雑記帖
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2000.12.30
我ながら更新のしかたを忘れたんじゃないかと心配になってしまう今日このごろではある。実はゲームにハマっていた。MAMEというアーケードゲームのエミュレータを手に入れ、それ以来、自分のPC上でインベーダーやパックマンと遊ぶ日々が続いていた。実際は遊びに熱中するというより郷愁にひたっていたと言ったほうが正確かもしれない。ゲーセン出現以前の、喫茶店やスナックのテーブルがそのままゲーム機になっていた黎明期の雰囲気がむしょうに懐かしかったりする。中でも私にとってのきわめつけは何といってもゼビウスである。15年前にファミコンを買った時、実はこのゼビウスをするのが目的だった。アスキー製のジョイスティックまで買ってそれなりに熱中したものの、立体感のない画面の貧弱なことといったらなかった。中古で実機が手に入らないかと半分本気で思ったものだ。15年経った今、はからずも本物のゼビウスにPC上で再会できてしまった。長生きはしてみるものだ。感涙。(法的に問題があるので、これらゲームの romfileの在処は書きません。)
さて、今年ももう終わりだ。今年読んだ小説で記憶に残ったものをひとつだけ挙げておく。松浦理英子の『裏ヴァージョン』、書かれていることの真相(真相なんてものがあるとして)が次々にひっくり返されていき、書くことそのものが小説の主題のひとつとして浮上する点でメタフィクションともいえるわけだが、そんなことより、ふたりの女の関係性の切なさがたまらない。数年ぶりの新作に、この切なさはやっぱり松浦理英子だと思った。このひとの作品では『ナチュラルウーマン』がベストだという私の考えは揺るがないけれど。
2000.11.29
我流で鏡花テキストの語彙検索プログラムを作ってきたわけだが、そうですか、私のやってる検索方法は KWIC(Key Word in Context)というのですね。その後、「語彙検索」をキーワードにして発見したフランスのラブレー・サイトが私と同じようなことをやっていたので、オーララ、やっぱ私ってお仏蘭西、と納得(?)したものだったが、いろいろ調べているうちに、国文学研究資料館の【源氏物語】の全文検索も KWIC を使っていて、なるほどテキストの語彙を検索しようとすれば誰でも似たような方法にたどり着くのだろうなと思ったことだった。ちなみに KWIC とは、検索語が前後の言葉といっしょにリストアップされる形式の索引方法で、すべての検索語がリストの各行の同じ位置(真ん中であることが多い)にくるように配置されるので文脈の中での前後関係が一目瞭然となるのが特長である。
ところで、国文学研究資料館のほか古典総合研究所でも『源氏物語』の全文検索(こちらは KWIC ではない)をやっているのに気がついた。どちらの検索システムも文字化け対策が完全でないのが気がかりである。二文字以上の検索語では問題ないものの、「海」のような漢字一文字を検索した場合の表示の乱れは無残だったりする。私も文字化けに関しては無い知恵を絞ってようやく解消できた経緯があり、いわばご同輩というべきものである。これらのサイトには同情を禁じえない。こんなあらずもがなの苦労を強いられた者としては、サーバーの処理系の Perl が日本語対応のものに替われば簡単に解決することなのに、この国のプロバイダーはいったい何をしているのかと思う。この程度の支援もできないで、何のIT革命か、と。
2000.10.21
古本屋の店頭にはたいてい平台があって、そこには 100円とか50円とかのクズ本が並んでいるものだが、私の行きつけの店は気前がよいというか気が狂ったというか、おかげでこのところけっこう良い本を格安で手に入れさせてもらっている。中村光夫『ある愛』(新潮社)、高橋英夫『小林秀雄 歩行と思索』(小沢書店)、多木浩二『「もの」の詩学』(岩波書店)、ブルデュー『資本主義のハビトゥス』(藤原書店)など、どれも50円だった。中に書き込みがあるかというとそうでもなく、むしろ一度も読まれてないようなまっさらな状態だ。安いから取り敢えず買ってしまうわけで、これがよくない。蔵書を減らしたいとつねづね思っているのに、逆を行っている。1巻本の『カラマーゾフの兄弟』(新潮世界文学)まで買ってしまった。30年前の本とはいえ、これもきれいなものだ。新刊書店には既に2001年用の手帖が山積みになっていて、毎年これと決めている薄っぺらなやつを今年も買ってきたのだが、ハードカバーの古本五冊ぜんぶ合わせても手帖一冊の値段に及ばないのだから呆れてしまう。
