L.P.B.C.J.便り


 LPB(ラ・プティット・バンド)でも活躍されていた鈴木秀美さんからのお便りをご紹介するコーナーです!
 タイトルの由来は第1回「L.P.B. New Year Concert のご報告」をお読みください。世界を股にかけて大活躍のヒデミさんからのお便りでお楽しみください! (99/01/12〜01/02/13[完])
 秀美さんがマスターをつとめる「ガット・カフェ」にも、ふるってご来店ください!!

(01/03/14更新)

《最終回》  L.P.B.C.J.便り vol.7 〜 the last issue.〜

 東京近辺ではまだ寒い日が続いているそうですが、皆さまいかがお過ごしでいらっしゃいますか。
「続いているそう」と他人事のようにいうワタクシは今、イタリアにいるのでございます。トリノの南 120qほどのところにある Mondovi という小さな町、ここからお便りをしております。もうピエモンテの山々が遥かに見え、20kmも行くとかの有名なワイン「バローロ」がとれるところです。それほど暖かくはありませんが良い天気です。
 いえいえ、何もここまでワインを飲むためだけに来たわけではありませんよ。(そう思っている人もいるようですが)ちゃんと仕事を、それも指揮とコンチェルト両方の仕事をしに参ったのでございます。お相手は「アカデミア・モンティス・レガリス(Academia Montis Regalis)」という若いグループ。ここでハイドンのシンフォニーとコンチェルト、そしてモーツァルトのプラハ交響曲を指揮いたします。Montis Regalis というのは、Mondovi というこの街の古い名前だそうです。

 しかし、ほんの一昨日までは、久々のLPBのツァーに参加しておりました。いろいろな都合で1年半ぐらいもご無沙汰しておりました。今回は、ハイドンのロンドン交響曲の後半6曲にテノールとバリトンのモーツァルト・アリア集、という組み合わせでした。歌手はクリストフとステファン・ゲンツ兄弟という若い歌手たちでした。
一つのコンサートでシンフォニーを3曲、その間にいろいろなアリアを3曲組み合わせるというプログラムは、ちょっと見には大したことないように思えるかもしれませんが、とっても重くてきついのです。ロンドン・シンフォニーは、ご存知「時計」や「太鼓連打」「軍隊」などの愛称で親しまれているものが含まれます。普通のオーケストラのコンサートでは前座的、よくて前半の終わりぐらい、という扱われ方もするでしょう。しかし結構時間もかかりますし、きちんと弾くのがとても難しいのです。管楽器の人もけっこうげっそりとしていました。
今回も例によって日本人が何人か含まれていましたが、コンサート・マスターの寺神戸君をはじめ、赤津真言君、近藤倫代さん、戸田薫さん、それからバス―ンの村上由紀子さん、とバッハ・コレギウム・ジャパンにもお馴染みの名前が並んでいました。回ったのはベルギーで4ヶ所とフランス、それにスペインです。さてさて、各地の美味しいものを日本人の獰猛な胃袋たちがどれだけ堪能したことでしょうか...。
オリーヴ油がダメ、という人は困りますが、そうでなければスペインは日本人にとってなかなか食べ歩きやすい国です。そこここに並んでいるカフェのようなタパス・バーでは、鮨屋のようにガラス・ケースの中のものを見て、これとあれいくつ、とか言っていればいいわけで、言葉が解らなくてもあまり苦労しません。どこの店でも置いているスペインのハモン(「ハム」の語源でしょうね)は薄くスライスされてとてもいい味ですし、イカやタコ、それに日本では好評ではないかもしれませんが、メルルーサ、タラなどの白身魚も大抵の店にあって、時には驚くほどの美味です。ニンニクとオリーヴ油をたっぷり使い、トマト・ソースなどで煮込んであったりするこれらの食材は、日本人の口になかなか合うようです。そしてどこでも安くて美味しいスペインのワイン。大体国全体が夜更かしのように思えるスペインは、コンサート終了後に何か食べたり飲んだりしたいオンガクカにはうってつけです。というわけでいきおい夜遅くまで飲んでしまって、翌朝にはどうもちょっと重い、あるいはツァーの最後になれば体自体が重くなっているかもしれない、という危険性はありますが、なかなか(胃袋)充実 の日々でした。

 音楽の話を書こうと思っているのになかなか食べ物の話から離れられなくていけませんね。
全部で12回もコンサートがあったこのツァー、いろいろとハプニングがあるのは毎度のことですが、特に面白かったことをいくつかご紹介しましょう。

 
まずは「軍隊」交響曲。矢口さんは特に、誰が打楽器やったのかな、とすぐに思われることでしょう。そう、実に、トライアングルは赤津君が、大太鼓はバッハ・コレギウム・ジャパンのツァーに参加してもらったこともあるコントラバスのトム・デヴァーレ君が、そしてステージの準備やみんなの世話をしてくれているマネージャの一人、リックがシンバルをやったのでした。赤津君はしかも、1,3楽章はもちろんのこと、4楽章もすぐ前までは第一ヴァイオリンを後方で弾いていて、途中でヴァイオリンを置いてトライアングルに持ち替えるという「ハナレワザ」をやってくれたのでした。すごく難しい、といってこぼしておりましたが、一生懸命「チン・チン・チン」とやっている彼の姿はなかなか微笑ましいものでした。彼の許可もなく、練習中の写真を送ってしまうことにしましょう。何といっても、アントワープでの国王臨席のコンサートでも彼はこれをしっかりとこなしたのですから!

さて、演奏中のおかしなことというのはなかなか書けないものです。代わりに「ウッソー!!」という感じのハプニングを少し。
スペイン、バスク地方のビルバオという町で2回のコンサートを終えた翌朝、僕たちはまだ暗いうち、5時半にバスでホテルを出発しました。その日アントワープに戻って、しかも午後からはレコーディングという予定だったのです。そもそもビルバオへの来かたも、フランスのトゥールでのコンサートの翌日TGVを二つ乗り継ぎ、それから馬車、いやバスに乗って国境を越えてやっと、というものでした。ですから誰も彼もがかなりの疲れを感じていたはず。僕自身もせいぜい2〜3時間の睡眠でバスに乗り、ぼーっとしていたわけです。そのような夢うつつ状態が続くこと約30分、と、空港に着く直前になってシギスヴァルトのアナウンス。なんと「俺たちの乗る便がキャンセル!?」という信じ難いニュース。空港でしばし停まって、すぐ別の便への引継ぎなど交渉しましたがうまく行かず、結局はお昼の便に乗るということになって、またそのバスで同じホテルへ帰ったのです。その時点で7時前後、次の出発は10時と言われて、さてそう簡単にもう一度眠れるものでしょうか。みんなで「さすがはサベナだ、これ以上ひどいのはない」などとぼやきながらゴロゴロとして、またまたバスに乗ったのでした。
ところで、サベナ(SABENA)って何の略かご存知ですか?もちろん正しいのはオランダ語の長ったらしい言葉ですが、一般的(?)には “Such A Bloody Experience Never Again”の略、として知られております。サベナ関係者の方、いらっしゃったら失礼。でも、こういうことが起きては、言われても仕方ないでしょう?? 因みに、これを最初に僕に教えてくれたのはKLMのパーサーでした。まったく、オランダとベルギーはジョークの世界でさえも張り合っているのか。

