第24回党大会決議・中央委報告における15の真相データ

 

2006年1月11〜14日 選挙結果・党勢力実態

 

(宮地作成)

 〔目次〕

   1、はじめに−日本共産党の国際的位置づけと特異残存度 (真相データ1、2)

   2、情勢規定・路線・政策−不破2004年綱領のおうむ返し (真相データ3)

   3、総選挙総括レベルと2007年参院選・いっせい地方選方針 (真相データ4〜6)

   4、党勢力の実態と党大会めざす「大運動」 (真相データ7〜12)

   5、満場一致型大会演出の異論者濾過・選別システム (真相データ13)

   6、党大会後のデータ2つ (真相データ14、15)

       (真相データ14) 護憲・活憲運動と共産党のセクト的・独善的対応例

       (真相データ15) 党員が支出する党費・カンパ・支援基金

 

 〔関連ファイル〕       健一MENUに戻る

    『第24回大会めぐるマスコミ論調』

    共産党・志位和夫『第24回党大会にたいする中央委員会報告』

    共産党『第24回党大会の全内容』06年1月 『5中総』05年11月 『4中総』05年10月

         『日本共産党index 『しんぶん赤旗』 「新綱領」 「新規約」

 

    『「国会で安定した241議席を占める革命」綱領』代議員1012人賛成・1人反対の党大会

    『綱領全面改定における不破哲三の四面相』

    『志位和夫「党員5カ年計画」の欺瞞性と空想性』党費納入有無による党員数の三重帳簿

 

 1、はじめに−日本共産党の国際的位置づけと特異残存度 (真相データ1、2)

 

 〔小目次〕

   (真相データ1) レーニン型前衛党の崩壊過程と度合

   (真相データ2) 日本共産党の欺瞞的な4項目隠蔽・堅持方式

 

 (真相データ1) レーニン型前衛党の崩壊過程と度合

 

 第24回大会決議案を討議するための前提として、21世紀初頭における日本共産党の国際的位置づけをしておく。それは、レーニン型前衛党の5原則を、隠蔽・略語・訳語変更形式にせよ、すべて堅持している政党は、旧東欧・旧ソ連・資本主義国全体において、日本共産党ただ一つが残存しているという現実である。世界的には、一党独裁国前衛党4つと日本共産党という5党のみが、レーニン型前衛党の5原則全面堅持政党として残存していることになる。

 

 この対象は、国会議員など一定の政治勢力をもたない政党を除く。また、インド共産党や現ロシア共産党は、その実態が分からないので除いた。

 

 1989年東欧革命・1991年ソ連崩壊の印象は強烈だった。社会主義10カ国と前衛党のいっせい崩壊の衝撃波は、資本主義ヨーロッパのすべての共産党に襲い掛かった。その結果、レーニン型前衛党の5原則全面堅持政党は、1990年代において、東欧・ソ連・資本主義国を含めヨーロッパ全域で全滅した。それが歴史的真相である。

 

 ただ、5原則中、2つの放棄宣言をしたフランス共産党と、1つを放棄宣言したポルトガル共産党は、共産党名を名乗っている。よって、厳密には、レーニン型前衛党の試金石であるプロレタリア独裁理論を堅持する政党は、ヨーロッパ全域で壊滅した、という言い方が正確であろう。21世紀になっても、東方の島国日本においてのみ、5原則堅持の共産党があるという特異残存性を、どう考えたらいいのか。それを念頭に置いて、党大会決議案を討議する必要があるのではなかろうか。

 

(真相データ1) レーニン型前衛党の崩壊過程と度合

プロレタリア独裁理論

民主主義的中央集権制

前衛党概念

マルクス・レーニン主義

政党形態

イタリア

´76放棄

´89放棄

放棄

放棄

´91左翼民主党

イギリス

解党

解党

解党

解党

´91解党

スペイン

´70前半放棄

´91放棄

放棄

放棄

´83に3分裂

フランス

´76放棄

´94放棄

共産党名

旧東欧9カ国

崩壊

崩壊

崩壊

崩壊

´89崩壊

旧ソ連

崩壊

崩壊

崩壊

崩壊

´91崩壊

ポルトガル

70前半放棄

堅持

堅持

堅持

共産党名

日本

訳語変更堅持

略語で堅持

隠蔽・堅持

訳語変更堅持

共産党名

中国

堅持

堅持

堅持

堅持

共産党名

ベトナム

堅持

堅持

堅持

堅持

共産党名

北朝鮮

堅持

堅持

堅持

堅持

朝鮮労働党

キューバ

堅持

堅持

堅持

堅持

共産党名

 

    『コミンテルン型共産主義運動の現状』上記内容の詳細な経過

 

 プロレタリア独裁理論を隠蔽堅持している政党にいたっては、資本主義世界で日本共産党ただ一つが残存しているだけである。欺瞞的な訳語変更・略語による隠蔽堅持スタイルとは、ヨーロッパの共産党のような放棄宣言を、5原則について一つもしていないことである。その経過詳細は別ファイルに書いた。

 

    『規約全面改定における放棄と堅持』 『「削除・隠蔽」による「堅持」作戦』

 

 (真相データ2) 日本共産党の欺瞞的な4項目隠蔽・堅持方式

 

(真相データ2) 日本共産党の欺瞞的な4項目隠蔽・堅持方式

4つの原理

欺瞞的な隠蔽・堅持方式

他国共産党との比較

 

 

プロレタリア独裁理論

綱領において、訳語変更の連続による隠蔽・堅持。()プロレタリア独裁→()プロレタリアートのディクタトゥーラ→()プロレタリアートの執権→()労働者階級の権力→()放棄宣言をしないままで、綱領から権力用語を抹殺し、隠蔽・堅持している

ヨーロッパでは、1970年代、ポルトガル共産党を筆頭として、100%の共産党が、これは犯罪的な大量殺人をもたらし、誤った理論と認定した。そして、明白に放棄宣言をした。資本主義世界で、放棄宣言をしていないのは、日本共産党だけである

 

 

民主主義的中央集権制

規約において、訳語変更による隠蔽・堅持。()民主主義的中央集権制(Democratic Centralism)()「民主集中制」という略語に変更()「民主と集中の統一」と解釈変更で堅持→() 「民主と集中の統一」は、あらゆる政党が採用している普遍的な組織原則と強弁している

ヨーロッパの共産党は、「Democratic Centralism」の「民主主義的・Democratic」は形式・形容詞にすぎず、「官僚的・絶対的な中央集権制・Centralism」に陥ると断定した。それは、「党の統一を守るのには役立ったが、一方で党内民主主義を抑圧・破壊する」組織原則だと認定した。この反民主主義的組織原則を堅持しているのは、残存する犯罪的な一党独裁国前衛党4党とポルトガル共産党・日本共産党だけである

 

前衛党概念

規約において、()前衛党→()規約前文から綱領部分削除に伴い、その中の「前衛党」用語も事務的に削除()不破哲三の前文削除説明で、「前衛党」概念を支持・擁護

イタリア共産党は、「前衛党」思想を、「政党思想の中で、もっともうぬぼれた、傲慢で、排他的な政党思想だった」と総括し、全面否定した。日本のマスコミは、左()を「前衛党」概念の放棄と錯覚し、誤った解説をした

 

 

マルクス・レーニン主義

()マルクス・レーニン主義→()個人名は駄目として、「科学的社会主義」に名称変更し、堅持。不破哲三の『レーニンと資本論』全7巻を見れば、マルクス・レーニン主義そのものの堅持ぶりが分かる。ただ、彼は、さすがにレーニンの暴力革命理論だけを否定した

「マルクス・レーニン主義」の命名者はスターリンである。ポルトガル共産党を除くヨーロッパの共産党すべてが、マルクス・レーニン主義と断絶した。フランス共産党が放棄したのかは分からない

 

 日本共産党の国際的な特異残存度が発生した原因・経過は、別ファイルの文末()において、分析した。ヨーロッパの共産党と日本共産党における4段階の認識変化を比べたが、その違いを歴史的に見た。

 

    『「レーニンによる十月クーデター」説の検証』特異残存度発生の原因・経過、文末()

 

 

 2、情勢規定・路線・政策−不破2004年綱領のおうむ返し

 

 1997年、宮本顕治88歳は、脳梗塞で倒れた。不破哲三委員長は、代々木病院から、議長宮本の入院後病状と政治活動への再起不能実態のレポートを刻々と入手していた。その情報に基づいて、彼は決断し、不破秘密グループで行動を起した。不破哲三は、入院中の宮本に引退を強要すると同時に、宮本秘書団私的分派解体という「宮廷革命=奪権クーデター」に成功した。「奪権」という意味は、不破が委員長であるが、党中央の実権は、議長宮本と宮本秘書団私的分派の常任幹部会員たちに握られていたことである。党中央内の勤務員・赤旗記者・国会議員秘書・新日本出版社社員ら800人は、その実態を熟知していた。そして、彼らを「ごますり・茶坊主」と呼んでいた。

 

 委員長不破は、宮本に成り代わって、議長となった。その結果、彼は、宮本を上回る党内権力を手に入れ、2004年1月、宮本61年綱領を、43年ぶりに全面改定した。下記別ファイルを合わせた代々木裏面史を真実として認めるかどうか。

 

    『不破哲三の第2回・宮本顕治批判』〔秘密報告〕宮本秘書団私的分派と解体クーデター

 

