イタリア左翼民主党の規約を読む

 

基本原理4つと条文の特徴

 

(宮地作成)

 〔目次〕

      はじめに

   1、基本原理

       第1、社会主義観の転換→政治、経済、市民社会の漸次的な民主主義化

       第2、革命路線と断絶→強力な改良主義へ転換

       第3、前衛党概念の否定・放棄、イデオロギー的党否定→自ら限界の原理

       第4、民主主義的中央集権制と断絶→指導部統制の原理と多元主義

   2、条文の特徴

        1、女性と男性の党

        2、権利、義務にかんする条項

   3、今後の課題−理念、条文の徹底のために

 

 (関連ファイル)            健一MENUに戻る

     石堂清倫氏の手紙

     左翼民主党規約全文

     『民主集中制の放棄とフランス共産党』

     『ゆううつなる党派』日本共産党規約の運用実態

     日本共産党規約

 はじめに

 1996年のイタリア総選挙で、中道左派連合が、319議席を獲得し、その政権が誕生した。左翼民主党の得票率は21.1%だった。中道左派連合、右派連合、北部同盟という構図の中で、政権の中心勢力である左翼民主党の政治路線、組織はどのようなものか。政治路線、政策についてはかなり紹介されているが、その規約について検討するのも興味がある。

 イタリア共産党は、1987年の中央委員会のオッケット報告(当時副書記長)において党の刷新を提起し、「『複数の提案』をめぐって展開するという慣習を形成する」という提言を行った。そして、1989年第18回大会において、強力な改良主義路線を採択し民主主義的中央集権制と分派禁止規定を放棄した。1990年第19回大会にむけて3つの大会議案が提案され、第1議案(オッケット議案)が67%の支持で採択された。そこでの中央委員の選出はその3つの各議案の得票に比例配分するというシステムで行われた。

 1991年第20回大会も3つの大会議案が提案された。党名もイタリア左翼民主党に変更し、新規約を採択した。1997年の第2回大会時点では、党員数68万人で、そのうち女性党員は28.5%を占めている。 (以下の規約前文、条文は、後房雄名古屋大学教授編著『大転換』(1) の党の規約に基づいている。)

 1、基本原理

 規約前文として、党の構造、目標、組織運営のあり方が述べられている。そこでは旧来 の党とのちがい、何と断絶し、何を継承し、転換するかが明確にされている。その中で主として以下の4点でその断絶的刷新を見てみる。

 〔小目次〕

   第1、社会主義観の転換→政治、経済、市民社会の漸次的な民主主義化

   第2、革命路線と断絶→強力な改良主義へ転換

   第3、前衛党概念の否定・放棄、イデオロギー的党否定→自ら限界の原理

   第4、民主主義的中央集権制と断絶→指導部統制の原理と多元主義

 第1、社会主義観の転換→政治、経済、市民社会の漸次的な民主主義化

 第1は、社会主義観の転換である。「左翼民主党の構想は、国内的レベル、国際的レベルにおける社会主義としての民主主義 である」とし、「社会の全面的民主化としての社会主義」であるとする。その目標は「政治、経済、市民社会の漸次的な民主主義化」においている。

 既存の社会主義については、「共産主義の名において形成された専制体制の破産」とした。採択された大会議案では「産業主義、量的成長、一国規模の発展、国家主義の中で形成された過去の社会主義」と規定した。「民主主義的中央集権制克服は国際共産主義の伝統だけでなく、イタリア共産主義の伝統との関係においても明確な断絶をなす」とし、それは「資本主義と社会主義のイデオロギー的な対置根本的な克服をもたらす。強力な改良主義を構築し・・・しかし(このヴィジョンは)レーニン主義的な起源からは大きく隔たっている」(2) とする。

 こうして過去の社会主義とは、マルクス、レーニンを含め、明確に断絶し、社会主義と民主主義との関係を位置づけつつ、社会主義の新しいイメージ、理念として相互依存、北と南の関係、持続可能な発展、経済民主主義、性別分業の克服などの挑戦をその具体的な内容とした。

 第2、革命路線と断絶→強力な改良主義へ転換

 第2は、革命路線断絶し、改革的政党、強力な改良主義へ転換した。 前文において「人間社会の根本的な変革のための諸改革という政治綱領である」と述べ自らを「改革的政党」と位置づける。大会第1議案では「分配過程だけではなく、構造へも切り込みうる強力な改良主義」、「蓄積メカニズムを直接に攻撃しうる強力な改良主義が必要」とする。この内容については大会議案が詳細に述べているのでここではこれ以上触れない。