さて、こんな疲れる旅行ももうすぐ終わり、というアントワープでのこと。そこでは大きな道を隔ててホールと斜め向かいの辺りにあるホテルに泊まり、午後は録音、夜はコンサートという予定でした。録音に続いてコンサートの準備を少し、それからホテルの部屋に帰って着替え、またホールへ行ってコンサートという時間割です。先ほども書いたように、1日目は国王臨席のおかげで何時になにをしろの、何をするなの、とややこしい限り。でもそのおかげかどうか、コンサートはしゃきっといいものになりました。オリジナル楽器オーケストラのトレードマークのような長ったらしい調弦もあっという間に終わり。なんだ、できるんなら普段からやれ!と言いたくなるのは僕よりはお客様の方でしょうね。彼らがバルコニーに現れると誰ともなくみんな立てあがって拍手をしたり手を振ったり。前国王のボードワン一世ほどではないにせよ、国民にとても親しまれている国王という雰囲気がよく見て取れ、日本人としてはなかなか興味深い光景でした。

二日目のこと、僕が着替えて戻ってくると、楽屋入り口のところからずーっと濡れた足跡が中へ続いています。ありゃ?と思って歩きかけると、トランペットのグレアム・ニコルソン(以前にBCJにも登場してくれましたね)が「これ、見てごらん」というので「誰、これ?」と聞きつつ足跡の行き先を見ると、ヴァイオリンのジャン・ポールという人が立っています。しかしよく見ると、頭のてっぺんからつま先までずぶ濡れ!今、雨そんなに降ってないんだけど、と思っているとグレアム曰く「彼はね、自分がイエスだと思ったんだよ、それで水の上を歩こうとしたんだ」とかいって大笑い。よく聞けば、ホテルから近道しようと思ってどこか細いところを歩いていて、建物沿いにある池に落ちちゃった、というわけです。さすがの彼もヴァイオリン持ったまま池の中を歩いてはいられなかったのでしょう、中で転んでずぶ濡れの上、メガネもなくなってしまったとか。もうひどく可哀想なのですが、とにかく皆、表立って笑わないでいるのが精一杯の努力。笑いすぎてもう少しで漏らしそうだったなんて不謹慎なヤツまでいたのです。グレアムが「今日から彼をジャン・バプティストと呼ぶことにしよう」なんて いうのでまたひとしきり大笑い。
それでお笑いは終わりと思いきや、1曲目「時計」シンフォニーが始まってまだ数小節も行かぬ間に、ジャン・“バプティスト”が自分のヴァイオリンを、今まで見たことのない奇妙なオブジェであるかのように見始めたそうです(ここから僕は見られなかったので、寺神戸君の観察を伝えます)。つくづく見たりひっくり返してみたり。それでまたちょっと弾こうとするとグニョ〜ンと調弦が下がってしまう。なんと、池に入ってしまったヴァイオリン、緒止め板を留めるガット、テールガットが濡れてどんどん伸びていたのです。ですから、いくら弦を上げてもびょ〜んと下がってしまう。そのうち彼はなんと、ステージの上で楽器を全部ばらばらにし始めたそうです!回りで、あの難しい第一楽章をやっているときに。ついに諦めて、2楽章に入る前に彼は退場しました。ホルンのクロード・モーリーのような笑い上戸が、それを見てどうして吹けたのか、未だに僕は不思議です。
ところが、休憩の時にはもう、どこかからもらってきた金属で新しいテールガットを作り、もう大丈夫、と言っていました。そうか、彼はとても器用なのだった、と皆は思い出しました、倒れてしまった魂柱をレストランのフォークで立てたことがあったことを。自分の器用さを証明するために、彼は時々何かをやらかさなきゃならないのでしょうか...しかし今回のは少々努力が大きすぎたようでした。

と、最後に至るまでいろいろな事件が起きた今回のツァーでしたが、こういうところに書くことのできない事情などもあり、僕はこのツァーをもってLPBを全部辞めることにいたしました。ですから、どこかのレストラン情報や珍事件などをご紹介することはできるでしょうが、この“LPBCJ”というコラムは今回で終わりです。殆ど開店休業のような状況でしたのに、大して回復せぬままに終わってしまって申し訳ありません。今後しばらくは、オフィシャル・ページにある「ガット・カフェ」のコーナーに少しずつは書いてまいります。また矢口さんの方にも、何か面白いことはお知らせすることにいたしましょう。
ここまで読んでくださってどうも有難うございました。これからも、今までと変わらぬご支援をお願いいたします。

鈴木秀美 (01/02/13)
 はるかイタリアの地からの超大作(?)、ありがとうございました! BCJの演奏会や新しいCDのリリースがしばらくないことの方が寒さよりもこたえているBCJファンにとって、頂戴した楽しいエピソード満載のお便りは何よりのプレゼントです。「軍隊」での赤津さんのトライアングル、ワーグナーにでも使いそうな大きな楽器ですね。これはコントロールが難しそう。音も是非おうかがいしてみたいものです! 
 楽しいエピソードとおいしい食べ物一杯のツァーを終えられ、現在秀美さんはお手紙冒頭にあるハイドンとモーツァルトのコンサートの指揮に取り組んでいらっしゃるとのこと。こちらこそ是非日本でもうかがいたいものです!!!!!
 さてお便りにあるようにこのコーナーも今回が最終回になってしまいました。折に触れ楽しいお話を届けてくださった鈴木秀美様にあらためて感謝いたします。ありがとうございました。そして、これからも形は変わりますが、是非お便りお寄せいただければと思います!!。  (01/02/18:矢口記)
 
 お便り中にある“アカデミア・モンティス・レガリス(Academia Montis Regalis)”とハイドンのシンフォニーとコンチェルト、モーツァルトのプラハ交響曲を指揮された時のことを「モーツァルトを指揮していて、あまりに美しい音楽で、しかも自分がそれを指揮しているということが半ば信じられないぐらいで涙が出そうになります。練習しているところはもう今は礼拝に使われていない教会で、美しい内装、指揮している僕の目の前には十字架を持ち上げてくれている天使たちの大きな絵が掛かっています。そういうところでモーツァルトの響きを“造っていく”のは望外の喜びです。」とうかがったもので、先日神戸でそのお話をさせていただいたところ、その時の写真を送ってくださいました。秀美さん、ありがとうございます! 本当に素晴らしい空間での音楽体験だったのですね。音も聴いてみたい!