こんなせこい話題ではなく、鏡花の初版本の話でもできればよいのだが、あいにく私はそういった古書の通ではない。その手の話といえば、学生の頃に澁澤孝輔の『漆あるいは水晶狂い』という詩集を神田の田村に売ったことがあって、意外に高く売れてびっくりした経験があるばかりだ。思潮社の現代詩文庫でもこの詩集が読めることを知ったのが初版本を売却した理由だった。高く売れたのは現代詩がまだそれなりのパワーを維持できていた時代だったからだろう。今はどうなのか、さして興味もない。そうだ、一応私は仏文科だったので、先の田村だったかでブランショの『謎の男トマ』の原書を買ったことがあり、それは今も持っているはずだ。ただし、1950年版である。稀少といえばいえようが、しかしこれには1941年版というのがあって、そっちは作者がばっさりと言葉を削ってしまう前の形が残る真の処女作である。それだったら仏語本でも古書としての価値があるだろうと思う。でもまあこれもさして興味はない。いまは仏語からも遠ざかっているわけだし。
2000.10.15
このページのことを忘れていた。 8月の末に書いたように、このサイトに新しい機能を付け加えようと思ったわけだが、自分に期限を課した通りの 9月中になんとか公開することができた。新機能のひとつはサイト内検索で、これはまあそれほど珍しいものではない。有名な「とほほ」氏のサイトのフリー・プログラムをありがたく使わせていただいている。もうひとつはこれを大幅に改造して鏡花のテキストの中の語彙を検索できるようにしたもので、前からとても欲しかった機能だ。もともと電子テキストというのは、読むためのものというより、どちらかというと使うためのものだというのが私の考えで、外字フォントを作ってプレーンテキストのまま欠字なしで印刷できるようにしたのもその顕れだった。こんどの語彙検索は、「****」というのが出てくる鏡花作品は何、という疑問を解決するのになにより役にたつと思う。これは実際にメールでいただく質問だったりするわけだ。その他、食べ物とか着物とか、土地の名とか色の名前とか、海、山、夢、死、血、水、火、美とか……、まあ、いろいろ調べてみていただきたい。これで鏡花の言葉の錬金術にせまることができるなどとは些かも思わないが、いままでとちょっと違う鏡花の側面と出会えるかもしれないとは思わないでもない。
今回の試みに協力してくださったテキスト作者の皆さんには、ほんとうに感謝しています。「こちらからお願いしたいくらいです」「有効活用していただくことは、我々にとっても嬉しいことです」との言葉にはひじょうに勇気づけられた。電子テキストについての上記の私の考え方は「読むテキスト」をけっして否定するものではなく、テキストをもっと豊かなものにしようではないか、そのために私は私なりの力を使いたいし協力を惜しまない、というものです。ネットは広い。同じような考えを持つ人は必ずいる。
2000.9.2
『「オンライン読書」の挑戦』(晶文社)という本に当サイトのことが紹介されていた。けれん味のなさが肯定的に評価されていたのを素直に喜ぶ。私の場合、鏡花に関しては単純に好きとばかりはいえなくて、好きなぶんだけ嫌いでもあるという接し方を昔からしてきているので、そういう人間の作るページは、時に突き放したような感じが見え隠れするかもしれない。うちあけて言えば、『文学部唯野教授』を読むという付録ページの一篇とそれ以外の本文とが自分のなかではほどよく均衡しているくらいのもので、つまりそれくらい淡々と作ってきたし、これからも多分そうするであろうと思うわけです。ほんとは今以上に淡々としたいので、鏡花サイトをたちあげる人がもっともっと出てきてくれたら本当にうれしいのですが。
98エミュレータは、前回紹介した T98よりも安定していて処理も速いAnex86というのに代えた。ちょっと梃子摺っていた漢字変換(FEP)もどうにか解決したし、実家にいる弟に無期限貸与中の98ノートから98特有のフォントを吸い出してきて入れたので罫線がうまく表示できるようになって不自然さがなくなった。うちのIBMでNECの98が動いているなんて、まったく夢みたいだ。 5,6年前に LINUX上で DOS/Vのエミュレータを動かした時も感動したものだが、今から思えばあれは屋上屋を架すようなものだった。今回は人手に渡った懐かしい別荘が再び自分のものになった気分だ(現実の私に別荘なんてモチロンないけれど)。むかし、最愛の猫を亡くして頭がおかしくなりかけた時に、ある方からいただいて大いに慰められた neko.com という可愛いソフトもちゃんと動いている。何よりもそれがうれしい。カーソルを動かすと、画面に棲みついた白い猫がじゃれてきて、ほっとくとスヤスヤ居眠りを始めるというあれですね。
