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シンプル・プラン
雪が深く積もった大晦日、父の墓参りに出かけたハンク(ビル・パクストン)と、
兄のジェイコブ(ビリー・ボブ・ソーントン)、ジェイコブの悪友ルー(ブレント・ブリスコー)の3人は、
森の奥深くで雪に埋もれていた、墜落したセスナ機を発見する。
パイロットは既に死亡、機内には440万ドルの現金が入ったバッグが残されていた。
咄嗟の判断でそれを盗んでしまおうと持ちかける、ジェイコブとルー。
最初は反対していたハンクも、最後にはその金を持ち帰り、事件の様子をうかがうことに同意する。
金の全額をひとりで預かったハンクが、自宅で身重の妻サラ(ブリジット・フォンダ)にその金を見せると、
サラは、盗んだことがバレないように、ジェイコブたちには内緒で金の一部を機内に戻すことを提案した。
彼女の入れ知恵通り、翌日ハンクは金の一部を機内に戻しに行くが、それを知人に見られてしまうのだった。
もしも平凡な生活をしている人間が、誰にも気付かれないような場所で
440万ドル(約5億円)もの大金を拾い、それが誰にもバレないという確信が持てるとするなら、
瞬間的にそれを自分のものにしてしまいたいと思わず考えてしまうのは、
それほど異常なことではないような気がします。
『大金を手にする夢を見る』ということや、『魔がさす』ということは、人間誰でもあることですから。
ただ、本当にそれをしてしまった時、そのお金でその人が幸せになれるか、というのは疑問です。
あとは、自分の良心との戦いになるはずですし、
一生罪の陰に怯えながら生活していかなければならないでしょう。
しかし、大金を目の前にして舞い上がっている時には、
そんなに先のことまで考えられない、というのも分かるような気がします。
最初は小さな出来心だったのに、嘘を隠し、自分を守るために別の罪を犯し、
その罪を隠すために、また別の罪を犯してしまう。
そして、気付いた時には、泥沼にずっぽりハマって抜けられなくなっている・・・・・。
平凡な人間の心の奥に潜む『愚かさ』『ずるさ』『欲望』などの、どす黒い部分の描写が見事で、
そのリアルさに寒気がしたほどです。
普通に暮らしていたはずの人間がどんどん狂っていく様を見せられるのは、
カマを持った殺人鬼に追い回されるだけの映画を観るよりも、何倍も恐ろしく感じました。
さすが、ベストセラー小説の映画化とあって、そのスプリクトの面白さはサスペンス映画の中でも
群を抜いていると思います。
最後まで緊張感を失うことなく、スクリーンに引き付けさせる演出も素晴らしく、
この作品でオスカーにノミネートされたビリー・ボブ・ソーントンを始めとした
役者たちの確かな演技力も手伝って一級品のサスペンスに仕上がっています。
レベル4.5
アイズ・ワイド・シャット
医者のビル(トム・クルーズ)は、結婚9年目の妻アリス(ニコール・キッドマン)と7歳の娘と、
裕福ではあるが刺激のない、平凡な日々を過ごしている。
ある日、ビルはアリスと共に、友人宅で行われたパーティに出掛けた。
しかし、そこでのビルの行動がアリスに思わぬ誤解を招き、
嫉妬とマリファナで自己抑制が効かなくなったアリスは、ビルに“ある告白”をする。
それを聞いてショックを受けたビルは、夜の街をさ迷い、不思議な世界へと誘われる。
巨匠スタンリー・キューブリックの遺作。
実生活でも夫婦であるトム・クルーズとニコール・キッドマンが夫婦役を演じています。
私は、キューブリック作品をまともに観るのは、この作品が初めてでした。
あの『2001年宇宙の旅』にも2度ほど挑戦しましたが、途中でリタイア。