 第3、前衛党概念の否定・放棄、イデオロギー的党否定→自ら限界の原理

 第3として、前衛党否定し、民衆的で大衆的な党、イデオロギー的でない党を目指す。さらに前衛党概念放棄にともなって、自ら限界の原理を認めた。

 前文では「民衆的で大衆的な改革的政党、イデオロギー的でない政党、予め構成されたモデルを追求することのない政党であることを望む」とする。その上で「政治やあらゆる政治組織の限界の原理、すなわち、あらゆる党員の思想的意識を代表しているといううぬぼれとの関係での限界、市民社会における新しい主体、運動、組織の出現との関係での限界、公的諸制度との関係での限界という原理を受け入れる政党である」という枠を自らにはめている。

 そもそも前衛党とは、 何か。

 ()、軍事用語暴力革命に転用した「前衛部隊、後衛部隊」という戦闘組織概念から出ているものである。当然それは革命運動における指導部隊、指導政党としてのうぬぼれた自己規定を当初からはらんでいる。ただ、マルクスの前衛概念、レーニンの前衛党概念においては、暴力革命=自ら戦争を引き起こす、または帝国主義戦争を内乱に転化するという軍事路線を採択する以上、少数精鋭部隊としての軍事的前衛部隊、レーニンのいう職業革命家の党としての前衛部隊がその政治的軍事的路線上客観的に必要だったということは事実であろう。

 (2)、さらには、その「うぬぼれ」が発展して、認識論上で、科学的真理の唯一の認識者、体現者と自己規定し、前衛党以外の他者はその真理を認識できないとする恐るべき差別イデオロギーに転化した。

 (3)、前衛党概念には、自己意識としての「前衛という自覚」の問題もふくまれるが、これはあくまで (1)、(2)があってのことである。

 前衛党概念とは、ヨーロッパ啓蒙主義の系譜につらなるものである。同時にそれを、自己を絶対的優越者の地位に置き、他者すべておよび大衆を従属的同盟者、被指導階級の地位に押し下げるというエリート主義的差別主義的イデオロギーに変質させたものといえよう。

 前衛党概念に依然として固執する共産党がある中で、それを否定するのみでなく、限界の原理として発展させたことは重要である。その限界の原理とは、思想、大衆組織、法制度をふくめ市民社会秩序との整合性を明確にしたことである。高橋彦博氏は、その整合性について「出自が異端の党派であり、異議申し立て人の党派である社会主義政党の場合は、特に市民社会秩序との整合性が求められる」(3) と強調している。

 その限界の原理は3つの内容を持っている。

 1)党員の思想を拘束する世界観政党断絶し、その思想代表性限界を認めた

 党とは綱領、規約の範囲を限界とし、党員の全生活の一部にかかわるのみとし、従来の代表観を「うぬぼれ」として否定した。

 2)大衆運動、大衆組織との関係での限界を認めた。

 これは、ベルト理論放棄したとともに、その内容の一つとして政治と文学における政治の優位性という時代錯誤的な概念放棄したことを意味する。

 それのみでなく、それは大衆運動との関係で、前衛党が「唯一の〜」といううぬぼれからそこでの絶対的主導権を狙い、要求するという観点とも断絶し、自らを常に限界つきの相対的地位に置くということであり、この党と他の諸勢力との連合形成能力を一挙に高めるものとなった。前衛党概念を保持しつづけるかぎり、統一戦線とは、権力奪取までの一時的戦術同盟者拡大手段にすぎないのであり、統一戦線はその党自らの思想にまで高まることは決してない

 なぜなら、権力獲得後は、科学的真理の唯一の認識者、体現者たる前衛党は、いかなる卑劣な手段を使ってでも統一戦線内の他者、同盟者を排除し、自らが絶対的地位を獲得するのは当然という目的が表面化するからである。これは14カ国の社会主義すべてにおいて権力奪取後に進行した歴史的事実である。その結果として、14カ国のすべてで前衛党による一党独裁体制が確立した。そこからは統一戦線破壊者革命の成果簒奪者(さんだつしゃ)という前衛党の本質が浮かび上がってくる。

 前衛党のこのようなうぬぼれた、かつ危険な本質は、すべての他党派から今や見抜かれている。そのような前衛党に対し、誰が統一戦線や連合形成をしようとするであろうか。前衛党の孤立化現象は、反共攻撃のためという側面のみではなく、むしろ自己の側にその主要な原因を持っていると見るべきであろう。

 前衛思想放棄とこの限界の原理の承認は、その連合形成能力を飛躍的に高め、かつ他党派からの信頼感を取り戻し、左翼民主党へ転換後の左翼同盟の結集、運動において大きな効果を生み出している。

 )公的諸制度との関係での限界を認めたことは、市民社会秩序としての憲法、政治資金法制、選挙法制等の規制を認めるというのみでなく、積極的側面として私的な政党が政権を取っても、即ち政府行政の公職を占めても、その運用においてそれを私物化したり、癒着したりしないという謙虚な自己限定を宣言したものである。

 政府、行政等の公的諸制度を政党の利害に従属させないこと、政治と行政とを峻別するという限界を宣言した。

 それは、 1、前衛党と国家との癒着という14カ国の国家社会主義すべてにおいて見られた現実への反省とともに、 2、公職を政権党が私物化し、汚職、腐敗を生み出してきたイタリア既成与党批判としての原理という2つの背景を持っている。

