「国会で安定した241議席を占める革命」綱領

 

総選挙連敗が証明した過半数議席の空想性

代議員1013人中、1012人賛成・1人反対の党大会

 

(宮地作成)

 

 〔目次〕

   1、共産党の選挙4連続惨敗と議席占有率

   2、「国会で安定した241議席を占める革命」の障害

   3、241議席・二段階革命政権の実現可能性

   4、革命綱領と満場一致システムの第23回大会 HN−27万部データ

   5、2004年7月参院選での3議席・5連続惨敗の見通し

 

 (関連ファイル)             健一MENUに戻る

   (共産党HP)

    共産党日本共産党index 『しんぶん赤旗』 「新綱領」 「新規約」

    不破哲三『綱領改定についての報告』(全文)

    志位和夫『大会決議案についての報告』(全文)

    不破哲三『党綱領の改定、市民道徳』7月18日記念講演

    日本共産党資料館『討論報第1号〜第5号』全文

 

   (43年ぶりの綱領全面改定問題)

    『綱領全面改定における不破哲三の四面相』総選挙の時期読み誤りの失態

    『綱領全面改定めぐるマスコミ論調』代議員1人反対とその理由

    加藤哲郎『日本共産党新綱領草案について』

    五十嵐仁『日本共産党綱領改定案への論考』

    さざ波通信『綱領改定案と日本共産党の歴史的転換・上中下』第33、34、35号

    掲示板討論『JCPウォッチ』 『さざ波通信』

    『綱領全面改定案に関する掲示板討論』ピックアップ

    Google検索『日本共産党 綱領』

 

   (2003年総選挙結果)

    『共産党の選挙4連続惨敗結果と原因分析』3議席・5連続惨敗になるか、7月参院選

    『共産党の総選挙、参院選結果データ分析』(1970〜2003)

 

 1、共産党の選挙4連続惨敗と議席占有率

 

(表1)総選挙連敗と議席占有率

定員

96年

00年

増減

03年

増減

占有率

過半数

小選挙区議席

300

−2

0%

150

比例区議席

180

24

20

−4

−11

5%

91

議席合計

480

26

20

−6

−11

1.87%

241

 

 共産党は、2003年総選挙において、選挙4連続惨敗、総選挙連敗をしました。議席占有率は、小選挙区0÷300=0%、比例区9÷180≒5%で、全体として、9議席÷定員480議席≒1.87%となりました。

 

 共産党が、43年ぶりに全面改定をした綱領は、21世紀の早い時期に実現させる民主連合政権マニフェストと言えます。もっとも、民主連合政府とはいえ、共産党が野党選挙協力を自ら全面拒否し、他野党も革命綱領政党と連合政府を組む気配がないので、現時点では、連合する相手政党はなく、共産党単独政権マニフェストです。その基本は、「国会で安定した過半数を占める革命」政権構想です。現選挙制度で計算すると、「共産党と統一戦線勢力が安定した241議席を占める革命」政権=民主連合政府を樹立するという戦略です。

 

 なお、現定員の半数は240議席ですが、()「過半数」となると241議席になります。(2)「安定した過半数」とは、いわゆる絶対安定多数の269議席です。それは、衆議院の17常任委員長を与党・共産党がとり、かつ、各委員会で共産党が過半数を確保できる議席数のことです。もちろん、選挙制度は、今後とも変わります。小選挙区定員300議席、比例区定員180議席の制度で、3回の総選挙をしました。現在、選挙制度改革の方向として、民主党は、比例区を80議席減らして、100議席とし、全定員400議席にすることをマニフェストに掲げています。比例区の定員削減については、自民党や財界も賛成しています。

 

 ところが、共産党は、定員一人の300小選挙区において、96年・00年・03年の3回とも、野党間選挙協力を拒否し、300人を立候補させてきました。この2回の小選挙区当選者は0です。比例区は、24議席→20議席→9議席と連続惨敗しています。その状況で、比例区定員が180議席→100議席に減れば、共産党の議席は、さらに半減します。朝日新聞は、2003年11月11日、早くも、次期総選挙の比例区100議席シミュレーションを載せました。その試算では、共産党9→4議席という壊滅的な打撃を受けるとしています。衆議院の国会事務局は、従来、共産党を「小会派」と呼んできました。2003年の連続惨敗以降は、「議席占有率1.87%の泡沫会派」と呼ばれることになるでしょう。

 

 第23回大会で、代議員1013人中、賛成1012人・反対1人で、ほぼ満場一致採択された革命綱領案は、それを大逆転の発想で、議席占有率を安定した50%以上にするという総選挙戦略です。不破哲三議長は、世界的にも稀少価値を持つ、熱烈なマルクス・レーニン信奉の共産党最高指導者です。彼の綱領全面改定案は、レーニン『国家と革命』の思想を受け継ぐものです。ただし、彼は、ソ連・東欧崩壊後、レーニン理論の一部のみを批判し、暴力革命・武装蜂起革命戦略を否定していますから、「総選挙を通じての革命」しかありません。これほど壮大なレーニン型革命政権構想を掲げる政党は、日本国内だけでなく、世界的にも、日本共産党一党だけです。

 

 彼のロード・マップを、もう少し具体的に考えます。仮に、現在の選挙制度で、241議席以上を安定してとるには、当然、定員1人の300小選挙区において、過半数の150小選挙区で、共産党候補者がトップ当選しなければなりません。比例区でも、共産党の得票率が30%以上をとるという、圧倒的な共産党支持率の情景を想定することが必要です。この民主連合政府=民主主義革命政権構想に、「日本改革」の夢を託す無党派層有権者が絶対多数になるという革命情勢が、いつの日にか生まれるでしょうか。「世界をゆるがした日本総選挙12日間」を、1億261万731人有権者が、主人公となって、共産党革命政権樹立に向けて、総決起することを夢想できるでしょうか。

 

 

 2、「国会で安定した241議席を占める革命」の障害

 

 〔小目次〕

   1、無党派層有権者の政党支持動向

   2、革命綱領政党という特殊性

   3、革命綱領政党にたいする他政党の警戒心と不信

 

 1、無党派層有権者の政党支持動向

 

 2003年総選挙での有権者数は、総務省発表で、1億261万731人でした。今後、様々な政界再編があるとしても、現在の自民・公明と民主・社民・共産の流れを受け継ぐ固定した特定政党支持者が、40%・4104万人いると仮定します。無党派層は、流動的ですが、過半数から60%の5000万人から6000万人前後います。世論調査における政党拒否率=嫌いな政党・当選して欲しくない政党率は、共産党と公明党が一位を争っており、共産党への拒否率とその有権者数は、20%・2000万人から、25%・2500万人になっています。