2000.8.29
ひさしぶりに書く。このページは勝手にヴァカンスを取らせてもらった。気がつけば、8 月ももう終りだ。夏はいちばん好きな季節、というかいちばん体調がよい季節なので、かすかに秋めいてくるのを感じるのはなんか寂しい気がする。春よりも秋のほうが憂鬱になるというのは、それだけ若さが失われていく証拠だろうか。夏を惜しむように暇さえあれば自転車で街を走り回っている。
近いうちにこのサイトに新しい機能を加えようと考えている。具体的なことはまだ内緒だが、PERLでプログラムを組んで、皆さんのお役に立つようなことをやってみたい。いちおう中心的な部分だけは出来ている。勉強しなければならないことが色々あるし、複数のお方に打診しなければならないこともある。9 月中には動くようにしたいと思っている。
けれども、ちょうど期末試験前の学生が勉強とはなんの関係もない本を急に読みたくなるのと一緒で、「週刊アスキー」を立ち読みしていて、往年の名機PC9801を Windows上で再現するエミュレータというのがあることを知り、このところそっちに寄り道ばかりしている。実際にインストールしてみたが、少々不安定なところはあるものの、これがなかなかよく出来ているのだ。とにかくデータベースの『桐Ver.4』がちゃんと動くのだから驚く。ま、すでにMS-DOSで使えるプリンタを持ってない上に、こういうアプリの使い方を私が知らないのが残念といえば残念なところではあるが。
2000.7.30
それほど熱心だったという記憶はないのだけれど、ネットにアクセスするようになって今月で10年が過ぎた。モデムの配線の間違いに気づかず、ああでもないこうでもないとさんざん苦労をしたすえに、初めてニフティに繋がった時にはさすがに感動したものだった。当時モデムがたったの1200ボーだったことを思えばまさに隔世の感がある。通信速度は遅かったけれど、そんなものだと思っていたから別段イライラすることもなかった。その時はオアシスというワープロ専用機にMS-DOSを載せたものを使っていたわけだが、真冬の寒い部屋でアクセスしていると、ブラウン管の黒い背景を白い文字がスクロールする時にかすかにサラサラという音がして、なんだか雪の結晶が画面に降り注いでいるようで、ちょっと幻想的な雰囲気がして好きだったのを思い出す。
そういう基本的に文字だけの世界に満足してのんびりひたっていたせいか、インターネットを始めたのは4 年前の2 月、つい最近のことである。思い出話になったついでに書いておけば、パソコン歴のほうは来年の春で20年になる。NEC のPC8001という機械との出会いがそもそもの始まりだった。まだ「マイコンクラブ」が死語でなく、パソコンを使うことがベーシック言語でプログラミングすることを意味していた、MS-DOS登場前夜の頃のお話だ。記録メディアがFDでもHDでもなくカセット・テープだった時代を知る人もだんだん少なくなったが、まさにそういう時代を生き抜いて来たのじゃよ、げほげほ(老人モード)。無駄にパソ歴ばかり重ねているが、もともとテクノ系な人間ではないのでいつまでたっても初歩的なところをウロウロしてばかりいる。ま、それほど高度なことをしなければならない状況に遭遇することもないわけだけれど。
先日、音源付きのキーボードを買った。店で見かけて以来、その37鍵の小さなキーボードを自分の机の上に載せてみたくて、ただそれだけで買ってしまった。付属のシークェンサー・ソフトのYAMAHA XGWorks4.0 というのが奧が深そうで、簡単ではなさそうだから、いつ飽きてしまうかわからないが(笑)、今のところは未知の世界を楽しんでいる。28日に没後250 年目を迎えたバッハの、MIDI File をいろいろダウンロードしたりして遊んでいるところだ。
2000.7.20
娑婆は休日だったが、私は夜の8時まできっちり仕事をした。盆正月でもない限り木曜日は休めないことになっているのだからしょうがない。そのかわり昨日は休んで、自転車で市内のパソコンショップを見てまわった。がまんする筈だった物欲がふつふつと湧いてきているわけだ。実売 5,6万ほどのデジカメか、同じくらいの値段のデジタル音源付きキーボード。なくても死にはしないのだが。ほしいぞ。すぐに飽きると知っていても、買いたいぞ。
