ゆううつなる党派
民主主義的中央集権制の4つのシステム
分派禁止規定堅持の反民主主義政党
(宮地作成)
〔目次〕
1、路線、政策、方針の決定・伝達システムと党内民主主義抑圧システム
4、4000人の党専従システムと3066人の共産党議員システム
2、3028人の共産党議員システム-2000年4462人から激減
〔関連ファイル〕 健一MENUに戻る
『イタリア左翼民主党の規約を読む』左翼民主党規約添付
ルイ・アルチュセール『共産党のなかでこれ以上続いてはならないこと』
日本共産党HP『綱領、規約、議員数』
このファイルは、民主主義的中央集権制=Democratic Centralism・分派禁止規定に基づく4つのシステムを検証する。ファイル題名は、高橋和巳の小説『憂鬱なる党派』の題名だけを拝借した。
日本共産党の党勢力といった場合、それは党員P、機関紙HN、選挙結果という数字上の党勢力のみではない。資本主義世界で今やポルトガル共産党と日本共産党の2党だけが放棄していない特殊な組織原則、民主主義的中央集権制・分派禁止規定に基づく動態的機能的党勢力も視野に入れる必要がある。それが、以下の4つのシステムである。
その数字的実態はどうなっているのか。(1)公表在籍党員40万人、とりわけ『日本共産党の党勢力』で分析した党員Pの第一の層=党幹部、支部指導部層、10万人が以下のシステムで、連日活動している。もっとも、(2)政治資金規正法に基づく党中央の政府登録によれば、党費納入党員は、約25万人・在籍の63%である。(3)残りの約14.5万人・37%は、行方不明党員と党内離脱党員である。
『日本共産党の党勢力』PHNの数字的実態分析
以下の動態的機能的党勢力に関する諸データ・分析は、個人的な体験と様々な情報に基づいている。(1)民青・共産党専従15年間、(2)日本共産党との民事裁判2年間、(3)裁判開始と同時の40歳除名後における現役党員多数との交流、(4)HPに寄せられた多くのメール情報などである。なかでも、民青地区委員長1年半、共産党中北地区常任委員と愛知県選対部員など合わせて13年半の体験は貴重だった。愛知県党内において激発した2回にわたる「指導改善運動=党民主化闘争」の先頭に立ってたたかった。私への専従解任は、その党中央批判専従にたいする報復措置だった。
その地区委員会は、名古屋市の中部北部10行政区を範囲とし、専従52人を抱え、愛知県党の半分の党勢力を占める巨大地区だった。巨大になった理由は、当時の衆議院中選挙区制における愛知1区の共産党議員再選を目的として、1区内の数地区委員会を無理やり統合したことによる。その地区内で、2行政区を単位とする5つのブロック責任者をした。それらブロックは、異様な巨大地区再分割を経た現在、すべて地区委員会に戻っている。よって、私は、5地区の地区委員長体験をしたことになる。それらを通じ、愛知県党内の中間機関だけとはいえ、共産党の組織原則であるDemocratic Centralism・分派禁止規定体質への認識が深まった。
さらに、日本共産党との裁判は、共産党が裏側に秘めた犯罪的本質を私個人と妻にたいし100%剥き出しにしたという面で、それ以外では味わえないほどの特殊な体験となった。この裁判を提訴しないで、報復にたいし、何百人もの解任専従のように泣き寝入りをしていたら、Democratic Centralism・分派禁止規定の犯罪性とシステムをこれほど深くには認識できなかった。
『日本共産党との裁判・第1〜8部』党民主化闘争2回と党中央批判専従への報復とのたたかい
幸子HP『政治の季節』夫婦にたいする日本共産党の対応
ポルトガル共産党だけを除いて、ヨーロッパ資本主義国共産党のすべてが、民主主義的中央集権制・分派禁止規定は、党内民主主義を抑圧した犯罪的組織原則だったと事実認定し、放棄している。下記4つのシステムにおける犯罪的事例をどこまで具体的に認識するのかどうかが、日本共産党という特異な残存政党=反民主主義政党を大転換させるカギになると考える。
『コミンテルン型共産主義運動の現状』2党のみの残存度
1、路線、政策、方針の決定・伝達システムと党内民主主義抑圧システム
〔小目次〕
4、「民主主義」という日本語と共産党式「民主主義」使用法との格差
党大会は、一応下部からの意見を集約する形態を取っている。しかし、党中央やその決議案への根本的批判は「誹謗、中傷」とされ、逆に上級から反批判される。あとは「大会決議案を読め」「中央委員会決定を読んだか」という指導と点検がもっぱらなされるという上意下達がこのシステムの実態である。
それは、常任幹部会(18人)→幹部会(50人)→中央委員・准中央委員(144人)→47都道府県常任委員会(1000人近く)→都道府県委員会総会→316地区の地区常任委員会(数千人)→地区委員会総会→各行政区・自治体ブロック→支部LC(支部指導部)→支部会議、支部班会議のルートで伝達、徹底される。党中央決定は、それぞれで民主的に討論され、その意見は上級に集中されるという建前にはなっている。このカッコ内の人数は、2006年年第24回大会時点のものである。
共産党『日本共産党の機構と人事』2006年年第24回大会役員リスト
しかし、党中央決定の実際の執行は、常任幹部会→都道府県常任委員会→地区常任委員会→支部LCという上意下達ルートで行われる。中央委員会総会、都道府県委員会総会、地区委員会総会は、常任幹部会、県・地区常任委員会が決定した政策、方針への賛成表明、活動報告の機関、すでに決定されている方針実践のための機関となっている。その総会で最初から政策、方針を練り上げ、決定するという権限は形骸化している。中央・都道府県・地区の総会は、各執行委員会方針をどう実践したのかを報告し合い、それぞれの執行機関から点検・叱咤激励を受けるという活動者会議レベルに転落させられている。
共産党は、民主と集中とが統一されたものとして、民主主義的中央集権制こそが、最高の組織原則であると自画自賛している。現在、これを堅持しているのは、一党独裁4カ国と2つの資本主義国共産党だけである。この建前に関する志位書記局長説明への水田洋『民主主義的中央集権制の組織原則』での志位批判は、それがいかに欺瞞に満ちて、矛盾した論理なのかを分析している。
「共産党内には、討論や意見提出の自由がまったくない」という見解がある。これは誤解である。党中央の路線、政策、方針が決定されると、(1)決定の読了→(2)決定の討論→(3)具体化→(4)次に決定の無条件実践が求められ→(5)その成果の点検、詰めが行われる。
党中央・中間機関の決定に対し、その決定に賛成の立場からの具体化提案、補足提案、実践の方法論、戦術等の提案・討議はまったく自由になされる。それらの内容や積極的態度は高く評価される。その上に、党勢拡大でも大きな成果を上げた党員は、党中央に忠実な、党派性の高い活動家として、次期地区委員、県委員の信任投票リストにも加えられる。党中央の路線・決定の枠内であれば、討論・意見表明の自由は保障されている。その路線、決定に何の疑問・批判も感じない党員は、共産党が、他党と比べ、なんと民主主義的な政党かと確信を持って、いきいきと活動する。様々な反共攻撃からの党防衛意識とあいまって、同志的結合、連帯感、生きがい感が生まれ、それは強固なものになる。
