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ブレア・ウィッチ・プロジェクト
1994年10月。
メリーランド州バーキッツヴィルの森近辺で、
魔女伝説のドキュメンタリーを撮影していた映画学校の生徒3人が行方を絶った。
1年後、彼らのフィルムだけが発見されるが、
そこには森の中の魔女の姿に怯える彼らの姿が映されていた。
わずか700ドルという制作費でありながら、全米公開5週目で興収1億ドル突破したという作品。
2台のハンドカメラで撮影したドキュメンタリータッチのホラー映画で、
アイデアとしては面白いと思いますし、観客に恐怖を体験させることだけに目的を置くのなら
こういう作品もアリかなと思うのですが、これを1本の映画として考えると、
決していい出来ではなかったように思います。
4日で撮影を終了して帰るつもりが8日間カメラを回し続けていたという設定に、
どうしても無理を感じてしまいました。
それほどのバッテリーやビデオテープを持ちこむくらいなら、もっと食料を持ってくるんじゃないかとか、
あれほどの極限状態でカメラを回し続けられるだろうかという疑問が沸いてくるのです。
そのことについてどんな理由づけをしようと、観ている者が観ている最中にそれを感じとってしまったら、
その手法はある意味で失敗だったと言えると思います。
出演者の撮ったビデオカメラだけの画像作品という斬新さを売りにしていますが、
すでに私は同じ手法の『〔FOCUS〕』という作品も観ているので、
それほどの斬新さを感じられませんでしたし、『〔FOCUS〕』の方はその手法を用いながらも
きちんと起承転結のあるエンターテイメント作品として成り立っていたので、
どうしても作品としての完成度を比較してしまうのです。
レベル3
ビデオテープを発見した大学教授という人は、あの森から無事に戻って来れたのですね…不思議。
エンド・オブ・デイズ
1999年12月、ニューヨーク。
妻子を無くした後、苦悩と悲しみを背負いながら民間の警備会社でVIP専門のガードマンをしている
ジェリコ(アーノルド・シュワルツェネッガー)は、ウォール街のビジネスマンのガードを担当することになる。
任務中に突如ビルの屋上から何者かに狙撃されたジェリコは、
その狙撃犯を追跡して地下鉄構内で追い詰めるが、そこで炎が渦巻く異常現象を目撃し、
「1000年の時は終わりに近づいた。サタンが牢獄から解き放たれる」という不可解な言葉を聞く。
犯人を捕らえ、警察に引き渡した後もこの不可解な事件が気になったジェリコは独自に調査を開始するが、
そこには1000年を支配するため地上に降り立ち、人類滅亡という最後の審判が下される瞬間を
待ち受けているサタン(ガブリエル・バーン)の存在があった。
1999年の大晦日の話を1999年12月25日に公開するという大胆さ。
タイムリーと言えば実にタイムリーには違いありませんが、
大晦日を過ぎてからこの映画を観て、どういう意味があるのか疑問です。
1996年に公開された『ストレンジ・デイズ/1999年12月31日』のように、
少し先の予測のつかない未来を見せるからこそSFは面白いのであって、
リアルタイムのSFなどそれほど面白いとは思えないですし、
ましてやその日を過ぎてしまったものなど意味なしのように思えてしまうのですが。
しかし、それだけではなく、この作品のストーリーは強引で惨憺たるものでした。
150億円の巨費を投じて製作された史上空前のSFXスペクタクル・アクション巨篇と銘打って
このような子供騙しのような映画を見せられてはどうしようもありません。
あえて見所を言うなら、CGで見せられる映像の凄さではなく、
サタン役のガブリエル・バーンの演技でしょう。
シュワ演じるジェリコの家で、彼に亡き妻と子の幻影を見せながらクリスティーンの居所を尋ねるシーンは、
まさにガブリエル・バーンの一人舞台といった感じ。
彼の上手さをひしひしと感じることの出来る、見ごたえのあるシーンでした。
レベル2
ターザン
難破船からかろうじてアフリカジャングルにたどり着いた英国貴族の夫婦と、その乳飲み子がいた。
