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リバース沈黙のジェラシーブキーナイツダーク・シティ
ラスト・ウェディングアイス・ストーム雨上がりの駅で
ライブ・フレッシュジュリアン・ポーの涙スライディング・ドア

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リバース

シカゴ市警の女性刑事カレン(カイリー・トラピス)は、数日前に人質事件の交渉に失敗し、
死者を出してしまったことを心に病んでいた。
そのショックを癒すために車でテキサスに旅に出るが、砂漠が広がる真ん中でクラッシュし、
立ち往生してしまう。
ちょうどその場に1台の車が通りがかり、カレンは乗っていたフランク(ジェームス・ベルーシ)と
その妻レイ・アン(シャノン・ウイリー)に、レッカー車のある場所まで同乗させてもらう。
しかし、フランクはどこかうさん臭く、レイ・アンは彼にひどく怯えている様子だった。
やがて途中で立ち寄ったスタンドで、顔見知りの主人から妻の浮気の事実を聞かされたフランクは、
車に戻ったあとにレイ・アンと激しい口論となり、逆上してカレンの静止を振り切ってレイ・アンを射殺してしまう。
興奮しているフランクは、今度はカレンに銃口を向けた。
カレンは必死に車から逃げ出すと、とある研究所の中に飛び込んで助けを求めた。
そこは時間を逆行させる極秘の研究を行っている研究所で、
研究員のブライアン(フランク・ホーリー)は、はずみで彼女を過去に送ってしまう。
20分前の過去に送られたカレンは、フランクの車に乗せてもらったばかりの状況まで
自分が時間をさかのぼっていることに気づき、目前に控えている最悪の未来を変えようと努力するが・・・。

主役のカイリー・トラピスはモデル出身で映画初出演、脇役もみんな地味な俳優ばかりで揃えられ、
監督も脚本もほとんど無名の人たちという作品の割には、とても面白かったです。
アメリカ映画としては扱いが小さいながらも、アメリカ国外の映画祭でいくつかの賞を取っています。
“時間をさかのぼる”というSF的要素を取り入れながら、
アクションやバイオレンスやサスペンスを盛り込んでいるところが斬新で、
予想がつかない展開に、ひとときも目が離せませんでした。
直前に自分のミスで人を死なせてしまったことを心に病む主人公のカレンが、
とにかく殺人事件に発展することだけは免れたいという気持ちで、未来を変えるべく必死に努力するのですが、
努力すれば努力するほど事態は悪い方向に向かっていってしまうという展開が緊張感を持続させました。
何度か同じ道を繰り返し通るうち、意外な事実が判明して・・・というくだりも面白かったし、
ラストの落とし方も良かったと思います。
ただひとつどうしても腑に落ちないのは、冒頭で実験によって過去に送られた人は未来の記憶を無くす、
と語られていたはずだったのに、カレンは過去に送られても未来の記憶がそのままであったこと。
それがこの作品の重大なポイントのはずなので、どうしても気になってしまいました。
レベル4

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沈黙のジェラシー

恋人ジャクソン(ジョナサン・シェック)とニューヨークで幸せな生活を送るヘレン(グゥイネス・パルトロウ)は、
彼に連れられ、クリスマスの休暇に彼の故郷キルローナンを訪ねた。
広大な農場を女手ひとつで切り盛りしてきたジャクソンの母マーサ(ジェシカ・ラング)は、
ジャクソンを溺愛するあまりに、顔では笑っているものの、心の中ではヘレンに対する嫌悪感に溢れていた。
そんなマーサに気づかないままヘレンは妊娠してジャクソンと結婚し、
キルローナンに移り住んで新生活をスタートさせる。
しかしマーサは妊娠中のヘレンに執拗に意地悪をし、ふたりの仲を裂こうとする。
そして母親を愛するジャクソンは、そんな彼女の異常な行動に全く気づかず、
ヘレンはひとりきりで徐々に精神的に追いつめられていく。
やがて、ヘレンはマーサがひた隠す恐ろしい事実に気づき、屋敷から逃げ出そうとするが、
マーサはヘレンを追い掛け、子供を取り出した後に彼女を抹殺しようと企む。

