爆走!スノーダンプ特別篇・ぼくらの聖地


ドムドム
〜はじめての聖地

ナガオカの記念すべきファースト・ファストフード店。開店当時、ワカモノたちははじめて食するハンバーガーとフライドポテトに大いに「都会」を感じたものである。しかし、その多くが後にホンモノの都会に行って「ドムドムって田舎にしかないんだよねー」ということを聞き、凹まされた経験を秘かに持つ。

● ダイエー地下の(2003.02.15掲載)
不況のアオリでしょうか。
2月2日をもってダイエー地下の、ディッパーダン、ドムドム、らーめんさつき(?)が閉店になるそうです。余計に寂しくなりそうですね、ダイエー地下。
…ドムドムは1階の店も大分前に閉めてましたし…長岡に他にドムドムありました??

ディッパ―ダンのクレープの日が1月29日で終了でした。
今までにないくらい並びっぱなしで『30分かかりますけどよろしかったですか?』と、店員さんに言われてしまいました(笑)それでも買いましたが。
中には『1時間待ち』という声も聞こえてきたりしてました。
寂しいなと思いつつ、30分待って買ったクレープを5分足らずで平らげてしました。美味しかったです。

■雰囲気の暗い路線の雰囲気の暗い駅に(2003.02.15主宰、思わず記事立て談話)
ナガオカ初FFドムドムが、もう無いとは〜。特にドムドム押しのご投稿じゃないんですが……むしろディッパーダン押しのご投稿ですが(^_^;)……思わず記事立ててしまいました。ちなみに東京では、武蔵野線とか埼京線とかの雰囲気の暗い路線の雰囲気の暗い駅にひっそりと営業しております。

●オオミヤ隣のウインピー(2004.07.10掲載)
長岡のファーストフードの先駈けと言えば「フレンド」「ドムドム」、少し甘く点をつけると丸大となりの「ミスタードーナツ」も入れたいところです。

さらに僕個人的に入れてほしい店があります。
1980年代前半のことです。原信プリーズとオオミヤスポーツの間に「ウインピー」というハンバーガーチェーンがありました。店の内装とトレーに敷かれるチラシがイギリスのパンクやオルタナティブ系で「ドムドム」よりも都会のチェーンストアのにおいを感じさせたものでした。僕のお気に入りはシャンティ・フィッシュバーガーだったが。

当時5チャンで放送されていた「毎度おさわがせします」という番組(笑)で立花理佐(笑)がバイトしてたハンバーガーショップは何を隠そう「ウインピー」でした。
「そうか、やっぱ東京の店が長岡に来てたがらね」とウインピアンは秘かに特権意識のようなものを感じたものですが(←銀座松屋の横にしかなかった頃にすでにスターバックスを知っていたような意識感覚に近い)。

ところが「ウインピー」長岡退店以来消息がつかめなくなってしまいました。ググッてもヒットしません。「ウインピー」完全消滅か?あるいは「ウインピー」は実は外国企業で、よその国ではどっこい生きている…なんてことはないでしょうか?
ああ、気になる。
主宰様は御存じですか?「ウインピー」。坂の上には「オオミヤ」もそうですが「和太鼓一筋三島屋楽器店」「ブティックノアの方舟」など、スノビッシュな店が(←どこがだよ)いっぱいでした。

■ウィンピー・ウェンディーズ・バーガーキング(2004.07.10主宰、舶来かぶれ談話)
↑といったあたりは確かに世界標準のマックとはまた違った舶来風情があるような。そんなひとつがナガオカにあったとはつゆ知らず! 「wimpy」は投稿者さんご注目のチラシのテイスト通り、英国出身のようでございます。日本語のサイトはほとんど釣れないので、やはりナガオカのみならず日本から撤退しているのではないかと〜。

●アメリカの音楽が流れる店内で(2006.11.04掲載)new
ドムドムの長岡一号店は今のイトーヨーカドーのところ(ギフトハウスの前の通り側)にあったと思います。6年生のときアメリカの音楽が流れる店内で足でリズムをとりながら初めてハンバーガーを食べ、アイスクリームを3段にも重ねる光景に目をまるくしながら、カルチャーショックを受けたものです。

■二連星(2006.11.04主宰、小さいハンバーガーと小さいパンチ焼きのセットがあればいいのに談話)
はいはい、なつかしのドム一号。「ナガオカ初のバーガーショップ」と言いつつも店の半分がピーコックという腹黒い二連星で、「とかいでにんきのはんばーがーを食べんば」と思って入店したものの、なじみ深い「パンチ焼き」「やきそば」のほうのカウンターにふらふら〜っと行ってしまうという罠が(笑)。それにしても、ドムもロッテリアもモスもいつのまにか無くなって、結局マックのひとり勝ちですねえ。。。


旧東口地下道
〜陽のあたらない聖地

数あるナガオカ聖地において最もアンダーグラウンドであると断言できる聖地……っちゅーか本当に「地下」。現在もセゾンの底に「道」だけ存在するが、通行はあまりお薦めしない。