彼らは高い木の上に小屋を建ててそこに住みつくが、やがて夫婦はヒョウのザボーに殺されてしまう。
残された乳飲み子を見つけたのがゴリラの群れを率いる厳格なボス、カーチャックの妻カーラ。
生まれたばかりの子供をやはりサボーの犠牲にしてしまったばかりだったカーラは、
見つけた子供に“ターザン”と名付け、自分の子供として育てることにする。
カーチャックは明らかにゴリラとは外見が異なるこの未知の動物を、家族の一員とは認めなかったが、
カーラの愛に支えられたターザンは、厳しい鍛錬によって優れた知性と運動能力を持った青年に成長した。
ある日、森に一発の銃声が鳴り響く。
ターザンが音をたどっていくと、そこには初めて見る“自分と同じ姿形”の動物がいた。
それはゴリラの研究のためにイギリスからやってきた動物学者のポーター教授とその娘ジェーン、
そしてガイド役を務める冒険家のクレイトンだった。
2000年のお正月映画の中では一番の期待作でしたが、思ったほどの満足感は得られませんでした。
ディズニーは、新しい作品を発表するごとにそのアニメーション技術は素晴らしくなって行き、
今回の躍動感があふれる映像もかなりのものでしたし、
バックに流れるフィル・コリンズの歌もストーリーを盛り上げるのにとても効果的だったと思います。
前半の、ゴリラに拾われて育てられた人間が体力的にかなわない仲間のゴリラの中で
努力して追いついていくというターザンの成長を描いた部分には、素直に感動して泣けました。
しかしジャングルの中でジェーンに出会ってからのくだりが、駆け足で見せすぎている感があります。
ディズニーアニメではお約束の90分という短い時間の中で色んなエピソードを詰めこみ過ぎたため、
一番肝心なラストの落とし方が安直になってしまい、見終わった時の満足感を得ることが出来なかったのです。
いっそのこと、後半のクレイトンの裏切りのエピソードをごっそりと削ぎ落として、
ターザンとジェーンとの恋愛部分をもっとじっくり見せて欲しかったように思います。
前作『ムーラン』で大いに感動し、“大人も楽しめるアニメーション”を期待していた私には、
ディズニー映画お約束の悪役の登場により、ストーリーがあまりにも子供向けになってしまって
少しがっかりしてしまったのです。
レベル3.5
ジャンヌ・ダルク
1412年のフランス。
ジャンヌ・ダルクはドンレミ村で小作農の末娘として生まれた。
英仏百年戦争のまっただ中、イギリス軍の兵士に両親を殺され、
自分を身代わりとなって目前で姉を殺された13歳のジャンヌは、密かに神への帰依を誓うのだった。
時は流れ、17歳になったジャンヌ(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は
神の声を受けてシノンの城にいる王太子シャルル(ジョン・マルコヴィッチ)のもとへと向かい、
オルレアンの敵の包囲を解くために自分に軍勢を与えるように申し出る。
予言によってその少女の出現を待っていたシャルルの義母ヨランド・ダラゴン(フェイ・ダナウェイ)は、
彼女を神の使者だと認め、軍を率いることを許した。
劣勢であったフランス軍だったが、彼女の出現で勢力づき、劇的な勝利を収めることとなる。
フランス軍を導いた女性“ジャンヌ・ダルク”という名前は知っていましたが、
彼女が17歳の少女だということは初めて知りました。
これがジャンヌ・ダルクという歴史上の人物の半生を知るために観る映画だとすればOKだと思います。
しかし“17歳の少女が神の声を聞いてフランス軍の先頭に立ち兵士を導いた”と伝えられている
ミステリアスな事実を、観客に納得行く伝え方をしているかと言えば、そうではありません。
王太子シャルルの前に突然現れて、軍を率いることを許された17歳の娘に、
最初反発していた兵士たちがやがて従っていく気持ちの変化が明確に描かれていないのです。
大勢の兵士たちを導いていった女性の話といえば『ムーラン』を思い出します。
『ムーラン』では、とても分かりやすくそれを説明していたのに比べれば、
この作品は少々不充分であったように感じました。