こういう作品は、男性と女性とでずいぶん見方が違うのでしょうね。
女性というのも勝手なもので、自分の恋人や夫が母親と仲良くしていると“マザコン”と非難し、
そのくせ自分に息子が生まれれば溺愛してしまう。
余談ですが、最近男の子を出産した友人宅を訪ね、彼女の息子への接し方を見た時、
これは世の男性たちが“マザコン”になってしまうのも無理ないかな、と感じました。
男性は誰でも少しは“マザコン”の気があるもの、ということを女性は理解しないといけません。
友人の男性曰く「男性にとって母親の存在は絶対的」なのだそうです。
逆に言えば、死ぬほどの痛みに耐えて産んでもらい、
四六時中つきっきりで育ててもらった母親すらも愛せない人に、
恋人や妻を愛せるはずがないわけですから。
“マザコン”の原因を息子側に求めるのは間違いかな、とも思いました。
全ては子離れ出来ない愚かな母親が原因ですね、きっと。
息子が何歳になってもその人間性を認めてやれず、
“自分だけのBABY”だと思い込んでいる母親はどうしようもないものです。
そして、それがこの映画のような嫁・姑問題を生んでしまうのでしょう。
・・・と、“マザコン談義”はさておき、映画の感想です。
とにかく、この映画に出てくる母親は怖すぎ!
彼女の異常なまでの息子への溺愛ぶりはストーリー上ではいくらでも過激に描けると思うのですが、
それを演じるジェシカ・ラングの演技がとことん怖いのです。さすがオスカー女優。
度々見せる「ふふっ」という不敵な笑いに、背筋がゾクっとなりました。
こういう普通の人間の異常心理を描いた映画は、
下手するとオカルトより怖いホラーになり得るのです。
ただ、母親と妻の間に立ったジャクソンの心理表現が、曖昧だったのが残念。
後半の母親に対する疑心の部分を、もう一段階くらい踏んではっきりと見せてくれれば
ラストがもう少し締まった気がします。
なんか、あっけなく終わってしまった気がしたので・・・・。
レベル3

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ブギーナイツ

1977年、皿洗いのアルバイトをしている17歳の高校生エディ(マーク・ウォールバーグ)は、
ポルノ映画の監督ジャック・ホーナー(バート・レイノルズ)にスカウトされる。
学校にも行かずにガールフレンドとのセックスにふけっていることを母親になじられたエディは、
口論の末に家を飛び出し、ジャックの元へと転がり込んだ。
ジャックの妻でポルノ・クイーンのアンバー(ジュリアン・ムーア)を相手に
エディはポルノ男優としての撮影を開始するが、その才能はジャックをも驚かせるものであった。
エディの出演した作品は世間でたちまち話題になり、作品は大ヒット、
ポルノ界の賞を総ナメにして、彼はまたたく間にポルノキングへの道を上りつめて行った。
しかし、頂点に上りつめたエディは次第に天狗になって行く。
師であり恩人であるはずのジャックにまで傲慢な態度を取り始め、
果てには、ドラッグの快楽に溺れるようになってしまった。
そんなエディの前に、ジャックは若くて健康的な新人のポルノ男優を連れてくる。
新人男優の出現に焦ったエディは、ジャックと言い争いになり、彼の元を去って行く。

“ポルノキング”と呼ばれた男の栄光と挫折を描いた物語。
評論家たちから“傑作”と絶賛されているこの作品、観て「なるほど」と思いました。
ストーリーは単純なのですが、そこに織り込まれた人間模様と心理描写が素晴らしいのです。
社会からのはみ出し者の集団のようなジャック・ホーナーの形成するファミリーが何とも可笑しく、
ひとりひとりのキャラクターがユーモアたっぷりに、しかも丁寧に描かれています。
そんな彼らは自分たちの仕事を恥じず、自尊心を持ってポルノ映画を作っているのですが、
彼らがその自尊心を保つために、実はギリギリのところで突っ張っていることが
物語が進んでいくうちに分かっていきます。それが何とも悲しいのです。
それに、余計なセリフなしで俳優に多くを語らせる監督の手腕は大したもの。
薬に溺れてボロボロになっていく主人公の変貌ぶりの表現も見事です。
このポール・トーマス・アンダーソンという監督、1970年生まれで撮影当時26歳だったそうですが、
1970年生まれが1977年当時を完璧に再現する、その才能にも感服してしまいました。
しかし、別に見たかった訳ではありませんが、ラストの“ぼかし”の部分はいただけませんでした。
現在の日本の映画事情では仕方ないことなのかもしれませんが、
映倫は監督が何故あそこにああいうシーンを入れたのか分かっていませんね。
最後の最後で、監督が表現してきた世界を台無しにされてる気がしました。
レベル4