NHK の『天守物語』(昨年三月の歌舞伎座公演)はビデオ録画をしておいた。ところが帰宅してみると、地震の緊急ニュースのために放送開始が5 分間遅れてしまっているではないか。お尻のほうが少し切れているらしいことを覚悟しつつ観るというのもなかなか辛い話である。
さて、ビデオで観た『天守物語』の感想だが、ちょっと書くのがつらい。玉三郎の富姫、そしてなによりも新之助の図書之助の声の出し方に違和を感じた。ちとせももとせに一度の恋を表現したいのはよく解るのだが、頑張りすぎです。もっと「ため」を利かせて、激情の迸り大会にならないように気をつけましょう。
私が鏡花の『天守物語』を読む時に聞こえてくる声は、やわらかさの中にきりりとした強さを具えた声、強さといっても水晶で出来た人形に声を与えたらこうなるだろうかというような鉱物質で涼やかな声だ。もちろんそれでは現実の舞台は成立しないだろうし、客の入りもよかろうとは思わないが、少なくとも私にとっての鏡花的な世界とはそんな感じです。
とはいえ、富姫・亀姫の空からの登場のしかたや獅子頭の使い方などはとても興味深いものがあった。舞台のデザインも、最初は凡庸な書割に正直がっかりしたが、夕景から夜の闇へと時間が移るにしたがってぐんぐん良くなっていくところは矢張りさすがだと思った。あと、個人的には亀姫の尾上菊之助がなかなかよかった。無理なくすんなりと受け入れることができたように思う。
『天守物語』の舞台を観るのはこれが初めてだった。というか、そもそもヴィジュアル化したものは鈴木清順作品や一部の新派(婦系図、日本橋、歌行燈)を除いて意識的に避けて通ってきたわけだが、こうして鏡花のページを作っている関係で、たくさんの方から鏡花のお芝居の話を聞くようになり、おかげで今日はよい経験をすることができた。役得とはこういうものだと思う。あいにく最後の最後が録画できてなかったけれど、桃六が下界にさし向ける筈の哄笑は無音のまま私の中で渦巻いています。
2000.7.8
7 月5 日分は削除した。冷静にイカって書いたつもりだったが、読み直したらやっぱり自分で自分のページを汚しているようなものだった。あんなものを読まされてしまった皆さんにはお詫びします。〔要するに、友人ということになっている人間から届くプライベートなメールがいつもBCC(Blind Carbon Copy)だったりすると私だってキレるよ、というお話でした。〕
先月、ボーナスがちょっとだけ出た。去年買ったPCや周辺機器の返済に充てなきゃならないので、大きな買い物はできず、いつもよりやや多めに本代が確保できた程度だ。とりあえず巽孝之の『メタファーはなぜ殺される』(松柏社)というのを買った。アメリカ文学系の批評理論の本ですね。フランスの批評家だったら名前ぐらいは知ってるが、アメリカ文学はまるで無知なのだ、興味ないし(笑)。まあ、それでもアメリカの動向はさすがに無視できなくなってるようなので、本だけでも確保しておこうというわけだ。福岡では確保することを「とっとーと」と言います。はい、Repeat after me ! 「いつ読むか知らんが、とっとーと。」
でも、その「とっとーと」の本が増えすぎて、非常に困っている。昨夜、すっかり日陰者になっていた文庫本を引っ張り出して点検してみたら、買ったことすら忘れていたのがけっこうあった。買おうと思っていた本だったので、なんか得した気がした。それほどの本なら早く読めと言いたいが、ほんとに未読の本の山はどうしようか、ねえ。困った。10年前も困っていたが、いまはもっと困っている。本好きはどこも困っているらしいけれど。
2000.7.5
〔削除〕
2000.6.11
柴田元幸の『愛の見切り発車』(新潮文庫)を読んでいる。アメリカ小説を中心にやさしく案内してくれるブック・レビューだが、そこはそれ、見かけとは相違してなかなか軽くないところがこの人である。
で、この中にロックのシングル盤を1001枚選んでランクづけした本というのが紹介されていて、そのついでに著者やその友達(村上春樹や三浦俊彦)の選んだベストテンがリストされていたりする。それぞれの個性が出ていてなかなかおもしろいわけだ。べつにロックだけが厳密に選んであるわけではないようなので、私にもやれそうな気がした。ざっと思い浮かぶものを書いてみたが、私ってやつはあまりディープなものは知らないらしい。
1 狂ったダイヤモンド(ピンク・フロイド)
2 ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウイープス(ビートルズ)
3 マニック・マンデイ(バングルズ)
