキーを叩くだけのごく私的な行為がなかなか得難い経験となった。鏡花のことばで自分を染めること、鏡花の言葉フェチのいくぶんかを自分のものにすること。うーむ、やめられません。

 「星あかり」は旧字体と新字体ふたつのテキストを載せる予定。デバッグにいましばらく時間がかかると思うが、ながーい目で見てやってください。


1999.8.4

 きのう『月島物語』を「よそものの視点から書かれた反旅行記」と書いたが、四方田犬彦の視線は定住者のそれに近い。ニューヨークから戻って月島の長屋に棲みつくこと足掛け5年、土地の祭にもきちんと参加しているし、ちゃんと月島のひと達の中に解け込んで暮らしていたわけだ。この本が出て2年後にはイタリアはボローニャに引っ越しているので、つごう7年ほどを月島で暮らしたことになる。よそものであっても、ただの通りすがりではなかったことをおことわりしておく。

 大学生の時だけだが、私も東京暮らしの経験はある。雑司ヶ谷と早稲田にそれぞれ2年、あと池袋の近くの東長崎というところに半年。最初に住んだところだからやはり雑司ヶ谷がいちばん印象に残っている。池袋に遊びに行く時は雑司ヶ谷の墓地を突っ切って行くコースを必ずとった。木々の緑と鏡花のお墓があるからだ。学校に通う道筋はいく通りかを気分次第で換えていた。とにかくよく歩いたもんだ。

 月島も佃島も行ったことはない。中古の自転車でも買ってあちこち見てまわればよかったと今にして思うが、あの頃そんなことは思いつきもしなかった。

 だからというわけではないが、16インチのタイヤの小さな折りたたみ自転車を少し前に買った。自分の住む町の変りようを自転車に乗るたびに発見しているこのごろである。ひととは違う変な小道を好んで選ぶ癖が昔からあったせいもあるのだろうが、高校への自分だけの通い道がよく分らなくなっていたりする。


1999.8.3

 『パリ時間旅行』(鹿島茂・中公文庫)を読んでいる。著者はフランスの古書の収集狂といった方が通りがよいかもしれないが、19世紀フランス文学、とくにバルザックが専門の大学の先生。晦渋なテクスト理論を振り回すより、たとえばバルザックに出てくる具体的な下宿屋の細部を問題にしたいという。なるほど、なるほど。

 そんな19世紀やベル・エポックの時代の風物をパリの現在に探せば、その旅はそのままタイムトラベルになる。写真も豊富だ。冒頭ではベンヤミンの翻訳でも知られるようになったあのパサージュ、マンディアルグの短編にもたしか出ていたパサージュの今の姿が紹介される。ガラスのアーケードのある通り(パサージュ)がそのまま導入部となって、この書物の世界へと読者を誘うようなしかけになっているわけだ。

 それにしても、パリの魚屋が伝統的に女性の職業だったなんて、知らなかった。まだ読んでる途中だが、フランス文学を読むための手引きとしてとても役に立つ本だと思う。ま、にもかかわらず、このての知識がなくても文学できると思うんだけどね。

 この本の前には『月島物語』(四方田犬彦・集英社文庫)を読んだ。東京の、下町ならざる下町としての月島について、よそものの視点から書かれた反旅行記といったものである。おすすめです。

 あと、上海が舞台の『吾輩は猫である殺人事件』(奥泉光・新潮文庫)を読んだ余韻で、『上海』(藤原恵洋・講談社現代新書)も読んだ。魔都上海などど夢想するのもいいけど、英米仏に日本の帝国主義ってやっぱ野蛮だよ。


1999.7.31

 私の机の上には2台の富士通 FMVが載っている。デザインが全然個性的でないところが私ごのみだ。ただ単に、パソコン。それ以外のなにものでもない、という感じ。ちなみに、私のメインのマシンは映画『シャル・ウイ・ダンス』で主人公が自宅で使っていたのと同じ機種。

 そのモニターが3ヶ月ほど前に壊れた。面倒くさいので修理に出すのが延び延びになっていて、今は古いモニターでしのいでいる。最初のうちは画質のひどさが気になったものだが、もう慣れてしまった。

 とかくするうちに、夏バージョンのパソコンが各社から発表された。そろそろ新しいのをいれようかと考えている。いま使っているのは3年前のものだから、潮時といえば潮時なのだ。いや、べつに今のままでも充分使えているのですけどね。

 そろそろ自作に走ろうかとも思ったのだが、そのための勉強をするにも今は暇がない。組み立てるのだって時間かかりそうだしね。あ、不器用な私がやるとしたら、だけれど。とにかく自作の方は3年後のお楽しみってことにしておく。

 で、今回は IBMのミニタワーにしようかと思っている(笑)。


1999.7.28

 なにかと忙しいのでこの雑記帖は放置しておくつもりだった。けれども時々いただくメールから判断するに、読んでくださる方もいるようなのでとりあえず再開してみよう。ひと月もつかどうかわからないが。

 家族がひとり増えた。ゼニガメだ。母の日に同居人が私の実家に顔出ししたとき、道端に落ちていたのを捕獲したものである。そばの小川から上陸したものか、そこらの子供がペットに飼っていたのを落とすか捨てるかしたものと思われる。カメを捨てる時はちゃんと水の中に捨てるように。

 名前は「もも」にした。どうやらメスらしいので、女の子っぽいのを考えてみた。ミスマッチの美学。オスメスの鑑別はアヌス(わはは)の位置できまる。うわつき、とか、したつき、とかまあそうゆうので判断できるのです。カメだから、もとより顔はガングロ。コギャルのももちゃん。

 ときどきカメの家から出して部屋の中を散歩させてみる。けっこう速い。とことことことこ。とことことことこ。見ていて飽きない。でもカメにしてみれば身を隠せる物陰をもとめて必死なのだろう。

 ゼニガメはイシガメのコガメの俗称。これはあまり知られていない。もちろん私も知らなかった。




 泉鏡花を読む