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ブロークダウン・パレス
ディープ・ブルーサイコホーンティンググロリア
将軍の娘/エリザベス・キャンベルノッティングヒルの恋人
ウォーターボーイパラサイトマトリックス

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ブロークダウン・パレス

アリス(クレア・デインズ)とダーリーン(ケイト・ベッキンセール)は、
アメリカ中西部オハイオ州に住む高校3年生。
卒業の記念に、ふたりは卒業旅行を計画するが、心配する両親に「ハワイへ行く」と嘘をつき、
タイのバンコクに出かけることにする。
宿泊客を装ったバンコクの高級ホテルでトラブルを起こしたふたりは、
ハンサムなオーストラリア人ニック(ダニエル・ラペーン)に助けられ、たちまち彼に夢中になった。
ふたりはニックに誘われ、週末を彼と一緒に香港で過ごすことにするが、
一足先に香港へと飛んだニックを追って向かった空港で、突然警官たちに取り囲まれる。
アリスのバッグの中から、ヘロインが見つかったのだ。
無実の訴えが却下されたふたりは、異国の地で懲役33年の判決を受け、
囚人たちが“ブロークダウン・パレス”と呼んで恐れる刑務所に投獄されることになる。

アメリカ人が発展途上のアジアで罠にはめられ、投獄される…というお話は、
リチャード・ギア主演の『北京のふたり』にも似ています。
いずれの作品も、海外でのアバンチュールが引き金になっているところを見ると、
見知らぬ土地で知らない人を簡単に信用すると、とんでもないことになっちゃうぞという
警告のように思えます。
この作品は、ビル・プルマン演じる弁護士がアリスの告白テープを聞き、
彼女たちの行動を想像する…という構成になっていて、途中で納得出来ない出来事が次々に発覚し、
事件の真相が分からなくなってしまうという、ミステリー風になっているところが意外で面白く感じました。
しかし、実際のところは、この事件を通してのアリスの心情の変化を描いた物語。
ミステリーかと思ったところを、見事に肩透かしを食う形になり、がっかりしてしまいました。
それならそれで、わざわざミステリー仕立てなどにしなくてもいいのに。
逆に彼女の気持ちが掴みにくくなってしまっているのです。
アリスを演じたクレア・デーンズは、単なるアイドルに収まらず、
果敢に色んな役を演じていることに好感が持てましたが、単にそれだけの作品という感もあります。
おいおい、そんな終わり方でいいのかい?というような納得出来ないラストシーンに
不満が残った作品でした。
レベル2.5

ラストがしょぼい作品はどうしようもありません。

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ディープ・ブルー

太平洋上に建造された、海洋医学研究施設アクアティカ。
スーザン・マカリスター博士のチームは、ここでアルツハイマーに効く新薬の研究をしていた。
しかし、なかなか成果が上がらないため、この研究に投資しているラッセル(サミュエル・L・ジャクソン)は、
研究の公開を求めてアクアティカを訪れる。
そこでは、サメの脳組織を抽出して人間の病原菌に注入するという実験が行われていた。
実験は成功するが、それで得られる効果はごくわずか。
そのため、スーザンはサメの脳をDNA操作で大きくさせるという実験も行っていた。
しかし、それによって知能が高くなったサメが、意識を持って人間を襲い始める。

この映画、サメが人間を襲う作品なのに、全く怖くありません。
愚かな人間たちが、自分たちの利益のために作り出したモノによって反撃を食らうという作品なので、
どうしても観ていて人間たちに肩入れできないのです。
人間たちがサメに追いまわされても、心の中では「逃げろ!」という気持ちよりも、
「食っちゃえ、食っちゃえ!」と思ってしまうのです。
誰がどんな形で襲われそうになっていても、悲しみが沸いてきません。
だから、怖くないのです。
作品の中でも、信仰心の厚い黒人コックが神に祈りを捧げるシーンが多々ありました。
テーマとしては、神への冒涜を犯した人間たちへのしっぺ返し…というところではないでしょうか。
人間たちは、研究所の中を何とかして逃げようとしますが、
研究所の構造がどうなっているのかが把握出来ないので、
彼らが何をやりたいのかよく分からないところもありました。
サメはCGとアニマトロニクスを駆使して表現しているようですが、
動きがあまりにも不自然なために、滑稽にも思えてしまいました。
まぁ、でも何も考えずに楽しむ娯楽作品では、まぁまぁなのではないでしょうか。
暇つぶし程度にはなる作品だと思います。
レベル3

この映画って、原題は“Deep Blue Sea”(=「深く青い海」)です。
でも、それが邦題では“Deep Blue”(=「深い青」)になっちゃうんですね。
映画を観た限りでは「深い海」でのお話で、
青い色を彷彿させるものは何もなかったような気がするのですが…。
『グラン・ブルー』『グレート・ブルー』のイメージで邦題を付けたんでしょうかねぇ??

