12月30日 (木) 雨
朝6時半に目がさめました。トイレに行ったついでに甲板に出てみたけど、真っ暗でした。
エンジンの振動やらうねりやらはあるけど、まあ許容範囲内。眠れないとか船酔いするということはありませんでした。
8時に宮古島の平良港に入港。10時出港なので少し上陸する時間があります。さっそくタラップを降り、山積みされている貨物やコンテナの間を縫って、平良市街に歩いていきました。街にはほとんど人通りがありません。やはりここに来たからには、まず宮古島の総鎮守ともいうべき漲水御嶽(はりみずうたき)にお参り。立派な鳥居が立ち、社殿に大きな「おさいせん箱」が置かれているのが、かえってなんだか違和感があります。
しばらく街を歩き回っていたら公設市場に出ました。ここには多少人が集まっています。いくつか野菜を売る店が出ていました。近くに宮古そばの店が開いています。この時間帯に平良の街で営業している飲食店は、ここだけかもしれません。
ぶらぶらと港の方向に戻っていき、ターミナルビルに入ってみたら、売店が開いていました。昼食にジューシーのおにぎりを買いました。2個入っててんぷら付きで200円。安い。
船のレストランの朝ご飯は660円でした。やはり船での食料は自力調達に限ります。
平良に入港する「かりゆしおきなわ」 荷揚作業中
まだまだ時間があるので、港周辺の観光スポットをまわってみました。まず最初に見に行ったのが、昔、琉球王国の軍勢に協力して八重山を討伐した仲宗根豊見親(なかそねとぅいみや)の墓。桟橋のすぐ近くにあって、その周辺には新旧いくつかの墓が集まっています。墓の前に立って、頭の中で時間を数百年昔に戻してみました。するとそこには、真っ白な砂浜が広がりました。昔ここは、「漲水ぬクイチャー」(メロディはこちら)に、
漲水(ぱるみず)ぬ 舟着(ふなつく)ぬ 砂(しな)んなぐぬよ ヤイヤヌと歌われたように、広大な砂浜だったのでしょう。そして、これらの墓がある場所は、向こうに伊良部島を望む、その浜辺の丘のふもとにあたっていたのだと思います。でも、今では埋め立てられて埠頭ができて、コンテナや貨物が山積みとなり、せっかくの眺めをさえぎっています。おまけに、仲宗根豊見親の墓の前の岸壁には、グレーに塗装された不粋(ゴメンね)な海上保安庁の船がどーんと横付けされています。八重山ファンからすると、仲宗根豊見親はどちらかといえば敵役なのですが、こうなってしまうと、ちょっと気の毒。
ヨーイマーヌ−ユ 砂んなぐぬよ ニノヨイサッサイ
粟(あわ)んななり 米(くみ)んななり 上(ぬ)り来(く)ばよ ヤイヤヌ
ヨーイマーヌ−ユ 上(あが)り来ばよ ニノヨイサッサイ
(漲水の舟着場の白砂が 粟となり米となってやってきたならば……)
そこからしばらく歩いたところには、人頭税石があります。車で通過すると気づかないくらいのこじんまりした石。胸くらいの高さでしょうか。
仲宗根豊見親の墓。階段状の珍しいつくり。
宮古を出港。雨がやんできました。
上の甲板で写真をとっていたら、ブリッジから出てきた船員さんたちに声をかけられ、しばらく雑談しました。
年配の船員さんの、多良間島に上陸した時の話が面白かったです。夜だったというから、たぶん島の飲み屋さんかどこかで一杯やろうと思ったのでしょう。ところが、多良間島の集落は島の北側にかたまっていて、船の入る普天間港は島の南東部。集落までは、サトウキビ畑の中、3キロほどの道のりをえんえん歩かなければならないのです。船員さんの談。
いや〜、あれは参ったさぁ。港には誰もいないし、暗くて道わからんし……星を見て、たぶんこっちだろうなんて見当つけて歩いたんだけどねぇ……(笑)船員さんたちと話をしている間に、船は多良間島と水納島との間にさしかかりました。
今年の5月には、ここを水納島の宮国さんの船、「しらはま」で横切っていったんだなぁ……となかなか感慨深いものがあります。あの時は船が揺れまくって海上ロデオ状態だったけど、さすがは6600tの大型貨客船、ゆったりと波を押し分けていきます。
多良間島と水納島の間で、有村産業の船「飛龍」とすれちがった。
そろそろお昼時なので、船員さんたちに別れを告げて下の甲板に降りることにしました。船員さんたちはみんな親切で、「これ持ってけ」と、ジミーのパンの袋詰めをくれました。
石垣島に着いたのは、予定より1時間遅い4時。船は石垣島の北側を回り込んで石垣港に入港します。船からクラブメッド・カビラの建物も見えるはずと聞いていたのでデッキに出て目をこらしていたのですが、島は雲に隠れて全然見えず、やっと見えたと思ったらもう観音崎の沖合(フサキビーチリゾートのあるあたり)でした。
石垣港ターミナル。ボーディングブリッジがのびてくる。
ターミナルに着いてはじめてわかったのですが、空港と違ってここには客待ちしているタクシーなどいません。電話をかけて呼ぶか、自力で宿まで歩いていくしかないのです。地元の人たちが次々と迎えに来ていた人の車に乗り込んで去っていくのを横目に、ビンボー人のわたしは荷物を背負って黙々と歩きます。いいかげんばてそうになった頃、ようやく今晩の宿、「楽天屋」に到着。
「楽天屋」では、今度は畳敷きの部屋に案内されました。ゴールデンウィークの時に泊まった洋室と同じ北側ですが、もう少し手前の部屋です。部屋で荷物の整理をしていたら、妙な感覚に気がつきました。身体がなんだかフワーッと揺れているような感じ。その後もしばらく、動いている時はいいのですが、じっとすわっているとこの感覚が襲ってきました。以前乗った伊豆諸島の利島航路の時にはこんな現象は起きなかったのですが、やはり今回の方が多少揺れが大きかったし、乗っていた時間も長かったせいでしょう。
夜、さんきちさんとsimoraさんと3人で美崎町に繰り出しました。simoraさんは明日与那国島に飛んで、最西端のカウントダウンイベントに参加するそうです。まず「八重山村」に呑みに行き、名物「ぐるくんおにぎり」で腹ごしらえをしてから、安里勇さんの民謡ライブハウス「安里屋」に移動。
安里のおじさん、相変わらずパワフル。今夜が今年最後のステージとあってか、客ものりのり。いきなり服を脱いで下着姿になったり、上半身裸になって踊り出す人もいます。うひゃ〜。
店を出たのは午前1時。入った時よりネオンの数は増え、あたりは一段とにぎやかになっていました。
恐るべし、美崎町。