●これは僕たちの聖地になるのでしょうか?(2002.12.21掲載)
 現在海外在住の長岡者です。
 今朝方、長岡駅東口地下道を通る夢を見ました。
 考えてみると、小学校、高校、予備校と合計10年間東口地下道をくぐり続けたものです。
 中でも、東口の出口付近の地下街は、今でも印象深く、金魚屋さんの水槽のにおいと、食堂の丼もののにおいと、下水のにおいが渾然一体となって漂っていて、今も私の鼻の奥に匂いの記憶となって残っています。いつか大人になったら、自分もここでご飯を食べることがあるのだろうかとおののきながら毎日通っていましたが、私が長岡を離れていつの間にか無くなってしまい、最近は思い出すこともなくなりました。  なぜ今朝、しかも遠く離れたこの地で夢に出てきたのかわかりませんが、これも何かの縁、あの地下街のことをご存知の方が居ましたら何か情報を下さいませ。特に、何軒かあった食堂で食事された方、美味しかったでしょうか。教えてください。
 ところで、これは僕たちの聖地になるのでしょうか?

■開設当初から(2002.12.21主宰、掘り出し談話)
『NG!』開設当初から安吉で話題になっていた懐かしくも怪しい旧東口地下道。その後、読者さんの若年層増加もあいまって過去記事化してしまったワケですが。復活記念にその過去記事を再掲↓。F-BLOODとか、時代を感じさせますなー。石丸さんトコへのリンクもデッドになってたし……す、すみません石丸さん。直しときましたっ。

東口地下商店街
[ひがしぐちちかしょうてんがい:the underpass of old NAGAOKA ST.]

『SAISON』以前、旧長岡駅東西を結んでいた地下ショッピングモール。ナガオカの西堀ローサ。壁面は、いつも出どころ不明の水分でじっとりしており、途中にお地蔵さんがあったという報告もある。つげ義春の漫画に出てきそうな世界だった。
ここについてはナガオカWeb界のF-BLOOD、石丸兄弟のHP『Stone Circle Brothers』が詳しいので御高覧願いたい。お兄さんの「失われた時を求めて長岡版」コーナー、「消えた映画館と地下道に対するメールとその他、あるいは長岡日和」へGo!

new
●いつも心にきれいな花を(2015.07.31掲載)
昨晩帰省中、アオーレのウラのスナックで、ジモトの友達としこたま飲んだあと、東口に家族が車で迎えにきてくれていたので、東口地下道を興味本位で通過したんですね。
リノベーションしたとはいえ、ひとっ子一人いない地下道は昔ながらの湿っぽさと薄暗さで、この旧・長岡女子高華道部の生け花コーナーがぽつねんと、数十年来の主張「いつも心にきれいな花を」をされていたのは、感動を通り越して恐怖でした。怖かったけど素晴らしいです、帝京華道部。

■通れるんですか!(2015.07.31主宰、仰天談話)
ひいい、いまも通れるんですか!
cocolo前に下り階段があるのは知っていますが、トマソン的な存在かと!
画像もありがとうございます。く、暗いなあ。ここに生けにくる帝京の学生さん豪胆。
そういえば旧地下道にも生け花コーナーありましたよね。なんだか謎の水がしみ出ているような壁のくぼみだったような。


ニューロンデパート
〜シナプスが途切れがちな聖地

新幹線開業前の長岡駅前にあった「デパート」。旧東口地下道寿屋旅館という2大トワイラトゾーンに挟まれた立地に恥じない薄暗ぶりを誇った。その黄昏ファイアウォールが視線を弾き返していたのか、明確な建物像はほとんどの市民の記憶から抜け落ちている。安吉・グリーンスタンプの項参照。

●輝いていた時代があったのでしょうか?(2004.07.10掲載)
大手通が光を放っていた頃、長岡駅前バス乗り場側はどんよりと薄暗さだけが漂っていた。
それは横一列に並ぶバスの排気ガスのせいだったのか、光を際立たせるためのシステムだったのか。
駅前のどんよりを一層際立たせていたのがそこに建つニューロンデパートであった。
駅のすぐ前という好立地で大勢の人が目にしていたはずなのに、あまりにどんより過ぎ、長岡市民の記憶にもモヤがかかっている存在、ニューロンデパート。
“デパート”とは名ばかりのニューロンデパートにも輝いていた時代があったのでしょうか?

■いつなくなったのかも覚えてない(2004.07.10主宰、脳内検索結果0件談話)
ほんと、「どんよりしていた」という印象しかない新幹線紀元前の怪物でございます。スタンプ・ネタのときにも何か思い出そうとこころみたんですが、どういう建物だったのか、何が売っていたのか、サッパリ思い出せず……。ローカルデパートなのに、経営者の噂も聞かないですね。大手通りがガラガラな今、ニュー・ニューロンデパートなどいかがでしょうか>旧経営者さん。


肉食系
〜日本海に背を向けた聖地

コシヒカリと日本海産魚介類が主食と他県人に思われている新潟県。しかし、意表をついたこんな↓メールが……。

●長岡の人は肉食か?(2002.9.8掲載)
他県から来た人に長岡の印象を聞くとですね、「焼き肉屋とかとんかつ屋が多いよね〜。長岡の人って肉好きなの?」と言う人がけっこういるんですよ。たしかに私も5年ぶりに戻って来て、増えたな〜という気はしてましたけど、言われてみればやっぱり多いのかも。これって何故なんでしょう?長岡の人は肉食か?