しかし、党中央・中間機関の決定に何らかの疑問・批判・異論を持つ立場からの発言、討論、「意見書」提出は、問題視され、異端視される。それについて理論的な討議がなされるのであれば問題はない。ほとんどのケースで、その見解は、党中央の路線とは違う、共産党員としてそういった考えは、思想的におかしい、日和見主義だ、と反批判が返ってくる。
それらの批判・異論に対するもっとも効果的な抑圧手口は、2つある。
第一は、いろんな意見・批判があるが、これは党中央の決定だ。県委員会決定だ、と宣告することである。それは水戸黄門のご印籠と同じような効果を上げ、批判者、異論者は口をつぐまざるをえない。
第二の手口は、批判・異論を、その内容で理論的に論破するのではなく、発言者の思想問題にすりかえて、黙らせることである。その意見は日和見主義だ、小ブル思想だ、自由・分散主義だ、ときめつけるやり方である。このレッテルはりを上級幹部からやられると、雰囲気的にもうそれ以上反論することはできなくなる。党内討論は、そのいずれかの一声で、しゅんとなって、それ以上発展しない。そこで党中央決定は、その会議参加者全員に貫徹されたということになる。
一般党員は、そういう目に何回も会うと、党活動がいやになって、結集しなくなる。党費も納入しなくなる。文書で「離党届」を出すと、説得工作が何度もやられるので、それも出さない。党籍だけは残るので、それも党員数として集計され続ける。県・地区も党中央への報告党員数が減るので、支部からの「離党届」を嫌がって、何度も説得をしたのか、もう一度説得せよと言って、それをなかなか受け取らない。こうしていわゆる「十二条党員」、即ち実態のない長期未結集党員が雪だるま式に、党中央公表在籍党員40万人の内訳として増えていく。
日本共産党は、公表在籍党員数の党費納入率を公表したことは一度もない。公表党員最高時1984年の党員数50万人の中には、この党籍だけの数字上の党員が、10万人前後はいる。1994年の第20回大会に向けて、党中央は、実態のない党員の正しい解決という方針をようやく出した。その解決とは、(1)未結集党員の再説得、(2)架空党員の除籍処理の両面をふくむ。その解決結果が、36万党員となり、14万人の減となった。2000年には、日曜版読者への無差別入党工作という常任幹部会の画期的な新方針により、2万人増えて、38万人になった。
ただし、『日本共産党の党勢力』で分析したように、1997年第21回大会での、2カ月間会議に不参加、かつ大会決議案2カ月間未読了の49.3%、18万党員の内には、この党籍だけの党員がまだかなりの比率で存在している。2006年第24回大会における真相については、別ファイルで検証した。約14.5万人・37%という(1)行方不明党員か、(2)長期未結集党員を、在籍党員数として党大会報告し続ける政党とは何なのか。(3)党費納入党員は、政治資金規正法で政府報告したように、約25万人であると、なぜ党内に報告できないのか。対政府報告と党大会報告とを使い分ける二枚舌をいつまで続けるのか。
ともかく、党中央への批判・異論を表明した党専従、中央・都道府県・地区委員は、その地位から排斥される。このメンバーに、意見保留の自由権も実態としてない。
したがって、共産党の党内民主主義とは、党中央の路線・政策、方針に賛成・支持の枠内ならば、いわゆる民主主義はあるが、その枠に批判・異論をもつなら、民主主義はないというのが実態である。この実態は、日本語の民主主義と呼べるのか。
4、「民主主義」という日本語と共産党式「民主主義」用語使用法との格差
そもそも、民主主義という日本語の内容は、決定の枠内での、および決定に賛成の立場からの、決定実践上の方法論についての自由討論、提案を意味するだけではない。いったん決定された路線・政策、方針でも、情勢変化や、職場、地域の現実に照らして、それが正しいかどうかをふくめて、自由に討議、批判、提案できることを意味する。もちろん、日本語の民主主義には、決まったことは皆で守る、執行部に集中するという内容も当然のこととして、合意されている。
ところが、共産党が使用している民主主義とは、上記のように、この日本語とは異質なものである。それは信任投票=代議員・役員の任命システムを選挙という日本語で詐称しているのと同じものである。それはまた「プロレタリア独裁」という理論上でも、レーニンの一党独裁の理論と現実、14の一党独裁型社会主義国の実態を詐称したことと同じになる。
「プロレタリア独裁」という正しい訳語を、→(1)訳語を使わないプロレタリアートのディクタトゥーラに変更→(2)プロレタリアート執権に変更→(3)労働者階級の執政に変更→(4)(その後、この用語も党決定で使用しないで、隠蔽堅持)と、日本語の訳語を変質させたのと同じである。これは『1984年』『動物農場』の作者ジョージ・オーウェルが「政党こそ、言葉を腐敗、堕落させる」と指摘したことを再現している。
共産党的民主主義用語使用法が、現実にどう現れているかの一例は、私の共産党の体質研究と、『作家森村誠一とスパイ査問事件』の第三、および(添付資料)『下里正樹の手紙』にもある。
〔小目次〕
地区党会議、県党会議の上り(前期)党会議で、それぞれ県党会議代議員、党大会代議員が選出される。その場合、代議員候補者リストは、(1)地区常任委員会、都道府県常任委員会が作成し、(2)各総会が形式的に確認する。(3)そのリストからは、党中央への批判者・異論者は完全に排除される。(4)党会議前には、そのリストは上級機関の事前点検を受ける。(5)上級機関がクレームをつけた候補者は即座に排除される。(6)下級機関がそのクレームに納得しないときは、上級、党中央が複数の役員を派遣して、強力な説得、事実上の脅迫をして、排除を強行する。(7)地区、都道府県党会議当日での自薦立候補は建前としては認められている。しかし立候補届け者に対して、代議員選考委員会、選挙管理委員会が、陰に陽に立候補取りやめを迫る。
そこには、日本語でいう選挙・選出の実態はなにもない。それは、(8)落選する人のいない信任投票という指名形式であり、選挙の形を装った代議員任命システムである。1997年第21回大会の中央委員信任投票では、党大会代議員1000人中不破不信任2票、志位不信任1票だった。
党大会代議員1000人が伊豆学習会館に集まるまでの任命ルートを、4段階で確認するとどうなるか。まず、(1)316地区常任委員会が批判者を排除した都道府県党会議代議員候補者リストを作成する。→(2)地区委員会総会前、あるいは地区党会議前に、都道府県常任委員会にそのリストを提出し、点検を受け、都道府県という上級機関がクレームをつけた代議員候補者をリストから自動的に排斥する。→(3)次に、47都道府県常任委員会が党大会代議員候補者リストを、党費納入党員約280人から300人に一人という割合で党中央から指定された人数の枠内で、批判者・異論者を厳密に排除して決定する。→(4)都道府県委員会総会前、あるいは都道府県党会議前に、中央委員会書記局にそのリストを提出し、党中央がクレームをつけた代議員候補者をリストから自動的に排斥する。
これら4段階にわたる批判者排除フィルターによって、批判者・異論者は完璧に濾過される。その濾過され尽くした結果が、伊豆学習会館の1000人である。
これでは毎回、満場いっせいの笑い、満場いっせいの拍手、満場一致の採決になるのは当然である。1994年第20回大会の志位報告で、「幼稚な観念論の持ち主」とされた丸山眞男に対して、満場いっせいの嘲笑が浴びせられたのは何の不思議でもない。
