『高野聖』 泉鏡花を読む の心持といつたらない、殊に此頃の夜は長し、東京を出る時から一晩の泊が気になつてならな :16/622 『春昼』 泉鏡花を読む 「何でもなかあねえだよ。彼処さ東京の人だからね。此間も一件もので大騒ぎを :41/628 政といふのがある、屋根安、大工鉄、左官金。東京の浅草に、深川に。周防国、美濃、近江、 :89/628 「はい、夏向は随分何千人と云ふ東京からの客人で、目の覚めるやうな美麗な方 :257/628 つてから、親仁どのは、村方の用達かた/\、東京へ参つた序に芝口の両換店へ寄つて、汚い :306/628 実はあの方を、東京の方がなさる別荘を真似て造つたでありま :344/628 く、建直した落成式、停車場に舞台がかゝる、東京から俳優が来る、村のものの茶番がある、 :524/628 『春昼後刻』 泉鏡花を読む でもと思ふのに、此頃は恁うやつて此処等には東京からおいでなすつたらしいのも見えません :174/444 えゝ、えゝ、えゝ、伺ひます。お話はお馴染の東京世渡草、商人の仮声物真似。先づ神田辺の :248/444 其の納豆納豆――と云ふのだの、東京と云ふのですの、店前だの、小僧が門口を :254/444 (お話はお馴染の東京世渡草、商人の仮声物真似。先づ神田辺の :257/444 『草迷宮』 鏡花とアンティークと古書の小径 、巨寺《おおでら》のようにお建てなされて、東京の御修業さきから、御子息の喜太郎様が帰 :360/1510 去年の夏でござりますがの、喜太郎様が東京で御贔屓にならしった、さる御大家の嬢様 :361/1510 東京の或学校を卒業《で》ますのを待かねて、 :909/1510 『婦系図』 青空文庫 「どうせ東京の魚だもの、誰のを買ったって新鮮《あた :567/3954 わ》へ流罪《ながし》ものか、軽くて本所から東京の外へ追放になろうも知れぬ。 :1172/3954 むしろ黄道吉日をば待ちまして、唯今もって、東京《こちら》に逗留いたしておりまする次第 :1919/3954 すよ。掏摸の手伝いをしたとかで、馬鹿野郎、東京には居られなくなって、遁げたんです。も :1994/3954 ほど嬉しくなります、そんな懐《なつかし》い東京ですが、しばらく分れねばなりません。」 :2041/3954 「東京から稼ぎに出ますんですと、まだ取柄はご :2222/3954 歳の柳とともに、鶴屋と聞えた財産家が、去年東京のさる華族から娶《めと》り得たと云う― :2253/3954 はないので、はじめにも二月三月、しかるべき東京の専門医にもかかったけれども、どうして :2280/3954 随分自分には我儘《わがまま》をさせるのに、東京へ出すのは、なぜか虫が嫌うかして許さな :2281/3954 この富士山だって、東京の人がまるっきり知らないと、こんなに名 :2283/3954 …例のがお出掛けに違いない。昨日《きのう》東京から帰った筈。それ、衣更《ころもが》え :2296/3954 《ばあや》が連れて、土産ものなんぞ持って、東京から帰った報知《しらせ》旁々《かたがた :2343/3954 野の父さんの方も、内々小児をだしに使って、東京へ遊びに行った事を知っているんですから :2344/3954 ぎましたね。あの時も、父様《とうさん》は、東京の叔父さんだの、坂田(道学者)さんに応 :2349/3954 、酒井さんの御意見で、お別れなすった事は、東京で兄にも聞きましたが、恋人はどうなさい :2677/3954 と云っても学問をするのでない。以前早瀬氏が東京で或《ある》学校に講師だった、そこで知 :2982/3954 精一杯御待遇《おもてなし》をなさい。)ッて東京から母さんが手紙でそう云って寄越したの :3294/3954 にお出でなさい、早瀬主税は攫徒の補助をした東京の食詰者《くいつめもの》です。)とこの :3391/3954 「宅では、東京の妹たちが、皆《みんな》暑中休暇で帰っ :3557/3954 「貴下は、まあ、さぞ東京へお帰りなさらなければならなかったんで :3562/3954 「父さんがね、主税さん、病気が治ったら東京へお帰んなさいッて、そうして、あの、… :3768/3954 一所に東京へと云うのを……仔細あって……早瀬が留 :3780/3954 人から話し伝えて、まだ何等の風説の無い時、東京の新聞へ、この日の現象を細かに論じて載 :3785/3954 番目の娘だがね、つい、この間、暑中休暇で、東京から帰って来た、手入らずの嬢さんは、医 :3916/3954 『夜行巡査』 青空文庫 の樹立ちと相連なる煉瓦屋《れんがおく》にて東京のその局部を限れる、この小天地寂として :61/164 『外科室』 青空文庫 ならざる医学士高峰をしいて、某《それ》の日東京府下の一《ある》病院において、渠《かれ :5/165 『歌行燈』 従吾所好 ちやつとの間に皆出払ひます。