(01/03/14)

《第6回》  L.P.B.C.J.便り vol.6 〜 Melbourne (party) report 〜

 皆様、ご機嫌いかがでいらっしゃいますか。
 こちらはメルボルンから無事生還したところでごさいます。オーストラリア? じゃあ暑かった? と思われる方もいなくはないでしょう。ところがどっこい、メルボルンはシドニーよりだいぶん南ですし、向こうはやっとこれから段々暖かい季節になるところで、着いた頃は特に、まだかなり肌寒い日が続きました。何度もオーストラリアへ行っているワタクシは余計に、寒い季節というものを想像できず半袖が殆どでしたから、最初の数日はけっこうブルついて、仕方がないから内側、つまり胃袋の方から温めることに専心しておりました。

 メルボルンであれシドニーであれ、何といってもオーストラリアは美味い国! イギリスに似ていて美味しくない、などという情報を貰っていた人もいたというのはまったくオドロキです。水良しビールにワイン良し、ジュースはもちろん果物豊富、肉良し魚良し野菜良し。素材が何でも良い上、日本、中国はもちろん南アジア諸国全ての人種が見られる国ですから、何料理でもあって、どれでも美味しいのです。日本食だってスシ・テンプラだけではありません。うどん屋さんもあるし、私たちが何度か楽しんだ簡単な定食屋みたいなところではカツカレー、丼物などもありました。
 さて、BCJが滞在したのはダウンタウンにあるアパートメント。アパート、集合住宅などと聞いて、最初はみんなえっ?と驚き疑い怪しみ嫌がり...したのですが、実はとっても良い場所でした。というのも、2〜3人ずつで住む一つずつのアパートメントに大きなリビング・ダイニングがあって、食器はもちろん、ナベ釜しゃもじ、湯沸しオーヴン電子レンジ、食器洗い機まで全て完備。しかも掃除はちゃんとホテル並みにやってくれるのです。美食家、調理人の多いBCJのこと、着いた日にはペンギンを見にいった人も結構いましたが、後からはせっせとスーパーなどへお買い物、毎晩それぞれ楽しい小宴会、と相成りました。誰の部屋は今日はナニナニ、へぇ〜っ などという会話がそこここでございました。近くの立派なホテルに泊められていたカワイソウな指揮者夫婦やソリストたちは、このような恩恵(?)には与れなかったわけでございます。といいましても、最初に書きましたように、とにかく大抵のレストランは美味い! 痩せ細った人はいなかったのではないか、と思いますが...?

 今回のツアーの特徴、それはアパートの各台所もさることながら、期間中に誕生日を迎えた人が多かったことです。なにを隠そう、まずは僕の誕生日が期間中最初の日曜日、夜中を過ぎると翌日は「アルちゃん」ことオーボエのアルフレード・ベルナルディーニの誕生日(因みにフランス・ブリュッヘンのでもある)、次の日曜日、つまり私たちが帰ってきた日はわれらがマネージャー武田君の誕生日、そして来週の日曜、つまりオペラシティのコンサートの日は、ヴァイオリンの竹嶋祐子さんの誕生日です。僕は子供のときから、『2000年に自分はどんなだろう、生きてるのかな、何やっているだろう...』と思い巡らしておりました。しかしまさか、南半球で、しかもこんな仕事をしながら迎えるとは想像だにできませんでした。これを盛大にやらない手はない! というわけで、練習の合間に向こうのマネージャーを私用に使い倒して酒肴の準備をいたしました。
 何といっても仕事ですから、昼間は練習で自分ではなにもできません。しかし、ちょっとメリー・ポピンズを思わせ、とても頭の切れるリンという女性のおかげで準備は万端。練習後皆さんにアパートの部屋に来ていただいてアペリティフとスナックのつもりだったのが、空けも空いたり34本。シャンペン15本は買いすぎたかな、と一瞬考えたことさえ愚かしく思われるほどでした。
 段々人が集まって賑やかになってきたのに、『ザ・シェフ』緋田君の夫婦がなかなか来ないなぁと思っておりましたら、なんと!見事な鯛の塩釜焼きを自分の部屋で作ってきて下さったのでした。それから後もどんどん盛り上がってついに真夜中、すると今度はアルフレードの誕生日でした。翌日彼は大きなケーキを二つ買ってきて、みんなでお茶とともに休憩時間に楽しみました。

 武田君の誕生日の方はそう派手にやっていることが出来ませんでした。なにせ4日の晩10時からはフェスティヴァル最後のパーティ、しかしそれがあまりにも喧しくてたいした話も出来ず、そのうえ翌朝は5時の出発だったので、みんなフラフラとしていたのでした。空港へ向かうバスの中で、少々眠い声でハッピーバースデーを歌いました。東京には同日の夕方に着きましたので、きっと彼は誕生日の間に家に着かれたことでしょう。さて、今度のコンサートの日は何かあるでしょうか??
 
 いったい、オマエたちは遊びに行ってきたのか?とお言いになりたいかもしれませんが、そんなことはありません。ちゃんとカンタータを二晩違うプログラムで、それもマタイとヨハネ、カンタータの3連チャンという、めったにない重労働をこなしてまいりました。一応評判も良かったと信じておりますよ。しかしまあ、オーストラリアのお客さんは、どちらかというとぱーっと派手な方がお好きなようで、パッションはとにかくカンタータのコンサートは少し難しいものがあるように思いました。
 そして今、帰ってきてみれば待っているのはフレンチ・ピッチのカンタータに管弦楽組曲... Life is sometimes hard でございます。しかし皆何とか元気で、飛行機も爆発せずテロもなく無事に帰ってきております。この次のコンサートもどうぞ、お楽しみに!! そしてそれに続いて、今月後半はワタクシめの無伴奏固め打ち週間です。これもどうぞ、お覚えおきのほどをお願い申し上げます。

 それではまた、ステージの上から皆さんにお会いするのを楽しみにしております。

鈴木秀美 (00/11/08)

 オフィシャルHPに「カフェトーク」が掲載され、今回のツアーの報告は終わりかな、と思っていましたら、さすがは当HPの“今月の主役”、「L.P.B.C.J」便りにもお便りをくださいました。鈴木秀美さん、ありがとうございます! そして誕生日おめでとうございます!!! この時期がBCJのみなさんにとってこんなにめでたい期間とは気づいていませんでした。 ベルナルディーニさんも、武田さんも、竹嶋さんもおめでとうございます!!!!! 12日のオペラシティー公演のあとは「ハッピー・バースディ・パーティ in JAPAN」 が、終演後きっとどこかで繰り広げられていることでしょう。しかしカンタータ194番って、誕生日カンタータではなかったですよね・・・・!  (00/11/09:矢口記) 

《第5回》  L.P.B.C.J.便り vol.5 〜 from ライプツィヒ 〜

 矢口様、メールありがとうございました。
 LPBCJ便りもしばし開店休業に近い状態でしたし、そろそろ何か催促が来るのではないかと思っておりました。仰せの通り、今日はついさっきライプツィヒに到着したばかり、今までの具合を少々ご報告致しましょう。
 
 そもそもの始めから、移動に関してはトテモきつ〜い日程で組まれている今回のツァー、もうここまで来れば大分楽という感じが致します。皆様ご存知のように、オペラシティでのコンサート、そしてパーティの翌朝早くに出発したわけですが、フランクフルトから先サンチアゴ・デ・コンポステラまでの飛行機が小さいため、マドリッド経由とバルセロナ経由の二手に分かれました。早い方は22:45に、遅い方は夜中の12時少し前に着くという予定でしたが、そこはスペインのこと、イベリア航空がそう時間通りに飛ぶはずもなく(会社にゃ悪いがそれが経験の語るところ...)、早い組が着いたのが既に夜中、私たちバルセロナ組が着いたのは1:30ぐらいでしたでしょうか。部屋に入って荷物をといてシャワーを浴びて、としていくと、大抵の人が寝たのは3時とか4時とか...いやはや、長い日でした。
 コンサートはすぐその翌日だったわけですが、なかなかの成功だったと思います。しかしなんと言っても超ツーリスティックな場所、日本なら、たとえば伊勢神宮とか東大寺とかの本堂でコンサートをすると言っているようなものですから、練習中にも人はひっきりなしに出入りしますし、もうコンサートと同じぐらいたくさんの人が座って聴いているわけです。長い残響の教会でそういう騒音がずっと続いていると、何をやってもよく解らず、特に低音はそれでなくても響きに溶けてしまい、みんなに聞こえないと言われて、ワタクシは本番も全てをフォルテからフォルティッシモのみで弾かなければなりませんでした。