また、フランス人の伝記的なストーリーを英語で演じさせる、という部分には目をつむったとしても、
読み書きも出来ない貧しい家庭に育ったフランス人の娘が、
英語で英国軍兵士と会話するといったシチュエーションはリアリティに欠けてしまっています。
勝利したジャンヌが町を解放するシーンまでは退屈を感じずに観ることが出来たのですが。
やはりトータルで2時間37分という時間は長過ぎで、
ラストでジャンヌが投獄され自分の良心と対話をするシーンでは、少しダレてしまいました。
レベル3
ランダム・ハーツ
ワシントンD.C.の警察官ダッチ(ハリソン・フォード)は、墜落した飛行機に妻が乗っていたことを知るが、
妻は偽名を使って別の男性とその飛行機に搭乗していた。
妻も相手の男性も死んでしまったあと、ダッチはそれまでの妻の行動を追うべく、独自に調査を開始する。
やがて、相手の男性が再選を目指して選挙運動中の下院議員ケイ(クリスティン・スコット・トーマス)の
夫であることを知ったダッチは、彼女に接触した。
そして亡くなった彼らの足跡を追ううち、ダッチとケイの間にいつしか愛情が芽生える。
この作品の宣伝文句“超一級サスペンス・ラブストーリー”に騙されてはなりません。
宣伝用のチラシには「罠なのか?」という言葉が用いられていますが、罠なんかどこにもありません。
この作品を一言で言い表すなら“偽ミステリー”。
もうちょっと言いかえるなら“ミステリーもどきの恋愛映画”と言ったところでしょうか。
下院議員の夫と警察官の妻が不倫旅行している最中に飛行機事故で死んだというイントロは、
主役のふたりが出会うためのシチュエーションに一枚噛んでいるだけに過ぎません。
この作品はミステリーでもサスペンスでもなく、心に同じ傷を負った男女のただのラブロマンスなのです。
しかし、百歩譲ってこの作品を“ただのラブロマンス”として観たとしても、
その出来はとても誉められたものではありません。
自分の妻であり、夫である人が不倫をしていたことを知り、
その現実をひとつづつ実感させられていくうちに、やりきれなくなってキスを交わす…
この感覚が私にはどうしても理解出来ないのです。
そして、彼らはお互いの心の拠り所を求めて惹かれ合いますが、
ダッチにもケイにも人間的な魅力を表す描写がほとんどないので、その理由にも説得力がありません。
ダッチもハリソン・フォードではなく、ただの頭の薄い太ったおじさん役者が演じていれば、
ケイは絶対に好きにはならなかったはず。
ケイに対するダッチの想いも、また同じです。
理由もなく何となく好きになってしまうとか、お互いに一目惚れしてしまうとかは
現実の世界ではよくある話かもしれませんが、映画ではふたりのうちどちらか片方に明確な理由がないと、
観ている側は納得出来ないものではないでしょうか。
映画の中に出まくっているシドニー・ポラック監督は、一体何が撮りたかったのでしょう。
スカスカのストーリーで、2時間12分。お粗末でした。
レベル2
ハリソン・フォードのピアスも似合わな過ぎだし。
ファイト・クラブ
高級なコンドミニアムで気に入った物たちに囲まれて暮らしていたジャック(エドワード・ノートン)だったが、
出張から帰ると自宅は家事で全て焼け尽くされていた。
身ひとつになったジャックは、飛行機で偶然隣に座った男タイラー(ブラッド・ピット)を頼り、
彼の荒れ果てた部屋で同居生活を始めることとなる。
ジャックとは全く正反対で物質に左右された生活を嫌うタイラーは、
素手で殴り合うことによって人間性を開放出来るのだと論じ、
共感したジャックと共に『ファイト・クラブ』という秘密クラブを結成する。
『ファイト・クラブ』は週に一度集まり、素手で殴り合うことによって
新しい自分に目覚めようとする男たちで一杯になった。
しかしタイラーは次第にエスカレートし、メンバーを組織化してテロ行為を行い始める。
アウトローたちがやりたい放題やっているだけの映画に思えたものが、
最後まで見た時にそのストーリーがとても奥が深くて面白いものであることが分かります。