■ライスをフォークの背に乗せて(2002.9.8主宰、ナルホド談話)
非公認さんの「食べ物屋情報」にも「とんかつトライアングル」の話題がありましたねえ。肉食系の食べ物屋さん、昔からけっこう多かったかも。ファミレス進出前から、ステーキ屋さんとか洋食屋さんとか。そういえば、昔、洋食屋さんではライスをフォークの背に乗せて食さねばならないという掟があって、庶民をびびらせておりました……。

●洋風カツ丼(2002.9.8掲載)
とろみのあるケチャップベースのソースのかかった洋風カツ丼。長岡では、和食・洋食・中華を扱っているようないわゆる「食堂」ならば大抵のところでメニューにありますが、長岡以外では見た覚えがないのです。もしかしたら、長岡的な食べ物なのでは? どのコーナーになるのかわからないので、「爆走!スノーダンプ」宛で送ってみます。「NG!」の中の各コンテンツは明確なテーマが読み取れるのですが、「爆走!スノーダンプ」だけは、正直なところ、私、よく趣旨がわからないのです…。
この内容では「爆走!スノーダンプ」で良いでしょうか?

■良いでしょう(2002.9.8主宰、実は自分もよくわかってない談話)
「爆ダン」は最初、方言ではないけどヘンな表現で主宰が笑われたことを書いていたのですが、だんだん、「どのコーナーでもないコト」を引き受ける庶務コーナーと化したようです。今回はくしくも上の肉食ネタが同着だったので、「肉くくり」でなんとなくココに……。

■小松パーラー(2002.9.8主宰、それはきっと談話)
そして本題の洋カツ。それはきっとナガオカの老舗洋食屋、殿町『小松パーラー』の名物料理のパクリの輪が広まったものと思われます。カツカレーのハヤシライス版みたいな。東京では「デミかつ丼」。殿町って、いまは歓楽街(古クサ表現)ってカンジですが、かつてはナガオカのグルメ街でもあったらしいですね。この小松パーラーさんのほかにも……↓

■松葉館(2002.9.8掲載……っていうか主宰の自腹記事ですが)
これまた老舗洋食屋。昭和ナガオカで「グラタン」っていえばココだったらしい。ロケーション的理由からか、主宰の父親が飲み会のオミヤゲによくテイクアウトのを買って来ました。昭和ナガオカの酔っぱらいは寿司折ではなくグラタンをぶら下げて御帰宅??? でも、タマネギが多くて大人向けって気がしたですわ。

●福原肉屋(2002.11.17掲載)
エレクトーン教室の帰りは必ずコロッケ買ってもらっていました。
そしてその日の夕飯のおかずもやっぱりコロッケ。。。
でも、飽きなかったんですよね。

そして、肉屋といえば、東北中学校横の肉屋。
名前は覚えていないのですが。
当時コロッケ1枚30円だったと思う。あのころ(約18年前!)でも激安でした。
そして肉屋なのに、チロルチョコを売っていた。
ここでチロルを知ったのよねー。
そして!そこのおやじさんは、ぶたごりら(わかるかな?)の父ちゃんにそっくりでしたー。

■小腹が空いたら(2002.11.17主宰、買い食い談話)
なぜか酒小屋記事で初出の福原精肉店。あの界隈は、すぐそばにボントーンベーカリーもあって、中高生の小腹を満たす買い食いストリートでありました。東北中の横のほうは残念ながらハツミミっす。どっち横なんだろ?

●やなぎ庵(2002.12.21掲載)
長岡人の肉食好きはさらに波及を見せ、意外な場所で意外な肉食メニューが生み出されていました。
場所は学校帰りの女子高生も立ち寄ってたりする長岡駅構内のそば屋さん「やなぎ庵」、メニューは「とんかつそば」。
名前どおり、あの太さがバラバラな(そこが良いのですが)やなぎ庵の蕎麦の上にとんかつが載ってます。 ツユでふやけてフニャフニャと軟らかくなったとんかつがなかなか美味。
お値段450円也。
そばだけでなく「とんかつうどん」「とんかつラーメン」もあります。

■やなぎ庵て?(2002.12.21主宰、パーコー麺とどう違う?談話)
やなぎ庵て?と思ったら、そんな店名だったんですね、あの長岡駅の名物ソバ屋さん。一軒しかないのに改札の中からも外からも食べられるという四次元ソバ屋。ナガオカ人のとんかつ好きにさっそく目をつけましたか。ヘルシー系代表めかぶソバの対極を行く油脂系メニューっすね。