 

 国会で安定した241議席を占める革命政権を樹立するには、この無党派層のかなりの部分を熱狂的な共産党支持者に変え、かつ、共産党嫌い率を圧縮させることが必要です。政党不信、既成政党不信を抱く無党派層有権者の心理動向の中に、共産党の政治的文化的道徳的ヘゲモニーを打ち立てるという政治的組織的能力を、不破・志位・市田指導部が持っている、または、身につけるであろうと、想定できるでしょうか。

 

 300小選挙区のうち、150小選挙区で、共産党候補者がトップ当選するには、無党派層有権者5000万人のニーズの汲み取りを基本に据える体質に、共産党トップから変化しなければなりません。それには、レーニンが規定した「ブルジョア議会は、権力奪取のための宣伝・扇動の場」という理論と、それを受け継いだ「人民的議会主義」思想の誤りを明確に総括し、有権者にたいして、その内容を報告すべきでしょう。「人民」という日本語を、規約から削除しただけでは駄目です。不破議長が、マルクス・レーニン研究の、残存する世界的権威者になろうと努力し、その研究成果を次々と数十冊も、共産党出費で赤字出版したり、あるいは、印税収入を貰うのは自由です。しかし、彼は、無党派層有権者の心理動向を研究し、発表する権威者になった方が、総選挙勝利には役立つと思いますが。

 

 2、革命綱領政党という特殊性

 

 43年ぶりに全面改定したはずの綱領案の骨子は、細部の変更があっても、民主主義革命から社会主義的変革(=革命)という二段階革命路線を継承しています。変更部分と継承部分の比率をどう位置づけるのかによって、綱領改定案の評価も分かれます。そこでは、民主主義的変革=民主主義革命と規定していますが、社会主義革命を「社会主義的変革」と用語変更しました。それは、不破式日本語使用法によるもので、()民主主義的変革内容は、国家権力・国家暴力装置が、共産党側に明白に移るので、民主主義革命である、しかし、(2)社会主義的変革は、権力が再度、共産党側に移る革命ケースと、民主連合政府という革命政権と同じ権力構造なら、新たな権力移行が起きないので、革命ではなく変革というケースになると、説明しています。

 

 何とも、意味不明な「科学的社会主義」式説明ですが、二段階路線の社会主義段階において、そんな権力移行有無ケースの区別をして、「革命」と「変革」という日本語を使い分ける必要があるのでしょうか。有権者にとって、それは、社会主義革命と同じです。よって、この綱領改定案は、1961年・43年前の二段階革命路線綱領と変わりありません。

 

 現在の日本の政党において、このようなマルクス・レーニン主義的な国家権力・国家暴力装置移行概念に基づく革命政権構想を掲げる政党はありません。世界ではどうでしょうか。崩壊した10カ国のソ連・東欧において、革命綱領を持つ政党は皆無です。高度に発達した資本主義国においても、日本共産党以外のすべてのコミンテルン型共産党は、プロレタリア独裁理論とDemocratic Centralism組織原則の放棄を公然と宣言し、さらには、大転換・解党しました。Democratic Centralismを堅持しているポルトガル共産党は、もっとも早く、プロレタリア独裁理論を放棄していますから、ヨーロッパでは、レーニン型の国家権力移行革命という綱領をかかげる政党は壊滅しています。

 

 不破・志位・市田指導部は、天皇制・自衛隊容認など一部手直しをした二段階革命綱領を再度採択し、時代錯誤的なコミンテルン型共産党として、サバイバルを図っています。彼らは、残存する中国共産党・ベトナム共産党にたいして、「市場経済を通じて社会主義の道を歩む国ぐに」とエールを送り、北京の5日間を過ごしました。朝鮮労働党にたいしては、その日本出先機関である朝鮮総連を、2000年第22回大会に来賓として招待し、水面下で共産主義的友党関係を回復しました。そして、綱領改定案では、アジア・アフリカの民族解放勢力に期待をかけています。そこで、「資本主義を離脱した国ぐに」という意味不明の日本語も使って、それらの国ぐにと連帯して、世界の革命運動を再興する路線を打ち出しています。ヨーロッパにたいしては、連帯する国ぐにや政党を一切挙げていません。

 

 よって、彼らは、(1)高度に発達した資本主義国において、唯一残存するレーニン型前衛党としての日本共産党、(2)一党独裁の中国共産党・ベトナム共産党、()アジア・アフリカの民族解放勢力という3大勢力が、「資本主義を離脱した国ぐに」になり、そこから、社会主義世界体制の再構築を想定するグローバルな視点から、日本における衆議院241議席以上当選=革命政権の樹立を夢見ていると言えます。

 

 3、革命綱領政党にたいする他政党の警戒心と不信

 

 〔小目次〕

   第一、前衛党理論の独善的排他性とその理論による他党党員大量殺害事実

   第二、一党独裁体制への無批判・無総括と、政権交代を認めるというウソの公約

   第三、議会制民主主義と異質な政党システム

 

 今回の改定綱領は、レーニンの暴力革命戦略否定があるとしても、それ以外では、レーニン型革命路線を基本的に正しいとしたものです。日本共産党は、(1)党名を変更せず、(2)前衛党用語を規約から削除しただけで、理論誌『前衛』名称を残し、前衛党思想を放棄していません。(3)高度に発達した資本主義国共産党のすべてが放棄したDemocratic Centralismを民主集中制という略語で堅持し、(4)HP掲示板に党中央批判の意見を載せた党員を、摘発・調査(=査問)・除籍するという党内民主主義抑圧・破壊体質を継続しています。

 

    『インターネットHP攻撃政党』『掲示板発言者摘発・粛清政党』

 

 その場合、他政党が、革命綱領政党にたいして抱く警戒心と敵意は、従来通り続きます。その共産党を、連立政権の一員に加えるのかどうかは、今後、総選挙の度ごとに、論戦のテーマになります。政権交代を目指す野党が、共産党も加えると公約すれば、政権与党は、無限の攻撃材料を繰り出します。その野党は、一方的な防戦に追い込まれます。2003年総選挙において、菅民主党代表が、共産党も加えると発言して、猛烈な攻撃を受け、翌日にあわてて撤回したようなケースは、今後いつも発生するでしょう。

 

 警戒心と敵意の根源には、レーニン型共産党が本質的に持つ、議会制民主主義に関する3つの異質性があります。共産党が、その異質性を総括し、克服・放棄しない限り、他政党が共産党に抱く警戒心と不信感を解くことはできません。

 

 第一、前衛党理論の独善的排他性とその理論による他党党員大量殺害事実

 