『時計じかけのオレンジ』も『フルメタル・ジャケット』も未見です。
ですから「キューブリックの過去の作品と比べて・・・」という見方は一切出来ず、
この監督の“巨匠”と呼ばれる所以を探りながら、極めて純粋な目でもって
初めて彼が描く世界を体験したのでした。
宣伝ではR−18(18歳未満入場禁止)が前面に出過ぎているため、
そのエロティシズムを期待して観に行こうと思っている人たちがどれだけいることか・・・・。
しかし実際には、R−18という言葉ががイメージさせるほど
過激なエロティックなシーンはありません。
恐らく、R−18の対象となったのは、ビルが紛れこんで行く乱交パーティのシーンなのでしょう。
しかし、それはどちらかと言えば不気味さばかりが前面に出ているもので、
とても“エロス”を感じさせるものではありませんでした。
観る人によって幾とおりにも解釈が変わってくる、というのがこの作品の特徴ですが、
私が考えるには、この作品のテーマは普遍的な夫婦の愛とつながりだと感じました。
オープニングのトイレのシーンが、9年間の生活を経て来た夫婦の現状。
それが、ひとつの猜疑心が生んだ出来事がきっかけで、
今まで見えなかったものや、見ようとしなかったものが見え、
結果、ふたりの関係がどう変化していくのか・・・そんなことを描いた作品だと思うのです。
この作品では、夫・ビルの視点で語られているエピソードがほとんどのため、
ニコール・キッドマンの出演が思ったより少なかったのが意外でした。
しかし、印象に残ったのはキッドマンの上手さでした。
観終わった時には消化しきれないものを感じていましたが、
時間が経つにつれて、自分の中でだんだんと評価が高くなっていく、不思議な作品でした。
レベル4.5
交渉人
シカゴ警察でトップの手腕を誇る人質交渉人ダニー・ローマン(サミュエル・L・ジャクソン)。
しかし彼はある日、何者かの罠にはめられて相棒の刑事を殺した罪と、
警察内の年金横領罪の濡れ衣を着せられてしまう。
警察内に真犯人が居ると睨んだ彼は、警察ビルに人質をとって立てこもることで、
真犯人を探し出し、自らの汚名を晴らそうと考えた。
同じ警察署内の仲間は誰一人信用出来ないダニーは、
自分の交渉相手に他の管轄区を担当するクリス・セイビアン(ケビン・スペイシー)を指名する。
クリスを利用して、何とか真犯人を見つけようとするダニー。
真実が何であれ、とにかく人質を無傷で救出することだけを考えて全力を尽くすクリス。
どちらも一歩も引かない、ふたりの頭脳プレイの駆け引きが始まった。
警察内でも凄腕の交渉人であるサミュエル・L・ジャクソン演じるダニーが、
自らの汚名を晴らすため、立場を逆転させてビルに立てこもるのですが、
いつも犯人を追いつめる側に立っている彼は、警察の手の内はすべてお見通し。
完全な密室を作ってしまう彼に警察側はなすすべもなく、うろたえてしまう・・・というのが
この作品の面白さのひとつです。
もともと彼が真犯人でないということは分かっているので、
自然にダニーの立場でもって観ることが出来るのです。
しかも真犯人は、同じ警察署の内部にいるだろうというダニーの読みで、
彼が交渉人に選んだのが、ケビン・スペイシー演じる他の地区の警察官クリス。
彼もまた凄腕の交渉人であり、ダニーとふたり、どちらも譲らない頭脳プレイでの駆け引きが、
やはり、この作品の最大の見所でしょう。
サミュエル・L・ジャクソンVSケビン・スペイシーの実力派ふたりの演技合戦も充分見ごたえがあったのですが、
残念だったのは、途中、ダニーがキレ始めた頃から、彼に感情移入出来なくなってしまったことです。
最初から最後まで「良い人」であって欲しいと考えていたダニーに嫌悪感を覚えてしまったため、