共産党『第20回大会の志位報告』丸山眞男批判の内容
役員選出システムの実態も、「選挙」という日本語だけでなく、「選出」という日本語とも合致しない。それは、党中央最高執行機関としての常任幹部会から最下級の地区機関へと、段階的に党中央批判者を排除しつつ、お手盛り任命をしていくシステムとなっている。任命実態を、日本語で「選挙・選出」と詐称する政党とは何なのか。
まず、従来では、宮本・不破と他のごく数人が、自己の党大会十数回連続トップクラス再任をお手盛りで決定する。もちろん、宮本顕治の場合、共産党トップとしての世界最長不倒記録を更新し続ける上では、なんらかの口実が必要だった。その口実として、余人をもってしては替えがたい人、(宮本−不破−志位の)重層的指導部体制など、共産党式造語が捻出される。
2006年第24回大会における役員任命のからくりと人数は以下だった。その数人が、自分たちをふくむ18人の常任幹部会員の再任、解任、新規登用を決定し、常任幹部会にそのリストを提起する。反対発言は一切出ない。むしろ出せない。ただ新規登用者の適否についてだけは、多少意見を出せられる雰囲気はある。
次に、その常任幹部会18人が、次期の幹部会員50人、中央委員130人・准中央委員14人のリストを事前決定する。さらに、中央委員会の下級機関としての規律委員7人と訴願委員6人のリストも決定する。規律委員会、訴願委員会の任務、権限、およびその限界については、下記第二、(2)指導部統制システムのところで述べる。
党大会が開催されるまでには、このように上級から下級にかけて、4段階の中央機関役員リストはすべて、常任幹部会員18人により事前決定ずみとなっている。ただ、2006年、筆坂秀世著書『日本共産党』出版と、それへの共産党反論キャンペーン問題で、次の真相が判明した。共産党人事の最終決定権は常任幹部会員18人にない。共産党の全人事権を不当に占有しているのは、不破・志位・市田・浜野ら4人だけである。
その実態を剥き出しては、一握りの幹部による役員任命システムであることが、あまりにも見え透いてしまう。それをうるさいマスコミや、党中央は民主主義的だと信じている党大会代議員からカムフラージュして、あくまでも、民主主義的選挙・選出であることを装うため、(1)役員選考委員会と(2)選挙管理委員会が設けられている。
役員選考委員会とは、事前決定ずみリスト144人全員の経歴書に基づいて、一人一人の経歴、党派性、中央役員としての資質等を厳密に審査、選考することになっている。しかし、常任幹部会員の一人が委員長になっているので、その選考はまったく形式的なリスト追認儀式になる。選挙管理委員会とは、選挙管理という名称になっているが、事前決定ずみリスト144人全員の名簿を配って、不信任の×印を数えて、その数を党大会に報告する係である。これら2つの委員も、もちろん、常任幹部会18人、その前に4人が事前にリストを決定しておく。
役員選挙という儀式を厳粛に挙行するために、党大会開催と同時に、まず上記の選考・選挙の2委員会の設立が告げられる。そして事前決定ずみのリストが読み上げられる。大会議長団の「異議ありませんか」との声に、1000人の代議員が「異議なーし」と唱和する。党中央批判・異論者は濾過されつくしてあるので、1000人には、中央委員に自薦立候補するような反中央的な代議員は、当然ながら一人もいない。
そして大会最終日、役員選考委員会委員長の「全員が中央役員として適格」との報告に続き、選挙管理委員会により144人の中央委員・准中央委員候補者リストが配布され、不信任の×印が打たれる。その選挙結果として「全員が信任されました。不信任は不破同志2票、志位同志1票、……」と報告され、満場いっせいの感激に満ちた拍手が沸き上がる。ただし、不信任票数でなく、信任票数で言うときもある。また不信任票数は、マスコミには公表しない。
大会議長団が「それでは、これから新たに選出された中央委員・准中央委員による第一回中央委員会総会を開きます」と厳かに宣言し、144人が別室に移る。そこでは、幹部会員50人と常任幹部会員18人という自分たち中央委員の上級二機関について、事前決定ずみリストの簡潔な確認儀式が行われ、選挙・選出は完了する。
下り(後期)の党会議の都道府県党会議、地区党会議で、都道府県委員、地区委員が、党大会でのやり方とまったく同じで、信任投票形式によって「選出」される。これも都道府県、地区常任委員会が作成したリストに基づく、「選挙」「選出」という名を詐称した役員任命システムである。
ただ、党大会と違う所が一つある。下り(後期)党会議の課題は、大会決定の都道府県、地区への具体化と都道府県、地区役員の「選出」である。都道府県役員とは、(1)都道府県委員長、(2)10数人の都道府県常任委員、(3)数十人から百人近くの都道府県委員、都道府県委員候補、(4)10人から30人の名誉都道府県委員の4つを意味する。党大会では、宮本・不破など一握りの幹部が自己の党大会十数回連続トップクラス再任をお手盛りで決定した。ところが、各都道府都道府県委員長は、自己の再任をお手盛りでは決定できない。
都道府県委員長については、これまた常任幹部会18人、2006年の実態としてその内の4人が任命する。47都道府都道府県の委員長は、ほぼ全員が中央委員・准中央委員に任命され、それを兼任している。都道府県委員長の若返り人事、党中央からの派遣もさかんに行われている。その都道府県委員長の人事異動は、すべて常任幹部会中の4人が決定する。
別の言い方をすれば、都道府県委員長は、各都道府県党組織から「選出」されるのではない。常任幹部会の任命によって、その都道府県党の指導、監督、監視の任務を持って、上級から派遣されるというシステムになっている。監視というのは、やや言葉がきつい。しかし、党中央から派遣された役員である都道府県委員長の任務の一つとして、そこの都道府県党組織内における批判者、異論者、反中央分子の動向に目を光らせ、なんらかの口実をつかめば、査問、専従解任、除籍等によって、党内排除あるいは、党外排除し、党中央に忠実な一枚岩の都道府県党組織を作り上げるということがある。
こうして、従来から宮本・不破など一握りの幹部が、現在は4人の常幹が、常任幹部会、幹部会、中央委員会、統制・訴願委員会という党中央4機関のすべてだけでなく、47都道府県委員長全員を任命する。ただし、さすがに316地区委員会の委員長を直接には任命しない。それは中央委員兼任の都道府県委員長が、数人の都道府県常任委員と合議をし、地区委員長の再任、解任、新規登用を決定し、任命する。もちろん、その人事異動案も、地区党会議の前に、常任幹部会の事前承認を必要とする。
これらの前衛党式トップダウンの役員任命システムは、14の一党独裁国前衛党でのやり方とまったく同じである。哲学者で、フランス共産党員のルイ・アルチュセールは、フランス共産党でも同じであることを指摘し、次のように言っている。「中央委員会がなにごとであれ発議したことがあるという話しは聞いたためしがない。実際には中央委員会は、指導部の立法機関であるよりは執行機関なのだ。その点で、中央委員会はいわば全国知事会議〔フランスの都道府県知事は任命制〕である。都道府県党組織を《フォロー》したり、つまり密着して監視したり、都道府県書記を任命したり、微妙な問題を解決したりさせるために、指導部が全国に派遣するところの知事の集団である。」
