草岡神社図録

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  • 石黒信由 倉垣組壱町三分分間絵図(文政10年:1827)
  • 石黒信由 射水郡分間絵図(文政 6年:1823)

  • 江戸末期の分間絵図


    の絵図に草岡神社の名が!

    倉垣組壱町三分分間絵図(文政10年)1827:富山県立図書館提供

    草岡神社(くさおかじんじゃ)と延喜式内 社

     当神社の祭神は大己貴命(おおむなちのみこ と)です。
    御鎮座の年代は定かでないが、社伝には景行天皇40年(110)、日本武尊の東征の際、守護社として勧請されたと伝えられています。

     平安時代には清和天皇貞観9年(867)に、正四位の位を授かると共に、寛治6年(1092)堀河天皇の勅願により、玉依姫命 (たまよりひめ)を祀る山城(京都)下賀茂社に倉垣庄の30町の不輸田を供御田(くごでん) として寄進された。:平安時代から室町末期までの約500年にもわたって御厨(みくりや)(荘園)として、 射水郡倉垣庄内には22の末社加茂社が勧請(かんじょう)され、合祀されたと考えられる。
     草岡神社は創建年代の詳細は不明ですが、国史に明らかな「延喜式内社」射水郡13座の一として、由緒ある神社として今もなお、郷民の 誇りとしてご守護いただいております。

    ○郷村名附帳

    [御領國中 郷村名附帳 草岡神社史 7P]〜天保13年(1842)
    倉垣庄三十八村。
    婦中郡倉垣庄と一庄二郡及び倉垣十八合わせて四十八村

    ○加越能三州地理志稿

    [加越能三州地理志稿 草岡神社史 7P]   天保元年(1830年)頃
    在郡東・統三十八村。 東至婦負郡長沢郷・寒江庄・駒見郷・西大袋庄・南至法内庄・北至海老江大海。

    ○神社明細帳(富山県・射水郡)

    [神社明細帳(富山県・射水郡) 県立図書館蔵 2冊の内2]   富山県神社庁(昭和19年)

    郷社 草岡神社     郷社草岡神社 無格社恵比須社
    一、祭神 大巳貴命
           事代主命
    一、大巳貴命ハ草岡神社ノ祭神ニシテ創立年代不詳ナルモ延喜式内ノ神社ニシテ往古ヨリ草岡郷四十九箇村ノ氏神ナリ明治六年八月郷ニ社列セラル
    一、事代主命ハ古明神村字海岸二百四番地鎮座無格社恵比須社ノ祭神ニシテ由緒不詳右無格社恵比須社ハ維持難相立ヲ以テ合祀方大正十二年十一月三日許可ヲ得大正十二年十一月二十三日合祀執行ス
    一、社殿 本殿 拝殿 幣殿
    一、境内 千百十五坪 官有地第一種
           千百六十三坪 民有地 二年5月10日 三内報 局第一号
    一、氏子 八十六戸

    ○特選神明牒

    [特選神明牒 544P] 大正14年10月1日発行
    草岡神社
    祭神 大巳貴命
    祭日 今四月九月並三日
    社格 郷社
    所在 古明神村(射水郡堀岡村大字古明神)

    ○越の下草

    [越の下草 三 53P] 流布本:宮永正運・正好(安永7年〜8年稿:現在の小矢部生まれ)  
    射水郡十四座
    一、草岡神社 破戸村
    右四座 神職関越後守

    [越の下草 三 81P]
    射水郡
    式内神社
    草岡神社 倉垣庄破戸村 神職 同

    ○越中志微

    [越中志微4 441P]加賀末〜明治初期 森田柿園(1823〜1867)
    ○加茂神社 破戸村。貞亨二年由来書(1685)に、射水郡破戸村加茂大明神者、山城國加茂より勧請之由申傅。別宮・末社等之舊 跡多、社寺夥敷。住古者大社にて、本社山城の賀茂の如く流鏑馬等相勤、神事儀式有之由。延寶六年七月十日御尋之比も、 右之段々書申上候。高岡稲荷神社関氏より書出し今以兼帯す。○康正二年(1456)造内裏段銭國役引付に、七貫文鴨社領、越中國 倉垣在段銭。と見えたれば、いにしへは此邊の村々の産土神まづは加茂も祭れるも、倉垣庄内彼神領なりし故なり。此破 戸村は小杉村のつづきにて、社寺凡そ一萬歩餘老樹繁茂し、實にいにしえ大社なりしさまいちじるし。先年より當社と同 庄古明神村の社と、式内草岡神社なりと争論に及べり。但し争論未決にて定まらず。按ふに、此破戸の社は、元よりの賀 茂明神なる事いちじるしく。然るを式社の草岡神社なりと云出るは、全く舊神官の奸計なりといへり。

    [越中志微4 446P]
    ○加茂神社 古明神村。○文政社號帳に、古明神村賀茂社。祭神別雷命とありて、同郡作道村の神主宮川氏の兼勤社なり。 是もいにしへの加茂領なりし頃、祭りたる社なるべし。m式内草岡神社は地名なるべけれど、今村名等絶たるにより、同庄 破戸村の賀茂神社と、此古明神村の社と互いに争論に及ぶといへども、證據なき故、舊藩中未決にて定まらずと云。