視点をどこに持って行って良いのか分からなくなってしまい、戸惑いました。
到底頭の良い人が起こす行動とは考えられない、理解し難いふたりの行動が妙に鼻についたりもしましたし、
犯人探しの謎解きも込み入り過ぎていて、少し分かり難かった気がします。
引っ張った割には犯人も意外性がなく、ガッカリ。
いまひとつ納得いかないエンディングで、消化不良の感が残ってしまいました。
レベル3
宣伝文句として使われていた「IQ=180」なんて、本編ではどこにも使われてないじゃん。
エントラップメント
あるオフィスに何者かが侵入し、レンブラントの名画を盗んで行った。
ウェイバリー保険会社の女性調査員ジン(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)は、
それが、美術品専門の大泥棒マック(ショーン・コネリー)の仕業だと睨む。
ジンは上司のクルーズ(ウィル・パットン)に、中国の黄金のマスクを餌にマックスを罠にかけることを提案した。
自分の素性を隠してマックに近づいたジンは、彼に自分も同業の泥棒であると伝え、
中国の黄金のマスクを盗むために協力して欲しいと頼む。
その日から、厳重なセキュリティをくぐり抜けてマスクを盗み出すために、二人の厳しい訓練が始まった。
『マスク・オブ・ゾロ』で強烈なお色気を撒き散らし、世の男性陣を魅了したキャサリン・ゼタ=ジョーンズが、
『マスク・オブ・ゾロ』以上のお色気を撒き散らしている、超娯楽作品。
彼女がタイツ姿で、お尻を突き出して赤外線センサーをくぐるための特訓をしているシーンなどは、
男性陣はナマつばものでしょう。
キャサリンの小刻みに聞こえる呼吸がH度を増長させ、
なんだかヘンなビデオでも観ている気分になってしまいクラクラとしてしまいました。
第二のシャロン・ストーン狙いでしょうか。
きっと彼女は、当分この路線で女優をやっていくのでしょう。
そんなHっぽいシーンばかりが、やたらと印象に残ってしまった作品ですが、
娯楽作品としての出来もまずまずで、ジンとマックの仕事に恋愛を絡めた駆け引きや、
逃げ場のない巨大ビルの中での頭脳プレイの逃走劇という、アクション面でも楽しませてくれます。
一番面白く感じたのは、中国の黄金のマスクを盗み出すのに、ふたりが展覧会会場に潜入するシーン。
それまでどんな意味があったのかよく分からないまま見せられていた彼らの訓練が、
本番で謎解きのような形で実践され、納得されられると同時に感動。
お色気あり、アクションあり、頭脳プレイあり・・・・で結構見ごたえがあった作品だったのですが、
期待していたラストが、あまりにもしょぼすぎてガッカリしました。
何となく予想は出来たものの、まさかそうは来ないだろうと思っていたエンディング。
面白くもなんともありません。
あれじゃ納得出来ないな・・・・・。
レベル3
サイモン・バーチ
サイモン・バーチ(イアン・マイケル・スミス)は
メイン州グレイブズタウン・メモリアル病院始まって以来の小さな赤ん坊だった。
すぐに死んでしまうだろうという医師たちの懸念をよそに、サイモンは奇跡的に生き延び、
12歳で身長3フィート1インチ(96センチ)の少年へと成長していく。
身体は小さいが、サイモンは野球好きの普通の少年だった。
そして、神様が自分に小さな身体を与えたことは、きっと何か特別な理由があり、
いつかその理由が分かる日が来ると信じて疑わなかった。
ある日、親友のジョー(ジョセフ・マッゼロ)と共に野球の試合に出場したサイモンは、
生まれて初めてバットにボールを当てる。
そして、その高く舞い上がった1個の野球ボールが、
サイモンの漠然たる想いを現実に変えていくのだった。