 さて、イスラエルでは、まずエルサレム、それからハイファ、そしてテルアビヴ2回の計4回のコンサート。エルサレムのコンサートについては昨日、大絶賛という感じの新聞評が出ました。またそれはそのうちHPに載ることと思います。
 テルアビヴでの1回目は5時開演というマチネー。このホール始まって以来初めての平日マチネー・コンサートだったそうで、私たちを招聘してくれたポステルさんは回り中から『300枚も売れればよい方、ヤメトケヤメトケ』と言われたそうです。しかし彼は1400枚も売ったそうで、はっきりと僕は知りませんが2000を越えるホールでも十分な入りでした。
 僕たちとは直接関係ない話ですが、その日の夜8時からはイスラエル・フィルのコンサートがありました。そう、ここはイスラエル・フィルのホーム・グラウンドなのです。ズビン・メータ指揮、プログラムは全部ブラームスで、ハンガリアン舞曲の1番、ヴェンゲロフとマイスキーで2重協奏曲、そして1番のシンフォニーとなっていましたが、ヴェンゲロフが水疱瘡でキャンセル、急遽ドボルザークのコンチェルトになったそうです。僕は行かなかったのですが、予想したとおり、マイスキーはコンチェルトの後アンコールにバッハの5番のサラバンドを弾いたそうです。このHPで、それに対するコメントは必要ないでしょう...。
 翌日、つまり昨日のコンサートはさらに多く、ざっと見たところではかなり埋まっている感じでした。終った後、日本大使館の主催でパーティをしていただき、皆少しく飢えていた感のある寿司をごちそうになりましたが、もう出発も控えており、そう長くはいられませんでした。いったんホテルに戻った後 2:00に出発、空港へ。また長々とチェックを受けて(とはいえ、とてもスムーズに行ったほうなのですが)、朝 5時10分のフライト、フランクフルトで4時間近くもブラブラして、やっとここ、ライプツィヒに着いたのでした。
 イスラエルの数日間は実に暑く、僕や雅明をはじめかなりの人が良い色に焦げあがりましたが、ライプツィヒは雨こそ降っていないものの、20度もあるかないかの涼しさです。今年のヨーロッパは随分寒い夏のようで、この間まで自分がいたブリュッセルもかなり寒いと聞いています。

 旅程自体はきついものの、間には随分自由な時間があり、『有効に』時間を使っていたと思います。テルアビヴのホテルは2ヶ所とも海が目と鼻の先。これだけでもかなりご想像いただけるでしょう。去年宿泊した『完成間近』のインター・コンチネンタル・ホテルは立派に完成しておりましたが、そこから海沿いにすこし北へ行ったところに今回のホテルはあり、ロビーの大きな窓からは海に落ちる夕日が真正面に見えます。去年に比べると市場やウマイ店などへは少々不便でしたが、それでも皆いろいろと見回り食べ回っていたと思います。こちらは子供連れということもあってあまり活発には出歩きませんでしたので、そのあたりの様子については、また誰か他の人から報告していただくことにしましょう。
 ホテルのロビーの一隅に Sushi bar があって、そこでタイヘン面白い経験をしたのですが、僕はそのシーンの途中からしかおりませんでしたので、武田君か雅明か、誰か最初から一部始終を見ていた人にお話していただきたいと思います。何が面白いかって?オタノシミに。
 
 さて、明日は練習のみ、コンサートは明後日ですが、ドイツのラジオが録音に来ることになったそうです。詳細は存じておりません。また武田君の方からオフィシャルな情報が載ることと思います。

 では、スパイス一杯のイスラエル料理を離れ、ドイツのビールとソーセージなどを腹に入れて来ることにいたしましょう。
 帰りましてまたすぐ、今度はサントリー・ホールで、またその地方の方々には新潟でお会いするのを楽しみにしております。
 日本は梅雨が明けたと聞いています。猛暑の中、皆様お元気でお過ごし下さい。
 
ガット・カフェ店主、Hdm (00/07/20)

 ただいまBCJのヨーロッパツアー中の鈴木秀美さんに「今日あたりはもうライプツィヒにお着きでしょうか。お時間ありましたら簡単に旅行の様子をお知らせください!・・・」とおねだりのメールを出したところ、さっそくリクエストに応えて送ってくださったお便りです。
 ツアーでのBCJの演奏も好調のようでうれしい限りです。いずれオフィシャルHPにUPされるであろう批評を楽しみに待ちたいと思います。しかし、それにもまして(!)気になるのが、スシ・バーでのできごと。いったい何が起きたのでしょう! 一部始終をご覧になっていたみなさん、是非教えてくださいね。
 ライプツィヒ公演の模様、ドイツのラジオ収録をなんとか日本でも聴いてみたいものです。ともあれ、バッハのお膝元での演奏会のご成功と、BCJの皆様の無事なご帰還をお祈りしております! (00/07/21:矢口記)

 テルアヴビブのスシ・バーでのできごとの概要がわかりました!
 関係者のお話を総合しますと、このスシ・バーは比較的新しく開かれたもので、“日本で修行した”というふれこみのタイ人の職人さんがスシを握っていたそうです。そこに現れたBCJご一行様に「是非正直な感想を聞かせて欲しい」との要望が・・・。そこでさっそく“試食”に臨んだBCJメンバー、まず驚いたのが「・・・ご飯が“すめし”じゃない・・・!」 そしてしょう油をなみなみとサーブしてくれるなど、“あぁ、かんちがい”のオンパレード。ネタが新鮮でおいしかったので、“惜しい!”ということだったそうです。なるほど。色々驚きながらも結局たくさん召し上がったのではないかと思われるBCJメンバーのみなさまのお姿が目に浮かぶようです。はたして“正しい「スシ」のあり方”は説明されたのでしょうか・・・? 関係者のみなさま、何かまちがい等ありましたらご一報ください!
 先日のBCJのツアーについては、トランペット奏者の島田さんのHP写真満載の詳しいレポートがUPされています。是非こちらをご覧ください! 「鈴木雅明氏食い逃げ事件?!」や「死海で東スポ!」の真相をあなたは知りたくなる・・・! お楽しみください。  (矢口) (00/08/06)

《第4回》  L.P.B.C.J.便り vol.4 〜 L.P.B.ヨーロッパ・ツアー〜
 
 皆様その後お元気でいらっしゃいますか。
 このお便り、本当に長らくご無沙汰していましたが、といいますのも僕自身がLPBの方とゴブサタだったからなのです。BCJとの日程の調整が難しく、今年はニュー・イヤー・コンサートの後11月まで乗れないでいたのでした。
 今また日本に戻ってきてこれを書いていますが、先月末まではLPBもカンタータ・プロジェクトで、いろいろと旅行してまいりました。まるで忙しい日本人ツーリストのコースのような旅程で、ベルギーで2回コンサートをした後ミラノ〜パリ〜アテネ〜マドリッド〜リヨンと回ってブリュッセルへ帰ってきたのでした。
 曲目はカンタータ4曲、9番『Es ist das Heil uns kommen her』、36番『Schwingt freudich euch empor』、94番『Was frag ich nach der Welt』、187番『Es wartet alles auf dich』。場所によっては、カンタータが3曲になり、そこにヴァイオリンのダブル・コンチェルトもしくはヴァイオリン、フルート、チェンバロのトリプル・コンチェルトが入りました。ソロはクイケン兄弟と寺神戸亮君、それにシーベ・ヘンストラのチェンバロ。合唱はなく、歌手4人で全部を受け持ち。ソプラノは急遽頼まれた鈴木美登里、アルトは Patricia Hardt というベルギー人と Magdalena Kozena というチェコ人でコンサートごとに分担、テノールは Knut Schoch というドイツ人、そしてバスは Jan van der Crabben というベルギー人でした。

