2002/ 6/ 8 19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション 2002/ 6/ 1 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第156回松蔭チャペルコンサート)
J.S.バッハ/「マニフィカト」(我が魂は 主を崇め)BWV733
「愛する御神にすべてをゆだね」BWV691,690,642
*パイプオルガン独奏 :今井奈緒子
*コラール唱:懸田奈緒子、藤崎美苗、緋田芳江
02/06/02
指揮:鈴木雅明
コーラス(*=独唱[コンチェルティスト])
ソプラノ :野々下 由香里*、懸田 奈緒子、藤崎 美苗、緋田 芳江
アルト :マシュー・ホワイト(CT)*、青木 洋也、上杉 清仁、鈴木 環
テノール:櫻田 亮*、島田 道生、谷口 洋介、水越 啓
バス :ペーター・コーイ*、浦野智行*、小笠原 美敬、小野 和彦
オーケストラ
トランペット&コルノ:島田 俊雄 フラウト・トラヴェルソ I,II: 前田りり子、菊池香苗
オーボエ I,II:三宮 正満、尾崎 温子
ヴァイオリン l :若松 夏美(コンサートミストレス)、パウル・エレラ、竹嶋 祐子
ヴァイオリン ll:高田 あずみ、荒木 優子、戸田 薫
ヴィオラ:森田 芳子、渡部 安見子
〔通奏低音〕
チェロ:鈴木 秀美、山廣 美芽 コントラバス:西澤 誠治 ファゴット:堂阪 清高
チェンバロ:大塚 直哉 オルガン:今井奈緒子
今年でいよいよ10年目を迎えたバッハ・コレギウム・ジャパン(バッハ:教会カンタータ・シリーズ)。本公演ではライプツイヒ時代2年目を迎えたバッハの1724年のカンタータから、四つの作品を取上げます。BCJ第一回定期の冒頭に鳴り響いた記念すべきBWV93をはじめ、いずれもスケール豊か冒頭合唱を持つカンタータ群は、作曲に掛かるバッハの多忙を微塵も感じさせない細やかな芸術的配慮の行き届いた作品ばかり。情感あふれる2本のトラヴェルソ・フルートが印象的なBWV107、ハ短調で始まるBWV93の力強い合唱の集中力など、どの瞬間にもバッハならではの魅力が満ち充ちています。野々下、櫻田、コーイら安定の独唱陣に加え、初登場のカウンターテナー、マシュー・ホワイトの歌唱も楽しみです。今回も神戸松蔭チャペルと東京オペラシティコンサートホール“タケミツメモリアル”の荘厳な響きの中で、バッハ・カンタータ世界の旅にご一緒いたしましょう。 (チラシ掲載文:02/05/28) |
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BWV93カーテンコール〔2002.6.1〕(神戸松蔭チャペル)→ |
《第54回定期演奏会 巻頭言》 (BWV10,93,107,178)
皆様、ようこそおいで下さいました。
1710年の資料によると、ライプツィヒの日曜日は、とても朝が早かったようです。午前5時に鐘がなると、まだ誰もいない聖トマス教会で、まずラテン語の賛歌が歌われます。6時過ぎには人が集まり始め、7時には再び鐘が鳴り、オルガン演奏か、モテットが歌われて礼拝が始まるのです。礼拝の最初の部分、即ち説教が始まるまでの厳粛な典礼が約1時間、そして説教そのものが少なくとも1時間熱っぽく語られ、さらにその後に聖餐式(コミュニオン)が続く。これは陪餐者の数によって異なりますが、少なくとも1時間から2時間はかかったので、結局礼拝が終わるのは、11時頃にはなったことでしょう。お昼ご飯を食べて、人々はもう一度すぐに教会へ。午後の礼拝が1時から始まるのです。音楽家たちは、朝、聖トマスでカンタータを演奏した日には、午後聖ニコライへ急ぎ、同じカンタータをもう一度演奏。というわけで、安息日である日曜日は神様の日ですから、文字通りすべての時間を神様に捧げて過ごす。何と、敬虔な人々であったことでしょう。
このようなイメージは、今年2月のEarly Musicの記事で、少なからず変更を余儀なくされました。ターニャ・ケヴォーキアンという人が、色々な資料から当時ライプツィヒの会衆がどんな様子であったかを研究した「ライプツィヒの礼拝におけるカンタータの受容」と題する論文です。それによると、多くの会衆はもっぱら最初の1時間に教会に着けばよい、と思っていた。つまりはお説教にさえ間に合えばよかった、というのです。なぜなら、「お金持ちのエリート」は朝早く起きるのが大変、その上お化粧して着飾るのに時間がかかり、流行のコーヒーを飲むことももちろん忘れられない。「普通の人」も日曜日だとは言え、朝だけでも仕事をしようとするので、結局教会には遅刻。しかも、着飾った人々が教会に到着すると、たとえ礼拝中であろうとも、まずは顔見知りとの大仰な挨拶が続く。そしておもむろに自分の指定席へ。
聖トマス教会のおよそ2500ほどの指定席は2種類に分かれます。上層階級のエリート達はもっぱら鍵のかかった箱型の席(Staende)へ、中流以下の職人や下層階級の多くは、長いす(Baenklein)が与えられました。指定席をもたない人々や旅人には、わずかな自由席か後ろの立ち見席しかないのです。男はバルコニーに、ご婦人方は1階に座ることになっていましたが、中でも高貴なご婦人は、説教壇のすぐ近く。見晴らしもよく、しかも周りからもよく見える特別席に決まっていました。バルコニーにいる学生などの若い男どもは、階下にいる女性を見てうわさし、物を投げては冷やかします。女性群ももちろんおしゃべりに余念がありません。笑いさんざめく声が顰蹙を買うこともしばしば。そう言えば、さっきから誰かが歌っていると思ったら、カンタータの演奏もあらかた終わろうとしているではありませんか。