    [越中志微4 446P]
    ○明神濱 此地は放生津より海老村へ行間の海濱にて、此濱邊に古明神村・新明神村・明神新村などいへる村落竝あり。古 明神村の産神加茂明神は舊社にて、いにしへ大社なりし故に、此濱をば明神濱と呼び、村名にも明神とは呼べるなるべしと いへり。元禄十四年(1701)の郷村名義抄に、承応三年(1654)に明神濱之内用水堀切候處の岡に新村相立、堀岡新村と稱すとあり。能登鳳 至郡諸橋村次郎兵衛傅書に、前田利家卿魚津在陣の時、織田信長公の變事に付け、魚津より御馬入の時分、海老江明神より 放生津迄船に被為召とある海老江明神は、明神濱の事なるべし。此地海老江村と継きたるなり。

    ○神名帳考証

    [神祇全書第一巻 322P] 明治41年12月2日発行
    射水郡十三座 大一座、小十二座・・・
    ○射水神社 ○道神社 ○物部神社 ○加久弥神社二座 ○久目神社 ○布施神社 ○速川神社 ○串田神社 ○箭代神社
    ○草岡神社 彦坐命 姓氏録云、日下部宿禰 、彦坐命之後也
    ○気多神社

    ○越中國神社志料

    [神祇全書第五巻 164P]
    草岡神社
    延喜式巻十云、越中國射水郡草岡神社、
    神明帳考証巻六云、草岡神社 彦坐命 姓氏録云、日下部宿禰 、彦坐命之後也
    越乃下草巻三云、草岡神社 倉垣庄破戸村
    神社覈録巻三十九云 草岡神社 祭神在所等詳ならず、
    神祇志料巻十五云、草岡神社、今古明神村にあり、凡其祭四月九月三日を用ふ、金澤縣神社取調帳、新川縣式社調帳

    ○越中國式内等旧社記

    [神祇全書第五巻 146〜148P] 奥書 承応年間(1652〜1653年) 寛永16年絵図(1639)
    表書きに越中國式内等旧社記は著者詳ならざれと承応年中に成れることは奥書に伝りて明なり本書は前田侯爵家の蔵本を伝つ底本とする。
     承応年間(1652〜1654年)時の天皇は後光明天皇。将軍は四第徳川家綱。射水郡の統制は加賀藩の第4代藩主前田綱紀(1643〜1724)。

    射水郡之分
    一、草岡神社 式内一座、阿努庄内一刎村外山地内草岡山鎮座。今草岡山神明-
    一、
    倉垣加茂神社、倉垣戸破村鎮座、 戸破加茂明神- 、舊傳伝、倉垣庄往古山城賀茂領地也。故勧請伝、又倉垣庄内、古明神村、 加茂神社- 、並舊社也、

    【意訳】古明神村加茂社が戸破加茂社と並んで旧社であることを伝えている。又京都賀茂神社(草岡神社は下賀茂 神社)の社領(庄園)となることから大己貴命(おおむなちのみこと)を主祭神として下賀茂神社の祭神・水の 神様玉依姫命(たまよりひめのみこと)も祀ったと考えられる。
     玉依姫命は初代神武天皇(じんむてんのう)(紀元前660年)の母に当たる。

    文化8年(1811)に奉納された棟札 棟札に主祭神の大己貴命の他に、『玉依姫』が記されている この棟札は文化8年以前のものと考えられる(時代不詳) 棟札に加茂大明神社の名がみえることから、草岡神社とも加茂神社とも言われた由縁であろうと考えられる。
    江戸末期の2枚の棟札(草岡神社奉賛会所蔵)

    ○宝暦社号帳

    [宝暦社号帳 宝暦10年幕府に報告] 奥書 
     江戸初期 宝暦9年(1659年)8月、幕府の大目付は諸国の大小の神社取り調べを通達した。
    加賀藩では加越能三州諸郡村々の神社を取調神官・社人社僧山伏等により自分奉仕社及び兼勤社とも書き出され た社号神号を宝暦社号帳とう。射水郡内517社が記録されている。現草岡神社・戸破加茂社・小杉三ケ加茂社(下 記)とも加茂大明神と呼ばれていたようである。 古明神村産神の加茂大明神の下に”草岡神社”がみえる。加筆したものとすればだが残っているのは白黒であ り判断できない。
      江戸中期から後期にかけて国内では国学や復古神道が盛んに論じられその影響下にあり、式内社の威厳が論じら れ神官・産子は競って我田引水しようとする動きが多くなった。
     加賀藩は文政7年(1824)、「領内神社祭神等従来混雑いたし候義等」が見受けられるので4名の 神職を役職”三州社号調理方主付”に任じ、神社行政の整備に事を当たらせた。 藩は祭神の義において難相決議も予想され、上田・高井両神職を全国神祇道の総元締の吉田家 の指導を仰ぎ、藩の神社台帳(社号帳清調理)がつくられた。
    天保3年から15年(1832〜1844年)に「社号調理方凡例之覚」が附加され神社奉行所に提出されている。 調理の内容は、幕府への報告がなされた、宝暦10年(1760)の社号調理を元とし社号・社格・祭神・ 神職の官位・名乗り等多義にわたり、理由もなく確定している事への変更は藩の威信にかけ厳しく 詮議された。

    草岡神社 戸破加茂神社・三ケ加茂神社
    加賀藩が幕府に報告した宝暦社号帳


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