ルイ・アルチュセール『共産党のなかでこれ以上続いてはならないこと』
これらの実態については、共産党の体質研究『なぜ民主集中制の擁護か』の第二でも詳述してある。
日本共産党の組織運営の本質は、常任幹部会政治とも言われている。それはこのトップダウンの任命システムから、組織権力が18人の常任幹部会に必然的に収斂されていくからである。そして当然ながらその中の4人、あるいはトップ一人に全権力が集中していく。14の一党独裁国すべてにおいて、党のみでなく、国家、社会の全権力が前衛党最高指導者に集中し、個人独裁者がたえず再生産されたのは、この役員任命システムによるものである。日本共産党は、この14の一党独裁国とまったく同じ前衛党式選挙・選出原理で党組織が形成されている。
〔小目次〕
党中央が、誤りを犯したり、その誤りに無責任な態度をとったり、あるいは、路線転換や組織原則の転換をすべきという情勢が発生したとき、それらを是正、転換させるシステムが党内に存在するのかという問題である。
代議員、役員による党中央統制、とくに常任幹部会統制は、上記の任命システムにおいては、不可能である。なぜなら、その選出=任命システムでは、あらかじめ党中央批判者、異論者は完全に排除されてしまっているからである。それだけでなく、選出後に批判、異論を出せば、次回では信任投票リストそのものから排除されてしまうことを、全員が党内経験で分かっているからである。
党中央機関の中に、党内統制、批判、異論処理機関として、規律委員会7人と訴願委員会6人がいる。しかし、この2つとも党中央委員会が任命する。党中央の下部機関でありながら、上部の党中央委員会をチェック、統制することは、民主主義的中央集権制の組織原則上できない。これらの機関は、都道府県・地区・支部という下級組織の統制、および、その中間機関(都道府県、地区委員会)にたいする下部からの批判しか処理できない。
ただし、2000年第22回大会において、「統制委員会」→「規律委員会」と名称変更をした。「統制」という日本語は、下級組織にたいする監視・弾圧を意味し、印象が悪いので、共産党機関のイメージチェンジを図った。
ただし、党中央統制委員会(=現在の規律委員会)は、1966年以前、党大会選出で、党中央委員会と同等の地位にあり、下級党組織への統制だけでなく、中央委員会が誤りを犯した時は、統制委員会がそれを統制、監督できる立場にあった。しかし、1966年第10回大会で、「50年問題当時の特殊事情は解消した」からという理由づけで、統制委員会を党大会選出でなく、中央委員会によって任命される下級機関に引き下げた。これによって、(1)党中央委員会144人、(2)その上級の幹部会50人、(3)そのまた上級の常任幹部会18人という3機関は、党内のどこからも批判、統制されることのない絶対的権限を持つに至った。
これは規約文言上の改悪というだけでなく、政党組織における指導部統制システムの必要性、フィードバック・システムの重要性という思想を拒絶したものである。
党員は、自分一人だけなら、党中央への意見書を出すことができる。しかし一人でなく、支部内あるいは他支部と連名で、党中央への意見書を提出することはできない。そもそも、民主主義的中央集権制とは、暴力革命により国家権利奪取を目指す秘密結社の軍事的集権制のことである。敵の弾圧と芋づる式逮捕を避けるための、縦割りの、垂直性組織原理である。横どうしの、水平的交流は規約違反となる。
党中央への賛成の立場ならば、横の会議・グループ会議はできる。しかし、党中央への異論・批判の立場の場合、水平的交流、および、複数党員の意見書は、ただちに分派活動・グループ活動と見なされ、規律違反として、逆に査問され、権利停止処分か、除名処分・除籍を受ける。暴力革命路線を否定した現在でも、その暴力革命のための秘密結社組織原則を固持する理由は何か。
ヨーロッパの共産党は、暴力革命路線を放棄したから、その路線が求めたDemocratic Centralismの必要がなくなったと同時放棄をした。ポルトガル共産党を除くすべてが、縦割りの、垂直性組織原理は党内民主主義を抑圧する犯罪的システムだったと事実認定した。よって、日本共産党がそれを放棄せず、固執している理由は一つしかない。その組織原則が、常任幹部会18人の身分保障・地位保全における最大の武器だからである。
それでは、党員が一人で党中央への異論・批判の意見書を提出したらどうなるのか。それはまず党中央訴願委員会6人に回される。しかしこの委員会は、自分を任命した上級の党中央委員会を統制できない。その訴願委員会から「意見書受領書」は送られてくるが、その内容は握りつぶされるだけである。
その党員が、一般党員でなく、党専従、都道府県委員、地区委員の場合、党中央はそれに対して報復処置に出る。(1)党専従ならば、即座に専従解任をする。(2)都道府県、地区委員なら次期党会議での役員リストからの排除を指令する。その排除の論理は「党中央批判は、一般党員なら許されるが、専従や党機関役員には許されない」「党中央批判の内容が、専従や党機関役員としてふさわしくない」というものである。これら批判者に対する党中央の報復、排除措置については、『なぜ民主集中制の擁護か』の第一で、日本共産党内で発生した事実に基づいて、8項目にわたって具体的に分析した。
『なぜ民主集中制の擁護か』批判者に対する党中央の報復、排除措置の8項目
上記の実態だけでなく、下部からの党中央批判を抑圧、威圧するシステムが、1994年第20回大会で、党規約の改悪によって完成した。それは、(1)党中央批判内容の性格規定と、(2)その批判者の処理システムという2つの面での改悪である。
一つは、党中央批判内容の性格規定である
(旧)規約前文(三)の改定で、「討論は、文書であれ口頭であれ、事実と道理にもとづくべきであり、誹謗、中傷に類するものは党内討議に無縁である」という文言を挿入した。その改定案提案説明では、「近年、党大会前の機関紙誌などでの討論、あるいは質問や意見提出などのさいに、とうていまともな議論や疑問とはいえない、悪罵や、誹謗、中傷に類するものも少なからずあったので、それが党内討論とは異質であることを明らかにした」としている。
第20回大会議案に対する意見書提出は、367通あり、『赤旗評論特集版』で6回にわたり、327通が掲載された。党員360000人の0.1%が文書提出をした。その中に大会議案批判として党員の0.01%に当たる40通があった。そもそも共産党員が、大会議案に意見、提案を出す場合、一般的に見て、悪罵や誹謗、中傷に類するものを発言したり、書いたりすることはとても考えられない。この40通の批判内容も、きわめて真面目なものであろう。あるとすれば、討論や不掲載40通の中に、1994年時点では、宮本への最高指導者としての居座り批判、最高権力者への固執批判、引退提案が考えられる程度である。党中央が、どの内容を誹謗、中傷に類するものと断定したのかは、具体的に指摘していないので不明である。
しかし、たとえどんな内容であれ、党中央が討議と提出を奨励し、0.1%の党員が正規に提出した文書内容を、そのように規定するというのはどういうことなのか。これは明らかに、党中央批判行為、およびその内容への拒絶反応、弾圧的なレッテルはりである。いったいその討論、文書内容を悪罵や、誹謗、中傷に類するものと誰が判定するのか。その判定基準はどこにあるのか。