(真相データ3) 宮本私的分派・側近グループ解体措置

名前

出身

14回大会党内地位

1977

20回大会党内地位

1994

人事措置

(21)=21回大会、(22)=22回大会

諏訪茂

宮本秘書

常任幹部会員

/死去

宮本忠人

常任幹部会員

常任幹部会員

引退(21)

小林栄三

宮本秘書

常任幹部会員(2段階特進)

常任幹部会員

引退(22) 2001年死去

小島優

宮本秘書

幹部会委員

常任幹部会員

引退(21)

白石芳郎

宮本秘書

幹部会委員

常任幹部会員

格下げ(21)、引退(22)

宇野三郎

宮本国会秘書

中央委員

常任幹部会員

格下げ(21)、引退(22)

金子逸

宮本秘書

常任幹部会員

格下げ(22)

佐々木陸海

宮本秘書、宮本議長室室長

常任幹部会員

格下げ(21)、衆議院議員排除(2000年)

上田均

宮本秘書

幹部会委員

常任幹部会員

留任(22) 財務・業務局長

有馬治雄

宮本秘書、宮本議長室室長

常任幹部会員

引退(22)

有働正治

宮本秘書

幹部会委員

格下げ(21)、引退(22)、参院議員排除

吉岡吉典

宮本秘書

准中央委員

幹部会委員

留任(22) 2004年参院選で議員引退

 

 2005年現在、不破・志位・市田らにたいし、表立って抵抗・批判する党中央幹部や中間機関専従は、職業革命家4000人中で一人もいなくなった。もちろん、面従腹背幹部はかなりいる。密告をしないと信用できる専従同士では、選挙指導・選挙惨敗総括・歯止めのない党勢減退などをめぐって、不破・志位・市田らへの批判・不満が噴出する。しかし、勇気を奮い起こして、批判意見書を出せば、即座に専従解任の口頭通告を受ける。それは、処分でなく、口頭解任措置なので、規約に基づく権利はまるでない。元共産党専従では、就職先もない。自分だけでなく、一家を路頭に迷わせる。党中央批判を正規の会議で10回以上発言し、報復解任をされた私のように、自宅で学習塾を開いて、食べていく道しかない。

 

 2005年11月15日、第24回大会決議案を決定した5中総は、不破綱領の1年10カ月後である。この間、何があったのか。

 

 ()、2004年7月参院選では、15議席→5議席→4議席と、3連続惨敗した。比例区得票率も、14・60%→7・91%→7・80%で、3連続惨敗だった。非改選議席と合わせても、9議席となり、党首討論権・議案提案権とも失った。

 

 ()、2005年9月総選挙も、24議席→20議席→9議席→9議席となった。比例区得票率も、12・55%→11・23%→7・76%→7・25%と減り続けた。10議席以下の低迷により、党首討論権さえも失った。小選挙区比例代表並立制で4連続惨敗した。

 

 これらの結果は何を意味するのか。それは、不破綱領が、有権者の共産党支持を広げるどころか、逆に、共産党に投票してきた有権者をして、共産党に見切りをつけさせ、科学的社会主義テリトリー(領域)から、大量に「連続逃散」をさせたことである。「逃散」の理由は、綱領だけでない。

 

 もう一つある。日本共産党は、レーニン型前衛党のDemocratic Centralismという暴力革命のための官僚的軍事規律を、民主集中制という欺瞞的な略語にすり替えている。しかし、その実態は閉鎖的で官僚的な絶対主義的中央集権制であり、もはや、日本共産党を民主主義的政党と見なさないという有権者の政党選別認識になってきたと言える。世界のレーニン型前衛党は、そのような有権者意識の圧力の下で、2党以外のすべてが、Democratic Centralism組織原則の放棄宣言をした。その犯罪的組織原則を堅持しているのは、旧東欧・旧ソ連を含む資本主義国では、ポルトガル共産党と日本共産党だけになった。

 

 日本共産党は、暴力革命を否定した。不破哲三は、その面でのみ、レーニン理論を排斥している。となると、民主主義的中央集権制という暴力革命のための軍事規律を、民主と集中の統一という欺瞞的日本語にすり替えて、堅持し続ける意図は何なのか。民主集中制の本質は、党中央トップの地位と特権を守り抜き、党中央内部や下部の批判者・異論者によってそれらを覆されないよう、彼らを抑圧・排除し続けるための不破・志位・市田らによる鉄壁の自己保身システムである。

 

 今や、日本共産党は、資本主義世界において、レーニン型前衛党の5原則を隠蔽・略語堅持し続ける唯一の特異な政党となっている。この党内民主主義抑圧・圧殺レベルの政党の存続を、有権者が「逃散」もしないで、支持すると思うのは、科学的社会主義式錯覚でしかない。

 

 共産党は、これら2大政治戦=21世紀初頭の政党間戦争において、連続惨敗・総体としての敗北をした。それにもかかわらず、5中総の第24回大会決議案は、不破綱領の情勢規定・路線・政策を、なんら変えようとしていない。細部の変化はあるが、基本的に、そのオウム返しをしているだけである。

 

    『綱領全面改定における不破哲三の四面相』 有権者を「逃散」させた最大原因の一つ

    共産党『第24回党大会決議案』 『5中総』

 

 君が代・日の丸容認、天皇制容認、自衛隊容認のような有権者迎合(ポピュリズム)の路線・政策転換も、今回は何一つしていない。志位報告は、不破綱領のオウム返しであり、とりたてて検討すべき大転換テーマを提起していない。よって、このファイルでは、それらの検討を行わない。

 

 

 3、総選挙総括レベルと2007年参院選・いっせい地方選方針 (真相データ4〜6)

 

 〔小目次〕

  (真相データ4) 4回目の小選挙区比例代表並立制型総選挙

  (真相データ5) 共産党の供託金と没収者数・額・率

  (真相データ6) ダブルスタンダードの比較表

 

 1、総選挙総括の7項目とそのレベル (真相データ4〜5)

 

 1、自己評価−「善戦・健闘」

 2、議席−改選前の9議席を獲得

 3、得票率−比例代表で得票率を若干減らした

 4、得票数−33万票のばし、492万票を獲得

 

 5、主体的対応−()いち早くたたかう構えをつくりあげた

   ()、政策「野党としての公約」、スローガン「たしかな野党

   ()、支部−総選挙で、82%が支部会議を開いた

 6、立候補−300小選挙区中、275で立候補

 7、供託金没収−275小選挙区中、223で没収=6億6900万円没収

 

 これらの党中央総括は、はたして正しいのか。データと比べれば、よく分かる。

 

(真相データ4) 4回目の小選挙区比例代表並立制型総選挙

議席

小選挙区

比例区

小選挙区

比例区

得票数

得票率

絶対得票率

得票数

得票率

絶対得票率

96

2

24

26

727万票

13.08

7.44

710万票

12.55

7.27

00

0

20

20

735万票

12.08

7.35

663万票

11.23

6.63

前回比

-2

-4

-6

+7万票

-1.00

-0.09

-47万票

-1.32

-0.64

03

0

9

9

484万票

8.13

4.71

459万票

7.76

4.47

前回比

±0

-11

-11

-251万票

-3.95

-2.64

-204万票

-3.47

-2.16

05

0

9

9

494万票

7.25

4.78

492万票

7.25

4.76

前回比

±0

±0

±0

+10万票

-0.88

+0.07

+33万票

-0.51

+0.29

 

 議席・得票数・得票率という選挙の3基準から見ると、2005年総選挙の結果をどう評価できるか。

 ()、議席は、26→20→9→9となり、前回議席を維持したものの、それ以前の連続惨敗から抜け出すことができなかった。

 

 ()、得票数の増加は、投票率の6.66%大幅アップ=比例区の有効投票総数約871万票増加を原因とするもので、支持者が増えたというレベルではない。もし、前回レベルの投票率だったら、得票数も前回比で減っていた。というのも、+871万票×共産党比例区得票率7.25%≒+63万票が増えたはずだった。それが、+33万票留まりということは、-30万票に等しい得票数減少を意味する。

 もっとも、小選挙区立候補は、300→275であり、小選挙区得票数の見方としては、見送り選挙区分の減票もある。

 

 ()、得票率の一貫した減退を止められていない。四捨五入で見る。小選挙区では、13%→12%→8%→7%となった。比例区でも、13%→11%→8%→7%と減り続けている。この指標を見る限り、総選挙の全体的評価は、「善戦・健闘」どころか、4連続惨敗と言わざるをえない。

 

 ()、絶対得票率の微増は、投票総数増加に比例した増加である。

 

(真相データ5) 共産党の供託金と没収者数・額・率

立候補

供託金

当選

没収者数

没収額

没収者率

96

小選挙区

300

9億円

2

109

32700万円

36

00

小選挙区

300

9億円

0

130

39000万円

43

 

03

小選挙区

比例区

合計

300

47(重複31)

347(重複31)

9億円

18900万円

108900万円

0

9

9

235人

29

264人

7億500万円

8700万円

7億9200万円

78

重複94

80

 

05

小選挙区

比例区

275

39(重複22)

314(重複22)

82500万円

16800万円

99300万円

0

9

9

223

21

244

66900万円

6300万円

73100万円

81

重複95

84

 

 共産党の総選挙敗北度を示すデータは、議席・得票数・得票率だけではない。もう一つの敗北度データは、供託金とその没収問題である。供託金は、小選挙区300万円、比例区との重複立候補者は、さらに300万円の追加である。小選挙区の供託金没収対象は、有効投票率の10%未満候補者である。小選挙区275人立候補者中、81%・223人が、有効投票率10%をとれなかった。