若手演技派俳優エドワード・ノートンとブラッド・ピットの演技合戦も見ごたえがあり、
アカデミー賞2度のノミネートで充分にその実力を認められているノートンはもちろんのこと、
特に今回、徹底的なワルをブラッド・ピットが嬉々として演じているのが印象的でした。
ワルなのにカッコいいというより、ワルだからこそ余計にカッコよく見えるのは何故なのでしょう。
何歳になっても“正義の味方”をやりたがるナルシストのおじさん俳優たちに少々げんなりしている私は、
プラッド・ピットやノートンのような、ワルの役まで充分こなす若手俳優たちがとても魅力的に見えます。
しかし、私はこの作品を生理的にどうしても受け付けることが出来ませんでした。
格闘技が苦手な私は、人が殴り合っている姿を見せられるだけで悪寒が走ってしまい、
人間の体液系、汚物系を見せられることにも弱いため、見ていて気分が悪くなってしまいました。
ここまで人を不快に出来る映像を作ることが出来るデビッド・フィンチャーは、
やはり、ある意味すごい監督なのかもしれません。
この作品にはサブリミナル効果が用いられていて、劇中数ヶ所に瞬間ブラッド・ピットの姿が映し出されます。
一見、何の意味も持たないようなカットですが、実は重要な意味があることが、ラスト近くで分かります。
『シックス・センス』のように、もう一度観るとかなり印象が変わる作品なのでしょうが、
あの後味の悪さは、私はもう二度と体験したくありません。
好き嫌いがはっきり分かれ、映画マニアには好まれる作品でしょうが、一般ウケはしないと思います。
少なくともデートで観るのはやめておいた方が無難でしょう。
レベル3
ブラピがカッコ良過ぎて、彼氏がカタナシ…ということにもなりかねませんしね。
アナライズ・ミー
父のあとを継ぎニューヨークで絶大な権力を握るマフィアのボス、ポール(ロバート・デ・ニーロ)。
彼は最近、ストレスからくる“パニック症候群”に悩まされていた。
緊張した場所に出ると、突然心臓発作を起こし呼吸が苦しくなるのだ。
2週間後のマフィアの総会にまで病気を直さなければ、彼はボスの座を追われることになる。
悩んだ彼は、精神分析医であるベン(ビリー・クリスタル)の元を訪れた。
ベンは有名なマフィアのボス、ポールがやってきたことに震え上がるが、
セラピーを断ることも出来ず、しぶしぶそれを受けることとする。
しかし、結婚式を控えた婚約者ローラ(リサ・クードロー)と訪れたマイアミのホテルにまで
ポールのファミリーが押しかけ…
どんな役でも精力的にこなすデ・ニーロですが、あのアクの強さはコメディ映画には
ちょっと向いていないような気がしました。
デ・ニーロがおいおい泣いている姿を私は面白いと感じられず、逆に興ざめしてしまったのです。
この作品は『ゴッドファーザー』で、マフィアのボスを演じたデ・ニーロをパロったもので、
実際にそういうシーンも盛りこまれているようですが、
『ゴッドファーザー』を観ていない私には、その面白さが理解出来ませんでした。
しかし、ビリー・クリスタル演じるベンがマフィアに振りまわされて行く様はとても面白く、
セラピストであるはずの彼が、そのせいでセラピーを必要とするほど追い詰められていく
ブラックなユーモアセンスは、かなり気に入りました。
この作品は、視覚的に笑わせる部分より、会話で笑わせる部分が多きを占めています。
そのため、原語で会話の全てを理解出来ない私にとっては字幕が命となるわけですが、
何と、この作品の字幕はお世辞にも会話のセンスを心得ているとは言い難い方が担当されているのです。
これでは、笑えるはずの作品も笑うことが出来ません。
配給会社も、その辺りをもう少し考えてもらわないと、楽しめる作品も楽しめなくなってしまいます。
ラストシーンも、あまりにも上手くまとめすぎ。
面白いのですが、あと一歩のところで何かが足りない感じ。
もう少し、毒が欲しい作品でした。
レベル3
あの字幕翻訳の彼女、早く引退してくれないかな…
トーマス・クラウン・アフェアー
ニューヨークで投資会社を切り回す大富豪トーマス・クラウン(ピアース・ブロスナン)。
欲しいものは金で何でも手に入る彼が、スリルだけを求めて美術館から時価1億ドルという