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サイコ

1998年12月11日金曜日、アリゾナ州フェニックス。
昼下がり、安ホテルの一室で不動産会社に勤めるマリオン(アン・ヘッシュ)は
恋人サム(ヴィゴ・モーテンセン)に結婚を迫るが、経済的に苦しいサムには踏ん切りが付かなかった。
言い争いの後、気まずい思いで会社に戻ったマリオンは、
40万ドルもの大金を、銀行の貸し金庫に預けるように社長に頼まれる。
その金を持ち逃げしてサムと結婚することを目論んだ彼女は、会社を早退し、旅支度をして、
車でカリフォルニア州に住むサムの元へと向かった。
夜、ハイウェイを走っている途中に土砂降りの雨に遭ったマリオンは、
偶然見つけた“ベイツ・モーテル”に一泊することにするが…。

ヒッチコックの名作サスペンス『サイコ』を
『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』のガス・ヴァン・サント監督がリメイク。
最近リメイクブームのハリウッドですが、この作品はリメイクと言っても、
他のリメイク作品とはちょっと毛色が違います。
なぜなら、ストーリー、セリフ、カメラアングル、カット割、音楽に至るまで、
全て旧作をそのままコピーした作品なのです。
そのために、全世界の映画評論家や旧作ファンからさんざんこき下ろされ、
99年度の『ラズベリー賞(ワースト映画賞)』にも選ばれました。
私は、まだまだ映画に関しては素人のため、
ヒッチコック作品というものをまともに観たことがありませんでした。
でも、このガス・ヴァンサント版『サイコ』を観る直前に、ヒッチコック版をビデオで観てみました。
そして、ラスト30分を観ずに、ガス・ヴァン・サント版に臨んだのです。
これによって、ヒッチコック版のコピーがどれほどのものかも確認出来ましたし、
それでいて、ちゃんと作品を楽しむことも出来たわけです。

ラスト30分をガス・ヴァン・サント版でのみ観た私の素直な感想は「面白かった」です。
ヒッチコック版の『サイコ』は当然面白いので、
それをそのままコピーした作品が面白くないわけはありません。
ただ、それを“いい作品”と呼べるかどうかは別問題です。
ヒッチコックが彼の感性で撮った作品をそのまま模写し、
それを“自分の作品”として世の中に出してしまったガス・ヴァン・サントに対して、
往年の『サイコ』ファンは怒ったのでしょう。
それが旧作の『サイコ』に対する冒涜だと言われても、仕方ないことだと思います。
確かに1960年の製作であるヒッチコック版はその時代とのギャップやモノクロ映画ということが、
今の若い世代には受け入れ難いものがあるのは事実です。
この名作を、大勢の若い世代の人にも観て欲しいというのが、製作者の趣旨であることも理解出来ます。
しかし、世の評論家たちにはヒッチコック版『サイコ』を観ていない人などいないのです。
全く同じものをキャストを変え、設定を現代にし、
モノクロをカラーに変えただけのものを見せられても面白いはずがありません。
酷評されても、仕方ないことなのです。

ガス・ヴァン・サント版をこれから観ようと思う人に、私はあえて「観るな」とは言いません。
ヒッチコック版を観ていない人には、ちゃんと楽しめる作品です。
でも、ヒッチコック版を観たことのある人には、全く観る価値のない作品です。
ヒッチコック版とガス・ヴァン・サント版、どちらを観ようか迷っている人には、
迷わずヒッチコック版をオススメします。
この作品を単品として評価することはとても難しい…というより、不可能です。
レベル設定不能

ノーマン・ベイツ役は完全にガス・ヴァンサント版が負けていました。
でも、ヒッチコック版を観ていない人を対象に作った作品なら、
あんなネタバレバレの予告編を作らなくても…