4 デイドリーム・ビリーバー(モンキーズ)
5 ラブ・イズ・ブラインド(ジャニス・イアン)
6 夢見るシャンソン人形(フランス・ギャル)
7 ラバーズ・コンチェルト(サラ・ヴォーン)
8 砂に書いたラブレター(パット・ブーン)
9 恋は紅いバラ(加山雄三)
10 ファイナル・カウント・ダウン(ヨーロッパ)
90年代のものが入ってないようだ。私の中でイメージが定着するまでもうしばらくかかるのだろう。アルビノーニのアダージョをラップにしたアイスボックスの”ドン・ゴー・アウェイ”とかカーデガンズの”カーニバル”などがわりと好きなんだけど、次の世紀にまで残るだろうか。
2000.6.6
福岡は3日に梅雨入りをした。漸く体調が回復。雨で花粉が一掃されたおかげかもしれないが、病院でちょっと強めの薬に変えてもらったりしたし、ま、真相はよくわからん。酒量が大幅に減って、このふた月で2キロは痩せた。ウエストがスリムになり、衣装持ちの同居人のGパンが1本、私のものになった。痩せたらそれだけズボンが私のものになるらしい。
京極夏彦の『姑獲鳥の夏』(講談社文庫)を読んだ。厚い本をすいすい読むのは気持ちがいい。推理小説としてはずいぶん納得のいかない作品だったが、憑ものに関する議論は面白かった。村落共同体の経済的な矛盾を解消する民俗装置として、神憑りや憑き物を説明しているわけだが、興味は下敷きにされている小松和彦の『憑霊信仰論』(講談社学術文庫)の方に向かう。いずれ読んでみたい。
と言いつつ、続いて『魍魎の匣』に取り掛かったりする。文庫で1060頁。寝酒の代わりだ。いうまでもないが、主人公の京極堂は古書店主にして神主である。話が飛んでしまうけれど、先ごろより、足りない御仁の「神の国」発言の背景にある「神道」のことが気になっていた矢先なので、この機会にネットで検索。だが神道政治連盟のHPは見つからなかった。遅れていますね。
2000.5.21
Yahoo!に泉鏡花の掲示板が半年も前から出来ていたことを知った。誰も教えてくれないんだもんね(すねすね)。ま、私は自分の掲示板を公開するつもりは今のところないので、皆さんは Yahoo! のほうを活用してください。
ついでに Yahoo! の別の作家の掲示板も覗いてみた。「倉橋由美子」が600 発言以上。すごいすごい。「ロブ=グリエとヌーヴォー・ロマン」が 48 とこれも意外な健闘ぶりだ。いつものことだが、この手の話題でありがちなのが「なつかしい!」という書き込みだろうか。昔ははまったもんね。いやあアタシもそうなんですよ。うんうん。
実はこういう昔話って、わりと好きなのだ。自分ではあまり書こうとは思わないけれど、ひとの話を読むのは楽しい。アタシが最初に泉鏡花と出会ったのは……、なんてもっと聞いてみたい。ちなみに私が鏡花を読み始めたのは、天澤退二朗と金井美恵子の影響からだった。
体調はあい変らずよくない。花粉と関係があるのかもしれない。酒の量が減って、そのせいで体脂肪が常時 20 未満に下ったのはうれしいオマケだ。休日は自転車で市内を走り回っている。道に迷って、古本屋を一軒発見した。普通の古本屋とブックオフを足して二で割った感じの店だった。わざと迷子になってみようとする今日このごろ。
2000.5.5
わき腹が痒くて掻いていたら、あばら骨がグキッ。昔からひびが入りやすかった部分をまた傷めたらしい。ひとりで笑った。カレンダー通りの連休のはずだったが、今日は仕事が入って7時まできっちり働いた。働け、働け、辛抱のならん枝に銭の花は咲きません。(べつに咲かんでもよかです。)
ちょうど1年前に折りたたみの小さな自転車を買って以来、われながら大変身を遂げて、よく動き回るようになった。一昨日もリュックを背負って自転車で市内を飛び回った。風を感じるぜ、は単車ですか、ハイ、そうですね。
この時の収穫は古本屋でヌーボー・ロマンの作家ロブ=グリエの評論集『新しい小説のために 付―スナップ・ショット』(新潮社)を手に入れたこと。550円。これが安いのかどうかは分からない。三日にあげず早稲田の古本屋を冷やかしていた昔なら、少しはこの方面の勘もはたらいたものだが、今は全然だめである。だいたい私の町では、これはという古本と出会うことがめったにないし、値付けが信頼できる店主のいる店も一軒あるかどうかといったところなのだ。
ネットを漂っていると、愛書家のページに遭遇することがよくある。とくに幻想系が多いように見えるのは気のせいか。初めのうちは驚きと羨望を感じつつきちんと目を通していたが、だんだん疲れてきた。熱狂的な蒐集趣味に嫉妬疲れがしたのかもしれない。ともあれわれらが愛書家たちのいる境涯は、生田耕作の訳書『愛書狂』の、書物に憑かれ狂った者たちの世界とは相当な径庭がある。そのぶん健康的なのだろう。