 ベルギーでの2回とミラノ、それにパリのコンサートは教会で、残りはコンサート・ホール。最後のリヨンは超モダンな感じに内部を改修したオペラ劇場でした。そのような中でカンタータを演奏するのは不思議な感じがしますが、どこででも神様を賛美する美しい音楽が奏でられるという意味ではこれもまたなかなか良く、実際リヨンのコンサートは 0ne of the best でした。そして当然、コンサート前の食事、後のレセプションも最高。ナントいっても食いしん坊には特別な町ですからね、リヨンは。
 ミラノでのコンサートには、BCJでお馴染み、テノールの桜田君とその奥様、アルトの小池智子さんがボローニャから車で聴きに来てくれ、コンサートの後寺神戸君や赤津真言君もともに楽しく食事できました。
 このような忙しい旅行では観光するのは殆ど不可能です。ミラノでのホテルは、かの『最後の晩餐』がある教会の真ん前だったのにもかかわらず、見ること叶わず。いきおいコンサート前後の食事や僅かなショッピングなどが辛うじての楽しみとなり、またまたオンガクカ達は食いしん坊、食道楽になっていくのであります。とても寒かったパリでは赤津君のガイドで中華風そばをすすり、ミラノでは桜田君の、リヨンでは寺神戸君の『博学』と『経験』のおかげもあって、マコトに美味なるものを楽しめました。

 アテネは2回コンサートでCDライヴ録音。といっても、予期されるいろいろな『事故』に備えて前もって一応録っておきますから、昼間4時間ぐらいはそれをして夜はコンサート。1曲のテノールのアリアはコンサート後にもう一度録りましたので、Sigiswald とテノールのKnut、コンティヌオの Siebe と僕は夜中の12時15分まで弾いていました。それで翌朝は7時出発マドリッドへ...またラジオ録音。なかなかハードな日々でありました。
 今回は僕にとっては初めてのギリシャ!というわけで楽しみにしておりましたが、かなりの期待はずれでした。もっとも、知っている人の話では、アテネそのものには『アクロポリス』以外それほど見るべきものはなく、本当に美しいものは他の所にあるということでした。アテネはとても車が多く、しかも排ガス規制があるのかないのか猛烈にひどい臭いで、5分も歩くと鼻の中はマックロ、喉はゲホゲホになってしまいます。その中、二日目の午後に辛うじて自由な時間を見つけた美登里と僕は少し町へ、そして帰り道にはしっかりと迷って(というか、ポリスマンも含めて道を聞く人聞く人、とてもいい加減だったのだ!)1時間以上も歩いてしまったのでした。

 私事ではありますが、今回のツアー、二人とも仕事しなくちゃならない私たちは娘の茜を連れ歩き、もう一人、シギスヴァルトのお嬢さんサラの14ヶ月になる息子イリァと二人のため、ベビーシッターに同行をお願いしてツアーをしました。旅芸人、バロック・ミュージシャンの生活にはこういう場面がしばしば見られます。以前弾いていた18世紀オーケストラでは、う〜ん、これはオーケストラ予備軍か、というくらいぞろぞろ回りにくっついていたこともあります。うちの茜も、生後2週間の写真を貼った自分のパスポートにはスタンプがベタベタ、数えてみると今回は16回目の日本往復でした。その他にもオランダやベルギーはもちろん、様々な国の出入国スタンプ、コロンビアなどのヴィザも貼ってあってなかなかのカンロク。因みに、彼女は今まだ3歳半です。子供にとってはいいのか悪いのか...。 ま、サーカスの人々同様、ノーチョイスなのであります。

 私たちのファンの皆様にも、お子さんが増えつつあるようですね。時々、客席を見ていて判ります。特に、神戸のように場所が接近していますとね。託児設備を整えたホールやコンサート企画がもっと増えるといいのですが...・自分が子供を持ってみないとなかなか感じられないことではあります。先日も、もうすぐオメデタのある方に『(託児設備を)BCJで作ってください、定期会員を続けられます』と言われました。今のところ、無い袖は振れぬ、という状況ですが、将来そうできるよう期待したいと思います。

 さて、演奏の方がどうだったかというのを言葉で書き表すのはムズカシイ。特に自分が弾いていたのでは困難です。これは、今のところ来年出ることになっているCDを聴いてご判断いただくしかありませんね。いずれにせよ、良い悪いではなく、BCJとはとても違う表現であることは間違いありません。音楽家それぞれ皆、音楽に誠実たらんとして勉強し、同様の資料を研究し、楽器も吟味し、なおかつ結果は水と油ほどにも違う...まったく面白いことではありませんか。

 さて今月は、モンテヴェルディをいかなる味つけで経験できるか(?)。録音はいつもタノシミであります。ファンの皆様もどうぞ、コンサートをお楽しみに。そして、素晴らしいクリスマスと、新年を迎えられますよう、お祈り申し上げます。さて、2000になってもこのページはちゃんと見られるのでしょうか・・・。
Hdm  (99/12/09)

 L.P.B.のヨーロッパ・ツアー、なんとバッハのカンタータがプログラムだったのですね! BCJとどんなところが違うのか、大変興味深いところです。来年のCDリリースが楽しみですね。
 3歳半にしてすでに16回のヨーロッパ・日本間の往復を経験されたお嬢さんは、もう立派な国際人! BCJのカンタータが全曲に達する予定の15年後(?)には、どんな女性に成長されているか、楽しみです。BCJのプロジェクトも息の長いものですから、これから小さなお子さまのいるお客様にどう対応していくのかは、重要な問題ですね。事務局のみなさん、ご検討ください!
 さあ、いよいよモンテヴェルディです! 聖母マリアを讃えるめくるめく世界を楽しませていただこうと思っています。 2000年になっても、みなさまがご無事でありますように! (99/12/10:矢口記)
《第3回》  L.P.B.C.J.便り vol.3 〜 from ボゴタ 〜

 矢口様、そしてファンの皆々様、お元気でいらっしゃいますか。
 イスラエルからのお便り以来、しばらく続編をお送りすることが出来ないでおりましたが、それは書く材料がないということではなく、単に時間の問題なのでありました。今またこうして飛行機の中におりますと、無為に過ごす時間が多々あります。いや、疲れ具合によってはただただ眠りこけてしまうということもありますが、そこはこれ、そろそろ定期券をくれというほどに乗っているものですから、食べるもの飲むもの、途中やることもおおよそは決まっているのであります。
 さて、今どこからの飛行機に乗っているかと申しますと、実にボゴタ(すぐにどこの国かお分かりですか?僕は分かりませんでした)、コロンビアですが、そこからベルギーへの帰り道なのです。今回のお便りはBCJにはあまり関係なく、その前のL.P.B.のお便りです。興味なし,という方はどうぞここまでで他の欄をご覧になって下さい。