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ホーンティング

不眠症に悩むエレノア(リリ・テイラー)は、ある研究所の不眠に関する実験ツアーに参加するため、
町から外れ、ただ一軒ひっそりと不気味にたたずむ丘の上の館を訪れた。
研究所のマロー博士(リーアム・ニーソン)の呼びかけにエレノアの他2人が屋敷に集まるが、
館に入った彼らは、次々と怪現象に襲われ、予期せぬ恐怖に打ちのめされる。

全く怖くないお化け屋敷映画。
ディズニーランドのホーンテッドマンションに2時間居た気分でした。
作り手が怖がらせようとしているのか、笑わせようとしているのか、よく分からないため、
どっちつかずの中途半端な作品という印象です。
大まじめで作っているところが馬鹿馬鹿しく、観終わったとき極度の脱力感に襲われてしまいました。
この作品が面白くないのは、単に演出のせいだけではなく、
核となるストーリーが全く面白くないからなのです。
キャサリン・ゼタ・ジョーンズも、またお色気を振りまく役どころで登場。
さすがにもう食傷ぎみです。
彼女はずっとこの路線で行くつもりなのでしょうか。
リーアム・ニーソンは、地味な作品にも出てるいい役者なのに、
なんでこんなのに出たの?という感じ。
ただ、美術面はすごいです。
建物の外観から内装まで、圧倒されるほどの技術力を感じました。
お金かけてるな…という印象です。
でも、それだけっていうのも何だか…。
映画は、観客を満足させなければ意味のないものなのに、
この映画は作り手の自己満足で終わってしまっている気がしました。
レベル2

ヤン・デ・ボン、終わってます。

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グロリア

フロリダで3年間の刑期を務め、仮釈放された犯罪組織の女グロリア(シャロン・ストーン)。
恋人ケヴィン(ジェレミー・ノーザム)の罪をかぶって服役していたグロリアは、
保護観察の身で、フロリダから出ることを止められていながらも、
彼の住むニューヨークへのアパートへと向かうが、そこで自分が彼に騙されていたことを知る。
そのアパートにはひとりの少年・ニッキー(ジーン・ルーク・フィゲロア)が監禁されていた。
ケヴィンの手下たちが少年を殺そうとしていることを知ったグロリアは、
ケヴィンたちから金を巻き上げると、ニッキーを連れ出して逃げる。
しかし、組織を揺るがす秘密を記録したフロッピーディスクを持っていたニッキーは、
再びケヴィンたちから追われるのだった。

80年のジーナ・ローランズ主演『グロリア』のリメイク版。
これは、ジーナ・ローランズ版を観た人にとっては、見事なまでの駄作でしょう。
オープニングシーンを観ただけで、これはすぐに感じ取れました。
旧作のオープニング、少年の母親がバスを降りてアパートの部屋に戻るシーンには、
ゾクゾクするような緊張感がありました。
そのシーンだけで、私はこの作品が名作と言われた由縁が分かった気がしたものです。
しかし同じシーンを観ていても、新作にはその緊張感がなかったのです。

単純に比較してしまうのも何ですが、比較しない目でもって観ることは不可能でした。
作り手はジーナ・ローランズ版とは全く違ったグロリア像を作ろうとしてるのが、
最大の失敗だったように感じます。
旧作では鉄の様に強い女であったグロリアが、精一杯突っ張って強い女を演じようとしている
グロリアに変わっています。
だからシャロンのグロリアは、ちょっと精神が追いつめられるとすぐ泣きそうな顔をします。
これは良くありません。
やっぱり、銃を構えるグロリアはカッコよくなきゃダメ。
グロリアが鉄のように強い女だからこそ、
旧作のラストシーンでの、彼女がそれまで見せなかった表情にホロリと来たのです。
後半、ジーナ・ローランズが特別出演しているシーンが織り込まれているのですが、
シャロン・ストーンは完全に食われていて、気の毒なほどでした。
ところどころに笑いを取り入れたりしているのも、緊張感を欠く原因になっていますし、
アクション面も、旧作に比べてややおとなしめで物足りない感じ。

しかし、新グロリアには迫力がないとか、新作はアクション面でもおとなしめだとか言う前に、
ストーリー自体が既に旧作に負けているのです。
グロリアが少年を守ろうとした理由には、大幅に手が加えられていました。
旧作では、少年の母親の友人であったグロリアが、彼らに頼まれて彼を保護しますが、
新作では、たまたまケヴィンたちに監禁されていた少年を見掛け、
彼らが少年を殺そうとしていることを知ったグロリアが、同情で少年を保護します。
本当は子供が嫌いなはずのグロリアが子供を連れて歩くはめになったことの理由が、
“同情”では説得力に欠けます。
“名作”と言われた作品だからこそリメイクする価値があるのかもしれませんが、
旧作を越えられない新作など、意味なしのような気がします。
レベル2

