きょうの思い出

08/03

 1988年「あぶない少年2」内海と大沢に質問されても何も答えようとしない子供に業を煮やした大沢は、その少年を逆さまに持ち上げたところへ高村先生が入って来ると、2人が苛めるんだよと泣き出し、2人は先生に怒られてしまった。そして先生はその少年にプレゼントを与えた上、学園を案内して歩いているのを、何か考えがあってのことかと思うローラー部員達だった。高村先生は少年から話を聞いて、何故悪戯を重ねていたのか真相を知り、内海と大沢に本当は淋しかった少年に力を貸してやって欲しいと頼む。2人は他の部員にも話をし、手分けして少年を探すこととなった。やっと少年を見つけた内海と大沢はその少年が他の子の遊びの仲間に入れてもらえなかったのを見て、自分達が遊んであげるから、夕方になったら部室に来るように言って、少年にローラースケートを教えてあげることにした。最初はローラースケートを怖がっていた少年も2人の指導でみるみる上達して行ったが、後少しと言うところで、もう止めると言い出した少年に、勝手にしろと怒って少年を残して出て行ってしまう大沢と内海だった。淋しそうにして帰って行く少年の姿を見て、あれでいいのか? と心配する内海だったが、大沢は自信ありげに、あれでいいんだよ。あいつは絶対戻って来るよと言い切った。
そして3日後。部室で待っていた2人のところへ、ローラースケート教えてと、あの少年が戻って来た。すっかりローラースケートが上手くなった少年だったが、またその後、姿を見せなくなって、心配する2人。諸星は心配ないって、2人の真心はきっと通じてるはずだよと言うが、俺の考えが甘すぎたかなと悩む大沢。そこへ少年が自分を仲間はずれにしていた他の子供たちと一緒に入って来た。大沢達にローラースケートを教えてもらって上手くなったので、みんなが自分に教えてくれと言うのだと誇らしげに報告をした少年は、大沢と内海にお礼を言うとみんなと一緒に去って行った。少年にもやっと仲間ができたのを知って喜ぶメンバー。そして自分達も何事があっても力を合わせて頑張ろうなと思いを新たにするのだった。
この日の特別講義はマンガ雑誌「マーガレット」で「光GENJIに夢中」を連載中の麻美理乃さんを講師に迎えてのマンガ家入門篇。まだ19歳の麻美先生は光GENJIのファンだそうで、本人達を前に、かなり緊張してらしたようでした。まずはお手本でメンバーの似顔絵を描いてましたが、顔のパーツはみんな「へのへのもへ」。でもそれでも誰を描いたかわかるってのがさすがと言うか、似顔絵は輪郭と髪型で決まるんだなと思いましたね。そしてみんなも心藤先生の似顔絵を描いたのを先生が批評してましたが、みんな「似てる」と言う先生に心藤先生はちょっと怒ってました。でも実際、みんなどことなく似てましたけどね。
続いて光とGENJIの2チームに分かれて何を描いたのか当てる「エスチャー・で・光GENJI」ゲームをやりました。諸星くんが絵を描いたのだけど、問題は「原宿の竹下通りを歩いていて、自分のブロマイドを見つけて喜ぶ淳一クン」と言うもの。諸星くんの描いた絵はかなりぐちゃぐちゃだったけど、これで当てるメンバーがすごい! ナスに目鼻を描いたようなので淳くんってわかるのもねぇ(^^;)。この日は特別講義に淳くんは欠席だったので、正解が出た後、諸星くんは「山本、見てる?」とカメラに向かって手を振ってました。
ラストは前週の続きのドンケツ大会。まずは大沢くんと女の子は女の子の勝ち。諸星くんと女の子も女の子の勝ち。内海くんと女の子は内海くんが勝って、内海くんは諸星くんに勝った女の子とやってこれも勝ち、決勝戦で大沢くんに勝った女の子と対戦。身長差があるので腰を下げてなどといろいろ注文を付けられ、2人とも台から落ちたものの、少し後に落ちた内海くんが見事優勝となりました。このコーナーには下の3人は欠席でした。