『ガープの世界』の作者ジョン・アーヴィングの小説を映画化。
「人は必ず何かの役に立つように生まれてついている」をキーワードにした、
ふたりの少年の友情の物語です。
サイモンの親友ジョーには、『マイ・フレンド・フォーエバー』で、
エイズの少年を演じたジョゼフ・マッゼロが演じ、
ジム・キャリーがジョーが成長した姿でカメオ出演しています。
難病の少年といじめられっこの少年の友情を描いた
『マイ・フレンド・メモリー』に似た作品という印象も受けますが、コンセプトは全く違います。
12歳にして96センチしか身長がない少年サイモン・バーチ。
まずこの作品の特徴は、彼を“病気”だと言わずに“奇跡”だと言っていること。
そして、彼の身体の小ささを最大限にプラス方向に捉え、
“小さいから出来ない”ではなく、“小さいからこそ出来る”あるいは、
“小さくなければ出来ない”というエピソードを盛り込んだ作品なのです。
人々から奇異の目で見られ、日曜学校の教師からも理不尽なイジメに遭いながらも、
サイモン・バーチはめげません。
自分は“特別な人間”であり、自分はいつか神様から特別なプランを
与えられると信じているからです。
人には誰にでも欠点はあります。
でも、それをプラスに変えられるかどうかはその人の考え方次第。
そんなことを教えてくれる作品です。
登場人物たちのユーモアセンスに溢れる会話や、心に響くセリフが印象的でした。
思いきり笑えて、泣ける作品。
観終わった時には、爽やかな感動が残ります。
レベル5
ブルワース
勝ち目のない大統領選挙を間近に控えた民主党上院議員ブルワース(ウォーレン・ビーティ)は、
政治献金の問題や、世論調査でのポイントダウンが原因で、
3日間なにも食べず、一睡もしていないノイローゼ状態に陥っていた。
追い詰められたブルワースは、17歳の娘を受取人にして、自分に1000万ドルの生命保険を賭け、
選挙運動の最後の週末に、雇った殺し屋に自分を暗殺させるという取り引きをしてしまう。
死と背中合わせの状況に自分を置いたブルワースは心境に大変化が起こり、
これまで遠慮して言えなかったことも、ズバり本音で言えるようになった。
死を超越すれば世のなかに怖いものはない。
辛辣な政治批判をズバズバ言い出すブルワースは、本音を言うことに快感を覚えるようになった。
そして、きれいことを並べて有権者に媚びることをやめた彼に、少しづつ共感者も出てくる。
ノイローゼ状態から脱した彼は、依頼した自分殺しをやめてもらうことを決意するが、
殺しの依頼の仲介をした人物に上手くコンタクトが取れず・・・・・・。
政治風刺のきいた、小気味のいい作品でした。
いかにもアメリカ人が好みそうなブラックユーモアで、アメリカでヒットしたのも納得出来ます。
口ばっかりの公約を語り続けていた議員が、どうにでもなれと開き直り、
これを最後とばかりに、公共の場で本音をまくしたてる物語。
自分の中に隠していた本音を暴露してしまい、周りの人々を唖然とさせるストーリーと言えば、
ジム・キャリーの『ライアー・ライアー』にも少し似ているところがあるかもしれません。
現在アメリカが抱えている社会問題に精通していれば、きっともっと楽しめるのでしょうが、
そういうことにものすごく疎い私でさえ、充分に楽しむことが出来ました。
ブルワースが本音を話すことに快感を覚えることで、自分の殺しを依頼したことを後悔しはじめ、
殺し屋から必死で逃げる姿も滑稽で面白かったです。
98年度アカデミー賞の脚本賞にノミネートされた作品だけあり、
スプリクトの構成がとてもよく出来ていました。
難を言えば、最初に色んな人物が次々と登場しすぎて、誰が誰だか分からなくなってしまい、