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将軍の娘/エリザベス・キャンベル

ジョージア州陸軍マッカラム基地。
この基地内で、ある日、女性が全裸死体で発見された。
その女性、エリザベス・キャンベル大尉(レスリー・ステファンソン)は、
この基地のトップ、ジョー・キャンベル将軍の娘だった。
たまたま別の事件の囮捜査で基地内に潜入していた、
陸軍のC.I.D<犯罪捜査部>捜査官ポール(ジョン・トラボルタ)は、
かつての恋人でレイプ専門の捜査官サラ(マデリーン・ストウ)と共に捜査を始めるが、
その死体の様子は、あまりにも不自然で不可解だった。
二人は捜査を進めていくうちに、優秀な軍人であったエリザベスに、
もう一つの顔があったことを知る。

優秀な女性軍人の死の謎を解明するミステリーといえば、『戦火の勇気』を思い出します。
“軍隊”という男性中心のひとつの社会の中に、女性が入りこむことの難しさ、
なおかつ、その中で女性が男性の上に立つことの難しさを実感させられた作品でした。
『戦火の勇気』はミステリーながらも人間ドラマの部分が非常によく描かれていて、
私自身大好きな作品なのですが、この『将軍の娘/エリザベスキャンベル』は、
ミステリー部はまあまあ、でも、観終わってみると内容がスカスカといった印象。
女性に対する性的暴力が謎の死と絡んでおり、その姿をさらけ出したショッキングな映像で
ある程度興味を持って観ることが出来たのですが、引っ張るだけ引っ張っておいて、
オチが全く面白くなく、脱力感で一杯になってしまいました。
ミステリーの“謎解き”を終わらせることだけで満足している感があり、
肝心の、その事件を引き起こした当事者たちの心理というものが、ほとんど読めないのです。
この作品は、ストーリーから予測すると、当事者たちの心理的な葛藤が
かなり重要なポイントとなってくるのではないかと思われますが、
それがないがしろにされ、ほとんど表現されていないのです。
もうひとつ、この作品でのポイントとしては、ポールの気持ちの変化というのがあります。
昔の恋人であり、現事件の捜査のパートナーのサラの身に危険が及んだ時、
軍人として事件を捜査してきたはずの彼が、真のC.I.D捜査官に戻る…と、
相手が言わんとしていることは分かりますが、その辺りも少々心理的表現に不足を感じました。
原作はきっと面白いのでしょうが、ヘボな脚本と演出で台無しにされた作品と言えます。
それに、何と言っても致命的だったのは、この作品で言う“一番の悪党”という人物が、
最初に登場した瞬間に、私には分かってしまったこと。
犯人バレバレのミステリーって一体…?
予告編では、すごく面白そうだったのにな。
レベル2.5

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ノッティングヒルの恋人

ウィリアム(ヒュー・グラント)は、ロンドンにある小さな街“ノッティングヒル”に住み、
小さな本屋を営んでいる。
ある日彼の店に、ハリウッド女優のアナ・スコット(ジュリア・ロバーツ)がやって来た。
世界で一番美しく有名な女優を目の前にして、呆然とするウィリアム。
しかし、奇跡はそれだけではなかった。
街角でぶつかった女性にウィリアムは持っていたジュースを誤ってかけてしまうが、
その女性がアナだったのだ。
咄嗟にすぐ近くにある自分の家で服を着替えることを提案し、
ウィリアムはアナを家まで連れて行く。
着替えを済ませたアナは、家を出る時にウィリアムに突然キスをしたのだった。
夢心地のまま、アナを見送り、いつもの暮らしに戻ったウィリアムだったが、
数日後、アナからホテルまで来て欲しいという連絡が入る。