こういう作品は、男性の方がより楽しめるのかもしれませんね。
確かに面白い作品だとは思いましたが、私の中では“傑作”の域には達しませんでした。

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ダーク・シティ

ジョン・マードック(ルーファス・シールウェル)は、気づくとホテルの一室に居た。
自分が誰なのか、どうしてそこに居るのか、彼は全く覚えていなかった。
一切の記憶を失っていたのだ。
そしてその部屋では、ひとりの女が裸のまま奇妙な死に方をしていた。
訳が分からず混乱しているところに電話が鳴り、
相手は「奴等が追い掛けてくる。逃げろ」とジョンに告げる。
その直後、突然現れた何者かがジョンを襲うが、彼は何とか逃げ出した。
“彼ら”は人間たちを催眠状態に陥らせ、その間に記憶を抽出して
他人の記憶と入れ替えるという恐るべき実験を繰り返していた。
しかし、ジョンはその実験の途中で覚醒してしまったのだった。
その頃、警察は娼婦ばかりを狙った謎の連続殺人を追い掛け、
その容疑者としてジョンの名前を挙げていた。
ジョンは正体不明の不気味な“彼ら”と警察の両方に追われながら、
自分の記憶の断片を頼りに事件の謎を追求して行く。

私はこの監督の『クロウ』という作品は観ていないのですが、
なんだか独特ですごい世界を作り出す監督なんだな、と感じました。
ダークな近未来の描写が、とにかく凄いです。
こういうのは苦手な人は徹底的に苦手だと思いますが、私は嫌いではありません。
毎日12時になったら時間を止め、その間に人間たちの記憶を抽出して
他人のものと入れ替えるという“彼ら”の実験内容も、私の好きなタイプのお話。
その結果自分が誰だか分からなくなってしまったり、
過去の記憶の肝心な部分だけが抜けてしまったり、
ある日突然に他人になっていることに本人が気付かないという設定などは、
とても面白かったと思います。
ただ、“彼ら”の実験の目的が何だかはっきりしていないことが不満だったし、
主人公が超能力を身に付けて“彼ら”に立ち向かい、
奪われ行く世界を救おうとする、という流れがあまり好きではありませんでした。
最初はすごく面白かったのに、終わりに近づくににつれて
だんだん退屈になってしまった作品でした。
レベル3

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ラスト・ウェディング

青空とエメラルド色の海の楽園、西オーストラリアのロットネス島に、
親友同士の三組のカップルが週末を楽しむためにやって来た。
その一組、ハリー(ジャック・トンプソン)とエマ(ジャクリーン・マッケンジー)は、
今日にでもこの島で結婚式を挙げると突然宣言し、他の二組を驚かせる。
早速、ハリーは島中を駆け回って教会を当たってみるが、
結婚式を挙げるには様々な手続きが必要で、早くても2ヶ月後にしか行えないと言われてしまう。
そんな折、エマは友人たちに自分が余命2ヶ月だと宣言されていることを告白する。
神の前で永遠の愛を誓い、一緒に病気を乗り越えていこうとするハリーとエマの姿に
友人たちは心を打たれ、ふたりのために手作りの結婚式を執り行おうと奔走する。

不治の病に冒され、あと2ヶ月の命だと宣言された女性をあえて妻にしようという男性が居て、
そんなふたりの事情を知った友人たちが、精一杯の気持ちでふたりの結婚を祝ってやるという
実話に基づいた美しいお話です。
こういう作品で「感動しなかった」などと言うと、とても冷血な人間だと思われるのでしょうか。
でも私は実際感動しなかったし、この作品が何を表現したかったのかも分かりませんでした。
この映画では、ハリーとエマがどのような経緯で結婚を決意しそこに至ったのかとか、
ハリーとエマの友人たちが、かつて彼らとどういう付き合いをしてきたのかということが、
ほとんど説明されていないのです。
だから、肝心な部分で彼らの「何故」という気持ちがつかめず、感動にまで至らないのです。
それに、この映画では“結婚”ということの意義のうち
“結婚式”というものがとても重要視されて描かれています。
私は結婚の意義を“結婚式”にあるとは考えられないし、“結婚式”自体に憧れも持っていません。
だからこの作品が意味するところを理解出来ないし、感動出来なかったのかもしれません。
『神の前で永遠の愛を誓うこと』こそが結婚の意義だと考えている彼らの価値観は、
日本人である私たちには、やはり理解し難いものだと思います。
でも、彼らの考える結婚の意義は理解出来ないにしろ、
男女を問わず“結婚”や“結婚式”に多少の憧れを持っている人が観れば、
感動出来るお話なのかもしれませんね。
そうでない私にとっては、決してつまらなかった訳ではありませんが、
さして面白くもなかった作品でした。
舞台となったオーストラリアの海の景色が綺麗だっただけ・・・かな。
レベル3