モネの絵画を盗み出した。
盗まれた絵に掛けられていた保険の会社から派遣された調査員、キャサリン(レネ・ルッソ)は、
その手口から、この犯行が金目当てのものでないことと、モネ愛好家のトーマスの仕業であることを見破り、
彼に対して挑戦状を叩きつけるべく、彼に近づいてその真意を暴くと宣言する。
キャサリンの兆発に心惹かれたトーマスは、絵画と恋愛でもって、彼女との駆け引きを開始する。
『華麗なる賭け』のリメイク作品。
最近の『007』シリーズでお馴染みのピアース・ブロスナンと、
『リーサル・ウェポン』シリーズのレネ・ルッソとの共演なのですが、
この二人が並ぶと面白いくらいに画が古くさくなり、本当に昔の作品を現代版にリメイクしたのか
疑問に思えてしまうほど。
トーマス・クラウンが鮮やかな手口で時価1億ドルという絵画を盗むシーンは面白いのですが、
大金持ちの彼が、買おうと思えば買える物をスリルだけを求めて盗む理由が今ひとつ理解しきれず、
ただ嫌味な金持ちにしか見えないのが残念でした。
完璧過ぎるトーマス・クラウンには、“お茶目さ”が欠けているのです。
そんなトーマスのイメージを壊すべく、彼が精神分析医にかかっている…という
シーンが折りこまれていますが、それも彼の輪郭を表すのには中途半端な気がします。
彼に絡む保険会社の調査員キャサリンも、お色気だけで彼を悩殺しようとしている自信過剰の嫌な女に見え、
どうしても二人の恋愛話に同調したり、のめり込んだりすることが出来ません。
…というか、どうしてふたりが惹かれ合うのかがよく分かりませんでした。
キャサリンはびっくりするようなスケスケドレスでトーマスを誘惑しますが、
あれほどの男性が、あれしきのことでコロリといってしまうものなのでしょうか。
キャストがレネ・ルッソでは、それだけの毒牙を持った女性には思えないのです。
同じ美術品専門の泥棒と保険会社の女性調査員の話と言えば、
少し前に『エントラップメント』が公開されたばかり。
ラストシーンのしょぼさに目をつむり、泥棒と女性調査員の駆け引き、という点だけで比べてみれば、
『エントラップメント』の方が面白かったように感じました。
レベル3
プリティ・ブライド
‘USAトゥデイ’紙のコラムニスト、アイク・グラハム(リチャード・ギア)は、
女性を批判したコラムを書き続け、アメリカ中の女性から敵視されていた。
ある日、彼はバーで逢った男から、メリーランド州の田舎町ヘイルに住み、何度も婚約を繰り返しては
挙式の最中に花婿を置き去りにして逃げ出す女性マギー・カーペンター(ジュリア・ロバーツ)の話を聞き、
取材もせずに“男を食い物にする女”と、彼女を痛烈に批判した記事を書く。
ところが、当のマギーが新聞社に抗議の手紙を送りつけたために、
アイクはでっちあげの記事を書いたとして編集長のエリーにクビを言い渡されてしまった。
ジャーナリストとしてのプライドで、アイクはフリーライターとしてヘイルに乗り込んでマギーの取材を開始する。
しかし、“男を食い物にする女”というイメージにはほど遠い無邪気な女性マギーに出会い、
取材を続けていくうちに、アイクは彼女に惹かれていく。
ジュリア・ロバーツ主演の恋愛映画『ノッティングヒルの恋人』と公開時期が似ていたため、
どちらの作品が好きか?という質問と、その答えを頻繁に耳にしました。
ただジュリアが主演している恋愛映画、というだけではなく、
『ノッティングヒルの恋人』で彼女が演じた大女優アナと『プリティ・ブライド』のマギーには共通点があります。
それは、それまで出会った男性たちが、みな彼女を誤解していて、本当の彼女を知らないということ。
そして、そんな彼女の本当の姿を見つけ出して愛していくのが
『ノッティングヒルの恋人』でヒュー・グラントが演じたウィリアムであり、
この『プリティ・ブライド』でリチャード・ギアが演じているアイクであるのです。
結局、観ている女性はどちらのジュリアに憧れるかということであり、
ウィリアムとアイクのどちらに惚れるかということで、どちらの作品が好きか決まるのではないでしょうか。