 今回のLPBはベルギーでのコンサート3回の後スペイン、セヴィリャへ(実はそのあとグラナダでもコンサートがあるはずでしたが無念のキャンセル)、そしてマドリッド経由の長〜い道のりを経て赤道近くの国まで来たのでした。プログラムはバッハのモテット全曲、そしてそれに加えてボゴタでは器楽プログラムの一夜もありました。歌は全部一パート一人ですから、コーラスともソロとも呼べません。ダブルコーラス8人のうち、テノールにポーランド人が一人、美登里が第一ソプラノをやっていた他は全員ベルギー人でしたが、歌を支えるように重ねられている器楽、弦楽器9人(ダブルクァルテット+コントラバス)の中には寺神戸君、赤津君が、そして管楽器4人のなかには北里タカ氏もいて、なかなかのオリエンタル・パワーでありました。とはいってもこれらモテットは本来合唱曲、器楽は本当に『伴奏』にすぎないので、筆者をはじめ器楽奏者たちは『弾き足りない』感、一方美登里をはじめ歌手たちにとっては、これ以上大変な仕事は滅多にないというほどのものですから、全6曲を歌い終った彼らと楽器弾きとの疲れの差、空腹度の差はずいぶん大きなものでした。
 さて、音楽自体の大変さはさておき、ツァーのハナシ。ベルギー、スペインは特筆することもなく無事終わったのです。しかしその先のコロンビアについては練習のころからさまざまな情報が飛び交い、私自身としましては先のBCJ・イスラエル・ツァーよりも不安感が募っていたのでした。といいますのも、まず(1)高度2600メートルにある町。空気が薄いのですぐ酸欠になるから、町角やホールにもボンベが置いてあるそうだ。(2)気温の日較差がとても大きくて3度〜20度ぐらいだそうだ。(3)ものすごく治安が悪くてとても一人や小人数では歩けないそうだ。(4)高価な時計や指輪などをつけていると腕ごと切って持っていかれるそうだ....等々のコワ〜い話をたくさん聞かされたからなのです。こちらは個人的事情とはいえ、夫婦に娘、お願いしたベビーシッター付きですから、もうどうしてそんなところへ行かなきゃならないのか!という思いのほうが強く、音楽のことよりもまず、とにかくみんな五体満足で帰れますように、と祈っていたありさまでした。音楽家はいろんなところへ旅行ができていいですねぇ、と時々言われるのですが...。

 実際に町へ着いてみますと、まず赤道に近いのにもかかわらず高度2600メートルのためにたいして暑くない。逆にいえば、2600メートルにしてはかなり暑いということです。近くにある「モンセラット山」は3200メートルもあるのですが、背の高い木が鬱蒼と茂っています。酸素ボンベ云々の話は誇張であったことが分かりました。
 しかし空気は実際薄く、敏感な人は頭が痛くなったりフラフラしたりしていましたし、管楽器の人たちは、特に管弦楽組曲の1番などでかなりきつかったようです。また気圧が低いために、洗面道具入れの中でシャンプーやクリームなどが漏れ出しているものもありました。まあ考えてみれば、富士山の7-8合目辺りか、あるいは北アルプスなどの山頂付近で演奏しているようなものですから、『息が上がる』のは確かに早いのでしょう。

 しかし楽器を吹いたり歌ったりする前にまず感じたのは高度ではなく、猛烈な空気の悪さの方でした。ボゴタは現在約800万人の人口だそうですが、貧富の差は激しく、『路上』で一日のうちの多くを過ごす人はたくさんいるようでした。いたるところで「宝くじ」の類を売っているのも社会的問題を感じさせます。交通規制がいいかげんで、雑然と走る無数の車のうち多くは一種の乗合バス、値段はほんの数十円、しばしばドアも開きっぱなし、停留所などはなく道端に立っていると止まってくれますし、適当にどこでも止まるようでした。このバスの殆どが、何年も洗っていない『土埃色』とでもいうようなシロモノで、その排気ガスのひどさたるや!どうやら、車の悪さ、ガソリンの悪さ、排ガス規制のいい加減さ、そしてもう一つ寺神戸君の想像した可能性、高度による不完全燃焼などが重なってここまで悪くなっているようなのですが、道を歩いているともう、3分と経たないうちに喉や目が痛くなってくるのです。空気が薄い、とはガイドブックにも書いてありましたが、まず「悪い」と書くべきだったようです。

 一方、治安が悪いという話の方はさほど誇張ではなかったようで、最近大幅に増強されたというガード、警官などの類がおもだったビルや施設の周囲、内外にたくさんいます。ホテルにしましても(今回もイスラエルと同じ「インター・コンチネンタル」、しかしとっくの昔に出来あがっている少々古めのもの)、各出入り口には銃を持ってヘルメットをかぶった制服組が、そしてホテル内でも廊下の隅やロビーなどのそこここにトランシーバーを持った人がいるのです。そのおかげでホテルの中は十分安全なようでしたが、とにかく物騒な感じで落ち着くのには時間がかかります。
その上、部屋の中の案内を読むと、「決して単独で町を歩くな」「遠出をしたければエージェントを予約すべし」「フロントの金庫を使うべし」等の注意書きがあり、また誰かの持っていた案内書には、「(モンセラット)山に徒歩で登りたければ週末、多くの人がいるときにせよ。週日の単独登山は必ず襲われる」という具合です。普通、危ないと言われている場所でも地元の人は『いやたいしたことないよ』と来るものですが、ここでは地元の人もはっきり「アブナイ」というのですから。演奏した劇場へ行くのも、徒歩15分前後の距離にもかかわらず必ずバスで、そして楽屋入り口にはガラス張りに鉄格子のはまった牢屋さながらのドアがあり、厳重に出入りがチェックされます。なかなかものものしい感じで、こりゃホントにアブナイのかな、と思いました。

 しかしそうはいっても、こんな遠いところまで来てホテルとホール以外は何も知らないというのではあんまりです。何か珍しいものを見たい食いたい!と好奇心が騒ぎます。というわけで、日本人メンバーは集まって『徒党』を組み、街へ繰り出しました。マーケットにも行って、一桁間違いそうなぐらい安い洋服や民芸品にオドロキ、大衆食堂のようなところに行って、バナナの焼いたのとかピロシキのようなもののなかにご飯が入っているものなどを楽しんでまいりました。また小さなフルーツ・バーのような店があって、そのまま食べたり、言えばジュースにしてくれたりします。ホテルでの朝食のビュフェにも10種類以上ものフルーツ・ジュースが並んでいますし、名も知らぬトロピカル・フルーツがたくさんあります。しかし全体的には、コロンビアの食事はあんまり洗練されていないようだ、という印象でした。ホテルでのコーヒーもさして美味しくなく、残念。しかし、最高のクォリティのものは全部輸出されているに違いない、と僕は思います。