 共産党は、2000年第22回大会における規約全面改定で、規約前文から「前衛党」用語を削除しました。それは、前文内容が綱領内容と重複するので、規約条文だけに改定したことによるものです。それを、マスコミが間違えて、「共産党は前衛党思想を放棄した」と宣伝しました。規約改定の不破報告は、前衛党概念を肯定的に評価し、それになんの批判もしていません。理論誌『前衛』名称もそのままで、変えていません。

 

     『規約全面改定における放棄と堅持』前衛党理論の隠蔽・堅持

     『「削除・隠蔽」による「堅持」作戦』前衛党理論の隠蔽・堅持

 

 レーニン、および日本共産党の前衛党理論とは、「前衛党は、全政党、党派の中で、科学的真理を認識し、体現できる唯一の党派である。それゆえ実践においても無謬者である。他党派は、真理を認識も、体現もできない。一国には、真理を認識できる政党は一つしか存在できない」というものです。

 

 世界政党史上で、これほどうぬぼれた、かつ排他的な政党理論は、前衛党理論と一国一前衛党理論以外にはないでしょう。社会主義レベル=前衛党による権力奪取レベルになると、この理論は、他党派、反対党派を、前衛党に反対する党というだけでなく、非真理の思想を言論・出版で革命社会にまきちらす駆除すべき対象と、必然的に認定するのです。前衛党は、さらに、他党派幹部全員を反革命行為をした人民の敵と恣意的にきめつけ、他党派を反革命政党に転落し、組織的に国家反逆罪を犯した政党と断定するのです。人民の敵となった反革命他党派幹部を、逮捕、尋問、強制収容所送り、銃殺するのは、当然の正しい革命防衛活動になります。14カ国での一党独裁体制成立は、他党派の自主的解党や自然消滅の結果によるものではありません。他党派すべてを、国家権力の暴力装置を使って物理的抹殺をしたのは、この前衛党理論に基づく必然的結末でした。

 

    『「赤色テロル」型社会主義とレーニンが「殺した」自国民の推計』

    ニコラ・ヴェルト『共産主義黒書−犯罪・テロル・抑圧−〈ソ連篇〉』プロレタリア独裁

    スタインベルグ『ボリシェヴィキのテロルとジェルジンスキー』(4人の写真)

    ヴォルコゴーノフ『テロルという名のギロチン』『レーニンの秘密・上』の抜粋

 

 共産党が、前衛党理論を放棄したと明白な宣言をするのならともかく、そうでないかぎり、この独善的排他性と大量殺人実績の政党にたいする他政党の警戒心・不信は強烈です。

 

 第二、一党独裁体制への無批判・無総括と、政権交代を認めるというウソの公約

 

 民主主義革命政権が、総選挙で敗れたら、政権交代をするというのは、ウソの公約です。ウソであるという根拠を挙げます。

 

 〔根拠1〕、14カ国での前衛党による全他党派幹部の排除、銃殺と前衛党一党独裁の完成という歴史的事実への未認定・沈黙

 

 14カ国では、暴力革命による前衛党の権力奪取時点に、まだ他党派が存在し、活動していました。共産党の独裁が強化されるにつれて、従来からの反対党だけでなく、革命に協力した政党も共産党批判の言論、出版活動をしました。レーニンは、マスコミ、他党派の出版活動を「反革命」と恣意的に捏造し、他党派の出版の自由を弾圧しました。以降、レーニン、スターリンや14カ国のすべてで、前衛党は他党派幹部を、「反革命行為をした」「国家反逆罪を犯した」「西側のスパイとなった」と事実無根の断罪をし、全員を逮捕、強制収容所送り、銃殺をしました。他党派はこうして消滅させられ、前衛党は14カ国で一党独裁を完成させました。

 

 レーニンは、1917年10月、武装蜂起による権力奪取の直後に、「出版にかんする布告」を出し、出版の自由を弾圧、他党派の民主主義的権利剥奪という形で、他党派粛清、抹殺の決定的第一歩を踏み出した張本人でした。大藪龍介富山大学教授は「国家と民主主義」(社会評論社)において、当時反対党のカデットは「反革命行為」などしておらず、出版の自由、他党派弾圧は、レーニンによる「反革命」捏造によるものであるとして、詳しい分析をしています。その言論出版の自由弾圧政策にたいして、ソヴェト内社会主義政党メンシェビキ、エスエルは猛反対し、強烈にレーニンを批判しました。レーニンは、レーニン批判政党・幹部にたいして次々と「反革命」レッテルを貼り付けていったのです。

 

    大藪龍介『国家と民主主義』出版にかんする布告、他党派の民主主義的権利剥奪

 

 日本共産党は、レーニン型一党独裁とは、前衛党が全他党派幹部を粛清=強制収容所送り、銃殺した結果であるという歴史的事実について、明確に認めたことが一度もなく、沈黙しています。不破哲三は、スターリンにたいしてだけは、「スターリンのしたこと」を含め、批判しています。彼は、2000年2月発行の「1917年『国家と革命』」でレーニンを初めて名指しで批判し、赤旗インタビューでも『レーニンはどこで道を踏み誤ったのか』としてレーニン批判を公表しました。その論旨は、選挙で多数をえての革命=人民的議会主義路線を自己弁護するには、とりあえずレーニン『国家と革命』の暴力革命・独裁理論だけは否定しておかなければならないという意図に基くものです。しかし、レーニンがその暴力的独裁理論=プロレタリアートのディクタトゥーラ理論に依拠して、自己生存中に、レーニン直属秘密政治警察チェーカーを使って、全他党派幹部を国外追放、強制収容所送り、銃殺したという歴史的結果=「レーニンのしたこと」を、彼は依然として認めていません。メンシェビキ20万人、エスエル・左派エスエル100万人を粛清したのは、彼らが「反革命だった」「武装反革命をしたから殺しただけ」というレーニンの詭弁を、不破哲三はまだ擁護し続けています。

 

    不破哲三「1917年『国家と革命』」暴力革命・独裁理論だけ否定

 

 〔根拠2〕、他党派幹部粛清、銃殺という14カ国の歴史的事実への総括なしの「政権交代」空手形

 

 前衛党員100万人以上をふくむ約4000万人の自国民を、14カ国前衛党は、逮捕、査問、尋問、強制収容所送り、銃殺をしました。その中で、最低でも数十万人を超える他党派幹部を、前衛党が殺害したのは間違いありません。レーニン型一党独裁とは、前衛党による他党派幹部の大量殺人の上に築かれた、犯罪的な政治体制の側面を伴っていました。全体の粛清規模データは、塩川伸明教授『「スターリニズムの犠牲」の規模』、ブレジンスキー『大いなる失敗』(犠牲者の数)に載せてあります。その「反革命」自白が、レーニンのチェーカー、スターリンのNKVDによるどのような拷問で製造されたかは、ソルジェニーツィン『収容所群島』第3章「審理」が32種類の拷問として分析・分類しています。中野徹三教授『「共産主義黒書」を読む』では、さらに戦慄すべき前衛党の犯罪行為、数字が紹介されています。