然うか言うて、東京のお客様に、余りな人も見せられはしませ :283/744 高慢も高慢だが、また出来る事も出来る。……東京の本場から、誰も来て怯かされた。某も参 :409/744 岳が近い所為〈せい〉か、これほどの松風は、東京でも聞けぬ、)と御賞美。 :411/744 「後で、能く気がつけば、信州のお百姓は、東京の芝居なんぞ、真個の猪はないとて威張る :421/744 と、何うでせう、炬燵で温めた襦袢を着せて、東京のお客ぢやさうなと、な、取つて置きの着 :488/744 (違つたやうな、当つたやうだ、が、何しろ、東京の的等の一人だ。宗家の宗、本山の山、宗 :664/744 『雛がたり』 青空文庫 那、大財産家でございましてな。つい近い頃、東京から、それはそれは美しい奥さんが見えま :54/58 『眉かくしの霊』 泉鏡花を読む じの通り、此の線の汽車は塩尻から分岐点で、東京から上松へ行くものが、松本で泊つたのは :11/330 うまさうだが、これは凄かつたらう、その時、東京で想像しても、嶮いとも、高いとも、深い :70/330 は何処でございますか存じません――芸妓衆は東京のどちらの方で。」 :77/330 一つで、先づ……伜どのを立派に育てゝ、此を東京で学士先生にまで仕立てました。……其処 :263/330 士先生にまで仕立てました。……其処で一頃は東京住居をして居りましたが、何でも一旦微禄 :263/330 霜月の半ば過ぎに、不意に東京から大蒜屋敷へお客人がございました。学 :265/330 た勤とてはございますまい。学士先生の方は、東京の一中学校で歴乎とした校長さんでござい :265/330 に飛込んで参つたのは、碌に旅費も持たずに、東京から遁出して来たのださうで。……と申し :266/330 婆に、誓つて約束をなさいまして、学士先生は東京へ立たれました。 :281/330 『義血侠血』 青空文庫 金沢なる浅野川の磧《かわら》は、宵々ごとに :155/706 「ようよう金沢暴《あら》し!」 :160/706 「おまえさん、金沢へは何日《いつ》、どうしてお出でなすっ :240/706 に彷徨《ぶらつ》いていたって始まらんので、金沢には士官がいるから、馬丁《べっとう》の :291/706 「私は金沢の士族だが、少し仔細があって、幼少《ち :301/706 ち》は高岡へ引っ越したのだ。そののち私一人金沢へ出て来て、ある学校へ入っているうち、 :301/706 「学問をするなら、金沢なんぞより東京のほうがいいというじゃあありませんか」 :307/706 「学問をするなら、金沢なんぞより東京のほうがいいというじゃあ :307/706● 「それじゃいっそ東京へお出でなさればいいのにねえ」 :310/706 「じゃあなた、お出でなさいな、ねえ、東京へさ。もし、腹を立っちゃいけませんよ、 :317/706 かしね、ここに一つ窮《こま》ったのは、私が東京へ行ってしまうと、母親がひとりで……」 :342/706 から、家の処置《かた》をつけて、一日も早く東京へおいでなさいな」 :414/706 しからざるなり。村越欣弥は渠が然諾を信じて東京に遊学せり。高岡に住めるその母は、箸を :473/706 翌年の初夏金沢の招魂祭を当て込みて、白糸の水芸は興行 :479/706 座に越前福井なるなにがしという金主附きて、金沢を打ち揚げしだい、二箇月間三百円にて雇 :479/706 ざいますと言いなよ。これ、長松、ここがの、金沢の兼六園といって、百万石のお庭だよ。千 :489/706 「あなたはどちらまで? へい、金沢へ、なるほど、御同様に共進会でございま :592/706 りっぱになんなすって結構だ。あれからじきに東京へ行って、勉強しているということは聞い :669/706 れ、うん、それはよかった。ああ、なるほど、金沢の裁判所に……うむ、検事代理というのか :669/706● 縞の腹掛けは今日黒の三つ紋の羽織となりぬ。金沢裁判所新任検事代理村越欣弥氏は、実に三 :671/706 公判は予定の日において金沢地方裁判所に開かれたり。傍聴席は人の山 :675/706 『国貞えがく』 青空文庫 く井戸がある。……大通り四ツ角の郵便局で、東京から組んで寄越した若干金《なにがし》の :5/317 伸《まのび》のした、しかも際立って耳につく東京の調子で行《や》る、……その本人は、受 :9/317 理屋を兼ねた旅店《りょてん》がある。