 以上の3つの内容での限界の原理を認めるということは、前衛党概念決定的に断絶したと同時に、党員1人1人が市民として成り立つ政党となることを意味する。具体的には党内においてもその構成員の市民的権利、即ち憲法、民法上の諸権利を尊重することとなる。前衛党とは、義務強制組織原理としての民主主義的中央集権制を不可分のものとしてきた組織であり、党内においては党員権軽視、市民的権利軽視の原理として、個々の党員の様々な党員権侵害、市民権侵害の事例を発生させてきた。

 14カ国の一党独裁下における数百万人におよぶ自らの共産党員粛清、殺害行為こそ、その権利軽視、無視原理の最大の証明である。世界史の中で自己の組織の構成員をこれほどまでの規模と冷酷さで虐殺した組織は前衛党以外にはないであろう。

 資本主義社会での非政権の前衛党=日本共産党においても、党内での人権侵害事例は限りなく発生している。()中央批判したことを原因とする専従解任、()中央決定に異論を唱えたり、素直に従わないことを真の理由とする平和運動、文学運動の大衆団体グループへの不当な干渉、()専制的な専従役員解任、除名、()憲法で保障された裁判請求権行使を直接の理由とする除名など、その事例は枚挙に限りない。()「結社の自由」に基づく組織であるからという理由で、治外法権の秘密結社のままでいること、即ち党内には人権、市民的権利の尊重という法的規制は及ばないことは許さないというのが、この限界の承認の重要な意義である。

 第4、民主主義的中央集権制と断絶→指導部統制の原理と多元主義

 第4に、民主主義的中央集権制と断絶し、かつその本質的側面としての一枚岩主義否定し、指導部統制の原理と多元主義を承認した。

 前文では「指導者主義的ではなく、寡頭制的ではなく、上部主導的ではなく、諸潮流へ結晶化していない政党であることを望む」とした。従来の指導原理と指導実態を4点に分析し、その否定を明確にした。そして「多元主義で民主主義的な党、自らの内部分岐や相違を価値、資源として生きる党、外部に対して開かれた党であることを望む」、「政治的決定における多数決の規則はさまざまな政治的、文化的立場の自律的な形態や手段をも含む多元主義の完全な承認を基礎とする」として多元主義を公然と承認した。

 民主主義的中央集権制および分派禁止規定放棄は、そこにさまざまな側面をふくんでいる。 後の規約条文でも触れる権利義務条項でも決定的な転換内容をもっている。ここではその権利義務条項以外の2つの点を触れておきたい。

 1中央集権制を否定し、指導部統制という原理を導入

 オッケットは次のように言明している。「民主主義的中央集権制は、たしかに派閥主義的堕落阻止した。しかしさまざまな思想が、綱領の自由な表明を行うためには、常に不可欠な指導部を統制のもとにおくという点において大きな限界をもっていた」、「指導部の統制は、実効的な耐えざる民主主義的統制のもとにおかれなければならない。

 民主主義的統制迅速で効率的な決定は相互に補完しあう」。 民主主義的中央集権制の功罪の両側面についてはっきりと規定し、それに基づいて中央集権制断絶するのみでなく、明確に指導部統制の原理を打ち出したこと、条文でその指導部統制の措置を具体化したことは、原理上の転換として重要である。

 2、民主主義的中央集権制表裏一体としての一枚岩主義を否定し、多元主義を確立

 一枚岩主義とは、民主主義の本質的要素である異論、批判の包摂の論理欠けており、逆に党内において異質物排除の論理、もしくは、異論者・批判者除外した同質的な状態を固定し、結晶化する体質を示すものである。その組織内での批判の自由は規約文面上だけのまったく形式的なものに変質する。全員起立の嵐のように続く拍手、どの大会でも満場一致の採決などは民主集中制型組織内での反対派の権利封殺の象徴的現れである。

 それに対して、自らの内部分岐や相違を党にとって価値、資源として積極的に位置づけるという所に、意見の相違の評価について、もしくは旧来の用語で言う「分派」の評価について、発想の根本的転換がある。

 それのみでなく、「多数決の規則は・・・多元主義の完全な承認を基礎とする」という具体的な中身が、また画期的なものである。冒頭に触れたように、第19回大会でも、第20回大会でも、大会代議員、中央委員の選出は、3つの大会議案の得票に比例配分されて行われた。各段階の次期指導機関の選出もその3つに比例配分で行われた。

 さらに、多元主義の一つともいえる女性と男性の党の面でも後で詳しく検討するが、両性間の不均衡是正として、各性が中央委員会で40%以上、代議員においては3分の1以上を占めることとなった。そこでは男性リストと女性リストの2つの候補者リストに基づいて、その比率になるよう話し合いで決定された。