2000.4.26
体調は回復せず、寝酒の解禁も実現しないままだ。このまま酒の量を減らすことができるのなら、それはそれで結構なことではある。このところ、買う本といえば文庫本がほとんどだったから、少しは書籍代にまわして、もう少し活きのいい書物を手に入れたほうがどんなによいかしれない。
このごろ、歴史のことが気になっている。歴史といっても歴史観などといった大仰なものではなくて、知識としての歴史、それも日本についての歴史である。大昔のことではあるが大学受験は世界史を選んだので、日本史は知識としてはほぼ欠落してしまっている。高校の日本史の授業のあいだ何をしていたのかと今更ながら思うが、たぶん小説でも読んでいたのだろう。おはずかしい。
日本の歴史で思い浮かぶひとつのイメージとして、戦国武将の生きざまにみずからを重ね合わせる企業経営者というものがある。「プレジデント」というの、まだあるのだろうか、そんなおぢ雑誌のアブラギッシュで口が臭そうな世界の固定観念みたいなものがあるわけだ。私が日本史を敬遠してきたのには、ひとつはこういうつまらないイメージのせいもあるように思う。単純に無視すればいいだけの話だが。
とにかくぼちぼち始めてみようか、日本史の勉強。いや勉強にしてしまうと永くは続かないだろうから、ちょっとした調べものといった感じでやってみよう。コンピュータも役に立つだろう。とりあえず幕末から明治、やっぱこれか? が、その一方で、すでに読み始めたエーコの『フーコーの振り子』がらみで、西欧異端史のカバラも気になったりしている。箱崎総一というひとの『カバラ』(青土社)という本も10年以上放置したままだ。
2000.4.15
ちと体調がよくない。昨年末からいち日も欠かすことなく律儀に飲み続けてきたのだから、悪くなって当たり前だが、そのうえ二日に一度は抗アレルギー剤を服用しているので、頭がふらつき、地に足がつかない。いいかげん嫌になって寝酒をやめた。この1週間、それでも晩酌が2回というところが意志の弱さを暴き立ててはいるものの、自分としては上出来であった。調子は徐々に回復しているらしい。このぶんだと、週明けには寝酒解禁のはこびとなるもよう。飲まないと寝つきが非常に悪いのだ。
子供の頃から寝つきが悪く、眠るのが人一倍下手糞だったが、今もそれは変わってない。うとうとしかけた時、今ここから眠りに入るのだと思うその瞬間の意識の裏切りのせいで、何度も眠りの世界の一歩手前に引き戻される長い不眠の夜。ただし、今はちょっとプルースト的な気分を味わうことが出来るのが子供の頃と違うところだ。遠く聞こえる夜の音を聞きながら、眠れない時間をそのまま受け入れることが今ならできる。
そこへ聞き覚えのあるシャワーの音。春だから発情期なのだ。今夜もまたわが家の牡猫が部屋の中でマーキング(放尿)をする音である。
マーキングをする場所はいくつか決まっているので、こちらの対策は一応できている。ポケット付きのカレンダーをイメージしてもらえばよいが、広告チラシで同様のものを作り、ポケットのところにティッシュペーパーを突っ込んでおく。これをガムテープで要所要所に貼りつけているのだ。オシッコはうまい具合にポケットの部分に溜まるので、私は翌朝までプルースト的な気分に浸ることができるというわけだ。
2000.4.2
日曜日。10時過ぎに起床。いつもなら休みの日でも平日どおりに起きていたのだが、このごろ朝が弱い。パンとコーヒーの朝食のあと、昨夜からの続きの WZ エディタのキーボードマクロ作り。このエディタは 1年半使っているが、マクロは初挑戦。DOS の VZ エディタと雰囲気が違うので困惑する。やりたいことは、URL を書き出したものに一発でアンカーを貼り付けるというもの。たとえば次のようなリンクを簡単に作りたいわけだ。
http://www.dccinet.co.jp/tamanoir/idata/iken13.htm
まあ、結果的にはできるようになったわけだが、ヘルプの通りにはいかなくて、自動的に生成されるマクロにかなり手を加えなければならなかった。私のWZ3.0 ははっきり言ってタコだ。今の ver.4はどうなんだろう。マクロをキーに割り当てるやり方もわかりにくかったし。
昼は橋をわたって坂の下のマクドナルドでバーガー・セット。そのあとは、土手にそって細長く広がる公園を散歩した。小雨の中、傘をさして両側に続く満開の桜を愛でる。こんな日でもバーベキューを敢行する人たち。正反対の人種の私には理解不能である。屋根のないところでの食事ってヤなんですよ。