 

 2005年度総選挙における共産党の立候補戦略はどうだったのか。不破・志位・市田らは、いったん、全小選挙区立候補を取り止める方針を出した。しかし、突然の解散・総選挙にあわてて、朝令暮改式に全選挙区立候補に舞い戻った。25選挙区の立候補見送りは、戦略によるものではなく、立候補者を決められなかったことが原因である。それは、見送り選挙区がどこなのかを見れば、よく分かる。

 

 不破・志位・市田らは、()3回とも300人立候補で連続惨敗結果→()動揺して、全小選挙区立候補を取り止める方針→()解散時点で、70数人の立候補者しか決めていなかった→()突然の解散にうろたえ、方針逆転換で275人立候補への朝令暮改式戦略を行った。()、解散日から公示日までの短期間に、約200人の立候補者を、党中央の逆転換命令で即席生産した。立候補者の職業を見れば分かるが、共産党専従・共産党系民主団体専従・共産党市町村会議員が圧倒的な比率を占めた。立候補見送り25選挙区は、党中央の逆転換命令が貫徹できなかった共産党地区委員会である。

 

 この悲惨な敗北度第2データは、何を表しているのか。これは、没収金額の多さで驚くのに止まらない。それは、投票者が、共産党小選挙区立候補戦略をどう見たのかを示す。

 第一、共産党の戦略・立候補者を、泡沫立候補戦略と見た。当選しそうな他党候補者に流れたのは、300小選挙区制における投票者心理から見れば、当然である。しかし、政権交代要求の有権者にとっては、それだけではない。

 第二、その裏側の心理として、彼ら有権者は、共産党が、自分たちの政権交代要求を妨害した「自公政権延命を結果として支援する革命綱領政党」であると、自らの投票行動によって弾劾したという側面の存在を否定できない。

 

 共産党は、2000年第22回大会で規約全面改定をし、2004年第24回大会で綱領全面改訂をした。これらによって、有権者の支持を飛躍的に広げ、連続惨敗から脱出できるはずだった。しかし、これらの結果は、不破・志位・市田らが行った新路線展開が、選挙における支持拡大の面で何の効果も挙げ得なかったことを証明した。むしろ、()共産党員の離党・選挙活動サボタージュ、()しんぶん赤旗読者の購読中止、()共産党支持者の離散などという「党員・読者・支持者という3分野における共産党からの逃散」現象が継続していると言える。

 

 これらを「善戦・健闘」とする自己評価は、選挙総括の思考停止、および、下部からの選挙結果批判の抑圧をもたらす。掲示板で、克明な批判意見が出ている。また、その批判内容を党中央にメールで、質問状を送ろうという運動が呼び掛けられた。

 

    『共産党の総選挙、参院選結果データ分析』(1970〜2005総選挙)

 

 2、参院選方針・いっせい地方選方針のレベル (真相データ6)

 

 1、参院選目標−比例区で5議席、得票数60万票以上、得票率10%以上

 2、地方選−議席占有率、2000年7・10%→2005年7・18%に前進

         道府県議・政令市議は、第4党の地位――目標示さず

 

(真相データ6) ダブルスタンダードの比較表

改選議席年度1998年との比較

前回2001年との比較

1998

2004

増減

2001

2004

増減

議席

選挙区

比例区

7

8

0

4

7

4

1

4

0

4

1

なし

得票数

(万票)

選挙区

比例区

875.9

819.5

552.0

436.3

323.9

383.2

536.3

432.9

552.0

436.3

15.7

3.4

得票率

選挙区

比例区

15.66

14.60

9.84

7.80

5.82

6.80

9.87

7.91

9.84

7.80

0.03

0.11

 

 参院選も、全体として、3連続惨敗だった。当選者は、15議席→5議席→4議席と減り続けた。比例区得票率も、14・60%→7・91%→7・80%と惨敗が続いた。

 

 比例区目標を、8議席→4議席→4議席→+1の目標5議席とした。下記に分析する党勢拡大目標と比べれば、ささやかで、現実的な議席目標である。

 

 

 4、党勢力の実態と党大会めざす「大運動」 (真相データ7〜12)

 

 〔小目次〕

   (真相データ7)  〔第三帳簿〕共産党の政治資金報告の党員数

   (真相データ8)  2004年度共産党員の分類

   (真相データ9)  歯止めのきかない党勢減退

   (真相データ10) 2005年5中総が決定した空想的「大運動」目標

   (真相データ11) 支部組織の歯止めのない崩壊現象

   (真相データ12) 宮本・不破による民青破壊犯罪と民青壊滅

 

 1、党勢拡大・党勢力の実態報告レベル (真相データ7〜9)

 

 1、党員−2005年4月〜9月の6カ月間で、入党6382人−離党・死亡(3547人)+2835人

    不破2004年綱領の読了党員40%−1年10カ月間で、在籍党員で24万人が読まない

    第24回大会中央委報告入党9655人、党大会公表在籍党員404299人

 

 2、党費納入−100%をめざす。(党費納入率を報告したことは一度もない)

 

 3、しんぶん赤旗−2005年4月〜8月の5カ月間で、日刊紙+21000部、日曜版+127000部

    11月5中総時点で、HN164万部

    前回総選挙比で、日刊紙94・4%、日曜版93・3%と後退

    第23回大会比で、日刊紙95・1%、日曜版95・1%と後退

 

    第24回大会中央委報告−2006年1月時点で、同じHN164万部(「大運動」の成果0)

    2カ月間の「大運動」で前進−7県・101地区。(減紙−40県・200地区がHNとも後退)

    前大会比率で前進−2県・52地区。(減紙−45県・約248地区がHNとも後退)

 

 4、支部−2005年、24000支部。その内、総選挙で支部会議を開いたのは、82%

 5、民青−民青地区委員会再建は、47都道府県中、8つで、26地区が再建

 

(真相データ7) 〔第三帳簿〕共産党の政治資金報告の党員数

年・党大会

党費納入党員年間総計

1カ月間平均党員

公表在籍党員数

党費納入率

1987・第18

最高3586808

298901

最高490000

61.0

1990・第19

3448750

287396

480000

59.9

1994・第20

最低3129769

260814

最低360000

72.4

1998

3183233

265269

(380000)

69.8

1999

3163261

263603

2000・第22

3202455

266871

386517

69.0

2001

3245241

270436

2002

3311569

275964

68.3

2003

3277392

273116

(403793)

67.6

2004・第23

3223973

268664

403793

66.5

2006・第24

404299

 

 第24回大会中央委員会報告で、志位和夫は、在籍党員数を、前大会比+9655人で、404299人とした。ところが、実際は、404299−前大会403793=+506人しか増えていない。ということは、+506−9655=−9149人が離党・死亡していることになる。±で+506人の在籍党員が増えたと言えばいいものを、離党・死亡数を言わないのは、いかにも、代々木官僚らしい報告ではある。

 

 この党費納入党員年間総計データは、総務省自治行政局政治資金課に、直接電話確認した数値である。第18・19・20回大会の数値と、最近7年間の数値を調べた。2003年度データは、総務省政治資金HPにある。2003年度は9月10日公表数値である。よって、その4カ月後の第23回大会とほぼ同一と考えられる。党費納入党員は、約27万人というのが、共産党側が報告した正確な数となる。

 

 2004年度数値は、総務省自治行政局政治資金課に、2006年1月12日に直接電話確認した数値である。それによれば、1カ月平均党員は、2003年と比べて、−4452人の減少であった。第24回大会において、志位和夫は、あいも変わらず、長期未結集・行方不明の幽霊党員13万人を加算した党員数しか報告しなかった。不破・志位・市田らは、何に怯えて、党費納入党員数・納入率を隠すのか。

 

 2005年度数値の判明時期は、1年後2007年1月の総務省公表になる。

 

 (1)、1カ月間平均の党費納入党員数=〔第三帳簿〕党費納入党員年間総計÷12カ月間で、計算した。

 (2)、党費納入率≒〔第三帳簿〕1カ月間平均の党費納入党員数÷〔第一帳簿〕公表在籍党員数の式で、算出した。

 〔第二帳簿〕は、非公表なので、〔第一・第三帳簿〕による推計になる。共産党は、HPにおいて、政治資金報告を毎年載せている。しかし、そこでは、政府(公安調査庁)に報告した党費納入党員年間総計でさえも発表したことが、一度もない。このデータ根拠の詳細は、別ファイルで分析した。

 

    『志位和夫「党員5カ年計画」の欺瞞性と空想性』党費納入による党員数の三重帳簿実態

    共産党『政治資金収支報告』党費の年間総金額のみ、党員数カット

 

 第24回大会中央委員会報告で、志位和夫は、綱領読了党員を34.2%と報告した。この実態は何を意味するのか。不破綱領決定は、2004年1月第23回大会だった。それ以降、まる2年経っているのに、65.8%が未読了党員である。公表在籍党員404299×65.8%=266028人が、新綱領を読もうともしていない政党となる。読了党員は、約14万人である。

 

 別の比率を見てみる。党費納入党員は、政治資金報告書のように、約27万人いる。その内、()党費を払い、綱領読了もしたのは、52%・14万人()党費だけは払う、(多分、しんぶん赤旗も購読する)、しかし、不破新綱領を読まない党員が、48%・13万人いるというのが、日本共産党員の実状である。