このようなどうにでも拡大解釈できる、抽象的な、かつ党中央批判抑圧目的が見え透いた用語を、党規約に入れている共産党は、世界中のどこにもない。ましてや日本のどの他政党にもない。
ただし、2000年第22回大会の規約全面改定において、「誹謗、中傷に類するもの」という文言を削除した。党中央批判への対応として、あまりにも剥き出しの威圧・抑圧規定だと党内外から悪評が殺到したことに怯えたからである。もっとも、その後、党中央への意見書・メール意見・電話による批判などにたいする党中央訴願委員会の返答態度を、掲示板や私へのメール情報などで見る限り、党中央批判への敵視・握りつぶし姿勢はなんら変わっていない。頭隠して尻隠さずというスタイルで、評判が悪い文言を表面的に消したにすぎない。その敵視実態は、別ファイルで分析した。
『インターネットHP攻撃政党』『掲示板発言者摘発・粛清政党』第22回大会前後
もう一つは、悪罵や、誹謗、中傷に類する意見の持ち主だと、宮本・不破、あるいはいずれかの党執行機関が判定した党員に対する処理システムである
いままで、党規約第12条は、除籍規定として、離党を申し出た党員、長期の未結集党員、党費未納党員の党籍を実務的に処理し、党員人簿から削除するという趣旨だった。
1994年第20回大会では、第12条、党の綱領あるいは規約を否定するにいたって第一条に定める党員の資格を明白に喪失したと党組織が認めた党員、…は除籍することができる。特殊な事情のもとでは、地区以上の指導機関は、党員の除籍を決定することができる、と新たな文言を挿入した。
(1)綱領あるいは規約を否定するにいたった、(2)党員の資格を明白に喪失した、(3)特殊な事情のもとでは、という用語も、党機関がどのようにでも拡大解釈できるものである。党中央批判者にその判定、レッテルを貼りつければ、(4)所属支部の討議を必要とせず、(5)上級機関決定だけで自由に、簡便に党外排除処理ができる。
この除籍は、党規約上の除名、権利停止という処分ではない。処分をする場合、その党員の所属支部で慎重に審議しなければならない。しかしこの新しい第12条除籍については、党機関による実務処理として、党執行部が勝手に恣意的な除籍決定をし、(6)下部の批判的党員に対して、所属支部を飛び越えて、直接、除籍通告をすれば終了する。
この形態の、規約にない、規約違反の党外排除は、実態として1980年代以降、延べ百数十人規模で行われた。この規約違反の排除、粛清指令、一種の党私物化反党活動の個人責任は、宮本・不破にある。この党中央批判者のもっとも簡便な党外排除処理システムが党規約上で、1994年に明文化され、合法化された意味は重大である。
このようなシステム環境の中で、公表在籍党員40万人の思考スタイルはどうなっていくのか。1994年第20回大会向けての、党中央の丸山眞男批判大キャンペーンについて、私は『共産党の丸山批判・経過資料』『志位報告の論理と丸山批判での詭弁術』で宮本、不破、志位の様々な詭弁を分析した。その詭弁に対して、党内でまったくと言っていいほど、批判、異論は出されなかった。学者・文化人党員の会議で党中央説明者に強い批判が、党中央の「冷戦終結否定論」への批判と合わせて、出されただけである。こうした党員の思考スタイルは、(1)丸山批判問題、(2)冷戦終結否定論だけでなく、党中央の決定、論理をまったく無批判的に受け入れる関係になっている。それは宗教団体内部での信仰関係に類似していると言える。
この思考スタイルについて、水田洋名古屋大学名誉教授は、「敗戦50年」(「象」22号)において、次のように書いた。「日本共産党は、最近、丸山眞男 が四十年近くも前に書いた共産党戦争責任論に、むきになって反論している。しかし、敗軍の将にも、戦争犯罪の主犯たちとはちがった意味で責任があることはあたりまえだし、丸山の理論を傍観者の論理などといって片付けていたのでは、支持率三パーセントの政党の支持はひろげようがないだろう。のこりの九七パーセントは傍観者なのである。こうした排他性をささえる思考停止人間(自分で考え自分の責任で発言する能力のない人間)を生産したことは、戦争責任に続く戦後責任といえるかもしれない」。彼は、このように、思考停止スタイルと規定しているほどである。 さらに、それを共産党の戦後責任とも指摘した。
水田洋『敗戦50年』自分で考え自分の責任で発言する能力のない人間を生産した責任
4、4000人の党専従システムと3066人の共産党議員システム
〔小目次〕
2、3066人の共産党議員システム-2000年4462人から激減
1、4000人の党専従システムと2009年度党勢力
〔小目次〕
3、法律上の地位
1、専従の人数と2009年度党勢力
この4000人という数字は、公表されたものではなく、いくつかのデータに基づく私の積算である。その根拠を若干述べる。中央、都道府県、地区別の人数を推計する。
第一、党中央レベルの職員は約800人いる。最初の数値は、党中央が朝日新聞に公表した1998年2月28日記事だった。その後、中日新聞に公表した数値は800人となった。内訳は、(1)党中央本部勤務員、(2)赤旗記者、(3)国会議員秘書、(4)新日本出版社社員(=事実上の党中央出版局員)、(5)赤旗印刷局員である。その内、赤旗編集局だけで約370人いる。この370人は、全国の地方駐在記者や、新たに中国も加えた12カ国の常駐海外特派員15人も含む。ただし、2006年、モスクワ支局を閉鎖した。有田芳生が査問・除籍されたときは、新日本出版社社員だった。
第二、47都道府県委員会レベルの専従は、1000人から1500人いる。(1)都道府県常任委員、(2)都道府県勤務員、(3)赤旗支局員である。各都道府都道府県には、3つを合わせて、最低30人から50人の専従がいる。最低でも、47都道府県×30人=1441人になる。ただ、都道府県・地区の赤旗支局員は、党中央直轄の縦割りルートになっている。
第三、316地区委員会レベルでの(1)地区常任委員、(2)地区勤務員、(3)赤旗支局員は、2000人から3000人いる。一地区委員会には、3つを合わせて、少なくとも7、8人の専従がおり、316地区委員会×7、8人から10人=3000人前後になる。2000年に党中央が公表した数字は、地区委員会300数十だった。ただし、筆坂秀世著書『日本共産党』(2006年)は、彼が常任幹部会員当時のデータとして、地区数を316地区委員会と明記した。共産党は、300小選挙区制度という選挙制度変更に適応させ、地区委員会の統廃合をし、316地区に縮小した。
これらを合計すると、最低でも4000人の専従者数になる。しかし、08年7月時点、しんぶん赤旗は、1980年をピークとし、28年間にわたって、一度も増えた党大会がなく、一貫して減り続けている。355万部−151万部≒204万人、57.4%読者が、共産党から大量離脱した。および、党費納入党員14.5万人減少による機関紙収入、党費収入の激減がある。それを原因とした党財政逼迫から、専従のリストラも始まっているとも言われているので、総計ではある程度変動している。次の(真相データ8、9)は、別ファイルからの転載である。
『第24回大会決議・中央委報告における15の真相データ』2006年1月時点