上記のURL は作家の佐藤亜紀さんの新潮社へのかなり衝撃的な訣別宣言です。
2000.3.24
少し前から、金色の手毬があらたに私の表紙ページに加わった。弾みながら落下する球体の動きが自分ではけっこう気に入っている。もともとのJavaScriptは雪を降らせるためのもので、作者はクロアチアの人だ。私がやったことは、雪のかわりにボールが上下に弾むアニメ GIFを降らせただけにすぎない。タネを明かせば絵に描いたような手抜きである。原作者の方に感謝。
JavaScriptのレファレンス・ブックを買ってきた。泥縄だ。一応、初歩的な入門書は持っていたが、さすがにそれだけでは自分がやってるらしいことの意味が理解できなくなってしまった。本がもう1冊増えたからといって理解できるというものでもないが。
本といえば、このごろ小説をあまり読んでない。今月はまだ宮部みゆきの『火車』の1冊だけである。次はたぶん同じ作者の『レベル7』になるかと思うが、よい作家とは思うものの、自分の好みからはかなり外れている。よく勉強していることが露わな作家には、ちょっと冷淡な私。
ついでに最近読んだ本をあげると、『エッフェル塔試論』(松浦寿輝)、『エッフェル塔』(ロラン・バルト)、『映画千夜一夜』(淀川、蓮實、山田)といったところ。とにかく鏡花を読んでないことだけは確かである。
2000.3.11
仕事中はいつもFMを聞いている。この季節、新譜のCDとは別に定番として春モノ卒業モノがよくかかる。ユーミンの「最後の春休み」を聴いて、今日から 3月かと思ったばかりなのに、気がつけばその 3月も中旬である。ぼやぼやしている。ことしはまだ「春咲小紅」も「春なのに」も「この広い野原いっぱい」(古いぞ)も聴かないが、考えてみればこれは洋楽やクラシックを聴くことが多くなったせいだ。好みが変わったというのではなく、日本人DJがうっとおしくてならないから、自然、NHK とか英語とかのFMを聴くことになるわけだ。英語はいい、意味がよくわからないから。
公演中の『海神別荘』(日生劇場)、九州に住む私は残念ながら観にいくことができない。野球好きの蓮實重彦の名言に「プロ野球観戦ができるほどの球場を持つ都市に生まれてくることも才能のひとつだ」というのがあるけれど、鏡花芝居が掛る劇場のある都市に生まれてこなかった私は、当然才能が欠如していることになる。とほほ。
『海神別荘』のパンフレットに私の「紋切型鏡花事典」が掲載された。レイアウトが早く見たくて、無理を言ってスキャンした画像をメールしてもらった。持つべきものはリボンの騎士、ありがとうございます! 横書きの私の事典が縦にレイアウトされていて、新鮮な印象である。やや遅れてパンフの実物が到着。忘れずに送ってくださった松竹の I さんに感謝。
2000.2.23
私がふだん使っているプロバイダは Biglobeというところだが、去年のはじめ頃から徐々につながりにくくなり、今や2回に1回は接続をはねられるようになってしまった。今月からこちらのアクセス・ポイントに新しい電話番号が加わり接続状況が改善されたそうで、少しは期待したけれど、事態にさしたる変化なし。ネットに接続されなくても電話そのものはつながってしまうのだから、まったく困ったものだ。かなり無駄な電話代をはらっていることになる。ホームページのサーバーもコケることが多くなったし、本当はよそに変えたいと思っている。しかし、出来上がってしまったリンク網のことを考えるとなかなか簡単にはいかない。あの @nifty もここまでひどくないのだから、早くなんとかしてくれい、 Biglobe。
前回書いた Kaleidoscope というスクリーンセーバーは、結局レジストして買ってしまった。実はインターネット経由でカードの番号を送るのは初めての経験なのだった。しかもちょうど日米でクラッカー騒ぎの真っ最中である。それくらい気に入ってしまったわけだ。ま、カード・データ流失の恐れは常にありうることだから、これからは控えることにしよう。しかし、レジストしたサイトからの返信メールで、Snoqualmieというスクリーンセーバーが紹介されていて、 Kaleidoscope がお気に召したあなたにおすすめですなんて言われてしまった。さっそくダウンロード。あ、こっちの方がきれいだ(汗)。 Living Kaleidscope というモードなんて、まさにオイル・タイプの万華鏡ではないですか。うーむ、20ドル。買う、のかな?