其処へ東京から新任の県知事がお乗込とあるについて :25/317 が見得の旅館へ宿って、葱の〓《おくび》で、東京の町へ出らるる御身分とは夢にも思われな :26/317 「はっ、恐入《おそれい》ったね。東京仕込のお世辞は強《きつ》い。人、可加減 :118/317 父が在世の頃も、その話が出たし、織次も後に東京から音信《たより》をして、引取ろう、引 :276/317 『二、三羽――十二、三羽』 青空文庫 と、雀のためには、大地震以上の天変である。東京のは早く消えるから可いものの、五日十日 :71/143 『五大力』 従吾所好 「捜すと云つても、東京中、……待てよ、行方が知れないのだから :203/1139 『活人形』 鏡花とアンティークと古書の小径 さて泰助が東京より此《この》鎌倉に来りたるは、左の如 :8/219 今朝東京なる本郷病院へ、呼吸《いき》も絶々《た :9/219 》や滋賀県に侘《わび》年月を過すうち、聞く東京に倉瀬とて、弱きを助くる探偵ありと、雲 :22/219 見えたり。「如此《あゝ》して了《しま》へば東京に用事は無いのだ。今日の終汽車《しまひ :32/219 めに既に殺されしにあらざるか、遠くもあらぬ東京に住む身にて、かくまでの大事を知らず、 :37/219 いふ甘口な妖方《ばけかた》はいたしません。東京の何とやら館の壮士が、大勢で此前《さき :46/219 りつして口説いても応《うむ》と言はないが、東京へ行懸けに、梁《うつばり》に釣して死ぬ :67/219 で其様《そん》な事をいたしませう。旦那様が東京へ行らつしやつてお留守の間も私はちやん :77/219 いへば、得三呵々《から/\》と打笑ひて、「東京の待合にも此程の仕懸はあるまい。といひ :160/219 の間に出でて毒を飲みたる病人なり。鎌倉より東京のことなれば、敏き看官《みるひと》の眼 :179/219 『貝の穴に河童の居る事』 青空文庫 「皆、東京の下町です。円髷は踊の師匠。若いのは、 :139/257 『古狢』 青空文庫 「……と言われると、第一、東京の魚河岸の様子もよく知らないで、お恥か :16/310 いっては断じてあるまい。何しろ、話だけでも東京が好きで、珍らしく土地自慢をしない娘も :27/310 『木の子説法』 青空文庫 出で、なまじ故郷が近いだけに、外聞かたがた東京へ遁出《にげだ》した。姉娘があとを追っ :86/231 ましてね。またこの路地裏の道具屋が、私の、東京ではじめて草鞋《わらじ》を脱いだ場所で :114/231 箸《はし》で挟んで、鼻のさきへぶらさげて、東京じゃ、これが一皿、じゃあない、一臠、若 :114/231 『縁結び』 青空文庫 て行って、陽気に一つ話をするんだがね、もう東京へ発程《たつ》んだからそうしてはいられ :106/405 惜《おし》い事をした。その巾着は、私が東京へ行っていた時分に、故郷《こきょう》の :144/405 「また、東京へ行きますから、もう一度と思って来まし :262/405 い》い、菫《すみれ》の花が咲いていたから、東京へ持って帰ろうと思って、三本《みもと》 :350/405 『薬草取』 青空文庫 ですが、母が亡《なく》なりました翌年から、東京へ修行に参って、国へ帰ったのは漸《やっ :262/283 『夜叉ヶ池』 青空文庫 、谷を渡り、峰を伝って尋ねよう、と夏休みに東京を出ました。――それっきり、行方が知れ :130/564 中を敲《たた》かれて、僕の夢が覚めた処で、東京に帰るかって憂慮《きづか》いなんです。 :162/564 しかし萩原、夢の裡《うち》にも忘れまいが、東京の君の内では親御はじめ、 :163/564 ずるには及ばん。が、どうじゃ、細君を連れて東京に帰るわけには行《ゆ》かんのかい。 :209/564 『泉鏡花自筆年譜』 泉鏡花を読む 明治六年十一月四日、金沢市下新町二十三番地に生る。名は鏡太郎。 :3/50 。なき母を思ひ慕ふ念いよいよ深し。学期より金沢高等小学校に入学。後一年ならずして、北 :7/50 と、玄関番なり。内弟子信用を受く。十二月、金沢市大火、実家類焼の厄に逢ふ。帰郷。年内 :12/50 に居を卜(ぼく)し、祖母を迎ふ。年七十七。東京に住むを喜びて、越前国春日野峠を徒歩し :16/50 明治四十二年十月、「白鷺」東京朝日新聞に出づ。 :29/50 大正十一年一月、「身延の鶯」を東京日日新聞に、八月より、「りんどうとなで :43/50 れたりしを視て、思はず涙さしぐみぬ。八月、東京大阪日日新聞、新八景の記事のため十和田 :49/50117 件確認