 何はともあれ、演奏会は大成功でとても喜ばれました。翌日は一日休み、徒歩ではなくロープウェイで山へ登りましたが、追いはぎにも会わず無事帰着。そして次の日やっと帰れる、と空港に行ったのですが、今度はここでなかなか時間がかかりました。といいますのも、まず全てにおいて驚くほど要領が悪いのと、コロンビアはコカインなどで悪名高き場所だそうで、チェックが厳しいのです。そこをオルガンやコントラバスを持ったグループが通ろうというのですから。なんだかんだと言っているうちに犬を連れた係官がやってきて、嗅ぎまわらせます。そうしたらこともあろうに、犬がワンワン吠える!オルガンのふたを開けて見せると、台車の辺りに向かってますます吠える!オルガンを台車から降ろせといわれ、係官がケース内部のスポンジなどを千枚通しのようなものでブスブスと刺します。次にはコントラバスもケースから出し、内部を子細に探ります。いつかコントラバスをブスッとやらないかと思ってヒヤヒヤしました。ようやっとのことで全て終わり、ブリュッセルに到着しますと、経由地のロンドンで荷物全部が積み忘れ。トドメの一発でした。
 というわけで、長くなりましたが、コロンビア初体験、僕個人にとっては南米そのものの初体験の模様をお伝えしました。「ヨーロッパ組」は家に帰ったのもつかの間、手紙の山、請求書の山をあちらへ押しやったり片付けたり、一日、二日の間にカワイイ生徒たちの顔も見て... そしてさあ、今度はマタイです。私自身はその後にバッハのソロ、そしてマスタークラスも始まります。 皆様、どうぞお楽しみに!!
Hdm  (99/03/13)

 L.P.B.C.J.便り第3弾は、何と南米、コロンビアでの興味深いエピソードの数々でした。何はともあれ、無事のご帰還(?)、なによりです。
 空気の薄い高地で一人一パートのモテット全曲は、歌い手の方たちにとっては本当にハードなプログラムでしょうね。L.P.B.のバッハのモテットのCDも、ツアーをしたときのライブ収録だったとおうかがいしたことがありますが、その時も各パート一人ずつだったのかしら? 日本では一昨年の秋にBCJがやはりモテット全曲を演奏しましたが、このときは秀美さんは“降り番”でしたね。BCJのモテットはまだ録音されていませんから、きっとまた取り上げてくださる時がくると思いますので、楽しみにしています。 さあ、いよいよ二重合唱の「マタイ受難曲」が近づいてまいりましました。楽しみにしております!  (99/03/14:矢口記))



《第2回》 「『無事全員生存中』!〜 from イスラエル〜」

 矢口君、そしてファンの皆様、お元気でいらっしゃいますか。

 いろいろと心配はありましたが、とにかく全員無事、そして元気にテルアビブに到着しました。旅先からの絵葉書、の代わりに、絵もないメールをお送りいたします。『絵』の方はおそらく、テノールの桜田君あたりがツァー終了後にお届けするのではないかと思います。

 昨日までのテルアビブは嵐気味の天気、強い風と時折強く降る雨でしたが、今日は少し穏やかになりました。日本の春先くらいの暖かさで、コートがないとちょっと肌寒い程度です。
 私たちの泊まっているのは地中海海岸に面したインター・コンチネンタル・ホテル、部屋の窓からも海が見える立派なホテルです。来る前から、さぞや素晴らしく、練習の合間、本番前にはプールで泳いでサウナにでも入って...と思い描いてやってきたのですが、なんとここはオープンしてまだ2週間、団体で滞在するのは私たちが最初なのです。そして驚くなかれ、いたるところがまだ工事中で、最高級ホテルの中とは思えない可笑しなことがいろいろと起こります。たいていどこのホテルにもある『館内設備のご案内』の本が部屋にないので、荷物を持ってきてくれたボーイに『プールはないの?』と尋ねたら、『ああ、あそこにできる予定だ』という返事。『サウナは?』と聞いたらこれも“not yet”。とにかく何かを聞くとこの返事になることが多いのです。ほかにもたとえば、10階まで吹き抜けのレストランやフロント・ロビーにひどい雨漏り、カーペットがビシャビシャとか、メンバーの誰かの部屋はバスルームに電線がビヨーンと出ていたり、ドアの鍵がちゃんと閉まらなかったり。フロントで地図をもらったら、このホテルが書いてない! どおりで『地球の歩き方』を見ても載っていないはずでした。昨日の夜、戯れに最上階の25階までエレベーターで行って見ましたら、ドアが開いたとたんただのコンクリート、うぁーっと思ったとたん、間の悪いことに見廻りのお兄さんが懐中電灯を差し向けて何か怒鳴ったのでびっくり。ちょっと『ダイ・ハード』を思い出すような風景でした。
 それでも、ロビーから9階までは基本的にとても美しくスペースたっぷりに出来ているのですよ。朝食も素晴らしいビュフェですし...

 さて、このようなホテルからコンサート・ホールのある町までバスで約30分。これがまたまた、出来て1ヶ月のホール。もちろん、オープニング・シリーズに出演するのですから当然ですが、しかしこちらもイロイロ工事中、ドリルの音やペンキの臭い、もう今日はコンサートなのですが... 思いもかけないことはこちらでも起こっています。まず、別便で来た私が到着する前の話、雅明や調律の梅岡さんが見にいったら、『電子オルガン』が置いてあった! さあそれから大変、電話をかけまくって『正しい』オルガン探し。やっと見つかり、雨の中をずぶ濡れになったチェンバロと一緒にオランダのメーカーのオルガンがやってきた。これで練習には間に合った!と思いきや、運んでくれた人が電源に繋ぐコードを忘れてきた... 一日目はそんなわけで今井さんはすることなし。2日目はそのような問題はほぼ解決し、練習もちゃんとできましたが、とにかく曲はたくさんあるし、練習の合間にラジオやテレビのインタビューはあるし、音楽もプロブレムも取り混ぜてなかなかの盛りだくさん、ぐったりさせてくれます。
 
 今日からコンサート、というわけで、時差ぼけも手伝って早い目覚めの午前中にはこうしてリポート・メールを書くことが出来ました。『ハード』の部分はこんなふうですが、どの公演もほぼ売りきれという話ですし、コンサートはきっといいものになると確信しています。
 こちらにいる間に再びお知らせできるかどうか分かりませんが、とりあえずは『無事全員生存中』ということで、ご報告を終わります。

 朝日新聞に記事が出たようですね。みんな喜んでいます。
 では、無事帰還して、2月のカンタータの時元気でお会いできますよう、皆様もお祈り下さい。                                          
Hdm  (99/01/20)

 ついに来ました、イスラエル便り。 Hidemiさん、ありがとうございます!
・・・いやぁ、なかなかすごい状況ですね。でも準備は万端、いよいよコンサート。イスラエルのみなさんに“生BCJ”の魅力を存分に披露してください! 最初のプログラムが「エルサレム入場」をテーマにした182番をはじめとしたカンタータ・コンサートとは、にくい選曲。私もカンタータのCD、第1巻(BWV4)、第2巻(BWV131)、第3巻(BWV182)を聴いてイスラエルに思いをはせようと思います。よろしかったら、コンサートの様子なども是非お知らせください。櫻田さんの“ナイス・ショット”も楽しみです。 
 それでは、コンサートのご成功とみなさんのご無事をお祈りいたしております!!
  (99/01/20:矢口記)
《第1回》 「L.P.B. New Year Concert のご報告」
鈴木秀美  