 

    塩川伸明『「スターリニズムの犠牲」の規模』

    ブレジンスキー『大いなる失敗』(犠牲者の数)

    ソルジェニーツィン『収容所群島』第3章「審理」32種類の拷問

    中野徹三『「共産主義黒書」を読む』

 

 日本共産党は、この14カ国と同じマルクス・レーニン主義=科学的社会主義を掲げ、全く同じ前衛党理論を持ち、同質のDemocratic Centralismを堅持しています。日本共産党は、旧兄弟党の14カ国前衛党が他党派幹部粛清、他党組織抹殺を、どのような経過で、なぜ行ったかについて、具体的な総括を一度も発表していません。レーニンによる1917年10月時点における他党派の出版の自由弾圧行為は正しいとしているのです。反対党のカデット機関紙「レーチ」、その他ブルジョア新聞を反革命活動の理由で封鎖し、反対党の民主主義的権利を剥奪したことは正しいとする日本共産党が、どうしてこの公約が守れるでしょうか。

 

 「複数政党制」「政権交代」という将来公約は、日本共産党によるウソの公約です。それは、レーニンや14カ国前衛党は、全他党派が反革命政党に転落したので抹殺したが、日本共産党だけは、その経過と総括を発表しないままで、民主主義革命政権・社会主義日本では他党派を弾圧しませんという空手形です。これほど無責任で、欺瞞的な公約は、日本政党史上他に類がないほどです。

 

 これらの公約が、ウソの空手形であることを、日本の他党派や1億261万有権者が見抜けないとでも、不破・志位・市田らは思っているのでしょうか。このような見え透いたウソを、レーニン型革命綱領で平然とつくということは、共産党指導部が、他党や日本国民の認識・知能レベルを蔑視・軽視し、レーニンによる他党派党員大量殺害型一党独裁の成立経過などばれないだろうと、有権者を低能視する、傲慢な体質を剥き出しにしたことを示しています。このウソの性質は、委員長志位和夫による外部飲酒禁止令文書の存否問題をめぐるウソのレベルと違って、革命路線に関するウソであるだけに、ことは重大です。

 

 第三、議会制民主主義と異質な政党システム

 

 レーニンは、暴力革命による権力奪取を基本とし、議会を「権力奪取のための宣伝・扇動の場」と規定しました。ブルジョア議会の利用価値があればよいが、それが邪魔になれば、暴力で破壊するという思想でした。現実にも、1917年11月25日、ボリシェヴィキの単独武装蜂起による権力奪取の18日後に開始された憲法制定議会選挙において、ソヴィエト内社会主義政党エスエルが、得票数・得票率40.4%・410議席(うち左派エスエル40議席)で第1党となりました。選挙に賛成していた政権党ボリシェヴィキは、得票数・得票率24%・175議席で第2党になりました。すると、レーニンは、それに言い掛かりをつけて、1918年1月18日議会開催第1日目に憲法制定議会を武力解散させました。それ以後、14の一党独裁型社会主義国とマルクス主義前衛党は、一度も一般普通選挙をしたことがありません。

 

    中野徹三『社会主義像の転回』レーニンによる憲法制定議会の武力解散経過

 

 普通選挙をしない14カ国にたいして、日本共産党は、一度も批判したことがなく、なぜ普通選挙を拒絶するのかについての具体的な分析を発表したこともありません。それは、普通選挙議会の位置づけが、異質だからです。「権力奪取のための宣伝・扇動の場」という本音を言うわけにもいかないので、従来は、「人民的議会主義」と呼び、ブルジョア議会主義と区別してきました。ところが、2000年第22回大会で、規約用語を「人民」から「国民」に変えました。まさか、「国民的議会主義」と言うわけにもいかず、「〇〇的議会主義」という日本語を使わなくなっています。

 

 ある特定の思想・理論を放棄せず、隠蔽堅持したままで、表面的には、なしくずし的に使わなくするという手口は、日本共産党の常套手段です。(1)プロレタリア独裁理論・(2)敵の出方論・()前衛党理論・()人民的議会主義という用語など、いくらでもあるので、有権者もまたやっているということで、べつに驚きません。

 

 しかし、日本共産党は、(1)「人民的議会主義」理論と(2)「(資本主義国家レベルの)議会主義」理論とを区別する姿勢を、なお隠蔽堅持しています。日本共産党における国会議員団、都道府県・市町村議員団の位置は、他政党と比べて、まったく異質です。議員団の位置は、党中央常任幹部会・47都道府県常任委員会・300数十地区常任委員会という共産党執行機関の決定・指令に、無条件で従うDemocratic Centralism組織原則の各分野グループ組織の一つです。党機関と各級議員団との関係・位置づけは、党機関と民青・新婦人・民主主義文学同盟・原水協のそれと同じです。対応する党機関との関係は、対等平等でなく、上下の従属的規律に縛られています。

 

    『ゆううつなる党派』党機関にたいする共産党議員団の従属的な位置づけ

 

 この実態を見ると、日本共産党は、資本主義的民主主義という意味での議会制民主主義政党とは言えません。14の社会主義国家の議会システムが、とうてい議会制民主主義と言えない反民主主義一党独裁政治体制だった異質性と同じ原理の組織運営をしている政党です。

 

 これら3つの障害が、国会で安定した241議席を占めるという革命綱領政党の前に立ち塞がります。その革命綱領は、果して、実現の可能性があるのか、それとも、著者不破哲三による、空想的社会主義の21世紀型ユートピア小説なのかを、判定する材料を検討します。

 

 

 3、241議席・二段階革命政権の実現可能性

 

 〔小目次〕

   1、共産党が241議席を占有する革命の客観的条件成熟の可能性

   2、主体的条件としての革命勢力大躍進の可能性

 

 改定綱領は、現在の選挙制度と480人定員を基準とすれば、総選挙で議席占有率50%以上・241議席、または、269議席という「国会で安定した過半数を占める民主主義革命」を目指しています。上記では、現在の議席占有率1.87%と、革命の3障害を検討しました。次は、総選挙を通じて241議席をとる二段階革命政権の実現可能性という視点からの分析をします。レーニン以来、世界のコミンテルン型共産党は、革命情勢が成熟してくる客観的条件と主体的条件の両面を捉えるという論理で行動してきました。その共産党的思考スタイルに入り込んで、その必要条件をごく簡潔にシミュレーションします。必要条件とは、下記の状況が成熟しないと、241議席獲得は、とうてい不可能という指標です。