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アイス・ストーム

1973年、ニューヨークの郊外にフッド家とカーバー家の2組の家族が住んでいる。
表面上は幸せそうに見える彼らは、色々な問題を抱えていた。
フッド家の主ベン(ケビン・クライン)は、妻のエレナ(ジョアン・アレン)とは心が離れ、
仕事一筋のカーバー家の主ジム(ジェミー・シェリダン)と妻ジェニー(シガニー・ウィーバー)の関係も冷め切っている。
そんな心の隙間を埋めるべく、ベンとジェニーは不倫関係に陥り、
夫の裏切りに薄々気づいていたエレナは、すっかり精神不安定になっていた。
そして、そんな家庭の空気を敏感に感じ取っていた彼らの子供たちは、
それぞれに鬱屈した気分を発散させるため、酒やドラッグに手を出し、早熟な性の遊びにふけっていた。
しかし、自分たちのことで精一杯の大人たちは、そんな子供たちの気持ちを知る由も無く、
出掛けたパーティで、新たな性のゲームに参加しようとしていた。
そして、そんな中とうとう悲劇が起こってしまう。

97年カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した作品。
『恋人たちの食卓』のアン・リー監督が、シガニー・ウィーバー、ケビン・クラインをはじめ、
クリスティーナ・リッチ、イライジャ・ウッドなど、生粋のアメリカ人俳優を使って撮った作品。
ハリウッドの娯楽大作に出てる俳優たちが、台湾人監督の元で一堂に会し、
こういう渋い作品に出演するということに、なかなか興味深いものを感じました。
本編はというと、2組の家族が複雑に絡み合って色んな問題を引き起こす、という暗〜いお話です。
この作品に出てくる2組の家族の人たちはみんなどこか心が病んでいて、
観ているとどんどん気持ちが落ち込んでいきました。
子供がまともに育っていないのは、自分たちに原因があるということに全く気づかないバカな親たち。
・・・・というか、子供がまともに育っていないということにすら気づいていない。
子供たちは親のことをみんな知っているのに、気づかれていることすら分からず、
表面だけ明るく幸せそうに振る舞おうとする滑稽さ。
そんな中でとうとう悲劇が起きて、初めて自分たちの愚かさに気づく親・・・・。
ラストシーンで、号泣する父親の後ろで微笑む息子のシーンが印象的で、
観終わった時に不思議な余韻が残る作品でした。
レベル4

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雨上がりの駅で

その日暮らしの気ままな生活を続けている、19歳の自由奔放な少女コラ(アーシア・アルジェント)は、
ある日アルバイト先の女性から、痴呆気味で放浪癖のある父親コジモ(ミシェル・ピコリ)を
尾行して欲しいという奇妙な依頼を受ける。
早速その老人の尾行を始めたコラだったが、2日目に彼はローマから長距離の電車に乗り込んでしまう。
行き先も目的も分からないまま、コラもコジモを追いかけて電車に飛び乗った。
そして予測出来ないコジモの行動に振り回され、コラはそのままイタリア中をさ迷うはめになってしまう。
そんなことをしながら、コラは自分自身もまた、生きる目的を見出せず人生にさ迷っていることに気づく。

この映画が表現したかったことと、私の視点がズレていたのか、
あまり面白い作品だとは思えませんでした。
私はとにかく、この放浪癖のある老人の行動に興味があり、
彼の行く先に何があるのかということばかり気にしなってしまって、
ラストで肩透かしをくってしまったような気がしてしまったのです。
あとで解説を読んで「あー、そういう作品ではなかったんだ」ということが分かりました。
冒頭から、コラという少女がどういう思いを持って日々を過ごしているのかがつかめなかったことも、
ラストでの彼女の心の変化が理解しきれなかった原因かもしれません。
色んな映画祭で賞を受賞しているようです。
見方を誤らなければ、良い作品なのかもしれません。
レベル2