カワサキ
〜不景気に背を向けた聖地

株価底抜け不況の今でも開発が止まらない場所、川崎。かつて田圃だった土地には郊外型大型店が悠然と立ち並び、近年は巨大映画館進出も囁かれた。

●スーパー銭湯『湯らいや』 (2002.9.8掲載)
現在、川崎町のリップスガーデンの一角に、スーパー銭湯『湯らいや』なるものを建設中です。
場所は、Joshin&”といざらす”と東バイパスの間に挟まれた、立地条件としてはあまり好ましくないところ。
スーパー銭湯という名前の示すとおり、オープンの暁には、長岡の新名所となるべく、市民を癒してくれるのでしょうか?
『湯らいや』・・・モロ長岡弁を使って親しみを持ってもらおうという意図がうかがえますが、『が〜て長岡』など、最近は長岡弁が自己主張をはじめるようになってきましたよね〜!!
駐車場は、Joshinやパチンコデルゼの広い駐車場があるんで、全然問題はなさそうです。スーパー銭湯でも、やはり富士山の絵はつけてもらいたいところですな(笑)!!
まあ、スーパー銭湯もいいですが、シャワーマッサーの新館ってのもよかったような気がしますね(笑)。

■浴場天国(2002.9.8主宰、スパリゾートな談話)
ついにおフロも進出ですか、カワサキ。スパもポエムも、地域の公共大浴場もいっぱいあるのに、ほんと大浴場好きですねー、ナガオカ人。主宰の親/親戚関係でも、「みんなで○○(いずれかの浴場名)行ったてー」というエピソードがかなりの高率で現われる……。


自動車博物館
〜レストア待ちの聖地

名称のマンマぶりと実体のマボロシぶりのギャップがステキな聖地。知る人ぞ知る……というか、その「知る人」を知る人すらも少ないのではないかと思われる。

【巡礼者からのメッセージ】

長岡にも自動車博物館があった事を御存じでしょうか?

場所は長岡市南東方向、柿(かぎ)町。15年ほど前ですが、行った事があります。

そこには、オーナーが趣味で集めたらしい様々なクルマ(主に国産の古いもの)がずらっと並べてありました。いやそれだけ。博物館というより、クルマの倉庫。説明板もほとんどなく、展示してあるクルマも少々ほこりっぽく。単にオーナーの倉庫を見せてもらっている感じですね。隙間なくクルマが並べてあるのでクルマの横と後ろ側は良く見えないという状態ですし、もちろん研究員が説明してくれる事もありません。マニアックなクルマ好きならともかく、小学生が夏休みの自由研究に訪れたら途方に暮れたに違いありません。

でも「珍しいもの、古いものは取りあえず集めたらしい」ラインナップは一見の価値があったかも。「ダイハツ Bee」なんてクルマ御存じですか?あまり他の博物館には無いような、価値があるような無いようなクルマ群はある意味貴重だったかも。

倉庫、じゃなかった建物の外には解体屋のごとく積み重ねられたクルマもあり。これらはレストア待ちだったのでしょうか?いや重ねちゃレストアの手間が増えるだけですが。

そういやここ、入場料いくらだったっけ?っていうか、払ったっけ?払ったとしたら100〜200円くらいのものだったと思うんですが、どうやって払ったのか全く憶えがありません。係の人も居たような、いなかったような。お客は自分達以外にいなかったのははっきり覚えてるんですが。

昨年の夏、またここへ行ってみたのですが入り口がのゲートが閉じられ、案の定(泣)閉鎖されておりました。ただ入れないのも悔しいので東山中腹から彼の地を望んでみた所、倉庫、いや博物館の外に積み重ねられたクルマはそのまま、というか増えてました。しかもトラックやバス等の大型のクルマも並んでます。どれも廃車のもよう。肝心の倉庫、いや博物館の方は、どの窓もカーテンが閉められて中は判りませんでした。中のクルマは果たしてそのままなんでしょうか?判る術はありませんでした。

その後、長岡市内の某保育所の経営者がやってたらしい、という情報を長岡在住の義理の妹から聞きました。確かに昨年見た時に並んでいたバスの一台には、車体横に「白○り」(○は自主規制)の文字が。

さて、ここまで読んで頂いてありがとうございます。また「既に閉鎖された聖地ネタ」になってしまいましたが、聖地と呼べる程知っている人が居るのか?という事の方が私の大きな関心です。

なにしろ長岡在住当時、私の周りはクルマ好きばかりだったのに、殆どここの事は知らない者が多く、しかも行った者は私と当時の彼女(現在は妻)の2人しかいないのです。あれが幻でない証拠に、長岡市の地図にはまだ「自動車博物館」の記述が残っているものがあります。

是非NG!上で生き証人を探し出して頂けないでしょうか?お願いします。

■象の……(2002.8.3主宰、また消滅ネタなのねの談話)
閉鎖後もコレクションが増えているというのがフシギな。ナガオカのオールドカーは柿町をめざす??? 思わず象のアレを思い出してしまいました。そーいえば、クルマ的サイズの動物に比べてクルマって寿命短い……と、13才の老車をだましだまし乗っている主宰はつぶやいてみたり。

●チャリのほうが(2004.10.02掲載)
長岡で生まれ育ち。今も長岡に住んでおります。
自動車博物館、私、行ったことがあります。
博物館(倉庫?)の外には、ヘンテコ自転車があったような・・・。
自動車よりもチャリのほうが楽しかった思い出がありますよ。
父と行ったので、覚えているかどうか、今度、聞いておきます!