 

 第24回大会中央委員会報告で、志位和夫は、5中総・党大会決議案と同じく、さかんに「新しい綱領」の自画自賛をし、そのオウム返し引用をしている。しかし、この党員実態は、不破2004年綱領が、党内権威を最初から失墜させていたことと、その党内波及力が在籍党員の34%、または、党費納入党員の52%にしか及ばない理論水準であり、それ以外の党員には読了意欲を喪失させる内容であることを証明した。ましてや、党外波及性にいたっては、それがないどころか、共産党からの有権者「逃散」という逆効果を発生させたことは、参院選惨敗・総選挙敗北結果がデータとして示した。

 

(真相データ8) 2006年度共産党員の分類

分類

00年第22回大会

04年第23回大会

06年第24回大会

根拠

数字

数字

数字

増減

1、党費納入党員

265269

69.0

268664

66.5

第三帳簿

2、未結集・届け受取り党員

9287

2.3

10中総

3、届け拒絶・行先不明党員

125842

31.2

10中総

4、総計・公表在籍党員

386517

100

403793

100

404299

+506

4回大会

5、赤旗HN(万部)

200

173

164

9

4回大会

 

 不破・志位・市田らが、党内に秘密にして、政府・公安調査庁宛に通報した〔第三帳簿〕における党費納入率は、()1998年69.8%→()2000年11月69.0%→()2004年度66.5%である。よって、7%未満が、ほぼ正確な党費納入率であり、党費納入27万党員か、それ未満というのが、日本共産党の党員現勢である。

 

 その実態にたいして、党員数404299人としたのは、志位和夫の欺瞞的な党大会報告である。これは、政府・公安調査庁向け報告と、党大会向け報告とを区別した、彼の二枚舌であり、党費納入27万党員を馬鹿にした詐欺報告という性質を持つ。彼は、一体、何に怯えて、公安調査庁通報の数字を、党内に公表しないのか。今まで、40万党員と宣伝してきたことのウソがばれて、「ウソつき志位」とのレッテルを全党員から貼られ、委員長としての権威が劇的に失墜することに、代々木官僚として、恐れおののいているのか。

 

(真相データ9) 歯止めのきかない党勢減退

80

82

85

87

90

94

97

00・9

04・1

061

大会

15

16

17

18

19

20

21

22

23

24

HN

355

39

17.7

17.5

286

250

230

199

173

164

内H

54

50

40

35

(30)

(28)

内N

232

200

190

164

(143)

(136)

増減

16

21.3

0.2

31.5

36

20

31

-26

-9

 

 党勢の全面的減退データは、『5つの選択肢』の「内部矛盾表面化」にある。ここでは、機関紙HNの状況だけを見る。機関紙部数のピークは、1980年だった。その前後の分析は、『日本共産党の党勢力』で行った。(真相データ9)は、そのピーク以降の25年間のものである。表は、すべて共産党公表の部数(万部)である。

 

 2005年11月、5中総で、志位委員長は、第23回大会比で、日刊紙95・1%、日曜版95・1%の後退となり、HN164万部と報告した。第23回大会より、9万部も減っている。その結果、この25年間で、最高時の355万部から、191万部減り、減紙率53・8%になっている。HNの( )数字は、HとNの個別部数の報告がないので、私が、第22回大会のHN比率で推計した。

 

 1989年東欧革命、1991年ソ連崩壊から現在までの、15年間ではどうなるか。1990年の第19回大会を基準値にする。(1)H(「しんぶん赤旗」日刊紙=赤旗本紙のH)54万部から、26万部減り、15年間での減紙率48%、(2)N(「しんぶん赤旗」日曜版のN)232万部から、96万部減り、減紙率41・4%、(3)HN(HとNの合計部数)286万部から、122万部減り、減紙率42・7%である。HN「赤旗」読者は、日本共産党のもっとも強固な支持者であり、「1N2票」と計算できる組織票と見られていた。しかし、東欧革命以降の15年間で、HとN読者のいずれもの、ほぼ40%以上が、共産党に愛想をつかして、「逃散」していった

 

 第24回大会中央委員会報告において、志位和夫は、同じHN164万部と報告した。11月5中総後の「大運動」をしても増減なかった。2カ月間の「大運動」が、まったくの不発に終わった原因について、前進県・地区数を言った以外、なんの総括報告もしなかった。このような頬かむり委員長を、党費納入27万党員はいつまで許すのか。

 

 彼は、HNを2007年4月統一地方選までに、2003年総選挙比で3割増拡大という計画を立てるよう提起した。それは、「大運動」目標の期限だけを、原因無総括のままで引き延ばす無責任な方針である。ところが、一方、HNが前大会比率で前進したのは、2県・52地区だけと報告した。それは、HNとも減紙したのが45都道府県・約248地区もあったことを意味する。中間機関である都道府県委員会の96%、地区委員会の83%が、HNで2年間まったく増えず、減っている。この現状は何を示すのか。それは、宮本・不破・志位らによる「計画的党勢拡大路線」の完全な破綻を、中間機関のデータとして証明した。

 

 2、党大会めざす「大運動」方針 (真相データ10〜12)

 

 1、期間−2005年11月15日5中総〜2006年1月11日の2カ月間弱

 2、拡大目標−()、50万人の党目標の残り半分以上を達成

    ()、2003年総選挙時点から130%拡大目標の内、半分の115%を達成

 

 3、拡大「大運動」の間にやるべきこと

    ()、党大会決議案を、在籍40万党員に届ける運動

    ()、決議案の支部討論、「大運動」目標の具体化・計画、地区党会議への代議員選出

    ()16の地区党会議招集・開催と都道府県党会議への代議員選出

    ()47都道府県党会議招集・開催と第24回大会への代議員選出

    ()年末・年始をはさんだ期間中でも、1月11日までの拡大「大運動」に取り組む

 

 4、指導体制−常勤常任委員の減少。理由は財政基盤の弱まり。定年退職者の活用

 

 5、第24回大会中央委員会報告は、2カ月間弱の党勢拡大成果0とした。

    2004年4月までに、50万党員・しんぶん赤旗3割増を提起し、決定

 

(真相データ10) 2005年5中総が決定した空想的「大運動」目標

拡大課題

11月15日現勢

拡大比率・達成目標

残り目標

拡大残り期間

1、赤旗HN

164万部

(1739万部)

5カ月間で9万部

115%・26万部

(130%・225万部の半分)

(225−173)÷2=26

35万部

(17326199)

2カ月弱06.1.11

2党費納入党員

 

  在籍党員数

1)275964

(政府への報告数字)

2)406628

6カ月間2835

141%・387982

(181%・50万人の半分)

111%・453314

(124%・50万人人の半分)

112018

 

+46686

(50−現勢)÷2

2カ月弱06.1.11

 

2カ月弱06.1.11

 

 

 不破・志位・市田らが決定した2004年1月第23回大会の目標のほとんどが、空想的で、まったく達成不可能な数字になっていた。今回の11月15日5中総決定は、それに輪をかけた空想的目標である。これらの目標は、空想的というだけでなく、Democratic Centralismという党内民主主義抑圧・破壊組織原則の下では、犯罪的な性質を帯びる。なぜなら、その組織原則の共産党において、2005年11〜12月中に開かれる、上りの支部総会・党会議が、各現勢に基づいて、5中総決定に比例した拡大比率・達成目標、残り拡大目標を決定することが義務づけられるからである。

 

 よって、11下旬〜12月中に、24000支部総会・316地区党会議・47都道府県党会議は、()赤旗HNを2カ月間弱で115%拡大する目標数字、()在籍党員数を2カ月間弱で111%拡大する目標数字を、決定しなければならない。これまでの拡大期間と増減数字から見て、2カ月間弱内に残り拡大目標を達成することが、絶対に不可能であることを、中間機関の上り党会議代議員数万人と支部LC10万人は、心の中で確信的に思っている。

 

 それでも、それらの会議に参加した彼らは、面従腹背で、拡大目標・期限に賛成する。決定した以上、その後、党中央や上級機関は、下級機関・支部にたいし、その建前の決定数字を遂行せよと迫る。決定した側も、追及する側も、とうてい達成不可能な目標と、腹の中で思いつつ、共産党の拡大2課題をやり遂げる構えを固持する。達成期限が来て、まるで拡大できていなくても、不破・志位・市田らは、未達成の根本原因、目標そのものの空想性・欺瞞性について、決して総括しない。中間機関も、上級に習えとして、無総括で、頬被りを決め込む。

 

 そもそも、志位和夫提起の「50万党員の5カ年計画」の達成期限は、この2005年11月だった。その未達成原因を総括もしないで、残りの半分・在籍で46686人を、2カ月弱で拡大せよという5中総決定をするという厚かましさをどう考えたらいいのか。

 

 こうして、不破・志位・市田らの2課題の空想的拡大目標決定と追及は、日本共産党全体を思想腐敗に引きずり込む犯罪性を帯びる。これは、異論・批判を持つ党員個々の粛清という党内犯罪どころか、それよりもはるかに大掛かりな党内思想を腐敗させる不破・志位・市田の党内犯罪行為の性質を持つ。

 

 これは、共産党トップそのものが、全党に「達成できもしない、誇大2目標数字を、党中央決定だからとして、決めさせる」思想腐敗犯罪の張本人になったことを意味する。

 