 党内にこのような形で比例代表制を持ち込むことを、即ち多元主義と結合した多数決原理の導入を、党内民主主義のまったく新しい画期的段階を作り上げると見るのか、それとも「分散主義の極致」と見るのか、見解が分かれる所であろう。

 ただ、この民主主義的中央集権制分派禁止規定放棄に止まらず、さらに一歩進めて明白な多元主義の承認へ発展、転化するには、イタリア共産党内部での長い党内論争の歴史があり、それが党内で成熟してきていたものが明文化されたものといえる。

 1990年の第19回大会も、1991年の第20回大会も、大会議案として3つが提案された。その背景には党内に組織されてない潮流が存在していたのであり、第19回大会議案を作るため初めて「組織された潮流」が形成され、それが3つの議案となって出現した。そして各議案提案者がセンターを作り、支部レベルにも幹部を派遣し、選挙運動をした。党内民主主義のあり方としての多元主義の承認において、その出発点となったのは、1966年の第11回大会でのイングラオ発言だった。

 イングラオはその大会で ()政策、路線上の対抗報告、()「異論の公開」、即ち指導機関における論争を党の底辺、さらには党の外部へ知らせるべきという要求を行った。彼の要求は拒否され、激しい攻撃を受けたが、イングラオは指導部から排除されなかった。そして指導部内における異論の存在が政治的事実として確立され、認知され、党内にイングラオ派というべきものが形成されていった。

 他方でそのライバルとして「右」においても同様のエリア=右派が成立していった。その後、大会や中央委員会をふくめる各段階での討論が公開され、さらには集会、新聞、雑誌などで多数派の方針とは異なる立場を表明することが事実上承認されていく中で、諸潮流の存在とそれらの間の論争という事実はイタリア共産党内において徐々に市民権を獲得していった。

 こうして、オッケットの中で、思想的理論的な諸潮流の対抗を、積極的なものとして生かすような党内民主主義のあり方が志向されていった。その歩みはイングラオ発言を出発点として成熟していき、1986年第17回大会「そのたびごとに決定される多数派の立場とは異った立場を公然たる形においても保持し主張する権利」が規約に規定され、1989年第18回大会では「民主主義的中央集権制」と「分派活動の禁止」が削除され、そして第19回大会では、事実上の潮流が「組織された潮流」に変わり、3つの大会議案となって現れ、かつ比例代表制による代議員選出、中央委員選出となった。

 以上の経過は、後房雄編著『大転換』第3章に詳細に分析されているが、そこにおける党内民主主義のあり方はまさに異論を排除せず、尊重するという政治文化の質を反映しているものともいえよう。次のオッケット報告がその「組織された潮流」の意義を説明している。「さまざまな構成要素が正統性をもって組織され、公然と存在していることは、イデオロギー的化石化阻止し、そしてとりわけ指導集団の政策を絶えず正当化するものとしてのイデオロギーの使用阻止するための保障なのである」(4)

 この「組織された潮流」をいぜん「分派」ときめつけ、排除し、「多元主義」に対して「分散主義」というレッテルを貼り全面否定する日本共産党=宮本・不破・志位らと、それらに積極的価値を見いだす左翼民主党との間には、党内民主主義のあり方について180度異なる価値観が存在する。現存した社会主義および国家、社会、党の組織運営原理としての民主主義的中央集権制の歴史的破産という事実を前にして、いずれの価値観を選択すべきなのか。

 2、条文の特徴

 ここでは、主として従来の規約と大きく異なる2つの問題−1、女性と男性の党。2、権利義務条項について触れたい。

 〔小目次〕

   1、女性と男性の党

   2、権利、義務にかんする条項

 1、女性と男性の     左翼民主党規約全文へ行く 日本共産党規約へ行く

 このテーマは、3つの大会議案でもすべて強調され、先頭に位置づけられ、規約前文でも、条文でも重要な位置を占めている。このテーマについてはまさに全党的合意が成立している。

 1、なぜ「女性と男性の党」なのか−規約の内容

 まず規約の内容を見てみる。前文「女性と男性の党。なぜなら女性たちの自己意識によって文化、政治、社会関係に刻印された刷新的な推進力を必須のものと考え、2つの性の存在を前提にした社会という目標を掲げるからである。両性間の対立の政治的生産性女性の政治的自律性を承認するからである」。

 第2条、女性と男性の党・・・第1章の加入条項についで規定されている。

2、指導機関、執行機関、大会への代議員、選挙や公職の名簿において、両性は基本的に平等に代表される。どの性の代表も40%を下回ってはならない。
3、女性党員は、活動の自律的形態や、非党員との連携をも行う別個の組織を形成する。
4、党は彼女たちの場所、資源、情報機関へのアクセスを保障することによって彼女たちの自律的構想の価値を尊重する