 1989年「ザ・ベストテン」「太陽がいっぱい」2位で初登場。4月の末以来、3ヶ月振りの出演だったのかな? 黒柳さんに久し振りですねって言われてました。
忙しい彼ら、もし1週間夏休みをもらえたら、何処に行きたいかとの質問で、答えは事前にボードに書いてたようで、内海くんはアメリカに渡って大リーグのチームと試合をし、連戦連勝、すべて完封勝利をおさめたいと、絵入りの大きな夢。諸星くんはせみの一生の記録に挑戦。大沢くんは“太陽がいっぱい"のところで日焼け。晃くんはスキューバーダイビングのライセンスを取って、バミューダー海域の秘密を探るとロマン溢れる夢。寛くんは1日目は家でゆっくりして、2日目ぐらいから友達と一緒に波がものすごく高い海に行って、ゴムボートで波乗りをしたい。って、サーフィンが出来ないからって言ってたけど、ゴムボートでは溺れるんでは…(^^;)。敦くんは友達と海の家でアルバイト。ついでに日焼けして一石二鳥だと。淳くんは家族揃って2泊3日で旅行に行きたい。残った日は友達と沖縄の海で遊びたいと、やけにリアルな夢でした。
1位が獲れなかったのは、有線が弱いせいとのことで、有線よろしくお願いしますと言って、スタンバイに行く諸星くんでした。
歌は最初が諸星くんと淳くんデュエットバージョン(以後、これをAパターンとします)。特にアクシデントはなかったかな? 番組エンディング、光の2人の間に座って、何だかお子様な淳くんが可愛い…。

 1990年「ミュージックステーション」歌前の話もなく、いきなり歌。この日は新曲「COCORO」初披露だったのに…。ずっとローラースケートを履いて踊ってるので、ポジションの入れ替えも激しいし、テレビで初めて歌うからか、みんな動きもピシピシ決まって、格好いいじゃん…って思ってたのだけど、ラスト近くで、晃くんは振りを忘れてしまったのか、しばらく棒立ちしちゃって、よーく聞くと笑いながら歌ってる声がわかります。って、これは友人に言われて、私も気付いたんですけどね。気が付いてからは見ると何か笑っちゃうの。内海くんが珍しくバンダナしてますね。

 1992年福岡1日目。東京は10月並に寒かったこの日、福岡は真夏日でした。福岡はもう何度も行ってるけど1人で行ったのは初めて。飛行機の席が2階の前の方だったし、妙に揺れて恐かった…。彼らも当日移動だったのか、この日のコンサートは通常より1時間遅い時間の開始でした。
「And I Love You」でのメンバー笑わせに燃えてるらしい諸星くん、この日の1部では何かを隠し持って出て来てて、何をしているんだろう? と思ったら、ステージの段になってるところにバスタオルを広げてアイロンを掛けてました(^^;)。何もそこまでしなくても…って思いますけどね。
MCはそれなりに面白かったけど、淳くんがほとんど喋らないので、私としてはイマイチでした。諸星くんが1部のひとり喋りで「明太子、明太子」と頭思いながら飛行機の中で寝てたら夢を見て、明太子触ってふにょふにょとして気持ちいいと思ってたら、隣の淳くんの唇触ってたと言ってたのが、この日、一番楽しかった話かも…(^^;)。
他、この日の詳しいレポートはこちらをご覧ください。

 「ひらけ! ポンキッキ」でSAY'Sの「クレヨンで描いたタイムマシン」がこの日から31日まで放送されました。これで「ひらけ! ポンキッキ」の挿入歌は4年目。この年はCG多用のビデオで、メンバーは顔だけの出演だったので、ビデオとしては今までの中で一番つまらなかったかも…。でも、そう思いつつ、毎朝、ビデオでチェックしていた私でした(^^;)。

