きょうの思い出

08/04

 1988年「ザ・ベストテン」この日は箱根の箱根プリンスホテルプリンスシャレーからの中継で、光GENJIは白いタキシード姿で、最初からの出演でした。突然こういう出演の仕方をされると上位での出演とばかり思ってるから、ビデオの用意もできてなくて焦っちゃいます。
この日も生放送の時間では5人の出演だったのだけど、番組途中、ホテルの部屋の中を黒柳さんが案内した時、頭まですっぽり布団を被って寝ている2人がいて、これが晃くんと敦くんだったのではないかと…。
歌は返り咲きの1位だったけど、芦ノ湖からの中継だったので、くす玉はなし。で、依然作成した暑中見舞いの葉書が完成したので、最後の1枚の葉書に「光GENJI ザ・ベストテン IN 箱根」のスタンプを諸星くんが押してましたけ。でも、宛名の真ん中に押しちゃって、あの葉書使えるのかな…?
歌は事前に撮ったVTRの7人と生の5人バージョン入り乱れでした。歌が終わると芦ノ湖のフェリーに乗船。乗船口で艦長さんにも入ってもらっての記念撮影をして、出港してる船から諸星くんは何度も乗ったり降りたりしてて、危ないと言われ、黒柳さんに冗談でもそんなことしないでって心配されてました。

 1989年「GENJI GENKI 爆発」オープニング、夏と言うと何を連想する? との質問に、敦くんは島、晃くんは水泳、淳くんはかき氷、寛くんは太陽、諸星くんは8月12日と答えてました。
挨拶後、家の近くに神社ある? と聞く諸星くんに、それぞれ神社の名前を答えるメンバー、更に諸星くんは縁日とか、お祭りとかある? ミドリガメすくいとか、ゴリラ風船とかある? と言うので、敦くんが「何が言いたいの?」と聞くと、「お祭りの時、泊りに行っていい?」と言う諸星くんでした。その後も時間いっぱいまでお祭りの時にどんな出店があったかと言う話で、それぞれくじ引き、リンゴ飴、ミルク煎餅に水飴つけたのだの、型抜きだの、チョコバナナだのと言ってました。
「テレパニごめん」。葉書選びに何やら揉めてる感じだったけど、掛けた電話にいきなり「僕、僕、僕」と言う諸星くん、「何してたの?」と言うと相手の人も「今、帰ってきたばかり」とわかってる風に答えて「きょう、バカにご機嫌いいじゃん」なんて言うから知ってる人に掛けてるの? と思ったら、相手は諸星くんのお母さんでした。淳くんに代わると、妹さんを呼ぶお母さん、でも淳くんとの会話はありませんでしたが…。諸星くんの妹は淳くんのファンとのこと。お父さんも呼ぶので、ちょっと焦る諸星くん。でも電話に出たのはお父さんじゃなくて、お兄さん。「車買ったから」などと言うお兄さんに、段々恥ずかしくなってきたと言う諸星くんは、ラジオなんだよ、時間ないから切るからさと電話を切り、こーゆーところじゃないと掛けにくいからさ…などと言う諸星くんでした。家族との会話なんて、まず普通は聞けないから、たまにこんなことをやってくれると、このコーナーも面白いかもと思いますね。
改めてファンに電話。でも最初に掛けた人はお父さんらしき人が出て、お風呂に入ってるので、後で掛けてと言われて、番組の名乗りもせずに切り。次ぎは最初から本人で、「誰だかわかる?」「芸能人でどういう人がタイプ?」と聞く諸星くんに、初めはわからなそうだったけど「諸星和己くん」と答えた後でわかったよう。葉書にコンサートに行った時の写真が貼ってあったよで、それを見て、「ドームだよね?」と言うと「愛知県体育館」、「5月だよね?」と言うと「4月」と言われ、更に切り際にも「またコンサート来てね」と言うと「ハズレちゃったの」と言われて、ちょっと立場ない諸星くんでした(^^;)
後半、さきほどお風呂入っていた人にもう一度電話。今度は本人が出、保母さんだそうな相手に、名乗らずに「子供預けたいんですけど」「5人ばかりいるんですけど」などと言って、相手の人もちょっと不審がってる感じはしつつも返事をしてたけど、「みんな年子で、ひとりは5歳なんですけど、異様に老けてるんですよ」と言った辺りで突然気付いたようで、大騒ぎでした。保育園の子供たちに宣伝しなくちゃ…と言うその人に、じゃあ、子供たちにメッセージをと言ったら、それは和己くん達からお願いしますと言われ、「これからも元気に、先生の言うことを聞いて、光GENJIを応援してください」と言う諸星くん。他のメンバーも一言ずつ言うと、その度「○○ちゃんがファンなの」とかなり興奮気味の先生でした。
最後はニューヨークのお土産プレゼント当選者の発表がありました。
エンディング、僕達には関係ないけど、夏休みは街歩いてる人もいつもと違って、見てると僕達までウキウキしますねと言う諸星くん、敦くんに、夏休み何処かへ遊びに行くの? と聞くと、敦くんは「晃とどっか行こうかと思って…」と言うので、毎日一緒にいて飽きないの? と聞くと「飽きないんですよ」と答える敦くんでした。「赤坂は?」と聞かれた晃くん、「えー…」とちょっと言葉濁してたけど、「飽きてるんだろう!?」と言われて「飽きません」と。