オチに登場した重要人物が一体誰なのか分からなくなってしまったこと。
冒頭部分だけリピート鑑賞することで、無事その謎は解けましたが、
『L.A.コンフィデンシャル』同様、脚本が素晴らしいと認められる作品は、
その分ややこしいものなのですね。
レベル3.5
ブラック・ドッグ
かつて超大型トレーラーのドライバーとして
アメリカ中を駆け巡った男ジャック(パトリック・スウェイジ)。
しかし、スーパーハイウェイを走行中、突然現れた伝説の死の幻影《ブラック・ドッグ》に襲われ、
人を誤って死なせてしまい、すべてを失った。
仮釈放中のジャックは、愛する家族との生活を支えるため、保護監察士のカトラーから、
ドライバー・ライセンスの再交付を条件に危険な匂いのする仕事を渋々引き受けることにした。
それは、アトランタのレッド運輸からニュージャージーの製鉄工場へ戻る、
謎の積荷を乗せた超大型トレーラーを運転することだった。
再びハンドルを握ったジャックだったが、走行途中、彼に謎の軍団が襲いかかってくる。
『ゴースト』では泣かせてくれたパトリック・スウェイジが、無謀なトラック野郎に転身。
相当なB級映画と踏んで臨んだのですが、案の定目茶苦茶な映画でした。
危険なニオイのするブツを、金のためにアトランタからニュージャージーまで
大型トラックで運ぶことを承諾した、仮釈放中の元トラック運転手ジャック。
刑務所に居たといっても、それは単なる事故で間違って人を死なせてしまったから。
このようなストーリーにはお約束の通り、彼はあくまで“善人”なわけです。
しかし、この運搬がスムーズにいくはずもなし。
またまたお約束の通り、次々と邪魔な奴等がやって来ます。
それを“善人”ジャックは、次々となぎ倒し、平然としてその場を立ち去ります。
おいおい、普通の人間が相手のトラック爆破させて平気なのかい?と
思わず突っ込みを入れたくなってしまうシーンの連続。
おまけに、ジャックは銃で撃たれても全く動じず、
撃たれた腕でも楽々作業が出来ちゃう超人的肉体の持ち主。
凄すぎです。もう、何でもありって感じ。
FBIにコンタクトを取るために、追跡装置を他のトラックにくっつけ・・・・・というシーンだけは
面白かったですが、それ以外はバカバカしすぎて話になりません。
タイトルの『ブラック・ドッグ』というのは、単調な運転をしているときに
見える黒い犬の幻影のことなのだそうですが、出てきたのは最初だけ。
ストーリーに何か関係があったのでしょうか?
レベル1
ゴールデンボーイ
ロサンゼルス郊外の住宅地に両親と住むトッド・ボーデン(ブラッド・レンフロ)は、
スポーツ万能で成績優秀な、典型的なアメリカの高校生。
学校の授業で“ユダヤ人大虐殺”に触れて興味を持ったた彼は、
突き詰めて研究して行くうちに、あるひとりの老人の存在を知り、その家を訪ねる。
アーサー・デンカー(イアン・マッケラン)と名乗るその老人が、
元ナチス将校のクルト・ドゥサンダーに違いないとトッドは睨んだのだ。
ドゥサンダーは元ナチス将校、アウシュビッツ(強制収容所)の副所長を務め、
“吸血鬼”と恐れられ600万人ものユダヤ人を虐殺したと言われる人物で、
大戦後に行方をくらましたが、今も戦争犯罪人として追われる身だった。
トッドは、彼の素性を世間に暴露しない代わりに、
過去にドゥサンダーが関与した残虐行為を話すことを強要した。
ガス室で何があったのか、収容所では何が行われていたのか・・・・。
最初はただの好奇心のはずだったが、老人の過去に触れていくごとに、
トッドは心に潜む“闇”を呼び覚まし、それが思わぬ事件を巻き起こしてしまう。
スティーブン・キングの原作を『ユージュアル・サスペクツ』のブライアン・シンガーが映画化、