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ライブ・フレッシュ

1990年のスペイン、マドリード。
ピザのデリバリーボーイ、ビクトル(リベルト・ラバル)は、
先週ディスコで出会った女性エレナ(フランチェスカ・ネリ)のところに電話をした。
しかし、イタリア領事の一人娘でマリファナに夢中のエレナは、ビクトルのことなど覚えておらず、
つっけんどんな態度で電話を切ってしまう。
偶然バルコニーにエレナの姿を見つけたビクトルは、諦めきれずに彼女の家を訪れる。
ビクトルを麻薬の売人と勘違いしたエレナは彼を家に入れるが、
相手がビクトルだと分かると、拳銃を持って彼を家から追い出そうとした。
しかし、その時エレナの持った銃が暴発、銃声がメイドによって通報され、
パトロール中の刑事ダビド(バビエル・バルデム)と先輩刑事のサンチョ(ホセ・サンチョ)が現場に急行した。
エレナを諦めて帰ろうとしたビクトルだったが、ドアの向こうに2人の刑事が銃を構えていることに気づき、
エレナをかばうために、とっさに彼女の頭に拳銃を突き付ける。
やがてもみ合いになったはずみでビクトルの持った銃が暴発し、その銃弾がダビドを直撃してしまった。
2年後、下半身付随となったダビドは、バルセロナパラリンピックで、
車椅子のバスケットプレーヤーとして大活躍し、国民のヒーローとなっていた。
そして、エレナは彼を支える妻となっていた。
エレナをかばって何も言わずに投獄されたビクトルは、
テレビに映るダビドの勇姿と、彼を応援する美しきエレナの姿を見て、復讐に心を燃やすが・・・・。

主人公のビクトルという純真無垢な青年と、彼が愛した女性エレナ、
そしてダビドとサンチョというふたりの刑事とサンチョの妻クララという
3人の男性と2人の女性が絡み合う愛憎物語。
私の記憶の中では初めて観たスペイン映画でしたが、とても面白かったです。
物語は、ビクトルの誕生のシーンから始まります。
母親が走る市バスの中で悲痛な叫び声をあげながら男児を産むシーンから、画面に引き込まれてしまいました。
そうやって誕生した子供に国中の賛同が集められ、市の交通局長が母親とビクトルに、
一生市バスにタダで乗れる特別パスを進呈したという設定が面白いし、
それをテレビが「この赤ちゃんの人生は“軌道に乗った”も同然です」と報道するのに反し、
彼は不条理な事件に巻き込まれて犯罪者となってしまい、投獄されてしまうという展開もまた面白いです。
ビクトルは獄中でエレナに復讐を誓うのですが、その“復讐”というのが、
“世界一の性豪になってエレナと一晩を過ごし、エレナが自分に首ったけになったところで捨てる”
という、かわいらしいもの。
しかし性体験が未熟なビクトルは、偶然知り合ったサンチョの妻クララをレッスン相手に、
本当に日に日に性豪への道を上りつめていくのです。
そして遂には・・・という展開なのですが、このビクトルが実に純粋で努力家で魅力的な好青年で、
自然にビクトルに肩入れして観ている自分に気づいてしまいました。
この作品の監督、ペドロ・アルモドバルという人は、見せるところはとても丁寧にきちんと見せ、
環境の変化や感情の変化など、省略出来る部分は極力省略して物語を組み立てているのですが、その手法は見事。
時々スペイン風の濃い〜歌がバックに流れるのが気にはなりましたが、
スペイン映画が私の想像とは違い、とても繊細なものだったので、新鮮な驚きもありました。
ただ、ラストがどうも私の好みとは違うんです。もっと“毒”が欲しかった。
せめて市バスの特別パスをオチに使ってくれていれば、間違いなくレベル5だったんですけどね。
レベル4.5

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ジュリアン・ポーの涙

日々の生活から抜け出し、ふらりと一人旅に出たジュリアン・ポー(クリスチャン・スレーター)。
名も知らぬ田舎町にたどり着いた彼だったが、そこは南北戦争以来よそ者を目にするのが初めてという、
世の中から隔離された町だった。
「こんな田舎町にわざわざやってくるなんて変だ。奴は麻薬の密売人か、あるいはテロリストか」
彼はたちまち町中の噂になり、町の人々は彼をまるで犯罪者のように監視し、つけまわした。
市長や保安官からこの町に来た理由を尋ねられたジュリアン・ポーは、たまたま立ち寄った経緯を話すが、
彼を犯罪者と信じて疑わない彼らには、その真実はどうしても信じてもらえない。
執拗な問い詰めに困り果てた彼は、苦し紛れに「人生に疲れ、この町に自殺しに来たんだ」と嘘をつく。
その言葉は何故か町の人々の心に共鳴し、それ以来彼は町の人々に尊敬され、手厚い歓迎を受けることとなる。