これぞハリウッド映画の王道!と言えるようなラブ・ストーリー。
世界的な大女優が、普通の本屋さんと恋に落ちる…というのは、
昔から定番の“身分の差を越えた恋愛”というやつですね。
一般人の男性が、突然目の前に現れた美しき女優に心を奪われてたちまち虜になってしまう、
というのは非常に良く分かる気がするのですが、
いつも周りからチヤホヤされているはずの高飛車な女優が、
なぜ普通の本屋さんに惚れてしまうのかが良く分からないところが残念でした。
私には、ジュリア演ずるアナの微妙な気持ちの変化が読み取れなかったのです。
最初に本屋でウィリアムに出会った時、彼の言動にアナの心はどんなふうに動いたのか。
それが分からないために、2度目の出会いでのキスがあまりにも唐突で、
彼女が何を考えているのか良く分からなくなってしまったのです。
アナは単純にウィリアムの人間性に惹かれただけではなく、自分の今居る世界に嫌気が差し、
ふと普通の男性との恋愛に逃げ込みたくなったという気持ちもあったと思います。
その辺りをもう少し深く踏みこんで描いてくれれば、アナの感情に入りこめた気もしました。
ウィリアムを演ずるヒュー・グラントは、自己の感情の表現がとても上手かったと思います。
周りの脇役たちも、みんな味があってすごくいい感じ。
感情表現には不満が残りましたが、世界的な大女優アナという配役に、
ジュリア・ロバーツ以外のキャスティングは考えられないほど、彼女はぴったりとハマっていました。
ちょっと上手く行き過ぎ…という気もしますが、気軽に楽しむデート・ムービーにはオススメです。
レベル3.5

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ウォーターボーイ

ルイジアナ州の田舎に住むボビー(アダム・サンドラ)は、ママ(キャシー・ベイツ)と二人暮らし。
息子を溺愛するママに大切に育てられたボビーは、
31歳にもなるのに友達も彼女もいない智恵遅れのマザコン男だ。
18年間、アメリカンフットボールの大学チャンピオン・チーム、クーガーズの給水係を務めている彼は、
最高級の蒸留水を作る腕を持っていたが、いつもチームの連中のイジメの標的となり、
挙げ句の果てに、監督レッド(ジェリー・リート)にクビを言い渡されてしまう。
天職を取り上げられたボビーは、5年間勝ち星ゼロの弱小チーム、マッド・ドッグズに
「タダでもいいから雇って欲しい」と、自分を売り込みに行く。
監督のクライン(ヘンリー・ウィンクラー)は、ボビーを給水係として雇うことにするが、
ある時、彼にとてつもないアメリカンフットボールの才能を見出し、選手へと転向させた。
それからというもの、ボビーの活躍でマッド・ドッグスは次々と勝ち星を挙げ、
ついには、ボビーをクビにしたクーガーズと対決することとなるのだった。

『ウェディング・シンガー』のアダム・サンドラーの主演コメディ。
アメリカでは大ヒット作品になったにも関わらず、日本では劇場はガラガラ状態。
公開も、たった2週間で打ち切られてしまいました。
本国アメリカでは有名コメディアンのアダム・サンドラーも、
日本ではまだまだ名前が通ってないので、興行収入にも厳しいようです。
そんな私も、それほど期待せずに観に行ったのですが、
これがもう、思いきりツボにはまった、最高に面白いコメディだったのです。

知恵遅れでマザコンの30男・ボビーは、チームのみんなにいじめられます。
ボビーがいじめられるシーンには胸が痛みますが、
いじめた人間にはそのあと必ずシッペ返しが来るというのも、
この作品を能天気に笑っていられる理由でしょう。
また、彼と比べれば“普通”であるはずの周りの人たちも、実はみんな変。
うつ病ぎみのチームの監督、何を喋っているのか分からないコーチ、
ヘビ・ワニ・カエルなどを料理する母親、作戦ノートを常に手放せないライバルチームの監督…
もう、見てるだけで面白い人たちばかり。
やってることはバカなのですが、もう、とにかく面白い。
最近観たコメディ映画の中では、最高の笑いを提供してくれた作品でした。
ストーリーは、先が読めるお決まりのパターンながらも、マザコン・ボビーが自立して行く姿や、
子離れ出来なかった母親の成長などもほのぼのと描かれていていて満足です。
ママ役のキャシー・ベイツの怪演も光っていました。
アダム・サンドラーは、『ウェディング・シンガー』を観た時は、
生理的に受けつけないタイプだと思っていましたが、この作品ではそうでもなかったです。
彼のコメディセンスはかなり気に入ったので、彼の作品は今後注目して行きたいと思います。
レベル4