■なぜかチャリに(2004.10.02主宰、2年前の談話に書いた老車にまだ乗ってます談話)
掲載以来2年待ってついに登場の「生き証人」さんなのに、なぜかチャリに食いついておられるわけで……。ヘンテコ自転車って、漕ぐとクルクル回るのとかですかねえ……って、主宰もチャリに食いついてるし。「博物館(倉庫?)」の記述も往事のこの施設のたたずまいをリアルに感じさせ……。

new!
●幼稚園のころ(2005.01.15掲載)
おいらはここにいったことがあるはずです。幼稚園のころですが。
ここに白○り幼稚園のバスがあるのは偶然ではありません。
おそらく当時の園長である長×川氏の私的コレクションではないでしょうか?
(後日長×川氏はとある事件で結構有名になってしまいましたが)

当時、白○り幼稚園は中沢・大島・宮内の3園合同でこの博物館近くの広場で運動会をやっておりました。
そのタイミングかどうかは定かではありませんが、入ったことはあるはず。
当時は車などまったく興味がありませんでしたが、今はかなり好きなのでもう一回見に行きたいですね。

■初号記事でも(2005.01.15主宰、とある談話)
触れられていましたが、やはり白○り系列なんですねえ、自動車博物館。「とある事件」はほんとにサッパリわからず、ぐぐってもとりとめがないので(<あたりまえ)、幼稚園名に続いて経営者名も伏字にしてみました〜。


大手口地下道ほか
〜ギター弾きに貸す部屋はねえ聖地

路上歌舞音曲愛好者たちの聖地。イトーヨーカドー地下道あたりがメイン聖地か。旧大黒屋(今ナニ?)前、旧長崎屋前などがサブ聖地と思われる。固定教祖がいるのか、ギターを抱いた渡り教祖なのかは不明。教祖たちの目下の悩みは、現在のナガオカでは行き交う人々のほとんどが演歌/民謡教徒であることと、何かカン違いした老婦人が涙ながらにパン等をくれたりすること。<ブルースハープなどを吹いていると特に。

●ダレなんですか?(2002.9.21掲載)
夜の寂れ方がかなりやばい大手通りで、カリスマっぽく人を集めている路上シンガーのおっさん2人組はいったいダレなんですか?

■ダレなんでしょ?(2002.9.21主宰、あの方しか思いつかない談話)
ナガオカでカリスマ男性歌手といえば某わたる氏なわけですが……あの方の相方は女性だったしなあ。はてさて、ダレなんでしょ?

new!
●謎のピンクタンクトップ(2004.10.02掲載)
ピンクタンクトップとは長岡駅内や周辺、地下道、厚生会館前でよく見かけられるいつも同じピンクのタンクトップを着ている男性のことです。たぶん長岡駅をよく利用する高校生(とくに女子)ならだいたいの人が知ってる(目撃してる)と思います。私もよく駅で目撃します。
前に1度だけ厚生会館前で目撃した時なんかすんごいノリノリで踊ってました。その時、ヤツは音楽をかけて踊ってたんでラジカセで流してるのかな?と思いピンクタンクトップの周りをキョロA眺めてたんですが音源が見つからなかったのです;結構見通しのいい場所で踊ってたからすぐに見つけられると思ったのに・・・(−_−;)今でもどこから音楽を流してたのかは謎です(笑)
 あと私の友達も駅の地下道でピンクタンクトップが踊ってるのを目撃してます。かなり謎の多い人物で、私はヤツはヨーカドーの怪人の仲間入りができると思うんですが。

■ヨー怪ではなく(2004.10.02主宰、Don't Think, Feel談話)
おお、ナガオカにもついにストリートダンサー登場!……とはいうものの怪人枠でのご投稿(泣笑)。一応踊っておられるらしいので、ヨー怪(<ひどい略)ではなくこちらに入れさせていただきました。歌舞音曲の「舞」担当っつーことで。音源の謎は、もしかしたらあまりにもすばらしいダンスのため、無いはずの音楽が心の鼓膜に聞こえてしまっているのかもいないのかも。


大手通りダンススクール群
〜Nagaokan Just Wanna Have Funな聖地

ナガオカのセレブなマダム達の聖地。大手通りに集中して発生しているのは、同通り奥に鎮座する大和こそが彼女らの元祖聖地であるからかも知れない。

●Dance! Dance! Dance!(2004.10.02掲載)
空きビルが次々と予備校・学習塾で覆われていく大手通。
その大手通で上を見上げるともうひとつ学び系が多くあることに気付きます。
それはダンス教室。

 

これらの看板、すべて長岡駅〜大手通界隈で撮影したものです。
ジャズダンス、社交ダンス、バレエ、タップダンス、エアロビクス……と種類は違えど、長岡はこんなにもDance! Dance! Dance!な土地柄でしたでしょうか?