 第24条、全国女性会議・・・第4章大会の中で、その一つとして女性の大会を認めている。女性会議とは、女性の構想や政治を議論し、方針を決定する。

2、女性会議は、地域連盟、県連盟および州連盟で領域内で招集することができる。
3、全国女性会議は少なくとも3年ごとに招集される。

 第34条女性評議会・・・第5章指導機関の中で、その一つとして女性の指導機関を認めている。その内容として7項目を定めている。

2、女性評議会は、女性会議によって決定された方針や目標の範囲内における女性たちの自律的な協力を議論し決定する
3、女性評議会は、党の指導機関の招集や、その議事日程にのせるべき問題に関して提案権をもつ。さらに第2条第2項が規定している候補者選択の基準や候補者名簿に関する提案権を持つ。

 2、規約の4つの政治的意義

 これらの条文は左翼の運動、フェミニズム運動にとって大きな、4つの政治的意義を持つ。

 第1、上記条文確立の位置づけ

 大会第2議案(イングラオ議案)では「女性と男性の政治的共同体の再構築がこの大会の第1の挑戦である」と第1義的意味を認めている。大会第1議案(オッケット議案)でも「それぞれの性に対して自らの部分性を認識し・・性の2重性を自らの基礎とする女性と男性の党になることをめざす。新しい党は、女性たちのさまざまな政治的実践を承認し活動や政治提案への接近における機会の平等を実現し、そのことによって両性間の権力関係を変化させるために活動する」とする。

 こうして性差の問題を両性間の権力関係と位置づけ、それを変化させる党をめざすという画期的な宣言といえる。

 第2、条文・大会議案の背景として、性差問題の把握

 第19会大会の第2議案(イングラオ議案)では、「性差にかかわって党がなしうる真に革命的なことは、女性の存在が女性の力となり、男性の党によってその目的のために利用されることがないようにする実践的な方法を見いだすことである。女性の巨大な貢献と彼女たちの社会的な力の弱さとの間の不均衡は、われわれの社会の根本的な否定的特徴である」(5) ととらえている。

 第20回大会での「左翼民主党のための女性憲章」(賛成派女性グループの文書、採択しない)における女性党員たちの側からの把握はどうか。「女性たちは、男性によるもっぱら男性の基準で考えだされ、形成された文化、象徴、制度、法的構造、経済構造、社会構造、政治構造と衝突している。女性の自由は、それが既存の象徴秩序、社会秩序を破壊するものであるがゆえに、それ自体が変革の力である。両性間の対立は、他者の絶滅をめざすものでないような権力対立である」として党が反差別的方法(40/60〔一方の性が60%を超えないこと〕)の採用を提案し、それが規約に取り入れられた。

 男女間の不均衡を社会の根本的な否定的特徴としてとらえ、その対立を権力対立であると規定し、男女の実質的平等をめざす運動自体が社会変革の力と位置づけるのである。

 第3、イタリア共産党の活動、および、フェミニズム運動の到達点反映

 これは、理想主義的目標を掲げたというものではなく、それまでのイタリア共産党の活動、および、フェミニズム運動の到達点を反映しているものである。

 1986年の第17回大会前後から、女性党員たちが党内での独自の連携体制を形成、強化し、その発言力、影響力を強めてきた。それは女性党員独自の政治文書の作成など活発な運動となった。上記条文の第24条、第34条はそのその独自の組織された空間の一つの形態である。

 それは、フェミニズムとの出会いを根本とし、1986年の第17回大会において指導機関における女性の25%割当制が導入され、その後同年十月の女性党員回覧文書「女性憲章」をへて、さまざまな女性の対等性や解放のための闘争、離婚法や中絶法に関するレファレンダムへの大きな貢献、性的暴力に反対する活動などの長い歴史の上に到達した性差の認識と運動の到達点の規約条文への反映である。

 一方、この反差別的方法(40/60%という割当制)を規約条文に明記するということは、現状がその段階にまで到達していないことに対する法的強制という側面を持っている。現状がその40/60%を達成していれば、条文明記の必要は当然ないからである。ここで運動組織または政党の規約が、未来社会の萌芽を持つべきという思想との関連も生ずる。

 目的とする社会の人間関係のあり方を、目的実現手段たる運動組織、政党の内部において「未来先取り的」に実現していくことが望ましいか否か、その面でこの40/60%のクウォーター制=割当制が正しいか否かという問題をふくんでいるといえよう。

 第4、クウォーター制、割当制のヨーロッパフェミニズム運動における位置

 このクウォーター制、割当制は、ヨーロッパのフェミニズム運動の中でどういう位置を持つのかということである。

 女性の平等問題は教育、職業、政治、家族の4つの領域にまたがる総合問題である。そして政治の場における女性の平等問題として、この割当制がヨーロッパでは一つの焦点となって浮上している。