ということで、過剰な期待をしてしまったのがいけなかったのでしょうか。
この作品、私はそれほど面白いと思えませんでした。
物語の冒頭で、普通の少年トッドが“ユダヤ人大虐殺”に興味を持っていく様子は、
もう少しじっくり見せて欲しかった気がしますし、
“興味”だけの頃のトッドと、それが“狂気”に変わってしまったトッドの表情が
さして変わり映えしていないのが気になりました。
これは、成績優秀で普通の生活をしていた少年が、ひとりの老人と接することにより、
心の中の“闇”の部分に触れ、どんどんと深みにはまっていく物語。
しかし、少年の心の変化をリアルに感じ取れないのです。
また、デンカーが、過去にどんな残虐な行為をしていたのか、
“ユダヤ人の虐殺”という言葉を聞いただけではどうしてもピンと来ません。
葬った過去を暴かれることを、彼がどんなに恐れていたかということも分かり難かったと思いますし、
トッドと接触することによって、彼の眠っていた狂暴な部分が目覚めるといったシーンも、
もうひとつ、読み取り難いものを感じました。
また、最大の問題点は、トッドが悪いヤツに見えないこと。
ブラッド・レンフロは、とても頑張っていたと思うのですが“憎々しさ”が感じられません。
デンカーとトッドの両者とも、画面から“悪”が伝わってこないのです。
どちらも、中途半端に悪いヤツにしか見えないのです。
結果、どちらの気持ちにも肩入れ出来ず、ふたりの心の葛藤を第三者的視点で観ることとなり、
気持ちがサスペンスにのめりこめなかったのでした。
レベル2
恋は嵐のように
ニューヨークでコピーライターをしているベン(ベン・アフレック)は、
愛するブリジット(モーラ・タイニー)とまもなく結婚する。
本人は幸せなのに、周りの人たちはみんな口々に「結婚生活は牢獄」とささやき、
ベンは次第に結婚することに不安を感じてくる。
そんな思いを抱きながら、ベンは結婚式の行われるジョージア州サバナにある
ブリジットの実家へと向かおうとしていた。
一足先に行って待っている彼女を追いかけ、ひとりで飛行機に乗りこむが、
隣の席にはセクシーで奔放な女性サラ(サンドラ・ブロック)が座って落ち着かず、
そしてこともあろうに、その飛行機が滑走中に事故を起こしてしまう。
結婚式までに、必ずサバナにたどり着かなければならないが、
もともと飛行機嫌いのベンのこと、二度と恐ろしい思いをして飛行機に乗りたくない。
そんな時、サラが見知らぬ男の借りたレンタカーに便乗することを提案した。
気は進まないが、他に方法が見つからないベンは、その提案に乗る。
そうしてサバナに向かって陸路を進むベンとサラだったが、
行く先々でトラブルに巻き込まれ、そんな中、ふたりは次第に惹かれあって行く。
サンドラ・ブロック&ベン・アフレック主演のロマンティックコメディ。
几帳面で生真面目な男性が、結婚式直前にマリッジブルーに陥り、
偶然知り合った、奔放で不思議な魅力を持つ、別の女性に惹かれてしまうという物語。
N.Y.からジョージア州のサバナまで向かう間、
ふたりの行方を阻む災難がこれでもか!というくらい次から次へと巻き起こり、
なかなかたどり着けない・・・・というのがコメディのテイストになっているはずなのですが、
いまひとつ、笑いの領域まで踏み込んでいない感がありました。
また、N.Y.からサバナまでの距離感が分からなかった、
というのも、もうひとつこの作品に乗りきれなかった理由でした。
(あとでアメリカ在住のネット友に聞いたところ、飛行機の直行便で3時間くらい、
車で行けば順調に行って20時間くらいじゃないか、とのこと。
これは、前知識として頭に入れておいた方が良いでしょう)
