賢治童話との出逢い
ここでは私が子供の頃に出逢った賢治童話、その当時の印象と思い出を記しています。
各作品の内容については「朝に就いての童話的構図」をご参照願います。
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1.どんぐりと山猫
私が初めてきちんと読んだ賢治作品は、これだったと思います。
小学生の時に親が「小学3〜4年生向」として通信販売でまとめて買ってくれた段ボー
ル箱一杯の本。その中に入っていた1冊の絵本が「どんぐりとやまねこ」でした。
出版社もイラストレータ名も覚えていませんが、箱の中の他の本と違い鮮やかなカラー
(だったと記憶している)の絵本は、子供だった私に強烈な印象を与えました。
幻灯の様な暗い森の中を、影絵の一郎や山猫達が動くイラスト。
これ以降、私の宮沢賢治童話に対するイメージは、「深緑・又は青い幻灯」(絵本が深
緑や青だったかどうか記憶にないのですが)となりました。
それは今も、賢治の童話を読む度に頭の中に浮かぶ色なのです。
3.やまなし
小学校高学年の国語の教科書に今も掲載されている散文短編「やまなし」。
冒頭からの「青い幻灯」という書き出し。既に「賢治童話=幻灯」というイメージを持
っている私にとって、これは「ああ、やっぱりこのイメージで良かったんだ」と再確認さ
せられる短編でした。
しかし、それとともに賢治童話独特の造語や、童話でありながら「死」の概念を持込ん
でいるところに、今まで感じたことのない新しさを感じたのを覚えています。
当時は「クラムボンが何か」などの疑問を持たずに読んでいました。子供にとって「理
解できる物」とはすなわち「感じることが出来る物」であり、人間は成長するに従ってそ
の範囲が狭くなっているのだと今になって思います。
宮沢賢治の代表作として「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」などの長編が揚げられる事
が多いのですが、私の中では、あらゆるエッセンスが凝縮されたこの「やまなし」こそが
宮沢賢治の代表作です。
3.銀河鉄道の夜
確か「どんぐりと山猫」を読んだ後で「同じ人の書いた他の童話を読みたい」と思って
学校の図書館で見つけたのが「銀河鉄道の夜」だったと思います。(この辺は昔のことな
ので記憶が定かではないのですが・・・)
しかし、初めてこの話を読んだときの私のイメージは残念ながらあまり良い物ではあり
ませんでした。
当時の私はTVアニメの影響でスペースオペラ等のSF物ばかり読んでおり、よくわか
らない造語や物語に関係のない伏線、さらには嫌な奴(ザネリ)の為に友人が死んで終わ
り、というあまり楽しくない内容が好きになれなかったのだと思います。
多分、このとき読んだのが初期形(ブルカニロ博士の実験、というオチ)であったら、
評価はまた違っていたことでしょう。
結局、子供の私はこの作品を「よくわからない嫌な話」として片づけてしまい、以後
高校(高専)で文学を選択するまできちんと読み直す事はありませんでした。
4.グスコーブドリの伝記
これも小中学校の国語の教科書に掲載されていた作品です。
冷害で家族を失なったブドリが成長して火山局の技師になり、自らを犠牲にして再び
冷夏が訪れるのを防ぐ、という賢治の作品に見られる「自己犠牲」の精神が顕著な作品。
ブドリが命を捨てて救う農民達の中には、ブドリを非難し暴力を振るった人も含まれ
ており、前記の「銀河鉄道の夜」のカンパネルラにも共通する部分が見られます。
授業では「宮沢賢治の末期の作品で、自伝的要素が強い」とは教えられましたが、そ
れでは賢治本人の生涯はどうだったのか、という事までは学習しませんでした。(小中
学の国語では作者の生涯まで踏み込んだ授業はあまり必要とされていないらしいですね。)
しかし国語の教科書であるにもかかわらず、当時の私には「自分には果たしてここま
で人のためになる事がなにか出来るだろうか」という疑問と、さらに「こういう生き方
ができるような人になりたい」という考えが生まれました。(理工系大学に進んだのも
本来はそのためだったはずなのに・・(T_T;) 結局、サラリーマンです。)
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