 ドイツの緑の党は、1986年に女性規約を採用し、党内での女性の平等を保障するために党の役職、議員の50%割当制を決定し、実行している。ドイツのSPD(社会民主党)も、1988年党大会で各種選挙の候補者名簿の1998年40%実現向けて段階的割当制を決定した。ただ党の代議員、役員については1994年から40%割当制が実施されている。ノルウェー労働党では、それ以前から40%割当制を実行している。

 またSPDは、次の割当制導入の目標として公務員における女性の50%割当制導入を提案している。現実には、ノルトライン=ウェストファーレン州政府は、1989年に公務員における女性の50%割当制を西ドイツの州として初めて決定した。そして連邦議会でも、女性議員の比率は、9・8%(1983年)、15・4%(1987年)、20・5%(1990年)と急上昇している。

 この割当制とはどのような考えに基づくものなのか。坪郷実著『統一ドイツのゆくえ』では、次のように述べられている。「これは女性割当制の導入によって、まず量的な平等を実現しなければ、実質的平等への一歩が踏み出せないからである。実際に女性が政治に進出することを阻む障壁があるため、女性の比率を増やそうという努力目標だけでは現状の変革は困難である。この障壁を明らかにするためにもこの割当制が重要である」。(6)

 このような割当制が、各国で実現していけば、女性の平等という問題だけでなく、それは各党派の党内民主主義、政治、社会での民主主義に革命的な変化をもたらす要因の一つになるであろう。

 2、権利、義務に関する条項    左翼民主党規約へ行く 日本共産党規約へ行く

 これについては、権力分立問題もふくめて、3つの転換がおこなわれている。

 第1、義務権利条項から権利義務条項への転換

 第2章、権利と義務、第5条、男女の党員の権利

 (e)、党の諸機関において、そのたびごとに決定される多数派の立場と異なった立場を公然たる形においても維持し、主張する権利」。「公然たる形においても」として党内での批判の自由、少数意見の公然たる発表を保障している。

 義務については、「第7条、男女の党員の義務」において(a)党の政策を支持する義務、(b)党を財政的に支持する義務、(c)選挙の勝利のために努力する義務があり、禁止条項としては、「(c)党の選挙運動に重大な損害を与えるようないかなる公然たる立場表明も行わない義務」という選挙での禁止条項があるのみである。当然そこには分派活動禁止条項ない

 義務権利という順序の条項は、レーニン・コミンテルン型共産党の組織原理の基本的特徴の一つである。しかし、それは社会主義政党全体に共通する特徴ではない。1825年のロバート・オーエンの「ニューハーモニー準備社会規約」は、構成員主権を基本として「友愛的平等型」といわれるものであり、1860年代でのドイツ労働者政党でのアイゼナハ派社会民主労働党規約やゴーダ合同党規約などは「契約分権型」(7) という党員主権原理に貫かれていた。

 それに対し、暴力による国家権力奪取路線の党の組織原理は、その目的実現のために、党員主権排除し、義務強制組織原理として限りなく軍隊的原理に接近する。陰謀的非合法秘密結社は、ブランキ派の秘密結社やロシアのナロードニキをふくめてテロル、暴力革命を目的として、すべてが義務優先、義務強制組織原理となっている。そして暴力革命遂行のための指導部、上級決定への服従という前衛党の組織原理は、権力奪取後の一党独裁の下では、容易に指導者専制、個人独裁に転化したのである。

 したがって義務・権利か、権利・義務かという規約の順序は単に言葉の並べ方の問題でなく、原理上の問題なのである。その順序価値観の転換は、義務強制原理からその政党構成員の市民権、党員権優先原理への転換であり、その持つ意味は決定的な重要性をもっている。

 暴力革命、プロレタリア独裁を放棄した議会主義、合法政党という路線の下では、その政党は市民社会秩序との整合性を持たなければならず、権利優先原理へ転換するのは当然である。今も尚、義務・権利という順序の規約を堅持しつづける時代錯誤的なコミンテルン型共産党がある中で、この公然たる順序の転換のもつ意義は大きい。

 第2、単独の垂直性組織原理から、集団的水平的組織原理への転換

 第2章権利と義務、第6条、集団的形態における権利の行使

 1、男女の党員は、第5条で規定されている諸権利を集団的形態においても行使する。

 ()、政策的な提案や綱領の提起を集団的に行うことができる。

 ()、指導機関や大会代議員の候補者を集団的に提案することができる。

 ()、意見の自由な表明と普及のために集会を組織する権利が保障される。

 5、集団的権利行使のために、また内部討論や公開イニシャティブにおける対等な条件を保障するために、指導機関はさまざまなレベルにおいて、党の部屋や諸手段の利用を促進し、調整する」。

 最も完全で最高の組織原理と自画自賛されてきた民主主義的中央集権制の下では、上記2の ()()()の集団的活動、所属組織の枠をこえた水平的活動は、すべてグループ活動または分派活動と上級が断定し、それを排除し、集団的権利一切認めてこなかった。党会議での発言以外に認められるのは、党員が単独で、かつ上級機関に垂直に意見を提出することだけであり、上級がそれを握りつぶせばそれ以上何もできなかった。