(真相データ8) 2006年度共産党員の分類
分類 |
00年第22回大会 |
04年第23回大会 |
06年第24回大会 |
根拠 |
|||
数字 |
% |
数字 |
% |
数字 |
増減 |
||
1、党費納入党員 |
265269 |
69.0% |
268664 |
66.5% |
? |
第三帳簿 |
|
2、未結集・届け受取り党員 |
9287 |
2.3% |
10中総 |
||||
3、届け拒絶・行先不明党員 |
125842 |
31.2% |
10中総 |
||||
4、総計・公表在籍党員 |
386517 |
100% |
403793 |
100% |
404299 |
+506 |
24回大会 |
5、赤旗HN(万部) |
200 |
173 |
164 |
−9 |
24回大会 |
不破・志位・市田らが、党内に秘密にして、政府・公安調査庁宛に通報した〔政治資金規正法の第三帳簿〕における党費納入率は、(1)1998年69.8%→(2)2000年11月69.0%→(3)2004年度66.5%である。よって、67%未満が、ほぼ正確な党費納入率であり、党費納入25万党員か、それ未満というのが、日本共産党の党員現勢である。
その実態にたいして、党員数404299人としたのは、志位和夫の欺瞞的な党大会報告である。これは、(1)政府・公安調査庁向け報告と、(2)党大会向け報告とを区別した、彼の二枚舌であり、党費納入27万党員を馬鹿にした詐欺報告という性質を持つ。彼は、一体、何に怯えて、公安調査庁通報の数字を、党内に公表しないのか。今まで、40万党員と宣伝してきたことのウソがばれて、「ウソつき志位」とのレッテルを全党員から貼られ、委員長としての権威が劇的に失墜することに、代々木官僚として、恐れおののいているのか。
(真相データ9) 歯止めのきかない党勢減退
年 |
80 |
82 |
85 |
87 |
90 |
94 |
97 |
00・9 |
04・1 |
06・1 |
08.7 |
大会 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
6中総 |
HN |
355 |
339 |
317.7 |
317.5 |
286 |
250 |
230 |
199 |
173 |
164 |
(151) |
内H |
54 |
50 |
40 |
35 |
(30) |
(28) |
(26) |
||||
内N |
232 |
200 |
190 |
164 |
(143) |
(136) |
(125) |
||||
増減 |
−16 |
−21.3 |
−0.2 |
−31.5 |
−36 |
−20 |
−31 |
-26 |
-9 |
-13.3 |
2007年12月3日、幹部会・志位報告は、5中総による党勢拡大を柱とする「大運動」データを公表した。そして、赤旗HN部数は、前回05年9月11日総選挙時点党勢にたいし、赤旗H90.5%、N89.8%、いずれも約9%減紙と認めた。表は、すべて共産党公表の部数(万部)である。
1989年東欧革命、1991年ソ連崩壊から現在までの、15年間ではどうなるか。1990年の第19回大会を基準値にする。(1)H(「しんぶん赤旗」日刊紙=赤旗本紙のH)54万部から、26万部減り、15年間での減紙率48%、(2)N(「しんぶん赤旗」日曜版のN)232万部から、96万部減り、減紙率41・4%、(3)HN(HとNの合計部数)286万部から、122万部減り、減紙率42・7%である。HN「赤旗」読者は、日本共産党のもっとも強固な支持者であり、「1N2票」と計算できる組織票と見られていた。しかし、東欧革命以降の15年間で、HとN読者のいずれもの、ほぼ40%以上が、共産党に愛想をつかして、「逃散」していった。
なぜ、この党費納入率低下と機関紙激減データを載せるのか。それは、HNの歯止めのない激減が、中間機関専従3000人の給与(共産党名称の活動費)支払いの日常的遅配に直結するからである。連続減紙によって、給与総額支払分に見合う機関紙収入・党費収入が基本的になくなったからである。共産党中間機関財政における収入と支出の絶対的アンバランスである。
ただし、党本部勤務員1000人には、党中央役員を含め、遅配がない。この支払い格差をどう考えたらいいのか。
党内地位として、この専従は、中央委員会、赤旗記者、党本部勤務員、都道府都道府県常任委員会、地区常任委員会、赤旗支局員の90%以上を占める。地区機関構成員の残り10%弱は、地区常任委員を兼任する市町村会議員である。共産党は、実態として上意下達の組織であり、その決定執行、点検ルートが専従で占められている。よって、専従は、党組織指導・運営上では絶対的な権限を持っている。
共産党が、不破綱領においても、社会主義路線を放棄していない以上、この4000人は、レーニンの言う職業革命家集団である。これだけの専従者を抱える政党は、日本で他にない。参考までに、上記朝日新聞での他党の中央レベル職員数を見ると、公明党約540人、自民党約160人、社民党55人、民主党40人となっている。
ただ、党規約上の地位は何もなく、どの共産党文書にも何の規定もない。したがって、党規約上の特別な権利、権限は一切ない。常任幹部会、都道府県・地区常任委員会から専従解任を通告されたら、それに対抗する手段はまったくないというのが現状である。使い捨ての、無権利状態にある。
専従が、(1)党中央批判を党の公式会議において発言しても、(2)正規に党中央批判の意見書提出をしても、即座に専従解任を口頭で言い渡される。それは、「この党中央批判内容は、専従としての資質に欠ける」「党中央批判は一般党員には許されるが、党専従には許されない」という論理に基づく執行である。
元共産党専従という経歴では、就職先もなく、一家が路頭に迷う事態になる。こうして、専従の首を賭けてまで、党のため党中央批判を出そうという専従は一人もいなくなった。あるいは、排除されつくした。党にたいしてでなく、党中央にのみ忠実な職業革命家集団となっている。もちろん、面従腹背の専従もいる。
3、法律上の地位
日本国憲法、法律上の地位も、何らない。なぜなら前衛党とは、暴力革命による権力奪取を目的とし、いかなる日本国法律の拘束も受けない超法規的政党だったからである。ただ、1976年に行った私の差別的専従解任不当・共産党による人権侵害をめぐる日本共産党との裁判において、名古屋地方裁判所は「共産党専従は、労働基準法上の雇用契約者ではなく、民法上の有償委任契約者」と認定した。それは、株式会社役員や弁護士との有償の委任契約関係に適用されるものである。この世界初の前衛党専従者の法的地位判例によって、日本共産党専従者の日本国法律上の地位が歴史上初めて確認された。
この裁判の経過、詳細および法律上の解釈については、日本共産党との裁判でくわしく書いた。この裁判をめぐる共産党側の対応や家族の様子については、幸子のホームページの『政治の季節』にもある。
『日本共産党との裁判、第1〜8部』裁判の経過、詳細および法律上の解釈
幸子HP『政治の季節』共産党側の対応や家族の様子
共産党の体質とは、したがってこの4000人の専従者の体質と同義語的なものである。専従の体質が、どういう環境の下で、どのように形成されるかは、フランス共産党員で、哲学者のルイ・アルチュセールが『共産党のなかでこれ以上続いてはならないこと』(新評論、1979年)で分析した。それに言及した個所の抜粋を載せた。