 1993年光GENJIのこと年の夏のツアー初日。SAY'Sの方が予想通りに春とほとんど同じ内容だったから、7カ月振りの光GENJIのコンサートに期待をしていたのだけど、初日を見終わっての感想は??? どうも何も印象に残っていなくてきょうのコンサートって何だったのかな? ってのが正直なところでした。今までになく見所のないコンサートだったように思ったんですが…。ステージの形は相変わらず私の嫌いな外周形式だし、7人全員で踊る場面も殆ど無く、いったい何のための光GENJIのコンサート? ってね。本人たちもファンも久し振りってことでどうも戸惑いがあるのか、いつものノリがないようで、諸星くんがいるからと期待していたMCもイマイチでした。こんなのだったら光GENJIのコンサートに行くのを何処か止めて、SAY'Sをもう少し見ようかなと一時は真剣に考えてしまいました。私がそう思った原因に淳くんのソロが無かったからってのも勿論あって、1人だけソロが無いってのはファンとして納得のいかないものがありますよね。
光GENJIのコンサートは初日とそれ以降と、結構プログラムが変わってきたりするけれど、この年はそれが予想以上で、初日のプログラムは幻のプログラムとなってしまいました。コンサートで初めて見た「新生紀」、私は結構好きだったんですけどね。この日限りで残念…。で、翌日から大幅に変更になったプログラムが良くなったのかと言うと、これも?なんですけどね(^^;)。このツアーの目玉だったらしい「MOON MEDLEY」もちゃんとしてたのは結局、初日だけだったし。このメドレー、段々メンバーが遊んで壊しちゃって、「MOON」が残ってたのは寛くんと淳くんの「Moon Talk」だけって感じになっちゃいましたからね。
取りあえずこの回のみ、これはゲネプロか、ランスルーかと言う初回のレポートはこちら、この日のメニューはこちらをご覧ください。

 1994年7人でのコンサート、初日。ツアー直前に大沢くんと寛くんの脱退発表があり、誰もが7人最後のコンサートと思っていたはずなのに、初日蓋を開けてみれば、7人最後と言うより5人でのコンサートでした。去る者には冷たいあそこの事務所とは言え、ここまでするか? と驚きと戸惑いを隠せなかったものです。本人達がどこまで納得して、この構成がどうやって決まったのかわからないけど、ファンの反応なんてわかりきってたと思うのに、初回はアンコールまで5人だったから、「樹生、寛之」コールの中、出て来た5人は表情も固いし、全然盛り上がりに欠けるアンコールでした。
2人のファンにしてみれば、後半観てるのは辛かったと思うけど、私は私で2人が抜けた後、自然消滅してしまうかもしれない、と言う不安が拭いきれなかったので、5人でやるのもこれが最初で最後だからかも…なんて思って観ていました。もうこんな大きなホールでは観れないかもしれないしとかも思っちゃったし…。
初日終わったとこでは否の意見の方が圧倒的に多かったと思うし、実際私も否定派でした。だけど、内容的にはダンスが何時になく多いし(そりゃ、それが7人でだったらもっと良かったけど)メンバーは精一杯やってるのだから、これはこれでいいと思うようになりました。だから、2人にはちょっと冷たいこと書いてるかもしれなくて、もしかしたら読んで不快になられる方もいらっしゃるかもしれませんが、これが当時の私の思ってたことってことでご了承ください。
この日は2本の公演でしたが、2本まとめたものになってるレポートはこちらを、この日のメニューはこちらをご覧ください。ご覧ください。

 1995年「H.I.P」卒業を1ヶ月後に控え、19日に発売になるラストアルバムのことをちょっとニュースで流してました。そして、この日の夜中には「Bye Bye」のCMもゲット。コンサートでのいろいろな「バイバイ」シーンが続くCMでした。


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