 皆様明けましておめでとうございます。
 今年もBCJをヨロシクお願い申し上げます。BCJのHPにこう言うのを書くのはどうかと思いますが、矢口君のご希望もあり、こちら、ベルギーでの活動を少々ご紹介いたします。
 ご存知のように、私や寺神戸亮君、また赤津真言君等幾人かのBCJメンバーは、同時にLa Petite Bandeのメンバーでもあります。L.P.B.は数年前からベルギーの大手銀行の一つであるクレジット・バンクをスポンサーに得、またブリュッセルの言わば隣町、Leuvenのレジデンス・オーケストラということになっています。というわけで、練習と演奏会もしくは公開G.P.が必ずLeuvenで行われます。そしてさらに、ベルギー在住のメンバーを中心にして、ニューイヤー・コンサートも行われるのです。私自身は、去年、一昨年は日本にいてメサイアやクリスマス・オラトリオをBCJでやっていましたから、これに参加したのは初めてのことです。
 さて、今年のプログラムはどんなものだったかというと、シュトラウスのワルツとポルカ...いやいやそういうものはやりません。まずボッケリーニのクインテット、カトリックの教会の様子とマドリッドの夕方から夜の通りの風景、夜警の行進が遠くからやってきてまた去って行くところを11の変奏曲にした可笑しなもの。それからモーツァルトの『音楽の冗談』。これはモーツァルトが父の死後すぐに書いたもので、ご存知の方も多いでしょうけれど、あまり洗練されていない『街の音楽家』たちの間違いだらけの演奏といったものです。音楽を少しお分かりの方なら、実はスコアを眺めているのが一番可笑しい、というのも、モーツァルトにはとてもあり得ないおかしな音型や、和声学上の禁則を片っ端から破ったところなどが聴くよりもさらにはっきりと見て取れるからです。また、父の死後すぐにこういうものを書いたということで、人物研究などの題材としても取り上げられるそうです。
 その後には、ディッタースドルフのヴィオラとコントラバスのコンチェルト。このヴィオラ・パートは、とあるビショップ(カトリックの偉いお坊さん)でヴィオラも弾いた人のために書かれたそうで、緩序楽章のメロディは、もしもビショップが『落ちて』しまったりしても大丈夫なように、オクターヴ上でコンサート・マスターが全部なぞるように弾くことが指定されています。そして最後は、ハイドンのAbschied Sinfonie、日本語では離別、とかお別れ、とかいう題が付いているかと思いますが、最終楽章プレストの終わりに再びゆっくりな部分が出てきて、楽員が自分のパートを弾き終わったら段々と外へ出て行く、というものです。これはたしか、仕事の期間が終わって休暇になるべき時になっても楽員を帰らせてくれない公爵に対して、ハイドンが楽員の意志を伝えるべく考案した、という話で有名ですね。本来は、自分の譜面台のろうそくをそっと消して出て行くことになっているらしいのですが、今回は舞台にろうそくはなし、代わりに舞台前面中央に置かれたポットの赤い薔薇を、一人一人がゆっくりと出ていっては思い思いのやりかたで客に向かって投げたり手渡したり 、そして袖へ消えて行く、という演出でした。最後に残る二人はシギスヴァルトとその長女のサラでした。アンコールは再びクインテットで、かの有名なボッケリーニのメヌエット。あれはチェロ二つのクインテットがオリジナルなのですよ、ご存知でしたか?
 
 さて、これがプログラムの全容ですが、今回特に『ご報告』しようかと思ったのは他でもない、モーツァルトの『冗談』の演奏についてであります。これはオーケストラで演奏されることもありますが、本来は6人の音楽家たちによって弾かれるものです。チェロはなく、コントラバスのみ。ホルン二人、ヴァイオリン二人とヴィオラです。ソロのヴァイオリンは寺神戸亮君、それに前述のサラ、シギスヴァルトはヴィオラでしたが、亮君はただただソロを弾いたのではありませんよ。ハゲチャビンに赤いヘロヘロの毛が少し付いたカツラをかぶり、黒ぶち素通し丸メガネ、紙で作った髭、スポンジの赤い鼻を付け、3回あったコンサートのうち最終回はしっかりと頬紅も塗り、バカバカしい赤い派手なネクタイ、お腹にセーターを丸めて入れ、色違い(黄色と水色)の5本指靴下にセッタ、といういでたちで、ちょっと遅れてドタドタっと登場したのでした。思いっきりはずしてみたり、ゲチョゲチョグチグチっと汚い音で弾いたかと思うと、いつもの美しい音に突然戻ったり、終始へっぴり腰の上にしゃがんだり後ろ向いたり、ニタニタしたり凄いしかめ面をしたり、『その道』の方からスカウトの声がか かるのではないかと思うほどの演技でした。もっとも、場末の『新喜劇』といった感じでしたが。
 これに加えて、何もしなくてもいつも可笑しいホルンの二人がさらに『遅刻』して登場、こちらは海賊のように黒い帽子に黒めがね、2番のピートはバスーンのヴォーカルを借りて右手の袖の中からだし、片足を引きずって、まるで「キャプテン・フック」とか何かといった感じでした。しかも部分的には、その手のままで吹いたのですよ!彼らは、亮君が難しいソロやカデンツァなどを弾いているときに新聞は読むは、くしゃみはするは、携帯電話は鳴るは、もう大変です。その中でひたすら真面目な(ように見えて)弾いているのがシギスヴァルト一人。回りで何か可笑しいのがまるで解らない、といったふうで、ヴィオラ・ジョークそのもの。といっても、そこに至るには結構時間がかかったのです。すぐに笑ってしまうので。サラは亮君になかなかぴったりと、しかし必死で付けていました。
 この様子は、出番がなかった私の素人ビデオで撮ってありますが、まずは門外不出、でありましょう。デジタル・カメラがあれば、これはと言うところを撮ってメールと一緒にお送りできたのですが、残念ながら私はまだそこまで装備万端ではありません。こういうのを日本でもできると楽しいだろうと思いますが、いつかそういう日が来るでしょうか?
 亮君の名誉と彼のファンのために申し上げておきますと、彼はこちらでいつもこんなことばかりやっているわけではありません。今回は、普段隠されている、あるいは抑制されている(?)異才が顔を覗かせてしまった、というふうでした。これで彼のファンは増えるか離れるか?? 

 私は、BCJとLPB、この二つのオーケストラの仕事が旅行の殆どの部分を占めています。それで、時々覚書程度に書いている日記のようなものの題は『L.P.B.C.J.』。忙しさの程度にもよりますが、時々はL.P.B.C.J.便りとでもいったものをお届けしたいと考えています。次回がいつになるか、何のお約束もなし。でも、今年はイースターまでに日本へ3往復の他、スペイン、コロンビア、ブラジルなどに行く予定ですから、いろいろ話題もできるのではないかと思っています。気長にお待ち下さい。
(99/01/09)

 年頭に秀美さんからいただいたメールでうかがった「L.P.B. New Year Concert」の様子があんまり面白かったので、私からおねだりして書いていただいたのがこの「第1回」のお便りです。秀美さん、お忙しい中本当にありがとうございました。(ちなみに秀美さんは現在“来日”中で、イスラエル・ツアーのための練習に取り組んでおられるところです。これが3往復のうちの1往復目。あとは2月のカンタータと3月〜4月の「マタイ」での“来日”です。)
 デジ・カメの画像は無くてもその愉快なコンサートの様子がありありと目に浮かびます。日本でも是非体験してみたいものです! 芸達者の揃っているBCJのメンバーのスパークぶりも、またそっと教えてくださいね。楽しみに気長にお待ちしております!  (99/01/12:矢口記)

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