 

 1、共産党が241議席を占有する革命の客観的条件成熟の可能

 

 1、日本経済が破局を迎える

 

 グローバル経済の要因や国内要因によって、日本経済が破綻に瀕し、失業者が溢れ、国民の生活が困窮する。資本家・経営者も、このままでは企業倒産しかなく、その脱出の道を、共産党革命政権による根本的変革に求める。

 ただし、不破哲三は、資本主義の絶対的窮乏化理論、全般的危機論を誤りとして放棄する論文を発表している。

 

 2、日本が戦場になる

 

 敗戦後、日本国内は、58年間平和が続いた。国土が平和という情勢の中から、共産主義革命が生まれたことはない。14の現存した(する)社会主義権力の成立は、すべて、国土が戦場になり、その戦争に共産党が先頭になってたたかう中で、共産党の最高指導者らが国民の信頼を得て、あるいは、ソ連軍占領下においてソ連軍戦車の支援によって、政権を獲得したという過程を経ている。

 

 (1)、ロシアは、第一次世界大戦の東部戦線でドイツと戦争する中で、二月革命が起き、ボリシェヴィキが「戦争を内乱に転化せよ」と訴え、ボリシェヴィキの単独武装蜂起によって、権力奪取をした。モンゴルもソ連に続いた。

 (2)、東欧7カ国は、ドイツ敗戦により、ソ連軍戦車の下で、モスクワ帰りの共産党指導者たちによって、権力奪取をした。チェコ・アルバニアは、初期のみ自力解放をした。

 (3)、ユーゴは、ドイツ軍との長期にわたる自力パルチザン闘争によって、権力樹立をした。

 (4)、北朝鮮は、日本の敗戦と同時に半島北部を占領したソ連の軍政下で、ソ連が、沿海州にいたソ連軍中尉金日成を送り込んで、朝鮮労働党政権を樹立した。

 ()、中国は、延安を根拠地として、国共内戦・抗日統一戦線戦争をたたかい、日本敗戦後、国民党軍との内戦をたたかい、台湾を除く中国本土を手中にした。

 ()、キューバは、山岳根拠地による国内戦争を拡大し、首都を陥落させ、権力奪取をした。

 ()、ベトナムは、フランス・日本・アメリカの侵略・占領にたいして、長期のゲリラ戦をたたかい、国土の武力解放・統一をした。

 

 国土が戦場になっていない状況で、マルクス主義前衛党側が、普通選挙手段によって、国会で安定した過半数をとり、国家権力・国家暴力装置を移行させた革命は、世界のどこにもない。戦争という「生か死か、革命か死か」という極限状況に、全国民が追い詰められ、かつ、戦争に対応する他政党の無能ぶりを全有権者が認識しないと、革命綱領政党への期待が高まることはありえない。

 

 それでは、日本国土が戦場になるという条件があるかどうか。第三次世界大戦は、核戦争になり、とうてい不可能である。日本国土が、東アジアにおける局地戦争の戦場になる想定が成り立たてば別である。大艦隊を編成し、海を渡って、「不沈空母」に攻め込むような仮想敵国は存在するのか。

 

 3、政界の劇的再編成

 

 自民党や民主党などが、なんらかの特殊要因によって、分裂・崩壊し、日本の政党システムが大混乱に陥る。共産党を除く、すべての政党が、有権者の信頼を失い、選挙で連続惨敗することによって、弱体化し、四分五裂に陥る。党勢力も10年・20年と歯止めのきかない減退を続ける。他党指導者が、さまざまなウソ・詭弁をつき、道徳的退廃現象も多発する。それに反比例するかのように、共産党にたいする期待が劇的に高まり、ついに、共産党が政党支持率第1位・30%以上になる。

 

 これら、日本経済、戦争と平和、政界再編成という3つ、または、その内2つが同時発生すれば、共産党が241議席と国家権力・国家暴力装置を手に入れるという二段階革命成功の客観的条件が成熟する。

 

 2、主体的条件としての革命勢力大躍進の可能性

 

 1、共産党の政治的文化的道徳的ヘゲモニーの確立

 

 不破・志位・市田らトップの国民的人気が高まり、そのカリスマ的魅力に惹かれて、政治家個人支持率・首相候補支持率が第一位になる。無党派層も、共産党指導者3人を尊敬・崇拝の対象に挙げる。嫌いな政党・当選してほしくない政党という世論調査の政党拒否率は、現在の第一位を公明党と争っている、20%から25%台でなく、最下位の数%に圧縮する。

 

 共産党の文化的レベルがアップする。例えば、共産党員作家の作品が、文壇でも高い評価を受け、ベストセラー1年間のトップクラスに入る。文壇の各賞を総ざらいする。戦前のプロレタリア文学の再興期を迎える。共産党幹部の道徳的権威も高く、セクハラ・不倫問題で話題になったり、すぐにばれるようなウソをつく中央役員は一人も出ない。1億261万有権者の中に、これらのヘゲモニーが、ついに確立する。

 

 2、共産党主導型大衆運動・共産党系大衆組織の飛躍的拡大

 

 現在の共産党25000支部、公称在籍党員40万人・党費納入党員28万人の全員が、有権者のニーズに応えて、要求に基づく画期的な大衆運動の先頭に立つ。大衆運動もやらずに、選挙票よみと赤旗拡大のときだけやってくるという23年間以上にわたる党活動スタイルは一掃される。大衆運動・組織の活動経験もないのに、東大を卒業したら、いきなり東京都委員会専従・中央委員会専従になったような幹部は、一旦、民間経営の労働者体験を数年間させ、無党派層有権者感覚を身につけるという修業をさせる。

 

 それらの抜本的な「日本改革=日本共産党改革」によって、民青・新婦人・全労連・民商・民医連・生協・学生自治会・平和委員会・原水協・民主主義文学同盟などの共産党系大衆組織への加入者が爆発的に増加する。民青は、1972年・新日和見主義分派大粛清・冤罪事件当時20万人から、現在、公称在籍2万人、同盟費納入同盟員40%・8000人に転落し、ほぼ壊滅状態になっている。それが、逆転の拡大に転じ、数十万人の日本民主青年同盟になる。日本全国の大学自治会を再建し、それらを民青系全学連と民青内共産党グループが指導する。共産党員に成長していく青年学生の貯水池は、くめども尽きないほどに発展する。

 

 3、党勢力PHNが爆発的に拡大

 