 第24回大会中央委員会報告において、志位和夫は、()「大運動」の成果0結果について、なんの原因総括も言わなかった。()、それ以上に重要なことは、2000年11月第22回大会で、彼が勢い込んで提起した「党員拡大5カ年計画・50万人達成」の期限が、2005年11月で終わっているのに、口にチャックを掛けたように、だんまりを決め込んだ態度である。

 

    『志位和夫「党員5カ年計画」の欺瞞性と空想性』党費納入による党員数の三重帳簿実態

 

 不破・志位・市田らの指令・点検・「計画」集約に基づいて、47都道府県・316地区党会議と24000支部が、50万党員を達成する数字目標を立てた。決議・中央委員会報告とも、「5カ年計画」など存在したのかというほど「5」の字にも触れなかった。これほど、全中間機関と27万党員を馬鹿にした無責任なトップは、日本共産党史上初めてではなかろうか。

 

 さらに、厚かましくも、()()の原因総括に沈黙したままで、()2007年4月の統一地方選までに、党員50万人達成、しんぶん赤旗3割増拡大と目標期限のみ引き延ばし提案をした。全中間機関と支部は、下り(後期)党会議や支部総会で、その「政策と計画」を立てる。

 

 ()、彼は、HNが前大会比率で前進した中間機関を2県・52地区と報告した。

 

(真相データ11) 支部組織の歯止めのない崩壊現象

年・党大会

支部数と実態

1995年、中央委報告

28000支部

2000年、第22回大会

26000支部

2003年、中央委報告

25000支部

2005年、4中総報告

     と5中総報告=第24回大会決議案

24000支部  1995年から10年間で、4000支部が崩壊

()、「政策と計画」を持った支部−22大会90%→23大会52

()、週1回支部会議の支部 22大会25%→23大会19

()、総選挙で支部会議を開いた支部82%、一度も開かなかった支部18

   24000×18%≒4320支部は、事実上すでに崩壊している

   24000432019680支部が残存しているのが、共産党基礎組織の実態

()10年間の支部崩壊度 19680÷28000703%。297%の8320支部が崩壊

20061月、第24回大会中央委員会報告

「政策と計画」を持った支部−22大会9023大会52

24回大会50%に後退。「計画」とは党勢拡大数値目標のこと。半分の12000支部が、()「計画」を立てられないレベルに崩壊的ダウンしたのか、それとも、()「計画的党勢拡大」という宮本・不破・志位路線を拒絶し、意識的に「計画の具体化・数値化」をサボタージュする構えに突入したのか。

 

 私の民青地区委員長1年半→共産党地区常任委員(現在で5つの地区委員長)→愛知県選対部員という共産党専従13年半の個人的体験からも、この実態を証言できる。もっとも、共産党常任委員当時は、極度な一面的赤旗拡大の誤った指導により、私自身が多くの細胞を崩壊させてきた実体験と責任がある。その後、多くの現役党員との接触やメールからも、この実態を確認している。

 

 これらの支部状況を直視すれば、不破・志位・市田らの「大運動」目標は、まさに荒唐無稽な机上の空論計画である。不破・志位2人は、地区専従の体験が一度もなく、いきなり党中央専従・東京都委員会専従になった。私は、民間経営細胞長・労働組合役員3年後、民青・共産党専従を15年間続けた。党中央や都道府県委員会は、Democratic Centralismに基づく官僚的機関に変質している。支部が「大運動」に動き出すまでのロードマップ(工程表)を、地区専従体験のない彼ら2人はイメージできるのだろうか。

 

 ロードマップは次のようになる。

 ()11月15日5中総=党大会決議案が、支部に来て、支部LCが、党費納入党員28万人全員に届けるのに、10日間はかかる。

 ()、届けながら、決議案討論の支部会議、または、地区党会議代議員選出の支部総会の日時を連絡する。

 ()、支部総会に集まるのは、党中央在籍党員数約40万人の50%前後である。そこでは、決議案の討論→「大運動」目標の具体化、個人目標の強制→地区党会議代議員選出をしなければならない。討論不足などで、一回では決まらないケースがほとんどとなる。急いでも、それだけで12月中旬になる。支部総会が終わる前から、実際の拡大に動き出すような党員は、支部LCといえども、ほとんどいない。

 

 ()、地区専従は、1)決議案を読んだ人数、2)「大運動」目標数字、3)代議員名を、連日のように点検・指導する。地区委員会→都道府県委員会→党中央書記局へのルートは、日報・週報体制に突入するからである。

 ()、実態としての19680支部の支部LC約10万人は、4)拡大成果の数字追及を受けて、12月中旬以降、党員拡大・赤旗拡大に動き出す。しかし、12月下旬から正月にかけて、「大運動」は停滞する。年末年始に拡大工作をされる側も嫌がるからである。

 

 ()1月11日第24回大会を迎えても、見るべき拡大成果は、地区委員会・都道府県委員会とも挙がっていない。不破・志位・市田らは、「大運動」目標が荒唐無稽な机上の空論だったことを反省も総括もしない。頬被りを決め込む。

 

 第24回大会中央委員会報告において、志位和夫は、想定内どおり、「大運動」の成果0(=HN164万部)と言っただけで、机上の空論目標に関し、反省も総括もしなかった。問題は、(真相データ11)に追加したように、「政策と計画」を持たない支部が50%に増大した現実の裏側病状・支部LCの本音をどう診断するのかであろう。

 

 それは、宮本・不破・志位らによる「計画的党勢拡大路線」が、1980年ピーク後の26年間にわたる歯止めのない党勢減退の中で、生き残った24000支部の半分によって、()意識的に拒絶されるか、()無意識の「計画を立てない」サボタージュを受けたのである。これは、党費納入をし、しんぶん赤旗を購読し、月1回の支部会議をしているが、代々木官僚による硬直した「計画的党勢拡大路線」の押し付けにたいし、半分の12000支部、その構成党員たちが、不破・志位・市田ら党中央からの「党内逃散」抵抗を大々的に始めたとも判定できよう。

 

 1989年東欧革命、1991年ソ連崩壊の原因分析は、党外の国民が一党独裁権力前衛党にたいし、国内抵抗または国外への大量「逃散」という情報が中心だった。10カ国前衛党内における内部崩壊現象は、ほとんど報道されなかった。ポルトガル共産党を除く、資本主義ヨーロッパ共産党の1990年代全滅においても、党内崩壊現象は報道されず、大転換・解党・崩壊という結果情報だけだった。しかし、旧東欧・旧ソ連を含むヨーロッパ全域における劇的なレーニン型前衛党の壊滅においては、当然ながら、外部圧力としての「国外逃散」だけでなく、深刻な「党内逃散」現象が、前衛党を内部から侵食していたはずである。

 

 ()、「政策と党勢拡大計画」を持てという党大会決定にたいし、24000支部の半分が、意図的な拒否という抵抗をし、または、「計画目標数字」も立てられないレベルに半崩壊した。

 ()、2004年不破綱領を読了せよという大キャンペーンやまる2年間にわたる点検にもかかわらず、在籍党員の65.8%、党費納入党員27万人中の48%・13万人が、読了を意識的に拒絶し、あるいは、そんな不破創作文など読む気が起きないという「党内逃散」レベルに深化した。

 

 これら2つの日本共産党内における基礎組織の実質的な半崩壊現象と綱領未読了党員半数現象は、不破・志位・市田らの声を嗄らした「支部が主役」掛け声にもかかわらず、共産党全体の内部崩壊=「党内逃散」が劇的に進行しつつあることを象徴的に示すメルクマールであろう。

 

(真相データ12) 宮本・不破による民青破壊犯罪と民青壊滅

民青同盟員数と実態

1972

民青同盟員数200000と最高値

 

 

1972

宮本・不破による民青・新日和見主義分派事件

(第1回方針転換)1)民青に事前相談もしないで、民青幹部30歳→25歳への年齢制限引き下げという共産党の独断決定。2)1972年沖縄返還闘争位置づけへの批判。3)朝鮮労働党分派疑惑

 

 →民青内に党中央批判勃発、民青中央の過半数が反対→批判者を2人分派・3人分派とでっち上げ→全国で600人査問、100人を1年間党員権停止処分・1人除名→その全員を民青専従解任・民青から追放→宮本・不破忠誠派への総入れ替えクーデター強行

これは、日本共産党史上、最大規模の冤罪粛清クーデター事件だった。

1994

民青同盟員数23000人に激減。宮本・不破忠誠派への総入れ替えクーデターによる民青破壊犯罪により、民青崩壊

(第2回方針転換)民青崩壊により、党中央は、300民青地区の廃止指令→民青都道府県委員会と民青班の直結命令

2003

民青中央委員会において、同盟費納入率40と報告。ただ、その実態を民青大会に報告せず

在籍23000人×40%≒実質同盟員数9200人にまで崩壊

2004

(第3回方針転換)崩壊度が止まらないので、共産党支部内で、民青指導の共産党青年支部分離方針を決定。

志位和夫は、青年支部1000結成と自慢報告

 

 

2005

民青同盟員数在籍20000人未満に転落と推定。というのも、2001年後の民青大会は、同盟員数を報告するなという党中央命令で隠蔽中。同盟員数報告の禁止という異様な共産党指令によって、その壊滅度が推定できる。

(第4回方針転換)党中央は、民青地区廃止命令を撤回→民青地区委員会再建方針に逆転換

5中総で、志位は、47都道府県・約300廃止地区中、8都道府県において、共産党命令で26地区の再建に成功と報告

(第5回方針転換)青年支部分離方針が頓挫→1000の青年支部も活動停止状態→5中総報告で400支部に減退=1年間で600支部が崩壊→共産党青年支部分離方針の逆転換・廃止か?