私は断然アイクの方に惚れたので『プリティ・ブライド』の方が好き。
この作品は、一生を決めてしまう結婚に対して、直前になって不安になる女性の気持ちが、
とても上手く描かれた作品だと思います。
過去に3回も結婚式をドタキャンしたマギーは、相手の男性を本当に愛していたわけではありません。
女性なら誰でも心の中に持っている“結婚式”に対する憧れと、
「愛されているから幸せになれるに違いない」という気持ちと、
酒浸りの父親から逃れたいがために、安易に結婚を決めてしまったのでしょう。
とは言っても、最初の結婚式は10年前…ということもさりげなく語られているので、
彼女が何も考えずに次々と相手を変えて行ったというわけではない、という背景の作り方も上手いと思いましたし、
彼女の上辺だけを見て簡単に惚れてしまった男性たちは、
結婚式から花嫁に逃げ出されても、追いかけることすら出来ない…というところに、
結婚を単なる“夢”としか受けとっていなかった彼らの甘さも上手く表現されていたと思います。
主体性のないマギーは、相手の男性に合わせてコロコロと変わることが出来ます。
でも本当の彼女は、金物でオリジナルのランプを作るデザインの才能を持った女性。
彼女の上辺だけを見て簡単に惚れてしまう男性たちと違い、
アイクはそんな彼女の真の素晴らしさに気づいて惹かれていく…というくだりがとても好きです。
噂のタネにされながらも、結局は父親のために小さな町を抜け出すことが出来ない彼女の気持ちも
とてもよく分かりました。
そして、笑いのタネにされることも本当は嫌なのに、嫌な顔をすることが出来ない彼女を理解し、
守ってくれようとしたアイクに、今までに出会った男性たちにはないものを感じて
知らぬ間に惹かれていく気持ちも。
超自己中心的なマギーに共感できない人も多いかもしれませんが、
私自身がマギーに似ているところがあるので、私は大いに共感しましたし、
マギーと同じように、きっとアイクのような男性に惚れてしまうのだと思います。
レベル4
シックス・センス
かつて自信満々で多くの子供の心を癒してきた児童精神分析医・マルコム(ブルース・ウィリス)は、
ひとりの少年を救うことが出来ずに死なせてしまってから、すっかり自信を喪失していた。
そんなマルコムが、8歳の少年コール(ハーレイ・ジョエル・オスメント)と出会う。
母親と2人暮らしのその少年は、始終何かにおびえ、かたくなに心を閉ざして独りぼっちだった。
コール少年を救うことで、マルコムは過去の自信を取り戻そうと、必死の努力で少年の心を開こうとする。
やがて、マルコムが自分の弱さをさらけ出して少年に向き合ったとき、
少年は初めてマルコムに心を開き、自分の秘密を打ち明けた。
観客を怖がらせる作品をホラーと呼ぶならば、この作品はホラーとは言い難いでしょう。
普通の人間にはない“第6感”と言われる能力を持ってしまったために怯える少年と、
自分の息子の理解し難い言動に困惑する母親、
そして少年の心の病を治すことで、過去に犯した失敗から自分自身も立ち直ろうとする児童精神分析医。
この3人の、ぶつかり合う気持ちの表現が見事で、かなり泣いてしまいました。
特に、少年が母親に自分の秘密を打ち明けるシーンでは、
それまで心の中にあった大きなわだかまりを、消し去ることが出来たことの喜びと
自分が相手を理解していなかったことに対する後悔が複雑に絡んだ母親の気持ちが伝わって来て、
涙が止まりませんでした。
ハリウッド映画というのは、大抵自分が予想した通りにストーリーが運ばれていくものですが、
この作品に関しては、全く先を予想出来なかったスプリクトと、それを助けた演出に感服です。
史上最年少のアカデミー主演男優賞候補とまで言われている
少年役のハーレイ・ジョエル・オスメントの演技の上手さは語るまでもありませんが、
この作品では、あの、こわ面のブルース・ウィリスが始終優しく柔らかい表情をしていて、
今までに観た彼の作品の中で一番素敵に見えました。
リピーターが続出しているというのにも、充分納得出来る作品です。
私も観終わった後、すぐにもう一度観たくなりました。
レベル5