フジテレビ系の『世にも奇妙な物語』で、さんざん観てきたようなストーリー。
ふとたどり着いた見知らぬ町で、変な住人たちに翻弄されていく男の話といえば、
オリバー・ストーン監督、ショーン・ペン主演の『Uターン』というのがありましたが、
ストーリーやビジュアル面を含め、総合的に比較すれば、完全に『Uターン』の方が上でしょう。
とにかく、映画が始まって30分後「人生に疲れ、この町に自殺しに来たんだ」と
ジュリアン・ポーが思わず吐いてしまった嘘ひとつでラストシーンが読めてしまい、
それからは想像通りの展開で、退屈の極みでした。
1時間24分という短さだけが救いでしたが、ストーリーの稚拙さに加え、それ以外の見所も全くありません。
『ジュリアン・ポーの涙』という邦題も、全く的外れ。
日本の配給会社が苦し紛れに付けた邦題と予告編に騙されたという気がしました。
レベル1

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スライディング・ドア

広告代理店で働くヘレン(グウィネス・パルトロウ)は、作家志望のジェリー(ジョン・リンチ)と同棲している。
ジェリーには収入は無く、ヘレンが彼を養っている状態だが、彼はヘレンが会社に出掛けると
すぐに昔の恋人リディア(ジーン・トリプルホーン)を部屋に呼び込んで浮気を繰り返していた。
ある朝、ヘレンは会社に着くと突然のクビを言い渡されてしまう。
意気消沈して家に向うヘレンが、地下鉄の閉まりかけた扉に滑り込んだその時、
その地下鉄に乗れたかどうかで、彼女の人生は全く違う方向に進むこととなる。
地下鉄にギリギリで乗ることが出来たヘレンは、車内で隣に座った男性ジェームズ(ジョン・ハンナ)と出会う。
彼と話をしているうちに、ヘレンは会社をクビになって落ち込んでいた気分が持ち直す。
しかし、家に帰るとジェリーはリディアと浮気の真っ最中だった。
そのまま家を飛び出したヘレンはジェームズと再会し、彼と親しくなっていく。
そして彼に励まされながら、彼女は自分で小さな会社を興し、充実した日々を過ごし始める。
一方、地下鉄に乗れなかったヘレンは、後続の電車が事故で遅れたためタクシーに乗ろうとするが、
バッグをひったくりに合いそうになり、ケガをして病院へ。
帰宅した時にはすでにリディアは帰ったあとで、ヘレンはジェリーの裏切りを知ることはなかった。
彼女はジェリーとの生活のため、ウェイトレスやサンドイッチの配達で朝から晩まで働き続けたが、
ジェリーは相変わらずリディアとの浮気を繰り返し、やがてヘレンは彼に不審を抱くようになる。

「もしも、あの時**だったら、自分は今ごろどうなっていたんだろう」と思うことは多々あります。
そんな偶然と選択の積み重ねである人生の、私の中での永遠の疑問でもあるようなことを見せてくれた作品でした。
同じような視点で描いたものに、岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』という作品がありますが、
この『スライディング・ドア』ではヘレンの2つの異なる人生が、同時進行していくところが面白く感じました。
2つのラストシーンには賛否両論があると思いますが、
結局「人生なんて、何が起こるか分からない。幸せかどうかはその人自身の考え方次第で変わってくる」
ということを描いた作品だと思うので、私は2つの人生の対等な終わり方が良かったと思います。
ダイヤルM』を観た時、初めてグウィネス・パルトロウの良さが分かった気がしましたが、
この作品のグウィネスもすごくカッコよくて、かわいかったです。だんだんキレイになっていく感じがします。
それにしても、どうしても納得いかなかったのは、ジェリーという男です! 許せない!
全く魅力は感じられないのに、リディアは何であんな男がいいんだろう。
今の恋人ヘレンから奪い返してやろうという気持ちがよく分かりませんでした。
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