 

 民青は、共産党の指導を受けるという特殊規約を持ち、共産党員候補の最大の貯水池である。宮本・不破による1972年新日和見主義分派事件は、民青中央委員会幹部や都道府県委員会専従たちが、共産党からの自立傾向を示した諸運動・言動にたいする一大粛清・犯罪事件だった。たしかに、その対民青クーデターは、民青幹部トップたちを、宮本・不破忠誠派に総入れ替えすることに成功した。

 

 しかし、そのツケと反動は、強烈だった。その犯罪的な2人分派・3人分派でっち上げクーデターは、同時に、共産党貯水池20万人という民青ダムを爆破した。20万立方メートルの党員候補者たちは、見る間に、2万立方メートル未満へと枯渇し、貯水池は干からびた。宮本・不破らは、民青という青年組織の未成熟さ・不安定レベルにまったく無知だった。彼らは、その行為が、ダム決壊を誘発し、民青が、共産党指導規約の科学的社会主義テリトリー(領域)から「大逃散」する事態想定にも入れていなかった。

 

 私は、1962年から1年半、名古屋市の民青地区委員長だった。その個人的な体験から見ても、宮本・不破の民青実態への無知からくる傲慢な一方的決定のごり押しと民青破壊の誤りは、日本共産党史上最大規模の冤罪粛清だと位置づけている。被査問者600人・被処分者100人は、全員が民青幹部内の共産党員だった。よって、この事件の性格は、()対民青クーデターであるとともに、()青年学生分野における党内クーデターという二重の犯罪となる。党中央側の共同正犯は、他に2人いる。600人査問・100人処分の実務統率者下司順吉と、思想検事役の上田耕一郎である。上田の犯罪的役割は、別ファイルに書いた。

 

 彼らは、想定外の民青「大脱走」に慌てふためき、ころころと方針転換をした。しかし、「逃散」した18万人は、覆水盆に還らずとなった。貯水池の爆破・枯渇により、共産党も干からびた、というのが、この冤罪クーデターの赤色決算書である。経過の詳細は別ファイルに書いた。

 

    『新日和見主義「分派」事件』その性格と「赤旗」記事

    『上田耕一郎副委員長の多重人格性』新日和見主義分派事件での思想検事役

 

 第24回大会中央委員会報告において、志位和夫は、民青の実態、および、青年支部の現状について沈黙した。

 

 

 5、満場一致型大会演出の異論者濾過・選別システム (真相データ13)

 

 第24回大会は、2006年1月14日、想定内どおり()党大会決議案、()中央委員会報告と、()「衆院小選挙区選挙供託支援基金」設置という3議案すべてを、代議員約1000人の満場一致で採択した。一人の反対・保留挙手の代議員も出なかった。よって、日本共産党は、1961年、宮本61年綱領決定をした第8回大会以来、45年間・16回連続で満場一致党大会を演出できた。それは、資本主義国共産党運動史におけるスターリン流満場一致型党大会の世界新記録をさらに更新した。

 

 21世紀の資本主義国において、レーニン型前衛党の5原則堅持政党で残存しているのは、日本共産党がただ一つとなった。日本共産党の大会が、スターリン流党大会と一致する点は、いくつかある。()満場いっせいの拍手、()満場いっせいの笑い、()全員が決議案賛美の発言、()満場一致の採決などである。しかも、その満場一致党大会が、1961年第8回大会から、2004年第23回大会まで、43年間・15回の党大会も続いてきた。

 

 なお、2001年第22回大会において、東京都委員会選出の弁護士代議員が、政治報告中の自衛隊方針批判で保留したが、規約全面改定案には賛成した。2004年第23回大会では、京都府委員会選出の代議員が、政治報告中の日本語の使い方で反対したが、綱領全面改定案には賛成した。メインの規約・綱領全面改定案には賛成しているので、これらの党大会も満場一致と規定する。党中央は、2つの都府委員長・常任委員会にたいし、政治報告への態度にしろ、どうしてそんな保留・反対をするような代議員を選んだのか、と強烈な叱責をした。

 

 一方、転換・解体前のヨーロッパの共産党や、ソ連の長女と言われたフランス共産党といえども、スターリン流の満場一致型党大会などは、恥ずかしくて挙行できようもなかった。というのも、その様式こそ、党内民主主義抑圧・圧殺を象徴するものとして、有権者・マスコミから総すかんの反応を受けるからである。それ以上に、党内言論弾圧を剥き出しにした政党として、嘲笑や侮蔑の対象ともなるからである。国民が育ててきた民主主義の成熟度の、ヨーロッパと日本との格差によるものだろうか。

 

 党内意見も多様化している。それにもかかわらず、この異様な党大会を維持できるからくりは何か。それは、党大会に向けて、党内の批判者・異論者を、代議員から濾過しつくす何重もの排斥フィルターが、4段階にわたって存在し、それらが秘匿された働きをするからである。党外マスコミでは、この水面下の秘密操作をとても察知できない。党員といえども、このシステムを知りうる者はごくわずかである。濾過フィルターの秘密操作ができるのは、スターリン体質型共産党運営の執行権力を占有する2000数百人である。()常任幹部会員21人→()47都道府県委員会常任委員500数十人→()316地区委員会常任委員2000数百人前後というわずか1%の職業革命家たちだけが、満場一致党大会のからくりの秘密を知りうる立場にいる。党費納入党員約28万人中、残りの99%党員は、蚊帳の外に置かれ、以下のデータを何も知らない。

 

 2006年1月14日第24回大会も、その満場一致スタイルの継続記録を更新した。資本主義国共産党や他政党における満場一致型党大会継続の世界的新記録として、ギネスブックへの登録申請をする価値があるのかもしれない。

 

(真相データ13) スターリン流満場一致型大会演出の4重のからくり

4つの段階

数字

実態とからくり

支部総会

5中総

24000

実態として4320支部崩壊→残存19680支部の支部総会。総会での地区党会議代議員選挙は自由。ただし、批判・異論者がいる支部には、地区専従が干渉し、代議員にさせないよう工作

 

 

 

 

地区党会議

 

 

 

 

300

地区党会議で、都道府県党会議代議員を選出

批判・異論者の濾過・選別をする4重のからくり

(第1次濾過)地区常任委員会が、都道府県常任委員会から指示された都道府県党会議代議員の人数全員分の機関推薦リストを作成。批判・異論発言をしたことがある地区委員・支部長・議員をすべて濾過・排斥したリスト作成

 

(第2次濾過)地区党会議前に、地区は、都道府県常任委員会に地区リスト案提出。上級機関がクレームを付けた代議員候補は100%削除し、他に差し替え――上級機関による事前承認・濾過システムの隠蔽堅持

 

(第3次濾過)党会議当日、地区常任委員会指名の代議員・役員選考委員会を決定。自薦立候補者はめったに出ない。出たケースでは、選考委員会が、自薦立候補者を呼び出し、立候補を取り止めるよう、陰に陽に脅迫する。自薦がいなければ、代議員選出形態の性格は、「選挙」という名を騙った「信任投票」である。316地区党会議における代議員選出形態は、ほぼ100%が欺瞞的な「信任投票」となる。上級機関が事前チェック・濾過をした機関推薦リスト候補者は誰一人として「不信任」にならない。

 

(第4次濾過)党会議当日、地区常任委員会指名の選挙管理委員会を決定。自薦立候補者が脅迫を蹴って、取り下げをしない。そのケースでは、機関推薦代議員リストの最後に載せる。そして、彼が自薦立候補者であるとわざわざ事前報告をする。地区党会議代議員のほとんどが、彼に×印を打つ。必ず落選する。

 

欺瞞的な「信任投票」の本質は何か。4重の濾過フィルターを通過したリストの実態は、執行機関がお手盛り任命をした候補者である。よって、自薦立候補者がいない「信任投票」のケースは、「選挙」という日本語の意味からかけ離れている。それは、機関指名者の単なる任命儀式となる。

 

 

 

 

都道府県

党会議

 

 

 

 

47

(党大会代議員選出)常任幹部会・党中央書記局は、都道府県常任委員会に、選出比率と人数を指令。そこには、中央委員129人・准中央委員19人も割り当てる。なぜなら、中央役員は、党大会において評議員権を持つのみで、都道府県党会議で選出されないと、党大会における議決権を持てないからである。

 

(選出比率党員数と党大会報告党員数との二重帳簿)

(第1帳簿)、党大会報告の党員数は、在籍40万人以上である。それは、長期未結集・行方不明党員という12万人の幽霊党員を含む

 

(第2帳簿)代議員選出は、数カ月間の平均党費納入党員数=28万人を基準とする。党費長期未納の幽霊党員12万人を含めては、都道府県によるアンバランスが生ずるからである。党大会代議員数は、いつも約1000人である。それは、伊豆学習会館の収容人数と4泊5日分の伊豆周辺宿泊旅館の収容量による。となると、都道府県委員会への党大会代議員割当比率と人数は、党費納入党員約280人に一人となる。

 

(第3帳簿)上記のように、政治資金規正法に基づく、政府報告(=公安調査庁に筒抜け)をした年間党費納入党員数である。政府報告をした党費納入党員数を、党大会になぜ報告しないのか。共産党HPにおいても、年間党費納入総額を記載するだけで、公安調査庁には筒抜けの年間党費納入党員総数を意図的にカットしている。