 「日本改革」という、意味不明で抽象的な2003年総選挙スローガンは、実は「日本共産党改革」のことだったかと、不破・志位・市田らが目覚める。彼らが、その悟りの境地に達することによって、1980年をピークとして、24年間歯止めのきかない党勢減退をストップさせ、党勢力PHNの爆発的な拡大に転じる。党員Pは、党費納入者28万人から、一挙に、数十万人、もしくは、百数十万人の大衆的前衛党に発展する。赤旗HNも、有権者のニーズを汲み取った、紙面の抜本的な改革により、24年ぶりに増勢に変わる。HN199万部から、1000万部を超え、対有権者比率で10%、有権者10人に一人が「しんぶん赤旗」を読む時代が到来する。無党派層有権者も、共産党の情勢分析と指針に心から納得し、「ブル新」などを見向きもしない。

 

 これら共産党のヘゲモニー、大衆運動・組織、党勢力PHNという3つが革命勢力となり、241議席・二段階革命の主体的条件を形成する。客観的条件と合わさることによって、日本共産党は、高度に発達した資本主義国における、唯一の『現代の君主』に変貌する。

 

 第23回大会において、代議員1012人賛成・1人反対で、ほぼ満場一致採択された、241議席・二段階革命路線の綱領改定案は、これらの客観的・主体的条件が成熟する、させることを前提としています。5000万人以上の無党派層有権者は、その綱領全面改定案を、偉大な科学的社会主義の綱領案と高く評価するのか、それとも、空想的社会主義の時代錯誤的な革命ユートピア小説と見るのか、どちらでしょうか。共産党の革命綱領=共産党政権マニフェストにたいし、彼らは、2004年7月参院選において、再度、どのような審判を下すでしょうか。

 

 

 4、革命綱領と満場一致システムの第23回大会

 

 〔小目次〕

   1、総選挙連敗結果で色あせた241議席・革命政権綱領

   2、第23回大会における党勢力PHNの報告数字 HN−27万部データ

      志位和夫のPHN前大会比増減数における2種類の決算報告書

   3、民主主義革命を反民主主義システム政党が行うという矛盾

 

 1、総選挙連敗結果で色あせた241議席・革命政権綱領

 

 共産党の選挙4連続惨敗結果、総選挙26議席→20議席→9議席という連敗結果は、241議席・革命政権マニフェストの空想性を証明しました。議席占有率1.87%を、50%以上の安定した過半数にするという民主連合政府樹立の民主主義革命構想は、2004年1月13日の党大会において、早くも色あせてしまいました。

 

 全面改定綱領における、抽象的な社会主義・共産主義未来像にたいして壮大なロマンを感じても、具体的に241議席をとる民主連合政府=民主主義革命権力を実現できると思う共産党員は、ほとんどいないでしょう。そこには、3つの選択肢が、党費納入28万党員の前に突き付けられています。その内容は、()空想的ロマンに生き、共産主義的人間としての生涯を貫く、それとも、(2)議席占有率の現実を直視しても、あくまで党に踏み止まり、実現不可能な二段階革命路線について、抜本的な転換を党中央に要求する、さらには、()不破・志位・市田らの空想的社会主義に幻滅して、離党するか、です。

 

 2、第23回大会における党勢力PHNの報告数字 HN−27万部データ

    志位和夫のPHN前大会比増減数における2種類の決算報告書

 

 従来の党大会で報告された公式のPHN数字は以下です。()内容は、赤旗H(日刊・本紙のH)とN(日曜版のN)だけにしました。というのも、党員Pの数字には、()公称在籍党員数と()党費納入党員数とで、大きな差があり、共産党が行う党大会報告数字は、()のみで、党員数の増減を反映していないからです。

 

 それにたいして、赤旗HNは、各中間機関が、党中央に申請部数の代金を、100%支払う義務があり、支払い期限の遅延は絶対許されないという機関紙経営システムになっているため、赤旗減紙申請を党中央に即座に出さなければ、減紙部数分も自腹を切ってでも、支払う仕組みになっているからです。よって、赤旗HNの増減は、その実態部数をつねに正確に反映しています。

 

(表2)歯止めのきかない党勢力減退

80

82

85

87

90

94

97

00

041

大会

15

16

17

18

19

20

21

22

23

HN

355

308

338

300数十

286

250

230

199

173

内H

54

50

40

35

(30)

内N

232

200

190

164

(143)

 

 機関紙部数のピークは、1980年でした。その前後の分析は、『日本共産党の党勢力』でしました。(表2)は、そのピーク以降の24年間のものです。表は、すべて共産党公表の部数(万部)です。この24年間で、最高時の355万部から、182万部減り、減紙率51.3%になっています。2000年11月、第22回大会で、志位委員長は、HN199万部と報告しました。

 

 第23回大会で、彼は、第22回大会HN部数を、199→200万部に訂正しました。そして、200−173=HN−27万部と報告しました。HNの各部数報告をしていません。一応、199万部におけるHN比率で、HN部数を推計します。173×17.6%≒H30万部、173−H30≒N143万部になります。H30万部とは、私(宮地)の推計する党費納入28万党員に相応する数字です。共産党員以外のH読者が、なお数万人はいるからです。HNは、この24年間で、半分以下に激減しました。

 

 1989年東欧革命、1991年ソ連崩壊から現在までの、13年間ではどうでしょう。1990年の第19回大会を基準値にします。(1)H(「赤旗」日刊紙=赤旗本紙のH)54万部から、24万部減り、13年間での減紙率44.4%、(2)N(「赤旗」日曜版のN)232万部から、89万部減り、減紙率38.4%、(3)HN(HとNの合計部数)286万部から、113万部減り、減紙率39.5%です。HN「赤旗」読者は、日本共産党のもっとも強固な支持者であり、「1N2票」と計算できる組織票と見られていました。しかし、東欧革命・ソ連崩壊以降の13年間で、HとN読者のいずれもの、ほぼ40%が、共産党に愛想をつかして、離れていったのです。

 

    『日本共産党の党勢力、その見方考え方』党費納入率69.8%、実質党員28万人の根拠

 

 ただ、一応、第23回大会志位報告における党員Pの公表数字=在籍党員数も確認しておきます。

 党員Pは、43000人増えて、在籍403793人という報告です。第22回大会志位報告の在籍党員数は、386517人でした。403793−386517=差引+17276人です。ということは、43000−17276=離党・除籍党員−25724人がいたことになります。もっとも、私(宮地)の推計では、党費納入28万党員というのが、日本共産党の党員実勢という判断ですが。

 

    志位和夫『大会決議案についての報告』(全文)、PHNの数字

 