■赤い靴(2004.10.02主宰、大手通りはダンステリア談話)
何を隠そう主宰の親戚のオバマダム達も軒並みダンスに打ち込んでおります。目抜き通りにダンススクールが多発するのは市民の高齢化の証拠かも。あ、でも副主宰も若くして取り憑かれたようにエアロビ通ってたなあ。ナガオカに住むと踊らずにはいられなくなるのでしょーか。ピンクのタンクトップは呪いの赤い靴のナガオカ・バージョンだったりして。


アイソフ
〜8ビットの聖地

ファミコンの登場により、子供のおもちゃが「飽きたら捨てる/おさがりにする」から「売る」に転じ始めた時代の聖地。

●のっていないのはおかしい!(2004.10.02掲載)
ぼくらの聖地に中古ファミコンの聖地「アイソフ」がのっていないのはおかしい!
昭和40年代後半〜50年代中盤ぐらい生まれの人は、小中学生のころ絶対にお世話になったはず。
店舗は旭町のガードを平潟神社方面に行き、青空パンの小路を右に曲がってすぐのマンションの1階だった。最盛期には小学生の自転車があふれんばかりにガラス戸の前にとめてあったっけ。

カメレオン倶楽部もハードオフもない時代、中古のファミコンやMSXのソフト等を売買できるのは長岡ではここだけだったと思う。その後、「ブイ」とかできたけどね。
長岡K専に入学後はPC98のエ□ゲームを買ってはコPーして売ってという荒業をやっていました。
週に3回は行ってたよ。間違って定休日の水曜にいって、閉まっているシャッターを見て帰ったこともしばしば・・・

しばらく行かないうちにいつのまにかなくなってて、美容院に変わっててショックだっだよ。
おじさんは愛想が全然なかったけど、おばちゃんはいつも愛想よくしてくれたなー。

■ほのぼのした語り口ながらも(2004.10.02主宰、ゲーム疎いんですスミマセン談話)
ほのぼのした語り口ながらも伏せ字を多用しなきゃならないステキなご投稿どーもです。98ですでにエ□ゲーがあったんですかー、と言っても「□」が記号の「四角」なのでいまひとつよくわからないですねえ(笑)。
そして、文中登場するパン屋さんが偶然にも…↓。


青空パン
〜バターよりもマーガリン好適聖地

給食に米飯よりもパンが圧倒的に多かった時代の聖地。川東地区の多くの学校に食パンを供給していた。「♪朝いちばん早いのは」の歌が聞こえてきそうな晴れ晴れした名前もステキである。

●低学年は3枚(2004.10.02掲載)
名前をよく覚えているパン屋さんがあります。
青空パン。
私の小学校の給食パンを一手に引き受けていました。(他の小学校や、今はどうか分かりませんが)
パンの種類は、コッペパンか食パン(低学年は3枚、高学年は4枚だったかな?)

最近時々「給食セット」なるものもを目にすることがあります。必ずそこには「揚げパン」あるようです。
私の記憶にある青空パンは、揚げパンを出してくれませんでした。それとも、私が古すぎて揚げパンを知らないでしょうか?
あの青空パンのコッペパンを揚げて、砂糖か黄粉がまぶしてあればいいのですが。

新潟国体・東京オリンピック・新潟地震を知らない世代の人は、揚げパンを知っているのでしょうか?

■高学年でも1枚半(2004.10.02主宰、掃除の時間も食べていた談話)
うあー、青空パン! 給食のパンの入っていたバットのロゴで見覚えのある名前! 上の「アイソフ」のご投稿で初めてその場所を知りました。平潟神社方面にあったとは。主宰の通っていた小学校では食パンは1枚半以上が必修で、小食というか食べるのが遅い主宰は、6年生まで1枚半というミニマム仕様。すみません青空さん。主宰は新潟国体・東京オリンピック・新潟地震を知らない世代の人ながらもじゅうぶんトシヨリな世代の人ですが、揚げパンはそんなに「これぞ給食!」アイテムではなかったような気がします。ひたすら砂糖まみれで食べにくかった思い出が。先割れスプーンで刺して食べてたな〜。


セゾン・ド・ナガオカ
〜ココロ変わりした聖地

新幹線開通とともにナガオカにトーキョーの香りを運んでくれた『駅ビル』。ニューロンデパートや東口地下道という旧ナガオカ施設群を駆逐したうえ、長崎屋の誕生以降急速に進んでいた市民の駅周辺を回遊するだけで大手通りまで出ていかないという現象、名付けて「駅周辺を回遊するだけで大手通りまで出ていかない現象」を決定的にした。そんな時代の申し子もついに……。

●COCOLO長岡(2004.10.09掲載)
なんと、長岡の駅ビル「SAISON」がこの10/1から「COCOLO長岡」になっちゃいました。
すでに過去のものとなったN○K朝のテレビ小説からパクったのかどうかはともかく...(その昔SAISONという名は公募で決まったのではなかっただろうか...)
今回のCOCOLOはいきなりのRENEWALでびっくりしました。
(単に駅を利用していないせいで分からなかったのかも知れませんが…)