ルイ・アルチュセール『共産党のなかでこれ以上続いてはならないこと』
党中央本部、都道府県・地区執行機関の活動は、きわめてきびしい。選挙や「拡大月間」時期には、かなり泊まり込み体制になる。地区レベルでは、活動の点検、集約のため、帰宅が十二時過ぎるのが、日常的にある。文字通り党指導のために献身している。
生活費(党の言い方では、活動費)としては、基本給、年齢給、党歴給で構成され、天引きの厚生年金、健康保険がある。しかし同年齢の一般サラリーマンの年収との比較では、その半分以下である。私の場合、40歳で専従解任をされた時点、天引き手取りは約99000円だった。それは、友人の年収と比べて4分の1だった。しかも党財政は苦しく、中間機関では遅配が常時のように発生する。党中央本部1000人にだけは、遅配がない。
ただし、130人の中央委員、14人の准中央委員には、別枠で10万円前後の中央役員手当が支給される。中央委員は、生活費面でその一種の特権とともに、常任幹部会に反逆できない仕組みに組み込まれている。専従者の中には、革命政党なのに、なぜそんな差をつけるか、という不満はくすぶっているが、表面に出して言う人はいない。それを言えば、直ちに専従解任を言い渡されるからである。
以下は、ややせちがらい話になる。しかしこれも動態的党勢力の一つのリアルな内容となる。党専従も資本主義社会における生活者として、きびしい環境に置かれている。
党専従の採用対象は、(1)拠点経営支部所属の幹部、(2)党勢拡大で大きな実績を上げた幹部、(3)学生支部や民青専従の独身党員などである。なぜ独身かといえば、専従になると同年齢のサラリーマンとの比較で、年収が半分以下になってしまい、家族のある党員はその生活レベルダウンに堪え切れないからである。私は、職場支部における(2)の幹部として、独身で民青地区委員長になったとき、年収が3分の1以下になった。したがって職場経験、労働運動経歴のない専従がほとんどになる。
専従の退職にあたって、最近では機関紙赤旗大幅減による党財政の逼迫もあって、専従を円満辞職するケースも増えている。以前は、専従をやめたいと申し出れば、裏切り者・このきびしい情勢の中での敵前逃亡という扱いされ、思想問題として批判されるか、あるいは、スパイの疑いをかけられて、査問された。しかし退職しても、元共産党専従という経歴では、通常の再就職先はまるでない。
専従の定年は、60歳から70歳である。ただし、宮本のように「余人をもってしては替えがたい人」などと不破に自分の本音を代弁させ、勝手にお手盛り定年延長できる地位の指導者は別である。60歳の厚生年金受給年齢になっても、その年金額は、過去の収入比例なので、基準額の半分前後である。中央委員、都道府県常任委員クラスだけは、党中央名誉委員59人、名誉都道府県委員(各都道府県で10数人前後)となり、企業年金的な名誉役員手当が払われる。しかし一旦党中央批判をすれば、次期党大会、都道府県党会議で名誉役員に非推薦となり、手当支払いも打ち切られる。名誉役員になれるごく一部の専従者も、定年後も経済面で党中央に反逆できないシステムに組み込まれている。
2、3028人の共産党議員システム −2000年4462人から激減
2003年7月時点で、衆議院議員20人、参議院議員20人、地方議員4203人(内2003年統一地方選の都道府県会議員131人、指定市議115人)になっている。国会議員数、都道府都道府県会議員数は一進一退している。市町村会議員数は一貫して増大してきたが、2000年の4462人から、2003年には4203人という数字に、259人減少した。
2009年時点の党中央公表数字は、日本共産党HPの『日本共産党の議員数』にあるように、衆議院議員9人、参議院議員7人、地方議員3028人である。国会議員は40人→16人に惨敗している。地方議員は、2000年4462人→2003年4203人→2006年5月3403人→2009年13028人と、9年間で1434人も激減した。
共産党『日本共産党の議員数』
党の指導部体制からみると、他党と決定的に異なるのは、議員はその中心でなく、傍系の地位に置かれていることである。(1)常任幹部会、都道府県常任委員会、地区常任委員会という共産党執行機関と、(2)それに対応する国会、都道府県会、市会の議員団とは、上級下級の関係にある。議員団は、各レベルの執行機関の指導、点検を受け、行政上の重要政策ではその上級機関の承認がいる。議会内で他党と調整、合意した事項もその上級機関が反対すれば、その決定に無条件服従しなければならない。
行政の現場にいて正しいと判断し、他党と合意した内容も、上級の教条的判断でひっくり返され、他党に合意の破棄を通告することが何度も発生する。他党も共産党議員を信用できなくなり、共産党議員の方も憶病になる。共産党を除く議会運営は、他党にも問題があるが、共産党側にもそれを発生させる原因がある。
この不条理な上級下級関係が嫌になって、共産党を離党して、無所属で立候補する議員が、2000年代前半の最近数十人規模で出てきている。離党しないまでも、それに批判、不満を持つ議員はかなりいる。しかし党内での共産党議員の地位、権限は低く、執行部が次回選挙で批判的候補者の入れ替えを決定したら、それに対抗する手段はまったくない。
なぜなら、共産党型選挙システムは、(1)後援会作り、(2)選挙資金、(3)選挙体制などすべて党組織持ちという完全な組織選挙である。議員は個人的な「看バン、地バン、金バン」をなんら持っていないからである。個々の議員は、個人的には人格的に優れた、誠実な党員である。しかしこのシステムの中では、共産党議員の発言、代表質問、街頭演説内容は、一言一句党中央政策どおりで、赤旗主張のテープレコーダー的内容ものにならざるをえない。
党中央は、議員統制・金縛りの目的で、議員個人名後援会を、すべて「共産党後援会」に転換させた。2010年現在、党中央指令によって、個人名後援会は廃絶されている。それは、共産党執行機関のやり方に腹を立て、離党して、無所属で立候補する議員が増えたので、それを絶滅させる手口である。
民主主義的中央集権制という反民主主義的組織運営システムの下では、議員も専従も、常任幹部会22人に対して、まったくの無権利状態に置かれており、使い捨ての駒の地位にある。もっとも、使い捨ての駒だったという認識に到達するのは、議員活動、専従活動をやって、(1)その中で党中央の路線、政策に疑問、批判を持ち、(2)それだけでなく発言、意見書で勇敢に批判、異論を提出し、(3)さらにそれを実質的な理由として議員立候補差し替え、専従解任という報復を受けた人、およびその周辺の同調者に限られる。
ただ、この陰湿な常任幹部会の報復が表面化する事はほとんどない。なぜなら、報復的排除された側も党籍がある限り、(1)他の党員にそれを話せば、党内問題を党外(自分の所属支部以外の党員)にもちだした規律違反、または、(2)分派活動(自分の所属支部内の党員に排斥された事実を話すこと)、として査問、除名されるからである。あるいは、(3)党員でない友人、赤旗読者や党外マスコミに漏らせば、やはり、党内問題を党外にもちだした反党活動として除名されるからである。