 

(党大会代議員の濾過・選別システムの作動)

批判・異論者の濾過・選別をする4重のからくりが、地区党会議と同じレベルで完璧に作動する。47都道府県党会議においては、自薦立候補をするような地区党会議信任代議員は、100%出ない。その党会議は、都道府県常任委員会と党中央書記局による二重の事前濾過システムを通過した機関指名者の任命儀式を、「選挙」と偽って厳粛に行う

東京・京都選出代議員のような不埒な反中央ケースが起きないよう、再発防止システムを精密にする

 

 

 

 

党大会

 

 

 

 

代議員

1000

(党中央書記局による党大会代議員リストの事前チェック・濾過)

47都道府県常任委員会は、党会議前に、代議員リスト案を書記局に提出する。書記局は、過去数年間にわたって、党中央批判・異論発言をした者がいないかどうかを厳重にチェックする。異論疑惑のある者を、疑わしきはすべて有罪として、差し替えを命令する。何重もの濾過装置を潜り抜けた党員のみが、晴れて、都道府県党会議で「信任投票」をされ、伊豆にやってくる。

 とくに、東京・京都の代議員リスト案は、一人一人を慎重に点検・事前審査のふるいにかける。

 

(党大会発言の操作)常任幹部会・党大会議長団は、47都道府県委員会に党大会発言人数を割り振る。事前の発言通告文書で厳重チェックする。満場一致採決の前に、満場一致にいたる雰囲気作りに努める。代議員約1000人も、選別された党員としての誇りから、満場いっせいの拍手、満場いっせいの笑いで、45年間・16回連続の満場一致儀式を盛り上げる

 

(中央役員の濾過・選別システム)

現在、不破・志位・市田らにたいし、表立って反逆する中央役員は皆無となった。第21・22回党大会における2大会連続の宮本秘書団私的分派の解体・一掃クーデター成功と、党中央内にも設置されている濾過フィルターの日常的な働きにより、抵抗勢力が一人もいない中央委員会が確立している。

 

 しかし、最初の満場一致大会となった第8回大会で、宮本顕治は、批判・異論中央委員の濾過・選別を行った。彼は、党大会前に、61年綱領批判・反対の中央役員・文学者たち数十人を、()除名・()機関罷免・()分派疑惑で査問にかけ、査問期間中を理由とする党員権停止措置をした。しかし、中野重治・他1人の反対中央委員が残っていた。2人を党大会代議員として、都道府県党会議で選出させれば、彼らが党大会採決で反対挙手をすることは明らかだった。

 

 宮本顕治は、2人だけを都道府県党会議に割り当てないという策略をした。2人は、中央委員として、党大会壇上にいたが、議決権のない評議員として採決に挙手できなかった。私の妻・宮地幸子は愛知県選出の党大会代議員の一人として参加し、それを目撃していた。当然、党大会議長団は、彼らの発言通告を却下した。そして、この第8回大会は、43年間続く満場一致大会の歴史的幕開けとなった。

 

 地区党会議、都道府県党会議における批判・異論者の濾過・選別という4重のシステムは、私が地区常任委員(現在では5つの地区委員長)として、および、愛知県選対部員として、13年半で実体験し、やってきた事実の証言である。その後の現役党員や地区委員長ら友人による直接対話とメール情報によっても、これらのからくりは隠蔽堅持され続けている。不破・志位は、上級機関による代議員・役員の事前承認システムを廃止したと言明したことがある。しかし、それは、彼らが常用するウソの一つだった。このレベルのウソをいくらでもつくというのは、レーニン型前衛党トップに居座る共産主義的人間の不可欠な資質なのだろうか。満場一致型党大会演出のからくりについては、別ファイルでも分析した。

 

    『なぜ民主集中制の擁護か』満場一致型党大会演出のからくり

    『ゆううつなる党派』民主主義的中央集権制の4システム、代議員・役員濾過システム

 

 かくして、2006年1月11日〜14日、批判・異論者を濾過・選別する4段階・4重システムに基づく第24回大会が、()満場いっせいの拍手、()満場いっせいの笑い、()発言者ほぼ全員が決議案賛美という雰囲気で開かれた。最終日の1月14日、党大会決議案・中央委員会報告が、代議員約1000人の満場一致で採択された。その結果、資本主義国の国際共産主義運動史において、スターリン流満場一致型党大会が、1961年第8回大会以降、45年間・16回続いたとなり、世界新記録をさらに更新した。

 

 下り(後期)の47都道府県党会議・316地区党会議・24000支部総会が、1月下旬から2月にかけて開かれる。その議題は、「政策と計画」を決定し、次期役員を選挙することである。

 

 ()、党勢拡大計画については、50万党員・しんぶん赤旗3割増の計画は、以前に立ててある。党員・HNは、ほとんどの中間機関とも増えていない。むしろ減っているので、若干の目標手直し程度ですむ。不破・志位・市田の手口に倣って、目標がまるで未達成、または、減った原因総括について、口にチャックを掛けたままで沈黙し、目標期限だけを2007年4月統一地方選まで引き延ばすという簡便な党員騙しのテクニックを披露する。ただ、党勢拡大計画を持つことを、意図的に拒否するか、立てられないレベルに半崩壊した12000支部の指導・点検が大問題として立ちはだかる。

 

 ()、次期役員選挙ルートは、(真相データ13)における順序が逆になる。それらのすべてにおいて、4重の濾過・選別フィルターが秘密裏に作動する。47都道府県委員長は、全員を常任幹部会・党中央書記局が任命する。316地区委員長は、都道府県委員長・常任委員会が任命する。全中間機関委員長は、その常任委員リストを事前に上級機関に提出し、上級機関による濾過・選別を受ける。党中央批判・異論者を、それら党内執行権力占有機関に一人も入れないような一枚岩のひらめの党機関を作り上げる。それらをしておけば、支部段階において、どのような党内離脱現象が深化・増大しようとも、志位・市田・不破体制は磐石である。

 

 

 6、党大会後のデータ2つ

 

 〔小目次〕

   (真相データ14) 護憲・活憲運動と共産党のセクト的・独善的対応例

   (真相データ15) 党員が支出する党費・カンパ・支援基金

 

 党大会後、下り・後期47都道府県党会議・316地区党会議、および、24000支部総会がいっせいに開かれた。そこに向けた運動や議題は、()党大会決定の読了運動、()一般政策・方針の具体化、()党勢拡大目標数値の計画化、()次期役員選挙=実質的な任命儀式である。

 

(真相データ14) 護憲・活憲運動と共産党のセクト的・独善的対応例

対応例

時期

具体的内容

根拠、証言者

1、他党派との共同拒絶

新社会党、民主党、社民党

0617

 

 

 

06123

()、新社会党が「憲法改悪阻止の共同の可能性について、率直な協議」を申し入れたのにたいし、3つの理由で、共同も、協議することも拒絶した。

()、民主党は、自民党と同一と規定して、共同もしない。

()、社民党は、共産党から引いているとして、共同しない。

ただし、1月23日、共産党は、社民党に「憲法改定反対」で政党間共闘を申し入れた。これは、党内外からの強烈な批判を受けて、党大会10日後に、党大会決定を、早くも転換したものである。

赤旗0617、「政党間共闘の条件はそんざいしない」という回答

 

赤旗06124

2、9条の会集会での言動

05年冬

名古屋市の名東区、他1区の結成集会に、「もくの会」会員が参加した。いずれの会場にも、9条の会と関係がない不破哲三著書『私の戦後六〇年−日本共産党議長の証言』(新潮社)が特別にうずたかく積まれていた。一つの集会において、講師が冒頭に、いきなり不破著書を掲げて、「この本はとてもいいから是非購読してください」と紹介してから、講演に入った。

愛知県「もくの会」会員の参加証言

3、共産党批判者のよびかけ人排除

05・922

東京建設人9条の会結成にあたり、「さざ波通信」投稿者山本をよびかけ人にすることにたいし、建交労から異議が出て、排除された。異議は、建交労の共産党員と思われる。東京建設人9条の会は、山本の抗議を受けて、排除を撤回した。

東京建設人9条の会よびかけ人山本

4、被除名者のよびかけ人排除

05122

「あいち九条の会」結成集会が開かれた。私は東海地方の同人誌『象』の合評会で、そのよびかけ人の一人になるよう推薦された。代表世話人の一人水田洋は、私をよびかけ人283人のリストに挙げた。すると、事務局会議に出ていた祖父江共産党愛知県委員会副委員長・統一戦線部長が「宮地君をよびかけ人に入れるのはまずい。よびかけ人からはずすべきだ」と発言した。水田洋名古屋大学名誉教授や元愛労評議長成瀬昇が、その理由を問い質した。祖父江副委員長は、「宮地は反党分子だから」という趣旨を答えた。水田・成瀬他の世話人も、9条の会は個人加盟だから、そんな排除理由は問題外として、共産党側意見を退けた。そこで、私は、無事、よびかけ人リストに載っている。水田洋は、この経過証言を私にした。他にも、排除言動があるが、長くなるのでここに書かない。

宮地健一、水田洋

5、革マル・中核批判・排除指令

05518

05115

「改憲反対運動に入り込む『革マル』と『中核』」で排除を指令。

「憲法運動は無差別テロ支持勢力にどういう態度をとるべきか」で排除を指令。

赤旗05518

05115

 