説教が終わるやいなや、さっさと帰ってしまう人も決して少なくありません。そこで教会当局は考えました。説教の間に一番多くの人がいるのだから、献金は説教中に集めるのが一番!というわけで、説教中に献金集めの袋が会衆の間を回ります。しかも、その袋には鈴がついていたので、牧師は自分が如何に説教に熱を入れようとも、教会のあちこちでちりんちりん、と鈴が鳴るのを聞かされ続けたことでしょう。説教だろうが、カンタータの演奏だろうが、そもそも今日の日本の聴衆のように、始まる前には席につき、し〜んとして聴いてくれることなど一度もなかったに違いありません。
さて、ではこのようなだらしない会衆は、様々な技巧と象徴に満ちたバッハのカンタータなどには全く興味がなかったのでしょうか。ケヴォーキアンは言います。当時、オペラであれコンサートであれ、演奏中に静粛にするなどという習慣はなく、人が集まる時におしゃべりを止める手段はありません。そのような会衆であっても、その多くはあらかじめ印刷されたカンタータのリブレットを熱心に買い求め、「もはや、カンタータ(のアリアやレシタティーヴォ)なしでは礼拝は成り立たない」とさえ感じていたというのです。思えば、ライプツィヒにも1720年までオペラ座がありました。おそらく説教壇に近い最上の指定席を所有する上流階級の人々は、美しく着飾って出かけていたオペラ座の閉鎖をさぞ嘆いたことでしょう。ところが、昨年から現れた新任のカントール、バッハ氏が書くカンタータは、まるであのオペラのよう。アリアやレシタティーヴォが美しくちりばめられて、人々は恐らく、そこにオペラ座で聴きなれた響きを感じ取ったに違いありません。
カンタータを楽しんだのは、オペラに出かけていた上流階級ばかりではありません。というのは、その中に庶民の誰でもが知っているコラールが数多く用いられたからです。1700年頃からは、多くの人が自分の賛美歌集を持参するようになり、1710年には「最近では賛美歌集をもって来ない者などひとりもいない」とさえ言われています。1732年からは、教会内の5ヵ所に賛美歌の番号が掲示されるようになりました。特に16世紀以来の古いコラールは礼拝では「誰もが暗譜で」歌い、悲しいにつけ嬉しいにつけ家庭でも学校でも頻繁に歌われ、食事の前に歌い、酒を飲みながら歌い、町の門の前では乞食でさえコラールを歌いわめいていたのでした。コラールがこのようにして民衆の血となり肉となっていたからこそ、バッハの自筆譜やカンタータのリブレットで、しばしば冒頭の1行のみを書いて後を省略しても差し支えなかったのでしょう。
1724年に始まったコラール・カンタータのシリーズは、このような庶民的な材料を最高の方法で料理したものといってよいでしょう。決して静まることのない喧騒をものともせずカンタータ演奏が始まるや、まずは音楽好きが周りのお喋りをたしなめながら、器楽の奏でる斬新なコンチェルトスタイルに耳をそばだてる。やがて、多くの場合ソプラノが単純な旋律を歌い始めると、どんなにオペラを知らない庶民でさえ、「あ、この歌なら知っておる」と思ったに違いないのです。華麗なアリアや劇的なレシタティーヴォがオペラ好きをうっとりさせたと思った瞬間コラールが顔を出し、あたかも常に上流階級と庶民との間を取り持つようにして曲が進みます。例えば、カンタータ第93番『愛する御神にすべてを委ね』の第5曲目テノールのレシタティーヴォを見て下さい。おなじみのコラールがアダージョで始まったと思いきや、「灼熱の苦難」をオペラの如き語調で描き(フリオーソ)、「不穏な天候」(アンダンテ)を経て、もとのコラールに戻ると「神がおまえを見捨てられるなどと思うな」と慰めの言葉が続きます。これに続く優美なソプラノアリアにも、ただ一ヵ所だけコラールの旋律が顔を出し、思わず顔を挙げる人が教会の後ろの方にいても不思議ではありません。
古くから今に至るまで、教会の中は決して世俗の世と別世界ではあり得ませんでした。特にこの当時まだ顕著であった社会的階層が、直接的に教会の席次に表れていることがケヴォーキアンによって明らかにされましたが、このような状況をおもうにつけ、階層を超えて共観を得たコラールカンタータの持つ意味がさらに大きく感じられてなりません。
BCJ神戸公演を支えようという「BCJ神戸公演後援会」の主催による、神戸での公演後の懇親会が今回の6/1の公演後に開かれます。この懇親会には公演後、レコーディングを控えたBCJメンバーの皆様にもご参加いただき、神戸・松蔭チャペルでの演奏会ならではのアットホームな雰囲気の集まりです。BCJの皆様と軽食をともにしつつ語らえる得難いひとときに、是非皆様もご参加ください! 今回の懇親会は、普段使わせていただいているチャペル向かいの神戸松蔭女学院の学内食堂が使えないため、チャペル近くの会場をお借りして行われるとのことです。通例の懇親会よりも参加費はやや高くなりますが、後援会会員でない方も当日会場においでいただければ実費でご参加いただけます。憧れのBCJメンバーと交流できるチャンス、見逃す手はありません!今回は私(矢口)も久しぶりにおじゃまする予定。神戸公演終演後、是非楽しいひとときをご一緒しましょう! なお、次回の懇親会は来年2月15日の神戸公演の時に予定されています。 |
《BCJ神戸公演後援会 2002年度 第一回懇親会》
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初登場のCT、マシュー・ホワイト氏 (6/1、神戸公演後援会の懇親会) |
(02/06/08)
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