 それは1921年第10回大会でのレーニンの分派禁止決定以来当然の正しい原理と思われてきた。そしてその垂直性組織原理により数百万人という党員規律違反として党内で排除され、または除名され、粛清されてきた。フランス共産党員で哲学者のアルチュセールは、この垂直性組織原理を「吹き抜け構造」、「軍隊式の縦割り構造」として鋭く批判している。(8)

 それに対し、今回の規約で集団的権利を認めたことは、所属組織の枠を超えて水平的交流をも認めたことであり、それを「分派活動」という規律違反にしないという画期的な転換である。とりわけ第2項で (1)政策、綱領の集団的提起、(2)指導機関の候補者の集団的提案、(3)大会代議員候補者の集団的提案、(4)その普及のための集会を組織する権利などを具体的に規定したことは、民主主義的中央集権制との完全な断絶を意味し、党内民主主義の全く新しい段階を法制化したものである。

 第3、中央集権性から、権力分立、指導部統制へ2つの転換

 1)、保障委員会

 第6章、保障機関、第40条、保障機関とその権限

 1、基礎単位でも保障委員会を選出するとし、その任務として、「党の民主主義的活動の保障機関であり、党員の権利の尊重と討論への自由な3加を保障する。
 2、それぞれの大会において選出される。
 3のa、保障機関は、規約の正しい適用、個々の党員および党組織の権利の尊重と義務の履行を審査する」とした。

 まず、基礎単位においても選出されるとしたことが注目に値する。義務権利という義務強制原理としての民主集中制においては、統制委員会の任務は、中央による全党組織、党員の義務履行、規律違反への統制が基本だった。しかしこの保障機関では、権利義務に転換した中で、権利の尊重、保障を基本とするのである。さらには、全国保障委員会は、大会選出機関として中央指導部の統制、監督を重要な目的とする。

 一方、他の共産党では、その中央統制委員会が、中央委員会と対等の大会選出でなく、中央委員会任命制という規約になっている。そのような中央統制委員会が、任命者たる中央委員会を統制、監督できるとは誰も思わないであろう。したがってその任命制には、表向きの言葉とは裏腹に「中央の無謬性神話」のうぬぼれが隠蔽されており、それのみでなく全党組織および全党員による党中央へのチェック、指導部統制おそれ、きらうという臆病さも併存している。

 2)、州連盟を基軸とする地方分権への転換

 第3章、党の組織、第十条、党の組織構造

 1、党の組織構造は、a、基礎単位、b、市町村連盟、c、県連盟、d、州連盟

 2、国家の州分権的提案と首尾一貫する立場から、党は州レベルを自らの組織の基軸とし、政策形成や政治指導における州連盟の自律的な役割を承認し、促進する。

 そして第14条で、州連盟の組織権限を8項目にわたって規定している。
 大会第1議案では、「PDSは、まさに自らの国民的、統一的な役割を再確立させるためにこそ、地方組織の自律性を尊重する分権的なモデルを実現するために、中央集権的なモデル克服し、州レベルを党の組織構造の新しい基軸とするような政党であることを望む」としている。

 こうして中央指導部への権力集中歯止めを、 (1)、権利義務順序への転換、(2)、集団的権利の保障、(3)、「組織された潮流」の公然たる承認、(4)、党内選挙への比例代表制導入、(5)、すべてのレベルでの大会選出の保障機関、(6)、州連盟を基軸とする地方分権などで重層的に組み立てることになった。

3、今後の課題−理念、条文の徹底のために

 上のように、従来のコミンテルン型共産党規約と較べ抜本的な刷新がなされている。しかしこれにより政党の党内民主主義における問題点が発生しないと判断するのは安易すぎる。百数十年の社会主義政党もしくは秘密結社の規約において、その規約文面と組織運営実態との乖離はつねに発生してきた。組織のシステム、政党のシステムとその運営実態についてはもっときびしい警戒心が必要である。

 マルクス、レーニンの理論的欠陥分野の一つは、国家権力と権力側人間との関係論の領域であろう。その中でプロレタリアートを階級全体として極度に美化し、その資質を楽観視した。そしてそのプロレタリアート出身の指導者、または人間一般が、国家権力であろうと、政党内権力であろうと、権力の誘惑、魔力にいかに弱い存在であるかを洞察しなかった。それどころか社会主義権力の腐敗防止策を強調する理論をブルジョア的、あるいは無政府主義的として排斥した。そのため社会主義国家の権力者および共産党指導者への統制チェックの体制がきわめて不十分であり、一党独裁型権力者の絶対的腐敗、堕落に対して、官僚主義との闘争を唱える程度で基本的に無防備だった。