一方で、党中央の政策、方針、選挙総括はまったく正しいと思い、それに何の疑問、異論を持たない議員、専従は、一生幸せで、充実した党生活を送る。その人たちの中には、上述の水田洋名古屋大学名誉教授が指摘しているように、「こうした排他性をささえる思考停止人間(自分で考え、自分の責任で発言する能力のない人間)」という思考スタイルもかなり見受けられる。
4つのシステム全体から言えることは、支部指導部、党議員、専従は、党中央の路線、政策、方針への疑問、批判的意見を率直に提出すれば、どういう目に会うかを何度も自己体験、見聞きするうちに、(1)それへの疑問、批判を感じても、嫌な目には会いたくないとして、それらを自分の思考の奥底に押し込める。(2)その疑問点をそれ以上深めない。あるいは、(3)面従腹背の態度を取るという習性に自己を慣れさせる。
支部所属の党員とちがって、党議員、専従は首になれば、自分、家族の生活がかかってくるので、面従腹背の人はかなり存在している。その不満は、党活動の帰りに、一杯飲めば噴出する。そこで党中央は、活動の帰りに酒を飲むなという指令までも実際に出しているほどである。党外の人は、共産党員、党議員、専従として面従腹背など情けないと思うかもしれない。しかし、資本主義社会の会社と同じく、中央集権型組織の一員として生き残るための遊泳術としては、ある程度その反民主主義的抑圧状況への対応スタイルも理解できるのではないか。これは崩壊前のソ連、東欧でのアネクドート(共産党批判、やゆの小話)蔓延現象と同じことである。
党専従システムは、(1)専従4000人と、(2)区市町村会議員という半専従約3028人の合計、約7028人のシステムと見なすことができる。これが3つの階層構造をなす党費納入党員25万党員の第一階層、10万人の内の、そのまた中核部分、いわば原子核のような役割を果たしている。この専従、議員という中核も、一つの階層構造として別に分類すれば、『日本共産党の党勢力』で分析した7つの共産党党勢力構造を、8つの階層構造として見ることができる。
『日本共産党の党勢力』8つの階層構造の一つとしての専従・半専従システム
上級機関から下部へは決定が伝わる。具体的には、(1)決定は読了したか、(2)機関紙を拡大せよ、(3)ビラをまいたか、(4)支持者を増やせ、(5)カンパを出したか、という5項目の個人目標に基づく点検と、それらの成果の詰めが、(6)支部会議で、(7)電話点検で常時なされる。しかし、(8)下部から党中央へのフィードバックは、その5項目の集約数字の報告以外は事実上遮断された組織運営実態となっている。
ただ、中間機関への批判レベルならば、中央委員会から任命された党中央訴願委員会が処理する。しかし、党中央や党中央役員への批判・異論は、逆に反批判される。党中央批判者には恣意的な報復をし、排除しつくすというシステム運営である。分派禁止規定と結合させたDemocratic Centralismとは、まさに、レーニン・スターリン以来、党内民主主義を抑圧する機能を本質的側面として持つ組織原則だった。この反民主主義的組織運営を遂行する中核部分が、党専従4000人と区市町村共産党議員=半専従3066である。まさしく、レーニンが創作した職業革命家の党そのままの実態が原型保存されている。もちろん、専従・半専従といえども、党中央批判をすれば、瞬時に専従解任通告をされるか、次期議員非推薦になる。彼ら7066人も、唇寒しで、「自主的思考停止人間」となって沈黙を強いられる。
各党大会をめぐる新聞論調も、すべて民主集中制がもたらす閉鎖的側面を指摘し、その放棄を提起している。(1)この民主主義的中央集権制の犯罪的側面を明らかにし、(2)その放棄と分派禁止規定削除をし、(3)共産党としての存続をやめたイタリア左翼民主党の党運営の実態については、私の『イタリア左翼民主党の規約を読む』で分析してある。ポルトガル共産党を除く、すべてのヨーロッパ共産党、および崩壊した旧東欧・ソ連10カ国前衛党のすべてがDemocratic Centralism・分派禁止規定を放棄した。日本共産党が、この犯罪的な組織原則を放棄した後の組織原理はどうあるべきかの内容については、『なぜ民主集中制の擁護か』の文末部分で検討した。
『イタリア左翼民主党の規約を読む』左翼民主党規約添付
『なぜ民主集中制の擁護か』の文末部分 放棄した後の組織原理
『日本共産党の党勢力』では、(1)現状数字、歴史的数字変動分析をした。その面からだけでなく、このファイルでは、日本共産党の党勢力について動態的・システム機能の面からも立体的に描こうと試みた。政治学の一分野としての政党学において、その路線・政策研究は当然重要である。しかし、こうした(2)機能的党勢力分析も大切だと考える。
この分析の題名を『ゆううつなる党派』としたのには、理由がある。政党システムの建前と実態との開きぐあい、および日本語の換骨奪胎的使用の度合いを計るバロメーターとして、湿度計のように、(1)さわやか度と、(2)ゆううつ度という目盛りを付けたらどうなるのか。そのとき、日本共産党のゆううつ度は、上記全体で述べたように、きわめて高い目盛りを指すという意味である。
また、一般的な政党学というだけでなく、特殊な面からも、日本共産党には研究価値があると言える。加藤哲郎一橋大学教授は、『コミンテルンの世界像』(1991年、青木書店)の序章(P.3)において、次のように規定した。日本共産党は、1922年にコミンテルン支部として創立した。それ以来の「革命的伝統」を誇示し、「反共反撃」を続けている世界でも数少ない共産主義政党である。コミンテルンの「加入条件21カ条」に含まれていた「民主主義的中央集権制」や「一国一前衛党」といったレーニン=コミンテルン的観念を、いまだに「科学的社会主義」の名のもとに主張し続けている。この意味で、同党は、なおアジアに残る国際共産主義運動の重要な一翼である。しかも、現段階のコミンテルン研究において、貴重な生きた「博物館」的素材である。
宮本顕治は、2回の脳梗塞発作を経ても、88歳で、なお日本共産党の最高権力者の地位に執着していた。しかし、1997年第21回大会で、不破哲三らの強引な説得によって、引退を強要された。その真相を、不破哲三自身が、筆坂秀世批判の赤旗記事において、自白・証言した。
『不破哲三の宮本顕治批判』〔秘密報告〕日本共産党の逆旋回と4連続粛清事件
『不破哲三の第2回・宮本顕治批判』〔秘密報告〕宮本秘書団を中核とする私的分派
『筆坂秀世「日本共産党」出版をめぐる動向』不破哲三の自白・証言
アジアでは、一党独裁国3党と資本主義国共産党1党という4つのコミンテルン型前衛党が生き残っている。これらは、ホブズボームが言う戦争と革命の「短い20世紀」(1914年〜1991年)を経て、次の世紀末2100年までにはその犯罪的組織原則ともどもこの地球上で消滅、あるいは大転換していることは間違いない。……となると動植物の絶滅寸前希少種と同じく、前世紀型の党内民主主義を抑圧する政党の生きている博物館的研究素材として、日本共産党を現状維持・原型保存すべきという逆説が成り立つとも言える。
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『イタリア左翼民主党の規約を読む』左翼民主党規約添付
ルイ・アルチュセール『共産党のなかでこれ以上続いてはならないこと』
日本共産党HP『綱領、規約、議員数』