 志位和夫のPHN前大会比増減数における2種類の決算報告書

 

 ところで、志位報告を読まれた方は、この異様なスタイルになっていることを気付かれたでしょうか。

 ()、HNは、差引数字で、HN−27万部という決算報告スタイルです。2000年11月第22回大会以降の3年2カ月間で、何度も、党員・赤旗拡大運動や月間をやっています。私(宮地)の専従体験13年間から推計すれば、数回の拡大運動で、少なくともHN40万部を増やしています。+40万部と仮定すると、+40−67HN−27万部になります。

 

 ()、党員Pは、差引数字を欠落させた、増加側面のみの数字で、P+43000人という決算報告スタイルにしました。PとHNの決算方式を二重にしたものです。HNを差引−27万部と報告したのなら、Pも差引+17276人という同一決算スタイルにすべきでしょう。

 

 志位和夫は、なぜ、このような姑息な二重決算スタイルの報告をしたのでしょうか。赤旗HNの減退は、隠しようもない。しかし、党員拡大は、第22回大会において、赤旗拡大重点路線から「党員拡大五カ年計画」を最重点にすると路線転換をした。よって、党中央の正しい計画は、着実に成果を挙げており、P+43000人になったという二重決算書の詭弁を使いたくなったのでしょうか。東大卒業と同時に、民間経営労働者体験や地区専従体験もパスして、いきなり東京都委員会官僚→代々木官僚になった彼らしい手口とも言えますが、なにかその心情に憐れさも感じます。

 

 民間会社の株主総会で、社長・役員が、このように卑劣で自己保身的な二重決算書を報告しようものなら、総会は大混乱に包まれ、怒号が飛び交い、即座に社長解任になります。公表在籍403793人党員が、誰一人として、この報告スタイルに怒声も批判の声も挙げないというのは、さすがにDemocratic Centralismという党内民主主義抑圧・破壊組織原則の革命綱領政党と言えます。

 

 3、民主主義革命を反民主主義システム政党が行うという矛盾

 

 改定綱領は、共産党が241議席以上をとり、民主連合政府を樹立し、資本主義の枠内で、国家権力=自衛隊・警察・裁判所・刑務所などの国家暴力装置を共産党側に移行させる民主主義革命を遂行するという共産党政権マニフェストです。そこの公約では、複数政党制を認め、革命政権が総選挙で敗れれば、政権交代をするとしています。それは、言い換えれば、革命政権から、反革命政権への政権交代になります。この公約を信じることができるでしょうか。

 

 14の現存した(する)社会主義国とマルクス主義前衛党は、革命権力を掌握した後、他政党すべてを排除し、他党党員を逮捕・銃殺・強制収容所送りにして、一党独裁という反民主主義的・犯罪的な政治体制を確立しました。平和的な政権交代を拒絶し、そのために、予防的に他政党を殲滅しつくすというのが、権力を握ったマルクス主義者たちが行った歴史的事実です。崩壊した10カ国と残存する4カ国の政治体制の実態は、革命政権樹立後、すべてが、民主主義抑圧・破壊の反民主主義革命に変質・堕落したことを証明しました。

 

 日本共産党は、この経過や実態を明確に批判したことがなく、その前衛党思想との断絶を表明したこともありません。そのままで、複数政党制や政権交代という公約をすることは、有権者・他政党にたいするウソの空手形になります。もっとも、日本共産党の民主主義革命政権が実現したとしても、14カ国と同じことをするだろうと、有権者・他政党は認識していますから、ウソの公約の効き目はありませんが。

 

 民主主義革命を唱える共産党の組織運営システムの根幹は、Democratic Centralismで、共産党式略語は、民主集中制です。このレーニン型組織原則の運用実態については、他ファイルで書きました。その性格は、党内民主主義抑圧・破壊システムです。それだからこそ、高度に発達した資本主義国では、すべての共産党が、「それは、党の統一を守るのには役立ったが、党内民主主義を抑圧・破壊するという誤った組織原則だった」と認定して、レーニンの根本的誤りを認め、公然と放棄宣言したのです。

 

    『なぜ民主集中制の擁護か』党内民主主義抑圧・破壊システム

 

 唯一、日本共産党だけが、2000年第22回大会の規約全面改定においても、Democratic Centralismを堅持したことは、不破・志位・市田らトップが、「民主主義革命を唱える反民主主義者という絶対矛盾」を内包・隠蔽し、1億261万有権者を欺くマルクス主義政治家であることを、さらけ出していることになります。そのような反民主主義者政党にたいして、2004年7月参院選で、有権者が、共産党の改選15議席維持に投票すると考えられるでしょうか。

 

 ただ、2004年1月13日第23回大会における、約1013人の党大会代議員は、二段階選別・濾過システムによって、選ばれた者です。その候補者リストから、綱領案反対・批判者が完璧に事前排除され、異論者は一人も入らない仕組みになっています。この代議員「任命」システムは、宮本顕治が、1961年第8回大会で創作した日本共産党が誇る歴史的ルールです。以後40年間、14回の党大会は、満場一致という共産主義的儀式を、華麗に挙行してきました。第23回大会も、その宮本式伝統を受け継いで、満場いっせいの笑い、満場いっせいの拍手に包まれ、満場一致で、241議席・二段階革命路線の綱領案を採択することが、あらかじめ確定しています。そして、党大会を契機として、公称在籍40万党員は、半年後に迫った参院選で、改選15議席以上の当選を目指して、総決起するということがプログラミングされています。ただし、今回の第23回大会では、代議員1013人中、1人だけが中央委員会報告案に反対しました。

 

    『ゆううつなる党派』党大会代議員の選出システム=異論・批判者排除の選別・濾過「任命」

    小山弘健『61年綱領採択めぐる宮本顕治の策謀』

    小山弘健『第8回大会・61年綱領の虚像と実像』

    平尾要『61年綱領決定時の「アカハタ」編集局員粛清』

 

 

 5、2004年7月参院選での3議席・5連続惨敗の見通し

 

 共産党綱領とは、長期的な共産党政権マニフェストです。不破・志位・市田らは、総選挙向けの本格的政権構想として、43年ぶりの綱領全面改定案を、1億261万有権者に提示しました。ただ、彼らトップが、解散・総選挙時期について、初歩的な読み誤りを犯したことにより、綱領は、案の段階で、有権者の洗礼を受けることになりました。彼らトップは、やむなく、2003年11月22日招集日の第23回大会を、2004年1月13日に延期し、あわてて総選挙体制に切り換えるという恥をさらしました。結果は、有権者からノーを突き付けられ、選挙4連続惨敗になりました。

 