 共産党は、第24回大会決議・中央委員会報告においても、憲法改悪阻止・護憲課題を大衆運動の中心の一つと位置づけている。ただ、方針の特徴は、()その課題で他政党・他党派と共同する現状にないと規定し、よって、()無党派との共同を広げる、とした。その裏側の実態と本音が早くも露呈されてきた。

 

 第一、新社会党にたいする協議拒絶の回答は、共産党が本気で、憲法改悪阻止・護憲課題をやるつもりなのかを疑わせる内容である。この回答にたいする強烈な批判が多数出た。

 

 第二、9条の会集会での言動例内容は、共産党側こそが、9条の会に来る人を共産党の拡大対象者にしようとする姑息で利己的な意図を剥き出しにしている。共産党は、革新統一懇談会が全国で758できたと誇っている。しかし、その実態は、選挙時以外、開店休業状態にある。安保破棄実行委員会も数千作った。それも、ほぼ閉店している。私は、共産党地区常任委員(=現在で5つの地区委員長)当時、党中央指令で、各区で安保破棄実行委員会を結成した体験がある。それは、大衆団体というよりも、その行政区における民青・新婦人・民商・平和委員会・他の共産党系大衆団体を駆り集めた共産党系連絡会議のようなものだった。()それら開店休業・閉店大衆団体に取って代わるのが、共産党にとっての9条の会の利用・使用価値となった。()もちろん、真に大衆的な9条の会になっている地域・階層も多い。4000に広がった会における()()の比率度合が、9条の会運動や護憲・活憲運動の成否を分ける。

 

 第三、特定個人、団体を護憲・活憲団体や運動から排除せよという指令を共産党党中央が出している。しんぶん赤旗での公然とした「革マル・中核」排除指令もある。秘密・口頭指令も出している証拠が愛知県の問題である。たしかに、私は、共産党県常任委員・弁護士4人が怒り狂って、名古屋地裁民事裁判長に何度も怒鳴ったように、1977年・40歳、「国際共産主義運動史上初めて、一共産党員が、専従不当解任問題で、党中央を民事裁判に訴えたという前代未聞の反党・反革命分子。直ちに、門前払い却下せよ」と言われた共産党員ではある。しかも、専従を首になった後、学習塾だけおとなしくやっていれば見逃してもやるが、1997年60歳から『共産党問題・社会主義問題を考える』というHPを開き、日本共産党批判・レーニン批判を強烈に展開しているという歴代の被除名者リスト史上、最も凶悪で活動中の反党分子である。

 

    『日本共産党との裁判』第1部〜第8部

 

 しかし、私たち夫婦は、憲法改悪に反対し、活憲の立場から、9条の会の趣旨に全面賛同して入会し、イラク派兵阻止の愛知県訴訟原告3200人に参加している。その名古屋地裁訴訟法廷やイラク派兵反対デモに何度も参加してきた。それら運動・言論の多数をHPにリンクし、私なりに宣伝行動をしている。

 

    宮地幸子『戦争と平和』自衛隊のイラク派兵差し止め訴訟の原告陳述書

    HP『あいち九条の会』 『九条の会』

    加藤哲郎『護憲・活憲・知憲・論憲・創憲・改憲』憲法問題リンク集

 

 私の愛知県共産党専従13年間の体験から見ても、祖父江愛知県副委員長の排除発言は、当然党中央の排除指令に基づく行為である。私は彼と同一地区内で地区常任委員をした時期があったので、個人的にも知っている。彼は、党中央指令がないのに、上記のような言動をするタイプの専従ではないからである。全国的にも、これらの排除指令は貫徹されていると思われる。水田洋の祖父江批判言動やその証言がなければ、このケースは、大衆団体・運動において、共産党が行ってきた無数の批判・異論者排除史の暗闇に葬られたであろう。

 

 これらのセクト的対応事例を見れば、「無党派との共同をひろげる」という共産党方針の裏側の本質・本音が透けてくる。それは、共産党批判・異論者を排除した上での、共産党支持の無党派層だけを囲い込む意図である。そして、彼らを集めた9条の会を、共産党系大衆団体に変質させ、閉店・休業状態組織に代わって、共産党の党勢拡大のための新たな草刈り場にしようとする利己的な狙いを秘めた方針である。

 

 共産党は、新社会党や新左翼党派が、護憲・活憲運動に取り組もうとしているのは、自己の組織拡大の目的からだと非難し、協議も拒絶したり、排除指令を出している。これら共産党のセクト的対応は、共産党の方にこそ、非難内容のつばが逆噴射されることになろう。共産党は、()護憲・活憲運動により、本気で憲法改悪を阻止するつもりなのか、それとも、()護憲・活憲運動や9条の会を利用して、党勢拡大を狙うという利己的な企みで行動しているのか。上記のような対応は、共産党の本気さを疑わせる証拠である。

 

(真相データ15) 党員が支出する党費・カンパ・支援基金

種類

細目

金額・%

内容

1、党費

毎月1

所得税・住民税を差し引いた月収の1%

2006年1月、公表在籍党員404299

2004年度、平均党費納入党員268664人、党費納入率66.5

党費未納・長期未結集・行方不明という幽霊党員約13万人

2、一時的カンパ

夏季カンパ

年末カンパ

選挙カンパ

毎年・数%

毎年・数%

都度・数%

専従4000人―の夏季一時金約1カ月分に充当

専従4000人―の年末一時金約1カ月分に充当

総選挙・参院選・統一地方選の選挙費用

3、特別カンパ

救援基金

空白克服基金

議員援助基金

特定の県・地区、%は異なる

特定の県・地区、%は異なる

特定の県・地区、%は異なる

4、臨時カンパ

党本部ビル建設カンパ

40億円

党本部ビル総建築費85億円、内建設資金カンパ40億円

100万円以上寄付党員に党中央から感謝状と記念品贈呈

5、衆院小選挙区供託金支援基金

2009年任期

解散時期?

1口100

1200

平均党費納入党員268664人×1200円≒年間額32240万円

解散?までの3年間、32240万円×3年≒96720万円

 

 第24回大会は、満場一致で、「衆院小選挙区供託金支援基金」設立を決定した。4年任期中の衆議院解散時期は不明だが、仮に3年後とする。党費納入党員268664人全員が、3年間毎年1200円を納入すると、総額で9億6720万円になる。

 

 (真相データ5)のように、()2003年総選挙では、小選挙区供託金没収者235人・78%、没収金額7億500万円だった。()2005年総選挙で、小選挙区供託金没収者223人・81%、没収金額6億6900万円である。となると、「供託金支援基金」の3年間分9億6720万円は、次回総選挙で没収されるかもしれない総額を上回る。

 

 党中央は、全党員から徴収する新基金によって、300小選挙区立候補者数の方針を、供託金不足の心配をしないで、決定しうるフリーハンドを手に入れた。不破・志位・市田らは、ころころと戦略転換をしてきた。

 

 ()、300小選挙区全区立候補戦略を3回続け、議席26→20→9と連続惨敗した。これは、有権者が共産党の泡沫立候補者戦略に愛想をつかしたことによる。

 

 ()、その結果に怯えて全区立候補戦略を取り止める方針に大転換した→解散時点で70数人の候補者しか決めていなかった。

 

 ()、突然の解散に慌てふためき、方針の逆転換をした。解散日から公示日までの短期間で、候補者200人を党中央命令で粗製製造した。その結果が、小選挙区供託金没収者223人・81%という党史上最悪のデータとなった。

 

 ()、動揺した彼らは、とりあえず、全党員から「衆院小選挙区供託金支援基金」毎年1200円を徴収し、没収供託金分を備蓄することを目論んだ。志位中央委員会報告は、「すべての小選挙区で候補者擁立をはかる」と宣言した。ただし、「義務づけない」ともした。

 

 代議員約1000人は、満場一致で、この「供託金約7億円没収を見越した」新基金徴収に賛成した。次の解散がいつになろうとも、新体制の志位・市田・(不破)は、最初3回の300小選挙区立候補戦略か、それとも、4回目の90%小選挙区立候補者戦略にするのかを、自由に決定できる財源を、全党員からの一律徴収手法で手に入れた。他党派との共同を拒絶して、名誉ある孤立路線を選んだ党大会決定をしたからには、70数人の候補者という選択肢はない。これが、共産党の憲法改悪阻止・護憲戦略なのか。志位・市田・(不破)らは、この立候補戦略で、「無党派との共同をひろげる」ことができ、憲法改悪阻止の国民的運動を盛り上げられると思っているのだろうか。

 

 護憲・活憲勢力や政党を総結集する上での選挙協力という別の総選挙戦略の選択肢があるのに、それを拒絶する情勢判断・他党派規定は、はたして正しいのか。

 

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 〔関連ファイル〕

    『第24回大会めぐるマスコミ論調』

    共産党・志位和夫『第24回党大会にたいする中央委員会報告』

    共産党『第24回党大会の全内容』06年1月 『5中総』05年11月 『4中総』05年10月

         『日本共産党index 『しんぶん赤旗』 「新綱領」 「新規約」

 

    『「国会で安定した241議席を占める革命」綱領』代議員1012人賛成・1人反対の党大会

    『綱領全面改定における不破哲三の四面相』

    『志位和夫「党員5カ年計画」の欺瞞性と空想性』党費納入有無による党員数の三重帳簿