■「セゾソ」とか(2004.10.09主宰、こころない談話)
うーん、ついに改名ですか。かねてから西武セゾングループからクレームがついていたという噂でしたからねえ。改名しても微妙にパクリ風味なところがアレですが(笑)。今回も公募だったなら応募作の中には「セツン」とか「セゾソ」とか心ない作品があったに違いない。
ワカモノは知らない往時の繁栄ぶりは、こちら↓の投稿者さんの熱い語りでどーぞ。

●ちょうどおにゃん子クラブが(2004.10.09掲載)
こんにちは。昨日会社のPCで発見してから、帰宅後も午前3時まで読破してしまい、今頃ようやく目が冴えてきました。今は遠く神奈川にいますが、急に帰りたくなりました〜。
昔の大手通ネタは大好きです。80年代がピークでしたでしょうか?
そう、ちょうどおにゃん子クラブが絶頂期の時ですね。セゾンのブックセンターでプロマイドとかかって、ウチヤマのチーズコーンマヨネーズ今川焼きをほおばってました。
俺が小学生くらいのときは日曜日は原宿の竹下通りくらい人がいましたよね!?
いや、大げさじゃなくってまじまじ。
駅につくバスはどれも満員だったもんなぁ。
んで、雪の日とか厚生会館の前のアーケード(がんぎ?)だけ吹き抜けで、コンクリートが微妙に斜めってて更に雪がピカピカ(ミラーバーンですね)になってたもんだから良く人がすっころんでたような気がします。

■すべて今は無く(2004.10.09主宰、こころ残り談話)
たははは、熱読ありがとうございます〜。しかし、ブックセンターもウチヤマも、例にあげられたお店はすべて今は無く。ウチヤマの「雪椿」(マシュマロまんじゅうみたいなモノ)なんかは別の業者が譲り受けて作っているようですが、「チーズコーンマヨネーズ今川焼き」はどーだろー。チョコまりちゃんとともに、ウチヤマ健在のうちに食べておけばよかった幻アイテムのひとつかも。唯一いまも残っているのは、厚生会館前の歩道ツルツルになりがち現象か……。
そして、セゾン無き今の長岡駅にあるものは……↓。

●JR長岡駅構内に掲示されているポスターに(2004.10.09掲載)
「ヤッパ東京ラテ」というキャッチが大書きされたやつが出ているそうです。

●見かけました。(2004.10.09掲載)
長岡駅3番線ホームで見かけました。

●写真を撮ってきました.(2004.10.09掲載)
先日長岡駅に行ったときに発見し,写真を撮ってきました.

■連発らて……。(2004.10.09主宰、グランデ談話)
スタバがナガオカにできたらきっとオーダーミス連発らて……。

●柏崎出身者が代わりに(2004.10.16掲載)
「ヤッパ、東京ラテ。」・・・プライドはないのか、プライドは−!!(怒)
そのセンスの無さと東京志向にダブルで怒りがこみあげます。
柏崎出身者が代わりに怒ってあげました。ぷんぷん。

あと、「長岡弁は語尾に『ガー』がつく」の例文でとっさに思いついたのが「フォー・ガー」・・・って、どうでもいいね、そんなこと。失礼しましたー

■チャウチャウちゃう(2004.10.16主宰、ミミガーでもいいですね談話)
熱い怒りとあったかいベトナムの麺類どうもです〜。フォーのほうは先週の巻頭二行にお寄せいただいたものですね。「それってフォー・ガーのがー?」……って、「チャウチャウちゃう?」っすか(笑)。

●こっころ〜(2004.10.16掲載)
長岡駅ビルセゾンが名称変更になったとのこと。長岡出身の妻とともに、驚いております。ところで、「笑っていいとも」の開始直前に流れていたセゾン提供のお天気予報はどうなったんでしょうか?「せっぞ〜ん」とだけひたすら歌うあの歌ももう聴かれないのでしょう か?(まさか同じメロディーで「こっころ〜」じゃ間抜けだし。)しばらく長岡に行く予定がないので、気になるところです。

■これまた「セゾソ」に(2004.10.16主宰、誘導談話)
これはほんとに気になるところ! 新潟人にとっての「ウキウキウォッチング」のイントロは「せっぞ〜ん」ですからねえ。これまた「セゾソ」にすれば問題なかったのにー! この問題は「ローカルCMアーカイブ」に場所を変えて続報待つ!