ストーリー的には悪くないとは思いますが、面白いとは思えませんでした。
まず、婚約者に何の不満もないはずのベンが、
周りから「結婚生活は牢獄だ」というようなことをさんざん聞かされただけで
簡単にマリッジブルーに陥ってしまう理由が分かりません。
そこへ突然現れた、奔放な女性サラに心惹かれてしまう理由も。
彼女がそんなに魅力ある女性には思えませんでしたし、
映像上での“気持ち”の表現が上手くないため、伝わってくるものがないのです。
それは、冒頭の出会いのシーンだけではなく、ラストシーンまで全編通して、
同じ印象を受けました。
これは、やはり、監督の表現力不足が理由でしょう。
もうひとつの不満は、サンドラ・ブロックの起用。
これはあくまで、マリッジブルーに陥る男性・ベンのお話なのに、
この作品では、ふたりを平等に主役にしようとしています。
サンドラは脇役でなければならないはずなのに、目立ちすぎていて、
そのためにストーリーの焦点がボケてしまっていました。
『ベストフレンズ・ウェディング』を観た時にも同じ印象を受けたのですが、
私はどうしても、待たされる花嫁の方の味方をしてしまいます。
だから、ベンとサラが親しくなれば親しくなるほど嫌な気持ちになってしまうのです。
ベンはもっと“悪女”である彼女に惑わされ、悩まなければいけないと思うのです。
ベン・アフレックひとりを主役として立て、相手役の女優はもう少し控えめな人選をすれば、
きっともっと面白い作品になったのではないでしょうか。
レベル2
面白くなかった理由のトドメは、字幕のセンスが悪すぎだということ。
何故にベンに「ぼくちゃん」などと言わせるか?
ソルジャー
近未来社会―そこは人間が誕生と同時に将来を定められてしまう社会となっていた。
戦士に選ばれた者は、史上最強の殺戮精鋭部隊<ソルジャー>の一員となるべく、
家族、一般社会から隔絶され、人間の心を剥奪されて、
幼い頃から徹底した精神的、肉体的訓練を受けるのだ。
トッド3465(カート・ラッセル)も、そんなソルジャーのひとり。
しかし、数々の宇宙戦で輝かしい戦果を挙げ、ベテランとみなされてきた彼の前に、
科学の進歩が遺伝子操作によって生み出した、新世代のソルジャーが現れた。
トッドは新ソルジャーの一人ケイン603(ジェイソン・スコット・リー)を対戦し、
負けて死亡したとみなされたために、宇宙の果てに捨てられることとなった。
しかし、トッドは生きていた。
地球が排出した20世紀の粗大ゴミの集積場となったある星で、彼は目を覚ましたのだ。
トッドは、そこで理想郷を求めて地球を飛び出した移民の一団と出会い、
彼らと接するうちに、自然に人間の心を取り戻して行く。
テーマは悪くないと思います。
しかし、こういう作品があまり面白いと思えないのは、やっぱり私が女のコ(!)だからでしょうか?
なかなか“ソルジャー”自身の気持ちまで踏みこめないため、
トッドの気持ちの変化がよく分かりませんでした。
『エスケープ・フロムL.A.』での強烈キャラ“スネーク”に続き、
ダークなヒーロー“ソルジャー”になりきってる“肉体派”カート・ラッセルも、
ソルジャー役にしては、ちょっと年齢をとりすぎの感があります。
新ソルジャーのジェイソン・スコット・リーと比べると、見た目ですでに負けていました。
赤ちゃんの頃から徹底的に“戦うこと”だけを教えられ、訓練の上“人間兵器”にさせられる・・・・
という導入部は面白いと思ったのですが、そこから先の展開がありきたり過ぎです。
予想通りに進んで行くストーリー、主役に都合よい展開、やたら長い戦いのシーン。
ちょっと、私には苦手なジャンルの映画でした。
やっぱり男のコ向けの映画ですね。
レベル2