 党大会で、華々しく、民主連合政府=民主主義革命政権の綱領案を、満場一致で採択し、総選挙・参院選に決起する予定でした。しかし、その前に、241議席・二段階革命政権の夢が遠ざかり、9議席、議席占有率1.87%政党という「衆議院内の泡沫会派」に転落してしまいました。「泡沫会派」という意味は、深刻です。党首討論時間50分・議員控室480人分は、議席占有率1.87%に比例して再配分されるので、共産党の持ち時間・面積が、従来の半分以下になるという屈辱的な扱いを受けることになります。−11議席という意味は、共産党衆議院議員秘書が、−11×一人の国会議員に公的秘書3人=−33人が、リストラ対象になることです。

 

    『共産党の選挙4連続惨敗結果と原因分析』3議席・5連続惨敗になるか、7月参院選

    『共産党の総選挙、参院選結果データ分析』(1970〜2003)

 

 総選挙結果を受けて、マスコミ各社は、早くも、参院選シミュレーションを出しました。共同11月10日記事、朝日・中日11月11日記事です。各党の総選挙得票数を基準に、改選数121議席のシミュレーションですので、各社ともほぼ同じ予想数字になっています。

 

 3社とも、共産党の改選議席15→3議席に激減、非改選5+7月当選3=合計8議席としています。11月総選挙では、現有20議席が、9議席になりました。来年7月参院選では、現有20議席が、8議席になるという共産党の5連続惨敗シミュレーションです。共同11月10日記事の一部のみを抜粋コピーします。

 

 共同通信記事「今回の衆院選比例代表選挙での各党得票を基に、百二十一議席を争う来年の参院選を予測すると、自民党が五十九議席を獲得する見通しであることが分かった。これに非改選議席を合わせると、百二十三議席となり、定数二四二の過半数を単独で確保する。一方、衆院選で躍進した民主党は、比例代表で自民党を上回る十九議席を獲得、選挙区三十議席を合わせ過去最高の四十九議席となる。非改選との合計は八十一議席で、参院でも二大政党化が進むことになりそうだ。
 試算では、自民党の獲得議席は選挙区(改選七三)が四十二、比例代表(同四八)が十七となる。公明党は比例を中心に八議席(二議席減)を獲得し、非改選と合わせ計二十一議席。共産党は、改選十五議席が三議席と大幅減になる計算。社民党も二議席にとどまる(改選三議席)。

 

    参院選シミュレーション『共同・03衆院選』11月10日記事全文

 

 もちろん、参議院現有20議席→8議席に惨敗という予想は、あくまで、総選挙の得票数を基に、ドント式で計算したものです。第23回大会後から7月11日の参院選までに、6カ月間あります。総選挙直後に、保守新党が解党し、自民党に合流したことにより、自民・公明の与党となりました。野党は、民主・自由が、総選挙前に合併をしたので、野党間の再編は参院選までにはないでしょう。ただ、土井の党首辞任がありました。社民党は、現在のスタイルのままなら、7月参院選で、共産党と同じく、さらなる惨敗をするでしょう。よって、福島・社民党が、民主党との関係において、参院選前後に、様々にある選択肢の中から、どれを選ぶかという流動的問題はあります。

 

 となると、半年間に、無党派層有権者の政党支持動向に大変化が起きるような政治的経済的激動が発生するかどうかがあります。その一つは、イラクへの自衛隊派遣是非問題と現地情勢です。

 

 この間、日本共産党にとってのビッグチャンスは、2004年1月13日第23回大会と全面改定綱領です。その内容を、無党派層がどう評価するのかです。綱領は、共産党が、資本主義の枠内で、総選挙を通じて、現在の9議席から一大飛躍して、国会で安定した過半数・241議席以上を占め、国家権力=自衛隊・警察・裁判所・刑務所などの国家暴力装置を、共産党側と統一戦線勢力側に移す、民主主義革命を行うという共産党政権マニフェストです。綱領では、民主連合政府と言っていますが、民主党・社民党が革命綱領政党と連立政府を組む気配はないので、事実上の共産党単独政権構想です。綱領は、2003年現在9議席を、27倍以上にするという日本共産党大躍進計画です。

 

 共産党の革命政権理論は、資本主義の枠内における単純な政権交代と比べて、その意味がまるで違います。綱領は、「資本主義の枠内」で、「241議席以上を占める民主連合政府樹立=民主主義革命=国家権力を移すから革命」と明記しています。それは、マルクス・レーニンの革命政権理論と同一です。その国家権力理論とは、官僚機構だけでなく、自衛隊・警察・裁判所・刑務所などの国家暴力装置を含みます。国家暴力装置を「共産党と統一戦線勢力に移す」とは、共産党が、政権政党として、その装置を全面掌握することです。具体的には、自衛隊・警察・裁判所・刑務所などのトップや指導部に共産党員を据えることなしに、「権力の移行」が完成しません。14の現存した(する)社会主義とマルクス主義前衛党が行った、共産党政権確立過程は、すべてこの理論どおりでした。

 

 このような革命綱領政党にたいして、1億261万有権者が、壮大な21世紀のロマンを感じ、7月参院選で、こぞって共産党支持の投票行動をするでしょうか。それとも、1月13日の党大会において、1013人の選別・濾過された代議員たちが、1人の反対代議員を除いて、いつものように、満場いっせいの拍手、満場いっせいの笑い、満場一致の採択をする共産主義的儀式を見て、一段と幻滅を深めたのでしょうか。

 

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 (関連ファイル)

   (共産党HP)

    共産党日本共産党index 『しんぶん赤旗』 「新綱領」 「新規約」

    不破哲三『綱領改定についての報告』(全文)

    志位和夫『大会決議案についての報告(全文)

    不破哲三『党綱領の改定、市民道徳』7月18日記念講演

    日本共産党資料館『討論報第1号〜第5号』全文

 

   (43年ぶりの綱領全面改定問題)

    『綱領全面改定における不破哲三の四面相』総選挙の時期読み誤りの失態

    『綱領全面改定めぐるマスコミ論調』代議員1人反対とその理由

    加藤哲郎『日本共産党新綱領草案について』

    五十嵐仁『日本共産党綱領改定案への論考』

    さざ波通信『綱領改定案と日本共産党の歴史的転換・上中下』第33、34、35号

    掲示板討論『JCPウォッチ』 『さざ波通信』

    『綱領全面改定案に関する掲示板討論』ピックアップ

    Google検索『日本共産党 綱領』

 

   (2003年総選挙結果)

    『共産党の選挙4連続惨敗結果と原因分析』3議席・5連続惨敗になるか、7月参院選

    『共産党の総選挙、参院選結果データ分析』(1970〜2003)