●…都会に…(2007.05.13掲載)
長岡駅、大改装中ですよ。
3月末には在来線改札口も自動化!
でもSuica改札はまだまだの様子です。

CoCoLoですれ違った女子高校生が言ってました。
「長岡も都会になったよね〜♪」
…そうかなぁ。 ぼそ。

■掘っ立て改札(2007.05.13主宰、「やなぎ庵」復活しないのかなあ談話)
ついにあのベニヤ板の掘っ立て改札とお別れできたわけですね。Suicaは新幹線に乗ったとき精算できない子なので、長岡駅で導入したらアラーム鳴りっぱなしになっちゃうかも?
「都会」問題については、実は奇遇にもゴールデンウィーク明けの職場で「連休に○○(中国地方の某県庁所在地)に行ったんだけど、今どき駅でキップ切る人がいてびっくりしたよ」という声が。主宰がフクザツな気分になってしまったのは言うまでもなく。。。

new!
●既に自動改札(2007.05.27掲載)
4月に帰省したときは既に自動改札に切り替わっていました。
東京の友人にメールしたら、「何で? それが普通でしょ?」と切り返され愕然としました。ちょっと前までは有人改札だったのに〜!
ところで、新幹線のほうではトラブルが起きやすいので、新幹線で行列ができたときは在来線切り替え→出口改札に向かうと便利ですよ。でもどっちもトラブル起こしやすい気がしますが……。

●Suicaも(2007.05.27掲載)
来年春にはSuicaも使えるようになりますよ。
もしかしたら、セゾ・・・じゃなくてCOCOLOの中でも使えるようになるんでしょうかねー・・・。もし使えるようになると、COCOLOの中にあるフレンドでSuica精算もできたりして・・・。

■Suicaの履歴に「フレンド」(2007.05.27主宰、履歴表示やってる人見たことないですが談話)
続々と進捗状況ご報告ありがとうございます〜。新幹線の在来線改札ウラワザは初耳! Suicaは来年まで待ちですかー。フレンドさんは駅ビルテナントなので、Suica対応確実じゃないかなあ。Suicaの履歴に「フレンド」なんて、ナガオカ人として誇らしい〜(たぶん)。


レースクイーン撮影会
〜日本海側初の聖地

このコーナーには珍しい現役の聖地。水着にストッキングにハイヒールという現実離れしたヴィジュアルで、見る者をしばしバブルの夢にいざなうレースクイーン。その撮影会が、なんとナガオカでしばしば開催されているらしく。

●びっくりするページが(2009.07.12掲載)
一見、単なるグラビア撮影会なのですが、よーく見ると「会場が長岡市」なのです。
かゆいところに手が届くような道案内のページつきです。
あと、撮影会場が、どう見てもW里町にあるK川のH和記念公園です。
ここに、バズーカみたいなレンズをつけたカメラを持った人が集まるのかと思うと、レースクイーンより、そっちの光景のほうをみたい気もします。

■レースクイーン without レース(2009.07.12主宰、眼福談話)
実はコレちょっと前にいただいていたご投稿なのですが、小心な主宰は直近の「H和記念公園」らしき場所での撮影会が過ぎるまで、掲載を待っていたりしたのでした〜。
んでもって、コレを読んで思い出したのが、以前、長岡まつりで帰省していたときのこと。大手通り近くのお店でゴハンを食べていたら、バドガールみたいなミニスカワンピースの、どう見ても素人じゃない美人さんたちが数名入ってきて、居合わせた客たち総ビックリなことがありました。まつりの昼行事のナレコンさんかしらと思っていたのですが、もしかしたら撮影会のモデルさんたちだったのかも!
ぐぐってみると、こんなAll Aboutが。こ、この撮影会、ズバリ上のご投稿のかゆいところに手が届く事務所じゃないですか。にゃるほど、長岡ご出身のかたが仕掛け人のひとりなのですねー。


マルシャン北欧
〜買い食いの聖地

昭和ナガオカの三大ベーカリーを選ぶとしたら、既出のボンオーハシ、青空パンとともに選ばれるであろう地パンの聖地。一等地に構えてファミリー狙いのボン、小中学校給食御用達の青空、買い食い高校生向けマルシャンというみごとな住み分けであった。

●旭屋(2009.10.12掲載)
長岡高校の斜め向かいにあるパン屋。僕が高校生だった頃はすでに「北欧パン」の看板を標榜しておりましたが、地元の皆さんも学生も「旭屋」とずっと呼んでいましたね。

一方で「北欧パン」は上京組には小田急沿線に展開するパン屋としてもなじみのチェーン店なので、1980年代の昔から東京のブランド(本当は必ずしも東京発祥ではないようです)がナガオカに来ていたというのは特筆点ではなかったでしょうか?東京へ出たがるトンガリ長高生にくすぐりを入れる戦略だったのかもしれません…。

旭屋にはもうひとつ名物がありました。自社ブランド「旭屋サイダー」です。その炭酸分の多さから学生たちは「腹一杯サイダー」と揶揄&重宝しておりましたが。ああ、旭屋サイダーが現存していれば、今ちょっとしたブームの「地サイダー」として売り込めるでしょうね。

■半地パン(2009.10.12主宰、コンビニがなかった時代談話)
「北欧」という漢字より、「HOKUO」のロゴが頭に浮かぶこのパン屋さん、HOKUOは全国チェーンですが、「マルシャンHOKUO」になるとナガオカの地パンになるというフシギな展開のようですね。半ローカルとゆーか。

朝のコンビニで高校生が棚のおにぎりやお弁当をイナゴのように買い尽くしていく今と違って、かつての買い食いの聖地はパン屋さんだったんですよねえ。ヨウカンとかコンブとか、なんでそれをパンに挟むんだ的な謎パンなんかもあったり(笑)