2000.2.13
万華鏡はすごい。福岡の丸善で万華鏡の展示会を見て、いたく感動した。テレビでは何度か見たことがあって、観光土産のあの昔ながらの万華鏡とはレベルの違う芸術品を私も知らないわけではなかったが、実物を初めて見てまったく魅了されてしまった。とくに色の素材がオイルの中を浮遊するタイプの色彩変化の絶妙なことといったら。エ゛、4 万円ですか。いやホント、それだけ出しても手に入れたくなるよなあ、……買わないけど。
1999年は私にとって衝動買いの年として永く記憶されるであろう年だったので、今年はひたすら禁欲に徹しなければならないのであった。欲しい気持ちを抑えるために、「万華鏡」をキーワードにネット検索を試みる。『一分間の悦楽 万華鏡の世界』というところを発見し、ここを拠点にあちらこちら遊泳してみた。むしろ欲しい気持ちをかりたてることになるのは分かっているが、私は中村うざぎとは出来が違う。冷静にスクリーンセーバーなんかを手にして無事生還をはたした。
いままで mandalaという、やはり万華鏡もどきなスクリーンセーバーを使っていたが、こんどのKaleidoscopeを見てしまったら、もう戻ることはできない。それほどの出来ばえである。またまた放心する時間が増えそうな予感。とりあえずはこれで満足して、禁欲々々。
2000.1.23
ある事情から Windowsの外字エディタを使うはめになった。この方面は今まで興味がなかったのだけれど、やってみればなるほど、けっこう使えるではありませんか。それでついでに、鏡花のテキストでこれまで表示できなかった漢字のフォントを、勢いに乗じて作ってしまった。まだ暫定版である。画面のブラウザ上ではいまいちだが、印字品質はまずまずというところだ。( 1/26 正式に公開しました)
とりあえずはこちらをご覧になってみてください。フォントの画像を埋め込んであるので、Mac ユーザーの方にも少しは参考になるかもしれません。ちゃんとした形が整った暁には、「おしらせ」にてご案内申しあげる所存。
ネット上の文学テキストは Html や Expand-bookなど、いろんな形式で供給されていて、勿論どれも素晴らしい出来栄えだが、私は「読む」ことよりも「使う」ことを中心に考えているので、プレーン・テキスト以外のファイル形式はとらないつもりだ。まあ、面倒くさい、というのが本音だけど(笑)。
2000.1.15
創刊された岩波現代文庫を本屋で見た。どんな版型かと思っていたが、ふつうの文庫本サイズだった。あ、あたりまえか。初回ラインナップに筒井康隆の『文学部唯野教授』がはいっている。この作品については過去に激論をしたことがあるので、私としてはけっこう思い入れがある。試しにネットで検索してみたら、あいも変らず、筒井が主人公の唯野教授の口を借りて批評理論を料理する、みたいな単純なリアリズムの読み方が目につく。この底の浅さは絶望的だ。ふだんは筒井なんて馬鹿にして読まないひとが、ものが批評理論となるとホイホイ寄ってくるという、実はそういう読者が一番のえじきにされてしまう小説なのですけどね。興味のある方は私の『文学部唯野教授』を読むをご覧ください。
このごろアクセス数があがっているのは、大学の期末ということもあるけど、忘れていた、「泉鏡花の天守物語」が現在公演中だった。たまには福岡までいらっしゃい、花組芝居。
Windows 2000の評価版はモデムを外付けの Hucom V34ESIIにしても認識しなかった。私の IBM機がWindows 2000対応マシンとしてまだ認定されていないことと関係があるのかもしれない。OSの安定性はまずまず。エクスプローラが2度ほど落ちたが、システムがリセットされることはなかった。
2000.1.9
このごろアクセス数があがっている。去年も正月あけの今ごろはそうだったような気がする。大学の卒論の締め切りが少しは影響しているのかもしれない。学生さんはこういう雑記帖見てないで、せっせと論文書きにいそしむよーに。
Linux が入っていた区画をフォーマットして、Windows 2000の評価版をインストールしてみた。うーむ、モデムのドライバが対応していませんね。これじゃあインターネットできないのだ(ここ、バカボンのパパの声で読むのだ)。Microsoft のサイトでユーザー登録すれば2000の製品版がバージョンアップ価格で買えるらしいのだが。Rockwellのモデム・ドライバを昨夜からネット検索しているが、みつからん。
プリンタのドライバはHP社純正のものが評価版に入っていたものの、スキャナの方はまだだし、動かないアプリも色々あるそうなので、2月の発売にあわてて飛びつくことはない。画面のレゾリューションを簡単に換えられる Quickresが動かないのもちょっと痛いし。
2000.1.4
仕事初め。当然ヒマである。年末の大掃除できれいになった仕事部屋がふだんより少し広い。
年末に何を思ったかプレステ用のWizardryを買った。アップルIIなどで有名だったあの懐かしのRPG が1章から3章まで1枚のCDに入っている。こんなものが出ていたとはねえ。ドラゴン・クエストならば2と3をやったことがあるが、このWizardryは自動的にマッピングができるようになっていた。楽でいい。それはいいけど、なかなか集中して遊ぶ暇ができない。ぼんやりしている時間はあるのだが。ここのページが静かな時、管理人はダンジョンにもぐっているかもしれません。
プレステはちょうど1年前に同居人が買い、格闘ゲームとカー・レースを私がみつくろってあげた。ほっといてもらいたさに、私も必死で選んだ(笑)。
2000.1.1
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
Y2K 問題の対策は、うちにゴロゴロしている酒ビンに水をつめただけ。無駄にすんでとにかくよかったですね。
暖かいお正月。いま亀のモモに日向ぼっこをさせている。食欲旺盛。めでたいめでたい。目の前のモニタの上には鏡餅が乗っている。べつにそういう趣味はないのだが、年末に近所の人から珍しくもらってしまったもんで。鏡花の写真も小さな写真立てに入れて飾っている。これは泉鏡花自筆年譜の写真を印刷したものです。以前のものは印刷の色が薄かったので、手直ししたのをアップしてある。よかったらあなたもどうぞ。
泉鏡花を読む