 1991年札幌1日目。この日はコンサートのことより、その前後のハードな自分の行動が印象に残ってるもんで、コンサートのことは記憶にもメモにもあまり残ってなくて…。コンサートも1本だけでしたしね。
最初の洋楽メドレーの「HOUND DOG」は諸星くんのソロなのだけど、ほんの数小節の歌詞が覚えられないらしい諸星くん、スピーカーのところに大きな字で書いたカンペをはったりしてたんだけど、それでも間違えて、ここまで確か1回もちゃんと歌えなかったと思うけど、この日、やっと正しく全部歌えて、「やった〜」と喜んで、淳くんとニッコリ笑合ってました。

 1992年福岡2日目。私にとってはあまり楽しいことがなかった日だったような気が…。そうそう、「勇気を出して」でいつも大沢くんと淳くんが何か喋ってるし、ステージの右から左へローラースケートで滑る時も何か言ったり、競争したりしてるんだけど、何を喋ってるんだろう? と思ったら、1部のMCの時にメンバー間で「バウ、バウ」と言うのが流行ってると言ってて、2部でこの曲のイントロの時に淳くんの口を見ていたら「バウ、バウ」って言ってたの。これで何を言ってるのかわかったけれど、コンサート中に何をやってるんだか…とも思いました。ステージでしてる内緒話って気になるけれど、案外こんなくだらないこと言ってることが多いんでしょうね。
その他、この日の詳しいレポートはこちらをご覧ください。

 1993年名古屋2日目。前日のあまりの盛り上がりのなさにか、この日から大幅にプログラムが変更となりました。初日とそれ以降が変わってくるってのは多少あったけど、ここまで変更したのは初めてかな。
まず、オープニングのメドレーが「MEET ME」「COCORO」になったこと、SAY'Sが「曇りのち晴れ」まで歌うようになったのに、諸星くんの「MY WAY」と「STAND BY ME」がカットになったこと(「STAND BY ME」はその後、復活)、「ガラスの十代」もカットされ、前日は2時間越えてたコンサートが、この日は2時間を切ってました。そしてMOONメドレーの繋ぎの台詞も半分くらいはちゃんと言わなくなり、代わりに内海くんと晃くん、敦くんのMCと内海くんと晃くんのMCになった個所がありました。これはこれで面白かったから、まぁいいですけど、8月の後半でしかコンサートを観てない人には最後まで残ってた寛くんと淳くんの台詞が却って浮いて感じたのではないかなぁ…。
この日の2部の最初のMCでは、諸星くんの「俺のこと、好きらしいんだよこいつ(淳くん)」発言なんかが飛び出して、私を喜ばしてくれました。だって、この時の諸星くんたら、凄く嬉しそうな顔してたんですもの…。
この日と、翌日の4本をまとめてコンサート全体のレポートをしてありますので、こちらをご覧ください。

 1994年名古屋2日目。前日の評判の悪さに、少しは内容を変えてくるかしら? と思っていたら、曲順がだいぶ変更になって、寛くんと大沢くんのソロが中盤に移動したので、MCはずっと7人に。そしてソロの後、2人の出演が全然なかったのが、本編ラストの「さよならの情熱」に2人も出てくるようになりました。でもこの日は2人は同じ衣装ではなくて、ソロの時の衣装のまま。ここの衣装、パンフではちゃんと7人着てるのに…って思っていたら、その後、2人も着るようになりました。アンコールは1部は前の衣装のままだったけど、2部は白いスーツ(でも大沢くんと寛くんもこの衣装だったかどうかはちょっと記憶にないです…)。曲順変わって、ずいぶん良くなったけど、私としては「真夏の夜の夢」と次の曲で着ていた、チェックの園児服のような衣装が好きだったのに、これを着なくなって、ガッカリでした。
この日からの構成での全体のレポートはこちらを、この日のレポートはこちらをご覧ください。


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