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パラサイト

内気で友達の少ないケイシー(イライジャ・ウッド)は、
ある日、偶然グラウンドで奇妙なサナギのようなものを発見する。
見た事もない不思議な生物に、ケイシー達は新種の生命体の可能性があると、
大学の研究室に分析を依頼することにした。
時を同じくして、周囲の人間が何かに憑りつかれたかのように、
奇妙な振舞いをすることにケイシーは気づく。
「人類は得体の知れない何かに寄生されているのかもしれない!」
ケイシーはこのとんでもない自分の仮説を6人の仲間に打ち明け、
真実を確かめるため例の不思議な生物を調べようと再び研究室を訪れる。
しかし、そこで彼らが目にしたものは、既にその生物に乗っ取られた人間だった。

地球の侵略を企む宇宙生物が人間の身体に寄生し、増殖していくという、寄生体サスペンス。
大筋を聞いただけでもなんだか怪しそうなこの映画、
脚本は学園ものが大得意の『スクリーム』のケビン・ウィリアムソン、
監督は『デスペラード』『フロム・ダスク・ティル・ドーン』のロバート・ロドリゲスということで、
何かやらかしてくれるのではないかと、変な期待を持って観に行きました。
もともとB級サスペンスを観るつもりで臨んだのですが、これが意外に面白いのです。
謎の生物に立ち向かう若者7人が、みんな学園のはみ出し者。
はみ出し者ゆえに、感染を免れるという設定が面白く、
そんな中でも、外部の人間とのわずかな時間の接触により、
目の前の友人が本当の姿なのか信じられなくなるという流れに、
不覚にもドキドキしてしまいました。
それでも、謎の生命体の地球侵略の目的や彼らの弱点などは、もろB級のノリ。
謎の生命体に身体を乗っ取られた人間の滑稽な姿にも大笑いです。
私はそれなりに満足出来ましたが、正統派サスペンスを期待して観るとガッカリするかも。
レベル3.5

もしかしたら、あなたの隣に居る人も、突然タコに変身するかもしれない…。(笑)

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マトリックス

1999年、コンピュータプログラマーとしてニューヨークの企業で働くネオ(キアヌ・リーブス)。
凄腕のハッカーという顔も持っている彼は、
最近“起きてもまだ夢を見ているような感覚”に悩まされていた。
ある日、自宅のパソコンのモニター画面に、不思議な文字列が浮かび上がる。
「起きろ、ネオ」「マトリックスが見ている」「白ウサギの後をついていけ」…。
正体不明の美女、トリニティ(キャリー=アン・モス)に導かれて、
ネオはモーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)という男と出会う。
ネオが彼らに見せられた世界の真実の姿は、驚くべきものだった。
今は既に2199年。
人間たちが“現実”だと思っているのは、コンピュータによって支配された
「マトリックス」と呼ばれる仮想現実だという。
その事実に気づいたごく少数の人間たちは、予言者が語ったという、
この世を人間の手に取り戻すことのできる“救世主”の出現を長い間待ち望んでいた。
そしてネオこそが、選ばれし者だと言うのだ。

莫大な制作費をかけた、スケールの大きなB級映画という印象。
もともと私自身が、“精神世界”のように自分の内側に入っていく作品が好きではないため、
それを“コンピュータが作り出した世界”という形に解釈を変えただけのこの作品も、
肯定的に受け入れることが出来ませんでした。
とても個人的な好みの問題なのですが、ヒーローを“神”に見立て、
無敵の存在にしてしまうような作品も、あまり好きではありません。
この作品では、主人公ネオがコンピュータによって支配された人類を救うための
“救世主”なのではないか、というところが重要なポイントになっているのですが、
“救世主”という神懸り的な言葉を用いられるだけで、気持ちが冷めてしまいました。
ここで描かれている世界は、あまりにもマニアックなため、
好きな人はとことん好きでしょうし、受け入れられない人は全くダメでしょう。
アメリカで大ヒットした理由は、熱狂的なリピーターの圧倒的支持を得ているため、
ということにも納得出来ました。
CG映像は確かにカッコ良く、今までに見たこともないような世界を表現しています。
しかし、物語に素直にハマれない人にとっては、だんだん疲れてくるのでは。
個人的には視覚的にキアヌ・リーブスは好きなので、久しぶりに痩せてカッコよくなっている
キアヌを見ることが出来ただけでも、OKだったりします。
レベル3

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