 レーニンは、いわゆる「最後の闘争」において、自分のその欠陥にある程度気づいたが、まだ表面的だった。官僚主義の発生原因の把握もロシア的悪弊に求めるなど一面的で、その克服手段もソヴェト国家や前衛党への過信から労農監督人民委員部の創設や中央委員会の権限強化など上からの改革という自己撞着におちいった。そしてその闘争も時すでに遅かったのである。

 マルクス、レーニンのこの欠陥は、左翼全体の指導者論、指導部論の中に、まだ克服されずに根深く残っている。以下、指導者、指導部統制の思想とその制度の一層の強化について若干の問題を触れておきたい。

 大会第1議案でも、規約でも「寡頭制でなく」として、寡頭制否定されている。この点では、ロベルト・ミヘルスの「寡頭制の鉄則」(9) は古典的な分析とはいえ、尚一定の有効性を持っている。その内容は、政党組織が大きくなるほど、その政党運営の技術的管理的要因および指導者、大衆の両面の心理上の要請から、政党内部において中央集権的・専制支配的傾向が発生し、官僚主義が強化され、「寡頭制の鉄則」が貫徹されるというものである。

 今後とも「寡頭制的・指導者専制的」傾向は繰り返し発生してくるであろう。それに対して、下部からの民主的コントロールによりそれを未然に阻止する措置をもっと具体的に制定していく必要がある。

 ()指導部、指導者のリコール制を確立する。全国保障委員会による中央指導部統制・監督とともに、下部からの集団的リコール運動権を明文化する。

 (2)、処分、排除に対する該当個人による提訴のみでなく、集団的な異議申し立て権も保障する。党機関による恣意的な処分や排除党員権侵害を根絶する制度的保障として必要である。

 ()現在は専従者のヘゲモニーの党になっている。それが刷新されないかぎり、指導者=専従専制のシステムは生き残る。それを打破するには、指導機関のみでなく、各レベルの常任委員会という執行機関においてもパートタイムの非専従者比率を確定するクウォータ制、例えば40/60%の割当制を導入する。

 ()それとともに、その専従者への不当な解任に対する民事裁判提訴権をふくめ身分保障の制度的確立が必要である。なぜなら党中央指導者盲従の専従者の採用、側近登用、党中央批判の専従者の解任、排除という人治主義的操作こそ、指導者専制システム形成の重要な一環をなしてきたからである。政党の法的コントロールのあり方と党員の提起する民事裁判による独裁的運営の是正については、山口二郎氏が『政治改革』(10)の中でかなり具体的に提案している。専従者が自分の身分、地位をかけなくても、首になることをかけなくても、党中央と対立する意見を主張できる党こそ、真の多元主義を保障する党となる。

 14カ国中、10カ国で国家社会主義体制=前衛党による一党独裁体制が崩壊した。さらに資本主義国においても、イギリス共産党は解党し、イタリア共産党は左翼民主党に転換し、その批判派は共産主義再建党を創立した。スペイン共産党は3分裂し、その一つの新世代派はイタリア左翼民主党と連携関係を保ち、その再建後も党内論争が続いている。フランス共産党も1995年の大会で民主主義的中央集権制を放棄した。

 資本主義世界において、2つだけ残存する民主主義的中央集権制・分派禁止規定堅持ポルトガル共産党と日本共産党はいずこへ行くのか。トップ自己保身目的のために、 なんの党改革もしないままで、じり貧的瓦解→国会議席計4以下になる自然死を選択するのか。

  (注)
 1)、後房雄編著『大転換』窓社、1991年、362ページ
 2)、邦訳は、季刊『窓』第6号、1990年に収録
 3)、高橋彦博『社会労働運動史再構成の視点』社会労働研究第39巻第2、3号、1992年
 4)、邦訳は、季刊『窓』第7号、1991年に収録、「新しい左翼政党の基本構想」
 5)、邦訳は、季刊『窓』第6号、1990年に収録
 6)、坪郷実著『統一ドイツのゆくえ』岩波新書、1991年
 7)、加藤哲郎著『社会主義と組織原理I』窓社、1989年
 8)、ルイ・アルチュセール『共産党の中でこれ以上続いてはならないこと』新評論、1979年
 9)、ロベルト・ミヘルス『現代民主主義における政党の社会学』木鐸社、1973年
 10)、山口二郎著『政治改革』岩波新書、1993年

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 (関連ファイル)

()、石堂清倫氏の手紙 ……(関連部分のみ)

 『市民フォーラム21』のイタリア左翼民主党規約についての貴見を拝読。完全に同感いたしました。1968年プラハの春におけるチェコ党の新規約のことまで想起し、現代社会における政党の性質の変化について今昔の感にたえません。

 社会運動における可能な諸主体の問題の一つとして貴見を高くうけとめたいと思います。日共にいたっては、その存在理由を改めて考え直したいものです。

            宮地健一様   1994年8月14日

     左翼民主党規約 全文

     『民主集中制の放棄とフランス共産党』

     『ゆううつなる党派』日本共産党規約の運用実態

     日本共産党規約